時計の針の二つが上向くころ、サイト-81██にある食堂はにぎわっていた。
ふわりとただよう揚げ物の匂いに思わず顔をほころばせ、足早に食堂に駆け込む訓練終わりの機動部隊員。機械的にサンドイッチを口に押し込め、もくもくと次の任務へと情報を確認するエージェント。
味わうかどうかはさておき人が集まり、飯があれば賑わいが生じるのは道理である。
その賑わいのうちにひときわ目立つ二人がいた。
一人は栗毛の髪色をした童顔の男、一人は黒髪で三白眼の眼鏡をかけた男。
「ねぇ、ボク食べるの飽きちゃった」
「いや、最後の一口だけだろう? ていうかまたお前汚して……」
「え~? でもボクもうおなかいっぱいだよぉ」
口まわりにトマトソースをつけながら栗毛の男、東雲しののめてるはフォークに巻いた分しかないナポリタンを皿の上でぐるぐると巻き続ける。
その東雲の口元をナプキンでぬぐいながら黒髪の男、西條雄介さいじょうゆうすけはため息をつく。
「そうやってすーぐおなかすいた、おかし食べたいっていいだすじゃないか。それに飯前にお菓子を食べるなって俺いつもいってるだろ」
「だってすごくおなかすいて歩けなかったんだよ。仕方ないじゃん」
「その一口食べれなきゃお菓子は抜きだ」
「え?」
「そんなこの世が終わりそうな顔するな。嫌なら食べきれ」
西條の強い言葉に東雲はしぶしぶとナポリタンを口に運ぶ。頭に手をあてながら、西條は昼食後のスケジュールを思い出した。次に行うのは任務の説明会。西條と東雲、そしてあと一人と合流し、大規模捜索活動に加わるのである。
しかし西條は思う。人選ミスでなかろうか、と。自分ひとりだけならともかく、東雲は物探しには不向きだ。また、もう一人と自分たちの相性がいいとはかぎらない。目下のまずいところとしては、その説明会にとっくに間に合わなさそうだということである。
最後の一口も口回りにソースをふんだんにつけながら食べきる東雲は気にする様子もなく、我慢ならなくなった西條は声をあらげた。
「なんでお前はそうやって、いつもいつもおっっそいんだ!?」
「えー!! ちゃんと食べたよぉ、頑張ったのにそれはひどくない?」
約束の時間にこのままでは間に合わない。西條はスマートフォンをとりだして相手と連絡をとろうとし、初対面の人間であることに気が付いた。
彼とコンビを組むようになってしばらくたつ。この一週間をみても、約束をたがえる事態は頻繁に発生していた。もともと几帳面な西條にはとてつもないストレスになっている。しかしこのぐうたらを放っておけば、自分はともかく周りの迷惑になるのはわかりきっていた。東雲をどうにかできるのはコンビを組んでいる自分以外いない。
東雲の口元を無理やりぬぐい、食器を素早く片付けてお礼のあいさつ。眠いとほざいて動かなくなるであろう東雲のことを思えば当然の行動である。
鬼気迫る顔をして彼を呼ぼうと口を開きかけた西條へ、声がかかる。
「すみません。西條さんでしょうか」
物腰やわらかそうな、しかしすこし困ったように眉をさげた男は手元にスマートフォンを握りしめていた。
「ええ、そうですが」
「ああよかった。なかなか説明会にこられないので少し探しましたよ」
「すみません。こいつが動かなくてって東雲、おい、ねるな!」
「ええーねむたいから動きたくない」
「そういう問題じゃない!」
「ははは」
二人より長身の男はいらだっている様子もなく、柔和な笑みを浮かべたまま、西條と東雲を楽しげにながめる。
「ああ、もうしおくれました。俺の名前は落葉章おちばあきらといいます。今回の任務、ご一緒させていただきますね」
PoI-51YO 通称コトヨ。GOCと小競り合いを起こしながらも財団が収容した、神を自称するタイプ・グリーンである。能力は無機物を人へと変化させるというもの。それを用いて他人への思いが詰まった手紙から人を作り、その者だけの街を作るなどといったバカげた計画を企てていたところを確保された。
それまでに手紙から人になったものは数千通にわたり、手紙を人にした場所は割れてはいるものの、人になってしまった以上見つけるのは困難。そこで人海戦術を用いた手紙の捜索が始まることになったのである。
それが事の顛末、そして西條、東雲、落葉に任された仕事の全貌だ。
よく晴れた冬の昼下がり、すっかり冷たくなった空気をほんの少しでも温めるかのように佇む和菓子屋、応治菓子。財団のフロント会社の一つのそこは、今回の作戦に伴って貸し切り。エージェントたちの休憩所としてあてがわれていた。
西條が茶をすするだけなのに対し、東雲と落葉は団子をつまんでいる。口いっぱいにみたらし団子を詰め込んだ東雲の口元はタレでべたついていて、西條は注意をしようとした。いらだちが勝り、湯飲みを少々大きめの音を立てて置く。その様子に落葉が口元に人差し指を当ててたしなめた。
西條がいらだつのも当然だ。任務に合流してから二日目、三人は一枚も手紙を見つけられていなかった。ほかのチームが順調に手紙を回収しているのに、自分たちは成果無し。焦りの一つも見せない東雲に、腹の底が煮えくり返るようだった。
「西條さん、どちらに」
「……トイレ行ってくる」
「かしこまりました。戻ってきたら調査にまた向かいますか」
「ああ、これと次行く場所の確認してもらってもいいか?」
「もちろん」
「はやくかえってきてよね、西條く~ん。ボクもうお団子食べ終わっちゃうよ」
のんきな東雲の笑顔にため息一つを返事代わりにして、西條は席を離れる。あたたかい場所より、頭を冷やす冷たい空気が欲しかった。
冬のトイレは寒い。西條はその一番端の個室で頭を抱える。じわじわと身体と心にある熱が溶けはじめ、そこでようやく大きなため息をついた。熱くなりすぎるのは西條の弱さだ。時折こうして一人にならなくては、自分がどんな存在かわからなくなる気がする。
それもこれも数ヵ月前に知り合い、その流れでコンビを組んだ東雲のせいだ。ぐうたらを見て見ぬふりできぬ西條と最悪なまでに相性がいい。心労がたまるのも仕方がなかった。
嫌な思考を振り払うように頭を横にふり、個室から出ようと扉に手をかける。
「アイツら、まだ一枚も見つけていないって本当か?」
「本当らしいぜ。ったく、面倒な奴らに突っ込まれた奴がかわいそうだよ」
「でもそいつも事情持ちだろ? 対話部門行きだったやつを”東西”と行動させるなんて上も何考えているんだか……」
「しかも東雲……あんな凶暴な奴、表にだしていいのか?」
───またこれか、と西條は宙を仰いだ。
自分は未熟だからまだいい。しかし東雲のことを何も知らない癖に、落葉のことを勝手に憐れむことに冷めたはずの熱が舞い戻る。
だが、仕事の足を引っ張っているのは事実。ここから挽回して見返してやる───西條は個室からでて大股で歩いた。手をさっさと洗い、東雲たちの元へ向かう。まとわりつく視線がうるさい。くすくすと笑う声が耳につく。
嫌な熱を取り戻した心をもてあましながら、西條は騒がしくしている相方に文句を一つ飛ばした。
仕事の時間だ。
捜索計画を組まれたときに配られたリストにあった手紙はほかのチームが見つけてしまっている。リストの製作には監視カメラ等の解析に時間がかかるらしく、次のリストが来るのは数日後。一つも成果を上げていない西條たちは休日にあたる時間を捜索にあてることにしたのだ。
そして偽りの身分証、名刺を手にし向かったのが、この町で唯一の中高一貫の学校である。先日中等部で陸上部が全国大会出場を手にしたとのことで取材をさせてほしい、というのが三人にあたえられたカバーストーリーだ。
記者として西條と東雲、カメラマンとして落葉という役割分担をし、三人は学校へと調査へ向かった。
陸上部の取材をしにきた、とのカバーストーリーのため、学校内の様子や部活動の内容を聞きながら校庭へと向かう。強豪校の一つであるこの学校は取材になれているらしく、スムーズに取材は続いていく。だがこれはあくまでカバーストーリー、自分たちの目的は手紙についての情報だ。
手紙から人になった者たちの特徴として、宛先の人間に姿を変えたことがPoIからの情報で明らかになっている。同じ人をみたという噂話などを頼りに探すしかないのだ。
グラウンドで生徒たちに挨拶をして、西條と東雲は取材を、落葉は撮影を開始する。
「悪いな、森落葉。任せてしまって」
「いえいえ、構いませんよ。先生や生徒たちからお話を聞くのはお二人のほうがよろしいでしょうから」
「そうか? お前の方が得意なように見えるが」
「そんなことはありませんよ。以前このようなことをしても、少ししかやらせてもらえませんでしたからね」
「そうか……。復帰途中で俺ら二人と組むなんて災難だったな」
「そんなことはありませんよ。いろんな方と仕事ができるのはとても楽しいですから」
落葉はにこりと微笑むとカメラを抱えなおす。西條はこの復帰途中だというエージェントの実力を図りかねていた。比較対象として東雲を選ぶのもおかしいが、それとくらべてどうにも心に一つ問題を抱えたような人にはどうにも見えないのである。仕事もきちんとこなすし、少々優しすぎるきらいがあるが東雲の面倒も見れる。とてもじゃないが対話部門に世話になっているようには思えなかった。
しばらく見られていることに気が付いたのか、落葉は苦笑した。
「大丈夫、ちゃんと仕事はしますよ。写真ついでに聞いておきます。ところ宮沢西條さん、沢村東雲さんをあのままにしてよろしいんですか?」
「は?」
落葉の指摘に西條が振り返れば、生徒と楽しげに話す東雲。舌打ちとともに走りだせば、校庭の土埃が笑うように舞った。
問い詰めてくる西條から逃げた東雲が、中学生に駆け寄る。「帰り道一緒に帰るって約束した」と話を勝手に取り決めていた東雲に、西條は少しめまいを覚えた。
肝心な情報は落葉のとった写真以外にめぼしいものはない。大変不服ではあるが東雲が約束を取り付けた中学生から話を聞くしか、言葉としての情報は得られなさそうだ。気に食わなかったが、普段役に立たない分、この状況は役立たせてもらいたい。
「えーと、ミヤザワくん。こっちがキコちゃん」
「寺山希子てらやまきこです! えと、仕事早めに切り上げてもらってごめんなさい……」
「いいや、こちらこそうちの沢村が無茶いったみたいですまないな」
「ちょっとそんなこと言わないでよ~! キコちゃんが一緒に話しながら帰りたいっていってくれたんだよ。その言い方はなくない?」
「事情がわからなければ、中学生と帰る不審者A、B、Cなんだよ俺たちは」
「いたい! ほらみたキコちゃん、ボクにすんごい厳しいんだよ」
「ほんとだ! ほんとにデコピンした。こわ~い」
「お前……なに話してんだ」
「暴力反対、的な? こわ~い。さ……ミヤザワくんこわ~い」
「この野郎」
西條がにらむと、東雲はやはりけらけら笑いながら寺山と呼ばれた少女の後ろに隠れる。大人としてそれはどうなのかだとか、さっき本当の名前いいそうになっただろうとか、叫びたいことが山ほどあふれて結局ため息へ変化した。これで何度目だと呆れる西條の思考をよそに、子どもみたいになって一緒に盛り上がる東雲。
軽く死んだ目で東雲を眺める西條に、落葉が肩を叩く。
「宮沢さん」
「あ、ああ、森か」
「お疲れ様です。写真、ちゃんと撮れていました」
「そうか、ありがとう。沢村に手を焼かれてまた何もできないところだった」
「いえいえ、このくらいどうということはありません。……あちらにも通しておきましたので」
落葉はにこやかにそう告げる。写真に不備はなし、解析に送ったのであればあとは待つだけ。それから一枚でも手紙が割り出されれば御の字。西條の必死の頼み込みで、早めに解析にまわしてもらえることになっている。なかば祈るような気持ちではあるが、一つでも情報提供できたのであれば、と西條はすこし肩の力を抜いた。
「やっぱさむいなー。肉まん食べたい」
「おっ、いいねえ。頑張ってるキコちゃんにお兄さんが買ってあげよっか? ついでにココアもつけてあげよう」
「あはは、大丈夫だよ! ちゃんと自分で買うってば」
大きく手を振って屈託なく笑って断った寺山に、見事に先輩風を吹かせ損ねた東雲が唇を尖らせる。西條が呆れて口を挟もうとすると、はたと何か思い出したように寺山が首をかしげた。
「あ、肉まん食べたいっていえば七不思議……」
「え、なにそれ。そんな中華みたいな七不思議が学校にあるの?」
「ううん、副部長がね。肉まん食べたいっていってたからつい思い出しちゃって。その前にね、七不思議が追加されたとかされてないとかみたいな」
「新七不思議ってこと~? めちゃくちゃ面白そうじゃん。どんな感じの話?」
冷えて少し顔を赤くした寺山が脈絡なく告げた七不思議という単語。西條は顔には出さぬよう歓喜した。これは新たな情報かもしれない。いつもは役に立たない東雲が、本当に役立っている。
そして、次の言葉でそれは確信に変わった。
「なんか、学校にドッペルゲンガーがでるんだって」
「よくやった東雲。今回ばかりは褒めて遣わす」
「やったー! じゃあもう寝ていい?」
「それとこれとは話が別だ! そんな暇はない。作戦会議をするぞ」
「ええ……」
「まあまあ、お二人とも。寒い中お疲れさまでした。いろいろ買って来ましたのでとりあえずどうぞ」
「お前、いつの間に」
「ははは、夕飯作ることも、店による余裕もなさそうだったので勝手にさせてもらいました」
「ココア! ボク、ココアがいい!」
三人は与えられたセーフルームのストーブの前で手を温めていた。しかしここ数日めぼしい成果がなかった中、ようやく手に入れた手紙の情報である。赤くなった頬が寒さ以外のもので赤くなるのもしかたない。
かじかんだ手や寒さがようやくやわらいだ頃、西條はブラックコーヒーを飲み干し、カンッと音を立てて机に置く。
向かうは備え付けられたデスクトップパソコン。セーフルームに備えられたそれは秘匿回線により、サイトとの連絡や情報収集に用いられる。今回向かった学校の情報を今一度確認し、手紙の確保へ向かうのだ。
「あの学校はこの町唯一の中高一貫校。十年前から部活動に力をいれはじめ、ここ数年で全国大会までこぎつけた……。ここまでは先ほども調べた通りだ」
「そしてドッペルゲンガーが学校内で出る……ですか」
「キコちゃんの話だと副部長が一年生の時の部長さんがいってたらしいから……えっと何年前?」
「今頃だと副部長は二年だろうから、一年前か……。手紙の時期とはかぶっているか?」
「一応かぶってますが……何月かにもよりますね。彼女の影響範囲は大きいですから、手紙かどうかは」
「本当にドッペルゲンガーかもしれんからな。そっちの準備もしていくべきだろう、よし」
西條がパソコンをスリープ状態にし、立ち上がると東雲が困惑したように声をかける。
「待って西條くん。今から準備するの?」
「当たり前だろう。これから向かわなくてどうする」
西條が振り返れば、席から動く様子のない二人がなんとも言えない顔でこちらを見つめていた。東雲は唇をとがらせていたし、落葉は少し困ったように缶コーヒーを握りこんだ。
「なんだ、やる気がないのかお前たちは」
「ちがうよ西條くん。今は休む時ってだけ。落葉くんが買ってきたご飯食べようよぉ、ボクおなかすい───」
「───お前のせいで何もできなかったのに?」
すっかり暖まった部屋に、冷たい声が広がった。険しい表情をした西條は両手を握りこみ、東雲に詰め寄る。
落葉が止めるより、はやく東雲が音をたてて椅子から立ち上がり叫んだ。
「落葉くんが撮ってくれた写真からはっきりした情報がでたわけじゃないじゃん! だったら待ってようよって話! 西條くんならいつもそういうよ、やっぱり休もうって……」
「お前がこうして俺を心配できるくらい、いつもしっかりしていれば話は変わっていただろうが」
「それは、そうかもしれないけどさあ」
「今回の情報を手に入れたのはお前の手柄かもしれないがな、何回だって手紙を確保するチャンスがあったのにお前の気まぐれで全部台無しになった。全部だぞ、全部! 落葉とて復帰途中だし、俺は必死になって任務を成功させようとしてるのに、お前は、東雲、お前ってやつは……!」
西條から、今までため込まれた怒りがどろどろとあふれだす。早く、早く手紙を見つけなければいけないのに、どうしてこんなに東雲が止めるのかが全くわからなかった。
「ごめん! ごめん、謝るからお願い落ち着いて!」
「俺は落ち着いてる!」
「どこがだよバカ!」
パン、と手を叩く音。掴み合いになろうかとしていた西條と東雲はハッと離れ、音の発信源である落葉をみる。手をそのまま小さく握った落葉は、口の端をぎこちなくあげた。
「あの……ごはん食べませんか?」
落葉は二人が静かにおにぎりの包みをあけるのをみて、さてどうしたものかとすっかり冷えたコーヒーを飲み干した。ケトルで湯が沸くには時間がある。味噌汁や暖かいお茶をいれるにはまだ時間がかかりそうだ。後輩にあたる二人の気持ちを落ち着かせるためにも、ケトルには少々時間稼ぎをしてもらいたい。
落葉は缶コーヒーをコトリ、と机の端に置いた。
「お二人の意見を聞いて考えた事ですが」
先輩面するような感じであまりしたくないんですがね、と落葉は手を組む。
「西條さんのいうことはもっともです。東雲さんが、もう少しというときでマイペースに行動して何枚かの手紙を取り逃し、ほかのチームにとられたことはその通り」
「え、でも……」
「ええ、東雲さんのいうことも正しい。手紙である可能性は高いでしょうが、それだとしても俺たちが踏みいれている神秘がいつ牙をむくかはわかりません。情報を待つべきなのは確かです」
「いや、しかし……」
「そして、今から任務に向かうのはやめておいたほうがいい。上に報告を上げていないでしょう。一応言っておきますが、解析の進行確認がてら報告しておきました」
ご安心を、と最後に付け加えられ、にらむような雰囲気に二人は尻込みをして、目だけで相方をみる。落葉の真っ黒い瞳はそんな二人を写し、そして細めた。
「新人でありながら実力を認められているのも、期待に答えなければならないということもわかります。ですが、我々の信条を忘れるのはいけない。あくまで俺たちは異常性のあるものを確保、保護をして、収容しなくてはならないんです。この任務がいくら”後始末”だからといって焦ることも、油断をすることも許されてはいないのは重々承知でしょう」
「俺が、焦ってると?」
「ボク、油断してる?」
「いいえ、逆です」
「「逆?」」
声が重なり、西條と東雲は互いを見る。その様子に落葉は微笑んだ。
「大丈夫、お互いのことはよく見られています。あとは口に出すだけです。あとは、そうですね」
ケトルからカチッと音が鳴る。西條が取ろうとする前に落葉がケトルを取り、自分の湯飲みに注ぐ。いつも自分のことを後回しにする落葉の珍しい行動に、二人はあっけに取られた顔をする。
落葉が西條にケトルを渡す。震える手でわたされ、思わず西條ははじかれるように落葉の顔をみた。
落葉は血の気の引いた顔をして、かたかたと身体を震わせていた。
「もう少し、お互いを信用してみてください」
息を飲んだのはどちらだったか。言葉を転がした男は痛いほどの静寂を受け止め、少し悲しそうに笑う。
「俺みたいになる前に」
そうして、落葉が震える手で湯飲みに口をつけるのを、二人は黙って見つめた。そうすることしかできなかった。
飯を食べたあとも、解析結果が来る様子はなかった。解析にいくら早くまわしてもらえるからといって時間はかかる。交代で連絡が来るのを確認し、仮眠をとることを落葉が提案すると、二人は曖昧に返事をした。
交代の順番は落葉、西條、東雲の順番である。もちろん西條は、落葉と変わろうと考えた。あんなに顔色を悪くするくらい、自分が苦しくなるようなことをいわせてしまったのだ。先に休んでもらった方がいい。そう提案しようとして、東雲が服の裾を少し引っ張ったので、やめた。
落葉も意図してこの順番を提案したのだろう。であれば、自分は向き合わなくてはならない。煮え切らないし、いいたいことはある。互いに何かを話さなきゃならないのはわかっていた。今は落葉より、東雲。西條が意を決して振り返れば、目の前に東雲の顔。危ないと思うよりもはやく、鈍い音をたててぶつかった。
「いっ……!」
「いたい! も~急に振り返らないでよ西條くん!」
「お前こそ先に声をかけろ! これだから、ほんと……いや、そうじゃあ、ないな」
「……うん、そうだね」
ベッドの上で互いに胡坐をかいて向き合う。西條がなにか言うより早く、東雲が手を前についてほぼ叫ぶように切り出した。
「西條くん、あのね!」
「……おう」
「あのね、ボク、西條くんに、やすんでほしかった」
「や……?」
気のない返事の西條に、さっきよりずっと顔を近づけた東雲は叫ぶ。
「ボクがだめなやつなんていうのはわかってる! 銃しか取り柄がなくて、頼れないのはわかってるけど……けれどボクらってコンビじゃないの」
「それは」
居心地の悪い無音。
東雲は信用するべき仲間であるのか。コンビを組んでから彼を信用したことのほうが少ない。むしろ必ずなにかしでかすことばかりである。
「───でも、お前はいつも、俺を困らせて」
ずる、と言いたいことが口から滑りだす。よくないとわかりながら、西條は自分を止めることができなかった。東雲は身体を小さくして、頷く。
「うん、ごめん」
「なんども直せっていってる」
「うん」
「俺は、俺は……そんなに、そんなにできないやつか?」
「そんなことないよ。ボクよりずっとできる自慢の相棒」
「相棒? 俺たちが?」
西條がうつむきがちのまま、鼻で笑う。
「相棒ってボクはずっと思っているよ。いつもいってるじゃん」
いままでにないくらい真剣な声に、西條は東雲の顔を目だけで見上げた。緊張した顔の東雲に、思わず身体を固くする。
ふいに東雲が西條の手を取った。その手は温かく、ほんの少し汗ばんでいる。
「本当に、俺らは相棒になれると思うか?」
「ボクはそうなりたい。ふたりで最高のエージェントになりたいとおもってる。西條くんとならなれると信じてる」
「は、」
乾いた声が西條から飛び出る。笑いとも呆れともつかない、力ない返事は冬の冷たさがわずかに滲む部屋にとけた。
東雲は本気だ。その感覚だけが西條の体に毒のように回っていく。東雲の思いと自分の感情におぼれてどうにかなってしまいそうだった。笑い飛ばせればよかったのにそれができない、苦しい。
「西條くん」
西條が眼鏡をとり、片腕で自分の目を覆う。湿っぽいのはどうしてなのだろう。東雲が慌てる気配がする。こんなことをしている場合ではないのに。
「西條くん……」
「……どうして」
震える声で西條は東雲に問う。
「どうして、そんなに俺を信用できる?」
「だって、一番にボクのこと考えてくれるでしょ?」
西條は声をかみ殺すようにして泣いた。東雲の手が西條の頭を撫でる。わけもなくこぼれる涙が二人の間に落ちた。
そうしてそのままふたりは眠った。答えが宙ぶらりんのままだが、これでよかったのだという感覚が二人にはあった。
わからないけれど、ふたりでいたいということはわかったのだから。
朝日を前に三人はそれぞれ目を細めた。道路を吹き抜ける風にジャンパーのフードを攫われる。嫌になるほど冷たく静かな町を三人は歩く。西條を先頭に、彼らは学校に向かっていた。
結局その夜に連絡はなく、朝になって写真の解析が完了。そして、朝礼の際にリストが配布。情報を照らし合わせると、学校内に手紙があることがわかった。
その手紙は、寺山希子と名乗った少女だった。
「……ねえ、西條くん。この情報って本当? 本当なんだよね?」
東雲が西條に問いかける。信じがたいようなそんな声色だった。一番彼女と仲良くしていたのは東雲だ。ドッペルゲンガーの話をしてくれた人を疑いきることができなかったのだろう。
「解析に間違いはない。数値、状況証拠をみて考えた結果でもある」
「状況証拠って?」
「あの子が一度でも水を飲んだところを見たか」
「あ……!」
「……俺も偶然かとおもったがな」
PoIが人に変化させた物を元に戻す方法は二つ。PoIが触れるか、物として致命的な行動するかである。
手紙は濡れてしまえば手紙としての機能を失う。そのため彼女は水分補給ができなかったのだろう。思えば、ココアの話をしたときに断っていたのもそのせいだったのかもしれない。
人としての行動が制限されている世界はどんなものなのだろうか、西條は少し考えて忘れることにした。アノマリーは確保対象。そのことを忘れるまいと決意を新たにする。学校はもうすぐだ。
西條が上に話を通したためか、学校内の人払いはもうすでに終わったようだった。冬休み、早朝の学校とはいえ何が起こるかはわからない。
彼女は学校にいる、というのがデータ解析の示す結果だった。彼女は帰るふりをしてそのまま学校に戻るという行動をここ3か月続けて行っていたことがわかっている。その様子に学校関係者が気が付いた様子はなく、また騒ぎ立てるようなことはしていない。有村会の関与も疑われている、十中八九PoIによる工作だろう。
西條、東雲、落葉の順で校門の前に並んで立つ。軽量型EVE観測器を西條が持ち、学校内を探索。対象を発見次第確保、というのが今回の任務だ。観測器を最初から配布されていればいいのだが、いかんせん貴重であり、個数が少ない。確証を持てない限り持ち出せないのが難点であった。クリアランスが一番高い西條に託された観測器は微々たるEVEを感知しているらしい。ちらと機械を一瞥したあと、西條は東雲と落葉に向かっていう。
「対象を見つけたら誰が一番最初に追う?」
「俺がいいでしょう。人を追うことは得意です」
「じゃあどこに追い込む?」
「屋上前の扉、とか?」
「三人で囲う……か。東雲、いざとなったら銃を持ってもいい。だが今回撃つことは全部マイナスだ、と言っておけ。ただし、俺の指示で発砲許可を出したらそれは得点にしてやるとも」
「えーできるかなあ」
「できるかなあ、じゃない。やれ」
「……失礼。言っておけ、とは?」
西條と東雲の当たり前のようでいて意味深な会話に、落葉が割り込む。
「コイツが銃を持ったら話が通じなくなるんでな、最初にこう言っておかないとむやみやたらに壊すから」
「銃持ったらもう一回いってよ~? ボクも自信ないんだから」
「……なるほど」
落葉が首をかしげると西條が苦く笑う。
「なんだ、二重人格みたいな感じだよ。本当に手がつけられないからあんまり話さないほうがいい、あと俺からも離れるな。あいつに撃たれて死にたくはないだろ」
「ひどい。殺してはいないじゃん」
「けがはさせたろうが」
「あれは模擬戦だも~ん。本気出さないほうが失礼だし訓練じゃないじゃん」
「それはそうだがな……何笑ってるんだよ」
落葉が肩を揺らしている姿をみて、じゃれるようにしていた西條と東雲は顔を見合わせた。落葉は首を横にふると安堵の表情をそのまま二人に向けた。
「いいえ……大丈夫ですよ。それより探索にまいりましょう。時間は限られています」
「あとで話してくれる?」
「終わったら話しますよ。それよりも任務成功だけに切り替えてください。成功しないと話もできなくなりますよ」
「……うん」
表情を曇らせながらも東雲は前を向いた。西條はその様子を確認し頷く。落葉はほほえみ、西條の指示を促した。
「アノマリーの収容探索を開始する。いくぞ」
校舎の外は空振り。校舎に入って二回に上がると観測器の数値が跳ね上がる。彼女がいる。三人は目くばせをして階段をのぼれば、踊り場に一人の少女がしゃがんでいるのを見つけた。
「……キコちゃん」
それは確かにあの日道端で別れた時のままの寺山がいた。はじかれたように顔をあげた彼女は三人を目視すると、一目散に逃げ出した。
「落葉!」
西條が叫び、落葉が追いかける。生徒と思わせないほどの速度で階段を駆け上がる寺山に、落葉も続く。
あっという間に二人の姿は小さくなる。ここまでは話の通りだ。落葉はこのまま屋上まで追いかけることだろう。
西條と東雲も階段を駆け上りながら、目くばせをする。西條が頷けば、東雲は目にも止まらぬ速さで銃を抜き取り、歯をむいて笑った。
「ユースケ、あれって何点?」
────銃を持った東雲に近づくな。
そう新人エージェントたちの間で噂された男は、正しくこの場にいた。
東雲の嘲るような声に、西條は眉をひそめる。
「撃ったら減点だ。俺がよしというまで撃つな」
「はあ? つまんねえこというなよ。ボクがいるのに撃つなって?」
「俺が得点先を指定する。とびきり難しいやつにしてやるよ」
「キミの課題はいつだって簡単なもんばっかじゃねえか。たのしくなあい」
「ああ、自信がないって?」
「そんなわけねえだろ。馬鹿にしてんのか」
怒気を発した東雲を一瞥し、西條はさらに駆ける。話すつもりはないその態度に東雲が唸り、グリップを強く握りこむ。あおられたのが気に食わないのか東雲は西條を追い越していった。廊下へ飛び込むようにして消えたあと、二つの銃声が鳴り響く。窓の割れる音、あがる短い悲鳴。
「東雲ッ!」
「うるせえ! 動けなくしてやったんだ文句いうな!」
追いついて視線を向ければ、地面に倒れ伏す二人。寺山に覆いかぶさるようにしていた落葉がゆらりと起き上がり、振り返り困ったように笑った。
とっさのことではあったが彼女に追いついた。
東雲の考えに気が付き、思わず西條が舌をまく。こいつはそこまでわかっていたのか、と。
「寺山さん、大丈夫ですか」
「……へへ、手を押さえつけられてなければ?」
「申し訳ありません。あまり乱暴にするつもりはなかったのですが」
もがく寺山を落葉が抑え込む。西條が観測器をもって近寄れば数値が跳ね上がる。手紙であることを確認し、詰めていた息を西條は吐き出した。
その様子を少し後ろでみていた東雲はつまらなさそうに床を蹴り、銃をしまう。出番はこれまでといったけだるげな表情が、銃から手放すとはっとした顔に変わる。焦ったように走って西條の隣へとむかった。
「ごめん、西條くん! おわった?」
「ああ、確保はな」
西條が支給されたスマートフォンを取り出し、アプリを探す。画面に数秒のミーム昏倒エージェントを流すそれはこの場で適切だ。落葉は寺山を抑え込んでいて手を離すことはできない。
ようやく、ようやく成果をあげれると思ったその時。
一陣の風が四人をさらう。
そして東雲が撃った窓から吹いた風で、寺山が浮いた。
「は、」
落葉が抑え込んでいる手元以外がふわりと浮いていた。まるで風に飛ぶ紙のような異様な様子に西條と東雲は固まる。手放すまいと抑え込む落葉には冷や汗が滲んだ。
「─────」
何事かつぶやいた寺山が振り切るように廊下を蹴る。ズダン、と重い音を立てた踏み切りに耐えきれず、考えられない衝撃に落葉は手を放してしまった。
「西條さん!」
「待って! 待ってよキコちゃん!」
「くそ、逃がすか!」
風にのって駆ける彼女はみるみるうちに遠くなる。まるで紙が風に攫われるような動き。三人がいくら走ってもその距離は詰まることはなく。
東雲が再度銃を握ったそのとき、彼女は非常口のドアを蹴り飛ばしそのまま外に飛び出す。
舞う寺山と雪。とっくに上にあがった太陽が雪まじりの雨を照らし、寺山を濡らす。
雨に濡れた場所から人の形が溶けていく。魔法を自然が解いていく。底抜けに明るい笑い声。楽しそうなその声は子どもだった。
西條が追いついたとき、濡れた小さな手紙がぽとりと足元に落ちる。雨と雪が顔に当たるのをためらわず、手紙を拾えばまるっこい字が滲んでいた。
『来年も走ろうね』
報告をあげ、三人がセーフルームに戻ったのは夕方だった。 手紙を回収することはできた。しかし東雲が壊した窓や弾の回収の報告とお叱りに午後を費やし、全員へとへとだった。
「やっぱり銃持たせるんじゃなかった……」
「いいえ、あの場ではあれが最善策でしたよ。あ、お茶どうぞ」
「あ、ミルクティーある?」
「ありますよ、どうぞ」
ぱきり、とペットボトルの蓋を開ける音が三つ。ほっと息をつく西條と東雲に落葉は微笑む。
しばらく黙ってお茶を飲んでいたが、ふいに西條が口を開く。
「あれでよかったよな?」
そういってペットボトルを見つめたままの西條に、東雲と落葉は顔を見合わせる。落葉が小さく肩をすくめると東雲はにんまりと笑い、西條に飛びついた。
「もちろんだよ西條くん! ボクを頼ってくれてありがとう!」
「バーカそんなこと言う流れじゃないんだ」
「嘘だあ! 絶対そんな流れだったよね!?」
「絶対違う! ていうか離れろ暑苦しい!」
離れろ、離れないとじゃれるようなやり取りを再開させる西條と東雲。相棒がなんだ、コンビがどうだとか小競り合いのようなそれは確実に前ではしなかった会話だ。
騒ぎに巻き込まれぬよう落葉は少し離れた位置でソファに座り、目を閉じる。思い出すのは和菓子屋で団子をつまみながら東雲を話したときのこと。
西條がトイレに向かっている間、東雲が真剣そうに落葉に見上げた。
「あのね落葉くん、手伝ってほしいんだけど」
「はい、なんでしょうか」
「西條くんを休ませるのを手伝ってほしいんだ」
「……休ませる、ですか」
落葉が言葉を繰り返すと、東雲は頷く。
東雲曰く、この任務前から西條は働きづめ。さらにいろんな人に世話を焼いてしまうから休む暇もない。ずっと動いているものだから正常な判断ができていない、と。
「ボクだけでも大変なのに、落葉くんにも世話焼くでしょ? 落葉くんは確認する前に終わらせちゃうけど」
「ええまあ、そうですね」
「落葉くんはボクらより経験あるし、引き際もちゃんとわかってるじゃん。それにボクだけじゃ西條くんは話聞いてくれないし」
「それで、俺に手伝ってほしいと」
「そゆこと」
そうして頬を膨らませた東雲はぐちぐちと西條に対しての文句を言った。大体は東雲のせいではあるのだが、西條のことを彼なりにも気遣っている様子も見て取れた。
不器用な二人のやりとりに、落葉はちらと昔を思い出す。まだ彼が対話部門に世話になる前の記憶。別の人とコンビを組んで仕事をしていたあの頃。
甘い夢のようで、傷を見返すような記憶に落葉は眉を顰める。ここで動けなくなるわけにはいかない。しかしこの二人に自分たちのようになるのはいただけない。
「なるほど、であれば手伝いましょう」
落葉のやわらかい返事に、東雲が目を輝かせてそして困惑するように顔をしかめる。
「だいじょうぶ? 落葉くん、無茶はいやだよボク。西條くんが一番だけど、キミに無茶してもらいたいわけじゃない」
よっぽどひどい顔をしていたのだろう。落葉は無理やり口角をあげ、手の震えを無視する。
「はは、少し無茶させてください。俺はあなたたちが俺らのようになるのはみたくないんです」
そこまで思い出したところで、肩を揺さぶられる。
「こんなところで寝たら風邪ひくぞ」
「やめなよ西條くん、落葉くんめちゃくちゃがんばってくれたのに~」
「それとこれと話が違う。身体は資本だ」
落葉が目を開けばあった時と似たようなやりとりとしながら二人。半分眠っていたのだろう、動かない頭で口を動かす。
「いいコンビですね、おふたりは」
寝ぼけた落葉のうわごとに、二人の視線が降り注ぐ。しかしこうでもしなければいうことはできないだろう、と落葉は苦笑した。
「どこまでも走っていけますよ」
あの子もそういってました、と口ごもるようにいうと再び目を閉じる落葉。ほどなくして規則正しい寝息に変わる。
落葉の言葉に唖然と二人の顔はじわじわと赤くなった。昨日の会話をきいていないはずだと西條は首を横に振る。
「……どこまでわかられてたのかな」
「さあな」
そこまでいって二人は耐えきれなくなるように、笑った。