クレジット
タイトル: 日々を追うのか、日々に追われるのか
著者: Amata_Oru
作成年: 2026
http://scp-jp-sandbox3.wikidot.com/draft:9567224-21-b3a2
区切り線
タイトルの消去
ふ‐つう【普通】
- 世の中に多く存在していること。
- それが当たり前であること。
- 広く通用する状態のこと。
タイトルの記載
日々を追うのか、日々に追われるのか
午前零時。サイト-8190の灯りはまだ落ちない。夜間警備員の欠伸、研究員たちの呻き声、決められた時間にSCiPを世話する職員の一服。どれほど夜が深くなろうと、人の流れが止まることはない。職員は血液のようにサイトを巡り、財団という組織を存続させている。
財団は異常という闇を照らす光なのだろう。けれど光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる。今歩みを進めている廊下が正しくそう。自分以外に誰も居ない真っ暗な廊下。気味が悪く僅かな恐怖心が芽生える。つい数刻前にヒト型機械実体のSCiPが脱走したことにより、廊下の電灯は砕け散り放置されている。清掃が間に合っていないそれらを踏みしめて、また一歩足を進める。足音は響かない。
「収容違反、今月で3回目だろ」
正面に二人の巡回警備員、瓦礫を廊下の端に避けつつこちらに歩いてくる。なんとなく端に寄った。
「しかも今回は仏さんも出てる。噂では他のやつを庇った結果らしいぞ」
「マジか」
「おかげで死人は一人。庇われた側は軽傷らしい」
「なんというか、凄い判断だな」
噂ごとを話しながら彼らは仕事を再開する。収容違反が起こる職場とはいえ、平和な間は彼らも暇なのだろう。ともかく、雑談に興じている様が偉い人に見つからないことを祈る。
それはそうと嬉しい話を聞けた、収容違反による犠牲者は1人。その数字を少ないと思ってしまった時点で自分も十分財団職員、命の重さが麻痺してしまっているのだろう。損失する人材は少ないほうが良い。庇われた職員が死亡しなかったのは不幸中の幸い。とはいえ、何処で命を散らしてもおかしくない職場でも目の前で死が展開されるのは精神に堪えるはずだ。死に慣れることは好ましくない事象なのに、慣れて当然と思う矛盾を抱えているのは可笑しな話だと思う。
廊下の突き当たり、明日のために確保された休憩室の扉を開ける。着いて早々「やけに広い」という感想が零れた。十五畳ほどの空間に檜の机、それと高座椅子がいくつか。壁際には香炉、闇に焚かれた香は宙に舞いぼやけて霧散している。香りは甘すぎず、不思議と腹に馴染む。この部屋に入室するのは初めてではあるものの、広さの割には案外居心地がいい。床のカーペットは触り具合が良く心地良さがある。そして部屋の奥には、明日の主役である棺が鎮座している。
不思議と、部屋全体が優しさに包まれているような気がした。
とんとんと、遠くから一つの足音が響く。日付が変わり夜も更けたこの時間に来客、忘れ物の回収か単純な来訪か、はたまた明日の準備のための調整か。思考を巡らせているうちにも、とんとんと、足音が近づいてくる。
きぃ、と休憩室のドアが軋みつつも開かれた。背中に垂れる栗色の一つ結びが覚束ない足取りとともに揺れている。両手に何かを抱えたまま、横着しながら肘で戸を開け電気をつける。その面倒くさがりな仕草には見覚えがあった。
「先輩、お久しぶりです!」
聞き慣れた声、来客は財団に入って数年の頃に初めて研修を担当した後輩だった。これまで教えてきた後輩の中で一番苦労させられたかもしれない。物を失くしたり名前を忘れたり時間を間違えたり。一度だけならまだしも同じミスを何度も重ねて、1個改善したと思ったらまた1個やらかして。よくフィールドエージェントになれたな、と今でも思うぐらい心配を積み重ねてくれた。何度も連絡は取っていたが、数か月ぶりの再会はとても嬉しい。
「おー、久しぶり。ってなんだその荷物」
礼服がサマになった後輩は、両手に零れそうなほどの菓子類が入った紙袋を抱えていた。おかきにカステラ、羊羹と高級そうなものばかり、あと見慣れたクッキーもある。それと、可愛らしい白い花を咲かせた6本の花束。種類は分からないが、花が淡く咲き連なる様は綺麗に感じる。お前、花を贈るような柄じゃないだろ。
「先輩、独りだと寂しいでしょ。気の利く後輩がわざわざ差し入れ持ってきてあげたんですよ~」
「別にいいのに、でもありがとな」
どうやら気を遣ってもらったらしい。無理に気を遣わなくてもいいのだが、無下にしたくはないので有難く享受する。
「わ、ちょっと肌寒いですね」
「そうか? クーラー効きすぎてるかも」
「先輩は寒くないですか」
「そんなに。お前は変わらず寒がりだな」
後輩は僅かに肩を震わせながらもテーブルにどさどさと菓子類を積み、主役である棺の傍へと丁寧に花束を添えた。紅茶があれば心地良いティータイムになるのだが、生憎備え付けられてはいない。紅茶の香りが漂わないことを口惜しみながら、後輩がクッキーを頬張る様を眺める。高級そうな菓子類に手を伸ばす様子はない。
「駅近くのケーキ屋で売ってるやつだっけ、それ」
花柄にかたどられたバタークッキー。さくさくした食感で、甘いものが苦手な俺でも楽しめる。10枚入りで300円と安く、売り切れが頻発するほどのレア商品だ。研修中、後輩から差し入れとして幾度か貰ったな。
「先輩好きですよね、このクッキー」
「甘さがくどくないから食べやすいんだよな」
みるみる内に2枚3枚と消えていく。彼女はクッキーに夢中なのかこちらを見てくれない。旨いのは分かるが、一応差し入れというテイなのだから何枚か残しておいてほしい。あとクッキーの欠片をぽろぽろと零さないでもらえると嬉しいんだけど。
「あ、やば、零しちゃった。先輩、ここってコロコロありますっけ」
「粘着クリーナーのことか? それなら、部屋には無いかもな。受付にあるとは思うが」
「ちょっと探してきます」
クッキーを零した事実がバレないようにと、後輩は一つ結びの髪を揺らしながら駆けていく。振る舞いの可愛さや人懐こく愛想のいい人柄。きっとあいつなら配属先でもうまくやれているのだろう。ただ、コンシーラーで隠し切れていない隈は見逃せなかった。単純に眠れてないのか、現場で不眠症かPTSDを発症したか、それとも。いずれにせよ、短時間でもいいから休息は取ってほしいところだ。彼女の性格ならカウンセラーに相談はしないだろうし、人に頼ることもまだ慣れてない気がする。
後輩がいなくなり、無音が訪れる。放置されたクッキーの包装を見ながら、一つ溜め息をつく。
あいつは今いくつだったか。
俺の記憶が正しければ21かそこら。本人に言えば怒られるだろうが、30くらいまでに良い相手を見つけて、さっさと職員辞めて幸せな家庭を築いてほしい。お前は財団で一生懸命やっていくつもりなのだろうか。お前の努力を見届けている一人の先輩として個人的な意見にはなるけど、正直お前は財団に向いてないと思う。
研修前のアイスブレイクで生い立ちを話してくれたよな。ご両親が財団職員で、二人とも収容違反に巻き込まれて亡くなられて。行き場を失った後にプリチャード学院へ保護された、って。正直、どう返答すればよかったかは分からなかった。労いも慰めも、傷つけてしまうと思って何も言えなかった。
お前がSCiPに対してどう思ってるかは、俺は知らない。心を読む力なんて持ち合わせていないし、読めても所詮他人だから関与するつもりは無かった。けど、お前の話を聞いて。過去の諸々を全部忘れて一般社会で生きたほうがいいと思った。お前はこっち側の人間じゃない。全部、俺の勝手なエゴだとは分かってる、それでも。
『普通の人生』を送ってほしいと、思ってしまった。普通の仕事をして、普通に誰かと恋をして、普通に歳を取って。俺と同じく異常性がないからこそ、いつでも”普通”に戻れる。お前はその人生の方が似合うと思うよ。
足音は聞こえない。香の煙が静かに横たわる棺へと、寄り添うように舞う。中で眠る遺体は、少し狭苦しく見えた。
午前壱時。後輩が帰ってきたのは、時計の針が半周した後だった。
「先輩、ありましたよ~!」
勢いよく扉を開け、ぶんぶんと粘着クリーナーを振り回しながらの帰宅、そして流れるように証拠隠滅。クッキーの欠片はひとつ残らず、ころころと転がる粘着クリーナーに巻き取られた。なるほど、だから『コロコロ』と形容していたのか。
「ご苦労様、ずいぶん遅かったな」
零さなければ良かったのでは、という言葉を噤んで労いの言葉をかける。顔を見れば、少しメイクが崩れている気がする。触れるのは野暮か。
「あまりにも見つからなかったので、別棟まで借りてきましたよ」
彼女は役目を終えた一周分の粘着シートを捲る。びりりと破かれ、くしゃくしゃと丸められる。何の気なしにコロコロを使う光景は、彼女が大人に見えた気がして新鮮に見えた。
呼吸音が響く。俺も後輩も、お互い次の一歩を踏み出さず口を噤む。やはり、後輩と目は合わない。そりゃそうだよな。香は先端の灰を零しつつも絶えず燻り、光に吸われるように霧散する。後輩は明日の主役に顔を向け、話し始めた。
「ね、先輩」
「どうした」
手持ち無沙汰なのか、後輩は机の上に置いた菓子類で飾り付けを始めた。変なところで器用らしく、綺麗に菓子が積み上げられていく。
「実は、先輩に言ってなかったことがあるんです」
落雁が飾り付けの頂上に備えられる。まるで夜の闇を照らす満月のような、誇らしさと奇麗さとほんの少しの緊張感を纏う。
「私、先輩に救われたんですよ」
「……続けて」
救われた、と言われても。思い浮かんだ5W1Hの疑問を胸に仕舞い、彼女の言葉に耳を傾ける。相槌は必要だと思った。
「両親を亡くして直ぐ、プリチャード学院に引き取られた、って話はしましたよね」
「研修の時に聞いたな」
「たくさん勉強して卒業して、財団職員に、そして後輩になりましたけど」
そこで彼女は一度言葉を切った。香の煙がゆっくりと天井へ流れていく。その行き先を目で追うように細めた視線は、どこか遠い昔を見ているようだった。
「実は先輩と出会ったの、プリチャード学院が最初なんですよ」
「それ、人違いじゃないのか」
記憶を探る。俺は高卒だしそもそもプリ学に通ったこともない、と言おうとしたその瞬間。記憶に色彩が宿る。確か職員一年目の時、何の経緯か進学しないかと当時の先輩職員に誘われて。大学見学の一環で色んな学部を歩かされた、結局進学は断ったけど。ということは当時お前は高校生ぐらいか。
「プリチャード学院には様々な子がいました。異常性を持った子、人と人外の間に生まれた子。みんな何かしらの”特別”を抱えて、引き取られていました」
彼女は落雁を指先で弄びながら、小さく笑った。
「でも私には何もありませんでした。両親を亡くしただけの、異常性を持たないただの”普通”の子供だったんです」
胸の奥が引っかかる。両親を喪うことは「だけ」では済ませられないはず。財団で働いていてもそう感じるのだから、絶対に当たり前ではない。それを吐き捨てるような仕草に、何も返せなかった。何も、返してやれなかった。
「思春期だったのもありますが。異常性がある世界で何も持っていない私は、どうやったら”普通”に、周りのみんなと同じような異常性持ちになれるのか。なんてどうにもならないことで悩んでいました。その日も考えながら廊下を歩いていて、たまたま先輩とぶつかってこけちゃったんです」
また色彩が宿る。校内の案内が終わり自由に見学していいと言われた後、迷ってしまって気が付けば高等部に居た。お互いよそ見をしていたのか曲がり角でぶつかった。こけてしまった相手に申し訳なさから手を貸そうとして、目を焼かれた気分に陥った。
「あの時の、お前だったのか」
「先輩、こけた私に手を引いてくれましたよね。怒られちゃうかもしれないですけど、あの時の先輩は、生きているようには見えませんでした。青白い肌、光の見えない墨色の瞳、気だるげな振る舞い。そのどれもが、生から逃げているようで、すごく淋しそうに見えたんです」
香の灰が零れ落ちる。音にもならない幽かな振動は、言葉に一つ分の呼吸を纏わせる。
「今にも消えてしまいそうな、居場所が無いような雰囲気。私とは全く違う境遇のはずなのに『同じ』だと思いました。って、昔の自分はとても失礼ですね」
「でも、そんな先輩が私には眩しかったんです。今にも死にそうな先輩が誰よりも生きているように見えて。それなのに、消えてしまいそうな危うさがあった。その危うさに、なぜだか少し惹かれちゃったんです」
彼女はくすりと笑う。その笑顔は、手を貸した時と変わらない眩しさで。何故今まで忘れていたのかが分からないぐらい、懐かしく感じたあの時の自分にはあまりにも光が強く、無理やり目を逸らして記憶から消してしまったのだろうか。今なら、その光に触れられるのに。
「財団職員を目指したのは、先輩に会いたかったからなんですよ。いつか再会して、お礼を言いに行こうと思ってたんです。でも、先輩は私のことを忘れてましたね。あの時は少し寂しかったです」
「それは、ごめん。やっと今思い出せた」
この声は届かない。それでも、謝りたかった。許されるわけがないし、許されるとも思っていない。彼女にとっては許す許さないという次元ですら無いと思う。それでも、謝罪したかった。
「思い出してもらおうと沢山お話ししに行きました、そして先輩の色んなことを知りました。甘いものが苦手なこと、面倒見がいいこと、実は怖がりなこと。一つを知って、また一つ知りたくなりました」
「先輩のことを知っていくうちに、先輩の居場所は財団じゃないって思うようになりました。先輩は、異常性が振りまく理不尽な死を受け入れる振りをしていた。ずっと思い悩んでいた。先輩は、財団では”普通”じゃなかったですね」
俺は、異常が当たり前の世界では”普通”じゃない。それは痛いほど分かっていた。凄惨な現場で何度も吐いた、異常性に嫌悪を示した、財団に入る前の”普通”が分からなくなった。それでも、”普通”を追い求めたかった。
「誰よりも不器用で、この異常な”普通”からあぶれていた。だからこそ、誰よりも藻掻いて人生を進んでいるように見えて、必死に生きているように見えて、眩しかったんです」
「思えば、あの時手を引かれたときに一目惚れしていたのかもしれませんね」
心臓が鈍く軋む。聞きたくなかった。一目惚れ、雷に打たれたような、心を射抜かれたような。激痛とはまた違う、感情の暴走。お前と過ごしている中で、少しずつ傍にいてほしいという感情が募っていた。あの感情が恋心という事実にやっと気付けた。今更かよ、今更この気持ちに気付けたのかよ。道はもう、閉ざされてしまったのに。
「遅すぎるよな」
俺の声はずっと、届いていないのに。
彼女は、声を震わせながら棺に歩み寄る。
「先輩、前に会った時と変わりませんね」
「死んでいるようには見えませんよ」
彼女は”棺で眠る俺”の頬を、優しく撫でた。
先輩、本当に死んじゃったんですね。
上司から連絡受けて、嘘だって信じたくて急いで駆け付けました、嘘なわけないのに。でも、どうしても受け入れられなくて。上司に今日の仕事全部押し付けてきちゃいました、後で怒られちゃいますね。
どうしたらいいのかわからなくなって、感情のままにいろいろ買ってきちゃいました。先輩が気に入っていたクッキー、先輩がいつもお世話になってる方へ向けたカステラ。もしかしたら先輩が甘いもの好きになったかも、と思って買った羊羹、これは自分の好みになっちゃいましたけど。それと、カスミソウの花束。花言葉に疎い先輩は知らないかもしれませんが、6本のカスミソウの花言葉は『あなたに夢中です』なんですって。本数で花言葉が変わるそうです、不思議ですね。
気づけばお土産は両手に収まらないほどになってて。何してるんだろうって我に返って、急いでこのサイトまで来ました。
受付の方、とても優しくて。こんな夜中なのに丁寧に対応してくれたんです。お茶を出してくれて、「突然の訃報でお疲れでしょう。少し休んでから会いに行った方がいいですよ」って気を遣ってくださったんです。お言葉に甘えて、何があったかを聞かせてもらいました。
いつも、災害のように、突然収容違反は発生するんですね。たまたま先輩が新人研修のため、新人の方にサイトを案内していたらSCiPが脱走して。すぐに、先輩は新人の方を庇ったそうですね。それを聞いて、「あぁ、先輩らしいな」って思っちゃいました。先輩はいつも、自分の身を顧みず行動してましたもんね。まるで死に場所を探しているかのように。ね、その方は助かったみたいですよ。先輩の行動は無駄じゃありませんでした。
なのに、どうしてなんでしょうね。その行動を手放しで喜べない自分がいるんです。
事の顛末を聞いてから、ここの場所を教えてもらいました。「安置室への行き方はこうです、私はここで待ってますね」って言ってくださって、何度もお礼をした後に歩き始めました。安置室に行く途中、封鎖された廊下がありました。壁が崩れて、電灯が砕け散った廊下。恐らくここが現場だったのかな、なんて思うと心臓が苦しくなりました。
到着したものの、両手が荷物で塞がっちゃってたので肘で開けて入っちゃいました。先輩に見られたら「横着するな」って怒られそうですね。15畳ほどの安置室はすごく広くて、それでいて優しい雰囲気の部屋で。半分ほどの長さになったお線香が、包み込んでくれるような煙を漂わせて。
「先輩、お久しぶりです!」
漏れ出そうな感情を堪えた挨拶が吸い込まれそうなぐらい、寂しくなる部屋でした。気を抜いたら泣いちゃいそうだったので、明るく振る舞ってたんですよ。
「おー、久しぶり。ってなんだその荷物」
「先輩、独りだと寂しいでしょ。気の利く後輩がわざわざ差し入れ持ってきてあげたんですよ~」
「別にいいのに、でもありがとな」
重たい荷物で両手が悲鳴を上げていたので、お土産は机に置かせてもらいました。葬祭部門の皆さんに、それと先輩がお世話になった方たちへの差し入れ。先輩は食べすぎちゃダメですからね。
「わ、ちょっと肌寒いですね」
「そうか? クーラー効きすぎてるかも」
部屋に冷房が効いていて少し寒く感じました。確か、遺体の腐敗を避けるためにドライアイスなどで冷やすんでしたっけ。
「先輩は寒くないですか」
「そんなに。お前は変わらず寒がりだな」
明るく振舞うためのコツは、誰も居なくても会話をしているかのようにお喋りをすることです。相手を笑顔にするために、それでいて変だと思われないように言葉を紡ぐ。けど、棺の中で眠る先輩を見た時、実感が湧いてきちゃって。先輩と目を合わせたかったのに、先輩の方を見れなくて。クッキーを食べて逃げようとしちゃいました。
「駅近くのケーキ屋で売ってるやつだっけ、それ」
「先輩好きですよね、このクッキー」
「甘さがくどくないから食べやすいんだよな」
研修してもらってた時に、お礼として送ったクッキー。甘いのは苦手だって言ってましたけど、気に入ってくれてましたね。数枚食べて、一息ついて。ふと、誰もいないはずなのになんとなく先輩がいる気がしたんです。
「あ、やば、零しちゃった。先輩、ここってコロコロありますっけ」
見られたら恥ずかしいな、って。わざと零して、一度落ち着ける時間を作ろうとして。コロコロを取りに行きました。
「粘着クリーナーのことか? それなら、部屋には無いかもな。受付にあるとは思うが」
「ちょっと探してきます」
チラリと見えた先輩の肌は、とても白かったですね。
ふと自分の顔が気になったんです。笑えてるかな、見送りができるような顔してるかなって。トイレで鏡を見たら、ぐちゃぐちゃな顔でした。ああいう時、不思議と自分のことを俯瞰できちゃうんですね。鏡に映る自分の顔を見て、やっと事実を受け入れて泣き崩れる私。その隣に立って、何もせず何もできずただただ見るだけの私。不思議と、自分自身のはずなのに「かわいそう」って思いました。哀れみでも同情でもなくて、ただただそう思いました。
涙を落ち着かせて、安置室に戻って。改めて棺の中の先輩を見たとき、とても丁寧に飾られてるなって感じました。添えられた花はとても綺麗で、色鮮やかで。囲まれて眠る先輩は、今にも起きそうなぐらいでした。エンバーミングっていうんでしたっけ。鏡宮さんって言う納棺師の方がお化粧して下さったみたいですよ。後でお礼しに行かないとですね。
先輩、覚えてましたか。プリチャード学院で出会った時のこと。あの時はずっと、考え事をしていました。思春期だったのもありますが、異常性がある世界ではどうやったら”普通”になれるのか、なんてどうにもならないことで霧の中を歩いていました。そんな時、廊下の曲がり角でぶつかっちゃってこけたところを助けてもらいました。
先輩って変な人なんですよ。希望を捨てたような墨に沈んだ目をしているのに、何故か惹かれてどうしても追ってしまう。だから、頑張って肩を並べられるように努力したんです。財団職員になって、先輩をサポートして、二人で笑いあいたかったんです。偶然後輩になれた時、私のこと忘れてましたよね。あれ、ちょっとショックだったんですよ。今なら、思い出してくれましたかね。
先輩、起きてくださいよ。なんで泣いてる私をからかってくれないんですか。なんで、そんなにも肌が冷たいんですか。なんで。返事してくれないんですか。
先輩。どうして、死んじゃったんですか。
線香は殆ど灰になったものの、数刻先に訪れる最後まで役目を全うしている。柔らかく甘い香りを携えた白檀は、生者も死者も等しく包み込む。涙はようやく枯れ果てた、やっと見送りができそう。
「お騒がせしちゃって申し訳ありませんでした、そろそろお暇しようと思います」
荷物を片付ける。安置室は冷房が効いてるから菓子類が傷む心配は無さそうだけど。花はちょっと枯れちゃいそうだな。後で受付の方に渡させてもらおう。礼服は涙でずぶ濡れになっちゃったな、明日クリーニングに出さないと。替えの礼服あったっけ。
「もう行くのか」
「そういえば、明日は告別式あるみたいですね。通夜式だけ参加する予定でしたけど、明日改めて見送らせてください」
「おう、またな」
気持ちに整理はつけられたと思う。明日の式で泣いちゃわないか心配だけど。明日の私、がんばれ。
「じゃあ、また」
電気を消し、ドアノブに手をかける。ふと、後ろに気配を感じた。
「好きに生きろよ」
言葉が、聞こえた。はっきりとは聞き取れなかったけど、背中を押されたような感覚。振り返って、一寸先の闇に声を響かせる。
「追いついてやりますからね!」
にっと笑った。先輩は、きっと笑ってくれているだろう。
・
・
・
意識が明転する。
暖かい夢を見ていた気がする。いや、走馬灯かな。いずれにせよ、身体の危機的状況による本能的な逃走だろう。とりあえず目を開ける。有事の際は常に現状把握。先輩から叩きこまれた筈なのにすぐに対応できなかった辺り、10分は意識飛んでたか。
「はは」
視界は右側だけしか映らない、どうやら左眼は潰れたみたい。非現実的でいて、異常な組織では”普通”の事象に乾いた笑いが零れた。とにかく、かろうじて見える視界で情報を取得する。場所はどっかの廊下、壁にもたれかかる形でギリ生きてる。壁や天井が馬鹿みたいに崩れて、扉は吹き飛んでる。あそこからアレが出てきた、のかな。脱走と同時に自動銃撃システムが作動して、天井部分が崩落。半ば巻き込まれる形で今の惨状になった、多分。そういう流れだったんだろう。正直、記憶が飛んでるから確証はない。あーあ、警備員も転がってんじゃん、息あるといいけど。私の足元に手榴弾転がってきてるし。警備員の装備かな、ピンは刺さったままだから投げようとして崩落に巻き込まれたのかも。一応拾っておこう。
次は身体確認、どこまで動かせるか。最悪はこのまま情報残せずに死ぬこと、伝達できるほどの身体機能が残っているかを確かめる。右腹部に鈍痛、多分裂傷。ドクドクと赤黒い液体が流れている、この勢いだと流血は抑えられなさそう。両腕は辛うじて動く。両足の感覚はない、まだくっついてるみたいだけど歩けなさそう。崩落に巻き込まれた、にしてはダメージが大きすぎる。銃撃を食らったわけではないはず、ならなんで。
そうだ、あの子。新人研修という名目で連れ回していた彼を庇ったからだ。そうした方がいい、そう思って彼の首根っこを引っ張って後ろに下げた。結果として重傷を食らってるのは情けないな。彼は無事だろうか、首の可動域を確かめつつ姿を探す。
瓦礫が崩れつつも持ち上がる。恐らくはアレが起きたんだろう。私のクリアランスでは情報が分からないSCiP、私が分かるのは狼のような外見と銃火器が効くことだけ。銃撃を食らった部位が再生してる、ということはそういうSCiPなのだろうか。
瓦礫を体で押し退ける奴の傍には、突っ伏した彼の姿。意識はまだ無さそう。意識は無い。けれど、胸が上下しているのが見えた。生きているという安堵よりも先に、恐怖が込み上げる。奴はゆっくりと首を巡らせた、獲物を探しているのか。となると、狙われるのは彼かな。
この状況において、助かるべきは。どっちなんだろう、思考放棄してしまっているのかも。情報を残すためなら、私の方が優先度は高い。彼は現在意識を失ってしまっている以上、生還できる可能性は低い。いや、それは私もだな。生きて帰れるならそれに越したことは無い。
けれど、彼を見殺しにするのは嫌だ。もしかしたら、先輩もそう思って庇ったのかな。今なら、その行動をとった理由が理解できたかも。こんな気持ちだったんですね。
喉の奥から笑いが漏れた。本当に馬鹿だ。あれだけ死なないでほしいと思っていたのに。理解したくなかったのに。
結局、追いついちゃったじゃないですか。
すぅ、と息を吐く。奴に聞こえる程度の声を出す。
「おい」
どうやら聞こえたみたい、金色の瞳と目が合った。かろうじて動く左手を持ち上げる。死に様ぐらいはカッコつけたい、それが柄じゃなくても。震える指を無理やり握りしめ、親指を立てて己の首へと指し示す。不思議と後悔は無かった。
「ここ、しっかり狙えよ」
奴は涎を垂らしながら唸り声をあげている。餌如きが、なんて思われてるかな。残念だけど、犬畜生如きにどう思われてても気にも留めないよ。せっかくだし、冥途の土産にさっき拾ったこれ、プレゼントしてあげるか。
ね、お前は知ってるかな。人間ってやつはとっても愚かで醜くて、無謀なんだよ。
目を開くのも限界、あと数秒であの牙が喉を食い破るかな、手榴弾のピンを抜く、何秒で爆発するんだっけ。その前に遺言を吐き捨ててやる。
「先輩。私、好きに生きましたよ」
手榴弾を咥える、何とか間に合いそうだ。それじゃ、一緒に逝こうね。
意識が暗転する。
午前弐時。サイト-8190の灯りはまだ落ちない。夜間警備員の欠伸、研究員たちの呻き声、決められた時間にSCiPを世話する職員の一服。どれほど夜が深くなろうと、人の流れが止まることはない。職員は血液のようにサイトを巡り、財団という組織を存続させている。財団は、異常という闇を照らす光なのだろう。闇となった今なら、その眩さが分かる気がする。
電灯が切れてしまった廊下を歩く。瓦礫や扉の後片付けが丁寧に処理され、新品となった廊下。先日の収容違反なんて無かったかのような仕事ぶりに感心してしまう。無人の廊下は気味が悪く、僅かな恐怖心が芽生える。隣に、誰も居なければ。
「先輩、ちょっと怖くないですか」
「分かる。光が無いって存外怯えるよな」
「なーんだ、まだ怖がりなんですね。先輩の癖に」
「うっせ」
音の無い二人分の足音。時刻とは場違いの明るさを添えて、会話が展開される。
「好きに生きろとは言ったけどさぁ。来るの早すぎだろ」
「え、先輩いつそんなこと言ってたんですか。意外と後輩想いなんですね」
「俺の通夜後、お前が来てくれた時にな。あと意外とってなんだよ」
他愛のない会話。いつどこでもできる会話は、どうやらあの世でもできるらしい。
「良かったのか」
「先輩、主語がないですよ。そうやって濁すのは悪い癖です」
「はいはい。……”こっち”に来る判断で良かったのか、やり残したこととかあるだろ」
一瞬の沈黙。彼女は少し顔を曇らせたが、ぱっと明るい素振りを見せる。
「あるにはありますよ。けど、どうでもよくなっちゃいました」
「理由は」
「人間って、ふとしたきっかけで行動するじゃないですか。沢山計画してたのに、一瞬の判断で崩れちゃう。それを後悔するか楽観するかは人によりますけど」
「それで」
一呼吸。彼女の顔は、満足そうだ。
「私は後悔してません。務めてたサイトで収容違反に巻き込まれたのは不運でしたけど。痛みも恐怖も感じました、それでも。先輩ならこうする、って思って他の人を庇っただけです。それに結果論ですけど、また先輩と話せるようになりましたからね!」
そっか、と零す。そうです、と後輩が零す。一瞬の時が流れて、二人で笑う。どうやら俺達には辛気臭さは似合わないようだ。
それでいいし、それがいい。これが、俺達なりの回答なんだと思う。
「この先どうします?」
「まずは、財団に捕捉されないようにしないとな。収容する側からされる側になったわけだし」
「確かに! 霊的実体を捕捉する装置とかで見つかっちゃうかもですね」
「ハルトマン霊体撮影機な、お前忘れたのか」
「あ、やべ。冗談ですよ~」
誤魔化そうと笑いを浮かべる後輩をよそに、逃げるための経路を浮かべる。普通に歩いて逃げるのも手だが、霊的実体特有の壁を抜けたり浮遊できる性質があれば話が変わってくる。余裕があるなら検証を行いたいところだ。
「ねぇ、先輩」
「どうした」
後輩はそっと俺の手を握った。一瞬触れるのを躊躇ったが、握り返す。今は、お互い触れられるのだから。温度は無いのに、不思議と温かかった。
「私達、幽霊になりましたけど。私、二人っきりで過ごしたいです! なので、今度は私たちなりの”普通”の人生を探してみませんか」
死んじゃってますけどね、と言葉を添えて彼女は微笑む。その笑顔は、生前と変わらず眩しい光だった。
普通の人生。財団職員として枠組みから外れていた俺と、両親を喪って”普通”の形を知らないまま育った彼女。霊的実体となった俺達はこの先どうなるか分からない。生きている人たちに忘れられたら終わりなのか、自己を見失ったら終わりなのか、そもそも終わりはないのか。
存外、終わりなんてものはどうでもいいのかもしれない。今が幸せなのであれば、その終わりを考える必要なんてないのだから。
矛盾の二文字では収まらない想いが彼女の言葉には確かに宿っていた。優しくて儚くて、暖かかった。
「あぁ、”普通”に生きよう」
後輩はにっこりと笑った。つられて、笑みが零れた。
煙をくすぶらせていた線香は、その役目を終えた。
ふたりぼっちの旅へ行こう

ふ‐つう【普通】
- 世の中に多く存在していること。
- それが当たり前であること。
- 広く通用する状態のこと。
- これから2人で決めるもの。



