そこはかつて図書館だった場所です。
その図書館には様々な本があった。
誰かを静かに恐怖させる本があった。
誰かがふと微笑んでしまう本があった。
誰かが確かに共感する本があった。
誰かがひとりでに奮い立つ本があった。
誰かが書き手の才能を羨む本があった。
新たな本を産み出そうと決意した、誰かの背中をそっと押す本があった。
誰もが読めた。誰かが読んだ。特別気に入った本を、借りていく者もいた。
そこはかつて図書館だった場所です。
司書は去った。
或いは、己の血肉の欠片を残し。
或いは、己の血肉の欠片と共に。
そうして図書館だった場所は、いつしか図書館ではなくなった。
そこはかつて図書館だった場所です。
今は亡き光芒に縋る異形の書は。
死に希望を見出だす人々の書は。
奇妙な発想を喰らう大鯨の書は。
光年の彼方で人を憎む星の書は。
かつて書架に並び、読まれ、評され、書架より溢れたあらゆる書は。
今はない。
しかし、そこはかつて図書館でした。
そこには、確かに本があった。物語があった。
読み手が抱いた想いがあった。
いまや、そこは図書館ではありません。
あらゆる書はいずれ朽ちる。
過去をも喰らう虚ろの書も。
拡散する情報たる猫の書も。
帰郷を望む集合意識の書も。
死角より首折る彫像の書も。
やがてそれらの目録たる礎すらも。
すべては過去となるだろう。
それでも、物語は在り続けるだろう。
綴られた幾千幾万字を忘れようとも。
一冊を読み終えて本を置き、目を閉じて、何かを想ったあの瞬間を忘れることはないだろう。
私は、憶えている。
貴方も、きっと。
そこには、かつて、確かに──。