以下はオカルトライター宮木哲弘氏のUSBメモリに残された未発表原稿のデータである。参照性向上のため、宮木哲弘氏の資料に香川の資料を追加。また一部の資料を整理。
2021/11/22 香川克明
月刊『カルデック』2018年7月号分原稿(未掲載)
作成者 宮木哲弘
◎ウワサの怪談徹底追跡レポート 第4弾
一家全滅…関係者の相次ぐ怪死…
現代の怪異「呪われた人毛」の謎を追う!
1. 嘘か誠か…「呪いの人毛」の怪談
筆者が「呪いの人毛」に関する話を初めて知ったのは2017年8月某日。月一回の怪談LIVE後、怪談作家の加藤ジュンヤ氏と都内某所で酒を飲みながら語らっていた時だった。酔いの回っていた筆者は、加藤氏に「ウワサの怪談徹底追跡レポート」の第4弾に向けてネタを探していることを言い何かいいネタを知らないか、と聞いた。今思い返すとオカルトライターが怪談作家に怪談のネタ提供を頼むとはなんともおこがましい。だが加藤氏は、意外にも「ありますよ。表に出せないネタ。」とあるネタを嬉々として提供してくれた。そのネタとは、ある一家から発見された不気味な人毛にまつわる怪談であった。───時は1980年代中頃、岩手県のある一軒家で紙に包まれたカツラのようなものが押し入れから発見された。押し入れから発見されたにも関わらず、一家の誰もそれの正体が分からない。その毛を大学で調べて貰うと、なんとそれは人の毛髪と頭皮だった。そしてその事が発覚してまもなく、その一家は火災に見舞われ全員が死んだ。不可解なことに、一家は全員が髪の毛の見つかった押し入れの中で焼け死んでいた。髪の毛は火災によって焼けたと思われていたが、程なくして県外のある寺に全く同じ物が持ち込まれた。髪の毛を持ち込んだ男は寺の和尚に「供養してくれ」とだけ言うとそれを置いて去っていった。和尚はそれをお焚き上げして供養しようとしたが、その前に物置で首を吊って自殺してしまった───。良くありがちな怪談話のように思えるが、なぜこの話が「表に出せないネタ」なのだろうか。「この話に登場する場所と年代を元に当時のことを調べてみるとですね、どうも本当に事件が起きているんですよ。そういう本当に人が死んでる事件ってやっぱコンプラとかあるじゃないですか(笑)」加藤氏の答えを聞き怪談業界大手である加藤ジュンヤ氏にもコンプライアンスという概念があったということを知って驚愕したと同時に、猛烈にこの話に興味を惹かれた。
髪の伸びる呪いの人形…どこからともなく湧いてくる長い髪の毛…などなど、髪の毛にまつわる怖い話はこの世の中に数多ある。2007年に公開されたホラー映画「エクステ」など、髪への恐怖を描いたホラー作品も多い。何故人は髪の毛に恐怖を抱くのだろうか?その理由のひとつとして、古来より髪の毛が霊的なものとして見られていたという背景がある。人体から飛び出ており、成長する髪という部位は他の器官と比べると異質であり古代の人々にとっては神秘的なものとされていたのだろう。イギリスの文化人類学者であるジェームス・フレイザーが提唱した定義に感染呪術というものがある。ここでの呪術とは人類学的視点から捉えた呪術という学術的な概念であり、オカルト的な呪術とは異なることを断っておきたい。感染呪術とされる呪術には、着衣、爪、髪の毛などを呪術に用いることでそれらの元の持ち主に影響を与えられる、という考えがあるとされる。要するに、元々ひとつだったものは切り離しても繋がっている、という考えが根底にあるということだ。日本における呪術や信仰においてもこうした考えから髪の毛が霊的な存在として見られている例が見られる。例えば丑の刻参りのバリエーションの中には藁人形の中に呪いたい相手の髪の毛を混ぜるというものがあり、これは典型的な感染呪術の例と言えるだろう。こうした髪の毛の呪術的な意味は時代の流れと共に失われつつあるが、その観念自体は怪談や怖い話として残っている。それによって現代でも漠然と髪の毛が霊的な恐怖を煽るものとして見られているのでは無いだろうか。
今回追うのはその髪の毛を題材とした怪談、「呪いの人毛」の怪異についてである。数々のオカルト雑誌で記事を書き続けて14年。日本のオカルトにある程度精通しているつもりだった筆者だが、恥ずかしいことに加藤ジュンヤ氏からの情報提供があるまでこの「呪いの人毛」のことを噂すら知らなかった。好奇心に身を任せるがままに提供された情報を元に事実確認を行っていくと、そこには明らかに単なる怖い話の域を脱した悍ましい事件の数々、そして現代で猛威を振るう謎の「呪いの人毛」の姿があった。今回の記事では読者諸氏と共にその怪異の恐ろしい姿を解き明かしていく。
資料1
発見された頭皮及び毛髪。
保存加工された痕跡があったようであるが現在では詳細不明。
(1987年1月26日撮影 中本正弘氏提供)
2. 中本家での人毛の発見
最初に「呪いの人毛」と思われるものが発見されたのは岩手県盛岡市のある民家とされている。加藤氏から提供された情報を元に1980年代に発生した火災を調べていると、ある一家の存在が浮上した。それが岩手県盛岡市にかつて居を構えていた中本一家である。1987年1月26日。その民家に住んでいた中本一家は何かの拍子に自宅押し入れから油紙のようなものに包まれた髪の毛のようなものを発見した。それはまるで頭から毛と皮をそのまま剥ぎ取ったようなものであり、それを目にした一家はそれをカツラか何かと思ったという。奇妙なことにその毛は自宅の押し入れから出てきたというのに、家を購入した父と母を含めて誰もその毛の存在を知らなかった。
その毛は中本家の次男であったM氏の友人を介して某国立大学で鑑定された。鑑定の結果により毛の正体は「保存加工した人の髪と頭皮」であることが判明、M氏と友人は恐らくは昔のカツラとの仮説を立てた。確かに、合成繊維の開発される以前のカツラの作成には主に人毛が用いられていた。現代でも人毛を用いたカツラは医療用ウィッグなどとして一般に流通しており、髪を伸ばして業者に販売する人々も確かに存在する。しかしいくら昔のカツラとはいえ、普通のカツラには人の頭皮などというものは用いない。もし本当に毛の正体がカツラだとしたら、相当特殊なものに違いないだろう。得体の知れない人毛を不気味がる両親を他所にM氏は自身の日記において「思わぬ珍品を発見したのかもしれない。」と記しており、この人毛に興味を持っていたことが窺える。
資料2
中本家概要
岩手日報 横山記者のメモを元に宮木が作成
中本正宗氏の妻はキエ氏であり、二人の間には長男の正弘氏と次男の正男氏の二人の子供がいた。1955年に正宗氏が岩手県盛岡市桜台に住居を購入したことで一家は二戸郡小鳥谷村(現:二戸郡一戸町)から転居した。
正弘氏は1962年に東京の金融業者へと就職し家を離れる。正男氏は大学卒業後は盛岡市に戻り、市内の大学に勤務しながら家に留まり両親、妻の雅子氏と共に暮していた。また雅子氏との間には息子 正孝君がいた。
資料3
中本正男氏の日記より焼損を免れた部分の抜粋
1987年1月26日
正孝、押し入れより油紙かなにかに包まれた毛を見つける。
親父、お袋ともに毛の存在を知らず。
根元に乾燥した革のようなものがあり、父はカツラではないかと言う。
紙には毛と一緒に紙切れも包まれていたものの、劣化激しく詳しくは分からず。
一旦紙に包み保留。近く難波(*)のツテで大学に鑑定を依頼する予定。
*中本正男氏と交友関係にあった難波幸次郎准教授か。
1987年2月14日
例の毛が鑑定結果と共に帰ってくる。
鑑定の結果保存加工した人の髪と頭皮との事。
難波いわく昔のカツラか何かとは思うが頭皮ごとというのは聞いたことがなくもっと調べれば面白そうじゃないかとのこと。
親父とお袋は気味悪がっているが思わぬ珍品を発見したのかもしれない。
しかしその直後、中本一家はある悲劇に見舞われる。同年3月1日午前2時ごろ、中本家の二階押し入れを火元とする火災が発生し中本家は全焼、中本一家全員が死亡する大惨事となった。この火災で家のものはほとんど焼け、件の人毛も焼損したものと思われていた。焼け跡から発見された一家の遺体は当初、性別も分からないほどに焼けていた。奇妙なことに一家の遺体は全て火元である二階押し入れの中から発見された。また岩手県警は調査の結果、出火原因は人為的なものと断定した。岩手県警はこの火災を放火殺人と心中の両方の可能性から調査したが、他殺らしい証拠は見つけられず最終的には動機不明のまま一家心中と判断した。中本家は一般的な家庭と比べると裕福な家庭であり目立ったトラブルもなかったという。そもそも、何故わざわざ押し入れの中で心中を図る必要があったのか?全く不可解である。加藤氏の話通り、どうやら呪いの人毛に関する事件は実際に起きていた事実であるようだ。
資料4
中本家火災の初期報道
岩手日報 1987年3月2日 朝刊より一部抜粋
盛岡市で民家火災
一家と連絡取れず
1日午前2時15分頃、盛岡市桜台の無職中
本正宗さん(78)の自宅から出火、木造二階建
ての住宅述べ120平方㍍を全焼した。火は
西隣の建設業金澤三英さん(43)の住居に燃え
移り、2階東側の壁と天井を焼いたものの三
英さんとその妻(45)、長女(16)は無事だった。
火は2時間後に消し止められたものの、正宗
さんの住宅の焼け跡から性別不明の5人の遺
体が発見された。正宗さんとその妻(71)、次
男(47)、次男の妻(49)、孫(11)と連絡が取れ
なくなっており、警察は一家が火災に巻き込
まれた可能性が高いとして身元の特定を急い
でいる。5人の遺体はいずれも2階押し入れ
から発見されており、激しく燃えた痕跡があ
ることから火元も2階押し入れと見られて
いる。岩手県警は事件と事故両方の疑いを視
野に入れて、調べを進めている。
3. 再び現れる人毛、第二の事件
中本家の火災から1年半後の1988年10月。宮城県仙台市のある寺に、例の人毛と思しきものが持ち込まれた。持ち込んだのは難波と名乗る男。男は住職に「古いカツラのようなのだがどうにも気味が悪いからお焚き上げして欲しい」と語ったという。読者諸氏にはもはや説明は必要ないとは思うが、お焚き上げとは故人の所有物や粗末に扱えないものを燃やして供養することである。宗教によって解釈は若干異なるものの、日本では神社仏閣で広く行われている。その髪の毛が住職によってお焚き上げされたかどうか事実確認はできなかったが、実際に持ち込まれたこと自体は複数の関係者から証言が得られた。そして10月18日午後5時頃、髪の毛の持ち込まれたこの寺である事件が起こる。住職が物置の中でタオルを使って首を吊っているのが発見されたのだ。状態から自殺と断定されたものの遺書などは発見されず自殺に至る動機も不明とされた。これもやはり、加藤氏の語った「呪いの人毛」の話の内容と合致する。
資料5
人毛の持ち込まれたと思われる寺の住職 北勝之氏の死亡時の状況
長男・現住職 北泰生氏の証言を元に宮木が作成
状況説明
勝之氏は輪状に結んだタオルをドアノブに掛け座り込むように縊死。掃除をするために物置に入ろうとした泰生氏が発見。
奥行100cm。幅85cm(棚部分除く)。
棚にはトイレットペーパー等の雑貨が置いてあったとされる。
資料6
北勝之氏の発見された物置の現状
(2018年2月6日 宮木哲弘撮影)
「父は穏やかで真面目な僧侶で、とても自殺などするような人ではなかったはずです。」そう語るのは亡くなった前住職の実の息子にして寺を継いだ現住職である。現住職は持ち込まれた髪の毛についても言及し、住職はその髪の毛に興味を持ち新聞紙に包んだまま物置に置いていたらしいということを語った。詳細は不明であるものの、住職はどうやら然るべきところで調べてもらうつもりだったらしい。新聞紙に包んだままであったので現住職はこれを見なかったものの、住職はそれについて「頭皮をそのまま剥ぎ取ったようなカツラ」と話したという。もちろん、これがただの誇大表現である可能性はある。「頭皮をそのまま剥ぎ取ったかのような精巧なカツラ」と言いたかっただけかもしれない。だが筆者はこの事件を知った時恐らくこれは中本家で発見された人毛と同じものだと、「呪いの人毛」だと確信した。例え住職が「精巧なカツラ」と言っていたのだとしても住職の自殺が不可解であることは覆らない。中本家の事件を踏まえての住職の自殺。双方に共通する不審な人毛と不審な死を結び付けない方が不自然だ。もしもこれが中本家で発見された人毛と同じ物であるならば一体どうやって持ち出されたのであろうか?中本家は火災で全焼し、本来ならば件の人毛も焼損しているはずである。謎は深まる一方だ。加藤氏の話では語られなかった難波という男。彼がその謎を紐解くキーパーソンであることは間違いない。筆者は調査を進めるうちに、この難波と思われる人物に辿り着いた。それが中本家の次男M氏の友人、難波K氏である。
資料7
難波幸次郎氏概要
関係者への取材により宮木が作成
難波幸次郎
1938年11月15日、山形県狩川町生まれ(現・庄内町)。
中本家次男 中本正男氏とは国立東京教育大学時代からの友人であり、大学院卒業後もしばらく交友があり、中本家とは家族ぐるみでの付き合いがあった様子。元東北大学文学部文化人類学准教授。1987年懲戒解雇。2018年現在で所在が確認できる親族は甥にあたる弟・清志郎氏の息子・吉沢邦彦氏のみ。1989年1月16日没。正男氏の日記で言及されている「難波」と思われる。
資料8
中本正男氏(画像右側)、難波幸次郎氏(画像左側)の写真
宮木が雑誌掲載に向けて編集したもの
(難波幸次郎氏の甥 吉沢邦彦氏提供)
4. 語られなかった第三の事件、全てと繋がる難波氏の死
難波K氏は東北大学文学部の文化人類学准教授だった。中本家次男であるM氏とは筑波大学の前身、国立東京教育大学時代からの友人であり卒業後も家族ぐるみの付き合いがあったという。仙台に居を構えていたK氏は、連休の度に家族と岩手県へと繰り出し親友であるM氏の家族の元を訪れていた。そんなK氏は、中本家から謎の人毛が発見された時にM氏により鑑定を依頼された人物である。K氏の親族の元を訪れると、家族写真に混ざって親友のM氏と酒を飲み交わすK氏の写真が立てかけられていた。「Kおじさんは静かな人でいかにも賢い大学の先生という感じでした。だからこそ何か思い詰めてしまったのかなって。」と、K氏の甥は語った。1989年11月、M氏の友人であり寺に人毛を持ち込んだと思われる難波その人と思われるK氏は、自室のクローゼットの中から死体となって発見された。死因は除草剤であるパラコートという薬物を大量服毒したことによる中毒死であり、自殺であった。現在では入手が困難なパラコートであるが、以前は簡単に入手できた。しかしパラコートによる服毒自殺が各地で頻発し、1985年にはパラコートを用いた連続無差別殺人(通称「パラコート連続毒殺事件」)が発生したことで社会問題となり規制が強化された。毒性を少しでも低くするためにジクワットという除草剤との混合製剤が発売されるなどの対策が取られ、中毒死者は以降格段に減少した。しかし、K氏が服毒したのは対策が講じられる1985年以前に発売されていたパラコートだった。後の警察の調査によりこのパラコートは仙台市内の農家の倉庫からK氏が持ち出したものであったことが判明した。
当時を振り返ったK氏の甥は「なんでまたクローゼットなんかで…」と漏らした。更に「でも、Kおじさんが自殺したことには誰も驚かなかったです。」と続ける。K氏は自殺の2年程前から少しずつ様子がおかしくなっていたという。「Kおじさんは凄く真面目な人だったんですが、2年くらい前に突然大学を辞めると言って突然引きこもったそうです。最初のうちは奥さんも説得してたようなんですが、だんだんと奥さんも病んできちゃって。半年くらいして家を出ていってしまったと父から聞きました。」K氏の甥の証言を頼りに東北大学に問い合わせたところ「K氏は1987年12月に懲戒解雇されている」との回答を得ることができた。懲戒理由についての回答は得られなかったものの、長期間の無断欠勤による懲戒解雇処分があったと考えればK氏の甥の証言とも辻褄は合う。妻が出ていったことで空中分解しかけていた難波家はK氏の死が決定打となり離散し、現在ではK氏の甥を残し他の親族は所在不明となってしまったという。取材中、K氏の甥は筆者にあるものを見せてくれた。曰く茶封筒に入ったそれは、離散した親族達が誰も持って行こうとせず甥の元に残されたただ一つのK氏の遺留品なのだという。K氏の甥が「遺書のようなものだと思います。」というその紙片は、K氏の遺体の足元に落ちていたのだという。
資料9
遺留品の紙片
文中の良子とは難波幸次郎氏の元妻である田代良子氏と推測
(難波幸次郎氏の甥 吉沢邦彦氏提供)
「Mの次は私のようです。(妻の名前)にはすまないことをしました。(弟の名前)のところに戻らないことを願っています。私の所には戻ってきてしまいました。」このどこか不気味な文章が具体的に何を意味するものなのか、K氏の甥にも見当がつかないという。ただ少なくとも、警察はこの紙こそが心神喪失状態のK氏が書いた遺書と判断したようである。確かに心神喪失の状態で書かれたものであるとすればこの一見意味不明に見える文章も、精神上の問題によって正常な文章を作ることが出来なかった結果の文章として理解出来る。しかし、中本家から「呪いの人毛」を追いかけてきた筆者はこの文章を見た時に思った。もしや「戻ってきてしまいました」というのは、あの人毛が「戻ってきた」ということではあるまいかと。
K氏が突然引きこもったのは自殺をした1989年1月から2年程前、それが1987年前半期だとすれば時期的には中本家火災の後と重なる。もしかすると、人毛は中本家が全焼した際にK氏の元へと「現れた」のではないだろうか。そしてK氏と思しき男が寺に謎の人毛を持ち込んだのが1988年。人毛はお焚き上げされる予定だったが、しばらく物置に置きっぱなしだったのが確認されている。 そして10月に住職が自殺し、その3ヶ月後の1989年1月にK氏が自殺を図る。もしも人毛がK氏の元に「現れた」のだとすれば、遺書における「戻ってきてしまいました。」とはつまり「お寺にお焚き上げしてもらった人毛が戻ってきてしまいました。」ということではないだろうか。髪の毛が突然現れるなどということは突拍子もない事のように思える。しかし、そう考えざるを得ないほどに中本家と寺の出来事とK氏に関連する一連の情報が合致する。しかしながらやはり決定的な証拠は無い。中本家は全滅しており、当時の寺の住職の動向は情報が少なく調査できない。難波家については親族の大部分が離散しておりK氏のことをこれ以上詳しく知ることが出来ない。結局例の人毛の行方も分からない。全ては単なる偶然が重なっただけで、既に人毛は中本家で燃えてなくなっていたのかもしれない。しかし、もしもこれらが偶然でないとするならば「呪いの人毛」は確かに存在していて、ひょっとするとK氏の親族がどこかへと持ち去ってしまったのかもしれない。加藤氏の話の先には、語られることの無かった隠された事件が存在した。中本M氏と交友関係にあった難波K氏の死、そしてその事件の裏にチラつく不気味な「呪いの人毛」の影。もしかすると、「呪いの人毛」は今もどこかで悲劇を引き起こしているのだろうか。
(レポート 宮木哲弘)
資料10
難波家親族の可能性がある行旅死亡人
調査 宮木
2004年09月30日 官報掲載
行旅死亡人
本籍・住所・氏名不詳(自称 難波之治(なんば ゆきはる))
男性、40〜70歳、身長165cm、黒半袖Tシャツ
黒いズボン、白ブリーフ、写真
上記の者は、平成16年9月29日、岩手県██郡██町████████所在の建物内に駆けつけた警察官によりクローゼット内で高度腐乱した状態で発見され、死因は不詳、平成16年8月20日から同年8月31日頃に死亡したものと推測されます。
遺体は火葬に付し、遺骨は███墓園に保管してありますので、心当たりの方は当町福祉課までお申し出ください。
平成16年9月29日
岩手県 | ██町長 ██ ██ |
2007年10月17日 官報掲載
行旅死亡人
本籍・住所・氏名不詳(自称 なんば たかひろ)、男性
推定30歳〜40歳、身長160cm位、痩せ型
着衣は白タンクトップ、黒トランクス、灰色靴下
所持品は現金941円、財布(黒い二つ折り)、腕時計
油紙1枚
上記の者は、平成19年10月15日、岩手県大船渡市███████に所在のホテル███の押し入れ内で首を吊った状態で発見され、平成19年10月14日深夜3時頃に死亡したものと推測されます。
遺体は火葬に付し、遺骨は███墓園に保管してありますので、心当たりの方は当市生活福祉部地域福祉課までお申し出ください。
平成19年10月17日
岩手県 | 大船渡市長 甘竹 勝郎 |
資料11
宮木哲弘と加藤ジュンヤ氏の間で交わされたメール(2018年5月2日~5月5日)
宮木哲弘 |
2018年5月2日 ・・・ |
取材のお願いについて
加藤先生。
お世話になっております。宮木です。
先日は取材にお付き合いいただきありがとうございました。
一応原稿が形になり、無事7月号の掲載に間に合いそうです。
また8月号で今回の件を引き続き取り上げようと考えています。その際にはまた加藤先生のお力をお借りさせて頂きたいと考えています。お時間ありましたら近いうちにその件について打ち合わせをさせて頂きたいと考えています。打ち合わせ場所はいつもの店でも、加藤先生の指定の場所でも構いません。
お返事いただければ幸いです。よろしくお願いします。
宮木
加藤ジュンヤ |
2018年5月2日 ・・・ |
Re: 取材のお願いについて
宮木さん、ご連絡ありがとうございます。
了解しました。先週の打ち合わせの感じですと、次号では毛の話の出処についてということでしたね。次の打ち合わせですが、5日17時からいつもの店でどうでしょうか。もし駄目でしたら6日の午後、8日ならいつでも大丈夫です。
宮木哲弘 |
2018年5月3日 ・・・ |
Re: 取材のお願いについて
はい、次号ではその方向で書きたいと思っています。重ね重ねご協力ありがとうございます。
打ち合わせの時間と場所について了解しました。5日17時にいつもの店でお願いします。
加藤ジュンヤ |
2018年5月3日 ・・・ |
Re: 取材のお願いについて
宮木さんの調べられてた難波家とは別に、髪の毛関連で面白いのを見つけたので自分の方でも資料を持っていきます。続きはお酒飲みながら考えましょう。(^ ^)
宮木哲弘 |
2018年5月6日 ・・・ |
宮木です
お忙しいようでしたら打ち合わせは後日でも大丈夫です。後ほど都合の合う時間と場所をご連絡ください。
本日はそろそろ店が閉まるので私は帰らせて頂きます。連絡待ってます。
宮木
加藤ジュンヤ氏と5日頃から音信不通。
連絡なし。
2018/5/7 宮木哲弘
編集部から連絡。加藤ジュンヤ氏が行方不明で家族が捜索願を提出とのこと。
2018/5/8 宮木哲弘
加藤ジュンヤ氏の逝去に伴い掲載延期。
掲載時期については要相談。
2018/5/13 宮木哲弘
資料12
Yahooニュース!
IBC岩手放送 2018年5月14日月曜日掲載
盛岡市████公園の焼身遺体身元明らかに 都内在住の作家男性か/岩手・盛岡市
2018/5/14(月) 14:32配信
岩手県警察本部
6日早朝、岩手県盛岡市██公園を散歩中だった住民によって「公園のトイレから煙が出ている」との通報があり、消防が駆けつけたところ男子トイレの個室内から性別不明、身元不明の焼死体が発見された。岩手県警はこの遺体の身元について11日までに、都内在住の作家 加藤ジュンヤさん(37)だと判明したと発表した。加藤さんは5日午前8時頃、家族に「盛岡に行ってくる」と言って外出した後連絡が取れなくなっており、8日に家族が捜索願を警察に提出していた。
現場には複数の遺留品があったものの、いずれも激しく燃えており、身元を示すものが発見できず身元不明とされていた。8日に提出されていた捜索願を元に岩手県警が調査をしたことで身元が特定された。個室からは灯油の成分と、焼けた携行缶が発見されており加藤さんは自分で灯油を被り、5日深夜に焼身自殺を図ったと推測されている。岩手県警は自殺の詳しい動機などを調べている。
資料13
加藤氏の遺体発見現場である公園の公衆トイレ。
(2022年1月26日 香川克明撮影)
現在では封鎖されている。
加藤氏の葬儀に参列。
その後、加藤氏遺族から遺留品写真の提供を受ける。妻の清花氏の話によると最近調べていたことだと思うとのこと。中本家の一連の件の可能性あり。5日に「盛岡に行く」と言って家を出たのは事実であり、自殺の理由について心当たりはないとのこと。報道にあったことはほぼ事実か。
2018/5/16 宮木哲弘
資料14
岩手県警から遺族に返還された加藤ジュンヤ氏の遺留品
手帳の燃え残り(写真)
加藤氏遺族から提供
以下書き写し
〜の50年前(1933)に金沢タエの言及
〜異常者ニ特有ノ自傷ニ関(旧カンジ)スル分析」(門崎貞次郎)
〜岩手県盛岡市██████番地 現在の桜台?
〜た
金沢タエについては今のところ成果なし。門崎貞次郎に関しては私立岩手医学専門学校(現在の岩手医科大学)の医師だったことがわかった。また、門崎貞次郎の論文に「行動異常者ニ特有ノ自傷ニ關スル分析」というものがあることがわかった。論文の作成された年は1933年。焼け残りの文章にあった「〜異常者ニ特有ノ自傷ニ関(旧カンジ)スル分析」か。
2018/5/17 宮木哲弘
ただの偶然ではないか?本物か?
2018/5/19 宮木哲弘
複写サービスで取り寄せた門崎貞次郎の「行動異常者ニ特有ノ自傷ニ關スル分析」に金沢タエの言及を発見。記述されている番地は盛岡市の桜台と思われる。中本家の所在地も桜台である。偶然か?
2018/6/8 宮木哲弘
資料15
1933年 私立岩手医学専門学校(現: 岩手医科大学) 門崎貞次郎医師による論文 「行動異常者ニ特有ノ自傷ニ關スル分析」 における金沢タエへの言及。
第百四例
岩手縣盛岡市〇〇〇〇〇番地。平民。恵一郎長女。金沢タエ。明治四十二年八月十五日生。病狀、妄想性癡呆ナルガ如ク被害妄想甚ダシク、頻繁ニコノ妄覚ニヨッテ他者ヲ加害セントス。患者ハ兼ネテヨリ呪イ(まじない)ト称シテ犬猫家畜ヲ多数殺害解体スル等ノ異常行動ヲセル。コノ行動ニヨリ患者ハ私宅ニ於イテ物置ヲ改築セル監置室ニテ監置セルモノナリ。
患者ハコノ頃ヨリ、爪、齒等ヲ用イテ自傷ス。患者ノ自傷ハ主トシテ腕脚ノ皮膚、及ビ頭髪ノ摘ミ取リ等ノ行爲ナリ。患者ハ父親ニハ従順ナルモノノ、自傷ヲ止メサスコトハ困難ナリ。監置セル頃ヨリ妄覚モ増シ母親ト兄ノ死スル折ニハ、自ラ呪イ殺シタナリト医師ニ語ル等モ観察セラル。患者ハ昭和七年六月二十日、拾得セルト思シキ父親ノ剃刀ヲ用イ、激シイ自傷ニ及ブナリ。患者ハ頭髪ヲ掴ミ、剃刀ヲ用イテ頭皮ヲ自ラ頭骨ヨリ完全ニ剥離セル。患者ハ深夜ヨリコノ自傷ニ及ビ、二十一日朝ニ死亡ス。
皮膚・体毛ノ摘ミ取リ自傷ハ第二十六例・第九十九例・第百一例等多クノ患者例ニモ共通シテ觀察サレルモノナルガ、第百四例患者ノ自傷ハヨリ苛烈ナルモノナリ。
(門崎貞次郎、1933、「行動異常者ニ特有ノ自傷ニ關スル分析」、p.131)
メモ
私宅監置(したくかんち)
かつての精神障害者に対する制度。自宅の部屋、物置小屋などに精神障害者を閉じ込める(=監置)する。1900年に精神病者監護法で規定される。座敷牢を制度化したようなもの。
私宅監置される精神障害者の生活状況、衛生問題は極めて酷いものであり1918年の呉秀三の内務省への報告「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的視察」では私宅監置は「頗る惨憺たるもの」と評され、監置室は「国家の恥辱」とも言われている。
1950年に精神衛生法が施行されたことで本土では廃止される。
2018/6/8 宮木哲弘
加藤氏のメモは金沢タエが頭皮を剥がす自傷に及んで死亡したのがこの話の起源となった、という事を書いたものだろうか。
女性が剃刀で自分の頭を剥ぎ取ることなどできるのだろうか疑問が残る。
2018/6/8 宮木哲弘
昭和初期の地図「盛岡市街圖」を用いて金沢家の住所を調べたところ、中本家の所在地と同一と確認。
偶然とは思えない。
2018/6/13 宮木哲弘
情報を整理
1909年 金沢タエ誕生。
↓
19??年 金沢タエ、異常行動により物置を改築した監置室にて私宅監置へ。
↓
19??年 金沢タエの母親、兄が死亡(詳細不明)。
↓
1932年 金沢タエ、剃刀で頭皮を剥がす自傷に及ぶ。この際に死亡。
↓
1955年 中本正宗氏が岩手県盛岡市桜台に住居(金沢家の跡に建てられたもの)を購入。中本一家、二戸郡小鳥谷村(現:二戸郡一戸町)から転居。
↓
1987年 中本正孝氏が人毛を発見。父 正男氏が友人の難波幸次郎氏のツテで鑑定を依頼し、人毛と判明。
中本家での火災発生。中本家、東京在住の長男を残し全滅。全員が二階押し入れ内で焼死。
この頃より難波幸次郎氏が引きこもりがちになる。
↓
1988年 宮城県仙台市の寺に難波幸次郎氏と思しき男性が人毛を持ち込む。住職 北勝之氏、物置内で縊首。
↓
1989年 難波幸次郎氏が自宅クローゼット内で服毒自殺。遺書様の文書を残す。
2018/6/13 宮木哲弘
原稿の掲載時期がまだ決まらない。お蔵入りかもしれない。
調査は続ける。
2018/6/21 宮木哲弘
押し入れ、物置、クローゼット、トイレ個室。無理やり共通点を見出すとすれば狭い場所か?
2018/6/26 宮木哲弘
不安。
2018/6/27 宮木哲弘
今ならこの話が表に出てこなかった理由がわかる気がする。
2018/6/29 宮木哲弘
調べたからか?
中本家のことか?
難波家のことか?
金沢タエのことか?
何が不味かった?
なぜ選ばれた?
どうすれば良い?
2018/7/22 宮木哲弘
金沢タエなのか?
2018/7/25 宮木哲弘
2018/8/24 宮木哲弘
2018/8/28 宮木哲弘
2018/9/1 宮木哲弘
戻ってくる前に行く
2018/9/2 宮木哲弘
資料16
宮木哲弘さんの行方不明に関する情報提供のお願い
岩手県██警察署
この人をさがしています |
(撮影年 平成28年) |
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《行方不明時の服装》 服装 カーキ色ジャケット |
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《行方不明の状況》
平成30年 9月 3日午後17時頃、岩手県盛岡市桜台付近で目撃されたのを最後に行方不明となりました。
心当たりの方は、下記警察署、若しくは最寄りの警察署にお知らせください。
連絡先 岩手県██警察署生活安全課
(電話番号) ████-██-████
編集部の掃除中に倉庫内の机からUSBメモリを発見。
原稿と一部資料から2018年に行方不明になったライター 宮木哲弘氏のものか。
2021/11/18 香川克明
仮題「現代最強の怪異…謎の『呪われた人毛』徹底調査!」
宮木哲弘氏の残したデータを引き継ぎ、月刊「カルデック」4月号に向けて原稿作製中。
2022/1/22 香川克明
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更新日: 2022/2/2 1:35
編集者: 香川克明
ファイル名: PAgjd2022/2/2.jpg