もしくはDr.██████の贖罪の物語。
「……$になります」
「何を言ってる?もう既に払っただろう」
「……?あぁっ、失礼いたしました。ぼんやりしてたみたいです」
──やっぱり最高だ。
指輪をした男は密かに笑みを浮かべた。
「ありがとうごさいました、またお越しください」
男は店を後にし、袋からサンドイッチを取り出した。フルーツサンド、ハムエッグ、ベジタブルの中からハムエッグを選択し、大きく頬張る。
──美味い。
男の名は██████。元財団職員で、財団ではDr.██████と呼ばれていた。なぜ「元」なのか?それは男の指にはめられている指輪に関係することだ。
指輪────財団ではSCP-1184と呼ばれているが────
は、数年前、男が財団から「盗んだ」ものだ。異常性は、先程発揮された通り、「発言者の言ったことは、聴取者にとって真実になる」というもの。男はこの異常性を利用し、財団に様々な事を信じ込ませた。財団はこの指輪の異常性を、「発言者も影響を受けるため、私的な利用は困難」と解釈している。もっとも、指輪が社会に出た以上、誰にも真実は分からないが。
以来、男はこの指輪を利用して生活を続けている。文字通り、口先だけで生きているのだ。衣・食・住の全ては、人間から供給される。現代社会において、男は無敵に近い。
男は図書館に入った。互いが互いを気にする事無く、本の世界に没頭できる。そんな理由から、男はよくここに来る。
男は1冊の本を手に取った。詩人、バイロンの生涯を綴った本だ。
──俺に似てる。
男は、バイロンと自分を重ね合わせている。私には理解出来ないが。それにしても、男の心の拠り所が、「バイロン」だとは滑稽だ。
少しして、男は図書館を後にした。
男は公園を訪れた。目の前に立つ木を眺める。
──いっそ死んでしまおうか。こんな生活をしている意味など、きっともう無い。
男は既に自分の人生を悲観的に見ている。男の人生に最早意味が無い事を否定する根拠は、もうどこにも無いが。
──財団を騙すというのは───楽じゃ無かった。その見返りがこの生活か。
男は自殺する勇気も無く、サンドイッチの残りを食べた。
──もう夕方か。
男はそんな事を考えながら、今日の寝床について考える。
──無難にホテルにしようか。それとも、どこかの家に入り込もうか。
男は現状を後悔はしていない。但し、この生活を楽しんでいるわけでもない。毎日襲ってくる無力感を、出来れば無くしたいとも思っている。しかし、男は既に禁忌に触れているのだから、どうしようもない。毎日は過ぎて行く。
──今日はあそこの家にしよう。
男は一軒家に狙いを定めた。インターホンを押す。
「……宅急便です」
少しして、30代程だろうか?女が出て来た。
「あら?宅急便じゃなかったかしら?」
「何言ってんの。俺は居候の██████だよ」
「…そうだったわね。お帰り、██████」
何故男はこのように、リスクの高い一軒家を選んだのか?ホテルだったら、金の支払いを誤魔化すだけで済んだのに。男の弱さが垣間見える。
それよりも、気付いただろうか。女は出て来る時、何というか、苛立っていた。と、同時に、残酷な感情も孕んでいた。男はまだ気付いていない。
家に入った男は取り敢えず、女以外の住人を探した。そして、女にしたのと同じく自分が居候中の██████だと思い込ませた。いつものように。
その一家の家族構成は、夫、妻、子供と、至極普通だった。
──しばらくはここにいよう。マンガがいっぱいある。
男がマンガを読んでいる間に、少し指輪の話をしよう。
指輪は基本的に、発言した内容のみを相手にとって真実にする。そして今、一家はこの男が「居候」であると認識している。
しかし、それ以外の認識はなんら歪められていない。例えば、発言していない「生活習慣」等は少しも変化していない。これから起こるのはそういう事だ。
男が寝始めた。話を一度中断しよう。
夜中。男は異様な音に目を覚ました。
「……この…このクソがいるから、私達は…私達は、ああああああああぁぁぁぁ!」
──なんだ?何をしているんだ?
男がリビングに向かうと、女が子供を虐待していた。容赦なく、幼い体に鉄拳を奮っている。傍らには夫もいて、それを眺めている。
──どうやらこの家は色々とヤバイようだ。
男は思った。「さっきの考えは改めよう。明日はホテルに泊まることにしよう」と。
しかし得手して、人の決意は揺らぎやすい。
少年はリビングの扉に隠れている男に気付いた。隠れている「居候」に。そして、か細い声で、こう言った。
「……助けて。居候さん、助けて」
目の前が黒くなり、男は思考の中へと落ちてゆく。
──もうほとんど覚えていない。
男は指輪を手にした時の事を考えようとする。
──ダメだ。
黒いベールで隠されたかの様に、男の記憶は、「真実」は、見える事が無い。「真実」を知る者は最早誰もいなくなった。
──あの時────俺はもう────
男は正常な思考を出来ないでいる。指輪に頼って生活しているからか?男が弱さを持っているのか?私にはわからないが。
──どうすれば俺は救われるんだ?
誰に聞くでもない。聞く相手などいない。救いなどきっと無い。全てが大袈裟な芝居のようだ。
──どうすれば───────
偽善を嘲罵するバイロンが今ここにいれば、きっと男は殺されているだろう。
男は考える。
──さっきの言葉───さっき女は言ってたよな?「いなければ」って──
男は考える。
──もしかして──俺なら、全て解決出来るのか?
男は考える。
──────いいさ、どうせ俺は犯罪者だ。今頃───誘拐くらい大したことない。最初から「そう言う事」だった事にしよう。これからはただ「そう言う事」だと。
男は考える。
数年後、男は██████郊外のマンションに住んでいた。
数年前とは違い、傍らには少年がいる。
「──お兄ちゃん、一緒にいてくれる?」
「──ずっと一緒だったじゃないか。──これからもずっと一緒だ」
SCP-1184 - 真実
オブジェクトクラス: Safe (きっとこれからも。)