正しさのない
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「今日からここにエージェントとして配属されることになりました、杉村です。至らない点もありますが、どうかよろしくお願いします」

「うん、よろしく。僕は辻、それでこっちは──」

 先輩が俺たちのことを一人一人紹介しているのを聞きながら、彼女のことを見る。一見すると、どこにでもいそうな少女。しかしこれまで、ナンバリングされ収容されていた少女。

 異常性を持った人間が収容されずに職員として雇用されることは、財団では決して珍しいことではない。だからSCP-1160-JP-EXがエージェントとして雇用され、このサイトに来ると言われても、その職員たちは特段驚かなかった。彼女について書かれた、その報告書を読むまでは。

 ソレが雇用されることは、財団では決して珍しいことではない。ただしそれは、使い捨ての"D"としての話に限る。だから皆驚いたし、不安になったし、上層部の考えを疑っていた。

 人殺しがエージェントとして雇用されるなど、滅多にないことだから。




 歓迎されていない。それが、顔合わせを終えた印象だった。もちろん表立って何かを言われたわけではないし、表面上は新人を気遣っていた。けれど、どこか……厄介者を引き取ったと、そういうよそよそしさがあった。親が死んだあと、親戚の家に転がり込んだ時と、同じような。

 当然だと思う。これまで収容すべき敵だったものが、ある日突然味方として働くのだから、困惑はするだろう。けれど、一生懸命に貢献すれば、きっとこの人たちもわかってくれる筈だ。新たな戸籍、苗字、役職。エージェント・杉村として。もういない彼の、正義を証明するために。私はこれから、この組織で働く。










「やあ、はじめまして。私は天羽太透、カウンセラーだ。……ま、とりあえずソファにどうぞ」

「はい」

 通された部屋の雰囲気は、この組織にしては随分と緩いものだ。柔らかなソファー、よくわからない置物、アロマキャンドル。その奥で座る癖毛の男は、少女に腰掛けるよう促す。彼女はそれに従い、机を挟んだ対面のソファに浅く腰掛けた。面持ちと言動から、カウンセラーは緊張を読み取る。

 新人が受ける事務的なメンタルケアだと、今は杉村と呼ばれる少女は事前に聞いていた。対面の男の名札にあるロゴが、心療を主とする『対話部門』のものであることも。

「それで、どうかな。仕事には慣れた?」

「そう……ですね。周りの協力もあってですが、なんとか仕事はこなせるようにはなりました」

「それは何より」

 本心から嬉しそうに、天羽はにっこりと笑う。人の良さそうな笑みは少女の警戒心を中和して、会話の澱みを分解していく。

「任務では今のところ、特に困ったことはない?」

「はい、よくやれています」

「じゃあ、任務以外はどうだろう」

 押し黙る。やっぱり、少し気に病んでいるのだろう。天羽はエージェントの報告を思い返しながら、彼女の返答を待っていた。

「……任務以外は、特に」

「話したくない?」

 その問いに、エージェント・杉村は首を振る。

「じゃあ……話すことがない、かな」

 こくん、と小さく頷く。そうか、とだけ返して、天羽は少し黙った。

「杉村さんはさ」慎重に、割れ物を扱うように言葉を選ぶ。「会話は好きかな?」

「好きでも嫌いでもない、ですね」

「そっか」

 どういった意図の質問か掴みかねている少女に、カウンセラーは優しく言葉を続ける。

「私はね、好きなんだ。人と話すの」

 胸元のネームプレートに描かれたロゴマークを撫でるその仕草を、エージェント・杉村は彼の視線を避けるように見る。

「こうやって君と話しているのも、もちろん楽しい」

「そんな愉快な話はしてないです」

「そうかもしれない。でも、対話することで、私と君は今日、ちょっとだけお互いについて知れる」

 諭すように、『対話部門』のカウンセラーは彼女に語りかけていく。

「人と話すって、大事なことなんだよ。それだけは、覚えていて欲しい」








「殺す必要はなかったんじゃないですか」

 そう、言わずにはいられなかった。もう任務は終わって、手遅れなのに。

「そう思うか?」

 先輩──確か柏田という名前──は、冷ややかに言葉を返す。たった今一人撃ち殺したとは思えないほど、冷淡に。それが嫌で、縋り付くように言葉を重ねる。

「はい、この組織の理念は"保護"だったはずです。何も殺さなくても、他に方法が」

 はっ、と。まるで子供の冗談のように、彼は私の言葉を笑い飛ばした。

「方法? 対象は明らかに激昂していて話が通じる状態じゃなく、まだ民間人も非難していない病院で、SRAの効きも悪かった。無理に確保しようとすれば、俺たちどころかここら一帯の命が危なかった」

 そうかもしれない。けど、だけど。

「彼が、そんなことをするとは」

 今回収容対象として指定された10歳の少年は、『他人の体を癒す』力を持っていた。それを使って病院で、いろんな怪我や病気を治していたことから、財団の目に止まったのだ。心優しい、少年なのだ。

「終了前の奴を見て、まだそんなことが言えるのか? 自分の体を変質させて、デカイ肉の塊になって、俺たちを押し潰そうとしたのに?」

 エージェント・柏田は、目に見えて苛立っていた。それを嗜めるように、リーダーであるエージェント・辻が口を開く。

「おい、そこまでに──」

 でも、違う。だって彼は人の役に立っていた。その能力があった。私は、これを肯定するわけにはいかない。肯定してしまったら、私は何のために生きているのかわからなくなる。

「彼は、死なせてはいけない命でした。正しいことを、していたはずです!」

 ……止まった。ここにいる私以外の全員の、動きが。私の言葉が原因であることはわかったが、なぜ止まったのかまではわからなかった。

 十秒とちょっとの後、動いたのは柏田さんだった。彼は私に支給されていた銃を腰から奪って、握る。そして言った。

「ああそうだな。そしてよく覚えておけ人殺し。殺していい命なんて、この世に一つもねえ」

 そして、彼は私を置いて歩いていった。他のエージェントが何か言っているのは、彼の足音と反響する言葉で聞こえなかった。








 扉をノックする音が、昨日からこの部屋にある静かさを遮る。けれど、応答はしない。動きたくない。

「失礼するよ」

 ちょっとして、鍵をかけていたはずの扉が開く。その声と顔は少し前に見たばかりのもの。確か名前を──。

「天羽、さん」

「うん。鍵はマスターキーを借りたけど、許してほしいな」

 聞きたかった疑問とは別のものに答えながら、天羽さんは部屋の電気をつけた。物のない部屋が明るくなって、それで私は今が夜であることに気がつく。

「どうして」

「うん?」

「どうして来たんですか」

 いいや、わかっている。心療を主とする『対話部門』の『カウンセラー』。私の今の状況。心療をしに来たのだろう。私を、癒しに、来たのだろう。

「話をしに。私は、それが仕事だからね」

 案の定の答え。でも、私は、そんなのもういらないんだ。

「天羽さん」

「はい」

「私は、人を殺しました」

知っています

 膝を抱えたまま俯いて、口だけを動かす私の隣に、天羽さんは体育座りをした。

「好きな人を、殺しました。必要だと思ったから。好きな人も、殺していました。必要だと思ったから。正しいと思ったから」

「はい」

「それは、間違って、いたんですか?」

 答えなんて、わかりきっている。それでも、私は、裁いて欲しかった。否定して欲しかった。自分自身でそれをする勇気がなかったから。

「冴島さん」

 久々に呼ばれたその苗字に、私は彼の顔を見る。カウンセラーの目には、非難の色も憐憫の色もなかった。ただ、私を見ていた。

「正しさって、何ですか?」

 ……答えられない。

「人を殺すことは間違っているのか、正しいのか。そう聞いたらほとんどの人は確かに、間違っていると答えます。けれど、この組織では──はい。人を、殺すこともあります」

 昨日の光景を思い出して、私は目を瞑る。再び目を開くのを待ってから、天羽さんは話を続ける。

「そして、私たちはそれを容認しています。それはきっと、間違っていると考える人も、沢山います。けれどそれでも、私たちは、これからも活動するでしょう」

「……」

「冴島さん。大事なのは、その行為について考えて、話して、未来に繋げることです」

「話す、こと」

「自分は間違っていたのか、もっと他に方法があったんじゃないか。自分だけじゃなくていろんな人と悩んで、次は、より良いと思えるようにする」

 出来ることは、それだけですから。

「……」

 私は、動けなかった。そんなに直ぐに、割り切ることはできない。刃物を刺す感触を思い出す。最後の彼の表情も。今、彼のことを覚えている人が、世界にどれほどいるだろう。私の行いは、どうだったのだろう。

「一つ、やりたいことがあります」

 でも、一つだけ。考えて、話すべきことがあるのだと気がついた。









 東京都にあるありふれた集団墓地に、彼は眠っていた。正義の味方には小さすぎる墓だけれど、それでも、彼の居た証はそこにあった。

「マサくん」息を吸う。涙を堪える。「会えたら、会いたかった」

 一度も墓参りをしなかったのは、彼の死をどこかで受け入れていなかった自分がいたのだろうと、ようやく気がついた。もう返事をくれない彼に、泣きながら、ただ花束を捧げる。

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