不沈の艦
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19██年██月某日
 
 遠方の海に1人、死ねぬ軍艦がぽつりといる。過去の海に囚われ、その航路を廻り続けている者が1人いる。かつての大戦で第6駆逐隊に名を連ね、海に3度甚大な戦火を受けたにも関わらず大日本帝国に生還を果たし、終戦まで生き延びた事で「不沈艦」「不死鳥」「戦争を生き延びる運命の艦」とまで喚ばれた者が1人未だに海を彷徨っている。彼女は孤独であった。彼女の友は既に姿を変えているか、または大戦の海に沈んでおる。彼女の上で共に戦った海の兵士も、今や数を残すばかりとなっている。その中でこの遠方の海に再び舞い戻る物好きなどとうにおらず、彼女に再び面会できる者など居るはずが無かった。
 今や彼女はその功績と共に世間で讃えられ、彼女を蔑む声など聞こえもしない。なにぶん彼女が死ぬべきであった地で起きた事を、映像記録に残せるものなど1人もいなかった。彼女の生還の秘密は広がることはなく、生き残った功績は彼を見た者達を通じ、不変の真実として語り継がれてきた。「響」は沈まなかった、と。
 だが、彼女は死ぬはずであった。あの戦友と2人、敵と戦ったあの海で沈むはずであった。しかし、神の悪戯であろう奇跡により、ここまで生き長らえた。しかし、戦友を失い、なお一人海を渡り続けてきた彼女の身の上を思えば、死に損なったと言ってもいいのかもしれない。


1942年6月12日

 私は大日本帝国から遥か離れた海上に、戦友の暁と共に居た。キスカ島と呼称されていた小さな島の近海を巡っていた。その海域の特徴的な気候により、その日は一面の霧であった。目を凝らしてようやっと前が見えるほどであり、雲の隙間を縫い近づく魔の手をいち早く察知するのは困難な芸当であった。互いに居場所を確認しながら進んでいたその時、目の前の霧を破り5機の編隊が姿を現した。あまりに突然のことであった。なにぶん至近の警戒は怠ることはなかったにも関わらず、敵機の接近に気付くことが出来なかったのである。いち早く臨戦態勢を整えた暁と共に応戦するも、敵機の爆撃を逃れる事は不可能であった。敵機より投下された爆弾の一発は右舷艦首外板を貫通して喫水線付近の錨鎖庫で爆発し、のち三発は至近弾となって猛虎のごとく私を襲った。
 その時もはや私は爆撃による損傷により、前部主砲周辺まで浸水し沈没の危険に至っていたが、その時私を包む光が現れた。まさに奇跡とも呼べる事が起きたのだ。体を撫でる光に触れたことにより傷は癒え、穴は塞がり、沈みかけていた船体そのものも浮力を得て再び海の上に舞い戻る事が出来たのである。その光景に、誰もが目を疑った事だろう。かたや私を沈めかけたあの敵機も驚愕の念に囚われていただろう。かのような事が起こりうるのか、そう思っていたに違いない。
 あれは神の加護と考えて良いだろうと私は思っていた。大日本帝国に在わす天照大御神、武甕槌神、かたや八幡神の加護であろう。きっと神の悪戯にあるだろうが、それによりこうして私は生き延びる事ができたのだ。
 


 
 その時から私は自我を得た。私には果たす使命があり、それをまだ達成していない矢先起きた悲劇がその時の強襲であった。その使命とは遠方の海で憎き(今やその念は微塵もないが)米軍の軍艦どもと戦い、奴らを殲滅し誇り高き死を迎える、というものであった。その命を為さずして人知れず無様に散りかけた私の情けなさを、眼前にした神の戯れな加護を受けた事により、一つ周りと違う場所に登ったが為の副産物であろう。一隻のしがない駆逐艦が、「不死鳥」と呼ばれるまでの奇跡を手に入れたという証明と言っても差し支えない。
 これより前に私に自我が無かったと言い切る事は、私には難しい。自我を得た時に思う私の過去は、以前の私が思う過去と何ら変わりが無いわけなので、一概には言い切る事は出来ない訳なのだが。無論、その過去についても私が自我を持った事により後から創造されたものとも取れる。私が明確に自信を自覚するようになったのはこの時であるのは確かだ。
 


 
こうして私は神の加護を身に宿し、損傷のほとんど見受けられなかった暁と共に5ノット後進でキスカを発った。
 神の加護により殆どの傷は癒えていたものの船体の確認も兼ねてか長期修理となった。その為、第六駆逐隊の僚艦は8月28日付で第三艦隊配属となったものの彼女達と行動を共にする事叶わず、ガダルカナル島の戦いに関わる海戦に参加する事も出来なかった。その為私はこれ以降護衛任務を主とする事となった。


同年11月9日15時以降

 暁が前進部隊と共にトラック泊地を出撃、12日午前3時以降にガダルカナル島に向かったことを知った。そして11月12日23時30分、暁を含む挺身攻撃隊はガダルカナル島沖でアメリカ艦隊と交戦し、暁はアメリカ艦隊からの集中砲火を受けて沈没したと言う。12月15日、暁が第6駆逐隊から除籍された。共に戦い、長らく居場所を共にした友人が、いなくなってしまったことを理解した。彼女は遠方の海で誇りある死を迎え、私の目の前から姿を消したのだった。


 私はその後、特に何も無く終戦を迎えた。これが良かったのか悪かったのか、私にはわからない。
 私は讃えられた。仲間に、民衆に、誇り高き軍人達に。三度の甚大な戦果を乗り越え、今ここに現存する不沈の艦だと。そんな者達はいくらでもいた。私のように神の加護を得ていなくても、その命が途絶えず生き残っている者達が。そんな者達でさえ私を担ぎ、褒め讃えた。
 その賞賛の嵐の中で、私は惨めで堪らなかった。一体私は何をしたと言うのだ。戦績であれば沈んで行った艦に優れたもの達がいくらでも居る。私は偶然得た奇跡により今まで生き長らえただけであった。ひと時は神の加護を受けたことを誇りに思っていたが、もうそれは私の劣等感を助長する呪いであるように思えた。
 神の加護は消える事は無かった。私は一人で海に出た。かつて私が泳ぎ、友が渡り沈んだ海を泳ぐことを決心したのであった。セレベス海、フィリピン海、ソロモン海内を訪れた。その下には戦友達の亡骸が横たわっていた。私は堪らなくなった。弾薬庫に火を点け、自殺を試みた。いくら内部が爆発しようと私が沈む事は無かった。光が体を包み、爆薬に火が点く前の時点まで復元されてしまった。だが私は諦めようとはしなかった。君が眠るその地で死ぬ事が私の望みだったのだ。
 ああ友よ。君は私をどう見るだろうか。今の私を見てなんと言うだろうか。ただ一人、神の加護を受け戦火の中から大日本帝国へと舞い戻った英雄と見るだろうか。片や輪廻の輪から外れ、運命を捻じ曲げた愚物と見るか。どちらでも構わない。厚かましい事だが君の後を追いたいのだ。幾度とない自壊の先に君が待っているような気がしてならないのである。神の加護でもいつかは消える時が来るはずだ。それまで私はこの過去の海を渡り続けることを選ぼうじゃないか。
 それから長らく私は一人であった。一人でかつての海を彷徨い、自壊を繰り返すだけの月日が流れた。半ば航路なども決まった道筋を周り、自壊するのも機械のように手順を踏むだけとなっていった。無論彼女のことを忘れた訳ではない。そのことだけを考え今まで繰り返して来たのだ。だが、それすらももう酷く虚しい。神の加護はいつまでも消えることなく私について回る。最早決心した頃の気力は薄れ、航行する速度も落ち、かつてのように荒波立てることなく進むのみである。雲一つない空の下、またのろのろと進み始める。



████年██月██日

異常性の確認としてあの研究員に、この暗い小屋の中に放り込まれて何日が経っただろうか。
この異常な建物の異常な性質は先に聞いてはいたが、確かにその通りでそれ以外何もなく退屈だ。
あの窓からは穏やかな海が顔を覗かせている。



ある時、私がいつものようにソロモン海内を航行していた時のことだが、5隻の軍艦の編隊が私に近づいてくるのが見えた。敵であるかと身構えたものだが終戦していたことに気づき取り乱した自分を恥じた。一見彼女達も戦争を生き残った者達であり、物珍しく私と同じように過去の海を渡っているものと思ったがどうにも違うらしい。私の「何の為にここにいるのか」と言う問いに対して彼女達のうちの一人おそらく隊長であろう者がそれまで一言も発しなかった口を開き、答えた。

「私達は財団。貴女を収容するためにここまで来た」

と。私は初めその言葉の意味を理解する事が出来なかった。私を、収容。何の為に。そんな疑問が頭の中を駆け巡った。私はただ死に場所を探しているだけであるのに。軍が居なくなった私をやっと見つけ出し連れ戻そうと言うのならまだ話は分かる。全く知らない団体が私を捕らえようとする意味がとんと理解できなかった。彼女達は終始無言であった。私が再び彼女達に問うとまた先程の彼女が答えた。どうやら私を縛るこの加護は死なない戦艦を生み出す脅威であり、それを封じ込めるのが彼女達が属するものの使命らしい。そしてこの神の加護だけを封じ込めるのは不可能であるが為に、その宿主であるこの私ごと収容しようと言う魂胆らしいことも理解した。
 専用のドッグに連れて行かれることも聞いて居た為、初め私は抵抗しようとした。収容されてしまえば戦友の眠る地で死ぬ事も叶わず、そのまま埃を被って生きていくことになってしまう。それだけは避けたかった、だから私は弾の入って居ない砲塔を私をこのまま見逃してくれと言う脅しの為に彼女達に向けた。彼女達は微動だにしなかった。そして一言も喋らず、淡々と私の行動を見て居た。私はこれ以上彼女達に歯向かうのは無駄だと悟った。しぶしぶ要求を聞き入れ海に後ろ髪を引かれながら彼女達についていった。
 私は専用のドッグに入りパーツごとに分解されることになっていた、がこの時にまで神の加護は及んだ。ある程度まで分解されれば全てが再構築されてしまう。何度やっても同じことだった。
 ついに彼らも諦めると言う決断を下したようだ。少し気の毒に思ったがまあ良いだろう。私は再びあの海に舞い戻れることとなったのだ。だが彼らも完全には諦めたようでは無かった。私にはGPSが取り付けられ、海に出ている時には付近に5隻の軍用艦、あの彼女達が私と5km程距離をとって私を監視するようにしたのである。
 少しむず痒いが、私は海に戻れることでそのような些細なことは気にしなかった。待っていてくれ戦友よ、また私は君を追う旅に出るのだ。海は少し荒れ模様だが構う事はないだろう。



████年██月██日

最初の方なんかは軽く乗り切ってやる、ってな感じの気持ちだったもんだから、あの窓からは綺麗な海が覗いていただけで、波の揺れなんかも殆どなかったな。
だが日が経つごとにこの部屋は精神を蝕み始める。
かび臭く、埃っぽい。
窓も一つ、灯なんか殆ど差し込みはしない。
それにこれがここに収容される前にこの箱の餌食となったやつがいると来たもんだ。
そんな事実が折り重なると、だんだん正気が保てなくなってくる。
俺をここに放り込んだ奴らも1日に数回、俺の精神状況と変わった事はないかと機械的に聞いてくるだけ。
だんだん箱の中が現実から切り離されていくみたいだ。
だんだんと精神状況がおかしくなってきたらしい。
最近は揺れも激しくなってきた。窓から見える海も荒れ模様だ。



1965年██月某日

 いつものように海を渡っていたが珍しい事があった。かつての同胞を見つけたのである。彼女との距離はゆうに30km程あったのだが、懐かしさを胸に一時我を忘れ彼女の元に歩み寄った。あまりに急いで近づいた為彼女に衝突してしまった。私は我に帰り己の軽率さを恥じ、彼女への謝罪の気持ちで埋め尽くされた。私こそ神の加護により無傷で済むものの、彼女は傷ついたままになってしまうからである。その時私は彼女に謝罪を述べながらある一つの考えに行き着いた。「神の加護を彼女にも移せないだろうか」と。無論仲間を増やしたいが為でなく彼女の傷を癒したい、と言う善意であった。私は若干まごつきながらもそれを試して見た。初めてであったが上手くいった。彼女の体も光に包まれ傷も癒えていった。彼女を傷つけてしまったのは私であり、精一杯の罪滅ぼしであったにも関わらず私に恩を感じてくれたらしい。なんて健気なのだろうか。今しがた起きた事について簡単な説明を求めて来たので私の身の上も重ねて話しをした。どこに彼女を決心させるものがあったのかは分からないが、これからは彼女も私について来てくれるようだ。いつかは私は死に、彼女は一人取り残されてしまうかもしれないと言うのに。そんな無粋なことは胸のうちに閉まっておき、新しい友ができたことを喜ぶ。
 だが戦友よ、私はあの誓いを忘れた訳では無い。必ずや君の元に行こう。君の眠る地で私も死ぬ事を再びここに誓おうじゃないか。浮かばれぬ今も少しは楽だ。新しく出来た友を連れ、いつの日か会おうではないか。



████年██月██日 

ああ、本格的にひどくなってきた。
自分では自覚できていないだけなのか。それとも既に狂ってしまった後なのか。
揺れは大きく、海は大時化。
ちくしょう、早くこのくそったれな箱の中から出してくれ。いつになったら出られるんだ、もう俺は。



████年██月██日

 ここのところ、海の機嫌が良くないようだ。幸い、暗雲が立ち込めているところは航路にいくつかあるのみで航海に困難はあまり無かったのだが。付近を見渡してみれば荒れているところもあるのだから、これからの航海で友のいない場所で無様に沈みかける醜態は晒したくないものだと思うばかりである。



████年██月██日

何日経った、いや何週間、何ヶ月。
そろそろ俺もおしまいか。くそ、こんなくだらない死に方で終わるのか。
そんな事を考えて少しは心が落ち着いた。死ぬ用意が出来たということか。
久しぶりに窓の外を見る。
珍しく海が穏やかだ。これで最後なのかもな。
そんな事を思った時、沖に何かが姿を表した。
ある、一途の、俺の中にまだ残っていたと見られる希望を胸にそれを見つめる。
駆逐艦"響"が俺の眼前に姿を現した。
長らく軍艦など見ていなかったというのに、よく俺も見分けられたもんだ。いや、本能のままに思っただけなのかもしれない。
そして、"響"は目の前で爆発した。
なぜ、いやどうやって、何にやられた。
そんな事が頭を駆け巡ったその瞬間、黒煙をあげるそれが、眩い光に包まれた。
突然の極光に反射的に目を閉じ、目を開けたその時には無傷のあいつが浮かんでいた。

不死鳥にはこんな話がある。
自ら火の中に入り死ぬ、そしてその中から若き姿で再び蘇る、と。

まさに「不死鳥」が、その場に居た。威光衰えぬ誇り高き駆逐艦がそこに浮かんで居た。

ああそうか。これを見たって事は、俺がまだ死にたがってない、てことか。
この箱の異常性と、今し方自身で見たことがリンクする。
分かった、いいだろう。生きてやる、生きてここから出てやるよ。
見てろよ、あいつみたいに誇らしく生きてやる。

「なあ響、お前は俺の中で1番の英雄だ。お前は素晴らしい名声をいくつも持ってる、みんなからそのことで尊敬される。でもそんなんじゃなくて、ここで俺に生きる術を与えてくれた。それが俺の中でのお前だ」

響に精一杯の謝辞を述べ前を向く。
ここに来て、死ぬはずだった運命が変わったんだ。今更、何を恐れることがあるってんだ。
ありがとう、"響"よ。誇らしき火から蘇る「不死鳥」よ。

「俺は、大丈夫だ」



████年██月██日

何処からか視線を感じる、それに伴い私を熱く思う念も。今まで一度も無かったのだが、いきなりどうしたというのだろう。
私に呪いをかけた神であるのならいい。この無様な様を見て早く呪いを解いて欲しいものだ。だが、その神が私に熱い気持ちを贈るなどあろうはずが無い。ならなんだと言うのだ。
もしや君か、君なのか。私の事を見てくれているのか。君の元に行くと誓い、長らくその悲願に近づくことすら出来ないでいるこの私を、まだ君が見てくれているのか。
ならば散ろう。君が見ているこの場所で潔く散ろうじゃないか。君がいるなら神の加護など消えるだろう。

ーーまた、死ぬ事は叶わなかった。何故、だが君が見てくれているという事実は残ったのだ。君は私を見捨てないで居てくれている、それだけで十分だ。すまない、今しばらく待たれよ戦友よ。


20██年██月██日

 遥か遠方の海の彼方に、死に場所を求め海を渡り続ける軍艦達がいる。誇りある死を求め今日も今日とて彷徨っている。彼女達が何を思うか、その事を知る者は誰も居ない。
 人々の記憶の中に栄光と共に残る彼女らの居場所を知る者も、彼女らによって生きながらえた一人の男がいる事を知る者もほんの一握りである。

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