注意:この話には生々しい暴力表現が含まれます
1年目
終わりを迎えた。
永遠なるアレクサンドリアの観察者であるリンカーン・エイブラムスは、大変動について全く興味を持たなかった。彼はSCP-2000が破壊された事をO5により知らされ、図書館を封鎖する事を決めた。図書館は彼に不思議な手段で語りかけ、これが財団が対策をしていた黙示録の類ではない事を明確にした。この事が無かった事にされ、一ヶ月後に一世紀前の遺跡として発見されるような事はない。もうお終いなのだ。
本当の終わり
やがて、彼はベースキャンプに、長年親交を深めていた六人のアーキビストを集めた。彼らは皆、血のつながりはなくとも同じ志を持つ家族であり、それはかつて存在した全ての人間の人生を記録する永遠なるアレクサンドリアの管理者である事にある。そして今、その仕事はこれまで以上に重要なものとなったと思えたのだ。
エイボン・トレバーズ、劉小七、マーティン・ハリソン、フェリクス・マルティネス、そしてアーサーとメリッサ・ブランド、彼ら全員が期待に満ちた目でエイブラムスを見つめていた。その間その事について口を聞くものはおらず、彼は一人話し始めた。
「今起こっていることは事実だ」彼がそう告げると、静寂が辺りを包み込んだ。「もう地上に人は残っていない」中には、持っていた疑念が確証へと変わってしまったのか青ざめた者もいた。「監視者と連絡が取れなくなる前に聞いた話では、彼らでも除外サイトや月面基地以外の人は呼び寄せられないとの事だ」彼は一度話を止め、「我々は絶滅した訳ではない。しかし……」
「新しい本が出現する事は無くなった」劉は言う、彼女の訛りのある発音はかなりインパクトがあった。「三日間のうちで、私は一冊だけ新しい本を見た。一冊だけ。一日に何万冊も新しい本が現れた、-現れていた-。でも今は、新しい赤ちゃんは生まれていない。長い間生まれてこないかもしれない」
沈黙が少しの間続く。メリッサはアーサーの胸ですすり泣き、アーサーは彼女が死んだ子供たちの為に泣いているのだと気付くと、彼も妻に続いて涙を流した。皆も、俯いて、哀れな思いにひたっていた。リンカーン以外のものは我に返るのに時間をかけたが、計画を進めていった。アレクサンドリアのためにも、彼はより強く有らなければならない。
「保護プロトコルが起動したのだ」彼はそう言う。「私たちの主な目的は変わらない、アーカイブ内の全ての本を目録化し、コピーする。だが、その行いはもはや財団の利益の為ではない」
それを聞き、何人かが驚いて顔を上げた。
「財団はもうない」フェリクスは誰よりも冷たさを含んだ声で皆に伝えた。「残っていようがいまいが関係はない。もし僕らが財団を目指せば、死ぬんだ。それに通信機だって使えはしない。どう考えたって、財団は消滅してるんだよ」
再びの静寂が、彼らの元に訪れる。この二度目の沈黙を破ったのは、マービンとモリーの聞き慣れた駆動音であった。モリーが手に持っている何かに、皆は息を呑んだ。ペンだ。この図書館の中では、それは誰かに銃を向けるも同義である。
「こいつこんな所で一体何してやがるしてんだ?」マーティンがモリーに詰め寄った。
「マーティン、落ち着け-」
「何てことだ!どんな観察者がここにペンを持ってくるって言うんだ-」
「これもまたプロトコルの一部だよ、馬鹿め」リンカーンは自分の主張を示すために、ペンをとるかのようにモリーに向かって手を伸ばした。彼がペンを取ろうと触ると、モリーは実際に起こるものよりもはるかに軽い電気パルスを彼に与えた。
「モリーは今でもペンを持っている。私ではなく、モリーが」彼はもう一度皆の方を振り返ったが、彼らは心配はしているようだが、もう恐怖を感じているようではなかった。「知っていると思うが、ここには数週間ぶんの食料しか資源はない。財団はそれを見越した上で対策として、私に命じてロボットの仲間達に一本のペンを持たせた」
「あなたは本に書き込むつもりなの?」メリッサは憤慨と畏怖の両方を含んだような声で話し出した。「あなただってそんな事したらアレクサンドリアがどう思うのか知っているでしょう。彼女がウェイロンについてなんて書いたのか覚えてる-」
「私たちはウェイロンではない」エイボンがメリッサの言葉を遮る。「私たちはアレクサンドリアを、彼女の力を尊敬している、悪用するなんて真似はしない」
「だからこそ、私含め誰しもがそのペンに触れる事はないのだ」リンカーンは言う。「マービンとモリーはかつてテオポレスが自身の為にしたように、本を利用して私たちに糧を与え、延命の為に利用するだろう。彼らは生きる為に必要なものを与えてくれる。それ以上でもそれ以下でもなく。きっとアレクサンドリアも分かってくれる」
「なんでそうだって分かるんだよ?」マーティンは尋ねた。
「彼女と話をしたからな」
闇の中で、彼は声を聞いた:「あなたは最後のひとりではない。しかし、あなたは生き残った者たちと連絡をとる手段を持っていない」
リンカーンはしばらくの間、本を閉じて深呼吸した。いつかこのような日が来るだろうというのは分かっていたが、自身に要求されていることに対して、少々圧倒されてしまったのだ。彼は脱出する方法はないのかと尋ねてみた。
「これを無かったことには出来ないのか?」彼は闇の中に問いかけた。
穏やかな風が一瞬だけ強くなるのを感じる。アレクサンドリアのささやくような声がはなんとか、“やっと”聞こえた。それに彼は初めて、本を読まずとも彼女の声を聞いたその言葉は、はっきりとしていて熱烈だった。
「否」
彼は再び本を開いた。
闇の中で、彼は叫ぶ声を聞いた:“否”そして、その声は語った。一度だけ、やったことがある。私はもう二度とあんなことはしない。あなた達の種族が再び立ち上がれるようになるまでは。
最後の言葉に対し、彼は眉をひそめた。再び立ち上がる?その意味を考えるより前に、いつもと同じそよ風の音が聞こえてきて彼は考えるのをやめた。
闇の中で、彼は声を聞いた:「観察者よ、人類は史上最大の打撃を受けたのだ。しかし財団を通して、人類は生き続けるだろう。あなたの役目は記録を続け、いつかあなたの代わりをする者を待つことだ。マービンとモリーは必要に応じてあなた達を延命させる-このやり方は好まないが、今回ばかりは必要である。私の願いをわかってくれるだろうか?」
彼は彼女の話を聞くと、彼は近くの本棚に本を戻し、早急に近くのキャンプへと戻った。アレクサンドリアが今話した事は……避けられない。財団、-SCP財団-は地球外で黙示録を生き延びた数千人の人の指導者を利用して、文明の再構築を図っていた。きっとそれは快い文明ではない。それ以上に、アレクサンドリアへ戻る方法を見つけるのに長い長い時間がかかってしまうだろう。全く見つからないかもしれない。
我々はここに何千年も居ることになる。任を解かれたときには、テオポレスは我々にとって幼児のような存在になるだろう。もし我々が任を解かれたなら。
だが、その選択は明確だ。彼はこの場所に対して献身していて、その思いを断ち切る事はできない。「指示に従おう、アレクサンドリア。後に来る人がここに辿り着くまで、我々はあなたを見守っている」
彼は歩き出す、すると一陣の風が耳を撫で、彼女は喜んでいると彼は理解した。
3年目
リンカーンが目にしたのは、予想通りの悲惨なものであった。永遠なるアレクサンドリアのアーキビストであるアーサーとメリッサ・ブランドが死んでいた。二人は、かつてマービンとモリーが発見した人と馬の骨の側で、遥か昔の骨を研いでいた。それも、互いの喉を切り裂くに十分なほど。2人は手を繋いでおり、その光景は血さえ溢れていなければさぞかし平和に見えただろう。
「マービンが私のところに来て、この事を教えてくれました」エイボンはそう言うと、その気味の悪い光景から目を逸らした。「二人は世界が終わった直後に、皆の本を没収したのを知っていたんです。二人とも死にたがっていた、しかし死を書くことが出来なかったので死ぬ方法がなかった。だから……」
リンカーンは「こんな事になるとは思いもしなかった」と静かに語るが、その声には後悔の念が滲み出ていた。「二人はいつも子供が居なくて寂しいという事と、最期がどれほど辛いものであるのかを話していた」
「どうして……そう思いませんか?」エイボンは二人を冒涜するような言葉を口にする気にはなれなかった。
リンカーンはそうでなかった。「私たちはアレクサンドリアを愛している、だからこそ個人的な利益の為に彼女を悪用するのはいけないとも知っている」と答えた。「二人は子供達を愛していたが、彼女が神に最も近いものであるとも知っていた。だからこそ、二人は彼女を悲しませはせども、彼女を怒らせない手段を見つけたのだ」
「皆には、なんて伝えたらいいですか?」
「事実を伝えればいい」彼はそう答えた。「我々は儀式をし、ここを死のコーナーと定めよう。今日から、死にたいと思うアーキビストはマービンとモリーに運命を書くよう頼むことになり、その願いは叶えられる。そしてその者達の死体はここに安置される」
エイボンは目を見開いた。「しかし……それでは彼女との約束が」
「私が彼女と約束した」リンカーンはそう訂正した。「私は必要とされている限り、たとえ宇宙が熱で滅ぼされたとしても、ここに居なければならないなら、ここに居る。あなたは行ってもいいし、私はそれを裁くような事はしない。だが、彼女が私のものであったように、私もまたアレクサンドリアと常にあるのだ」
13年目
劉小七は、再び笑顔になった。
モリーはまた仕事をせねばならず、それは彼女も同じであった。新しい本が、棚に追加されたのだ。そう、世界が終わる前の数分の一の割合で。しかし、新しい棚や本が作られていく音は、十年以上の沈黙の後には言葉にしがたいほどに素晴らしいものだった。今は、彼女とマーティン、それにフェリクスが人類史の次の章の記録を作り始めていた。マービンとモリーはペン(Pen、今では大文字が使用されている)を使って、食糧を継続的に補給するように、コンピューターにも無限の電力を供給した。
彼らは交代で仕事をし、それ以外の時間には誕生した新しい世界を知る為に本を読んだ。アレクサンドリアはかつてオーストラリアだった地域で世界の再建に利用されている生存者の集団「サイト23」について語った。クレフやライツを始めとする高ランク職員は、人類の復興に重要な役割を果たしている事は明らかだった為、書棚に永久に戻す事なくベースキャンプに保管されていた。
リンカーンが予想していた通り、それは感じのいいものではなかった。アレクサンドリアはDクラス職員の扱いに嫌悪感を抱いていたが、正直なところ劉も同じように嫌悪感感じていた。図書館にいる時間が長かったこともあり、彼女は全ての命が大切であるとはっきりと感じていた。だが、彼らの恩人が彼女の占有のために延命を容認したのと同じように、財団が支配する状況ではこのような状況になる事を受け入れなければならなかった。
だが、そんな事があったにも関わらず、彼女はまだ笑みを浮かべていた。なぜなら、アレクサンドリアは口にはしなかったけれども、新しい生命が加わる事は幸せだったからだ。そして、彼女が幸せならば、彼らも幸せなのだ。
37年目
「アインシュタインは狂気について何と語った?」マーティン・ハリソンは修辞を用いて尋ねた。
フェリクスは「彼が本当にそう言った訳じゃないって知ってるだろ」と答えた。
「何にせよ、この言葉がお似合いなんだよ」マーティンは首を横に振りため息をつきながら、旧サイト23のリーダー達の伝記を読み進めていった。
マン博士はSCPオブジェクトをサイト23から持ち出し、研究を続ける為南の地へと足を踏み入れた。
サイト23は破壊され、かつての住民はバラバラになって、厳しい砂漠から身を守るために新天地を必死に探した。
「人類はまたしてもやられたんだ」マーティンは明確な軽蔑の念を含んだ声で言った。「それに、これは財団のせいだ。またしてもな」
暫くの沈黙が終わると、フェリクスは深く呼吸をした後、15年間ずっと言いたかった事を口にした。
「これ以上やってらんないね」
マーティンはその言葉を聞くと、悲しみと同時に安心した。安心したのは、最初にそれを言い出したのが彼でなかったからだ。「俺もだ。俺だって何十年もアレクサンドリアに尽くして、人類の運命対してのアレクサンドリアの判断も受け入れていた。けれど……」
「けれど、これからの何年もが、あいつらがこれまで何十年と耐えてきた事の延長線にあるんだ。本を読んで、目録を作って、灰の中から立ち上がってきた文明の完全な記録を残すっていう終わらない日常だ。サイト23が希望みたいに見えてた頃には、それがどんだけ残酷で不愉快な場所でも、この日常に耐えられたんだけどな」
でも、今は……
「僕は太陽が見たい」フェリクスは言った。「たとえ使えるシェルターや食物が無くても、空気がもう有毒じゃないって分かってるんだ。僕らはもう長くは生きられないだろうけど、僕はもう十分に生きたと思う」
マーティンは同意してうんうんと頷いた。その夜、リンカーンはしぶしぶ図書館のドアを数秒だけ開けてその後すぐに閉めてしまった。この一連の出来事が繰り返されるようになるのは、ずっとずっと先の話になるだろう。
674年目
「観察者、私は死のコーナーに行かないといけない」
観察者として知られるリンカンは、カレフハイトの創始者の生涯の本に肩を落としながら、その言葉を聞いた。彼はそれを聞いて驚いた。頼みそのものではなく、エイボンとして知られている男が死のコーナーと呼んだ事を、普通の人間だった頃の記憶として覚えていたことにだ。
「どういう事だ?」彼は礼儀正しいものだと感じていた。
エイボンはため息をつくと、暫く遠くを眺めていた。「観察者、私は退屈なのです」
観察者は理解を示して頷いた。何世紀にも渡って、彼らにとって退屈が最大の敵であると学んできた。人間の頭には、彼らがこの薄暗い棚の中で過ごした一生を理解する事は出来なかった。彼らは、かつてオーストラリアと呼ばれた地域が、地球に降りかかった災害からゆっくりと立ち直っていく様子を読んで知っていた。しかし、その事はかつてエジプトと呼ばれたところからはとても遠い事だった。
遠く離れた場所で、彼らは自分たちの時が続くのを知っていた。続いていく、続いていく。観察者としての形容しがたい単調さでさえもが、彼がアレクサンドリアとした誓いを放棄する事は出来ないのだろう。しかし、彼は他の人が時を終えて先へ行きたいと思っても、それを中傷したりはしなかった。今は、エイボンがそうしているみたいだが。
「分かった」観察者はそう答えた。「マービン?」
アーキビストの助手をしていたマービンの最初の目的は、エイボンが図書館の中を百年歩き回り、その配列を記憶しようとした事により時代遅れのものとなった。彼は全てを網羅する事は出来なかったが、それでもかなりの部分を踏破していた。ルー(Lu、彼らの名前は長い間に発音通りに綴るようになった)はマービンを必要としていなかった。彼女とモリーは、一日に何十人も生まれてくる新生児の生涯を記録する事に時間を費やしていた。
その後、マービンは観察者に同行した。マービンはペンを持ち、ロボットだけが知る自分たちの本が置いてあるところへ向かった。今になっても、二人は互いを信用していなかったのだ。
「あなたがいなくなるのは残念だが、亡くなった他のアーキビストと同じように、あなたの名も讃えよう」観察者はそう言った。
その夜、エイボンは古代の旅人たちと、アーサーとメリッサ・ブランドの遺骨の隣に安置された。その為、アレクサンドリアには四人が残り(彼女がいつもそうしていたように、マービンとモリーも含んで)、次のサイクルが始まるまで過ごす事となった。
4025年目
カリンは聳え立つ旧世界の残滓を目にしていた。アレクサンドリアは見捨てられてなどいなかったのだ。
旧世界の人々の建造物は素晴らしいとは聞いていたが、この街はその輪郭の残骸だけで私に多くを知らしめてくれる……
カレフハイトよりも遥かに大きかったのだろう都市の崩壊した建物から、金属や石の大きな遺跡が突き出ている。幾度となく手入れされてきた故郷の古代の建物とは異なり、海岸線に近付くにつれ、この街には人の手が入っていない事がわかった。本当に、彼は新時代の夜明け以来この場所を訪れた最初の魂なのかもしれない。
アビルトレイトで魔術師に会って一ヶ月、海岸からポータルのあるとされている方向へと船を出してからは一週間が経った。その魔術師は、古代の呪文を利用して「永遠なるアレクサンドリア」と呼ばれる場所への入口を召喚したと言い、カリンに行くようにと強く言った。アレクサンドリアは新しい観察者を必要としていて、私は旅に出るには歳をとりすぎている。彼は「観察者」とは何なのか、なぜこの老人はこの場所を知っているのか、全く分からなかったが、自分の気分のままに旅をしていた。メイラーが消えて十年が経ち、彼は自身の最期を迎える準備をしていた。
老人の言っていた通り、海岸線から少し離れたところにポータルがあったときには驚いた。そして、自分のオンボロの帆船が不思議な力に引っ張られているかのように見えて、彼はさらに衝撃を受けた。やがて、ポータルの反対に現れたのは、遥か遠くにあるアレクサンドリアだった。
私はまだ死ぬべきでないのかもしれない
「私たちは終わりに近づいているのね」ルーとして知られる観察者は言った。
リンカンという名で知られている観察者は「確かにな」と答えた。「君はカリンの準備は出来ていると思うか?」
「私たちは?アレクサンドリアは彼女を見守る運命にある人を大切にする。彼もきっと一緒だよ」
議論の余地はない、だが教えてもらうべき事は沢山ある。アレクサンドリアの観察者たちは待ったが、長続きはしなかった。
カリンは岸に上がると、すぐに街を歩きたい衝動に駆られた。その抑えられない衝動が神によるものなのか、単なる自身の好奇心なのかは分からなかった。いずれにせよ、朽ち果てた旧世界の廃墟を眺めていると、何となく自分の行く先が見えてくるような気がした。
近くで見るとやはり迫力はあるが、にも関わらず圧迫感はない。時が流れ、街並みの多くは砂に埋もれてしまったが、旧世界の歩行者用の人工物らしきものは、まだ十分に残っていた。メイラーが輸送用に使っていたと言う金属製の容器の、奇妙な錆びた残骸。家や商館であっただろう建物の入り口。それらを当たり前に感じられ、彼は不安になった。
そして、ある建物にたどり着くと、そこにある光り輝くドアを彼の目は捉えた:光る金属製のドアを。一歩足を踏み入れ、彼は入口を注意深く見た。そこには見覚えのない記号が書かれており、手を当ててみると、あまりの冷たさに思わず身震いをした。
そんな事を考えていると、ドアが開いた。地下道の冷たい空気が彼に向かって押し寄せたが、彼が気付く事はなかった。地下道の先には小さな部屋があり、その先には階段が見えていた。
これこそが私がここにいる目的なのだ
彼はトンネルの中をゆっくりと歩いていく。突き当たりまで来ると、足音が聞こえてきた。緊張しながらも彼はナイフを手に取り、階段の上へ人影が見えてくるのを待った。
彼は……少なくとも外見上は、カリンと同じ歳であった。ただ、その姿勢からは外見からは想像もできないほどの高齢である事がわかった。何よりも肌に血の気がなく、今までに見たことのないような色をしていた。カリンに対して、彼は歯を見せて笑った。
「ようこそ」彼はそう言った。その言葉にはカリンの知らない奇妙なアクセントが混じっていた。「我々はあなたを待っていた」
カリンは驚いて口をぽかーんと開き不思議そうに見つめていた。本があったのだ。果てしなく、数えきれないほどに本棚がある。
「ここは……ここは一体何なんでしょう?」彼は声を絞り出した。
「永遠なるアレクサンドリア」青白い男のリンカンが答えた。「彼女は世界で一番大切なものだ」
彼がそれ以上何も言わずにいると、ルーと呼ばれた血色のない女性が彼の手に一冊の本を置いた。
「これはあなたの話だ」彼女は言う。「もしあなたが観察者になるなら、あなたは誰よりも先に自分の人生を学ばないといけないよ」
そして、彼は言われた通りにした。
4027年目
「準備はいいか、カリン」
彼はその言葉を予測してはいたが、それでも彼に謙遜をさせた。「それはつまり……?」彼はその言葉を最後まで口に出す事は出来なかった。
「ああ、カリン、そうさ。我々の観察は終わりだ」
二年間、アレクサンドリアの観察者たちは彼の面倒を見て、永遠なる図書館の事、人類にとっての重要性、そして旧世界の事について教えてくれた。それは啓発的であり、同時に衝撃的だった。自分の前の時代について説明され、「オーストラリア」と呼ばれるものの真実を知り、とてもショックを受けた。神々も、かつては人間だったと思うと……
「アレクサンドリアは流転し続ける」ルーは言った。「私達は長くここにいる。私たちの前に来たどの観察者よりも長く。でも、もう終わる準備は出来てるんだ。必要な時にはマービンとモリーが導いてくれる、それにアレクサンドリアが手助けをしてくれる」
「その前に、カリン、最後の頼みがある」リンカンはそう言う。
「頼み?」彼は驚いて尋ねた。
二人は互いを見合わせ、リンカンは二年間一度もしなかった事をした。微笑んだ、暖かく、そして心の底から。
「私たちはただもう一度空を見たい」ルーはそう答えた。「私たちが地上を離れて数千年も経った。太陽の輝きを感じてから数千年が」
「カリン」リンカンは彼に向かって歩いて行った。「君は二人の遺骨があったと言っていた場所を覚えているか?それらは地上に?」
「はい」そう答えた彼は、既にその意味を理解していた。
「アレクサンドリア曰く、彼らはかつてフェリクスとマーティンとして知っていた図書館員の遺骨であると我々に話した。観察の終了後には、私たちは彼らを最後に訪ねるのが一番良いと思っている」
「一緒に地球に戻れるようにね」ルーはそう付け加えた。
その言葉にはとても大きな重みがあったが、カリンは黙って頷き入口へと歩き出す。二人は何も言わず、それに従った。
リンカンとルーはその日のうちに観察者の任を終え、カリンの観察者としての任が始まると、街の残骸に太陽が昇った。アレクサンドリアはこれまでも、これからも、流転する。