追加実験
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サイト管理官富岡は努めて冷静を保とうとしていた。

やっと取れた長い休暇だった。妻と自宅で映画でも見てゆっくり過ごそう、そう考えていたのだ。
子供達も出て行き少し寂しさもあるが、それでもこの家こそが彼の安心の象徴だった。
その安心が今、危機に瀕している。

ドアがノックされているのだ。

「開けてください、開けてください」

声が聞こえる。深夜二時にだ。

ドアの向こうに、確かに何かがいる。
だが、玄関前のセキュリティカメラは誰も居ない玄関前を映している。

「落ち着け、落ち着け」

富岡は自分に言い聞かせるように呟く。
プライベートでの異常との遭遇という珍しい案件が、まさか自分に降りかかるとは。
マニュアルを思い出す。そう、こういう場合はまずは管轄のオペレータに連絡だ。
サイト管理官が別サイトのオペレータに連絡を取るのもおかしな話だが、ルールはルールだ。
彼はゆっくりと専用端末の緊急通報コマンドを入力する。
コール音が鳴り終わらない内に、明朗な声が聞こえた。

「はい、こちらサイト81KA-B、オペレータ黒谷です。どうされましたか」

「管理官の富岡だ。自宅休暇中だったんだが、異常に遭遇している。玄関をノックされて、開けろという低い男の声が聞こえているんだが、カメラに姿が映っていないんだ。…ノックの音が早くなっている気がする。至急調査と対応を頼みたい」

「承知しました。まずは私のクリアランスで確認します…ヒット、多分これですね。SCP-1571-JP担当研究員に非常連絡を入れました。情報共有してまずは異常が一致するか確認してみます…が、うーん。」

はきはきと答えていた黒谷が一瞬口ごもる。

「どうした。何か問題でもあるのか」

「いえ、問題はありません。あくまで私の見れる範囲ですが、このオブジェクトは実害は無いようです、ただ…おっと、非常連絡が繋がりました。」

一瞬の通信の乱れの後、三人目が通話に入ってきた。

「遅れてすみません!異常性について情報共有を受けましたがまずSCP-1571-JPで間違いありません、いやー待ってました!やっと実験の続きが出来る!富岡管理官殿、あなたの遭遇している異常は年に数回、ランダムな家で発生する収容不可能な異常です!まず断言します、ほとんど実害はありません!一時間以内に管理官殿は解放されます!ただし、異常性が発生した時点で玄関扉は外部から干渉不可能となるため、こちらからの増援等はあまり意味がありません!」

「なるほど、ただ中で待っていれば良いんだな」

「そうともいかないんですよねぇ!」

富岡は電話の向こうの研究員が満面の笑みを浮かべている気がした。

「無害な異常ですが、その発生の希少性故に我々は満足にSCP-1571-JPに関する実験を行えていないのです!故に管理官殿には、こちらの指示に従って出来る限りの追加実験を行って頂きたい!」

一財団職員として予想された答えだった。
異常に遭遇した場合は可能な限りそれを調べるのが財団だ。それでも、実験には相応の危険がつきものだ。
富岡は深呼吸する。妻を巻き込んでしまうが、覚悟を決めなければ。

「解った。何をすれば良い?えーと」

「研究員の間宮です、ありがとうございます!ではSCP-1571-JPのデータとこれからの異常の行動予想を送付しますので、確認してください!」

端末にSCP-1571-JPのデータが送付される。一読し、確認の為再読し、そして富岡の力の無い声が漏れた。

「この、これは正気か?その、アレはただの脱糞しそうな霊的実体か何かなのか?」

「正気も正気です!霊的実体かどうかは不明ですが、どのみちランダムな遭遇ではそれを確かめる機材の準備なんて出来ませんからね!」

「にしてもだ!その、この異常に追加実験なんぞ必要なのか?脱糞しそうな何かの為に?」

「管理官殿、SCP-1677-JPの事例はご存じないので?借金取りを召喚するだけの異常な債権が、財団にもたらした成果を?」

「…あぁ、聞いているよ。どんなにしょうもなさそうでも異常は異常…そうだな、解ったよ。意味が無くても、後から意味が見いだされることもある。思い出したよ、私もかつてしょうもない異常の追加実験が通らず、枕を濡らした事があった。実験に協力する。必要な事があれば言ってくれ。」

「ありがとうございます!ではこれから実施したい実験と必要な物資を確認しますので、ご自宅にそれらがあるか確認してください!」








「十字架は妻のアクセサリーがあると思うが…仏像なんかないぞ」

「神棚は?まずはメジャー宗教への反応が無いか確認しましょう。」

「解った、神棚を移動させれば良いんだな。バチが当たらんかな」

「後で専門の祈祷要員を派遣します。あと、ビニールのプールか桶のような水を張れるもの、それにホースはありませんか?玄関に設置したいのですが」

「子供たちが遊んでいた古いのがあるかもしれないが、何のために?」

「扉を開けさせるという行為は吸血鬼伝説のそれを彷彿とさせます。非実体なのに玄関を通り抜けられない縛りがあるなら、同様の縛りで流水を渡る行為も出来ない可能性がありますので」

「なるほど、探してみるがタイムリミットは45分程度なんだろう、後30分しかないんだが」

「そこを何とか急いでください」

「どうしたの?何、これは」

突然、背後から妻1の声がした。騒音で起こしてしまったようだ。

「江美、財団の仕事だ。滅多に起きない異常がこの家に起きているんだ、今から追加実験を行うらしい。すまんが…」

大きくため息をついて、寝間着の彼女は苦笑する。

「謝らなくて良いよ、千載一遇の機会なんでしょ?せっかくの休暇なのに、ほんとに運が悪いのね。報告書見せて、手伝うよ」

「そ、それなんだが…」

報告書を一瞥し、富岡の妻、富岡江美は更に大きなため息をついた。

「あなた、くだらない異常を引きすぎじゃない?」








異常性の終了まで、残り10分。ようやく一通りの実験体制が整った。
玄関を叩く音はもはや家鳴りのそれになった。一般人が恐怖を抱く為、これまで扉が開かれなかったのも良くわかる。

「カメラの準備は出来ていますか?では、早速やっていきましょう。SCP-1571-JP、追加実験01、玄関解放、開始してください!」

富岡はゆっくりと玄関に近づき、異常と自らを隔てるドアの鍵を、開けた。

「ノックは続いている。入ってくる気配が無いぞ」

「了解、招かれないと入れないタイプですね。では、招待をお願いします。それがだめなら玄関の開放を」

「解った。…どうぞ」

途端に、ドアが弾ける様に開かれた。
人のモノとは思えない咆哮を上げながら、透明な何かが確かに富岡の横を通り過ぎる。
玄関口に置かれた小さなビニールのプールを何かが踏み抜き、水が大きく跳ねる。
あぁ、真一2が良く遊んでいたプールがこんな風に使われるなんて。

「第一段階、流水への抵抗、なし!第二段階、メジャーな宗教を想起させる物品についても反応なし!」

「了解!水しぶきがあったという事は非実体のくせに物理的な抵抗を受けるわけですね、ならこれは…?」

「第三段階、物理バリケードは突破出来ず、構成してる物体を一つずつ撤去している模様。
後、咆哮に一部『なんだよこれ』と聞こえる箇所があったような気がする、後で音声データ確認してくれ」

「了解しました!おお、タンス…はてこずってますね」

廊下を塞ぐように積み上げられた戸棚や椅子、タンスの群れが、さながらポルターガイストのように一つずつ空中に浮いては地面に下ろされていた。

「タンスは二人がかりで持ち上げたからな、奴は成人男性一人ぐらいの力しか無いかもしれない。いや、隙間が出来たな、第三段階突破!」

「第四段階、銀製品や鉄製品…はスルーですね!」

「江美、大丈夫か!」

「こちら江美ですが、トイレのドアが凄い勢いで叩かれています。報告書の30分の段階と同じ現象がトイレのドアで起きているようです」

「了解、その状態で少し様子を見て頂けますか」

「富岡だが、送付されてるメールの内容が『開けろ』から『代わって下さいお願いします』に変化したぞ」

「興味深いですね、やはり玄関ドアだけでなくトイレのドアも入れないみたいですね!では、トイレドアの開放をお願いします!」

「江美です、ドアを解放します」

玄関と同じように、トイレのドアが勢いよく開かれた。慌てて江美が脱出し、すぐにドアが閉じられた。

「こちら富岡、家鳴り現象は収まったが…」

報告を入れた直後、これまで聞いたことの無い程大きな排便音がトイレの個室から響き渡った。
雷雨のような破壊的な音がゆうに1分間続き、その全てをカメラが拾いきった。
そして、静寂が訪れた。

「管理官殿、何か動きは?」

「特には…いや、メールが来たぞ」

富岡は妻と一緒に、端末へのメールをのぞき込む。メールには一言。

『ありがとう』


「…だとさ」

「記録しました。時間は40分、扉を開ければ開けない時よりも早く現象が終了するようですね!お手数をおかけしましたが追加実験は終了です、家の片づけの為に近隣の職員を数名呼びましたので、後はゆっくり休んでいてください!」

通信が切れた。
妻と二人、顔を見合わせて苦笑する。
思えばサイトの中で異常ばかり研究してきた私と、子供を産んでからも現役のフィールドエージェントとして働いていた妻。二人で異常に対処したことは一度も無かった。
初めての共同作業が、まさかこんな下らない異常だとは。しかし、私の人生らしくもある。

「ほんとに酷い休暇」

「ああ、休暇の延長を要請するよ。家にいるんじゃなくてもうちょっと綺麗なものを見に行きたい」

「賛成。久しぶりにドライブでも良いよ、海沿いの」

「いいな、幸い数日は晴れのようだし…」

そういいながら、富岡は異常の過ぎ去ったトイレのドアを開けた。
異常性の無い管理官の咆哮が響き渡った。







経過時間 行動 備考
要請に応じた場合 トイレのドアを閉めた後、全ての行動を中止し消失する。なおトイレからは糞便のものに似た悪臭が確認される。この悪臭は時間の経過とともに薄れ、5時間程度で完全に消失する。 トイレまでに障害物がある場合は全て成人男性一人程度の力で対処される。

管理官メモ: 流してから帰ってくれ。

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