君と初めて出会ったのは職場でじゃなかった、古典作品ばかりを上映する劇場でだ。
「好きなんですか?ゲーテ。」
売れ線を無視したラインナップのせいか、満員なんて言葉からは程遠い観客席でさ。なんで会話しようって考えたんだっけ。僕は「こんな所でこんな演目観るなんて自分ぐらいだと思ったのに」なんて好奇心からだったかな。君は理由を結局教えてくれなかった。
結局その会話は次のステップの導線になるわけでもなく、その場でお開きになって。次に出会ったのはここ、僕の異動先の財団サイトだったね。奇跡とも呼べるような出会いだったのに、僕たちは互いの顔が曇って見えた。
「こんな偶然あるんだ。本当に…」
互いに日の当たる場所の住人だと思っていた相手は、どちらも影に自ら身を落とした同類だった。ただの人類が異常に立ち向かうために、悪魔と契りを交わすことも厭わない程に素晴らしく忠誠に溢れたこの場所が僕たちを再再会させた。
「私はもう、人並みの幸せも安らかな最期も送れるなんて思ってないよ。それを承知でこの世界を守るために自分の意志でここに来た。」
「でも、でもね。何でだろう。あなたは私と同じだって思いたくないの。他の異常を知らない人々と同じ目で見ちゃう。私が守りたいっていうものの括りに、あなたが入ってしまった。」
その言葉を聞いて何日も、本当に何日も頭の中で反芻させた。これは同じ立場だから起こりうる傷の舐めあいに過ぎないと言い聞かせたこともあった。本当だったとしても財団でそれは成就することはないと分かっていた。
それでも、僕も君を守りたいと思った。
普通の恋人らしいこともしたけど、結局あの劇場に一緒に足を運んだね。僕ら色々でこぼこだったけど、演劇の趣味だけは怖いくらいに一致しててさ。君といた時間は暗闇の中でも確かな安らぎを感じたし、同じ安心を僕も与えたいと思った。本当に、ずっとこの時間が続けばいいのにって何度も思った。
でも、終わりは来るものだって、僕ら痛いほど思い知らされた。
サイトで起きた超規模な収容違反。あちこちが炎と煙、壊れた機械音に交じって断末魔が上がった。僕の右目と足もその時やっちゃってさ。ああ、結局最期は君の言う通り安らかにはいかなかったななんてぼんやり思った。
せめてそれでも、何もあがくことがないまま終わるのも嫌だったし、目を閉じる瞬間には君が隣にいてほしいと思った。真っ赤から真っ暗になる視界の中で、体が動かない中で出来るあがきって何かなと思って。君と出会ったきっかけの、
ゲーテのファウストで1番有名なセリフを、魔法みたいに呟いた。
「時よ止まれ…汝は…美しい…」
その瞬間、本当に世界が変わった。怪物たちはいなくなったし、呼吸を奪う火の手もなくなった。僕の負傷した箇所は治らなかったけど。
ねえ、魔法って本当にあったんだね。最後まであがいてみるもんだ。
…ねえってば。
君のお墓の前で、こんなクサイ台詞言ったんだよ?反応してほしいな。
…魔法なんてなかった。そして悪魔と契約した演劇の主人公は、僕ではなく君だった。プロトコル・ヴェルダンディの生贄に選ばれたのは君だったんだ。僕は君がたった1人で守った世界で生きている。
迷いなく君はその暗闇に身を投げて、本当に僕なんかよりも背負っている覚悟が違っていた。最初から成就しないって、本当だったね。気づかなくて、その不安を分けられなくてごめん。
でも、いや、だから。もうゆっくり休んでいいんだよ。
こんな形になったけど、君の時間は本当に今止まってさ。その世界を救った、僕が見たことがない姿が、僕は1番美しいと思った。
君が止めた時間、進めた時間。その中で、僕はこれからもその美しい姿を焼き付けて進んでいくから。
だからどうか安心して、君の時間をここで止めていいんだ。