集村:65 - 宙記"祝祭のある島"
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がしゅう、と、と、とる、とるとるるるる


気の抜けるようなエンジン音が上がる。機械油で汚れたつなぎを着た老人は、汗を拭いながらようやく顔を上げた。老人は誰もいない机に向かって、おい、と短く呼びかける。声には苛立ちの感情が混じり、額に寄る皺は陽光の眩しさだけに因るものではないように思えた。

「いやはや、ご苦労様です。旦那様、準備ができたようでございますよ」

誰もいないように見えた机。その上には腕時計型の小さな端末があり、声はそこから聞こえていた。腰の低さと強かさを併せ持つ行商を思い起こさせる、そんな話し方だった。

「ギズモよ。そう大声を出さずとも聞こえている」

顔に被せていた飛行帽にかかった砂を払い落としながら、日陰でくつろいでいた気配がのそりと身を起こす。腹から響く低い声、帽子から覗く意志に溢れた瞳、砂浜でも乱れない確かな足取り。所作の端々から自信を覗かせながら、彼は老人に向かって堂々と歩みを進める。

「技師よ、大儀であった。私が伝え忘れていたとはいえ、 “同盟”からの話はいつも急でな。いくら私のために働く光栄の下とは言え、酷暑の中の作業は楽なものではなかったろう」

仰々しいセリフを謡い上げつつ汗まみれの老人の下にたどり着き、芝居がかった動作で手を伸ばす。老人は一瞬のためらいを見せてから、ふんと鼻を鳴らし、汚れた手のまま握手に応じた。

「イーラントゥ、だっけか。アンタ、ずいぶんとお偉い身分の方らしいな」
「ほう、やはり分かるか」

静まり返った海岸に、ざざ、と波の音だけが静かに響いた。

「やはり高貴な血というのは隠せぬもの。とはいえ、短いやり取りの中でそれを見抜くとは、貴君の慧眼もなかなかといったところか。今は"同盟"の探訪者として日銭を稼いでおるちっぽけな身だが、いつか私が故郷に戻り復権を果たした暁には、今日という日の出来事を語り継いでもよいぞ」

老人は握っていた手をゆっくりと離し、所在無げにぶらぶらと空中で手を弄んだ。それから目を泳がせ、困ったような顔をして顎を掻く。

「あー、分かりました。なんだ、ええ、光栄ですな」
「そうかしこまらずともよい。よきにはからえ。だが私の名前は――」
「旦那様。予定出発時刻を既に30分も超過しております。油を売っている暇はございません」

発言を遮られ、イーラントゥはわざとらしくため息をつきながら頭を振る。それから技師に向き直り、ぴんと1本指を立てて続けた。

「というわけでな、急いでおる。そこですまないが技師よ。もう1つついでに頼まれてはくれまいか」
「なんですか、『旦那様』」
「そこの荷物、私だけで運ぶのは骨でな。貴君のその腕力かいなぢからを見込んでお願いしたい。手伝ってはもらえないだろうか」

 自分でやれ。

喉元まで出かかった言葉をぐっと抑える。自身も"同盟"からの依頼を受けている身だ。ゴネて話がこじれれば遅延の責任の一端を負わされかねない。老人は苦悩と諦念が入り混じった表情で、乱暴に荷物を積みこんだ。

「申し訳ありません旦那様。私が非力な機械の身であるばかりにお力になれず申し訳ありません。あるいは、あるいは修理や調整がより早く終わっていれば時間に余裕もあったかもしれません。しかしながら……」

弁明のような端末の長台詞には誰も耳を傾けてはいなかった。


「旦那様、どうかトラブルを起こしませんよう、くれぐれもよろしくお願いいたします」
「くどいぞギズモ。”同盟”の連中と言い、なぜこの私にばかりその話を何度も繰り返すのだ」

イーラントゥは不満を漏らしながら、少し腰を浮かせて座席に座り直した。どうやら硬いシートが尻に会わないらしく、海面が遥か下に見えるようになっても、時折思い出したようにその動作を繰り返していた。

「『この仕事ばかりはイーラントゥ様にしかお頼みすることができません』だったか。深々と下げられた頭に免じて、慈悲の気持ちで仕事を引き受けたらこの仕打ちと来た。他ならぬこの私に対していかがなものかと思うぞ」
「再三に渡ってのご忠告、誠に遺憾ではございます。しかしながら、村民たちが旦那様の高貴な立ち振る舞いに嫉妬し、トラブルが生じないとは言いきれないのでございます」
「得てして田舎の共同体とは排他的なものだからな。外部からの調査員などは基本的に歓迎されん。それでも、あくまで『異類』の調査を第一目的として、波風を立てることなく穏便にやり過ごせ、と言いたいのであろう?分かっておる」
「左様でございます。『郷に入っては郷に従え』ということでございます」

イーラントゥは顔をしかめると、ヒゲを指でぴんと弾く。そのまま不機嫌な表情で、立てた指をそのまま端末に向けて振り下ろす。

「ゴウが何かは知らぬが、『従え』などとは、ギズモもずいぶんと偉くなったものだな」
「滅相もありません。これで一連の言い回し、古い諺なのでございます。つまりですな、『他所の文化や慣習は徒に否定せず、その土地の文化として尊重せねばならない』ということでございます」
「フン、なるほど。“When in Rome, do as the Romans do”というやつだな。苦しゅうないぞ、ギズモ」
「ご理解いただき光栄でございます。いざという時は私も最大限のサポートをさせていただきますが、一線を越える形で行動を起こされてしまってからでは後の祭りでございますから」
「善処しよう。もっとも、慎重なのは結構だが、ギズモのそれは度が過ぎると思うがな。ところで」

イーラントゥは言葉を切り、もう一度座席に座り直す。シートがわずかに軋んで音を立てる。

「ギズモよ、そなたもまだ実地での異類の調査に携わって日が浅いと聞いておる。きっと相手の心の機微を読むといったことに長けておらんのではないか。気を付けるのだぞ」
「旦那様自らお目をかけていただき、誠にありがとうございます。不肖ギズモ、善処いたします」
「分かればよいのだ」

ばすんばすんと音を立てながら、雲1つない快晴の夏空を、小型飛行機は悠々と進んでいく。


◇◇◇


私は島の外から来た者だ。
我々の島に偶然流れ着いた、あなた方の同胞からこの島のことを知った。
あなた方と敵対する意思はなく、むしろ良好な関係を築きたいと考えている。
願わくば、この共同体の長と話し合いの場を設けたい。

通訳・拡声をギズモに任せ、イーラントゥは辺り一帯にゆっくり、辛抱強く呼びかける。無論、いつでも離陸できるように、あれだけ尻の位置を調整した操縦席に座ったままでだ。既に五十を下らない村民たちが遠巻きに機を取り囲み、じっとイーラントゥを見つめている。のこのこと出て行った瞬間、彼らが飛び掛かってきて袋叩きにされないという保証はどこにもないのだ。それからさらにたっぷり2時間以上かけて、ようやく代表者が交渉の席に着いた。

「つまり、あなたはこの島の外からいらっしゃったと」
「そうだ。ようやく理解いただけたか」
「信じ難い話ですが、ハマスゲの名を出されては無碍にする訳にもいかないでしょう。お持ちになられた手甲も確かに彼のものだ。それは認めざるを得ないようです。ところで、彼は無事なのですか?」
「一時は危ないところだったが、今はだいぶ持ち直しておる。もっとも、まだ体力は回復しきっておらず、容態が落ち着いてからそちらに引渡ししたいと考えておるがな」
「なるほど。ちなみに彼以外にそちらでお世話になっている者は……」

イーラントゥは口をつぐみ、きまり悪そうに目を伏せて頭を振る。少し遅れて、端末からそれを補足するように、悪く言えば追い打ちをかけるように、事実が告げられる。

「残念ながら、我々が救助できたのは彼だけでございます」
「そうですか。いえ、海難事故で命を落とす者は珍しくありません。生きていた者がいるだけでも喜ぶべきなのでしょう。それにしても……」

島の代表は言葉を止め、イーラントゥたちが乗ってきた飛行機を改めて見上げる。黄昏の陽光を浴びて鈍く光る両翼に、彼は思わず目を細める。

「光る石の船で空を飛び、言葉を話すなど聞いたこともありませんな。私も呪いまじないの類に関しては多少の心得があるつもりでしたが、こんなものを見せられると自信も揺らぎます」
「なるほど。飛行機を見るのは初めてか。すると、島の外からこの島に誰かやってくるのは珍しいのではないか?」
「珍しいも何も、島外からの来客などはあなた方が初めてです。我々ですら、あそこの海上に見える三角島、それから南西の方にある岩塊島に行くのがやっとですよ」
「やはり、新天地の開拓は難しいものだな。とはいえ、我々がこの島に無事到着できたのも偶然だ。ハマスゲ殿が星読みの技術を持っており、島の位置が正確に分かったこと。天候に恵まれていたこと。貴殿らと友好的に接触できたこと。全て運が良かったからと言えるだろう」
「ご謙遜を。日頃の行いが良かったのでしょう。――と、自己紹介がまだでしたな。改めて。私はこの集落の政を担っております、“ヤブガラシ”と申します。どうぞよろしくお願いいたします」

ヤブガラシが差し出した右手を、イーラントゥは微笑みを浮かべながら力強く握り返す。武器を持たないことを示して親交の意を表す動作は、幸いなことに彼らの文化にも共通するものだった。

「それで、当面の生活でございますが、1つご提案があります。恥ずかしながら、我々の同胞にはあなた方のことをよく思っていない連中もおりましてな。どうでしょう、しばらく私の家にお泊まりになるのは」
「いえ、さすがにそこまで世話になるわけにもいかんだろう。必要以上に長居するつもりもないことだし、私は『ここ』で寝泊まりできればそれで充分であるからな」
「そうですか。飛行機とは便利なものですな」

と、そこでイーラントゥは口を動かしていないのに、翻訳機が勝手に言葉を発する。

「そうでございます、忘れておりました。詳しい話はまた明日以降にするとして、先に1つお願いしておきたいことがございます」
「はあ、なんでしょうか」
「実は私、どうも相手の心情を慮るということがどうにも苦手でして。物を知らぬばかりに不快な思いをさせてしまうやもしれません。至らぬ点などございましたら、その時はどうぞ、胸ぐらを掴んででも止めてやってください」


イーラントゥは操縦席を倒して浅く座り、空を見上げる形で寝支度を始めていた。電気も通わない原始的な生活を営む集村-65の夜はひどく暗い。鼻をつままれても分からないほどの暗闇は、キャノピーから静かに降り注ぐ月や星の光によって、どうにか緩和されていた。イーラントゥは寝転がったままぼそぼそとギズモに話しかけた。あるいは、それは傍から見れば独り言のように見えたかもしれない。

「ともかく、ファーストコンタクトの首尾は上々であったな」
「はい。私も心配が杞憂に終わって私もほっとしております。さすがは旦那様でございます」
「ところでギズモよ」
「なんでしょう旦那様」
「日中の挨拶、あれはきちんと私の言った通りに翻訳しておるのだろうな」
「私は旦那様の忠実な御供でございます。何を疑うことなどありましょう」
「最後のあれは?」
「初対面の方に向けた、つまらない、形式的な挨拶でございます」

「まあいい、何かあったら起こすのだぞ」
イーラントゥは静かに目を閉じ、1分と経たないうちに寝息を立て始めた。

「おやすみなさいませ。旦那様」


◇◇◇


"同盟"が集村65と定義したこの村には固有の名称が無い。島の住民にとってはその島こそが唯一無二の居住空間、世界のすべてであり、そのような存在に識別子としての名称は必要無いからだ。強いてあげるなら、昨日ヤブガラシが挙げた三角島、岩塊島と比較した"本島"という呼称がそれに当たるだろうか。
"本島"は小さな島だった。道が整備されているわけではないが、仮に外周を徒歩でぐるっと回ろうと思ったら半日もかからないだろう。

「狩猟採集社会に分類される、閉じられた小さな共同体でございますな。漁業を中心とした、自給自足の生活を営んでいらっしゃるようです」
「外部と交流が無い以上、自給自足の生活になるのは当然のことであるがな」

今回はこの島に運よく辿り着くことができたが、次回以降はどうなるか分からない。島を発つ前にこの土地の文化、植生や海流などについて簡単に調査させていただきたい。このような趣旨の申し出を、ヤブガラシは快く受け入れた。
もっとも、ヤブガラシはあくまで調査の許可を出しただけで、特に村民たちに事前説明や根回しをしたわけではない。喜び勇んで各戸に聞き込みを始めたイーラントゥに返ってきたのは冷ややかな反応であり、これといった成果はあがらなかった。どろりとした敵意は積極的な行動に移らないだけで静かに息づき、それは不信の籠った眼差しとなってフィールドワーク中のイーラントゥに注がれていた。

「あ、海の向こうから来たデカいオッサンだ」

もっとも、これらの敵意は共同体社会の慣習に染まりきっていない子供たちにとってはまだ無縁のものだった。立ち木を的にして弓の練習に励んでいた彼らは、イーラントゥに気づくと無邪気に駆け寄ってきた。イーラントゥはあっという間に取り囲まれ、好奇の目に晒される。

「鳥みたいに空飛んできたってホント?」
「ねえ、この石から声を出すんでしょ?知らない呪いだなあ」
「母さんは『あんな怪しいヨソ者に近づくな』って言ってたけどどうなの?本当に怪しいの?」

イーラントゥの眉がぴくりと動く。

「『怪しい』とは心外だな。よし、そうだ。ここは1つ、私が話すしかないようだな。故郷での私の活躍をまとめた冒険譚を」

娯楽の少ない絶海の孤島。『冒険譚』という言葉は子供たちの目を輝かせるのに十分だった。

「という訳でギズモよ。これも村民の信頼を得るための活動の一環だ。きちんと、翻訳を頼むぞ」
「……願ってもないお仕事を賜ってしまいました。実に恐縮でございますなあ。このギズモ、必ずやご期待にお応えいたしましょう」

ギズモ内部の小型ファンの音がわずかに大きくなったが、既に自分の世界に入ってしまったイーラントゥの耳には、もう何も聞こえていなかった。


「――これが決まって、賊の頭は倒れた。生き残った連中も這う這うの体で逃げ帰り、その村には私の像が建てられた、ということだ」
「スゲー!!マジかよ!!」

子供たちの反応はすこぶる良かった。話を聞き終わった子供たちは冒険譚のカタルシスにすっかり興奮し、イーラントゥの周りをぐるぐる駆け回りながら、意味もなく大声をあげる。体力の限り暴れた子供たちは、やがて電池が切れたかのようにばたりと草むらに身を投げ出す。

「さすが旦那様。まずは懐柔しやすい相手から攻略する。実に鮮やかな手並みです」
「子供相手だからといって手を抜かない。大事なことだぞ。ギズモも学んでおくといい」
「実に勉強になりますなあ。それにしても、未知のものに触れて心動かせる、瑞々しい感性は良うございますな。どんな些細なことにも喜びを見出せるというのは、幸せな生涯をおくる上で実に大切でございます」
「然りだ。純粋な曇りなき眼を持つからこそ、私の資質を正当に評価できるということだな。なるほど、確かに素晴らしいな」

イーラントゥとギズモがどこか噛み合わない会話をしていると、倒れていた子供たちがもそもそと起き上がった。そして、1番小さな子供が唐突にイーラントゥに問う。

「でもさ、そんなすごい英雄がこの村に来るなんて。やっぱり、おじさんもお祭りに参加しに来たの?」
「ほう、何か珍しい祭りでもあるのか?」

イーラントゥの問いに、子供たちは口々に返す。

「そうだよ。もうすぐ開かれるってお母さんが言ってた。ボクはまだ参加したことないけど」
「オレも見た事ない。でもとにかくすげーらしい。オッサンもぜひ見てくといいぜ」
「私も行ったこと無いし詳しくは知らないけど、豪勢な食事にありつけるんだって。山のようにあるらしいから、きっとおじさんが来ても大丈夫だよ」

イーラントゥはしばらく目を閉じて何か考えていたようだったが、やがてヒゲをピンと指で弾く――どうやら彼の癖であるらしい――動作をして、やや不機嫌そうに口を開いた。

「いいか童らよ、1つだけ言っておく。おじちゃんだのオッサンだの好き勝手言ってくれるがな。そういうのはもっと年のいった――」

「「「おじさん/オッサン!」」」

子供たちは大声で捨て台詞を吐き捨てると、イーラントゥが伸ばした手を躱す。そのまま、蜘蛛の子を散らすように逃げて行ってしまった。

「旦那様の手から逃れるとは、あるいはあの子供たちも賊を討伐するような英雄になるかもしれませんなあ。いえ、旦那様、気を落とすことはありません。100年以上の時を過ごしている私から致しますれば、旦那様もあの子供らも赤子同然でございます。失敬。決して悪い意味ではありませんが。そう、つまり旦那様はまだ若いと申し上げたいのです」

だが、茫然としたイーラントゥはギズモの長台詞に言葉を返す余裕もない。互いに何もしゃべらず、ただ気まずい時間が流れる。それを打破したのは、イーラントゥたちとの間合いを慎重に測りながら近づいてきた、ある村民の言葉だった。

「あのう、すいません、ヤブガラシ様から伝言を預かっております。今晩少しお時間をいただきたい、とのことです」


◇◇◇


座敷は混雑しており、下手に腕を動かせば隣と肩がぶつかりそうになった。煤臭い薄暗がりの室内では品の無い笑い声が響き、どこかから品定めするような粘っこい視線が飛んでくる。

結論から言えば、それは宴席への誘いだった。
昨日は突然のことで、歓迎会の1つも開けずに申し訳ない。開口一番、ヤブガラシはイーラントゥに謝罪する。とにかく顔を出すだけでも、という言葉に押し切られ、あれよという間にイーラントゥはヤブガラシの横に座っていた。

「――それでイーラントゥさんは故郷に帰るため旅をされている、というわけですか」
「ええ、私こそが家督を継ぐべき正当な後継者でありますからな。まだ手がかりは十分とは言えませんが、必ずや同胞と再び出会い、彼らを束ねて我が一族の復権を果たして見せましょう」

貼り付けたような薄笑いを浮かべながら、ヤブガラシは頷く。

「うまくいくと良いですなあ。イーラントゥさんの故郷の……家の……えー、なんと言いましたかな、いや失敬。どうにも齢を取ると名前を覚えるのが難しくなりましてな」
「いえ、あなたがたの土地で手前の家名をひけらかすなど無粋の極みです。それよりも、今晩私をお招きいただいた、本当のところの用向きをお伺いしたいものだな」

前のめりになるイーラントゥを、ヤブガラシは手で制する。

「そう焦らずに。まずは料理でも召し上がってください。今日は新鮮な肉料理です。妻の作ったヤツは特に絶品でしてな。もうすぐにでも出来上がりますよ」
「ほう、それは楽しみだ」
「しかしイーラントゥさんの旅の思い出は実に興味深い。時間が許す限り、ぜひもっと詳しくお聞かせ願いたいものですな」
「……ええ、落ち着いた席がありましたらぜひそうさせて下さい。おや、料理が運ばれてきたようでございますよ」

べらべらと何かを語り始めたイーラントゥの口の動きとは一致しない、短く簡潔な内容の言葉だったが、ヤブガラシは大して気にも留めていなかった。どうせ真に受け取られても面倒な社交辞令であったし、その関心は既に料理に移っていたからだ。
運ばれてきたのは、アジの焼き物に薬味を添えた料理だった。給仕が切り分け、取り分けられた料理に、村民たちは我先にと手を伸ばしていく。

「旦那様、これは一体……」
「ギズモ、やはりちゃんと翻訳を……いや、違うな。そういうことか」

ギズモにやや遅れ、違和感に気づいたイーラントゥはようやく自慢話を止める。そのまま端末に向かって小声で何かしゃべり始めたギズモの様子を見て、ヤブガラシは心配そうにイーラントゥに呼びかける。

「どうかされましたか。何かお口に合わないものでも?」
「いえ、ちょっとした勘違いですよ。我々にとっては肉と言えば獣肉にくのことを指すんです。それで、つい驚いてしまって」
「獣?」
「つまり、陸上の動物の肉のことです」
「なるほど、これは失敬しました。虫肉むし蛇肉へびなどをお持ちした方がよろしかったですかな」
「お気遣いはありがたいが、名前が違うだけで魚肉にくの方が私にとっては食べ慣れておる。それにこんなご馳走を下げていただくなどそんなもったいない……」

「そう!ご馳走ですよご馳走。そろそろ本題に移りましょうか」
突然、ヤブガラシは柏手を1つ打ち、何か思い出したように話を始めた。
「今朝方、チガヤやスイバ……子供たちから聞いたそうですな。この島の祝祭の話を」

上機嫌な態度が零れるその顔つきは、先ほど料理が到着する際、イーラントゥが口を忙しく動かしていた時の表情によく似ていた。

「ほれ、そこの角の席に座っているのが、私の娘のカズラと申します。あれはこの島の巫女を務めておりましてな。その予言によれば、あと2、3日、早ければ明日にでも、祝祭の準備が整うらしいのです」

「ほう。子供たちから詳しいことは聞けなかったが、一体何を祀るというのだ」

待ってましたと言わんばかりに、ヤブガラシは咳払いを1つした。そして、周りにも聞かせるような通る声で、芝居がかった語りを始める。

「この島の歴史は、即ち飢えとの戦いだったと言っても過言ではありません。食料事情が改善された今もなお、新天地を目指して勇敢に海に挑み、散っていく男たちもいるほどですからな。私の祖父も、その祖父も、それよりずっとずっと前の世代も。いつの世も食料不足には少なからず悩まされたと聞きます」

辺りの男たちが、ヤブガラシの話に気づいて声のトーンを落とす。

「遥か昔、我々の祖先がこの土地に移住した時なんかは、それはひどい有様だったそうです。泥水をすすり、木の根をかじる日々。飢餓にあえぎながらも、彼らは自分たちがようやく辿り着いた新天地の神の存在を信じ、祈り続けながら直向きに生活を送ったのです。そんな願いが天に通じたのでしょう。ある日、彼らは村に見慣れぬものが落ちていることに気づきました」

話を振ったイーラントゥは勿論、今や座敷中の皆がヤブガラシの話に聞き入っていた。

「それこそが聖賜  でした。祖先は土地の神がもたらしたその奇跡に大いに感謝し、皆で聖賜  を分かち合うことで、その命を繋いだと聞きます。これが現在まで続く祝祭の起源であり、今でも年に1度、皆で聖賜  を分かち合うことで、豊穣と子孫繁栄を祝う祭りを開くのでございます」

いつの間にか立ち上がっていたヤブガラシが大きく一礼して話を締めると、周囲からは拍手が上がり、場の雰囲気はある種の熱狂に包まれる。イーラントゥは何となく疎外感を覚えながらも、彼らに倣って拍手をした。

「いや、実に興味深い話であった。よろしければ、ぜひ参加させていただきたいものだな」
「もちろんですとも。ぜひ参加されるとよいでしょう。そうだ、元々文化について調査したいとおっしゃっておりましたな。どうでしょう、ついでに祭祀場の見学もなさってはいかがですか。祝祭が始まれば忙しくなります。イーラントゥさんさえよければぜひ明日にでも」
「願ってもないこと。ヤブガラシ殿には随分と世話になりますな」

それを聞くと、ヤブガラシは振り向いて頭の上で手を小さく振り、隅で飲んでいる若い衆に呼びかける。

「おい、オヒシバ、聞いていたな。明日は漁に出んでいい。この方を祭祀場へ案内するように。それが終わったら祝祭の準備だ。頼んだぞ」

それから、ヤブガラシはぐいと酒をあおり、イーラントゥに向き直った。

「それにしてもイーラントゥさんは実に運がいい。聖賜  が準備できるのは年に1度。偶然とはいえ、イーラントゥさんは実にいいタイミングでおいでなさった」
「全くだ。ああ、それから最後に1つ聞いておきたいのだが」

笑顔で返しながら、イーラントゥは最後の疑問を投げかける。

「『聖賜』とは一体何なのだ?」

ヤブガラシは一瞬困惑の表情を浮かべ、少し考え込む。

「何、と聞かれると少し答えにくいですな。それはまあ、見てからのお楽しみ、と言ったところです」

それからヤブガラシは顔の皺をより深くしてくしゃりと笑い、続けた。

「おいしいですよ。あれは食いでがある」


座敷を立ったイーラントゥは、昨日と同じように飛行機に戻っていく。歯を磨き、明日の支度を済ませると、傾けた操縦席の背もたれにどかりと体重を預けた。見上げる夜空は、やはり吸い込まれそうなほど美しく、遠くで若い衆の喧騒がかすかに聞こえた。

「良かったではないか、ギズモよ。どうやら『祭りの後』にはならずに済みそうだぞ」
「いやはや、誠にようございましたな。もし終わっていたら、また1年待たなければならないでしたからな。ところで旦那様、何かお気づきになることはありませんか」
「ギズモらしくもない。随分と抽象的な問いではないか。では、そうだな……」

そう言うとイーラントゥは目を閉じ、静かに息を止める。先ほどの宴の余韻を楽しむかのように、たっぷり30秒ほどそうしていたかと思うと、目を開け、声を潜めて囁く。

「11時の方向、300m先の石垣の間で動く鼻が1つ。3時の方向、120m先の木のうろの中でこちらを伺う耳が2組。昨晩と変わらんな」
「お気づきでございましたか。私はてっきり、気づかないままお休みになられていたのかと。いえ、旦那様の危機管理能力に疑問を抱いていたという訳ではございません。些かも、さっぱり、全く」
「当然だ。第一、昼間もずっと監視されていたではないか。やはり、下々の者の信用を得るというのは、なかなかどうして難しいものだな」
「左様でございますな。しかし、監視下でもすぐに寝付けるほど肝の据わった旦那様なら、きっとうまくいきますとも」

ギズモの言葉を聞いて、イーラントゥは鼻で笑う。

「それはギズモあってこそのことだ。この私がお前に任せれば問題ないと判断したのだぞ。だとすればそれで十分だ。非常事態についてあれこれ気を揉むのは、精神を擦り減らすだけで無駄ではないか」

珍しく言葉に詰まるギズモに、今日も頼んだぞ、とだけ言うとイーラントゥは目を閉じた。そして、昨日と同じように1分と経たないうちに寝息を立て始めた。


◇◇◇


唐突に顔に当てられた光でイーラントゥは覚醒する。辺りはまだ薄暗いが、ざすざすという草をかき分けながら歩く音がかすかに聞こえた。

「旦那様、誰かがこちらに歩いて参ります」

イーラントゥは跳ね起き、操縦席から外を覗くと浅黒い肌をした男がいた。服の上でも分かるほどに鍛え上げられた筋肉にはイーラントゥも見覚えがある。それは昨日の宴席でヤブガラシに祭祀場の見学を命ぜられた漁師、オヒシバだった。

「どうも、貴様が昨日の賓客だな。今から案内をさせてもらう。準備しろ」

日の出までまだしばらくはかかりそうで、コックピットから出るとまだ肌寒い。もう1枚羽織るべきか悩むイーラントゥを傍目に、オヒシバは早くしろと言わんばかりにずんずん先導していく。向かう先は島の南、小高い丘の上だった。曲がりくねった道は整備されているとはいえ、起き抜けのイーラントゥの膝にじわじわと疲労を蓄積させていく。元々体力のある方ではない。30分ばかり歩みを進め、イーラントゥがじんわり汗ばんできたところで、ようやく開けた場所に出た。

後ろには集落を一望でき、少し離れた場所に自分たちの乗ってきた飛行機も見える。切り立った崖下からは青く澄んだ海を見下ろすことのできる広場の横に、件の祭祀場はあった。白を基調とした屋根の無い建物で、ドーリア式の建築物に似た趣がある。造りこそ古めかしいが、1本1本が磨き上げられた柱からは村民たちがこの建物を大切にしている様子を汲み取ることができる。

「ほほう。なかなか洒落た建物ではないか」
「左様でございますな、旦那様。こうして近くで見ると、空から見た時とはまた違う風情がございます」

疲れも忘れてギズモと語り合っていたイーラントゥは、オヒシバが海に向かって手を振っているのに気付いた。崖下を覗き込むと、そこにはオヒシバ同様、鍛え上げられた体をした海の男たちが朗らかな顔で手を振っていた。しかし、イーラントゥと目が合うと露骨に目を逸らし、黒々とした投網を振るう作業に戻っていく。オヒシバは仲間たちの不躾な態度に対し特に悪びれる様子もなく、イーラントゥをむずと掴んで立ち上がらせた。そして、元より良くはない目つきを一層鋭くして説教を始める。

「アンタも旅慣れてるようだし、あまりうるさく言うつもりは無い。だが、ここから見える海には絶対落ちるなよ。潮の流れが複雑で、波に飲まれりゃ骨すら上がらん。ハマスゲの爺さんは遭難しても運よく助かったらしいが、ここじゃあそうはいかんぞ」
「案ずるな。そのような自殺のような真似をするわけがなかろう」

オヒシバは鼻を鳴らすと、イーラントゥの肩に当てていた手を離した。そして、再び無関心な表情に戻ると、片手で頭を掻きながら話を始めた。

「まあ、偉そうなことを言ったが案内を始めるとするか。案内、案内ね。ヤブガラシ様からあまりバラすなと聞いてるし、説明できることもあまり無いな。あ、ただこの荷物には触るなよ。祭りで使う道具なんかが色々入ってるからなあ」

オヒシバは自身の傍らに置かれた、粗末なむしろで覆われた塊を無造作に叩く。音から判断するに、雑多なガラクタの寄せ集めか。

「となるとこちらもあまり踏み込んだ質問は避けるとするか。……そうだな、祭祀場の中央にあるあの板は何だ?」

イーラントゥの指さす先には、白くて厚い花崗岩の板があった。岩には大小様々の大きさをした穴が空き、表面には焦げ目がついている。

「ああ、それくらいなら答えてもいいだろ。聖賜  の可食部は大抵の場合その上で良く火を通して食うんだ。いつでもきれいで食いやすい状態の物が手に入るとは限らんしな」

「『食いやすい状態の物』という言葉からするに、年によって多少は違うものなのか」

「そうだ。聖賜  の質の振れ幅は結構大きくてな。1年の間、酋長の下に俺たちがどう過ごしてきたかを見て、神様がそれをお決めになる。祖先や家族を大事にして、心穏やかに1年を過ごしていれば聖賜  もうまくなる。逆だと味が落ちたり、食う部分すらほとんど無かったりする。まあ、せいぜいアンタは今年もいいモンが食えるように祈っていてくれ」

そう答えると、「後は勝手に見学しろ」と言わんばかりにオヒシバはイーラントゥに背を向けた。そしてまた海に向き直ると、仲間に向かってバタバタと手を振り回し始めた。イーラントゥはわざとらしくため息をつきながら頭を振る。それから、写真を撮ったり、祭祀場の壁や床を軽く叩いたりしていると、小さな乾いた音がした。イーラントゥはその崩れ落ちた壁の欠片をしばらく舐めるように眺めまわしてから、ポケットにしまった。


その日もイーラントゥたちは聞き込みと採集調査を行っていたが、イーラントゥは昨日とはまた別の違和感を覚えていた。祭祀場の見学を終えて戻ってきてからというものの、村は言葉にしにくい、浮足立ったような雰囲気に包まれていたのだった。相変わらず芳しい反応が得られない調査をイーラントゥはそこそこに切り上げ、飛行機に戻って仮眠を取り始めた。


◇◇◇


夕暮れ、仮眠から覚めたイーラントゥが目にしたのは、挙動不審な動きをしながら集落を徘徊する村民たちの姿だった。地面に忙しなく目を走らせながら摺り足で歩き回るその様子は、ちょうど何かを探しているようだった。辺りは既に薄暗くなりつつあるというのに、徐々にその数は増していくばかりだった。

「そろそろか。カズラとかいうあの娘が神託を言い渡したのだろうな。『祝祭が始まる』と。まあ、実際のところどこまで当たるものなのかは分からんがな」

コックピットにふんぞり返って村民たちを眺める主に、ギズモは問いかける。

「旦那様はよろしいのですか」
「構わん。島はそれなりに広い。仮に信託が正しかったとして、どうせ見つかりはせんだろうよ」

そうして星を眺めていると、どこかで歓声が上がった。地面が揺れるような、大勢が駆け出していく足音が聞こえ、それから何も聞こえなくなった。辺りは不気味なまでに静まり返った。

少しして、草を踏み分ける音が聞こえてきた。しかし、明朝のそれと違い、足音も、歩幅もかなり大きかった。

「まだこんなところにいたか。賓客よ、祝祭の準備が整ったようで、ヤブガラシ様から先にお通しするようにとご連絡があった。さあ、祭祀場へ向かうぞ」

飛行機の外に来ていたオヒシバが呼びかける。朝は海辺で漁をしていた、彼の同僚たちを引き連れて。オヒシバは相変わらず不愛想なむくれ面で、何を考えているかはほとんど分からなかった。ただ、イーラントゥを急かすような、気が立っている雰囲気だけは読み取れることができた。

「旦那様。迎えが参ったようでございます」
「おお、こちらから出向く手間が省けたな。祭りの出迎えにしてはやや華やかさに欠けるが、まあ良いだろう」

そう言うと、イーラントゥは目を瞑って少し考えるような素振りをした後、飛行機を降りた。


オヒシバたちの先導の下、イーラントゥは十数時間ぶりに祭祀場へと足を運ぶ。村民たちが何か喋っているようだったが、ギズモを介するまでもなく高揚した様子が見て取れる。日は既に落ちているが、松明を掲げる村民たちに囲まれているため、足元も良く見えた。しかし、整備されているとはいえ、そこは山道。灯に引かれた蛾がどこからともなく飛んできて一行の周りを飛び回っていた。オヒシバは眉をしかめながら手で追い払うが、一部の蛾は自ら松明に飛び込んでその身を焦がす。

イーラントゥは、脂の焦げる臭いが漂ってくることに気づいた。勿論、近くで焼ける虫肉むしのそれではない。さりとて、昨日の料理が運ばれてきた際に香ったものとも違う、馴染みのない臭い。その臭いは丘を登るにつれ徐々に強くなっていった。村民たちの期待が、興奮が、一行の歩みを少しずつ速めていることに、ギズモだけが気づいた。

既に脂の焦げる臭いだけでなく、生臭さすら漂っていた。少し前から祭祀場に灯が点るのが見え、喧騒の声も聞こえる。着実に、一歩ずつイーラントゥ達は目的地へと足を進めていた。生臭さ、ただの生臭さではない。混じる。糞便の臭いが。血の臭いが。強くなっていく。次第に大きくなる、知らない言語でのざわめき、雑音。ぎらつく男たちの眼差し。本能。熱気。

開けた場所に出た。


広場には篝火が焚かれ、辺りを眩く照らしている。何かのクズが上昇気流に乗って空に舞い上がり、すぐに薄暗闇に溶けて見えなくなる。
威勢のいい男たちの掛け声、肉の焼ける香ばしい臭い。連れ立って着飾り歩く若い男女、何かの破裂音。篝火を遠くで見つめ静かに笑う老婆。はしゃぎまわっていた子供が転び、泣き出しそうになるがすぐにまた走り出す。


祝祭は既に始まっていた。


篝火の東、祭祀場では、今朝見た花崗岩の上で赤黒い何かの肉塊が焼かれている。それは昨日出てきた魚より遥かに大きく、蛇肉へびでも虫肉むしでも無いことは一目見て明らかだった。焼き上がった肉は近くに置かれた壺に入ったソースをかけ、軽く香草を散らして村民たちに提供される。花崗岩の前には長蛇の列ができていた。
壺に入っているソースは、血液だった。


篝火の西では、皆で1つの歌を歌いながら女たちが作業を進めている。中にはイーラントゥが聞き込みをした女性もいた。しかし、その表情は昨日見たものとはまるで違う、明るいものだった。彼女らは太くて長い、灰色のロープを共同で洗っていた。目の前のタライにつけてざぶざぶと洗い、洗い終えると自分の洗った分は隣に送る。そしてロープのもう一端を手繰ると、隣で洗われたロープを再度洗う。その繰り返し。
灰色のロープは、腸だった。


篝火の北では、粗末なむしろの上に乗せられた、4本足の生物の死骸に男たちが群がっていた。本来首があるべき場所には何も無く、縦一文字に切り開かれた腹の中から内臓はすっかり取り除かれていた。貝を削って作った粗末なナイフを手にした男たちは、その死骸の皮を少しずつ、少しずつ剥ぎ取っていく。いつの間にか、一緒に来たはずのオヒシバたちもその作業に加勢していた。
今、剝き出しになった赤黒い腕の肉が、肘関節で断ち切られた。肉片は更に細かく切り刻まれ、祭祀場へと運ばれていく。


篝火の南の暗がりには、朝見た覚えのない塊がごろんと無造作に放置されていた。誰かが処理する余裕もないのか、あるいは担当がまだ来ていないのか。イーラントゥは近寄り、それをよく観察する。
血の抜けた青白い肌。どろりと濁って既に光を映さない目、だらしなく飛び出た舌。

頭部だけになった、イーラントゥには馴染みのある生物。



紛れもなく、それは、人間だった。



「出たぞ!2つだ!」

唐突に後ろから声が上がった。イーラントゥたちが振り返ると、自分たちが今しがた歩いてきた道を駆け上がってくる影が1つあった。彼は息を切らせながら、再び大声で叫ぶ。
1回の祝祭で聖賜  が2つも出るのは5年ぶりだ!

祭祀場に集まった者は歓喜の声を上げ、祝祭の盛り上がりは更に大きくなる。そんな中、叫んだ男の後ろから、村民たちが列を成してイーラントゥがついさっき通った道を歩いてくる。100を超えるかもしれない村民の中には、ヤブガラシやカズラの姿もあった。あくまで堂々と歩みを進めながら、イーラントゥは落ち着いた口調で話しかける。

「どうも、ヤブガラシ殿。先に参加させてもらっておる」
「いや、私自身案内したかったのですが、なにぶんこっちの面倒も見なくてはならなくなりましてね。それにしてもどうですか。これが我々の『祝祭』です」
「思ったより活気のあって良いことだな。それに随分と洒落た聖賜ひとではないか」
「いやあ、分かりますか。それはそうと、楽しんでいただけておりますか?」

イーラントゥは愛想笑いで返しながら、改めて彼らの顔を見る。松明によって照らされた村民たちは、昨晩と同じ満面の笑みを浮かべていた。その笑みを絶やさないまま、ヤブガラシが引き連れてきた村民たちは担いできた荷物を下ろし、こちらの方向に歩いてくる。

イーラントゥは、



◇◇◇




明け方の薄暗闇の空を、一機の小型飛行機が飛んでいた。後部座席には島で回収したサンプルが積み込まれており、その中にはまだ血の滴る肉片もあった。昨晩、ヤブガラシたちが追加で持ってきて、記念にと渡してきた、人間の肉。

「結局のところ、ハマスゲの証言は全て真実であった、ということでございますな」
「ああ、彼らは間違いなく人間の肉を食らい、それを『祝祭』として生活の一部に取り込んでおった」
「古今東西、同族食らいは食のタブーでございます。"同盟"の方々が嫌悪感を示すことは想像に難くないでしょう。もっとも、機械である私には報告書に目を通された方の思いを真に理解することは叶いませんが」
「始末に悪いのは、彼ら自身には罪の意識が無いことだ」

イーラントゥにしては珍しく、陰鬱そうにため息をつき、やるせない様子で言葉を絞り出す。

「とはいえ、だからこそ、何の咎めも無く我々が島を脱出することができたのだが」
「あの伝承も、きっと大筋は正しいのでしょうな。新天地に辿り着き、飢えに苦しむ彼らの先祖にとっては、文字通り天から降って湧いた食料だったことでしょう。1年に1度とはいえ、労せずして手に入り、色々と役にも立つ」


ギズモは一旦言葉を切り、あちらをご覧ください、とイーラントゥに示す。機の前方、約500m先、小さな生物がふらふらと飛んでいた。群れからはぐれたであろうその生物は、くちばしを持たないその顔をこちらに向けて鳴き声を上げていた。意味を持たないその雑音は、あの島で耳にした言葉にどこかよく似ていた。

「陸が近づいてきたようだな。ギズモよ、そろそろ着陸補助の準備を始めておくのだぞ」
「かしこまりました」

イーラントゥはよろよろと機に近づいてきたそれを躱し、速力を上げて難なく振り払う。彼の腰に巻き付けられたギズモは、再び言葉を紡ぎ始める。

「今の彼らの文化水準を見る限り、入植には人間の影があったと考えるのが妥当でございましょう。彼らと人間の間に何があったのかについてはもはや想うべくもありませんが、とにかく現在の住民たちの先祖だけが生き残った。初めのうちはそれが何かを知っていながら口にした者もいたかもしれません。しかし、『祝祭』という大義名分に目が曇り、それを神聖視する動きだけが加速していったのでございましょう。代を重ねるごとに人間についての知識は薄れ、霞み、やがて忘れられてしまった」

「私も概ね同じ意見だ。やはり推測になるがな。いずれにせよ確実なのは、集村-65の村民はヒトという種を端から生物には分類していない、ということだ。だからこそ彼らにとってあれは――


死体に非ず、ということでございましょうなあ」


水平線の向こうから、太陽が音も無く昇り始めた。いつの時代も変わらず、遍く大地を照らす光。しかし夜風で冷え切ったイーラントゥの体が温まるには、もう少し時間がかかりそうだった。



集村 - 65

友好度 - 中(ただし、ヒトとの接触は推奨されない)

異類概要 - おおよそ一年に一度、集村-65内に出現するヒトの遺体。出現の原理は不明であり、出現場所や時間も大まかにしか判明していない。異類は集村-65の村民の生活と深い関わりを持ち、遺体は食料、薬、建材、漁網、骨角器など幅広く用いられる他、宗教的儀式にも用いられる重要な側面を持つ。

コメント - 島内を含め、周辺海域にヒトの居住区域は確認できなかったことからも、一連の事象に異類が関連する可能性は極めて高いと判断する。なお、集村-65より回収した生体サンプルは、本報告書に先んじ早馬で送付済みである。照会は困難だと予想されるが、そちらでも調査を進めておいてほしい。

集村-65の村民については別個に報告書を執筆したのでそちらを参考のこと。肉体的特徴から彼らがこの私と同様の異類である可能性は高いが、文化的背景は大きく異なり、ヒトを対等な生物として認識していない。万が一、集村-65の村民とヒトが接触した場合、混乱から来る衝突は避けられないだろう。これは漂流者らを確保する試みの際に発生した事案で証明済みである。十分な褒章さえ準備していただけば、今後も私が交渉役を担うことは吝かではないため、必要があればまた連絡をいただきたい。

探索担当 - イーラントゥ・ジャンガリアンミルキィ







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