御書
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「<御書/The Book>は教ふ。<御書>は導く。」
アリアは曼荼羅を自分自身に念じた。声は戦慄えていた。<御書の護り手/The Keeper of the Book>は<終の詠上/Last Reading>を数日前に終え、今や御身は<アビルト>の領国へ渡るための用意は済ましてあった。

遵って、<御書の護り手>の御役目はアリアの元に巡ってきた。彼女は、この瞬間のために、幾年も費やしてきた。彼女は<ウルド/Urd>の水に浄められていた。彼女は家祖が残したる書付を学び、魔睡しては<母なるサイトュ>に往きた。

この日以って、彼女が<御書>に記されている数多の御文を読むことが出来る最後の者となり、教えを解釈できる唯一のものとなった。<御書の護り手>で有ることは、一族の頭首であるということだった。<終の詠上>を終える日まで、即ち<アビルト>の自信を捧げる日まで、彼女は頭首である。

「<御書>は教ふ。<御書>は導く。」
<御書>が一族に伝えた事は数知れない。煽風を受け、海航る術を教え、一族は北の島に往きた。辛き土地にて実を穫いるための道具を教え、故に、食物を豊饒に生いでさせた。金を鋳なす術を教え、狩りの武器を鋳出した。

「アリア。」
声はジョウレン、アリアの守役にして家守である。アリアは彼が這入ってくるものと聞かされていなかった。
「初の<詠上>の時で御座いまする。」

「妾は……妾はまだ用意出来ておらん、ジョウレン。」

「童子の如く悩ませなさるな、貴女は儀式を務めなさっておられた。<御書>は貴女を宜しく御覧なさるでしょう。いざ、今。」

ジョウレンは戸口にかけられてあった、色織物を押し退け、アリアに合図をした。彼女は些細に躊躇うと、起き上がり、反物の合間を通って、部屋より出てきた。


アリアは、<詠上の間/Chamber of Readings>に通ず重き板扉の外に一人立ち、取手に手を載せた。深く息を吸い、戸を開き、<詠上の間>に這入っていった。

円形の部屋で、戸口の両側に熾された火鉢でぼいやりと照らされていた。石造の柱の座が部屋の中央を占め、その上に<御書>が開かれたままに、在してある。アリアは座に歩み寄り、<御書>を閲した。思いの外、淡としていた。これは幾百人にも尊ばれる物であり、時の一族の導くものである。─先ほどまで、それは鈍としているであろう、と彼女は考えていた。然し、劫を経た表紙が黒ずみ、それにおいては鈍としていた。アリアは<御書>を手に取り、黄ばまれた紙を徐ろに捲った。総て、空白であった。彼女は<御書>を座に降ろし、用心して閉じた。

アリアは、<御書>の背に手を置き、必修の語を言った。そう教えられてあった。
「ねがわくは、知を我に与え給え、さらば我皆に教え給ふ。ねがわくは、智慧を我に与え給え、さらば我皆を率い給ふ。ねがわくは、道を我に教え給え、さらば我皆に道を示し給ふ。」

アリアは手を引いたが、<御書>は変わらぬままだった。<御書>が忽ち変化するものではなく、ただ<御書>がそうするのを待つのと承知していた。心の裏に疑いが立ち上り始めた。一族は私を快く新たな<御書の護り手>と受け入れてくれるのかしらん?若しも、<御書>の導きを正しく解釈できないとしたら、どうであろう?

アリアは<御書>が変化したその瞬間を正確には分からなかった。<詠上の間>の湾曲壁に凭れ座り、時折それをちらと見るのみだった。すると、部屋の端からでも<御書>の厚みが増したこと分かった。先程よりも少なくとも二倍、分厚くなっている。アリアは不安に慄きながら、座の方へ徐ろに歩き出した。彼女は<御書>を手にとって、前の通り頁に目を通した。だが、この時は文と図が示されていた。アリアは安心した。<御書>は彼女を新しき<護り手>と認めたのだった。<終の詠上>の日を恐れても、アリアは一族に貢献できる機会を得られたことに感謝した。彼女は<御書>を閉じ、手の上でそれを返した。書の表には、太く白地で示された文があった。<如何にして戦争を戦うか/How to Fight a War>

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