生き残るためのオリエンテーション
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やあ、おはよう。目が覚めたのかな。
おっと、そんなに怯えないでほしい。私はあなたの味方とは言い切れないが、敵にするべきではないと思うんだ。
一旦息を吸って、大きく吐いて。肩の力を抜いてゆっくりと伸びをして。はい、とりあえず話だけでも聞いていきなよ。

じゃあ、紋切り型からですまないが、これから生き残るためのオリエンテーションを始めさせてもらう。あなたにとって必要なことだ。

私の名前はダッチマン、もちろん偽名だ。あなたは本名を名乗ってもいいし、名乗らなくてもいい。この宇宙ではあまり意味がないことだからね。では、早速だけどあなたの状況を確認しようか。タイプ確認から始めていくよ、いくつかのパターンがあるけど、順番に確認していくね。

まず、あなたは時間転移者か? つまり、過去や未来から来た人間かってことなんだけど。ほら、ネアンデルタール人とかグレイタイプとか。どっちでもない、ね。了解。

次に、あなたは此処ではない宇宙から偶発的に飛ばされた漂流者か? 何らかの理由で偶発的にこの宇宙とは違う宇宙から生身のまま来た人のことをそう呼んでいる。例えばそうだな、魔法が使える宇宙からやってきて、通信にはカラスを使ってるとか。違うんだね、そんなことができるなら今頃追われてないか。

じゃあ、あなたは転生者なのかな? 漂流者と似てるけど、死や魔法、量子分解など、何らかの方法で身体を失い、こちらで再構成、あるいは他の人の体に入った人。つまりは、元の宇宙の姿ではなく、この宇宙での姿を手に入れ、精神やそれに付随する部分だけが引き継がれた人。……その通りか。

OK、確認を続けていこう。あなたはどういった宇宙から来たのかな、なんでもいい、身の上話をしてくれればいいからね。オーウェルの1984年によく似た世界からの転生者ならテレスクリーンやニュースピークの存在なんかが分かるだけでも互いの理解に繋がるだろ? ……話を聞く限り、この宇宙とほとんど変わりのない宇宙みたいだね? なら考えられることとしては、あなたには何かしらかの異常性があるわけだ。何故かって? あなたが財団に追われていたからだよ。

あなたを追っていたのは財団、とだけ私たちが呼んでいる組織だ。非常に強引で冷徹で陰険、でもそれ以上に有能な組織だと思ってくれればいい。彼らの目的は異常の収容。そう、あなたはこの宇宙にとっては異物なんだ。彼らが本気を出せば、私たちやあなたなんてすぐに捕まってしまう。捕まったあとは分からないが、私の知る限りもう一度会うことはない。

怖がらないで、とりあえず今夜くらいは大丈夫だから。じゃあ、話を戻そう。何か変わった力を持っていたりする? たとえば、鏡の中に入ることができたり、写真の中のものに触ることができたり、あるいは出会う人が全員死んでしまったり。そういうのはない? ……なら、もしかして、この宇宙にはまだ発生していない学問や思想、概念を持ってたりするのかな? ……そう、黙ったってことはそういうことなんだね。そしてそれをあなたは誰かに見せたり、誰かをそれで啓蒙しちゃったりしたんじゃないかな。図星だね。

ああ、そんなに怒ることはない。気持ちはわかるよ。自分の知っていることを知らない人たち、そして自分の知識はそんな人たちの役に立つ。きっと最初は善意から始まった。いや、今も何故こんな目に遭うのか理解ができない。そう考えているだろう。自分の生きていた宇宙では当たり前だったのに、もしくは人の役に立つことをしたはずなのに、あまりにも理不尽だ。そう叫ぶあなたの気持ちはよく分かる。善行は報われてほしいし、正しい人は救われてほしい。そう思うのは間違いでないし悪ではないよ。

 

でも残念ながらそれでは生きていけない。

 

あなたは言うなれば大きな竜巻に巻き込まれ、自分の過ごしていた船から大海原に投げ出されたようなものだ。強大な力は理不尽に訪れ、そして奪っていく。あなたがどれほど善人であろうと、海原では余所者だ。その倫理は意味がなく、海原という世界にとって異物であるあなたたちは、放り出されたら弱いものから死んでいく。いくら船上でマッチを使えたとしても、海の中では湿って点きやしない。あなたはそれに立ち向かう術を持たない。孤独に大海原の真ん中で、日に焼かれ乾いて死んでいくか、襲い掛かるサメのエサになるか、海賊にさらわれて奴隷になるか。

……怒らないでほしい。最初に言ったはずだ、これは生き残るためのオリエンテーションだとね。あなたはまず知る必要があった。あなたは万能の勇者ではなく、大海原を体一つで漂う孤独な遭難者であることを。あなたには知ろうとしてほしい、やってくるだろう困難から目を背けないでほしい、私たちは可能な限りあなたのような存在に生き残ってほしい。オリエンテーションの内容はそれだけで、私たちにできるのもそれだけだ。

私たちは何かって? そうだな、これも例え話になるのだけれども、私やあなたが今乗っているのは世界という海に漂っている救命いかだライフラフト。明日沈むかも、沈められるかも分からない、太陽が昇れば渇きを恐れ、雲を見れば嵐を怖がる、それに乗り合わせただけの遭難者さ。それに過ぎない。

実感が湧いてきたのかもしれないけど、笑ってごまかすのは止めた方がいい。私はあなたの敵とは言い切れないが、味方じゃないんだ。偶然に乗り合わせ、溺れそうになっていたあなたを引き上げただけ。今は確かに生き残ってはほしいけれども、いつか我が身可愛さにカルネアデスの舟板からあなたを突き落とし、海の藻屑にするかもしれないのだから。私たちは仲間じゃない、偶然にも乗り合わせた一人ぼっちの集まりなんだ。忘れてはいけない。

とりあえず、あなたはこの救命いかだに乗り合わせた。あくまでも仮の舟、そこから先を選ぶのはあなただ。船に戻る方法を探すか、それとも陸地までたどり着き、その地で生きることを選ぶのか。救命いかだは、それまでの間くらいならあなたを乗せていられるから。……うん、その選択も間違いじゃない。怒らないさ、私たちに頼らず大海原へ泳ぎだす選択肢を選んだ人も多くいた。私たちはそれに関与しない。出来ないといった方が正しいのかな。私にできることは、あなたの現状を伝えること、その選択は困難を伴うと伝えること、私たちは孤独で弱いと伝えること。生き残るためのオリエンテーションはこれで終わり。

ようこそ、そしてさようなら、また会う日まで。あなたが生きていることを願っている。泣いても仕方がないことだよ。
ああ、私たちの名前も好きに呼んでくれればいい。どうせこの宇宙では意味のないことなんだから。

……もし、もしもだ。あなたが泳いでいく広大な海原で、心折れ、救命いかだを呼びたくなったなら。

鏡に3回ノックすれば、テレビに向かってゴールドスタインを罵倒すれば、カラスに助けてと話しかければ。

ネアンデルタール人と一緒に引き上げへ行くよ。

それだけしか、できないけれどもね。

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