紙屑同然になった文書の山を漁っていると、浅い息が男の口から零れ落ちた。背後に立つ端末が報告書を一束刷った。25日目から24日目のページに目を走らせて、情報を読み取りしだい捲っていった。
壁面の亀裂から彼の座り込んでいる場所に光が差し込み、周囲の闇の只中に影が浮かび上がっていた。サイト-19の内部ですら死の先駆けと無縁とは言えなかった。尤もサイト外を流離う混沌に包囲されている中であってさえ、沈黙以外には何もなかった。
生暖かい空気が漂う中で響いた悲鳴は今や聞こえなくなっていた。残っているのは男一人だけだった。
13人、12人、男は悲しみに暮れていた。多様な感情を押し殺し、何が確実であるのか、何が自己憐憫の気分なのか判断できなくなっていた。混乱の極みに陥っていた。緊張を和らげようと空気を吸った。効果は無かった。
にもかかわらず、男は報告書を捲り続けていた。たった一つの指示にひたすら従っている自我を持たない存在のように、終わりなき隷属に縛られているロボットのように、部屋の外を彷徨いまわる怪物どものように。
男の成さねばならぬ仕事だった。自らに課せられた義務だと感じていた。男は仲間たちに然るべき評価を下さねばならなかった。全てが男の双肩に圧し掛かっていた。
仲間が答えを見つけたと語っていた時に芽生えたほんの僅かな希望が男を行動へと駆り立てていた。正気を失った精神は今なお辛うじて生き続けていた。事実、男は希望をくれた仲間たちの囁きを耳に出来ていた。
1時間にも感じられる1分が流れた。報告書の末尾に辿り着いていた。最後の文書だった。冒頭に、次に中程に、そして末尾に目を通した。しかしながら、目当ての記述を男は見つけられなかった。
ファイルは更新されているはずだった。
何度も見返した。報告書の束の冒頭から、読み終えた末尾の端から端まで。しかし変更点は見つからなかった。
どこが更新されたというのだ?間違った版を掴まされたのか?答えはいずこに?
そしてちょうどその時、男の隣の端末が瞬いた。
(1)件の新着メッセージがあります!
男はすぐさま紙束を置いた。テーブルに向かい、マウスを走らせて通知をクリックした。
1件の001ファイルが更新されました!更新された内容を閲覧しますか?
両手が暫しメッセージの上を彷徨った後にリンクをクリックした。
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説明: 太陽は初期の崩壊を引き起こした(約50億年前の)イベント後にSCP-001に指定されました…
突如として口から小さな笑い声が漏れて静寂が破られた。小さかった笑い声は大きくなり哄笑へと変わった。哄笑はゆっくりと狂気に染まっていった。
目の前の現実は男が望んだ結果ではなかった。
机に拳を力いっぱい叩きつけると、板にヒビが走り、舞い上がった埃が目に入った。男は拳をもう一度机に叩きつけた。そしてもう一度、何度も何度も。手が血に染まるまで続いた。
それから男は叩くのを止めた。両腕はダランと下がり、身体は椅子に沈んでいた。顔を上げる。続く数分間、男はその場から立ち上がらずにいた。時間は永劫に続いていくように感じられた。
男は椅子から身を起こした。
ゆっくりと、さながら両足が机から逃げ始めようとしているかのように体に鞭打って歩き出した。希望のわずかな一欠けらを信じ、自分を頼りにする無数の者達の手を感じていた。ドアに近づいていくと、恐ろしいまでに温もりのある無数の手は彼の足を引っ張った。
けれども世界が死に絶えたところで、男のせいではなかった。
一度はバリケードを築いたオフィスのドアに向かって歩いて行った。窓から差し込む光が男の手を透過したが、気に留めはしなかった。結局のところ、男のせいではない。だからどうして仲間の命を気にすると?彼らは自分の命を彼に委ねたわけだが、後に遺していったのは失望そして破壊に他ならなかった。
一枚一枚、板を外していく中で、男は一言も喋らなかった。手から流れ落ちた血が部屋中に飛び散り、壁面を、床面を赤く染めた。それはまるで未練を断ち切れずにいる温もりのある無数の手が必死に男の背中を掴もうとしているかのようだった。男が振り返ると、自分を信じていた多くの者達の顔を目にした。
間もなくだ。
男はドアノブを掴み、躊躇いを覚えながらもドアを開き、荒廃する外の世界へ一歩を踏み出した。男でなくとも誰だってこの世の地獄に足を踏み出すのは躊躇しただろう。
しかし太陽は今や滅び去っていた。男が同じ道を歩むまいと誰が断言できるのだろうか?