クレジット
タイトル: これはメタファーではない
翻訳責任者: C-Dives
翻訳年: 2026
原題: This is Not a Metaphor
著作権者: DrEverettMann
作成年: 2026
初訳時参照リビジョン: 2
元記事リンク: https://scp-wiki.wikidot.com/this-is-not-a-metaphor
ジュリアン・デーリーはベッドに横たわっていた。そろそろ起きなければいけないのは分かっていた。しかし、ベッドの中にいる間は、まだ今日と向き合わなくて済む。
今日に限って何か格別悪いことが待ち受けているのではない。出勤し、数人の同僚と共有している狭くて窓の無いオフィスで、帰宅までの8時間をメールの返信作業に費やすだけだ。それほど面白い仕事ではなかったが、割とやり易く、理論上は安泰な職だった。
同僚たちも特に嫌いではない。少なくとも、彼は自分にそう言い聞かせていた。みんな、彼にとても親切にしてくれる。初めてこの職に就いた頃、彼らはジュリアンを大いに支えてくれたし、仕事以外での付き合いはあまりなかったが、いつも受け入れられていると感じさせてくれた。
ただ、彼らには理解が及ばないことが幾つかあるのだ。
彼はようやく立ち上がった。シャワーを浴び、髭を剃った。そして一瞬、動きを止めて鏡を見つめた。
意識を集中させると、突然、彼の顔が変化し始めた。角ばった顔の輪郭がほんの少し丸みを帯びた。目は青ではなく緑色になった。髪も伸びた。
どうしてこんなことができるのか、彼には分からなかった。もしかしたら、潜在能力は昔からあって、最近それに気付いただけなのかもしれない。しかし、自覚した今となっては止められる自信が無かった。自分の古い顔を見るたびに、どことなく間違っているような気がした。彼は、自分の心の中に、もっと似つかわしい顔があることを知っていた。
しかし、毎朝そうしているように、彼は溜め息を吐き、念じて普段通りの容姿へと戻った。いつもの悲しげな青い目、いつもの角ばった顎、いつものきちんと刈り込まれた短髪に。
車での通勤中、特に変わったことは起こらなかった。何の変哲もない駐車場に入り、エレベーター内の隠しスキャナーにバッジをかざす。エレベーターはビープ音を2回鳴らして、地下の秘匿階層へと降りてゆく。昨今、サイト49の存在自体は秘密ではない。しかし、そこで働いていない限り、入場することは許されない。
ジュリアンがSCP財団に採用されたのは22歳の時だった。優秀な研究者としてでも、勇猛果敢で有能なエージェントとしてでもない。財務係としてだ。彼は出張申請や収容予算の処理を任されていた。財団の資金力は桁外れだったが、それでも管理され、監査され、慎重に守られる必要があった。一般社会の監視の目があるご時世では尚更だ。
ジュリアンが入室すると、上席事務員のアーロンが振り返り、「ジュールズ、どーもおはよーさん」とアイルランド訛りの下手な真似で挨拶した。二人の間での定番ジョークなのだが、ジュリアンはなぜこれが滑稽だと捉えられるべきなのか、ついぞ理解できていなかった。それでも、アーロンは仕事のコツを伝授してくれるし、ごく最小限の監督しか行わないことがほとんどとは言え、彼の上司でもあった。
「おはようございます」 ジュリアンは椅子に深く腰掛けながら応じた。彼に関する限り、アーロンには必要以上に口出しする口実を与えないように努めてきた。
「前以て言っておくが、後ほどサイト19からメールが山ほど届くんだ。近々監査があるんで、大急ぎで体裁を整えようとしてる」
「事前連絡ありがとうございます」
彼は受信トレイのメールに目を通し始めた。肝心なのは常に状況を把握することだ。黙々と、できる範囲でできることをやっていく。決して問題を雪だるま式に膨らませてはいけない。
「ケンタッキー州で見つかった例の子供の話、聞きました?」とダーリーンが言った。彼女はかつてエージェントだったが、負傷し、今は退職金を満額受け取るために事務職に就いていた。
「医療検査のために保護されたと聞いたな。彼女は無事だったかい?」 アーロンがそう訊ねた。
「実はね、あれitはスキップだったんです。出動した件とは全然関係なかったみたいですよ。ただの嬉しい偶然です」
「なんだ、そうだったのか。一石二鳥だな」
ジュリアンは無表情を保った。彼らはもう、スキップを非人称代名詞の“it”で呼んではいけないことになっていた。しかし、何か言おうものなら、なぜそんなことをやたら気にするのか怪しまれるのではないかと気掛かりだった。それに、サイト19からのメールが次々に届いている。他のことに構っている暇はない、と彼は自分に言い聞かせた。
それでも、昼食休憩は無理やり取った。既に相当な量の業務を片付けていたし、もし昼飯抜きで働き続けたら、3時頃にはろくに仕事が手につかなくなるのは分かっていた。
彼が入った時、食堂はそれほど混雑していなかった。機密保持の厳重さが昔ほどではなくなった今では、多くの職員がサイト外に昼食を摂りに行く。しかし、ジュリアンは昼食時間を必要以上に移動に費やすのが嫌だった。
彼が着席した時、ミドルトン博士の姿が見えた。彼女は幾つかの目的を兼ねる特別なオレンジ色の上着を着ていた。まず第一に、それは彼女の… 状態を制御するのに役立っていた。そしてまた、その状態を明示する役割も果たしていた。彼女はアノマリーなのだ。それは実際、髪の毛を流れるエネルギーのおかげで一目瞭然だった。危険な特性ではなかった… 少なくとも彼女がそう使おうとしない限りは。
彼女はSCPに指定されるべきだという者は多かった。しかし、彼女は有能だった。朝鮮半島での事件以前から、財団は特定の異常人物に関しては実利的な見解を採っていた。もし財団の使命に尽力できるなら、一定の配慮を受けられる。多少の自由が得られる。そして今では、彼らには権利さえも認められていた。
ミドルトン博士は彼の視線に気づいた。「どうしたの、私の顔に何か付いてる?」 彼女は片方の眉を吊り上げて訊ねた。
ジュリアンは赤面した。「あ、いえ。その…」
「大丈夫よ。私って結構カワイイもんね。自分でも見とれちゃうくらい」 彼女は片方の口角を上げてニヤリと笑い、彼の向かいに腰を下ろした。「ミドルトン博士よ。あなたは?」
「ジュリアンです。ジュリアン・デーリー。経理をやってます」 ぎこちない口ぶりだという自覚はあった。
「はじめまして」
二人は最近の出来事について世間話を交わした。特に… デリケートな話題はなかった。異常人物法や、直近の大統領選挙で掲げられている公約には全く触れなかった。サイト管理官の後任者や、来週に迫るウィルキンス博士の誕生日や、サイト19で近頃起きているあれやこれやの話に終始した。
ミドルトン博士が立ち上がって仕事に戻る頃には、ジュリアンの心もだいぶ落ち着いていた。もう少しで自分の能力について口走りそうになったが、今はまだ時期尚早だと判断した。
しかし、昼食休憩を終えて戻る道すがら、今こそが絶好のタイミングではないかという気がしてきた。なんと言っても、彼女はそれをやったうえで認められ、評価されているのだから、自分にできないはずはない。
彼はサイト19から押し寄せるデータの最終処理に午後の残りを費やした。少し時間を見つけて、運営方針関係の文書に目を通す余裕もあった。
財団に能力を登録する手続きについて記載があった。行動に幾つかの制限が課されるものの、どれも彼の現在の仕事とは関係が無さそうだった。
「なぁジュールズ、今は何をやってる?」 アーロンが訊ねた。
「大したことじゃないです」 彼はそう言ってタブを最小化した。「確認が必要な旅費清算書が数件ありますが、それほど時間は掛からないでしょう」
「O5評議会から直々に依頼されてるプロジェクトがあってね。単なるコスト分析に過ぎないんだが、かなり注目度の高い案件になるだろう。それを君に任せたいと思うんだ」
ジュリアンは少し背筋を伸ばした。これは大きなチャンスかもしれない。彼らの日常業務の大半は、せいぜいサイト19の地域管理官までしか届かないものだ。O5評議会からのプロジェクトとなれば、彼の名前が評議会員たちに知られることになる。それは将来、新たな道を開く可能性を秘めている。
「やれそうか?」 アーロンが言った。
「もちろんです」 彼はそう返した。「詳細はいつ拝見できますか?」
「明日の朝、資料を全部送る。君なら頼りになると思っていたよ」 アーロンは親しげに彼の肩を軽く叩いた。
家に帰ると、彼は鏡の前で丸1時間を費やし、自分の最高の顔、本当の顔を引き出した。とても解放的な気分だった。心の底から自由を感じた。自分ならできる、彼は己の心にそう言い聞かせた。ついに機会を掴める。きっと上手くいく。
彼は無理やり気を静めてベッドに潜り込み、眠りにつかなければならなかった。
翌朝、ジュリアンは顔立ちを期待されている通りのものに整えた。頭の中でスピーチの練習をした。何を言うべきかははっきり分かっていた。
エレベーターからオフィスまでは、他の職員たちがコーヒーカップを手にとぼとぼ入っていくところを、ほとんどスキップするように歩いた。
「ジュールズ、どーもおはよーさん!」 アーロンが言った。
「おはよーさんです」 ジュリアンもそう返した。
「今日はご機嫌だねえ。じゃあ、始めようか?」
「ええ、もちろんです」 彼は深呼吸した。「でもその前に、皆さんにお伝えしたいことがあって…」
「ねえ、みんなミドルトン博士のこと聞きました?」とダーリーンが言った。
「実は… えっ?」 彼は訊き返した。
「拘束されたんです」 彼女はそう言った。「昨夜ですよ」
アーロンが眉を吊り上げた。「そりゃ驚いたな。スパイだったのか?」
「いいえ、新しいサイト管理官の方針です」 ダーリーンの顔に休暇が1日増えたと知らされたかのような喜びの表情が浮かんだ。「私たちの職務はアノマリーの収容であって、雇用ではないって。それでミドルトンの自由権限を撤回したんです。あれItは今はもうSCPです。番号は未定ですけど」
「そうか」とアーロンが言った。「少し残念だが、予想外ではないね。彼女は感じ良く思えたけれど、私たちがアノマリーを閉じ込めておくのには相応の理由がある」
「その通り。一般市民の安全を守らなきゃいけませんからね。ACLUや蛇の手がどう言おうと、奴らは人に危害を加える可能性があるんです。ミドルトンが週末に図書館でボランティア活動をしてたなんて知ってましたか? あそこには子供がいるんですよ」
アーロンは肩をすくめた。「まあ、どっちみち、もう決まったことだ。ああ、ジュールズ、何を言いたかったんだっけ?」
ジュリアンは半開きの口を素早く閉じた。それから、できる限り自然な調子で言った。「来週はウィルキンス博士の誕生日でしょう。だから… 皆で寄せ書きカードでも贈ったらどうかな、と思いまして」
「おお、そりゃ良いアイデアだ、ジュールズ。もし調達してもらえれば、みんなからサインしてもらえるように手配するよ。さて、もう勤務開始を10分過ぎてるぞ。仕事に取り掛かろう。サイトは独りでに機能するわけじゃないんだからね」
ジュリアンは着席し、コンピュータの画面を見つめた。アーロンからの新規メールが彼を見つめ返していた。しかし、彼の頭を占めている考えは一つだけだった。“青い目、短髪、角ばった顎。青い目、短髪、角ばった顎。青い目、短髪、角ばった顎…”



