暗闇の中での食事は数少ない希望だった |
2025年 築地時間:10月5日午前六時 地下東京 築地市場駅 タカサキ/トーキョー回覧板組合・記者
朝、割れ欠けた瓶で作られた粗雑なコウモリ・リランタンの何とも言えない灯りが駅中に灯された頃、私は今月分の交易隊に渡す”回覧板”の準備の真っ最中だった。書き物の明りに使う手回しのライトとは違ったツンとしたにおいに顔をしかめながら骨削りのインクを走らせる。冷たい金属製のデスクは最低限の書き物ができるだけの状態を保っており皮膚に伝わってくる鈍い冷たさを除けば環境としては悪くないと言えるかもしれない。少なくともあのぼんやりとした光源の下で目を凝らして仕事をするよりは明りが設置できているだけ幾分かましだ。
今回は数日遅れると聞いていたが実際のところは遅れるかもしれないっていう念のための連絡がストーカーに間違って伝わっていただけで実際はいつも通りの定刻1には到着するらしい。築地の海水で作った塩か、海水そのものを手に入れて銀座に行く連中だ、あんまり待ってはくれないだろうから連絡事項やらニュースやら必要なことをまとめておかなければいけない。
ニクデンシャの”チラシの裏”にあれこれ記すのはそれなりにやってきたが、この書きにくさといい外れを引いた時の頭痛を考えるとこの職を続けるやつが少ないのは本当によくわかる。そもそも字が読めない世代が出てきたのを考えるといつまでこの職が続けられるかも怪しいものだ……
ブツブツと先の見えない先行きを愚痴りながらかつて公衆電話が設置されていたデスクで仕事を続けていると、何処からともなく潮の香りが流れ込んできた。屋台連中がポンプ室周りで今日の仕事を始めたらしい。すきっ腹で愚痴ばかり出る腹をさすって最後にいつ食事をしたか考え……私はチケットを掴んで少しの気晴らしに行く事にした。
デスクから手回し式ライトを外してクルクルと充電しながら線路に降りると、同じように腹を空かせて目を覚ました連中が各々の明りを手に亡者の群れのようにポンプ屋台の通りに向かっているのが見える。ライトの光量を少し落としてお互いの足元を照らしあいながらよろよろと歩いていくと、駅の中で数少ない明るい通りに出る。
ニクデンシャの食えない部位を燃料に焚かれた燭台に変異フグの吐き出した毒油の提灯、肉をあぶる炎、様々な食の光源に加えて油とカロリーと食欲をそそる匂いが通りに充満する。駅の中で生の活力に満ちた通りは数少ない希望が滞留しているような気配がある。
今週使えるフードチケットの残りと財布に残った通貨を見比べて、一番腹が満たせそうな選択肢を探す。財布を考えるならあの言いようも知れないローチバーをもらってくるだけで済ませるべきだが身体が肉を求めている。
財布の具合を考えながら通りを歩く。ローチバーを切り分けて出自不明の白いドロドロしたポーションをかけたものを見なかったことにして、魚介鉱床から切り出した氷塊のごった煮の屋台の横を通ると、ボイラーの補助熱と廃棄ニクデンシャの油で火力を維持しているケバブの屋台に行き当たる。昔はイラン人だかなんだか、何処かの中東から来たとかいう未だに中東風の格好を維持した男が私に気が付いて声をかけてくる。
「タイショ!いいニクデンシャ仕入れたヨ!今日はケバブ記念日ダネ!安いヨ!」
中東男……確かザイールとかいった男の後ろで調理している様子を見ると、何人かの男たちが築地で作った塩と豆醤だか魚醤だかのタレをよく揉み込んだ肉をおおよそ1mから1.2mほど肉を堆積場に重ね、中心に加工した鉄串を差し込んで焼き台にセットしている。すでに焼き台にはいくつかすでにでかい肉がセットされていて、ハンドルでぐるぐる回しながらじっくりと火を通していく傍ら、その横では余熱を利用してモヤシとパイプキノコを炒めている。滴る肉の油を使ってジャッジャと炒められている様子はこれでもかと食欲をそそってくる。
「いいね、チケット?それとも電池払いのほうがいいか?」
「どっちでもイイヨ!チケットなら二枚で肉、3枚で大葉!炒め物は二枚だよ!電池なら一個でフルセット!」
財布とチケットの残りを見比べて少し逡巡する。まだチケットの支給も給料も日はあるが……
「チケットで頼むよ。5枚で、できれば水も付けて。」
「イイヨ!」
チケットをザイールに渡すと屋台の側の立ち食いスペースに移動して飯が準備されるのを見る。火が通った面をナタのような刃物で削ると大きな鉄バケツに捨てるとピンク色の肉が姿を現す。これを軽く日に当てた後に皿を焼き台に添え。薄く何枚もこそぎ落してそこに水耕栽培の大葉を何枚か添える。そして横に雑に炒めたモヤシとパイプキノコの炒め物を盛り、ローチの腹を漬け込んだものを二つ手際よく乗せてソースをかける。
「ハイヨー!チケット5枚盛リ!」
ギュルルルルと腹がカロリーを催促する。ザイールがこちらに皿をでんとよこしてくると、私はむさぼるように肉を手づかみでかぶりつく。一口目はアタリだ。
豚っぽい甘い感じの油が肉から溢れてきて久々に肉を食ってる感じがする。口の中がしつこく成ってきたところで大葉にモヤシとキノコを包んで放り込む。シャキシャキとした触感の中にクニクニとした触感が続き、最後にシソっぽい大葉の香りが抜けていく。羽と手足を外したローチはプチっとした後にぶにぶにっとするがこれを他の素材と一緒に飲み下す。今回は外れ部位2が入っていないのでずいぶんと美味しく食べられた。
口が現れたところで二口、三口と肉をほおばり、あとから出してくれた水で洗い流す。久々にしっかりとしたカロリーにほっと息をつく。
さらに残った肉のかけらと油を指でさらってきれいに片付けると
「旨かったよ、またチケットが入ったら頼む。」
「イイヨ!よかったら宣伝シテネ!」
「気が向いたら交易隊のやつらにも声をかけておくよ。外れはいれるなよ!」
「ハズレは値切ッテキタラ出すヨ!」
二人でケタケタと笑って屋台をあとにする。
来たときは視線が下がってばかりだったのだが、少し視野が広くなったのを実感する。多少軽くなった足取りで屋台の通りを抜けつつ、スイーツっていう名目で売っているローチバーのミルクゼリーを横目にデスクへと戻る。
あともうひと踏ん張りで回覧板も書きあがるし、交易隊から回覧板の分の電池が入ったら次は食レポを書いてみるのもいいかもしれない。グルメ雑誌なんていう文化は滅び去って久しいが、かけらくらいはよみがえっても許されるんじゃないだろうか?
地下東京だってまだ食えるものもうまいものもそれなりに残っているのであれば、食道楽している馬鹿だってどこかに生き残っているだろう。
そんな事を考えながら私はデスクにライトをひっかけると骨削りのペンを手に取る。とりあえず最初のコラムはここからだろう。
【地下東京グルメ:ニクデンシャケバブ】