喪糸
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前回

生前のマリオン・ホイーラーは日毎に近い頻度で強力な記憶補強剤を服用していた。機動部隊ω-0"アラ・オルン"の人格戦闘員各位の見立てによれば、彼女が死後にノウアスフィアに昇ることに疑いの余地は無かった。彼女はバーデル-ラムジン情報実体に、あるいはタイプVI意志的霊体か、単なる"幽霊"か、彼女が望むところの任意の存在になるだろうと考えられた。その時に彼女は「天上の民」の一員となり、高所から、おそらくは苛烈な実行力で以て、反ミーム部門の戦いを続けたことだろう。

しかしホイーラーが死亡した状況は最悪のものだった。彼女を死に至らしめたクラスZは彼女の記憶を強化するだけに留まらず、記憶以外のあらゆる能力を破壊してしまった。彼女は昇天し、厚く歓迎されるところだったが、そこにやって来たのはあまりにも激しく脳が損傷したアイデア型で、コミュニケーションすら困難な存在だった。

出来るだけ快適な環境が整えられ、初期診断が行われた後、サンチェスは乱暴に彼女のことを「接着剤が詰まったスイス時計」と表現した。

ウルリッヒはそのことで彼を怒鳴った上で、その無神経さは殴るに値すると思った。「どうして天国に病気の状態でやってくるの?」と彼女は言う。「それじゃただの地獄じゃない!」

指揮官は謝罪した。彼が行う謝罪の全てに通じる、企業然とした、空々しい謝罪だった。

「あの人はいつまで苦しみ続ければいいの?」とウルリッヒは言った。「理不尽すぎるわ!」

心を痛めていたのは皆同じだった。作戦への関与の度合いに関わらず、幾年に渡って守護してきた対象となれば、思いやりを持たない方が不自然な話だ。今までそうしてきたのと同じように、彼らは交代で彼女の面倒を見た。自身の状態を朧げながら認識していたホイーラーは、本能的な手段で、そして問題解決の際に常に見せてきた苛烈さで、現状に対処しようとした。彼女は徐々に整合性を取り戻したが、決して元通りになることは無かった。ウルリッヒは自分のシフトが回ってくるたびに、ホイーラーが大半の時間を最期の瞬間を繰り返すことに費やしているのを目撃した。コールド・シティー作戦に参加した隊員複数名の証言によれば、それはSCP-3125本体との間で交わされたやり取りの片割れらしかった。

「アイデアは殺せる。」

「マリオン」ウルリッヒは優しく尋ねた。「バート・ヒューズはどこ?もうこの状況を止められるのはあの人しかいない。生きているのは分かっているの、でなければここで一緒にいるはずだから。ほんの少しの手がかりでもいいの。お願い。」

彼女は答えようとしていた。ウルリッヒには発せられない言葉が分かった。分からないわ。最初から知らなかったことを思い出せるはずがない。しかし彼女はそれを伝えることが出来ない:

「より良いアイデアで。」

「彼女に質問し続けろ」報告を届けた際、サンチェスはウルリッヒにそう言い渡した。「最低でもシフトにつき一回だ」

「尋問は顕著なストレスを与えています。」ウルリッヒは言った。「彼女が何も知らないことは分かり切っています。続行するのは酷でしかありません。」

「SCP-3125がやってくる。」とサンチェスは返した。「反ミーム部門のクイック武装が失われた今、止められる者は誰もいない。我々が保有する現実世界の捜査能力は極僅かで、ヒューズの妹は何も知らない、これが唯一残された道だ。誰よりもホイーラーを尊敬しているのは理解しているが ――」

「あの人は私の恩師よ。彼女のおかげで私はなり得る最高の人間になることができた。私が死んだあとも記憶を大事にしてくれた。私の家族とは違って。」

「ウルリッヒ ――」

「『我等は守護する聖者なり』。私は彼女を守るわ!」

サンチェスは口をつぐんだ。ウルリッヒのホイーラーへの献身、そして他の人員の献身の乏しさは、若干の嫌悪感を彼に催させた。彼の目を通して見たホイーラーは、十分な実力を備えてはいたが、究極的には失敗者だった。彼女は部門の他の職員と同列に失敗者で、唯一の些細な違いは、彼女が最後の失敗者だったという一点だけだ。

しかしウルリッヒが用いたレトリックに彼は急所を突かれた。胸中に火を灯されたかのように。彼は自身が発する伝令で同様の文言を頻繁に使っていたし、用法は何ら変わらなかった。

「分かった。」と彼は言う。「現実世界での抵抗は続けられる。何か有益な情報が得られる可能性も皆無では無い。そのまま好きに続けろ。尋問はしなくて良い。」

*

SCP-3125は翌冬に顕現した。

到来後の最初の一手として ― 知性的活動をどの程度見出すかによっては、到来に伴う副作用として ― 財団は無力化された。一晩のうちに、各国の職員が数万人の単位で忘却の彼方に立ち消えるか、記憶喪失となるか、その場に立ち尽くしたまま脳死に至るかした。財団所有サイトは空虚な、アクセス不可能なデッドゾーンへと変わった。幾つかのアノマリーは混乱の最中で収容から脱して甚大な被害を齎した。数千の人間がSCP-3125の反ミーム的圧力に支配され、尋常ならざる不明瞭さの中で窒息した。

世界の終わりは一つしかない、と宣言するかのように、それは現実の中枢に言明をねじ込んでいく。私の世界は。私の方法によって。

ω-0がSCP-3125と刃を交わした例は過去にもあったが、小規模な衝突が繰り返される間にω-0に関するどれだけの情報が相手に知られているのかは定かでなかった。そもそも、SCP-3125の思考の様態自体に不明な点が多すぎた。その作用は不定で、予測困難で、恐怖を煽る。その活動に関する記録は認識災害を帯びており、詳細な分析は退けられていた。

最終的に、その問いに実質的な意味は無かった。SCP-3125が到来した時、それがω-0を知っていたか否か関わらず、それは何か特別な作用を向けることはせず、その必要も持たなかった。ω-0隊員のアンカーの大半は財団職員であるかそれに近しい人間だった。それらの人々の意識は第一波の時点で一掃され、これまで機動部隊を支えてきた、親密な記憶で構成された分厚い網は引き裂かれた。隊員の半数以上が虚無に飲み込まれ、何年も先延ばしにしてきた最終的な、本物の死を迎えた。

東部標準時間の明け方頃、ω-0が一つの組織として機能することは最早不可能であるとサンチェスは宣言した。彼は残存した隊員を三つの小チームに分けた。ウルリッヒとホイーラーの変質した記憶は同一の小チームに振り分けられた。サンチェスの最後の指示は、バート・ヒューズあるいは協力者 ― 財団職員だろうとGOIメンバーだろうと一般人だろうと構わない ― を生存者の中から見つけ出すことだった。しかし指示は不明確で不完全なものだった。何しろサンチェスでさえ自身の言葉を欠片も信じていなかった。彼はこの局面を乗り越えられる未来が見いだせなかった。最早サバイバルの領域ですらなく、如何にして死と向き合うかという問題だった。

ウルリッヒが彼を見ることは二度と無かった。

*

彼女は、ホイーラーや小チームの他の隊員と共に、急速に居住が困難となりつつあるノウアスフィアの一面から脱した。ブラックホールが周囲の空間を歪めるように、人間の思考の核に居座るSCP-3125は周囲の世界を歪ませていた。それは物理的な実体を持った建物を各都市の中心に建設した。胞子から突出するように生じたコンクリートの巨大構造に、途方も無い数の人間が供された。内部で何が起こっているのかを知るのは困難だった。幾百万の一部が内部で死に、一部は死なずに済んだ。ウルリッヒは目を向けなかった。目を寄せることの危険性を、チームは望ましからぬ方法で知ることになった。

小チームのアンカーは着実に枯渇していた。それは機構の作用による消滅とも考えられたが、単純な統計で説明することも十分に可能だった。跋扈する物理的なアノマリーや心理的なアノマリーは、元来よりの強大な性質を保ちながらSCP-3125に従属し、地球全域を隈なく渡り、その過程で見つけた反逆者らをSCP-3125の開かれた口に投じた。ウルリッヒのアンカーもまた同時期に殺された。財団の存在を全く知らなかったものの、ウルリッヒのことを毎日のように強く想っていたその女性は、隠れ場所としていた丘から引き摺り出され、業火に投げ込まれた。

ウルリッヒは彼女を見届けられなかった。その事実を知った頃には既に遅すぎた。記憶の糸が緩むのを感じ、焦りと共にそれを辿り、途切れた終端を越えて現実世界にまで足をのばすと、そこには誰もいなかった。崩壊したテント。燻る焚火跡。全ての貴重品が積み上げられ、燃やされた後だった。

「その女性は君の何だったんだ?」別のω-0隊員が彼女に訊いた。ウルリッヒがその話をしたことは今まで無かった。

「知り合ったのはほんの二日だけだったわ。」とウルリッヒは言った。「小さかった頃に。私の命の恩人。それだけよ。」

終わりだ、と彼女は感じた。財団職員として長年働いてきた。仮にも機動部隊の熟練隊員だ。想像しえない恐怖体験を潜り抜け、それを自身の糧として進んできた。だというのに、ジュリアのテントの残骸と彼女の不在は、今までで見た中で最も恐ろしい光景だった。

希望とリソースの欠乏を理由に、チームは再び分裂することを余儀なくされ、二人組が作られた。ウルリッヒはホイーラーと共に、固く彼女にしがみつきながら、互いに記憶し合った。協力可能な二人であれば当分は無事に過ごせるが、それも永遠には続かない。

*

遠く離れたノウアスフィアの淵に退避した二人は、千年前に古代人類が残した、未知なる構造物の狭間に身を寄せた。二人は追跡されていたが、気付くことは無かった。

ある夜、ホイーラーは喋ることに成功した。「アダム。」と彼女は言った。彼女が死に至るまでの出来事からの引用ではない言葉が発せられたのは初めてのことだった。

ウルリッヒは衝撃を受けた。「彼を覚えているの?」

一文を発するのに苛立たしいほどの時間が必要で、音節の一つ一つが登山に例えられた。「私は全て覚えている。」と彼女は言い終えた。

ウルリッヒはじっと彼女を見た。Zクラス記憶補強剤が忘却を不可能とすることは知っていた。それが長く消去されていた記憶を再表面化させることもあると(実際には消去のメカニズムとその徹底の度合いに依るのだが)、彼女は知っていた。ホイーラーと共にいる記憶が悲惨な結末を迎えたことを既に知っていた彼女は、彼に関する記憶が完全に抹消されていればと願っていた。

「…アダムの居場所は分からない。」と彼女は告げる他なかった。それが真実だった。誰も居場所を知らない。ω-0の隊員は一定の確実性の下でアダム・ホイーラーの意識の消失を観測していた。しかしマリオンの判断とアダムの安全確保を優先したが故に、彼らはその移動から敢えて目を背け、関連する記録を削除していた。「生きているかもしれない。私には分からない。」これ以上にどんな惨い言いようがあっただろうかと彼女は思った。

「デイジー」マリオンは言った。「見て。」彼女がその手に掴んでいたのは、仄かに光るアイデア型だった。誰かの思考だ。

それはアダム・ホイーラーの思考だった。記憶の糸はまさしく彼と繋がっていた。奇跡的な発見に違いない。それはSCP-3125の核を成していた痣まみれで無意識の犠牲者らの集合の中からマリオンが見つけ出したものだ。一見するとSCP-3125は彼の身体の全神経を侵しているように見えた。しかし意識の奥深くに瞬く小さな種が、かつての在り様の最後の断片として留まっていた。芽生えることはできない。そうなるには外圧が高すぎた。しかしそれは発芽を試みるかのように周辺を押し返していた。

ウルリッヒは驚きのあまりに怯んだ。彼女はアダム・ホイーラーがいかに奇妙で珍しい性質を備えているのかを知っていた。そしてその精神構造が外部の干渉から自身を守る分厚い頭蓋骨に相当することを知っていた。正確に言えば、何百万という人間が同様の耐性体質を持つことが知られていたが、数億という世界人口の中から見つけ出すにはあまりに希少過ぎて、特定は困難だった。彼らを特定し、味方につけるω-0の試みは全て失敗してきた。何か特有の容姿を備えている訳でも行動原理が大きく異なる訳でもなかった。あらゆる信号弾の類を発していなかった。全員が死亡済みだったのかもしれない。アダム・ホイーラーが、世界で唯一の生き残りだったのかもしれない。

しかし彼は残った。彼は生きていた。

「見えるわ。」とウルリッヒは言った。

ホイーラーは言葉を返さない。

「あそこから出して見せる」とウルリッヒは言った。難題を前にして、彼女の胃は締め付けられるように痛んだ。「貴方の所に連れ戻してあげる。」

ホイーラーは反応を返さなかった。明瞭に六単語を発した時点で彼女は疲れ果てていた。内心で、彼女は己が如何に無能な存在になり下がったかを憤っていた。巨大な鉛塊が如き記憶の群れに押し潰され、身動きを取れないようだった。考えることは痛みを伴った。存在することは痛みを伴った。

ウルリッヒが有する、物理的世界に干渉する能力は極めて限定的だ。他のω-0隊員に目を向ければ、気温を変化させ家具を振り回すような本格的なポルターガイスト現象を引き起こせる者もいたが、彼女はその専門ではなかった。彼女に出来るのは電話を掛けることや壁に文字を書くことがせいぜいだ。その能力ではアダム・ホイーラーを再起させることは難しい。単なる言葉は届かない。彼は真に目覚めてさえいないのだ。

ウルリッヒに可能なのは、機動部隊が称するところの人格攻撃だ。彼女は生命ある意識の内部に干渉し、変化を齎すことができる。通常は敵に対して用いるものだ。物理的世界における打撃性ショックに等しいもので、最悪は死に至る。しかし必要とあれば、外科医の精密さで干渉することも可能だ。

アダム・ホイーラーの手術は困難かつ時間を要するものだった。意識の頑丈さだけでなく、彼がSCP-3125の放射線を浴び続けている状況も作業を阻んだ。ウルリッヒはホイーラーを斬りつけ、彼の意識が自己再生するのを数日かけて待ち、再び斬りつけた。発芽の例えは存外に的確だった。作業の過程で、彼女は植物の世話をしているような感覚を覚えた。結局、作業の全体は実時間における数週間を必要とした。数日間隔で手を休める作業は、人間離れした忍耐を要した。

ホイーラーは手術が完了した際に何も言わなかった。彼女は力を蓄えていた。己の感覚によれば、彼女自身の中には有限の言葉しか残っておらず、言葉を発することは一寸ずつ終わりに近づくことだった。今は待つ必要があった。

「彼は戻ってくる」とウルリッヒは言った。「もうすぐね。」

*

そして今彼女は、遠く、抽象的に離れた位置からアダム・ホイーラーが身を捩る様を見ていた。

マリオン・ホイーラーは遂に、真の意味での死を迎え、アダム・ホイーラーの意識は崩れ落ちようとしていた。見るに堪えない光景だ。SCP-3125の開かれた口を通り抜けることさえも止めを刺すことは無かったというのに。この出来事こそが銀の弾丸だった。今度こそ彼は二度と回復出来ないまでに打ちのめされた。脳損傷で廃人と化した妻を目の当たりにし、彼女の死を見届けたことによって。

ウルリッヒは黒板に文字を記した。マリオンの描像を汚さないよう、隅の方に、別の書き文字で:

ごめんなさい

本当にごめんなさい

アダム、電話口に戻って来て

あなたの助けが必要なの

アダムは床に伏したまま、精神負荷から震え始める。ウルリッヒはオフィスのもう一方のデスクにあった電話を通じて呼びかけるが、声は届かない。

そして彼女もまた、死に瀕していた。彼女はマリオンと共に互いを可能な限り繋ぎ止めていたが、その均衡は既に崩れた。残されたのはおそらく、数時間程度だ。

「仕方ない」と彼女は誰に向けるでもなく言った。他に誰も残っていない。

彼女は仮想的に腕をまくった。難しい作業ではない。アダム・ホイーラーの妻に関する蘇った記憶は内側から光り輝いていて、光の縁を辿れば、それが最初に焼き尽くされた時の薄っすらとした傷跡が確認できた。彼女ならば、より見通しの良い場所で施術ができる。より綺麗に、完全に、取り除くことができる。

痛みは伴うだろう。あの時と同じように。

「彼女が必要なんだ」アダムは言う。顔は俯いたままだ。「奪わないでくれ。お願いだ。」

ウルリッヒは記した:

あなたは世界を救わなければいけない

他に誰もいない

アダムは顔を上げずに言った。

「世界など知ったことか。燃えてしまえ。」と。

*

彼は再び目覚める。心身に問題は無い。上り調子で、準備万端。動き出したくて堪らない。

彼女は出来るだけのこと説明した。努めて簡潔に。キーワードを掻い摘んで。財団、反ミーム部門のこと、現在の状況や目的について。彼は思いのほかスムーズにそれらを受け入れた。説明の後に適切な質問を発してくれるのは、理解が進んでいる証拠だ。

「その、貴方を支える『記憶の糸』というのは、」と彼は言う。「私では駄目なのでしょうか?きっと覚えていますよ。」

貴方の記憶なら十分に強力かもしれません。」と彼女は返す。「しかし、単純な話、貴方は私のことを十分に知らないので。

「なるほど。残念なことです。」

ウルリッヒは、サイト41に辿り着く方法を具に教えた。ただでさえ果ての無い旅路だったが、都市部を回避する必要性から道のりはさらに長いものになる。サイト41と他の財団サイトの大半を覆う反ミーム隠蔽効果について彼女は伝えた。それは彼女を含むω-0の隊員にとっては突破不可能と見られていたが、必要な準備を行えば、ホイーラーはそのまま通過できる可能性があった。彼女は他に、ハリケーンのように獰猛な精神アノマリーや、SCP-3125に侵された暴力的な人でなしの集合体について警告した。加えて、それらの注意を引かないための幾つかのテクニックも教えた。SCP-3125からの直近の逃亡者であるホイーラーが"同族の匂い"を纏ったままであるという希望はあったが、彼女は話題に出さなかった。ホイーラーが自信過剰や不注意に陥るのは避けたかった。

彼女は基礎的なサバイバル技術を教えた。

「ハイキングもキャンプも経験ならありますよ。」とホイーラーは言う。それでも彼は、敵だらけの異郷でハイキングやキャンプをした経験は無いはずだ。電気も水道も無い状態で何ヶ月を過ごしたことも無いだろう。話す内容は十分にあった。

長い通話の末に窓の外を見遣ったホイーラーは、外に見える赤い太陽が少しも動いていないことに気付いた。昇りも、沈みもしない。地球が完全に自転を止めてしまったのか、宙に浮かぶそれが太陽とは違う存在なのか。

不明です。」とウルリッヒは彼に伝えた。「財団ならその答えを持っていたかもしれませんが、今はもう。

「その財団という組織は、この世界の未来について相当案じていたようですね。」とホイーラーは言う。

天上にて、ウルリッヒは弱弱しく笑う。「財団は決してそんなに単純な組織ではありませんでした。」と彼女は言う。

「……ウルリッヒさん、この通話も終わりに近づいているような予感がします。」

はい。

「貴方の置かれている状況は絶望的なものだったでしょう。」ホイーラーは言う。「しかし貴方は私の命を助けてくれました。今の私の状況も、ええ、大概に悲惨かもしれません。しかし貴方がいたおかげで、随分と良くなりました。私に出来ることをしたいと思います。そして、たとえ意味が無かったとしても、貴方のことは忘れません。」

奴に止めを刺してください、ホイーラーさん。」ウルリッヒは言う。「そのチャンスに遭遇したとしても、決して躊躇しないで。

「ええ。」とホイーラーは言った。

その言葉と同時に、ウルリッヒの背後の何者かが、短く、一度だけ笑った。

彼女は振り返った。一人の男がノウアスフィア上に直立していた。痩せこけた年若い男は、口を大きく開いた不快な笑みを浮かべていた。いつからそこに立っていたのか、彼はウルリッヒに気付かれるのを静かに、興奮を堪えながら待っていた。そしてその瞬間にウルリッヒが見せた、恐怖と緊張に飲み込まれる際の瑞々しい反応は、まさしく彼の望み通りのものだった。彼はウルリッヒを電話から切り離し、ホイーラーに一言の警告を伝える隙すら与えずに即死させた。

ホイーラーは何も聞き取らなかった。微かにカチリと音がした後、発信音が鳴り始める。

彼は電話を切った。

次回: 荒れ狂う光

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