悪疫性の翼で翔ぶ
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そのパソコンの放つ輝きはその隠遁者の部屋におけるただ一つの照明源であった。毛布にくるまりアイスクリームをガツガツと貪り食いながら、彼女は壊れた自動人形の如く写真を次から次へとスクロールしていた。過去を回顧する全ての一秒は苛烈な苦痛であったが、それにもかかわらず彼女は視線を逸らす気にはなれなかった。それはほとんど心地良いといってもいい、まるでこの世の終わりのような耽溺と啜り泣きだったのだ。だが彼女はその陰険な快適空間にどっぷりと嵌まり込み、そこから微動だにできなくなってしまっていた。その部屋はいつもの通りきれいに片付いてはいたが、抜け出そうとすることは単なる空しいジェスチャーでしかなかった。彼女は思考を首尾一貫させ整理整頓することができなかった。

彼女はテディベアを命綱のように、かつあたかも物体たちが彼女のことを拒絶するためだけに生命を宿すかもしれないとでもいうかのように抱き締めた。時計は午前一時に達しており、その針たちのそれぞれの動きは鈍重で間延びしているように見えた。彼女は誰がチェックすべきよりも多くの回数自分宛のメッセージをチェックした。何もない。目が赤く腫れ、喉が嗄れ、心臓が萎んだ。彼女は夢遊病者よろしく立ち上がって歩き回り、目的もなくグルグルと円を描いた。ベッドシーツは彼女が不眠症に応戦したせいで全体がもみくちゃになっていた。ぼんやりと医学の教科書をパラパラめくり、疲れから彼女はそれを自身の足の上に落とした。痛みが走ったが、それは他のあらゆる物事に紛れて掻き消えた。多大な労力を費やし、彼女は頭の向きを少し変えて再び時計を見遣った。

もう十分間が経過していた。

彼女はこの白日の悪夢を見るに値したのだろうか? 加速され煮え滾る自己嫌悪のループは彼女がその一刻一刻を味わうに値してなお余りあるということを彼女に教えた。画面上でタブを切り替え、彼女はマゾヒストの如くそのコメント欄を凝視する。そこに寄せられていた彼女についての数少ない言葉はクソアマの変種、マンカス、高慢ちき、キチガイ、クソアマ、そしておまけとしての少々のマンカスのみだった。彼女が自身の卒業論文のファイルを開くと、彼女の視界がひずむと同時に言葉たちが一緒になってぼやけた。彼女の書くいかなるものも彼女の風評のせいでこき下ろされてしまうのならば何が医学研究の要点なのだろうか? 彼女が今この時最も発見したかった治療法は彼女自身のためのものであり、そしてそのことは笑えないジョークであるように感じられた。同期の仲間たちは彼女をダシにしてクスクスと笑っているに違いない。彼女のキャリアの不可避の損失は彼女の頭痛を耐えがたく容赦のないレベルにまで悪化させた。彼女を取り巻く世界の全てはストレスと不安のカクテルであり、またそれを洗いざらいぶちまける術は存在しなかった。

さらに幾ばくかの時が過ぎそうだったが、それは重要ではなかった。

実のところ、彼女は大方自分自身でこれを仕掛けていたのだ。まず始めに、あれらはコメント欄において使われた実際の言葉ではない。彼女のことを陰で積極的に罰しようとしていた者も誰もいない。そして彼女の卒論は、九分九厘、非常に成功を期待できるものであった。しかし己の想像上の犠牲者でいることは病みつきになりつつあった。自ら招いた拷問に何のカタルシスも気持ちの区切りも見出せなくなると、彼女は自らにとりあえず眠ってみることを強いた。彼女は夢を見ず、また朝に体が休まったと感じもしなかった。

ただ科学には犠牲が必要であると彼女が力説する時に誰かが彼女の善意を理解してくれさえすればそれでよかった。


それらはナタリー・ゴーダンと呼ばれるその蒼白い顔をした神経質な医学生につきまとう多くの問題の一部であった。それまでの生涯の全体にわたって、彼女は最も陳腐な挫折や伝達ミスの中に差し迫った大惨事が見えるということを強く主張していた。彼女の両親は二人とも全国的に高く評価される医師であり、そして彼女自身にも同様に高い学業成績を修めることを期待した。子供の頃でさえ、彼らは頻繁に彼女に自分たちの有する数多くの資格証明書や賞状、王族でもけばけばしいと感じるであろうほどに豪華絢爛な部屋の中に誇らしげに陳列されている、を見せた。彼女はその当時はなぜ自分が両親と全く同じようにならねばならないのか理解できず、そして今も理解できなかった。彼女が本当に知っていたことは、彼らを失望させるなどということはいつ何時たりとも自分には考えられなかったということ、そして自分はそのような恐ろしい運命を辿るリスクを冒すくらいなら死んだ方がましだということのみであった。しかし普通の人間である以上、彼女はそのような道徳規範に沿って生きることは決してできず、そしてそのことはただただ彼女の不安感と神経症を悪化させていくばかりだった。

彼女が医学部のカリキュラムと教授陣で国際的に知られる一流大学を卒業した時、両親は確かに喜んだ、だがそこにはその祝福の全てがあらかじめ宿命づけられたものであるという雰囲気があった。彼らはナタリーを彼女の行きたいパリ市内のどんなレストランにでも連れて行ってやろうと申し出、そして彼女は笑顔でそれを受け取ったが、彼らに彼女の代わりに物事を決めさせることはそれまでに彼女の自立的思考能力にダメージを与えてしまっていた。そのため彼女はただ十分に高級そうな選択肢のリストを見上げると、でたらめにそのうちの一つを選んだ。

その食事の間中ずっと、彼らは彼女に賛辞を浴びせるのみならず、彼女をさらなる大げさな期待の鎖で縛った。彼らの情熱的な声と瀟洒なBGMはある瞬間から彼女の心の中でちんぷんかんぷんなラジオの雑音と化したようになった。彼女の喉に長年つかえていた地獄の叫喚が危うく飛び出しそうになったが、彼女はそれをワインで飲み下した。そのアルコールが効き始めるやいなや、彼女は上の空で微笑し手元のナイフを弄んだ。両親は彼女が自分たちを無視しているように見えることに気付き、そして彼女は機先を制して謝った。自分たちのそれまでの生涯の中でこの時だけは、彼らは彼女のそのような振る舞いを叱らなかった、卒業試験と卒論のための猛勉強によって彼女がくたくたに疲労困憊していたことを理由として。

彼らがレストランを出る段になった時までも、ナタリーはウェイターたちの扱う大きくそして魅惑的な鋭さをたたえるナイフたちを、そのウェイターたちが他の客たちにステーキを提供するのと同時に疲れと切望の眼差しで見つめた。いや、彼女は自分が確かにしくじりをして皆の恥となった後にそれを待つことができた。彼らが彼女を家へ連れて帰りそして何かの使い走りのため出かけると、彼女は己の自由と愛情の欠乏に対する純然たる嫌忌から喉に指を突っ込んでその五つ星の食事を吐き戻してしまった。彼女はぐったりとトイレの壁にもたれかかっておいおいと慟哭した。


彼女の卒論は正確には彼女が書きたかったものではなかった。それはもっぱらアルツハイマー病やそれに類する疾患の斬新な治療法に関する内容であり、そして彼女の師たちはそれがこの十年の間で最も優れた卒論の一つであるということに全員一致で同意していたものの、彼女はそれが不十分なものであるように感じていた。医療倫理が課す多くの制約は必要なものだ、当然。しかしナタリーは知識や進歩のためにあえて社会や神の顔に唾を吐きかける科学者らに常に魅了されていた。もしも人が世間の爪弾き者となる恐れなしにそのような制約に関してもっと柔軟な姿勢をとることができたらどうなるだろう? 数え切れないほど多くの治療法が発見され、数え切れないほど多くの人々が死や苦しみから救われる。そのような犠牲を払う決して聖人のような歴史的人物などではない者たちに対する彼女の賞賛の程度を本当に知る者は誰もいない。だがどんなに頑張っても、彼女はキャリアを向上させれば向上させるほど、自分が投獄されているように感じた。彼女の精神状態およびよそよそしい両親と組み合わさって、そのような病的な興味は暗澹たる方向へと向かっていった。

神経系の多くの入り組んだ機能を研究する傍ら、ナタリーは自身の専門分野の先人たちについての絶え間ない胸が痛くなるほどの好奇心を抱いた。これまでに成し遂げられながらも非倫理的行為を理由に失われたり焼き払われたりしてきたそのテーマに関する研究は必ずや存在するはずだ。もしそれらの研究結果を取り戻し、道徳的に潔癖すぎる人々にとってより受け入れやすい方法で提示することができれば、そののち彼女は史上最高の医師の一人として歴史に名を残すことができるかもしれない。だが彼女は己の一生涯のうちにはそのような評価を得られないかもしれない、そしてもしいつか彼女のした盗用が発覚したら……いや、彼女はそのことは考えられなかった。とてつもない努力をもってパラノイアを脇へ押しのけると、ナタリーは無数の過剰なデジタル式予防措置をセットアップし、禁断の知識を探し求めて深層ウェブへと潜り込んだ。

彼女がパソコンにかじりつき出してから十二時間を優に超える時が過ぎ、彼女の血流にカフェインが漲り、そしてその夜が朝へと変じた。彼女の脳がその虐待によってショートせんとしたまさにその時、彼女は科学の追求の中で犯された残虐行為についての知られざる物語群に専念しているように見えるある一つのサイトに邂逅した。スナッフフィルムを素材とした視覚表現があるだろうとナタリーは予想したが、そのサイトは最小限主義的でありかつきちんと整理されていた。神経系に対する非合法的な処置を実施した何者かが立てたと思われる一つのスレッドを見つけると、彼女は元気づき、そして人をすこぶる当惑させるようなやり方で薄笑いを浮かべた。それが全部ガセであるかもしれないと考えるにはあまりにも睡眠不足かつハイな状態で、彼女はその最初の書き込みとそれへのレス群に目を通した。

そのスレ主がアップロードした自らの処置と結果に関する画像ファイル群は悪魔の生んだ奇跡としか言いようのないものであった。そのユーザーは明らかにそれらのうちのいずれにも写っていなかった。それだけでなく、それらの背景は全てが防水シートのような素材に覆い尽くされており、またそのそれぞれには窓はなかった。どの画像においてもどぎつく寒々しい照明が、頭蓋骨の上半分を取り去られた何らかの半死半生の状態にある人々のずらりと並べられているさまを暴き出していた。彼らの脳はそれぞれ見えない所にある機械に電極およびその他のケーブルを通じて繋がれていた。彼らの生体信号はそれぞれその文言を黒く塗り潰されたスクリーンに表示されており、そして彼らの顔はそれぞれ包帯に覆われていた。それらはまだ優しい方の画像であった。ナタリーはさらに多くを見れば見るほど、その一切合切を閉じて二度と振り返らないようにしたいという衝動を抑えなければならなかった。しかしその後彼女はそのスレ主からのある一つのメッセージを見つけた。それはそのスレにおける最後の書き込みであった。

私はこれから最後にもう一度だけ、師に談判をするためこのカタコンベへ戻るつもりだ。我々は突破口に近付いている、私には確かにそれがわかる、しかし彼は私が他の誰かに彼のことや我々の研究のことを話すのをどうしても許してくれないのだ。もし彼が私の言葉に耳を傾けてくれなければ、私は彼の機材と記録を盗み出そうと思う。うまくいけば私はこれらの結果をより制御された環境の下で再現することができる。もしあなたがたのうちの誰かがまだこのスレッドを読んでいるなら、私の後を追ってはならない。もし彼が私を捕まえそしてそこであなたを見たら、彼はあなたを共犯者と見なすだろう。これに関わってはならない。

その前の画像群や書き込み群と照らし合わせて、ナタリーはこの人物がパリのカタコンベに言及しているということを嗅ぎつけた。彼女はこの人物の辿った軌跡までをも特定したが、それは一つの行き止まりと思しきものといくつもの奇妙な教えに繋がった。彼女の好奇心は最高潮に達し、彼女はこの師が一体誰なのかの答えを求めてあらゆる場所を虱潰しに探し回り始めた。彼女の熱狂的でひたむきな調査はただひたすらに様々な原因不明の疫病の時代に見られた一人の名も無き医師についての漠然とした中世的物語の数々を露わにしていくばかりだった。

その躍起になった研究者は少しの間動きを止めるとともに自らの正気を疑った。彼女は本当に文字通りのおとぎ話を追いかけたりするほどに自分のこれまでの人生における諸々の経験に鬱憤を溜め失望してしまったというのだろうか? 彼女はやがて自分に心理療法が要るということに気が付いた、それも沢山。またそればかりでなく、彼女がこれを職探しをすることもなくやっているのならば一流の機関を出たことは無駄だったということになる。その瞬間己の狂気をかなぐり捨てると、彼女はパソコンのスイッチを切って途切れ途切れの浅い眠りへと入った。


ナタリーは自身のおどろおどろしい強迫観念のことをほとんど忘れるとともに稼ぎのいい仕事に就いた。彼女は新たな人々と出会うようになり、自身の日常の業務のための体制を確立し、自分自身のペースでより大きな業績を上げることを目指した。彼女は両親に合理的な制限を課し、そしてその結果自身の精神的健康状態を著しく改善させた。その未来はかつてないほどに明るく輝いて見えた。

だが世の中の他のあらゆる良いことと同じように、それは長続きしなかった。

死がミスター・ゴーダンのもとに、とあるひどく珍しい不治の神経疾患の形をとって訪れた。彼の妻はそれと関係のない交通事故によってすぐにその後を追った。ナタリーを慰めその深い哀惜の念を和らげてくれる兄弟姉妹や夫や子はなかったため、彼女は極端に無愛想で辛辣な性格となった。それにより彼女は医療倫理に対して文句をつけるようになり、そのせいで仕事をクビにされまた自身のいわゆる友達の輪からも外されてしまった。孤独になり絶望し、彼女は真の隠遁者と化した。彼女に手を差し伸べようとしたごく少数の親戚たちは気味の悪いそして憂慮すべき光景を目の当たりにした。そのキッチンにはビールの空き瓶が散乱しており、本来あるはずの大型の包丁は見当たらなくなっており、そして彼女が飾っていた一枚の両親の肖像画は木っ端微塵に叩き割られていた。彼らは彼女を呼び出そうとしたがその努力は無駄に終わり、また警察も彼女を見つけることはできなかった。彼女はそれまでに電子の海における自身の足跡をことごとく消し去っており、そしてあのカタコンベへと足を踏み入れるべく真夜中のうちに出発をしていたのだ。


甲高い、悲しみに打ちひしがれた哄笑がその無秩序に広がった地下の通路を埋め尽くした。ナタリーは片手に懐中電灯を、もう片方の手に包丁を握り、成仏できぬ亡霊の如くその暗闇の中をよろよろと歩いた。その行動は精神病的ではあったが、彼女はそれまでに万が一事故が起こった場合に備えてバックパックの中に救命具を忘れずに持参してきていた。しかしそれは起こることはなく、彼女は全ての身震いと嗚咽の間でこの笑いを声に出して繰り返した。これは役に立たなければならなかった。

自らがあのウェブサイトから特定したその軌跡を追いながら、彼女はその巨大な墓所の地下納骨堂や割れ目を占有する無数の人骨を照らした。そこにある音は彼女の躊躇いがちな足音と不規則な呼吸音のみであり、そしてそのどちらもその完全なる静寂の中でそれ自らがあるべきよりも遥かに大きなものであるように思われた。所在不明の教えを探し求めて無鉄砲にそれらの遺骸の神聖を穢し続け、彼女は自分がどれくらいの時と道を越えてきたのかわからなくなってしまった。その降下は彼女が例のメッセージ群を読んでおぼろげに記憶していたある一つの部屋の中で終わった。それは一つの忘れ去られた門の存在によってそのカタコンベの他の部分と異なる様相を呈しているのみだった。その門にかけられた鎖と南京錠は極度に錆びており、そしてその先は人があまり遠くまで見通すことのできないものだった。それに近付いたと同時に、ナタリーは自分がその反対側から来ているある種の一定した振動音を耳にしたと思った。

最早慎みにも正気にも頓着しなくなり、彼女は一本の大腿骨をそれ自身の休息場所から取り去ると、それを南京錠にガンガンと叩き付け続けた末南京錠を粉砕した。鎖が鉛のように重い反響する騒音を立てて地面に落ちた。気の緩みから、彼女はその大腿骨をポイと投げ捨て、それを自身の懐中電灯に着地させてその懐中電灯を叩き壊してしまった。悪態をつき憤り、彼女はより遥かに弱い自身の携帯電話の光に頼らざるを得なくなってしまった。彼女がさらに奥深くへ進むにつれ、その通路はますます狭苦しくかつ迷宮のように入り組んだものとなっていき、やがて彼女は地面にぽっかりと開いており腐臭を放っている一つの大穴に遭遇した。一つの小石をその中へ投げ込んだところ、それが底を打つ音は聞き取ることができなかった。そして光を用いても、その底は目視できなかった。入口を明らかにしてくれる完全な説明書を利用することができず、彼女はもどかしさのあまり唸り声を上げた。彼女の顔は苦渋に歪み、彼女は地上へ帰還するべく回れ右をした。

彼女が五歩と歩く前に、何物かが彼女の片足首に巻き付き、彼女を乱暴に地面に捻じ伏せて穴の中へと引きずり込んだ。彼女は絶望的なパニックに陥り悲鳴を上げながら長くそして身の毛もよだつほどに汚いトンネルを滑り抜けていった、決して自身の体がこすり付けているものが一体何なのかを見て取ることなく、また何にも掴まることのできないまま。一時間のように感じられる一分が過ぎ去った後、彼女は着地した。腐敗物と打撲傷にまみれながら、彼女は計り知れない苦労をもって立ち上がり上方を振り仰いだ。もう後戻りはできなかった。彼女のパニックは彼女を完全に支配していたことだろう、だが彼女は先ほどからの異音が今はより遥かに明瞭な、そして音楽に似たものとなっていることに気が付いた。彼女は誰か自分を救ってくれる者を見つけることを願いながら足を引きずってその異音の方向へ向かい、そしてその間ずっと痛みに泣き叫んだ。彼女の携帯電話は着地の際にバキバキに割れて破損してしまっており、そしてそのため彼女は手探りで自分自身を案内することを余儀なくされていた。恐怖が無慈悲に彼女の心臓を鷲掴みにし、そして彼女の両手は絶えずネバネバとしておりどことなく血に似た臭いのする何かに触れた。

彼女が盲目の虫の如くその悪臭ふんぷんたる闇の中を彷徨っている間時の流れがじっと静止し、壁を引っ掻く音と悪夢めいた呻き声が彼女について回った。


自身の包丁を自身が見ることができなかったものたちに由来する血糊にまみれさせ、彼女はとうとうその音楽のよく聞こえる領域に到達した。彼女の眼前に展開されていたのは薄気味悪い淡い緑色に輝く松明群によって照らされた一つの螺旋階段であった。極寒の湿った空気が彼女の服を真直ぐに通り抜けて彼女を痛々しく震えさせた。助けを求める彼女の叫びは絶望的なガチガチという音に混じって発せられ、また彼女は自身を覆っているそのおぞましい臭気からひっそりと空嘔吐をしていた。最下段へと着きそして一つの木製の扉に出会うと、彼女はあらん限りの力を込めてそれをドンドンとノックした。音楽が止み、そして彼女は自身の行く手へやってくる足音を聞いた。その扉が開き、そして黒い外套を纏い鳥のようなマスクを被った一人の男が現れた。彼の二つの瞳に反射して映る緑色の光はまるでそれらの瞳が己自身の輝きを宿しているかのような錯覚を起こさせ、彼に異世界的なオーラを醸し出させていた。ナタリーが死に物狂いで救済を乞うよりも先に、その男は彼女に静かにするように身振りで注意した。

「頼むから喚き立てないでくれ、私の演奏の妨げになる。私はそれを楽しむ為に絶対に適切な心構えでいる必要があるんだ。君は誰だ、そしてなぜここへと来た?」そのマスクをした男が言った、いたって冷静に。

理由はわからないが、ナタリーはビクビクすることなくそれに従った。彼女はもし自分がこの男に無礼を働いたなら立ち去れと言われてしまうかもしれないということを恐れた。「私は……私は道に迷ってしまったんです。そ――そ――そ――それから怪我をしてしまったと思います。どうかお助けください、ただ家へ帰りたいんです。あなたのお邪魔はしないということをお約束します」

マスクの男は彼女に中へ入ってくるように身振りで合図した。ナタリーは磨き上げられた骨で主に構成されている一台の面妖なピアノを目にしたことによってびっくりさせられた。そのピアノの周りにはまるでヴィクトリア朝の博物館から抜け出してきたかのような古めかしい医療器具のコレクション、石造りの天井に届かんばかりの不規則に傾斜した棚群の中に纏められている、があった。さらにその周りにはナタリーのあずかり知らぬ一つの言語で書かれた多くの革綴じの百科事典が散らばっており、小さな昆虫たちがそれらの上を這いずり回っていた。その広い部屋は同じ緑色の光、幾重もの錆の層を積み重ねたオイルランプ群から来ている、によって照らされていた。

「君が私の問いに答えてくれるなら私は君の傷の手当てをしてあげよう」

「私の……私の名前はナタリーです。あなたは他の医師が教えることができない医学知識を教える医師でいらっしゃるとお聞きしました」

「その通りだ、一応は。君は私がなぜこのような場所で研究をしているのか不思議に思う事だろう。この世界はまだ私の方法を受け入れる準備が出来ていないから、とだけ言っておこう」彼は少しばかり苦々しげに述べた。

「何の……何の方法ですか?」ナタリーが尋ねる、自分がまだそれを知りたいと思っているのかどうかよくわからないまま。

マスクの医者が自らの視線をもって彼女を隅から隅まで解剖していくように見えるのと同時にその場にぎょっとするような沈黙が流れた。「科学には犠牲が必要だ。この私を探し出したのなら君はきっとある程度はその事を理解しているはずだ。君は私の知っている事を学びたい、そうだね?」

ナタリーは頷いた、すっかりブルブルと震え上がり目に涙を浮かべながら。「はい。私の仕事は私に残された全てです。失礼ですがあなたのお名前をお伺いしてもよろしいですか?」

「私は名前というものに投資をしていない。好きなように呼べばいい、ただし私の研究の邪魔はしないように。よければ私についてきてくれ。私は君についてもっと多くの事を知りたい。およそ大層奇特な人々しかここへはやってこないからね」

ナタリーは逡巡した。この男が何者なのかは見当もつかない、だが彼女は彼が極めて非合法的な活動に身を投じているということ、そして彼に手を貸した場合自分が刑務所送りとなる可能性があるということをはっきりと知っていた。しかし一方で、彼女に失うものなど本当にあるのだろうか? 彼女の人生は壊滅的な状態であり、また彼女はどうやって家へ帰ればいいのかさっぱりわからない。選択の余地はなかった。

「そこに棒立ちになっている事などで私の貴重な時間を浪費しないでくれ。君はさぞや語るも涙の物語を秘めているのだろう、自分に残されたものが本当に何もないのなら。じっと聞いてあげよう、君が何を考えているとしても。この私を訪ねてくる者は滅多にいないし、私は時折その孤独に耐えられなくなってしまうのだ。さて、再び頼むとしよう。どうか私についてきて私にもっと多くを教えてくれ。私は君を傷付けたりはしない」

「……わかりました。お先に立って案内してください」

マスクの医者はオイルランプの一つを拾い上げると暗い廊下を歩いて行った。ナタリーは彼の後について行っているうち、その両側の壁に中世風の外観をした数多の絵画、どういうわけか新品同様の状態に保たれている、が飾られているのに気が付いた。そこには名前も日付も一切記されておらず、そしてそれらの全てはいたく陰鬱に見えた、まるでそれまでに何がしかの言語に絶する悲劇を目撃してしまっていたかのように。

「これらの人々は誰なのですか?」彼女が尋ねた、一秒一秒が過ぎる毎にますます不安を募らせていきながら。

「犠牲さ、」彼は彼女の方を振り向くことなく薄気味悪いほど平然とした口ぶりで答えた。「私の研究は何としてでも継続されなければならない、全てを無駄にしない為にね」

「理解しています、」彼女は言った。その声音はさっきほどには震えなかった。「あなたには断固たる決意がおありであるのに違いありませんね、ドクター……」彼女は彼のための失礼でない名を考え出そうとした。彼女は彼がいかに寡黙にして厳格であるかということ、そして彼の研究の受けねばならぬ苦難rigorがいかに多いかということに思いを馳せた。それはお返しに彼女に死後硬直、リガー・モーティスrigor mortisとも呼ばれる、のことを思い起こさせた。

「ドクター・リガー。そうお呼びしてよろしいですか?」

「それが望みなら。かまわない」

ナタリーは恥ずかしくなって頭を低くした。彼女の心はよくありがちな神経症と心配事に圧倒され、そして彼女はこれからこの恐ろしい状況を最大限に活用してみせると自身に誓うことによってそれに対抗しようとした。このトンネルの果てには必ずや光があるはずだ。消えかけの火を囲んで体を震わせている孤児の如くその思考にしがみつき、彼女は己の運命を受け入れた。


「なるほど……君はこれまで沢山辛い思いをしてきたのだな。私にはよくわかるよ、」リガーは自身がナタリーの負った傷の縫合を完了させるのと同時に言った。

「あなたにはよくわかる? あなたには何がおありになったのですか?」彼女は彼のことをそこまで気の毒に思ったわけではなかった、だが一体何が誰かを彼のような人物に変貌させたのかということについての好奇心を確かに感じたのだ。

リガーはあからさまに彼女の質問を無視した。「数日間はいかなる突然の運動や肉体労作も避けなさい。君が十分に回復したら私は君に地上への近道を案内してあげよう。さて、君はもう自分の新たな研究に打ち込んだ方がいい。私は結果を期待している。だがもしそれが手に負えぬものであるように感じたなら、君はいつでも自由にここを去って自分の人生を立て直そうとしていい」

「いいえ、いいえ、そのようなことは決して起こりえません。教えを授かる覚悟は出来ています。そして犠牲を払う覚悟も」

リガーは自身のマスクの奥でふっと微笑み、そして期待の中で両手をこすり合わせた。「それこそが真の科学者の精神だ。君がこれから先私を失望させる事はないだろうと確信するよ。無理なく立ち上がって動き回る事はできるか?」

「はい。それではどこから始めましょうか?」

「東棟にある私個人の書庫へ行きなさい、そしてこれらの本を徹底的に読み込むのだ、」彼は彼女にそのうちのほとんどが難解かつ非正統的な内容をしておりそして彼女が聞いたこともない著者によって執筆された出版物のリストを手渡した。「君が最初の実技試験を受ける準備が整ったら、私に言ってくれ」

ナタリーはコクリと頷いて書庫へ赴いた。彼女の影がオイルランプの光からその苔むした壁を背景にしてヌッと現れ、そして彼女は成果のためもう一度自身に適度な睡眠を禁じた。一度ならず彼女は自身の師匠の供してくれた食事、それらの全てが地下深部にしか生きない植物相と動物相から収穫された、を拒んだことによって卒倒した。最終的にその飢餓は彼女の強い嫌悪を打ち負かし、そして彼女は何とかよりよい集中をするようになった。リガーは定期的に自身の弟子を点検した、彼女の両親が常々かけていたように結果を求めるプレッシャーをかけることはしなかったが。

時たま、リガーはナタリーのためにかのピアノを弾くことを申し出た。彼女の師匠は彼女の音楽の趣味がいかにひどいものであるかについてジョークを飛ばすこともし、そして彼女にクラシック音楽の作曲家による数々の素晴らしい曲を披露した。リガーはまた自身が他の場所で忙しくしている間も彼女との付き合いを続けるため彼女に一匹の猫を与えることもし、それゆえ彼女は淋しくなることはなかった。いつしか彼女は自身の見出したその相対的な平和を楽しむようになり、そして奇妙な一種の安寧が当たり前の日常と化した。ある朝、リガーは彼女がビタミン不足によって病気になりうるため彼女にある程度の日光を満喫してから地下へ帰ってくるように要求をした。

彼女は彼にノーと言いそうになったがそれを呑み込んだ。上の世界はそれまで彼女を苦しめるばかりであり、そしてそこへ戻ることについて考えることは彼女が瞬時に抑圧するフラッシュバックを彼女にもたらした。だがそれまでの全生涯を通して行ってきた条件付けが仇となり、彼女は自身の望み通りにそれを実際に言うことがほとんど不可能な体になっていたのだ。ナタリーが大いに意気消沈したことに、リガーは自身が自力で手に入れることのできない実技試験のためのいくらかの道具をナタリーに調達してきてもらう必要があると言った。彼女が地上へ戻るための今にも崩れ落ちそうなエレベーターのような装置に入ると同時に、彼女の小さな一部はどこで何もかもがあまりにも間違った方向へ向かってしまったのかについてよそよそしく思案を巡らせた。だが彼女がそれに上手く対処する方法を探るのと同時に、彼女の蒼ざめた顔にぞっとするような不気味な笑みがじわじわと広がっていった。彼女はもうこれ以上自身の拷問者たちを満足させる義務は負っておらず、そしてもうすぐ彼らなしで成功しようとしているのだ。その過去は死し、そしてその腐った骸の中で彼女はこれから己の救済を見出すだろうと思われた。


その二人の世間の爪弾き者は檻の中に入れられた一体の新鮮な人間の死体を囲み、互いに熱心な表情を見合わせた。その死体はそれまでに血抜きを施されており、そして下劣な黒い液体をその動脈群と静脈群の中へポンプで送り込む一台の機械に接続されていた。一台の発電機が赤熱しガタガタと揺れると同時にアーク放電のバチバチという音が空気中に満ちた。その実験の被験体は配線によってまるで操り人形の如く吊るされていた。一挺の自動化されたクロスボウは一本のレバーに向かって射撃をする準備が整っていた。

一つのボタンが押されると、それらは自らの悪魔じみた奇跡を起こし始めた。

電気が被験体の全身を駆け巡るとともに黒い液体と反応し、被験体をピクピクと痙攣させた。

両眼が開き空気が両肺の中へなだれ込み、ハッと息を呑む音が喉から迸ると同時に意識が戻った。

被験体に与えられたその生命の紛い物は痛ましくそして自然の摂理に反するものであった。しかし被験体は悲鳴を上げることはできなかった、なぜならその二つの声帯は融合され膨れ上がっていたからだ。黒い液体からなる一つの玉が一枚のますます透き通りつつある皮膚を通して見えており、哀れなゴボゴボという音は被験体が立てることのできる唯一の音となっていた。

ナタリーは自分が自ら進んでやっていることに純粋に恐れをなして逃げ出すべきであると知っていた。だが彼女は最早気にもしなかった。

実験は進行し、リガーは両手を背後に組み穏やかに鼻歌を歌いながらコツコツと歩き回った。ナタリーはその肌の透明性がその肉体の他の部分を這い回りその血管群が腫脹してゆくさまを残忍な無関心をもって観察した。彼女はポンプと発電機のスイッチを切り、そして一台のレコーダーのスイッチを入れた。

彼女は数時間が過ぎて行くのと同時に観察を行い、あらゆる変異の特性を記録していった。被験体が配線に吊り下げられながら激しくのたうち回ったのち気絶すると、彼女は一定時間毎に被験体の肉の塊を摘出していった。それらの肉塊をすぐ近くにある手術台の上に集めると、彼女はそれらを組み合わせて縫い合わせ始めた。

師匠の技術を再現しようと必死に努力したものの、彼女は失敗し泣き崩れてしまった。彼らがその歪んだ肉からなる不格好な塊をシャフトへ投げ捨てると同時に、リガーは彼女の肩をポンと叩くとともに彼女に涙を拭うためのハンカチを差し出した。

「君は今のところよくやっている。私は君を誇りに思う。このまま懸命に取り組み続けるのだ、そうすれば君はいずれ突破口を開くだろう」

彼女は溢れるような歓喜と希望をもって彼を見上げた。「ありがとうございます……本当に」

「どういたしまして、」リガーはクロスボウを作動させメインの被験体を処分しながら会話を終わらせた。

ナタリーは生命の紛い物がその恐ろしい、恐ろしい双眸から徐々に消えて無くなってゆくのを見た。彼女の心の奥底で、警報が鳴り響いた。

これは間違っている。これは邪悪だ。

彼女は一言断りを入れてその場を出て行った。リガーは彼女の後を追いかけなかった、というのも彼は気難し屋の子守をすることよりも大事な処理すべき課題を抱えていたからだ。彼女はすぐに帰ってくるだろうと思われた、間違いなく。

ナタリーは地上に辿り着くと、人里離れた地をあてもなく放浪した、自身の信頼する誰かに連絡を取る手段も持たずに。だが……彼女のことを気にかけてくれる者などもう誰もいはしない、そうではないか?

彼女は自分の子供時代を思い返し、そしてもし両親が今生きていたら自分のことをどう思うだろうかということを考えた。彼らは彼女を慰めて何もかもが大丈夫になると言ってくれるだろうか? それとも彼らも恐怖に慄きそしてついに彼女の犯したその残虐行為を理由に彼女を勘当してしまうだろうか? さらなる虐待以外の反応は何一つ想像できず、また新たな道を自分自身で決めることにも気が進まず、彼女は自分が離れていたその唯一の承認の源まで急いで戻って行った。彼女の絶望は彼女の師匠が何の説明もなくそのカタコンベをすっかり留守にしていることに彼女が気付いた時に頂点に達した。

血眼になって彼を捜し回っているうち、彼女は躓いて手持ちのオイルランプを地面に落としてしまった。最初の炎が古い本の山と接触し、瞬く間にその山を発火させた。火はたちまち他の本棚群や燃えやすい家具群の方へ向かって広がってゆき、恐るべき速さで勢いを増してゆく。すぐ近くには彼女が消火器として使うことができるものは何もない、だが別の部屋には井戸とバケツ群がある。

パニックを起こしながら、彼女は自身の鍵束を取ろうと不器用な両手を伸ばした。それは彼女の指の間から滑り落ちると、一台の本棚の真下の場所に嵌まってしまった。心臓を狂ったように高鳴らせアドレナリンを体中に氾濫させ、彼女はその鍵束にちょうど手が届くようになる位置までその本棚を押そうと試みた。本棚の上に載っており彼女に見えていなかった一個のガラス瓶が彼女の頭上に落ち、彼女をガラス片にまみれさせ、そして彼女をべったりと地面に接着させる粘性のある液体を解放した。脱出することも助けを呼ぶことも叶わず、彼女は炎が急速に接近してくる最中で絶叫した。


ナタリーが意識を取り戻した時、彼女の半身は包帯と麻痺に包まれていた。

彼女の心は現実と非現実の狭間を漂流し、そして彼女は時折、師匠が自分の広範囲に及ぶ損傷の世話をしているのをちらりと見た。

彼女の想像において、彼の接触は以前よりも強くそして冷淡なものであるように思われた。ただの一度も彼女は彼が自分の瞳を覗き込んでいるのに気が付かなかった。

甚だしくゆっくりと時間をかけて、彼女は完全に意識をはっきりさせた。彼女は直ちにリガーが自分のことを最も絶対的な憎悪に満ちた眼差しで黙って見据えているのを視認した。

「本当に……本当にごめんなさい……私はあなたに捨てられたと思った……」彼女は何とか言った、既に涙を溜めながら。

リガーは彼女の真上に迫ると、冷ややかかつ同情心というものをまるきり欠いた声を発した。「君がこの私に何を失わせたかわかるか? 君が己の愚行によって破壊してしまった研究を私がこれから復元するには百年の歳月がかかる。君は私が今まで教えを授ける事に不快感を覚えた中でも最悪の弟子だ。君は私の疫病神You make me sick

「あなたに私を……お許しいただける道はないのですか?」彼女の魂そのものが今まさに砕け散らんとしているように感じられた。

「君の一生涯のうちにその道が開かれる事はない。君は再び歩けるようになったら即刻ここから去れ、そして二度と戻ってくるな」

「待ってください、だめ! そんなことおっしゃらないでください、お願いです!」彼女は彼の外套を掴むべく起き上がろうとしたが、それはただ彼女の顔に一枚の濡れたぼろ切れをグイと押し当てることを彼にさせるのみだった。彼女はもがくとともにもういくらか許しを乞うた、だが最終的にそのクロロホルムによって眠りへと落ちていった。薄れゆく意識の中で、彼女はもごもごと謝罪の言葉を呟き続けそして自身の黒焦げになった手を彼の方へ伸ばし続けた。


永劫のように思われる時間がのろのろと過ぎ行き、狂気がとうとう彼女を完膚無きまでに制圧した。ある日、彼女は自身の寝室からこっそりと抜け出すと、師匠の技術を彼の居ぬ間に再現する最後の試みを行った、自分自身をその被験体に用いて。自らに神が正視することを拒絶するであろうとある忌むべきものによって生成された血清を注射し、彼女がより一層の苦悶の中で地面に倒れると同時に彼女の背から一対の完全に形成された翼が生え出でた。

彼女が自身の得た結果を師匠に見せると、彼は彼女を嘲笑うとともに、彼女が無意味な実験で資源を無駄にしてしまったということを彼女に言った。彼はさらに、彼女は完璧に無価値であると、そして自分の導きがなければ、彼女は絶対に何者にもなれないと言い放つことまでした。ナタリーは自身が彼から地上行きのエレベーターに乗るように強要をされた際に泣くことをしなかった。

彼女の変異が続くと同時に、太陽の光そのものが彼女の皮を剥ぎ落とした。彼女の筋肉組織が剥き出しになりそしてさながら電子レンジの中に閉じ込められたかの如く灼け、彼女はその筆舌に尽くしがたい痛みを止めようと試みるため翔け去って己の身を大海の中へ投げ込んだ。しかし自らの飛行を調整することができずそして何の希望もなく、彼女は諦めた。鋸の歯のようにギザギザとした海底の岩々へと堕ち、そこに押し寄せた波濤が彼女の屍を引き剥がした。

彼女を描いた絵があの廊下に飾られることは決してなかった。

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