来訪者と秘書
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「あらまあまあ、いらっしゃいませ!」

秘書は突如現れた来客に驚きの声を上げましたが、満面の笑みを崩さず保つことには成功しました。このお客さまは、なんだかとても場違いなように思えました――ダークグレーのスーツと帽子はこのカラフルなオフィスでは浮いており、何よりその深刻な表情が際立って調和を欠いていました。ここがどんな場所なのか彼は知らないのでしょうか?

「いらっしゃいませ、ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「差し支えなければ、そちらの商品在庫を見せていただきたいのだが。」

その表情と同じくらいの真剣さと断固たる決意が感じられる声で、お客さまは答えました。もしこの秘書が最低限の分別を身に付けていなかったらば、この妙ちきりんな男はここに来るべきではない人間だと口走っていたかもしれません。

「ご用件承りました。何か……楽しいものを探しにいらっしゃったお客様ですね。」

秘書はデスクから飛び上がって両手を打ち合わせました。彼女たちが来客に応対する機会はあまり多くありませんでしたし、案内をする機会はさらに少ないものでした。

「かしこまりました!喜んで私どもの素晴らしい商品をお見せ致します!私について来てくださいませ!」

秘書は身振りでついて来いと示し、お客さまはうなずいて秘書を追い廊下を進みました。

「ワンダーテインメント博士の製品に興味を持っていただき、まことに光栄至極です。ご存知の通りワンダーテインメント博士ではユニークで愉快なおもちゃを多数取り揃えておりまして、いずれも世界中の子供たちのお家に楽しさをお届けすることを目標としています。小さなスーパー・ペーパーから大きなびっくり潜水水槽まで、お子様に笑顔を、さもなくばご返金を、がモットーでございます!」

秘書が彼女自身のちょっとした”ジョーク”に笑ってみせると、お客さまは熱意も感心も見せずに沈黙で応えました。秘書は大きく咳払いし、お客様に(居心地の悪さをつのらせつつも)問いかけました。

「本日はどのような商品をお探しでしょうか?ワンダーテインメント博士はおもちゃを手にしたお子様にどんな楽しみでも与えられるよう、幅広い製品をご用意しております。お姫様になりたがる女の子へのプレゼントでしたら、自分だけの王国でプリンセスになれる”ワンダーテインメント博士のロイヤル王国遊具セット”などがお勧めでございます!あるいは探検好きの男の子に贈るのでしたら、スリル満点”ワンダーテインメント博士のサファリベンチャ……」

「そういう体験に興味は無い。」

お客さまはきっぱりと、彼女のセールス・マシンガン・トークにうんざりしたとでも言いたげに遮りました。

「私が探しているのはアイディアだ。わた、私がおもちゃを買い与える相手に、進むべき正しい道を指し示してくれる何かだ。あなた方がそういう何かを持っているのかどうか私は知らない。だから私の求めるものをもしあなた方が示せないと言うならば、お互い時間の浪費はここでやめにしよう。」

お客さまのいささか礼を欠いた遮りにも負けず、二人が廊下の四つ角に差し掛かったところで秘書は笑顔を向けました。

「ご要望に、お答えできると思います。」

秘書は三方の廊下それぞれを見渡し、少し考えた後に左の廊下へ颯爽と歩き出しました。彼女はお客さまに笑顔を与えられるおもちゃを見つけ出すことを諦めていませんでした。廊下には木製のドアと窓が規則的に並んでおり、その向こうには小さな白い部屋がありました。

秘書はひと息つき、セールス・トークを再開しました。

「こちらはワンダーテインメント博士がご提供する、リトル・ミスターの新製品でございます。ワンダーテインメント博士はかねてよりお子様に幸せをお届けすることを旨としておりますが、このリトル・ミスターシリーズは本コンセプトをより野心的に追い求めた製品でございます。これ以外の製品はおもちゃとして、お子様が自由に手に取って遊べるモノとして設計されております。それ故にワンダーテインメント博士の製品はこのジャンルで、あるいはそれ以外を含めて最も突飛で不思議な玩具ではありますが、残念ながら長期的視点ではお子様に必要なものすべてを与えることができないのです。例えば親交を、信頼を、愛情を、主体性を、信頼を……これらはお子様が成長し、成功し、幸福な人生を贈る上で不可欠なものです。そこで開発されたのがこのリトル・ミスターシリーズでございます。各リトル・ミスターはお子様と共にいて最高の友になれるよう、そして楽しさと刺激を与えられるようデザインされております。これによりお子様は友人を、進むべき道を定める手助けをしてくれる友を得るのです。」

秘書が窓の傍に立ち止まり、お客さまはそこから室内を覗きこみました。ぼんやりと人の形に見えるような黒いガスの塊が部屋の中ほどに座り込んでいました。それは身じろぎ一つせず、息も何もしていないかのように見えました。

「例えばこちらのミスター・しょうき(Mister Miasma)ですが、どんな生きた、あるいはそうでない生物も自分の中に取り込み、自身の体の一部に変えてしまうことができます。これにより、いついかなる状況下でもお子様と共に過ごすことを可能にしております。」

秘書の説明に対してお客さまは無反応で応えました。二人は次の窓に向かいます。

次の部屋には、全身真っ黒の服を着てフェイス・ペインティングを施した、パントマイマーのような男がおりました。彼はがらがら声で笑いながら、部屋の角から角へと歩き回っていました。

「こちらはミスター・しくしく(Mister Tears)、彼が話す言葉を聞くとどんな人でも悲しい気持ちになってしまいます。これだけ聞くとお子様に嫌な思いをさせるだけのように思えるかもしれませんが、悲しい気分になるのはいけないことではない事、大人であっても涙を流すことはあるという事をお子様に教えるのが彼の役割でございます。」

秘書は説明を終え、彼女の即興の説明がお客さまに対しこのミスターの存在を正当化できたかもしれないという希望のこもった目を向けました。相変わらず黙りこくったままのお客さまと共に、二人は次の窓に向かいました。

「続きましてはこちら、ミスター・なにものでもない(Mister Nobody)でございます。」

お客さまは弾かれたように振り向き、最大の関心をもって窓から室内を覗きこみました。部屋の中には男性がひとり座っており、彼は衣服を一切身に着けておらず、しかし覆われるべき生殖器は存在していませんでした。彼の肌は純白で、体毛は一本もありませんでした。ようやくお客さまの興味を惹く製品を見つけ出せた事に安堵し、秘書はドアをノックしました。ミスター・なにものでもないは椅子から立ち上がり、お客さまに彼の顔がよく見えるよう窓に歩み寄りました。ミスター・なにものでもないの顔はそれ以外の体と同様に真っ白で、なんの表情をも浮かべておらず、目にも色というものがありませんでした。

「ミスター・なにものでもないは究極の友人の体現者です。彼にはそれ以前の人生というものが一切ありません。あるお子様が友達をつくった時、二人の間の違いが亀裂となり、友情にヒビが入ってしまうかもしれません。ミスター・なにものでもないはこの問題に対する解答を用意しています。彼は一切の偏りもなく、対立する意見も持たず、語るべき過去も持ちません!彼は一切のアイデンティティを持たないように設計されているのです。これによりお子様はミスター・なにものでもないの個性を作り上げ、完璧な友人になれるよう調整することができるのです。」

秘書は熱意にあふれた笑顔でお客さまを見つめました。これこそがお客さまの求めていたものだと確信していたのです。

「さあどうぞ、ミスター・なにものでもないについてどう思われましたか、お客さま?」

お客さまは秘書を見つめて口をつぐみ、ミスター・なにものでもないに視線を戻しました。ミスターの顔には何の表情も浮かんではいませんでしたが、お客さまは彼の真っ白な瞳の中に何か、どんな生き物も生まれながらにして持っている権利を乞い願う悲しみを見たような気がしました。お客さまはしばしミスターの空虚な瞳をじっと見つめた後に答えました。

「これは、なんて恐ろしい存在なのだろう、と思う。」

秘書は困惑した様子で首を傾げました。

「と、おっしゃいますと?」

お客さまは長いため息をつきました。

「アイデンティティを持たずに生きるというのは、とても恐ろしいことではないだろうか。貴女はもし自分がそうだったらと考えた事はなかったのか?与えられたアイデンティティを受け入れるだけで、それが自分にとってどんなものなのかを真に知る機会は訪れず、誰もが何もが”あなた”は存在しないという事実を突き付けてくるということを。これはまさに地獄だ!世界中を旅しても、他の誰もが夢にも思わなかった驚くべき信じがたいモノを目にしても……自分が孤独だという事に気づかされ、惨めになるだけだ。」

突然感情をぶつけられ戸惑ってはいましたが、秘書は沈黙を保つことができました。彼女は震える声で、しかしどうにか自分を落ち着かせつつ話し出しました。

「おきゃ……お客さま、どうやらミスター・なにものでもないの境遇について少々考え違いをなさっているかと思われます。ミスター・なにものでもないはアイデンティティが無いことではなく、新しいアイデンティティを身につけられることをコンセプトとしております。彼が外の世界に踏み出したその瞬間からが、自分が何者であるのかを探す旅となり、周囲の人すべてがそれを助けるのです。彼はずっと今のままで過ごすわけではありません。ミスター・なにものでもないは自分自身の人生を歩み、彼だけのアイデンティティを身につけるのです。」

お客さまは秘書の顔をじっと見つめていましたが、その顔にはなにやら奇妙な表情が現れていました。まるで、自分で自分のアイデンティティを見つけ出すと言う行為が、彼には受け入れがたい事であるかのような。その表情は次第に和らいでゆき、お客さまは秘書の手を取って握手を交わしました。

「本日はどうもありがとう。だが、私は私の道を進む事にしよう。」

そういい残して、お客さまは廊下を走り去ってしまいました。秘書はトラブル防止のため、急いで追いかけました。

「お客さま!見学の際は常に私から離れないように!」

彼女は四つ角にまでたどり着きましたが、しかしそこから先の廊下の三方いずれにも人影はありませんでした。秘書はため息をつき、デスクに戻る事に決めました。お客さまが何か別のトラブルに巻き込まれたとしても、それは彼女の力の及ぶものではなかったということです。

さてその一方、ミスター・なにものでもないは狭い部屋の中でいつものようにおとなしく座っていました。彼らは気づいていませんでしたが、ミスターは二人の会話をすべて聞いており、またトレンチコートを着たお客さまの指摘は実は、的を射ていました。ミスターはミスター・なにものでもないであることに寂しさを感じていました。しかし二人の会話は今まで感じた事がなかった、新たな感情を彼の心に芽生えさせていました。彼はその感情をどう呼ぶかは知りませんでしたが、感情が彼の顔に微笑みを作り、笑顔が彼の中に初めて生まれた独自の思考を膨らませていました。彼が心の中で感情を言葉にするたび、その感情はさらに大きく大きく育ちました。そして彼は自身の強い想いを口に出しました。

「私はもう、『なにものでもない』じゃあ、ない。」

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