身長の半分以上ある尻尾を持て余しながら、車両の中に大人しく座る。引越しトラックに偽装したその荷台の中は、自分のような者を捕えて移送するのに過不足ない設備を備えている。同乗している財団職員達はいつもの仕事を終えたという様子で、私から目を離しこそしないがさほど興味もなさそうだった。
目の前の彼女、裏海うらうみ志緒しおを除いては。
「ねー尻尾触ってみてもいい?あ、嫌なら全然なんだけど!」
「えっ爪ボロボロじゃん!やすりあるよ!磨いたげようか?あっ爪切りはスーツケースの中だわ!」
賑やかにあれこれ喋り、自分に近づこうとしてはやんわり止められている彼女は、私の知っている財団の人間のイメージとしては少し違うように思う。助けを求めようと隣の財団職員に視線を送ったが、ゆっくりと逸らされる。
1時間ほど前のこと。私が人生のほとんどを過ごした場所が恐ろしい手際で殲滅されるのをぼんやりと見ていた。その姿は鮮やかと同時に残酷で、今まで嗅いだ鮮血の匂いなんかよりずっと忌々しくて、それでいて現実感を伴うものだった。少なくとも私の仲間の死んでいく姿はどうしても目に焼き付いて、離れそうにも無かった。
だから自分を取り囲む銃器を持った財団の人間は救世主にも見えたし、自分を裁きに来た審判者にも見えた。財団には気をつけろと散々口酸っぱく言われていたものだが、抗う気も無くなってしまった。そして私を育てた人間は、あれだけ財団財団と繰り返していたにもかかわらず、私と数多の兄弟を置いて失踪したようだ。人体を弄くり回すのには慣れていた彼も、荒事で財団に敵うはずもなかったらしい。
腕に浮かぶ鱗を撫でる。これから私はどうなるのか。流石に実験動物とかにはされないと信じたいが、間違いなく自由というものは存在しないだろうし、少なくとも日の目は見ることができないとは思った方がいいかもしれない。
トラックの後部が勢い良く閉まると、外の景色が完全に見えなくなる。疲れたし寝てしまおうかと、一度目を閉じた。
「うらうらさん、皆おつー!お邪魔!」
軽快な声とともに、後部の入り口が勢いよく開かれる。隊員達が咄嗟に腰に手を伸ばした。
「あぁ、裏海かよ……」
眩しい、と思う間もなく、光の差す方向には女性の影が現れた。目がそれに慣れると、ゆるくカールした金髪が揺れるのが見られる。その女性は私が思うにこの空気感には少し不似合いだとは感じる。ただし、その場所にこの場にいる誰よりも堂々と立っていた。虚裡うろうら、と呼ばれていたリーダーらしき男は顔を顰める。
「ビビったァ。急に現れんな。撃たれても知らんぞ。そんで、虚裡な」
「やー、時間ぴったり!ねー乗せてって。目的地一緒じゃんね?」
「あのな、タクシーじゃないんだが。こんくらいの距離自分で移動しろっつーの」
「邪魔しないから!スーツケースガチ重いんだって」
「知らねェよ……」
虚裡のボヤきを聞き流し、裏海は後部座席にさっさと乗り込んでくる。そのまま対面に座り、山ほどステッカーの貼られたスーツケースを足元に置いた。
「え、尻尾かわいー。ちょっと見せてね」
はい、という間もなく裏海は尻尾を丁寧に観察し始める。その手は今まで自身が感じてきた腫物を扱うようなものではなく、ただ純粋な興味と関心が織り成しているだけの無垢な手付きだった。その視線には自然さすら感じる。
「で、この子一人なの?」
少し間が空くと、溜息交じりの声が虚裡から発せられる。
「生きてて、話が出来るのはな」
「うわぁ」
「そっちの仕事はどうだったんだ」
「やー、ダメだったー。結構情熱込めて勧誘したんだけどね」
そう言って空の瓶をひらひらと振ってみせる。噂にはよく挙がる財団お得意の、記憶を消す薬。それがあったのだろうか。
「まあ次だね次!」
先程まで無言が張り詰めていた空間に、彼女の存在があるだけで心なしか全体の表情が和らいだような気がする。白黒や迷彩柄で満ちていた車両の中は次第に談笑で溢れ出して、一気に賑やかになった。車の前方で発生していた更なる短い言い争いのあと、虚裡は同乗者の増加にしぶしぶ同意したようで、トラックはゆっくりと発車したようだった。
「この子の情報ってあたし見ていいやつ?」
「2だろ。問題ない」
「おけ、見して見して、と」
虚裡が答えるが早いか隊員の1人が操作している端末をかっさらい、スクロールし始める。ちらりと視線を送ると、画質の悪い私の顔が載っていた。
「え、怪我自分で直せるんだ!つっよ。じゃあ向いてる場所ガチでいっぱいあるよ」
「あのなぁ、そういうのはもっと後だ後。大体雇用が認められるかなんて分からんだろ」
「えー、収容しちゃうの?勿体なくない?」
「あの」
耐えかねて、口を開く。
「私を哀れんでいるんですか」
虚裡は視線だけをこちらに向け、彼女はぱちぱちと瞬きをした。
「私、被害者じゃないですから。今まで貴方の仲間だって、多分、結構殺しました。頑張ったら逃げ出せましたけど、そうしなかったんです。私を助けようとしてくれなくたって……」
「でもひーちゃんはそうしなくていいなら、したくないっしょ?」
いつの間にか知らないあだ名をつけられている。
「向いてる人をハントするのも任務だけど、異常社会で不当な目に合ってる人を探して、もっといいとこに連れてったげるのもあたしの仕事。あたしも助けてもらってここにいるから、もっと多くの人が、もっとマシな目にあってほしいと思ってる」
「……あなたは、どうしてここに?」
丁寧に手入れされた髪、キラキラした携帯ケース、色とりどりの爪。財団職員にはあまり見えない彼女が一体どういう経緯でここにたどり着いたのか、多少気になってきた。
「んー、じゃあ、昔話でも聞く?どうせ道中暇っしょ」
JK時代の無敵感って一体どこから来るんだろう。うちのとこは割と緩かったけど流石に金髪は怒られるし、メイクもあんまいい顔はされない。それでもその中で精一杯の可愛いをやって、友達とあれこれ喋っているだけで時間はあっという間に過ぎていく。
将来はちょっと不安だけどまあなんとかなるかなーって、そんな感じ。皆多分そうだったと思う。
あの日は……何してたんだったかな。普通に授業受けてて、午後だったし、あたしはうとうとしてた。授業を真面目に聞くなんてかったるいなーなんて、高校生ならみんな考えてるよね?後はそうだな。多分、英語の小テストがだるいなあとか……そんなによく覚えていないってことは普段通りのことしか考えていなかったと思う。だからきっと、この生活がどれだけ掛け替えが無くて、特別で、幸せなものなんだって意識なんかしてなかったと思う。当然と言えば、当然かもしれない。
だから、あたしの学校が襲われるなんて思ってもなかったし、最初にその話を聞いたときにも、誰かの出まかせなんだろうなんて考えていた。
あの日のことはよく覚えている。
異常事件記録
場所: ██県██市███第三高校敷地内
状態: 継続中
時刻: 20██年10月3日 10:46 —
脅威レベル判定: 橙 ●
事象概要: ███第三高校内、校舎理科室内にて大規模な奇跡論的反応/アスペクト放射を観測した。色相から超常テロであると考えられており、人為的なものであればバックラッシュにて儀式実行者本人は死亡しているものと考えられる。付近交番に配置されていたエージェントが対応を検討するも、困難と判断し、司令部に通報。専門性のあるエージェントと機動部隊が順次投入される。
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意味、わかんないし。
誰にともなく、ぼんやり呟く。小さく発したその声は周囲の血生臭い空気に吸い込まれて消えていって、声の通らない自分の心拍以外は何にも聞こえない。無音は心臓の音を強めて、自分が一人ぼっちだと嫌でも実感する。息切れを重ねる毎に自分が消耗していくのがわかっていく。ああ、もう死ぬんだの諦観と、まだ死にたくないなの祈りが混ざりながら溶け出す。
いつも通りの日常が壊されたのは一瞬のことだった。校舎の理科室から青い炎が出て、燃え移ったみんなは頭から弾けちゃって。だから一生懸命逃げたのに、こういう状況だと馬鹿なことしちゃうもんで、頭が回らなくなって普段は絶対に来ないような廊下の端っこに辿り着いて、そこで蹲るしかなくなっている。
周りには紅い紋様がおどろおどろしく縮こまったあたしを囲むだけで、自分以外は誰一人としてここにおらず、胸がまた苦しくなる。同時に、悪い夢みたいな景色が馴染み深い学校を染めていることに実感が湧かず、未だにあたしは現実と非現実の間で揺れるような感覚に陥る。気分が悪い。
よく恋バナを聞かせてくれるチカ、スタバの新作が出たら絶対誘ってくるミサキ、最近ちょっといいなって思ってたバスケ部の野口くん、それらが全部混ざり合って、地べたに転がっていた。自分の置かれている状況を再度認識して、気を失いそうになる。意味、わかんね。とまた、繰り返す。
思えば、綺麗なものばっか探してきた人生だったな、なんて走馬灯を見ているかのような気分になった。ヘアアイロンでおでこを焦がしたり、眉毛を8割くらい剃っちゃって詰んだりしたけど、昨日のあたしとは違う自分になれる、どんどん世界が広がってくってのは楽しかった。学校帰りにデパコス売り場に寄って、わー買えるわけねーなんて思いながらも、こんなんが似合う人になりたいなって妄想してた。
でも、そんなキラキラしたかった自分もここで終わりなんだって思ってしまって、じゃあ今までこれだけ頑張っていたものももう二度と見られずに終わっていくんだって思ってしまって。その事が悔しくて悔しくて、仕方が無くなってしまう。
気合い入れて買ったジルのリップも、先生に没収されて必死で返してもらったキャンマジのカラコンも、全部全部無駄だったなんて、最後はこうやって学校の片隅に追いやられて1人で死んでいくなんて、信じられなくて、全部否定されて死んでいく気がして、こんなの。
「ありえないじゃん!」
シュミの悪い紅い紋様に向かって思わず拳を降ろす。ただ、その拳には全く力が入っておらず、感じるものはただリノリウムの冷たさだけ。骨にじんと痛みが残る。
床に両手をつく。涙が両目から溢れる。無力感と絶望が床に落ちる。視界が歪む。
と、こつん。こつん。という靴の音が耳に飛び込む。犯人が遂にここまで来たのかと思い、傍に置かれていた手提げバッグで頭を覆う。前なんか見ることができなくて、見逃してくださいの一心で祈り続ける。バッグが涙で濡れる。
音は次第に近づいてきて、私の目の前で止まる。殺される、思ったその時だった。
「あー。被災階層の生存者無しの報告をしたけど、嘘だったみてえだ。生存者1。多分在校生のガキだ。オーバー」
手提げバッグを取り上げられて、前を見ると、ゴツい装備としかあたしには形容できないおっちゃんが、目の前に立っていた。
助けが来たんだ、と一呼吸置いて気がつくと、また目には涙がどんどんと溜まり始めて、また、溢れた。
おっちゃんの「おいおい。化粧が落ちちまうぞ」の声が聞こえないほど、あたしは赤ちゃんみたいに泣き喚いた。廊下にはあたしの声だけがこだまして、他は何にも聞こえなくなった。
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最初に財団のことを説明された時は、心の底から驚いた。まさかそんな組織があるなんて思いもしなかったし、あたしたちの隣の世界では魔法とか、神様みたいなもので溢れていただなんて。ただあたしは魅力的に感じるより先に、クラスメートが死んだ理由はそんなに身近で、恐ろしいものだとは、思わなかった。この事実が、より今の状況を現実的ではないように思わせて少しくらくらする。
「まあそう……悲観すんなっつっても無理か。あんまり思いつめんなよ」
あたしの表情を見ておっちゃんはそう口にする。あたしはこくりと頷くけれど、表情は変えられなかった。
財団の人達は私が異常?ではないかを確かめるために、いろいろしようとしていたけど、この暗い感じが幸いして被害者側であることはほぼ確定したみたいだ。今は周囲の除染?作業中ということで学校の校庭の中に待機させられている。朝には帰れる、ということだったのでテントで寝ようとしていたのだけど、どうしても寝れなかったからこうして外に出てきたのだった。
「ありえない話だと思っただろ?」
「うん」
「この世界には聞いたこともないことが溢れてて、知りたくもないことが死ぬほど溢れてる」
ギュッと、目を瞑った。知りたくもないこと。昼間の記憶が反芻される。
「でも一つだけ覚えておいて欲しい。知らない世界が増えたことは"最悪"じゃない」
あたしがおっちゃんの方を怪訝な顔で見ると、おっちゃんは反対に空を見上げた。ここはえらい良く見えるなという声が聞こえる。
「何が、良く見えるわけ?」
少しぶっきらぼうに尋ねる。と、空を指差す。
「星だよ。暗い星まで綺麗に見える」
「星?」
そんなの気にしていなかった、と言おうとして、やめる。それは、自分の目の前にある星空を見て、綺麗だ、と思ったからだった。
「ちゃんと見たの、めっちゃ久しぶりかも」
「意識して見ると、結構違うもんだろ?」
「うん。綺麗」
しばらくぼんやりと眺めていると、おっちゃんは話し始める。
「星座、知ってるか?」
「まあ、大三角くらいは」
「今、目の前にあるのは、さそりだ」
南の空にさそり座が浮かんでいる。どれがどれだかわからないが、何となく赤い色をしているあの星あたりかと見当をつける。
「普段、星を見なければ、この多くの星のどれがさそりなのかなんてわからないだろう。でも」
言いながらポケットにつっこまれていたくしゃくしゃの紙を広げだす。沢山の点々と、それらを繋げる線。少し日焼けしたそれは、星座がたくさん描かれたものであった。
「こういうものを見れば」
「あ」
赤色の星を中心に横へ伸びるさそり座の形が、くっきりとわかるようになる。輪郭が掴めると、さそりの姿が想像できるようになる。きっと赤色の心臓をして燃えるような怒りのあるさそりなんだろう。
「オレは、異常ってのはこれだと思ってる。ありえねえ星の結び方をして、新しくとんでもないものを産む。それは人間に牙を向くこともあれば、人の為になる時もある。だから」
「そんなに悲観的にならなくてもいい。こっちの世界は、こっちの世界で愉快なこともあるんだ」
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これまでのことを綺麗さっぱり忘れて元の生活に戻る方が多分賢かったんだけど、あたしはそうしなかった。命の恩人だし、恩は返したいっていう普通の気持ちが強かったし、この経験を忘れたくもなかった。
もちろん最初の頃は急に泣き出したり、悪夢を見て飛び起きたり情緒もヤバかったけど、財団の話を色々聞いてるうちにあたしの好奇心がむくむく膨らんできて、見方もちょっとずつ変わってきた。こういうエグいもんが世の中に普通にあるんなら、それから皆を守るための一員になりたい。ずっとふわふわしてた将来に、マジでビビっ!ときた感じ。ただ大学は行っときたかったから、訓練生ってことで4年間お試し期間みたいな感じで置いてもらえることになった。
訓練はガチでエグかった。座学は今まで勉強してきた常識をほとんどひっくり返されて意味の分からないことばかりだったし、筋肉をつけろみたいな無茶なのは色んなものと闘いながら頑張ったのもよく覚えてる。ただ一番キツかったのは銃の訓練だった。
撃つ時の音が、頭の弾けた同級生達と被って、最初は訓練の後にトイレに直行してた。いつも耳を塞ぎながら自分の番まで待って、その後はヨロヨロ歩きながらブレブレの照準を何とか合わせて撃つ。この訓練はさすがにキツすぎて、朝は聞こえるわけが無い発砲音で起きるなんてこともざらだった。
ただこんなんでも、自分なりには頑張れたと思ってる。別に頑張るのはあたし得意だったから、あの状況からにしては上手くいった方かも?なんて思ってる。しかも研修中ってことで給料も出るし、ハードなバイトみたいなもんだと思えればモチベも湧いた。しかもちゃんと卒業もしなきゃいけなかったし、あの時期でだいぶ体力ついたんじゃないかなって、今は思ってる。
大学を卒業して、あたしは本当にエージェントになった。仕事は、コミュ力を活かしてってことで、人のスカウトが中心ってことになった。やばい人生始まっちゃったなって思ったけど、ぶっちゃけそれ以上にワクワクしてた。あの時助けてくれたおっちゃんと同じ肩書に立てたこともめちゃ嬉しかった。フツーに生きてたら絶対に会えないような人に会えて、絶対に見れないようなもんが見れる。人生一回きりだし、こんなん楽しむしかないじゃんねって。
まあ、甘かったよね?そんなノリで居る場所じゃなかったんだよなぁ。
例えばあたしが勧誘したお姉さん。最初は異常の被害を受けて見た目が変わっちゃってめっちゃ凹んでた。そんでも経歴とか見ると結構アツかったから、財団に勧誘してみた。いざ財団に入ってくれたらお姉さんの表情が明るくなって、あたしも嬉しかった。ちょっと見た目が違うくらい、財団では別に普通だもんね。
でもその人は訓練を終えて、初めての任務で死んだ。
別にそれも財団では普通のことだったと思う。能力が足りなかったとか、訓練が甘かったとかじゃない。そういうことはいくらでもあるってだけ。でもやっぱり、いや、だからこそかな、あ、あたしが殺したんだなって思ったよね。なんとかして変わった部分だけ切除したげて、一般社会に帰したらそんなことにはならなかったもん。
例えばあたしがしばらく組んでた先輩。あたしは結構パッションで勧誘するタイプなんだけどその人は理論がめっちゃ上手くて、横で聞いてすげーって思ってた。
その人は要注意団体の人と話してる最中、頭をぶち抜かれて目の前で死んだ。あたしは反射でめっちゃ屈んで、死ぬ気で逃げた。先輩の遺体はそのまんま。ありえないっしょ?笑えるよね。
財団に引き抜いてく人が恨まれるのは当たり前。頭では分かってたけど、結局実際にそのダメージをもろに食らうのは何倍も辛くて。夢の中には誘った後に死んでいった人の顔がたくさん頭に浮かんでは消えてで、頭の中はぐちゃぐちゃになった。あの時の廊下におっちゃんの代わりに死んだ人が出てきて、言われるはずのない言葉が頭の中でぐるぐると頭を回る。
でも一番堪えたのは、おっちゃんが死んだ時だった。フィールドエージェントはすぐに死ぬ。次はお前だと思えと訓練時に言われていたことはもちろん忘れてなんてなかったけど、私より先に逝ってしまうなんて、思ってもみなかった。葬式には行ったけど、足から下はそもそも残っていなくて、あのくしゃくしゃの星図も、もう見ることはできなかった。
先程までの明るい空気感とは全く違う、静けさ。周りの職員達も口を挟まず、神妙な様子で話を聞いている。
「ぶっちゃけ、辞めた方が楽かなって何回も思ったよね」
ふと、この人は私の知っている財団職員みたいじゃないな、と気づいた。今まで聞いたことのある財団職員というのは誰も彼も覚悟を決めていて、周りのために死ぬ準備が出来ていて、躊躇わない人ばっかりだった。でも、この人は少し違う。私のボサボサの髪、ざらざらの手とは似ても似つかない彼女が途端に、少し近い存在に見えてくる。
どうしてこれから財団に連れていかれるような私にこんな話をしているんだろうか?私はきっと、そういう人達を殺す側の人だっただろうに、なんで情けをかけてくれているんだろう?純粋に不思議に思う。
裏海は静かにネイルへと視線を落とす。一見全てが同じ色に見えたが、よく見るとそれぞれが濃かったり、薄かったり、キラキラ光っていたり、あるいは夜のように暗かったりして、少しづつ違う表情を見せている。私がその綺麗さに夢中になっていると、裏海はこちらに目線を向けており、「見る?」と言いながら、手を私の方に差し出す。
まじまじとそれを眺めていると、裏海が口を開く。
「星座。モチーフなの」
「星座?」
「そう、星座。さそり座とか、しし座とか」
星座についてはよくわからないが、爪は濃い紺色に染められていて、金色、赤色、白色のビーズのようなものが輝いている。手を動かすと、きらりと光った。
「ネイルアート、1番キツかった時はやめちゃってたの」
休みな。カウンセラーの人は私にそれだけ言って、他は何にも言ってくれなかった。メンタルは結構自信あったけど、流石にガチで凹んだ。しばらくお休みをもらって、めっちゃ寝たり、ちょっといいご飯食べたりした。
そんでもなんかイマイチ。カウンセラーの人は変わらず良くしてくれたけど、あんまりアガらなかった。ガッツリ記憶処理って手もあったけどそれは嫌だったし。だからといってこのまま生活していても良くなるのかなっていう、おっきな不安みたいなのがずっとついてきて、取れそうにもなかった。
ギリ昼間みたいな時間に起きる。鏡に映るあたしはマジで終わってた。肌荒れもヤバいし、髪はプリンだし、目は死んでる。
そういえば最近ちゃんとメイクしてないなって思った。すっぴんでは死んでも外出ないけど、ギリギリで起きて5分でやるってのが多かったし。
別になんの予定も無かったけど、久しぶりに1時間くらいかけてガッツリやった。高校生になって手当り次第塗ってみたとき、大学生になって自分に似合う色が分かってきたとき、デパコスとか買えちゃう収入になってきたとき。色々顔に乗せてくうちに、その頃のワクワク感をじわっと思い出してきた。どうせならって髪も巻いて、気に入ってる服を着る。
「ヤバ、ビジュ良……」
それから、爪。塗り直したり整えたりする元気もなくて、しばらくなんにもしてなかった。
引き出しを漁って、目当ての色を取り出す。深い紺色、財団職員になってから好きになった夜空の色。ちゃんとネイルアートする元気はまだ無いけど、単色でぺたっと塗るだけでも結構アガれる。
うん、やっぱりこっちの方がいいや。折角だし、どっか行こうかなって思える。
窓を開ける。まだ日は落ちてなかったけど、大きな星はもう見える。あれが確か……宵の明星、金星。せっかく好きになった星空も、最近全然見上げてなかった。
月と、金星と、あといくつかの星。それらを指でなぞってみる。台形のような形。
「えーっと……プリン座!」
何やってんだあたし、と笑う。そもそも月入れちゃダメだし。外の空気をいっぱいに吸い込んで、顔をぱちぱちと叩いた。
「よし、外出るかー!」
とりあえずダッシュで美容院を予約して、あと社宅を引き払って、私物をめちゃめちゃ捨てた。復帰をマジでお願いして、出張がある業務を積極的に受けて、日本中を回るようになった。
メンタルめっちゃ心配されたけど、むしろ逆。あたしは人と喋るのが好きで、知らないものを見るのが好き。すっぴんで家のなかウロウロしてたってなんも楽しくないもんね。
あたしが一人いたって変わんないことも多いけど、ちょっとなら良くできる。てか良くする。今ならそう思える。
「このネイル……だけじゃない。今つけてるアクセとか全部、一緒に仕事出来ずにいなくなっちゃった人をモチーフにしてるの。このさそり座とかしし座とかは、誕生星座。あたしが忘れたら、絶対にダメだから。だからね、この人たちの分も絶対背負って、最後まで、1人でも多く助けるの」
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車が止まった手応えがあって、車内の隊員たちが軽く息をついた。
「着いたな。いやしかしよく喋るなオマエ」
「お喋りが仕事だし〜」
一旦な、と手に拘束具をつけ直される。トラックの後ろが開くと、辺りはもうすっかり暗い。そんな夜道を気にも留めず、彼女は一足先に車両から飛び降りる。暗い闇の中に彼女の靴の色が溶け込んで、やがて彼女の姿は暗闇の中で一段と輝いて見えた。裏海は周りをキョロキョロとした後に私の方に振り向いて、笑顔を見せる。
「これからも結構大変だと思うけどさ、いつか一緒に働こ。また好きなもんとか教えてよ」
無言の私に、彼女はハッとし、焦った表情を浮かべる。
「やべっ。こんな話聞いて働きたいとか思わんか。もっといい話すればよかった!しくったー!ごめんね?」
「……いえ」
拘束された手を伸ばす。
「あなたと話せて、良かったです。あの……」
「あの?」
「今度、爪綺麗にしてほしいです。裏海さんみたいな、キラキラの星みたいに、綺麗に」
彼女はパッと笑顔を浮かべ、こちらに手を伸ばした。距離をあけたまま、握手の真似事。
手には拘束具、目の前には大層な門があって、足が竦みそうになる。それでもこれからの人生をマシにするのは自分だって、そう思う。
ひーちゃん、もといトカゲの彼女が扉の奥に消えていき、裏海は振っていた手をそっと降ろした。
「んで?次はどこに行くんだ」
「明後日にー、青森!最近クッソ暑いから結構期待」
「……ああいうのを一人一人いちいち気にかけんのはオススメしないぞ」
「わかってるよー。今日はたまたまいっぱい喋っちゃっただけ。それにほら、もうほぼ勧誘成功したって言っていいんじゃない?これで今日の失敗はチャラ!」
「なるほどな、それが目的か」
口角を上げた虚裡に、裏海は両手をぶんぶんと振る。
「や、違うって!あの子の顔色マジで終わってたから気にしちゃったのはマジ。虚裡さんこそ、ちゃんと寝ないと死ぬよ?」
「それはもっと上に言ってくれるか」
「それは嫌だなあ。でも、虚裡さんが寝不足以外で死んでるところは想像できないから、あとは寝るだけでおけ!」
「余計なお世話だっつーの」
裏海はニッと笑うと、スーツケースを持ち直し。
「じゃ、うらうらさん、おつでーす」
と言いながらスタスタとその場を後にする。虚裡は静かに小さく手を振った。握り直されたスーツケースの手元には、満天のものよりもずっと澄んだ星空が静かに宿っていた。



