吊り下げられし大廃趾
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サイト‐01は完璧になるよう設計された。

拡大した多次元宇宙の中で、財団はかつてゆるく協力していただけだった。宇宙を脅かすようなイベントに対処できるような状態とは到底言えない。そこで、単一の評議会、単一の司令部、中枢から外縁に下る樹形の連合的な組織、といった統合化の計画の大まかな輪郭が描かれた。その計画は完璧に遂行されるはずだった。

サイト‐01、最終的で決定的なサイト‐01はその計画の代名詞である。ソルとオーチャードの間の暗闇に位置する広大な領域は単一の共有基準点として機能するはずだった。燈火のルアーの切り抜きが半径1000マイルにわたる広大な規模に利用し複製され、停滞と均衡をもたらした。

それは非現実の中に吊り下げられた都市で、全世界の喧々囂々をかき集めたような場所だった。各宇宙の財団が持つイエローストーンは掘り起こされ、それらの持つ時空操作装置が輸送され、プラグインされ、巨大な時計へと接続されていく。そうして、全員が同期性を保ちながら、思いのままに事象の流れを操ることができるようになった。

当時のエンジニアたちは全容を完全には理解していないし、理解する必要もない。しかし彼らの内にはその巨大な機関を見上げて不安を抱く者もいたことは確かだ。封印された過去は保管庫に吊り下げられて、もう元には戻れない状態だった。そんな状況からくる不穏が彼らの宿舎や大食堂、飲食店、薬屋に浸透していた。彼らの中の何人かは、夜に声が聞こえるなどと訴えていた。

しかし、何の問題があるだろうか? 石と砂で作られた広大なホールは現実のものにであり、領域内の全体に構築されていた。ホールは完璧に安定しており、数えきれないほどの安全装置が設置されている。財団はサイト‐01が停止した時に何が起こりうるかを知っていて、尚且つそんなことが起こらないように規定している。いかなる機能不全が起こる確率も天文学的な確率である。彼らは油断もしていなかったし、思い上がってもいない。彼らは慎重だった。

彼らの間違いは、全てが永遠に続くと考えていたことだった。


アイリーンを隊長に五人。全員がアイリ―ンを知っている。彼女は最も経験豊富な宇宙間エージェントの一人だ。彼女は自身の実行力と厳格さによって隊員たちの信頼を勝ち取っていた。彼女の髪は短いピクシーカットで、目は深みのある濃い茶色に輝いていた。

サイモンはうわのそらな笑顔をヘルメットのバイザーで隠している。彼は恐らく、自分を安心させるために、起こりうる失敗を全て数えていたのだろう。彼は、彼なりの方法ではあるが、多分チームの中で最も正気を保てていたのだろう。

ファティマはいつも通りくよくよと考え込んでいる。アンダルスから逃げ出した彼女は19にして財団に就職した。七年間の勤務によって彼女は鍛えられたが、酔って出来上がった時は、そのころの話がよく彼女の口からこぼれていたものだ。彼女は心の奥で帰りたがっていたが、家族に合わせる顔がない。そのため彼女はコルドバの明かりと不滅共和国の中心地のマディナート・アル・ザハラについて何度も美化して語り続けた。白塗りの石の大地では、全てがとても輝かしかった。

アルベルトはいつでも笑顔と優しい言葉を絶やさない。彼はどこか暗くて危険な、あるサンフランシスコのスラム街から来た。その街はブラックホールのようであり、カリフォルニアをずっと昔にその腹に飲み込んでしまっていた。財団がまだ取り戻していない多くのソルのピット・タウンの一つでもあった。彼は悪戦苦闘の末に境界にたどり着き、その外縁に群がっていたどこにでもいるような救助隊に暖かく迎え入れられた。

そして、「彼女」がいる。彼女は自身の名前を使うべきだったが、そうしたくなかった。名前というものは人を一か所に固定するからだ。名前は人に定義を与え、変化を妨げる。名前という永続的な本質を与えるものは、彼女の流儀に合わなかった。

しかし、彼女の名前はまだ彼女の中に刻み込まれていた。何度復活しようとも、どれだけ年を重ねようとも、人は自身の過去を切り捨てることはできない。同様に彼女の名前もそこに居続けた。

「聞いて」アイリーンは彼女の思索を一睨みで遮った。「この物体からの放射線は死に至るものよ。おかしくなりたくないなら、私たちは2時間以内にここにおける作戦を完了する必要があるわ。こいつの腹の中では復活できるとは思わないことね」彼女は鼻をこすり、一瞬目を細めた。

「ここに着陸するわ」アイリーンは地図の端にある巨大な砂時計の形をした地点を指さした。砂時計以外の部分ではあちこちで矛盾が湧き出ては茂り、揺れ動いては消滅し、分解と再形成を何度も繰り返していた。


彼女は金属製のプラットフォームに慎重に足を置く。それは宇宙に浮かぶ破片であり、ハークレティアンの輝く光が瓦礫の現実性と浮遊を保っていた。

サイト‐01程の巨大なものを破壊することはできない。飲み込まれたり吸い込まれたりにはあまりにも大きすぎたのだ。どうやら空間分配器の1つの気まぐれに起こった不調から連鎖反応が引き起こされたらしいが、それは膨大な数の偶然の一致によるものだった。一万年周期の同期的なプログラムリセットによって五百のフェイルセーフが非アクティブになる一瞬を正確に突かれたのだった。

それがただの偶然の一致でないことは全員が知っていた。しかし、新しくできた復興部門が念を押し続けていたため、彼らは偶然の可能性を捨てきれないでいた。

サイト全体が崩壊した。ひとたび空間が崩れ始めたかと思うとあちこちに膨らみ、時間も崩壊を始めた。全ての施設が中央の電力ノードの周りで歪曲を始め、散開し、ニつの巨大な円錐、あるいは涙滴の形に巻き付いた。そうして、砂時計の形が出来上がった。

他の場所と同じように、そこにいたすべての住民は即死したと思われていた。しかし新しい管理者はそうとは確信しきっていなかった。シグナルを送れば砂時計から返送されていたからだ。外の人々は信号をランダムなデータ、そして古代の機械からの朽ち果てたパターンとして記録していた。しかしその後、オーチャード中にささやき声が聞こえ始めた。そしてそのささやきは止みそうになかった。

この音は、全く起きたこともないようなことを、ささやいていた。

彼女は注意深く前進していた。アイリーンは二番目のプラットフォームに降り立ち、他の隊員もすぐそれに続いた。サイモンはニヤニヤしながら、彼女の方を見上げて手を振る。「玉砕任務もいいとこですね」皮質コルテクスを通してアイリーンにも声が届いた。

「笑えない冗談ね、サイモン」アイリーンはぴしゃりと言い捨てた。「ここで皮質がどんなふうに作用するかは未知数なのよ。だからこれは本当に玉砕任務になり"うる"わ。なんにせよ、みんな警戒は怠らないで」

サイモンは首を横に振り、彼らの前にある巨大な壁へと向き直った。いくつかのプラットフォームや残骸はその中央の大きな裂け目を作った。機械自動修復システムが稼働していて、必死に壁を直そうとしているように見えるが、つなぎ合わせられそうにない。彼らが理解できたのは、これだけだった。

彼女はため息をつき、跳び下りた。


砂時計の内部にはむき出しの傷口があった。火花が左右の壁から飛び出し、残された大理石の化粧板の残骸を跳ねていった。ファティマは彼女の側について他のメンバーとの合流地点であるニマイル先のアトリウムへと歩いている途中だった。

「アストゥリアス人なの?」

彼女は質問から始めることにした。ファティマは旅路の間、つまり彼女と知り合ってからずっと黙っていた。そこで、彼女はその質問を足掛かりにして、少し雑談をしたかったのだ。

しかしファティマは答えなかった。答えたくなかった。彼女が「はい」と答えた途端に、コルドバとアストゥリアスの歴史のすべて、終わらない戦争、「鉄の壁」、和睦に向けた長い外交努力、ファティマの脳内にあるもろもろ全てが現れるのだ。どんな方法であっても、それは彼女が折り合いをつけなければならないことであると思い起こさせるからだ。

ファティマは黙って肩をすくめた。「ねえ、別に嫌味を言おうってわけじゃないよ」

私はアストゥリアスのことをよく覚えていない。彼女が最後に行ってからは五、六年しか経っていないが、アストゥリアスはたゆまず変化の波にさらされていた。オビエドはキラキラした巨大な都市になっていた。彼女が若かりし頃の大聖堂は林立した鋼鉄とガラスの建造物の影に隠れ、モノレールは低空を飛び交い、多くのコネクションを作って、灰色のコンクリートの集合体で場所全体を覆っていた。

「ちょうど次の角にいるはず」

ニ人は曲がり角を曲がり、足を止めた。アイリーンとアルベルトはそこにいなかった。代わりに、白衣を着た男が代わりにいる。男は懐中時計を見ている。

彼女は男にゆっくりと近づく。「こんにちは、私の声が聞こえますか?」

男は懐中時計を見つめて悪態をつき、そして歩き出す。彼には彼女の声が聞こえていなかったし、彼女の姿を見えてもいなかった。反対側の壁にたどり着いた彼は上を見た。彼の顔が戦慄に染まっていく。彼は振り返り、喚き散らしながら、走りだした。

  そしてパッと元の場所に戻り、懐中時計を見る。彼は悪態をつき、そして前に歩き出す。相変わらず彼には彼女の声が聞こえていなかったし、彼女の姿を見えてもいなかった。

「ループ……」ファティマはため息をついた。「それじゃ、生存者はいないってわけ。誰がこの事件を計画したかは知らないけど、完璧にいったようね」

「わからないけど……」彼女は男の近くに近寄る。男は再び走り出し、同じように恐怖に表情を歪めた。「何かが生き残っているわよ。人じゃないかもしれないけど」


彼らは数マイル先で合流した。予定通りの場所に時間ぴったり到着したがそこには他に誰も見つからなかった、そう全員が口をそろえて言った。

「時間異常が起きている」アイリーンは言った。「なるほど。そんなことだろうと私たちも考えていたわ。二人がそれを見たってことは、私たちは同様な異常にさらに遭遇するでしょうね。私たちは共に行動した方がよさそうね、さもなければ私たちの命がいくつあっても足りないわ」

五人は前進を始めた。その場所は迷宮だった。明るく陽気な会話をするためにではなく、精神を抑圧し、畏怖の感情を生み出すために設計されていた。巨大な鋼鉄の柱、終わりのないような階段、風力システムを備えるに足る広さのある大通り。彼らは、ある機械を前にするアリほどの大きさだ。

「しかし、これじゃだめですね」ふとアルベルトは言った。「俺たちはずっと歩いてきて、まあどれくらいの長さかは分かりませんが、今までにいくつかの内部構造くらい調査できていてしかるべきじゃないでしょうか  そこまで多くの廊下はありませんし」

「ああ」アイリーンは返した。「異常が起きたシステムはひとつだけじゃないようだ」

それはエッシャーの版画のようだった。大理石は白、茶、灰と色を変える。へんてこな階段が彼らをどこかへ、また別のどこかへと連れて行く間にシャンデリアが次々と頭上をかすめる。彼女から見て、部屋の中には訳の分からないものしかなかった。

地図はだいぶ前から機能しなくなっていたが、スキャナーはまだ彼らの位置を示していた。彼らは砂時計のくびれの部分へどんどん進んでいたが、いまだに長い距離があった。気が詰まるほど窮屈であった。彼らは何度も同じ一帯を繰り返し歩いていたが、毎回違う場所を歩いている気がした。その施設が彼らをどうするか決めるまで、彼らはただ苦しみの中にいるかのようだった。


彼らは噴水のそばに腰を下ろした。その日出くわした十二番目の噴水である。はて、一日も経ったのか? そんなはずはない。もしそうなら彼らは放射能で死んでいるはずだ。アルベルトとアイリーンは食事を始めた。ファティマは隅の方で寝入ってしまい、サイモンは地図を丹念に調べ始めた。彼女は彼の方に向かった。

「最初はO5の策略か何かだと思ったんだけどな」彼はそう言って、下のバルブの中ほどにある一点を指差した。「何度も何度も部屋を変えて、無数の無意味な部屋を歩かせて、誰も入ってこれないようにしたんだってね。でも、今は……」

彼はため息をついた。「はち切れそうな縫い目がほどけていっているみたいなものだと思ってる。俺たちが初めて入ってきたときの修復システムを覚えてるだろ? 修理は続いていると思うよ。全くの無計画だけど。ただ自動的に部屋を“大外交通路”とかそういう特定の仕様に変えているだけさ。何度も、何度も、何度も」

「まるで癌みたい」彼女が言った。彼は彼女を不思議そうな目つきで見た。

「その通りだと思うわ」両者とも背後からそっと近づいてくるアイリーンに気づいていなかったので、驚いて飛び上がってしまった。「もしそうなら、私たちこのままどこにも行けないわね」

彼女は荷物を取り出し、細い金属の棒を引っ張り出した。アルベルトが口笛を吹く。「それ、携帯用アーク跳躍器じゃないですか?」

「そう、小型宇宙二つ分先まで行ける、信頼性の高い多元宇宙テレポーテーション装置。最新技術よ  あー、最新と言ってもあれが始まる前までのやつの中でだけど。」

彼女は棒を伸ばしてカチリと固定し、側面にあるいくつかの点をタップした。かすかな光が棒を包む。

「うまく行かないかもしれないけど、ここから出る方法は他に無いと思う。時間的・空間的なものは全く別の波長で作用するから、この跳躍を妨害することはできないはずよ。でも覚えておいて、決して  

跳躍器から火花が散った。閃光が走り、そして彼らは消え去った。


彼女は暗い部屋で目を覚ました。

ギョッとした。こんなはずじゃない。こんなはずじゃ。何度もやっていることなのに。この新人連中のせいで台無しになったの? アルベルトは確かに未熟だけど、ファティマはもう古株だし、もう一人の女はといえば  

彼女は首を横に振った。だめ。そんなことを考えるのは私らしくない。そういうのは誰か他の人に任せておけばいいこと。

彼女のナイトビジョンが作動した。小さな物置のような場所だ  しめた、扉がある。なぜだかわからないが一瞬ためらったのち、彼女はそれを押し開けた。

そこには、機動部隊エージェントの銃弾に倒れ、恐怖に慄いた顔で天井を見上げる彼女の姿があった。彼女は自分の顔が大きく引き伸ばされるのを見た。銃弾が自分を切り裂くのを見た。エージェントが恐怖のあまりヘルメットを上げて喚くのを見た。「ああクソ、違う、違うんだ。俺は、俺はそんなつもりじゃ  

視界が消える。彼女は金属でできた暗い廊下にいた。ここは大理石じゃない。床に柱が打ち付けられていて、至る所で火花が散っている。遠くに見えるのは  あれは、人影だろうか?

彼女はそこへ向かって走った。考え込んでいる時間などない。ただ次へ次へと動くのみだ。そうよ、人だわ。しかも息がある。太さ一メートル半ほどもある柱に圧し潰されている。遠くから煙の匂いがした。

白衣を着た背の高い男だった。彼女は柱を持ち上げようとして、悪態を吐いた。無理だ。たとえスーツを着ていても、彼女のできることには限りがある。「目が覚めた?」彼女は呻き声を上げながら、必死に柱を持ち上げようとした。「助けが来る。いや、すぐには来ないかもしれないけど  

男が喚く。「"母"は、"母"はどこだ?」

彼女は目をしばたかせた。「何?」

「どこだ……彼女の眼は……」

彼の皮膚には皺が生じ始めた。髪は白髪になり、薄くなり、抜け落ちた。皮膚は固くなり、青白くなり、シミだらけになり、徐々に身体から剥がれ、埋葬を待つ死んだ骸骨だけが残された。

彼女は震え上がって柱を取り落とした。死体に触れないように気を付けながら前に進む。暫くして振り返ると、死体のあった場所で子供が彼女に向かって静かに泣き叫んでいる。その目は見開かれて血走り、手には懐中時計を持っていた。

彼女は走った。廊下はどこも同じようなものだ。前後の壁にある赤い警報器が鳴り響くやいないや、彼女は閉じ込められてしまった。どのくらい時間が経ったのだろう? 放射線はいつごろやってくるのだろう? 彼女には、今となってはそんなことはどうでもいいのではないかと思われた。

扉だ、やった、扉がある! 木製の、装飾の付いた扉が、廊下の突き当たりに。駆け寄ってそれを開くと  


そこは中庭だった。カモメがアーケードにとまっている。周囲には柱、円天井、彫刻の施された壁がある。それは見慣れた壁だった。

マディナート・アル・ザハラ。コルドバだ。

彼女は前に歩を進める。最後にここに来たのはいつだったか。アストゥリアス人は壁の外には出られない。子供のころに一番近くまで行ったのは、最南端にある国境の町ブルゴスに来たときだ。でも財団のエージェントとして、異なる時代と場所でなら、そう……

ソルにはコルドバが無い。ああ、都市はあったのだが、それはアストゥリアス人の国だった。彼らの言い方でいえば、スペイン人の国。ヒスパニアが統一された(そうでなくとも、それに近い状態になった)のだ。オーチャードにおいては遠い昔のおとぎ話のような話だった。ソルのマディナートは小さな観光地で、コルドバがそれを取り巻く田舎の半分と融合したものだった。彼女の夢見た広大な宮殿都市はそこにはなかった。

けれども、これは本物だ。代用の模造品じゃない。西側の植民地から運ばれてきたコンドルが、空中果樹園の下を旋回している。何年も前に作られたアート・インスタレーションだと本で読んだことがあった。共和国が首都ビルのために新しい芸術家を後援しようという試みの一環だ。そう、彼女はそれを知っている。しかし、見たことはなかった。

中庭は明るく、太陽は高く輝いている。自分はどうやってここに来たのだろう? しかしその疑問が湧いたときにさえ、彼女はその答えを知っていた。この場所は私を分解し、そしてまた元に戻そうとしたのだ。

彼女は、ファティマの死体が大の字になって高い欄干の上に広がっているのを発見した。それの脳、いやその残骸といえるものは、銅線とプラグで石に接続されている。もう少しで悲鳴を上げるところだったが、彼女の中の鉄のように熱い部分がそれを強く押しとどめていた。それは言った。やめてくれ悪化するだけだ

彼女は大きく息を吸って銅線に手を伸ばし、それを引き抜いた。


彼女は落下していた。灰色の物質の中を落ちていく。彼女はアルベルトの死体を見たが、驚くことはなかった。既にプラグは抜けていたからだ。ここはサンフランシスコなのか? 穴は確かに永遠に続くものだが、今落ちているこれに関しては彼女が聞いていたような永続性はない。

アルベルトはあなたが酒を呷ったときもそれについては話さなかった。彼がそれについて話すのは、不確実で絶望的な状況においてだった。なぜなら、彼はあなたにもう後がないというときにだけ、それについて話していたから。彼はその壁に跨って、小屋のことを説明した。穴には橋が架かっていた。それは大昔のウル・ブリッジを模して造られた脆い橋で、金で紡がれた門を備えていた。

そして今、彼は死に、その脳は空中に散らばって、引きちぎられた銅線にぶら下がっている。

アルベルトのプラグも抜かれているということは、アイリーンかサイモンのどちらかはまだ生きているに違いない。彼女はそうであってくれと願った。彼女は移動しようとしたが、どうしても動くことができなかった。だから彼女は何もせず、傍を通り落ちてゆくものを眺めていた。

機動部隊のエージェントがいる。さっきのとは別の者だ。彼はより年をとった彼女の頭を撃ち抜いている。彼は悪態を吐き、膝をついて訳の分からないことを捲し立てている。さらにもう一人のエージェントが、老婆となった彼女を撃つ。杖は地面に倒れ、彼は悲鳴を上げる。

自身の死が百回、彼女の前を通り過ぎていった。どれもが無意味で、同じだった。あの死は避けられないものなのか? 私はどんなときも味方から撃たれる運命にあるのか? それとも……いや、違う、これはすでに封印されたものだ。これは未来ではなく、過去、結末だ。疑う余地もないような、そういう何か。

財団は、一度も起こらなかった過去にあらゆる矛盾を封じ込めた機械を引き摺っている。多元宇宙から遥々引き寄せてきたのだ。彼らはそれら全てをここに配列したが、どれもうまくいかなかった。新しい過去がつくられ、あるいは以前起こった事象の亡霊に何度も何度も侵された。

そして修復装置が動き出した。正しいタイムラインと思われるものを何度も何度も複製していく。恣意的に、目的もなく、出されたものから選び取っていく。ファティマの頭の中のイメージを作り直すことで彼女の修復を試みる。

穴の縁に亀裂が入っていった。穴はすぐに溶けてしまうだろう。彼女を巻き込んで。彼女はため息をついて両手を広げ、そして思い出した……


彼女はあの列車を思い出していた。目を覚ますと財団がなくなっていて、全体と無が一度に感じられる。解放感と自由な浮遊感が思い出される。

彼女は子供時代を思い出し、それを手放した。両親の農場のオレンジ園を思い出し、それを手放した。彼女は過去に縛られることなく、その痛みに苛まれることなく存在することができた。もう文脈は必要ない。世界中のあらゆるタイムラインが踊るように通り過ぎていったのだから。

彼女はコルドバとアストゥリアスの歴史を思い出し、それを手放した。エーテルに、壁から差し込まれて辺り一面に亀裂を入れる白い光に、それを溶け込ませてゆく。消せ。払いのけるのだ。いったい彼女には何か実体があるだろうか? どうだっていいことじゃないか? それは自由を意味す  

「ニーブス!」

自分の名前の響きが、彼女を貫いた。彼女は驚いて硬直し、辺りを見回した。アイリーンがそこにいた。ハークレティアンの光で動くプラットフォームにしがみついていた。アイリーンの目は鋭く、腕はいっぱいに伸ばされていた。

「ニーブス、つかまって!」

その名前が、再び彼女を貫く。ニーブス。ニーブス。私はニーブスだ。

彼女は十二歳の時、兄に揶揄われたことを思い出した。「なあ、お前の名前は雪だろ! 見ろよ、雪だ!」そう言って兄は雪景色を駆け抜けていった。兄は木々を指差して言った。「そのまま押さえつけとけ!凍ったままで!」彼女はそれが嫌いだった。彼女は誰のことも押さえつけてなんかいなかった。

手を伸ばしてアイリーンから伸ばされた腕をつかむと、彼女はそのままプラットフォームへと引きずり出された。アイリーンは彼女を押さえつけると、ニヤリと笑った。

「気を付けなきゃだめよ。あなたはすぐ自分を見失うんだから」


中心地から百マイル離れた乾燥地に、彼らは帰ってきた。サイモンはそこにいて、小さな光るタブレットを手に持っていた。

「これでいけると思う。もう十分に近くまで来ている。あとは中心部に直接信号を送れば……」

そうすれば、修理が完了する。修復システムはシャットダウンし、時間機械は不活性化するだろう。そのサイトは、死んだ、からっぽの球体に戻る。硬く静かで、誰も傷つけず、何も消費しないような場所に。

アイリーンが頷いた。「うん。それなら、行った方がいいわね。」

サイモンは顔をしかめた。「でも、あれはどうしよう  

しかし彼はニーブスの表情を見て考えを改めた。唇をなめて、素早くタイピングを始める。

ニーブスは少し離れたところへ歩いていった。そこはかつて格納庫だった場所だった。死んだ船が燃えていた。何か月も前から燃え続けているのだろう。炎は一斉に強くなったり弱くなったりを繰り返している。

外の世界ではどのくらいの時間が過ぎたのだろう? そんなことを知って何になる? 彼女の身体は年をとっていないし、時間は  ああ、時間がどんなものだったか、彼女は思い出すことができない。それは、ある諺だ。祖母が彼女に教えてくれた言葉。

時間が時計を回すんだ。仕掛けが動かしているように見えるのは、時間が私たちにそう思い込ませているからさ。

ニーブスはしばらく考えて、ナンセンスな言葉だなと思った。格納庫の端まで歩いて、星空を見上げる。

一体いくつの世界があるのだろう? いくつの世界が探検され、いくつの世界が地図に描かれたのだろう? 地図を描くとはどういうことを意味するのだろう? 簡略化する必要などあったのだろうか?

それらは彼女に語りかけ、彼女に、ニーブス・デル・リオに手を伸ばした。全ての列車、全ての惑星、全ての塵の欠片が、ニーブス、オビエド聖堂、彼女の兄、青白く細い彼女の手、そして彼女の黒みがかった赤色の髪、そうしたものの欠片を内包していると知った。

「やあ」アイリーンがまたそっと近づいてきていた。ニーブスは飛び上がって驚き、そして微笑んだ。

「もうそれ勘弁してよ」

アイリーンはニヤリと笑ったが、それはほんの一瞬だけだった。ファティマとアルベルトのことは見ることも話すこともないまま宙に浮いている。「時間だ」

二人はサイモンのところへと引き返してきた。彼はちょうど信号を切り終えたところだった。「オーケー」彼が言う。「これでよし」

アイリーンがアーク跳躍器をセットアップする。今度こそ、全部がうまくいくはずだ。端に寄せすぎた。今度こそ、今度こそ、これできっと大丈夫。

ニーブスはただ微笑んで、その細い金属の棒を掴み、風が通り過ぎてゆくのを感じていた。

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