宇喜田博士の死、そしてその家族による鎮魂歌

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「黙祷」

葬式というものは、いかんせん辛気臭いものである。部屋中に張り巡らされた「死」のメタファーに、悲しさを滲ませる参列者の表情。悲哀に満ちた空間は息苦しくて胸が締め付けられる。やはり苦手だ。人の死に触れるのも、誰かをあちらに送り出すのも。えもいえぬ虚しさと虚脱感が身体にまとわりついている。だがしかし、悲しいと感じることはなかった。無感動だった。葬儀の場において相応しくない状態だ。

通常、葬式といえば気持ちが揺らぐものだろう。故人へ思いを馳せ、かつての思い出を振り返る。それだけではなく、もう会えないという現実を痛感し、涙を流す。財団においてもそれは同じだ。プロジェクトリーダー、同僚、先輩、後輩。そういった親しい間柄の人物の死は、それ相応に強く心を揺さぶる。

先日、親父が死んだ。かつてバスケットボールの怪人と呼ばれていた存在は息絶え、棺の中で力なく横たわっている。こうなってしまえば二度と起き上がらず、声を聞くことすら叶わないのは、仕事の関係上痛いくらいに知っている。これまでに何人もの同僚を失ってきた。彼らはアノマリーに下敷きにされ、死よりも恐ろしい苦痛を感じながら絶命した。それと比べたら、親父の死は穏やかなものだ。睡眠中に発生した心発作。担当の医師は「寿命を全うした」と言っていた。その言葉を聞いて、心の中にあった支えが取れた気がした。ずっと感じていた息苦しさから解放されるような清々しさを覚えた。唯一残念だったことは、親父の死によってそれを感じたということだけだ。

生前の親父のことはあまり知らない。知っていることと言えば、その奇特な見た目と、親父らしい人間性くらいか。再会した時こそ喧嘩はしたが、それからは円満な関係を築けていた。と、思う。結局のところ、他人の気持ちなど理解しきれないのだ。心の中で何を思っているのか、俺に知るすべはないし、確かめることもできない。親父を心配した時に返ってくる言葉が「心配するな、自分のことを考えろ」だったのは、やはり父親故なのか。俺もいつか子供を持てば分かるのだろう。財団という危険な職場で、それまで生きていられるのかは怪しいのだが。

「では、引き続き、火葬に移ります」

アナウンスが流れ、親父の亡骸の入った棺桶が移動させられる。悲しいとか、そういった感情が沸き起こるわけでもない。案の定、気持ちが揺らぐこともなく、強い衝動に駆られることもなく、心のどこかで親父の死を受け入れている。まるでいつもの俺ではない。直情かつ癪性な俺なのに、なんでこうも感情が湧きおこらない?

棺桶が火葬炉に入ってから数分が経った。戻ってきたものは炭になった肉片だけで、それらはすぐにまとめられて骨壺へと収められてしまった。骨上げをする暇すらもなく、葬儀は進行していった。やはり無感動だ。財団に入ってから、涙を流す機会は有意に減少した。心が錆付いているのだろうか。哀愁も郷愁も感じなくなった俺には、一体何が残されているのだろう。人間らしい心でありたいと願っても、そうはいかないのが現実だ。異常と向き合う過程で心はすり減っていく。その際に、失ってはならないものを失ってしまっただけ。対話部門にかかれば、きっとすぐに治るだろう。

俺は人間だ。親父とは違う。

失った心だって、きっとすぐに取り返せるだろう。


「おっかしいなぁ……

サイトのカフェテリアで呟く。手元にある診断書を見る限り、俺の心は正常らしい。無感動なのに正常とはどういうことか。右手で後頭部をボリボリと搔きながら、カップに入ったコーヒーを飲んだ。順当に苦い。砂糖もミルクも入れていないから、当然と言えば当然だ。

もう一度、診察を受けてみようかと思った。今回は何かの不具合で異常が検出されなかっただけかもしれない。次、受け直せば「異常あり」との結果が出るかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら、席を立ってカフェテリアを後にしようとした……時だった。

……兄さん?」
「ん……? 環じゃないか。どうしたんだ、こんなところで」
「兄さんこそ、何をしてるんですか?」

俺の妹──浮田環とバッタリ出くわしてしまった。別に嫌いとかそういうわけではないのだが、今はどことなく気まずい。親父の死で悲しめなかったことも、手元にある診断書のことも。気取られないように立ち回る必要がある。

「俺か? 俺は……まあ、ちょっと休憩をだな」
……その手に持ってる紙は何?」
「これか? これはだな、その……
「ふーん」

ひょいと、診断書を奪われてしまった。考えている隙を突かれて簒奪されるとは、なんとも不覚だ。

「対話部門……精神鑑定……結果正常……
「あー。ちょっとな、気持ちが不安定になっちまって。ほら、親父も死んじまったしさ」
「お父さんが死んじゃったのは仕方ないよ。異常だったとしても、寿命はあるから」

だから気に病む必要はない、と環は言った。でも、心は晴れない。釈然としない表情のまま、俺はその場に立ち尽くしている。

……そんな単純な問題じゃなさそうだね」
「環、実は、俺……

気が付いたら、気持ちを全て吐露していた。何故、これまで溜め込んでいた気持ちが放出されたのかは分からない。実の兄妹で、家族で、親しい間柄だったからこそ、我慢していたものが漏れ出てしまったのかもしれない。

……だから、俺は正常に戻らないといけないんだ。なんとしてでも、人間にならないと──
「分かる、分かるよ兄さん。自分が異常になっているんじゃないかって、不安になっちゃったんだよね?」

無言で頷く。環が俺の手を取って言う。

「大丈夫だよ。兄さんは、感情の表し方を忘れているだけ。異常でもなんでもないよ」
「でも、俺、親父の葬式でも泣けなくて。こんな、こんなの親不孝だって分かってるのに」
「大丈夫。これから少しずつ、感情の表し方を思い出していけばいいんだよ」

環の声音は柔らかくて、暖かくて。泣いている子供をあやすかのように柔らかかった。それが心に沁み込んでしまったのかは分からない。

でも、その日、俺は久しぶりに泣いた。


それから数ヶ月が経って、少しずつ気持ちを表現できるようになっていった。悲しいとか、嬉しいとか、悔しいとか。今まで発露できなかったとは思えないくらい、気持ちを感じ取れるようになっている。ここまでしてくれた環には感謝しかない。あの後、環は自分のコネや伝手を使って、俺を支援してくれた。その伝手は想像よりも大きくて、俺がいかに周りを見ていないかを理解させてくれた。俺の妹は、見ていないうちに財団内でも相応の地位を得ていたのだ。

医療部門精神科による定期検診を終えて、俺はサイトの廊下を歩いている。ふと右手を見れば、そこには職員用の共同墓地があった。ここに、親父が眠っている。かつての親父の姿を思い描きながら、俺は黙祷を捧げた。

「それじゃ、俺は行くよ。仕事もあるしね」

そう言って、墓地を後にする。その場には、バスケットボールの柄が描写された、一つの頭部カバーが残されているだけだった。


「それにしても、珍しいわね」
「なんですか、お母さん。家族に肩入れするのってそんなにおかしなことですか?」
「いえ……それにしても、今回は特別ですからね。本来なら解雇されるはずの者を、無理やり財団内に留めおくなんて」
「分かってますよ」
……でも、なんとなく分かるわ」
「何がですか?」
「大切な存在を失いたくない気持ちも、それを防ぐためならなんだってする覚悟も」
……そうですか」

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