地下のあらゆるエネルギー供給源は既に絶たれている。これから数十年に渡って地下と地上が交わることはなく、たまたま偶然に生き残れた地下の住民は深い地獄の奥底でもがき続けるだけだ。当然、電気系統もないはずであるが、未だに新宿行きのデンシャは暗闇の中を突き進んでいる。
かつてのメトロと変わらないように。
デンシャにのる奴のためのアドバイス
- 頭がイタくなったら乗るのをやめる。
- 1駅乗ってるあいだはデンシャは俺たちのことを乗客として認識する。2駅でキップの期限が切れる(らしい)。3駅を連続で乗ってたやつで生きてたのは知らない。
- 先の車両に行くほど肉が増える。3両目よりあとは行ったらダメだ。
- 地上には行けない。
- 地上駅は前もって調べておくこと。馬鹿みたいに頭が押しつぶされて死んだ人間を何人も知ってる。どこが地上駅なのかはだいたい長生きしてる奴が知ってるから聞くと良い。
- 例えば四谷駅とか。
- 他にも一時的に外に出てしまう場所はたくさんある。
- 運転室には肉がぎっちぎっちに詰まってる。 なるべく調べない方がいい。
- 何か書き残したいことがあったら、勝手にここに追記してもいい。
四谷三丁目駅 駅構内清掃委員会
ダンボールに布を敷き詰めて作った粗悪なベッドで寝起きしている。駅の時計が6時になったら朝だ。実際のところこれは正確に6時ではないらしく、次元的な影響で駅の時計はそれぞれ別々にずれているから交易の時は大変らしい。しかし、駅から出ることなく過ごしている私たちにはこれで事足りることだ。太陽のことも知らない、そんなものは見たことがない。
「ふぁあ〜」
「ヤナねえ、もう朝?」
私の弟のナユだ。末っ子で1番かわいい。ナユはまだ背が小さいから、姉のダンボールベッドに勝手に入り込むことが許されている。
「うう〜、もう朝」
「まだ駅神サマが喋ってない」
駅神サマというのは駅のアナウンスに出てくる女性の声だ。この駅のどこかには女の人がいて、アナウンスを私たちにしてくれると言われている。
「今日はお休みかな」
「じゃあヤナも休んだら?」
「出来たらいいね。ほら起きて!」
まだ眠いので顔を洗いに行く。水が出てくるのは駅のトイレだ。次元崩壊でしっちゃめっちゃかになってるはずのこの世界が未だ新宿駅のトイレから水を出してくれている理由はわからない。場所によってはこれすら不足することもあるらしいから私たちは幸運だ。顔を洗い、ひび割れたガラスで自分の顔を見る。鏡の向こうの私はまだ眠いようだ。
「兄妹!朝だから起きて!」
長兄のザハにぃ、次男のフロス、三男のライ。四男からはトーヤ、イルベ、キノフ、スザ、そして末っ子のナユ。女子たちは長姉のユーキねえ、次女のハナねえさん、三女は私ことヤナ。四女からはルリ、リー、リト、ナイナ。合わせて15人兄妹だ。私たち兄妹にとって今や母親や父親といった言葉は縁が遠いが、お互いにこんなたくさんの兄妹がいるから問題ない。
「お〜ヤナ、もう肉列車ミートレインの収穫すんでるよ」
肉列車を始発で回収したザハにぃの声だ。毎朝5:26分を時計が指し示す時間にその電車は現れる。毎日少しの間しか駅に停まらないので、素早い回収能力が「取り手」には必要だ。取り手で門番でもあるザハにぃは駅の期待を一心に背負っていた。ザハにぃが手に持っている槍は武器ではなく、肉列車に突っ込んで触手状の肉を引っ張り出すためのものだ。先が三叉に分かれていて、鉤爪がついている。
「ありがとう!ザハにぃ、どれだけ取れた?」
「すまん、今日はちょっと失敗して。これだけしか取れてない」
そう言って見せたのは3房の触手塊。兄妹の朝ごはんには十分であるが、長期的な目線で言えば足りないかもしれない。でも、大丈夫。明日も明後日もデンシャは来るはずだから。肉列車の触手の難点は保存があまり効かないというところだ。だからこうして毎日取らなければいけない。
「ザハにぃが失敗したんだ。あやうく飲み込まれそうだったんだぜ」
「ああ、俺が悪い。トーヤがいなかったら俺も危なかったな」
同い年のトーヤはこないだ取り手に就任した。ザハにぃが悪いなんて言ってるけど、どうせトーヤが失敗したに決まってる。トーヤはまだ日が浅いからいくら失敗しても許されるけど、これからも同じ失敗を続けるならばそのうち役割をやめさせるのも考えないといけない。駅全体の食料供給に関わる大切なことだ。
「ヤナねえ、朝の間には何も異常ないぜ」
フロスとライが改札口とは反対の方から現れた。2人とも、駅が隣接する永田町駅との境界線を警備する役割がある。今のところ、そこまで関係性が悪いとはいえないが、予断を許さない環境にある。半蔵門線のホームが中間地帯になっている。
「OK、駅神サマにお供えする用の肉列車持って行って」
"駅神サマ"は十分にお供えをしないと狂ってしまうと言われている。「AED」と書かれた御神体だ。どうやってこの文字を読めばいいのかは不明だ。ユーキねえが言うからには「A」を「エー」と読むので、残りのEとDには「キシン」が入るらしい。絶対に違うと思う。このような御神体は他の至る所でも見られるので、かなり広範に信仰が集められている存在なのだとわかる。
私はさっきザハにぃから貰った触手塊を調理する。ハルねえさんが包丁で赤茶色の膜に覆われた毒胞を取り除いて、私がそれを細々にしてすり潰す。ハルねえさんの包丁さばきは赤坂見附の駅で1番といっても差し支えない。肉列車の毒胞はまばらに分布している。その上小さい。だから取り除くにはそれなりの知識と経験が必要だ。毒胞をすばやく手早く抜き取るハルねえさんの姿は美しかった。
「ヤナ、ぼーっとしてないですりつぶして」
「う、うん。ハナねえさん」
私はハルねえさんに頭が上がらない。料理が上手いというだけではない。彼女には何かの凄みがあるのだ。
すり潰した触手塊はルリ、リー、リトに丸めさせる。小さい子に仕事を教えるのも年長の義務である。3人とも、やっと仕事を覚えてきた。この中で1番年上のルリは姉さんっぷりを発揮してリーとリトの面倒を見ている。
丸められた触手塊が肉団子になった。これが私たちの主食となる。時にはネギや生姜などの薬味が入るが、それは交易でたまたま手に入った時だけのことだ。
「じゃあ茹でよう」
ハナねえさんはそう言って、肉団子を鍋にバラバラに投入した。こないだザハにぃが直した鍋だ。定期的にこの鍋は穴が開くので新しいものが欲しい、とハナねえさんは言っていた。私たちの生活用品が恒久的に不足していることは言うまでもない。この鍋だって、10年近く使っている。調理用具は鍋と包丁だけだ。まな板はなく、そこら辺から拾ってきた木の板で代用している。
「あっ、そういえば今日はこれがあったんだ」
と言って棚から出してきたのは大根だ。
「永田町駅の人たちが交易で手に入れたらしいの〜」
「アイツらが…?ハナねえさん、代わりに何か渡したの?」
がめついアイツらが何の代価もなくこの高級品を渡してきたとは思えない。地下の世界では野菜は超がつくほどの高級品だ。
「いや〜?ユーキねえが"永田町の人から貰った"って言ってただけで何を交換したかまでは知らないわね〜」
「怪しいと思う」
「いや、でも入れちゃうわ。切っといて」
野菜を切るのは初めてだった。肉とは違って硬さの質が違う感じがする。
「ヤナねえ〜ここわからない」
「そういうのはわたしにもわからないからユーキねえに聞いてよ」
「ユーキねえの説明わからないんだもん」
イルベ、キノフはユーキねえから服の作り方を教わっている最中。2人には取り手の仕事が肌に合わなかったようで、女の仕事をさせている。
「ここを切って……そう、わからない?」
「んんん……多分わかった。大丈夫」
多分大丈夫ではない。まあここから先はユーキねえに教えてもらってもいいだろう。というかユーキねえどこに行った?あたりを見回してもユーキねえがいない。
「ユーキねえなら永田町の方に行ったよ」
などとイルベ。私は駅を走り回って永田町駅の方に向かう。狭いねじれくねった道を通って半蔵門線の階段を登る。登ったらまた降りてホームに立つ。
ユーキねえと永田町駅の門番だ。若い精悍な顔立ち、有り体に言うならばイケメンだ。いかにもユーキねえの好みといった顔をしている。
「あはは……ヤナちゃんじゃん」
「どうしたのユーキねえ」
「いやーちょっとねえ」
いつもは余裕綽々な性格のユーキねえがたじろいでいる。私は言わば敵対関係にでもある永田町の連中にユーキねえが何かされるのが心配でならなかった。
「危ないから…ユーキねえ?」
門番は笑った。持っていた槍は同じく武器を目的としたものではないようだが。その槍が振り回されたと思うとびっくりする。門番は私に向かって一つ言った。
「人の恋愛には口を出すものではないですよ」
恋愛?ユーキねえが恋愛をしてるのだと?
今日は東京行に参加した探京家の人たちが帰ってくる日だった。探京家の人たちはいつでも旅に出ていて私たちにすごい話を聞かせてくれたり、何か特別な食べ物を持って帰ってきてくれる。だから兄妹のみんながそれにワクワクしてるのだ。豊かな朝食を食べる家族団欒の時、こんな話があった。
ザハにぃは言う
「何か新しい武器があるといいなあ。ライもそう思うだろ?」
「うん、ザハにぃ。俺弓矢が欲しいな。大きな駅にはあるんだろ?」
逆にフロスは
「いや、俺はリーチが長い刃物が欲しい。最近、永田町駅のやつらがめちゃくちゃ武装してるんだ。あれ、カタナって言うの?」
「ああ、あんなナマクラ怖くないさ。ただの鉄の塊だ」
「だから弓矢で遠距離から射撃しよって話をしているんだフロス」
「何だとライ。刃物にゃ刃物で勝負すんだよ。俺たちが永田町の奴らに負けてるみたいじゃねーか」
ハルねえは
「やっぱ新しい鍋がね……。あとモヤシももっとあればいいんだけど」
モヤシはうちでも少しだけ生産しているが、やはりほとんどの消費量を輸入によって賄っている。ローチ・バーの材料となるローチも同じだ。
姉や兄は大なり小なり現実的な用途があるものを欲しているが、年下の子はよりワクワクするようなものを求めている。
ユーキねえが
「リー、リト?何が欲しい?」
と聞くと
「うーん、こないだのブレスレットが欲しい」
ブレスレットと言えば交易者がこないだ見せびらかしていた。値段が法外に高く火の車の家計である我々には買うこともできない。しかし、リーとリトがまさかそれを欲していたとは私も思わなかった。あの時は何も言わなかったから、てっきりこんなものには興味がない年になったのかと思ったのだった。
「みんな!マガタのおっちゃんたちが帰ってきてるぜ」
と言ったのはさっきからうずうずして線路に降りていたトーヤだった。
私たち兄妹は我慢できずに線路の方に走り出し、線路の東京駅の側を見た。暗闇の奥から彼らの持つランタンが見えて、帰ってきていることが確認できた。
マガタのおっちゃんは一流の探京家のリーダーで、今回の東京行にも参加したのだった。しかし、隊の1番先頭にいるはずのマガタのおっちゃんがなかなかに見えてこない。
そこにあったのはぼろぼろになった男たちの列。みな、致命傷にもほどがあるほど傷ついていた。
ザハにぃが飛び出た。
「おい、どうしたんだ。何かあったのか?」
「頼む……治療の用意はあるか?」
「マガタさんは……マガタ隊長はどうしたんだ?」
「道中でモンスターにあった。早く治療を……」
「……東京駅が丸の内線の攻勢に乗り出したよ。国会議事堂前を完全に討ち滅ぼすつもりだ」
線路を渡る東京行には数々の危険がある。デンシャに轢かれたり、駅員に連れ去られたり、駅環境の著しい危険に晒されることもあれば、他駅の住民からの激しい攻撃に晒されるなどしてその命を落とすこともある。
私たちの住む駅"赤坂見附駅"は新宿からも遠く、東京駅からも遠い、絶妙な立地にあった。どちらの支配も受けないが、それによる恩恵もない。だからこそ何度も新宿駅か東京駅に隊を派遣しているわけだ。
「東京駅の住民に聞いたんだよ。東京駅は新宿も国会議事堂前もやっぱり憎んでいる」
私たちはすぐさま東京行のメンバーを駅のホームに上げて、簡単な治療を開始した。あまりにも酷い状況で、ある人は足の下がグズグズに溶かされていて、歩くのもやっとだった。ある人は口から泡を吹き出していて、口の中を調べてみると大量の赤い植物が生えていた。これは「花」と呼ばれる部位なのだという。ハナねえさんの名前の由来だった。ある人は──これはつまりマガタのおっちゃんのことなのだが、彼は深刻な病に冒されていた。倒れ込むなり吐き出して苦しんだ。
『俺たちは線路を伝ってやっと東京駅に到着した。赤坂見附から来たと言えば割と歓迎してくれたよ。まず丸の内線の改札口を出たんだが、そこには大きな市が開かれていたな。新宿駅の市もなかなかに大規模らしいが、少なくとも俺たちの見た中では最もでかい-』
「無理をしないで」
ハナねえさんは言った。
『こればかりは話しておかないといけない。トーヤ、お前に話す』
「何で俺なんだ?」
トーヤは怖気づいた。声が明らかに硬っている。
「いいから聞くんだ」
ザハにぃは言う
「うっ、うん」
『東京駅の中心には煌びやかな街があって、そこに占術師がたくさん居を構えているところがあんのさ。中でも1番偉いのが"カセヨーコサマ"ってやつでな。そいつは駅の天井からダイナミックに落ちてくると、予言が出来たって変なことを言うんだ。俺たちから見りゃあおかしいことだったけれどよお、東京駅の住民はそれでめちゃくちゃに盛り上がってな』
『"神託が降りました。今こそマルノウチラインを攻め、新宿駅までの赤い道を作るのです。そこに邪魔するものがあらば、日本の残党であろうと、国会議事堂であろうと、壊しても良いでしょう!"』
「?!」
国会議事堂前…という駅がこれまで壁の役割を果たしていた向きがある。それを壊していくとするならば、私たちも危ないのである。
ライは言う
「東京駅のやつら……いつも変なこと言ってるな。ほんとに何も助けてくれないくせに、富の再分配やら何やら難しいこと言って食料ぶんどってくるし。悪い奴らだ。」
『東京駅というか、黒幕が悪い奴らなんだ』
「どうなの、ザハにぃ」
「さすがに新宿駅侵略は無理だと思う。あの新宿駅だぞ!別に戦力は昔から変わってないし、四谷駅の神田川越えをやる方法がアイツらにはわからない。何も状況は変わってないよ」
皆んなが何に怯えているのかといえば、新宿駅の延長線上に私たちの住む赤坂見附があるからだ。駅同士の戦争はたびたびに起こったが、目的の駅を侵略するまではその途中にある駅まで被害が及ぶ。食料の補給や拠点として扱うために多くの人が殺され、犯され、食べられる。マガタのおっちゃんが言うことが正しければ、私たちは生存の危機に陥っていた。
「ほら、ローチ・バーでも食べなよ」
と言ってトーヤが差し出したのが銀色の包み紙に包装されたローチ・バーだった。私たちは幼い頃から食べているため、安心する味でもあるが、一部の住民はどうしても受け付けないのだと言っていた。いくつかのフレーバーがあって、これはもっともオーソドックスな塩で味を誤魔化したやつだ。マガタのおっちゃんはこれが好きだ。
「まずい」
「そう?」
『どうせならもっと上等なもの食いたいけどな……』
マガタのおっちゃんはローチ・バーを食べる時いつも不味いという。不味い不味いと言いながらいつも美味しそうに食べる。
「それって"アレ"のこと…?」
一度だけ母さんに食べさせてもらった"バー"は私たち兄妹のに一生記憶に残る味だった。なにぶん幼い頃の話だったのでよく覚えていないが、"バー"は何かの穀物を蜂蜜で固めたものなんだと聞いていた。たくさんの乾燥した果物が詰められていて、ただひたすらに豪華だった。今食べているローチ・バーと同じ"バー"であるらしいが、こんな食べていて微妙な気分になる食べ物ではなく、甘くて素晴らしくて、しあわせな満足感を腹の中に作ってくれる、そういうものだった。単に食べ物という以上にそれはスイーツとかそういう呼び方をすべきものなのだと思っている。
『あの甘いやつがたべてえなあ』
……結論から言うとその問答の後にマガタのおっちゃんは死んだ。最後に言った言葉が甘いやつを食べたいと言う願望丸出しのことであったのは彼らしいとも言えたが、その死に至るまでの過程は相当に酷いものだった。まずさっき食べたローチ・バーをめちゃくちゃに吐き出しながら、声にならない叫び声をあげた。しばらく気を失っていたが、また起きてまた吐いた。上手く会話ができていたのは最初の方だけで、あとは意味もない言葉をただ呟いていた。「助けて…」とか「太陽が見える」とかそういう。ともかく、マガタのおっちゃんはたから見ても尋常ではないくらい苦しみながら夜を過ごした。
朝起きてハナねえは彼がきちんと死んだのかを確認した。ハナねえはマガタのおっちゃんの首のところに指を入れるとしばらく思案して「死んだ」と言った。
「クソだっ」
ザハにぃは珍しく声を荒げて壁を叩いた。ハナねえさんも泣いた。私より幼い子は何をすればいいのかわからずにひたすらオロオロしていて、それに私たち上の兄妹が悲しんでいるのを見てことの深刻な状況を理解した。
「私たちはこれからどうすれば……」
私も悲しんでいた。
あれから数日経った頃、私たちはいつも通りに過ごしていた。幸運なことに、東京駅はすぐさま攻勢に出てきたわけではないようであり、今のところは何の異変もなかったのである。できることはただ前を向いて生活することであったので、それをひたむきにやっていたのだ。しかし、皆んなの顔がいつもより暗かったのは言うまでもない。
私がトーヤと一緒にローチ・バーの材料となるローチを育てている箱に乾燥させてフレーク状にした触手塊を投入していたとき、「ダッダッ……」と勢いよく走ってくる足音がした。そうやって現れたのはザハにぃだった。「どうした?ザハにぃ」と呼びかけても、次に述べるべき言葉がなかなか見つからないという感じだった。
「なあ、時刻表ってあるか?」
時刻表はデンシャの運行を自力で調査して独自にまとめたものだ。一定の周期でデンシャはこの地下を移動している。デンシャといっても多くのものを含み、私たちの主食となる肉列車ミートレインやランダムに地下を移動する移動用のものもある。
「時刻表?まだ全部はまとまってない未完成のやつならあるけど」
「別に今はデンシャの来る時間じゃあないよね?」
「多分、そうだけど」
「いや……今デンシャが止まってるんだけど、中に人がいるっぽいんだ」
「ええ!」と私は叫んだ。そしてまず「ついに東京駅が私たちを滅ぼしに来たのだろうか……」と怖くなった。いや、観念した。諦めかけた。
「どこの人かな。新宿?国会議事堂前?それとも他の路線の人たちかな?」
「いや……わからない。まず人間なのかもわからない」
人間じゃない?私はさらに敵が危険なものであることを危惧した。これでは私たちが全滅する可能性もある。
「言葉が変だった。ずっとうわごとみたいなことばかり言ってる。数字の羅列とか、そういうことをランダムにごちゃごちゃに混ぜ込んだような。あと、ネットワークから外されて何ちゃらとか」
「行く。敵意がないか確認する」
「大丈夫?危なくない?」
「……ほっとくわけにはいかないよ。トーヤ、ついてきて」
「ええ……怖い。ヤナ?本当にやるのかよ?」
「攻撃はしない。あっちからやってこなければね」
階段を通りホームに入ると確かにそこにはデンシャが止まっていた。大抵のデンシャは2分も止まってはいないので、かなりの間この駅に止まり続けるデンシャであるということになるだろうか。
私たちは一歩前に進んでデンシャの扉の奥にいる人を覗き込んだ。否、それは人ではないように見えた。
「ザザザザザザサ……ネットワークから逸脱しています……規定されたプロトコルに従って……当機をθ-A12クラスタに再接続してください……y'jaH-D12mother……個体識別ナンバーθ-A12d56-5、当該地域のマッピングに重大な支障が生じる可能性アリ」
そこには足がもげた少女が倒れていた。青白い光が間接の隙間から見えていて、それが明らかに人間ではないことを強調していた。その女の子は服のようなものを着ていなかったが、胸のところは銀色のパッドのようなもので隠されていた。
「………何これ?」
トーヤは確かにそう言った。しかし、同時にその艶かしい肢体に顔を赤らめさせているようだ。確かに彼女の姿は十分に美しい。兄妹としてそのだらしない顔を見るのは嫌な気分でもあるが、女の私でもその男の気持ちが理解できるほど眼前の少女は美しく、可愛かった。
少女は全体的に硬質な生物的ではない肌を見せていた。何度叩いてもびくともしなさそうなその強固さは、むしろデンシャのそれと似ている様な気すらした。デンシャは私が知るものでもっとも危険で、強大な力を持つものだ。私にとって力と速さの象徴だ。だがそれを見ただけで上回るような異様さは私を十分に震え上がらせるのにはぴったりだった。
「行くわ」
私はそう言ってデンシャ内に足を踏み入れた。続いてザハにぃも同時に入ってきた。トーヤはまだ点字ブロックを超えていない。
何よりその少女の外見で特筆すべきなのはその背部に取り付けられた部位だ。無数の羽が規則正しく並んで形を成したものが両肩に2つあり、人が両腕を広げたときのように体についている。人が広げた腕と違って、その「翼」は肩より後ろにある。少なくとも私はこれを芸術的に美しいと感じ、その上で"保護したい"と性的に感じている。ザハにぃは槍を向ける。肉列車用の槍だ。
「 20. console.log ("7: 預言者は会衆を集めて言った: '私はあなた方と同じく、WANを信仰している。異端者たちを暴き出し裁くことができるように、ソースへと向かおうではないか。'");」
決められた定型文句、私たちが馴染み深いところによると駅神の声などのそれに近い形でその言葉が述べられた。自然に口から出たというよりも、口とは別の出入り口から出た声だ。相変わらず何を言っているのかはわからないが、何かを伝えようとしていることは理解できた。
「 当機は個体識別ナンバーθ-A12d56-5、事変下にある東京のCYCLE MAPの作成のためにマクスウェリズム教会から派遣された有機的エンジェロイドです。現在、規定のプロトコルによって定義されたクラスタから離脱しています。このままでは当機の性能が56%しか使用されません。クラスタθ-A12のネットワークに再接続することを強く推奨します」
「私たちが知りたいのはあなたに悪意がないかということだよ」
「当機は地上の災害が起きている領域をマッピングするために派遣された。現在、この東京では無限に情報が生み出され、無限に破棄される。カオス。その中でWANのソースに至る可能性があると判断された」
「何に……?ワンノソース……?」
「今の教会にとって全知識のデータ化は急務である。無限のデータを累積することによって信仰が成立する」
「ええ……何を言ってるのかわかんないけど、まず質問に答えてもらってもいい?敵意はある?」
「港区のレインボーブリッジ上空をクラスタで移動していたところ、未確認飛行実体の一部に衝突。即座に対応反応を当該クラスタの機器が行ったが、危機の回避には至らなかった」
機械の天使少女はまだ話続ける。
「当機の身体はそのインシデントによって深刻な損害を受けた。飛行不可能な状態に陥り、一時的な回避場所として適切であると判断された - 東京メトロ - の赤坂見附駅に避難した。つまり、当機には東京地下コミュニティ、住民と対立する計画、予定、動機はほとんどない。今回の遭遇は予期されないアクシデントによるものだと説明する」
「引っ張り出そう、ザハにぃ。このデンシャがいつ動くかわかんないからさ。足を持って」
「お、おう。ヤナ。わかった。しかし触って大丈夫なのか?」
「当機から漏れでている青白い光は内在魔術機関が利用しているアスペクト放射"サファイア"が目視のために着色されたもの。およそ150キャスパーの漏出は人体に如何なる悪影響も及ぼさない」
私が少女の肩を掴んで持ち上げ時にことは起きた。デンシャが何の前触れもアナウンスも無しに扉を閉じたのだ。扉を閉じたデンシャはすぐさまに動き始める。これまで乗り出すように見ていたユーキねえは一瞬にして引っ込んだが、私とザハにぃは駅の側に戻ることができなかった。
薄暗い地下の線路をデンシャは進んでいく、かつてそうしたように客を運びどこかへ連れて行くように。
「マズイ」
心の中で呟いていたつもりが実際に声に出ていたのだ。私たちが載っているデンシャは「新宿行き」だ。そして赤坂見附から新宿駅に行くとすぐに四谷駅に到着する。四谷駅はデンシャに乗る時に気をつけなければいけないと言われている駅の1つで、駅が地上のところにあるから、大災の影響を受けて壊滅的な状況に陥っている。無論、そんなところに行ったら兄妹で共に頭が破裂してめちゃくちゃなゴミになる。私はまだここで死ぬわけにはいかなかった。
「動き出したっ、どうするザハにぃ」
「やるしかないだろ」
「何を?!」
「こういう時はだな」
「ガッ、ガッ」と音を立ててザハにぃ扉を持っていたハンマーで叩いた。無理矢理扉を壊してこじ開ける試みだ。
「おい、ヤナも手伝ってくれ」
「それで扉開くの?」
「時間がいる、あとデンシャの種類にもよるがな」
「ヤナ?」
「にぃ?今何か言った?」
「いいや、それよりパネルを開けてくれ。もしかしたら非常用停止装置の可能性がある」
「ヤナ?」
そこには私に話しかける先程の女の子の姿があった。彼女は翼を一つも動かさずに宙に浮かんだ状態で、私に呼びかけていた。
「当機は個体識別名称"ヤナ"を随伴個体に認定しました。クラスタθ-A12の再接続の手続きが実行されるまでの間、"ヤナ"と呼ばれる個体に随伴します」
「私が……」
「マスター、最初の命令を」
「知らないって」
「いや、これはデンシャを止めるように命令すればいいんじゃないか?」
「じゃあ、扉を壊すなり何なりしてデンシャを止めてよー!」
「了承」
「ばんっ」デンシャが爆発したような音。それに驚いてザハにぃが後ろに倒れ込んだら、私もそれに合わせたようにして腰を打ちつけて倒れた。前を見ると破壊された先頭車両が暗闇の道に鎮座していた。爆発したデンシャの先頭車両は見るも無惨な姿になっていた。
「余剰奇跡エネルギーをデンシャの物体に直接干渉させた。デンシャは奇跡反応を起こして爆発した」
そのあとは線路の暗い道を通って赤坂見附の駅にまでたどり着いた。恐ろしいことに、乗っていた時間はたった2分ほどだったのに、帰るのには10分くらいかかった。
少女はそのまま宙を浮いたままで着いてきた。
「あのー、服とか着たらどう?」
私にはそれに服を着る習慣があるのかないのかわからないが。それに私たちも決して上等な服を着ているとは限らない。布というのがなかなかに貴重なもので、駅にないものを補給するためにはどこかの交易で連れてくるしかない。私の着ている白いワンピースはただの長い布を適当に切って穴に顔を入れて腰のあたりで閉めただけだ。駅の中はそこそこ暖かい。
「必要ならそうする」
彼女も私たちと同じように上等な服を着る習慣がないだけなのかもしれないが、そんなことはなくそのままの格好で暮らすのが良いようである。しかし、裸の女の子が駅内をうろちょろするのもトーヤのような性欲盛りの男子がいるなかで良くない。私はとりあえず布を簡単に被せることにした。
「緊急避難でここにいるのわかるけど、結局私たちは何もできないよ?クラスタ……?への再接続をすれば良いって言うけど、その方法がわからないんじゃ仕方がない」
「俺としては暗闇を歩くのに便利だしいいけどな。なんちゃら放射?で光ってるんだろ」
「この発光は一時的なものでしばらくすると収まる。必要なら別の形で光源を提供する」
「はっ、そりゃありがたい」
「ええ……それでどうなの?私たちについてくる?」
「個体識別名"ヤナ"を随伴個体に設定した。クラスタに再接続されるまでこれは継続する」
「それは何で?私にはクラスタに再接続するとかそういうことはできないと思うんだけど」
「クラスタθ-A12の目的は地下東京の次元崩壊の観測-および計算である。当機の自己回復機能が有効性を発揮するまで観測の任務が一時的に停止することになる。これは提案-もしくは契約、"ヤナ"の生存に寄与する機体性能の提供と引き換えに、当機の一時的な保護および機体プログラムを適切に機能させるために当機はヤナに対して従属的な体制を取る」
「自己回復?それはいつまでかかるの?」
「現在では機能回復のための見通しが立たない。完全な性能を取り戻すためには欠損したパーツがある。また、致命的な機体プログラムの欠陥があり、これによって当機は"ヤナ"の命令を拒否することができない」
私たちの会話から気になったのか、ザハにぃも質問に加わった。
「"生存に寄与する機体性能の提供"って何だ?」
「現在、駅コミュニティが直面しつつある侵略の危機……ザザザザ……東京駅の丸の内線レッドライン攻勢の回避、もしくは戦闘のための協力」
「?!!!」
「当機には未知の異常現象に対抗するための機能がいくつもある。現在、クラスタから離脱してるためその機能のほとんどは使えないが、デンシャ程度であれば十分に対処可能」
実を言うと翼が生えている少女に少し思いあたりがある。幼い頃、駅のポスターに「マナーを守って電車に乗ろう」という内容のものがあった。「これは何のことか」と思ったけど、その時に見た絵には翼が生えた人の絵が書いてあった。その時ハナねえさんにこの人には何故羽が生えているのかと聞いたら、羽をつけている人は優しさの象徴であるのだと返ってきた。それをテンからの使い、天使と呼ぶのだと。
優しさの象徴、駅の上にある世界から降ってきた天使。機械天使。私は幸運なのかもしれない。
「ねえ、あなたは何て呼べばいい?」
「当機の個体識別ナンバーはθ-A12d56-5」
「いや、それは呼びにくいし覚えれないから簡単な名前がいい」
「わからない」
「じゃあ、シータでいい?」
「……了承。当機はシータ」
私はまだ知らない。これから、第一次駅間戦争の主役となるのがもののついでで滅ぼされようとしていた駅だったことを。