追憶と哀悼
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2037年8月1日、20時30分。
報告書を纏めつつ暇つぶしをしていた竜胆神威に1通のメールが届いた。何気なく開いたそのメールは宛先も題名も存在せず、メールの内容も本文と彼の知っているサイトの住所だけでとても短く、急いで書いたような跡を伺わせた。
胸騒ぎを覚えつつ、ちらりと本文に目を通す。

『福路夫妻が死んだ。詳細は追って話す、こちらに来てくれ』

それを見るや否や、彼は研究室を飛び出していた。

「……うおっ!?お、落ち着け竜胆!肩が…肩が壊れる!」
「ここまでノンストップで来たんだ、早く説明してくれ……簡潔に、且つ要点を。」
竜胆は純白の竜人(所謂御伽噺で言う所のドラゴンと人間の合いの子のようなもの)で、しかも翼を持ち、自力で高速飛行が出来るタイプの動物特徴保持者(AFC)だ。その為北海道にある彼のサイトから長野にある指定されたサイトには1時間程で到着した。
以前からもちょくちょく交流のあった職員の説明によると、彼らは長野のとある祭りに参加していたらしい。「時期から察すると、入団試験が始まったら遊べなくなるだろうから最後に遊ぼうと思っていたんだろう」との事だ。
だが突然老人が投げ込んだ爆発物に気づき、福路弐条が彼らの娘である福路めぐみをかばい負傷、そのまま手にした銃で頭に1マガジン分の銃弾を撃ち込まれ死亡。
福路アマハルの方は突然の惨状に硬直していた所を脳天に一発。即死だったらしい。
「……それで、他の…被害者はどんな感じだったんだい。」
「お前……いや、何時もの事だったな。」
彼が調べた所によると、35人が死亡、12人が負傷。主犯の日奉蓮は駆け付けた警察によって拘束された。AFCの犠牲者が特に多かったという事から、今回の犯行は故意に動物特徴保持者だけを狙っていたことになる。
「……それで、彼女達は…彼等の子供達は?」
「無事だ。福路が命を賭してまで守ったんだ…だが、果たしてあの子達が両親が死ぬなんていうショックに耐えられるだろうか……。」
「分からない。だが、今は彼女等自身の心の強さを信じるしかないだろう……。」
沈痛な面持ちで、彼らは黙り込む。



「ちょっと……竜胆博士、また手が止まっていますよ。昨日からずっと同じ感じですけど、何かあったんですか?」
「いや……何でもない、大丈夫だ。」
何時もよりも少し硬い声で返事を返し、そしてまたぼんやりと日課をこなす。
(……私はどうしてこんなに動揺しているのだろうか)
そもそも、自身の長い……いや、途方もなく永い年月の記憶から換算すれば、このような話は幾度となく目にし、耳にしてきた筈だ。それなのに、彼は今こうして通常の思考力に戻れないでいる。
「……はぁ。」
「珍しいですね、博士がため息を吐くなんて。」
「私だって元は人間なんだ、ため息くらい吐いて当然だろう?」
「……ええ、そうですね。」
気まずい沈黙と、紙の擦れる音、キーボードを打つ音だけが暫くの間、その場を支配する。
「……そう言えば、██神社で川獺丸さんと福路さんの葬儀が執り行われるそうですよ。セイルさんも来るそうですし、博士も行って来て貰えませんか?私は」
「忙しい、そうだろう?……君はいつまで経っても嘘が下手だね。」
「……それはどうも。」
四音の拗ねるような顔を見て、竜胆はクスリと微笑んだ。



ヴェール崩壊以後、竜胆はそのままの姿で外出を許されている。AFC…俗語で言うならば、アニマリーという存在が一般的になった為だ。
……とは言っても、彼の白い鱗に黒い喪服という出で立ちは、高身長であることもあってか非常に目立った。
「やぁ、セイル。……久し振りだね。あの事件以来かな?」
彼がしゃがみながら声をかけると、スペイン空軍の軍服を着たカワウソ…のアニマリーがこっちを向き、駆け寄って来る。
「おう。大変だったぞ、上に休暇申請出すの。家族の葬式だって言ったら一発だったけどな。」
彼はセイル・アヒージョ・リュドリガ。…福路アマハル、旧姓は川獺丸で、帰化する前の名前がアマリア・アヒージョ・リュドリガだった獺物じんぶつの実の兄に当たる。
「それで通るのか……いや、君の働きが評価されている証拠だろうね。確かセイル、もう大将だろう?」
「ああ。最も……一番喜んで欲しかった奴は、もう……。」
そう言って、セイルは項垂れる。
「……すまない。」
「いや、良いんだ。それに、問題はあの子達の事だろ。今のままじゃ金銭的にも大変になるだろうからな」
セイルの台詞に、竜胆は首肯する。
「……まさかとは思うが、自分一人で全て解決しよう等と考えていないだろうね?」
ぎくりと体を強張らせるセイルを見て、竜胆は「やっぱりか……」と呆れるような表情を見せた。
「うっ……り、竜胆こそ…オイラを抜きにしてめぐみ達を支援しようと考えていたんじゃないだろうな?」
「むっ……ばれたか。
君の勘の鋭さは相変わらずだね。毛並を見るに随分無理しているようだけど…それは変わってなくて良かったよ。」
「それはお前もじゃないか、竜胆。鱗の艶が大分落ちているぞ?オイラの事を言う前に、竜胆も少しは気晴し位しろよ。
……幾らショックでも、オイラやお前はずっと落ち込んではいられないからな。」
「そう……だね。あの子達の為にも、私達は前を向かなければ。」
二人がそのまま姉弟達に目を向けると、彼らは丁度こちらに気づいたらしく、人を避けながら駆け寄ってきた。
「やあ、久し振り……かな。体は大丈夫かい?」
「……ええ、お陰様で。私も、妹と弟も、体は大丈夫ですよ。」
ちらりとセイルの方を見ると、幼い妹と弟を可愛がっている所だった。そのまま視線を戻し、竜胆は話を続ける。
「聞いたよ、今回の事。……何もしてやれなくて、済まなかった。」
「いいえ、誰もあんなことになるなんて、普通は思いませんから。それよりも……許せないのは夏鳥の奴らです。」
……もう既に彼は彼女の持つ『答え』を知っていたが、それでも尚、竜胆は彼女に尋ねた。
「……では、君は『どうしたい』んだい?」
「決まっていますよ。……あいつらに復讐するために、財団の特殊部隊に加入します。」
「…………そうか。私は止めないよ、応援しているからね。」
「ありがとうございます。…では、私はそろそろ帰らなきゃいけないので、この辺で。」
そう言って、彼女がその場を立ち去った後も、竜胆はその場に突っ立っていた。
「いやぁ、やっぱり子供のお守りは大変だなぁ。竜胆もそう……竜胆?」
セイルが覗き込んだ竜胆の瞳には、全てを見てきたような愁いを帯びていた。





あの後二人は現地で別れ、竜胆は帰るついでに気分転換としてぶらぶらと神社の近くを散策していた。
「…ああ、竜胆博士!貴方も来ていたんですね。」
「君は相変わらずだね、██君。君も葬列に並びに来たのかい?」
「ええ、一応私も福路捜索部隊長の関係者だったので……。」
竜胆もそうか、と納得するが、同時に幾つかの疑問も出てきた。
橋ヶ谷君や…国都博士は?彼等も関係者だろう?」
ちなみにこの時に橋ヶ谷研究員の名前が出たのは、アマハル以外ではよく福路と交流のあった職員だからだ。
「え、っとですね……簡単に要点を説明しますね。」
言いにくそうな顔をほんの少しした後、その職員は2人の状態について話し始めた。
曰く───橋ヶ谷研究員は精神を病み、そのまま復帰する事無くSCP-████-JP-A-5に再指定。程なく収容するに至ったらしい。
国都博士は様々な用事が積み重なり、その上福路捜索部隊長の後釜を探さなければならなくなったとか。
「───なので、丁度仕事が無く、且つ交流が多少深かった私に白羽の矢が立ったわけです」
「成程。……君の所も、苦労しているんだね」
「ありがとうございます、竜胆博士。……とても良い人だったのに、なんで夏鳥はこうやって人の命をいとも簡単に奪っていくんでしょう……。」
「それは、」
『彼等』がアニマリー達を『ヒト』だと認識する事を拒んでいるからだ、とは言えなかった。
そもそもそれは自身の推論でしかない。その上、そんな『他人の肩を持つ』行為は…彼には出来なかった。
「……いや、済まない。私にも分からないよ……。」
「そう、ですよね。まあ…分かりたくも無いですが。」
そんな██研究員の様子を尻目に、彼の感情はまた、深く暗い底へと沈んでいった。



「……」
その日の深夜、竜胆は彼の研究室で、ちりちりとした心の痛みを感じ取っていた。
普段ならこの程度の痛みは集中すればすぐに消えたが、何故だか今だけは中々消えそうに無い。……仕方なく、彼は薬に頼る事にした。
自身のロッカーの扉を開き、弱めの精神安定剤を取り出す───所で、懐かしいものを見つけ、薬の代わりにそれを手に取った。
「……これは。」
均一に巻かれた数枚の紙の中身は縫いぐるみの設計図で、それが二巻。……アマハルの分と、福路の分だ。
その時点で、彼は既にそれを取り出したままロッカーを閉め、型紙用の厚紙を取り出していた。

黙々と製作に励みながら、竜胆は別の事を考えていた。

──リュドリガ兄妹達との出会いは、かの有名なトンガラシ事件から始まった。
その後も複数の事件に巻き込まれつつも、二人は生還し、そして竜胆とも交流を深めていった。
そして彼女が日本に来た時、遠巻きに眺めていただけの竜胆に、とある職員が「アマリアの縫いぐるみを作ってみてはどうか」と提案してきた事もあった。……これはその時の思い出の品だ。

「結局、貴女にあげる分は無くなってしまったけどね。もう少し早く作ってあげられれば……。」
小さく呟きながら一旦思考を切り、竜胆は丁寧に生地を型通りに切り取っていく。
ある程度出来上がると、そっとテーブルに揃えて置いてから別の黒と白の生地を取り出し、また鋏を振るう。

──福路捜索部隊長(彼がこう呼んで欲しいと言ってきた)とは、とあるサイトに出張に行った時、そのサイトの職員に彼のぬいぐるみを作って欲しいと頼まれた事が発端だ。
その職員に「必ず名前の後に『捜索部隊長』とつけてあげてね」と言われた時は疑問だったが、彼との接触はそれを簡単に氷解させた。……彼の子供のように拗ねた可愛い顔は今でも思い出せる。勿論、それからはきちんと呼ぶようにしているが。

寸分の狂いも無く型紙の製作と生地の裁断を終わらせて窓を見ると、既に朝日が昇り始めていた。
「昔はもっと早く終わらせられた筈なんだが……考え事をしていたからかな」
ほんの少し伸びをしてから、ちらりと机に飾った写真立てを見る。……竜胆と、アマハルに似た誰かが写っている写真だ。
「……結局、君を助けることは出来なかった。」
椅子に座ったまま、彼は項垂れる。
「私は無力だ。君と、彼女達を救えぬまま、この世界を守らなければならない……この躰の命が尽きるまで。」
ぽたり、と、一筋の涙が彼の膝に落ちる。
それは彼の強く抑圧された感情が、ほんの少しだけ溢れ出たものだった。
「何時か……遠い未来、違う世界で、また君と邂逅する事があれば……その時は、また仲良くしてくれるかな?」
独り言とも思えるその問いは、誰も聞くことなく、虚空へと消え去った。





数年後。
晴れて財団の一員となった福川めぐみの家に、飾られている二つの縫いぐるみ。
その傍に、封が解かれた封筒に入ったまま置かれた、手紙があった。


両親の縫いぐるみを、君の入団祝いとして送っておく。
勿論、見るだけで苦しみが蘇るなら、この手紙ごと棄てても燃やしても構わない。
だが、もし……君達が、これを気に入ってくれたのなら、私は幸せだ。
……すまない。私にはこんな事しか出来なかった。不甲斐ない私を、どうか許してくれ。
君達の人生の旅路に、幸福が訪れることを、私は願っている。

───天竜

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