連邦記録法に則り、以下に電子コピーを掲載
UIUファイル2001-745: コードネーム "アルタイル"
概要: 当該容疑者は国際テロ組織『カオス・インサージェンシー』(以下、CI)のガンマクラス特別職員の一人であり、2001年9月11日に発生したマンハッタン次元崩落テロ事件の首謀者の一人である。
名前: ファイサル・バシャール
変則性相互参照: エジプト出身、人間、時間移動者、人権活動家、夏鳥思想家、カオス・インサージェンシー
身体的特徴:
性別 | 身長 | 体重/体格 | 人種 | 髪 | 目 | 特徴的属性 |
---|---|---|---|---|---|---|
男性 | 167cm | 46kg/痩身 | アラブ人 | 白色 | 黒色 | 高齢者、白髭 |
能力: 容疑者は高齢のアラブ人男性であり、エジプト出身で実年齢は87歳であると主張している。2025年2月8日を起点として1999年11月2日までの時間遡行を実行したと供述しており、後述の証拠品よりこの主張には一定の信憑性が認められる。しかし、UIUや他組織による観察下では容疑者が変則性として時間遡行を能動的に発生させた事例は確認されていない。
目的/動機: 容疑者は自身の動機について「ハドソン川協定の成立を阻止し、未来の祖国で起こる凄惨な戦争を回避するため」であったと述べている。後述の証拠品によると、容疑者の出身国とされるエジプトでは2025年に戦争によって国民の大半が犠牲となるとされており、容疑者はその遠因を2001年9月20日に財団・連合間で制定されたハドソン川協定に求めている。
活動規範: 容疑者はCI組織内においては専らテロ事件計画の立案や下級人員の指揮に従事していた。9.11事件においても直接的な破壊行為の実行グループには参画せず、スタテン島内に秘匿されていたマンハッタン島最寄のアジトの守備に当たっていた。これは容疑者本人が時間移動以外に明確な変則性を持たない老齢男性であったことによるものと考えられる。
行動: 容疑者は1999年にCIへ加入した後、2000年12月にギリシャで生じたレオニディオの大規模破壊活動の計画を立案したことが知られている。その後、容疑者は2001年9月11日に発生したマンハッタン次元崩落テロ事件に、首謀者の一人として参与した。容疑者は事件現場において、財団と連合によりUE-1110と指定された不詳実体(「緋色の王」として知られる)を無統制状態で維持することにより、マンハッタン島中央部〜北部に多数の人的・物的被害を生じさせたとされている。容疑者はこれらのテロ活動の計画に際し、時間遡行によって未来から入手した情報を使用したことを認めている。
A: 「2022年モデル」とされるタブレット通信端末: スタテン島に存在したCIのアジトにおいて、容疑者の身柄とともに確保。通信規格が現行のアメリカ合衆国内のものと合致しないため、使用可能な機能は制限されているが、容疑者が使用していた「メモ帳」アプリケーションにアクセス可能であった。ただし、当該証拠品に係る記録情報の閲覧は予言の自己成就による因果律撹乱を起こす懸念があるため、当局は当該物品の管理権を財団に委譲した上で、容疑者を含むCI構成員の捜査における共同体制を継続している。
B: 人権活動家として知られるファイサル・バシャール氏: 容疑者から採取されたDNAは、エジプト出身の穏健派人権活動家として知られ、容疑者と同姓同名であるファイサル・バシャール氏(2001年時点で61歳)と一致する。容疑者でない方のバシャール氏は9.11事件の発生時にカザフスタンで人権保護活動の集会を正規に開催していたことが確認されており、事件および容疑者との一切の関与を否定している。
現状: CIが事前に施したミーマチックエフェクトの除去処置(境界線イニシアチブのPoI初期対応部隊による)終了後、ライカーズ島の留置所で拘留中
罪状: 複数のテロ事件の首謀
量刑: 無期限拘留
UIU活動記録:
2001/09/11: マンハッタン次元崩落テロ事件の覚知、FBIニューヨーク支局の異常事件課が対応を開始。
2001/09/12: マンハッタン島内にCIの戦略物資を搬入した容疑により、アメリカ合衆国沿岸警備隊兵曹長であったデレク・オブライエンの身柄を確保。CIが事前に施していたミーマチック制御により、氏は聴取中に意識を喪失する。
2001/09/13: 民間精神測定能力者であるジェシカ・エッカート氏の協力により、オブライエンに対する聴取が再開される。しかし、聴取中に「緋色の王」に関する発言が聞かれたのを最後にエッカート氏の意識が途絶する。その後、財団の戦術的神学部門らがセントラル・パーク周辺区域における神格実体UE-1110の出現を覚知。UE-1110は境界線イニシアチブが展開していた結界を破壊し、マンハッタン島の中央部で広域破壊活動を行う。
2001/09/14: ジェファーソン・ミラー教会に避難していた壊れた神の教会の構成員を中心として、マンハッタン島に集結した多数の超常団体らの手により、巨大な機械構造体が構築される。同日深夜、完成した機械構造体によってUE-1110が破却される。
2001/09/15: ワールドトレードセンターを中心としたマンハッタン島の次元崩落事象が終結を迎える。これと並行して、スタテン島に駐屯していた境界線イニシアチブの主軸部隊が島内に隠されたCIアジトの発見と制圧に成功し、他の多数のCI構成員1と共にファイサル・バシャール容疑者の身柄が拘束される。
2001/09/16: 境界線イニシアチブより当局に容疑者の身柄が引き渡される。
Record 2001/09/20 - UIU-NY
連邦捜査局異常事件課による尋問記録
聴取人員:
エレイン・ショット 異常事件課捜査員
ハワード・パッカード 財団-FBI連絡員
聴取対象:
ファイサル・バシャール 容疑者
<記録開始>
ショット: これより、本日の尋問を始める。容疑者が当局に身元を引き渡されてから連日の聴取を行なっているが、容疑者は現在までマンハッタン次元崩落テロ事件を首謀した動機について明らかにしていない。容疑者は取調べの中で常に所定の質問を繰り返すのみであり…。
バシャール: だから、いい加減に私の質問に答えろ!ハドソン川協定は締結されたのか、されていないのか?
ショット: 尋問者に逆に質問してくる奴があるか!その質問は聞き飽きたって言ってるだろ!お前が言う未来とやらで作られた協定がどうなってるかなんて、俺たちに答える義理は…。
パッカード: いや…エレイン、ちょっと待ってくれ。今ならもう話せる。
バシャール: 答えは?
パッカード: …本日付で。財団と連合の両団体の首脳部はハドソン川協定の締結を発表した。
バシャール: その第125条は?
ショット: なんでまたそんなピンポイントな条文を!?
バシャール: 聞いておるのだ。答えよ!
パッカード: それでお前が満足するのなら、教えてやる。もう全世界に発信された条文だ。…「連合、財団の両者は以下の存在についてその生来の権利を確認し、正常性ならびに現実性を毀損しない場合に於いて、可能な限りその生存と自由意志の存立を擁護する…。」
バシャール: …その対象は…?
パッカード: 「…人間型異常/脅威存在」。以上だ。
バシャール: [容疑者はそれまでの剣幕を収め、呆然としている]
ショット: …それで満足したのか?
バシャール: ああ。一言一句変わらず、私の知る条文と同じだ。私の負けだ。もう、好きにすれば良い。
ショット: では、我々の質問に答えてもらおうか。お前はマンハッタン次元崩落テロ事件の現場に何を持ち込んだ?
バシャール: 「緋色の王」は…我々が持ち込んだものではない。あれは体制と反体制が、秩序と混沌とがぶつかり合う時、自然と引き寄せられて来るものだ。私が関与したものがあるとすれば…それは王の怒りの矛先を変えたことだ。
パッカード: 何から、何に対して?
バシャール: 私の知るテロ事件現場では…インサージェンシーは挑戦者だった。世に溢れ出した異常組織の元締であった財団と連合に対し、3年前まで存在していた正常な秩序を取り戻すための反抗を試みた。そして、王は混沌の世に味方し、反乱者は鎮圧された。
ショット: それじゃ、何の説明にもなってないじゃないか。
バシャール: いや、全てが逆だったのだ。かつての異常収容組織がヴェールの崩壊によって異常まみれの腐敗組織へと変わる過程で、そこから離反した者たちは最後の上澄だった。王は混沌を好む…王は上澄が持つ人類史が培ってきた良心に靡かなかった。緋色の王はメキシコ湾体制に与し、インサージェンシーを蹴散らしたのだ。
パッカード: 我々が見てきた緋色の王がそのくらい聞き分けの良い存在だったら、セントラルパーク周りが丸焼けになることもなかったろうに。罪のない我々の協力者の中にも人事不省になった者が大勢いる…エッカート女史の意識はまだ戻らない。
バシャール: 故に、私が現場に立った時、緋色の王を味方につけなければならなかった…カオスの名にかけて、世界中から不和と混沌の粋を集め、それをマンハッタン島に解放することを企てた。その中で最も強大であったもの2は、遥か遠く、レオニディオの奥地に隠されていた。
ショット: レオニディオ?まさか、あの虐殺行為にも加担していたのか?目撃者すら一人も残らなかった、あの?
バシャール: 2010年代、不和の神を名乗る不届き者が世界の情報網を作っていてな。奴は自分の故郷について堪能だったのだ。それで私は彼の者の故郷を狙った。私はそれを見て、知っていたからだ。お前たちがそれを知ることはないだろうが…。
パッカード: うーむ…エレイン、他のCI構成員が2000年12月に何をやっていたか調査することをタスクに加えてくれないか。可能ならマンハッタン島内で吹っ飛んだ連中も含めてな。
ショット: 勿論だ。さて、バシャールよ、一つ、有力な情報提供に感謝する。だが、まだ聞くべきことは山ほどある。そもそも、お前はなぜインサージェンシーに与することを選んだ?元はと言えば、お前は人権活動家だったはずだが?
バシャール: そうだ。私は今も人権活動をしているに過ぎん!全ては不幸な人々を救うためだ。現代における私の目的はただ一つ…未来の人々が異常な人間もどきによって世界から消し去られるのを阻止すること。そのためには、邪悪なハドソン川協定の締結を阻止することが必要だったのだ。
パッカード: なるほど、では聞こう、お前の知るハドソン川協定は何が邪悪だったのか。
バシャール: 条約の締結から、貴様ら財団と連合は超常民族の監視を取りやめた。そればかりか、奴らが世界へと蔓延ることを奨励した…『人権保護』の一環と嘯いてな。少しくらいまともな頭が有れば分かるはずだろう?人間並の知能に加えて爪や牙や魔力やその他の攻撃力を持った化け物が世に解き放たれたら、何が起こるか。
パッカード: それは。
バシャール: 数十年で、世界はヒトならざる者の手に落ちた。ヒトとヒトでなしが根底から互いを尊重し合うなど土台不可能なのだから、弱者が強者に敗れるのは当然の結末だ。それなのに『人権』やら『共生』という言葉に洗脳された哀れなサピエンスは、自らの種族が発言権を失い、落ちぶれていくことを良しとした。
ショット: その中で、お前はどうしたんだ?
バシャール: アフリカが突如としてヴェールを取り戻した時、私はそれが人間の再起する最後の砦となると直感した。しかし、仮初の平穏も、狂った急進政策を続ける残りの国際社会の前では早晩に崩れた…振り落とされれば、後は見捨てられるだけ。故郷のエジプトに押し寄せる人でなしの群れを相手に、私は良識の残る僅かな者たちと共に徹底抗戦を繰り広げ…そして、全滅した。私は彼等の無念を絶対に繰り返してはならんのだ。偶然にも時を遡り、全ての元凶であるハドソン川協定を潰すチャンスを得た最後の奇跡を、私は絶対に逃してはならなかった。…ならなかったのだ。
ショット: …それが、テロに加担した理由か?
バシャール: 私の知る限り、崩落次元の中で緋色の王を倒せるような存在が生まれる可能性など、あり得なかった…。
パッカード: お前の話は理解できた。未来の人間を救うという名目で、現代の多くの人間の生活を破壊したということだ。お前が本当に「未来」とやらから来たのかは、さておくとして、だが。
ショット: では、本日の尋問を終わる。
バシャール: いや…最後に、一つだけ言わせてくれ。
パッカード: うん?
バシャール: 後悔するなよ。
<記録終了>
Record 2001/09/21 - UIU-NY
ライカーズ留置所の監視カメラ映像
補足: 以下の映像記録は、2001/09/21の23時頃、容疑者の留置されていた独房を映していた監視カメラの映像と、同時に記録されていた音声を合わせたものである。
<記録開始>
[容疑者は独房内で睡眠中である。留置担当官の姿をした男性が容疑者の独房前で停止し、独房の鉄格子を解錠する。容疑者が目を覚ます]
不明な男性: ファイサル・バシャールさん。起きているかい?
バシャール: 誰だ?こんなところに。担当が来るような時間じゃないはずだが。
不明な男性: 僕は君を助け出しに来たんだよ。ほら、覚えてない?僕のこと。
バシャール: 見た目は私の担当官だが、どう見ても別人だな。私の知る限り、留置所のど真ん中でこんな真似ができる男はただ一人だ。
[留置担当官の制服が脱がれ、その下から囚人服の姿をした男性が現れる。囚人服のデザインはライカーズ留置所のものではない]
不明な男性: こうすれば分かるでしょ?
バシャール: やはりサイラスか。私と別々の留置所にぶち込まれたのに、よくもまあこんな短時間で逃げてきたものだな?
不明な男性: 僕にかかればこの程度は朝飯前さ。捕まる前に死んじゃったヴァシリー3達のためにも、留置所なんかにずっと居るわけにはいかないからね。
バシャール: お前の言い分は分かるが、でも私はもうこんな老ぼれの体だ、脱走などできないだろうさ。
不明な男性: 自由になれば、まだ目的を果たすチャンスもあるさ。ついてきて。
バシャール: こうなったからには仕方がない。
[容疑者は不明な男性に連れられて独房を出ようとするが、鉄格子から足を出したところで立ち止まる]
バシャール: 待った。お前、誰だ?
不明な男性: どうかしたの?急がないと。
バシャール: 私の知るサイラスは私を本名で呼ばない。あいつは私の本名もコードネームも無視して、私に勝手に“ジャンゴ”とかいう名前をつけていた。他の連中に対しても全員に適当な名を割り振る癖があった。
不明な男性: ま、そうだろうね。僕は本当はサイラス・アイザックスなんかじゃないし、そして他の誰でもないんだから。
[不明な男性の外見が変化していく。ヒト型の体型はそのままに全身が一様な濃い紫色へと変化していき、体表の輪郭線が薄く発光し始める]
バシャール: 2年ぶりか。初めて出会った時のお前は希望の星だったが、もうチャンスなどない今となっては、ただの闇だ。
不明な男性: さあ、ここでの君の仕事は終わったんだ。次に行くよ。
バシャール: 早まらないでくれ。何もできない私をこれ以上連れ回して、どうするつもりなんだ。
不明な男性: 何も?それどころか、君はとても大事なことをしてくれたじゃないか。マンハッタンズ・メカニクスを成立させる理由を作り、世界中の超常団体が一般社会の信頼を集められる下地を作ること。それが君の本当の仕事だったんだよ。
バシャール: であれば、お前は最初から知っていたのか?緋色の王が私の未知の存在によって打ち砕かれることを?故郷を焼かれ同胞を失った私を、単なる世界への当て馬として呼びつけたことを?
不明な男性: まあ、上手くいかないなら他の人を呼ぶだけだもの。
[容疑者は不明な男性に掴みかかるが、対象の肉体をすり抜けてよろめき、転倒する。打撲音が留置所内に反響する]
バシャール: 痛い…こいつめ…骨が折れたぞ…。
不明な男性: 嫌だなあ、それじゃ今後の仕事ができないじゃないか。それなら、退場してどこかへ行ってもらうだけだね。引っ張って連れてってあげる。
バシャール: お前、何者なんだ?なぜ私に執着する?
不明な男性: 僕は何者でもありはしないし、そして何者でもある。言うなれば人類の総意だよ。未来の人類はヴェール崩壊以前から溜め込まれた超常技術のノウハウを必要としてる。だから、マンハッタンズ・メカニクスが成立するとありがたかったんだよね。そのために君がいてくれてとても助かったよ。
バシャール: お前を送ってきた未来の人類は、何を求めている…?
不明な男性: 僕が彼等の意思を忖度してるだけさ。国際社会の合同プロジェクトとして、遥かなる宇宙へと続く塔を完成させるという、人類の意思をね。
[容疑者の独房内の壁が暗紫色の光を発し始め、風が吹き抜ける音が聞こえてくる]
不明な男性: 本来であれば、僕も君も、この世界にいてはいけない存在。さあ、ここを後にして、自由な時の流れに戻ろうじゃないか。前にもそうしただろ?
バシャール: …観念した…この身体で、抵抗するだけ無駄だ。最後に、教えてくれ…。
不明な男性: 今更、ここで何か聞くことがあるの?
バシャール: 塔に、ホモ・サピエンスは登るか…?
不明な男性: …なるほどね。マンハッタン・メカニクスを作った連中は、財団や連合よりも人付き合いが上手いんだ。それに、今の僕の体型を見れば、未来の人類がどんな姿をしているか、分かるはずだよ。なんたって、僕は人類の総意なんだからね!
バシャール: そうか…!
[独房の壁が瞬間的に強い発光を放ち、その後、元の色に戻る。独房内に二人の姿は確認できない。録音機器に残された反響は、両者の笑い声である]
<記録終了>
この記録の通り、容疑者は2001/09/21に留置所から消失し、逃亡したものと見做された。複数のテロ事件の首謀、並びに脱獄の嫌疑で、FBIは容疑者を指名手配した。
追記: 2010年現在、容疑者の所在は未だ明らかになっていない。ただし、逃亡から現在までに容疑者が関与したと推定される事件が発生していないこと、並びに容疑者の主張が正しければ現時点で容疑者は96歳と非常な高齢であることから、容疑者は現時点で既に死亡しているか、生存していたとしても社会治安に影響するテロ計画の立案能力はもはや保たれていない可能性が高い。以上の理由により、容疑者は2010年を最後にFBI指名手配リストから削除される。