"それ"は遠距離からでもはっきりと目に入ってきた。その眼は黒い宝石のように輝き、その体躯は真下に迫る村を消し飛ばそうとしている。ヴァナーとアイは駆け出した。
◇◇◇
「18集村?あそこは少し前に調査を終わらせました。なんでまたそこに行けって言うんです?」
「17集村から手紙だ。異類が18集村に出たらしい。規模はまあ中から大ってとこか。もう1度お前に調査してもらい、後程対応が必要そうなら再度数名を派遣する。元々君が調査を終えた場所でもあるんだ。行ってくれるね?ヴァナー。そう露骨に嫌そうな顔をしないでくれ。わかった。報酬も少し増やしてやるから」
「それならまあ行きますよ」
◇◇◇
どれくらい歩いただろうか。1時間?2時間?既に吐きそう。
『まだ30分も歩いてねえぞ』
目的地はそう遠くないけどさ。同期の機械技師、エニシとか言ったっけ。タニシだったっけ?思い出せない。まあ今はいいや。
『自己紹介の時お前爆睡してたもんな』
彼女が「歩いて行ってきたら!」なんて言うから転移装置を使わせて貰えなかった。急ぎの用だって説明したのに。ここ最近転移装置を使いすぎた──
『運動不足ってやつだ。つーかさっきからブツブツ何言ってんだよ。正気か?とうとう暑さで頭がやられたか?』
「あー何度も説明させないでくれ。口に出した事は私は絶対に忘れない。道中の記録や日常の記録だって今後何かの役に立つかもしれない。これに記録用紙は使えないから頭に刻み込んでいるんだ」
『毎回それを聞かされるこっちの身にもなってくれよ』
「いい加減慣れてくれないかな。何か月の付き合いだと思ってるんだ」
はたから見ればたいていの人がこう思うだろう、正気を失ったのか、と。所属している組織から支給された腕時計、中に前時代の人工知能とやらが入ってるらしい。今は「アイ」と呼んでいる。ある程度文字は教えてもらったから、これの読み方がアイってのは覚えている。アイは自分に無い知識を沢山持っている。例えば言語。集村は言葉が通じないことが多い。その時はアイが自分がわかる言語に直してくれる。頭にくる言動も多いが、調査には必要不可欠な存在だ。
「というか、便利な機械があるんだ。使わない方がおかしくないか?」
『ほーう、なぜそう考えた?』
「そこに存在している意味が無くなってしまうだろ。なんだっけ……えーっと、そう、価値がなくなる」
『人それぞれに"価値"ってのは違うもんだろ、エニシからしてみれば体を動かすことに"価値"があると思ってる。他人と考えが違うのなんて当たり前だ。受け入れることも必要だ。なんだ?お前の信仰する"神"はそんな簡単なことも教えてくれなかったか?』
「少し黙っててくれ」
◇◇◇
"ヴァナー"と呼ばれたその青年は、同盟から第6集村と指定された小さな村から来た。第6集村には神として祀られていた異類が存在する。その神は、滅びかけていた村を復興に導いた。
夢を見せ、眠りの中でアドバイスを行う。時には説教も。神には全てが見えている、この方なら他の村をも幸福に導いてくれるであろう。ヴァナーはそう確信していた。
彼が同盟のスカウトに乗ったのも神が居たから。他の村を見て回れるのなら、きっと神を広めることも出来るだろう。旅の前日、ヴァナーは神と話した。自分の選択は間違っていないか、自分にその仕事が務まるのか。
神の返答は簡素だった。
「自分の信じる事を、正しいと思う事を行いなさい。例え周りがそれを違うと答えても、貴方1人がそれを"正"だと思っていれば十分だよ。"正"を貫き通せばいつかは"真"になる。今の私のように──行ってらっしゃい。ヴァナー。その道に幸あれ。」
ヴァナーは神の言葉を常に毎朝唱えるようにしている。忘れないように、心の支えになるように。昔話みたいに、皆が笑顔でいられるように。
◇◇◇
今回再調査を依頼された18集村、少し前に調査した時は何の異類も存在しなかった。沿岸部に位置し、魚を獲ってそれを主食としていたのが印象的だ。「あまり集村とは深く関わるな」と上からは言われているが、以前この集村で食べた魚は確かに絶品だった。
『……ヴァナー、見えるか、アレ』
アイは周囲の状況もカメラで確認することができる。長いこと歩いて少しうつむいていた僕は、それを目にした。18集村を襲う、巨大な何か。だが、よく観察するとそれは動いていない。村の手前で、かすかに腐敗臭がした。村を襲ったそれは生物で、既に息絶えたのであろう。ひとまず事情を聴くため、以前親しくなった村の長を訪ねる。
「お久しぶりです。シマキリさん」
「あれ、ヴァナーさん。ずいぶんとまあお久しぶりです」
「もしかして、コレのことについて?」
シマキリは頭上の生物を指さした。
「ええ、そうです。これはいったい何ですか?以前来た時はこんなもの存在しませんでしたが」
「いやぁ……その、つい先日、その、突然出てきたのです。実はここ数日間、酷い雨風でした。他の者には家から出ないよう伝え、私たちは必死に祈り続けたのです。食料の備蓄も少なく、死は覚悟していました」
「そうだったのですか……」
確かに、村のあちこちに水たまりができていた。
「ええ……ですが、2日ぐらいたったころ、雨音が急に止みました。恐る恐る外に出ると、これがいたのです」
「なるほど」
「ええ……そのうち雨風もしっかり止んだのですが、これは動こうとしませんでした。話しかけても何をしても、反応は一切ありませんでした。……ヴァナーさん、あなたは先日神の話をしてくださいましたね?」
「ええ」
「恐らく、我々の祈りが通じたのでしょう、神が救いをしてくださったに違いない。あなたと神が居なければ、この村は滅びていました。ありがとうございます」
「いや……そんな礼なんて……ひ、ひとまずわかりました。少々これについて、調べても良いでしょうか?」
「ええ、ええ、構いませんよ。どうぞどうぞ。またご飯も食べていってください」
「ありがとうございます」
『……』
◇◇◇
『なあ、ヴァナー』
「どうしたんだ?アイ」
『お前の"神様"ってのはよ、こんなのを出せるほどなのか?』
「……まさか」
『だよな、そりゃそうだ』
「もしかして……これについて知ってる?」
『まあ……こんな事でくたばるようなやつじゃないと思ってたんだが』
アイはそう呟くと、黙りこくってしまった。また話し出すのを待つのもあれなので、1人で調査を行う。まずは周りをぐるりと一周、スケッチを取りながら観察する。
人の背丈いくら分あるだろうか、それは話に聞くカニと呼ばれる生物に似ていた。その体はあちこちに傷があり、そこから反対側が見えるほど中身は無くなってしまっている。どれくらい生きてきたのだろうか?少なくともアイが知っている、というのだから相当なんだろう。アイが本当のことを言ってるかはわからないけど。
『おおかたそのあたりの傷は治せなかったんだろうな。聞いたことあるだろ?ずっと昔、戦争があった。めんどくせえ異常からどんどんぶっ壊されていった』
『こいつも例外じゃなかったよ。暴れたら手が付けられない。体中の傷はその時のだろう。あの時から海の中で眠ってたんだろうな』
あらかた見終わった頃に、アイが喋りだした。アイもかつて"異常"と呼ばれていたらしい。探索に出て異類を見つけるたびに、それが何だったのか、ほんの少しだけ解説してくれる。懐かしそうに。
「取りあえず……ここの異類は死んでいた。もう特に害はないってことでいいのかな」
『俺が覚えてる限りではそうだ。特にやることもない。まあ死体で村がぶっつぶれねえようにバラすぐらいはしておいたほういいかもな』
「了解。そう書いておくよ」
アイは音声にせず、息絶えたそれに語りかける。微かに、アイにだけ、声が聞こえる気がした。
『価値を見出してもらえなければ出てくるんだったな。お前は』
──ああ
『俺が見た限りではもう価値を見出せる人はこの世界にいないだろう』
──まあな
『久々に目覚めて、この世界を見たとき、お前はどう思った?』
──それは……まあ、悲しいさ
『あの頃のお前のまま、あの世に行ったほうがよかったんじゃないのか?』
──
『なあ』
返答はない。黒い宝石のような眼は、どこか遠くを見つめていた。
◇◇◇
それは目を覚ました。もうどれぐらい時が過ぎたのかも分からなくて、誰の記憶にも残ってないんだろうな、という直感だけがあった。
彼女達の眠る地に、彼女の子孫がいるサイトに、戦火が来たと知った時、それは一目散に突っ込んで行った。魔術も、弾丸も、それを止めることは出来なかった。
頭から血を流し、動かない子孫と、彼女達の眠る地を剥ぎ取って、それは手の届かない深い海の底へ逃げた。逃げることが、この状況の最善手だったから。それは抱えてきた2つを、丁寧に、丁寧に、埋葬した。静かに眠れるように祈って。
数百年たった今、本当の価値を手にしたあの頃すら、曖昧になってしまっていた。あれだけ望んでいたのに、あれだけ幸せであったのに、あの子の笑顔も思い出せないことに、それは涙を流す。
──誰か……誰か、覚えていないのか。この世界に……私の価値を……私は……
目覚めてから少し経った頃、祈る声が聞こえた。救いを求める声が聞こえた。まだ、人が生きている。自分に救えるなら、自分に出来ることがあるなら、それは、存在する価値になるだろう。今は世界で1番じゃなくてもいいから。
──すぐに戻るから
そう呟くと、それはボロボロの足を動かしながら、陸へと向かった。
◇◇◇
調査を終えたヴァナーが帰ろうとしたところ、泊っていくよう呼び止められた。確かにあまりこの暗さの中帰るのも嫌なので言葉に甘えよう。
食卓に並んだのは見たことのない白い肉だった。
「美味しいですね。これはなんて魚ですか?」
「あーそれね……魚じゃないんですよ。あの神様。シマキリさんが食べれるのでは、と言ったので。試しに食べたら美味しかったんですよね。村を守ってくれた上に食材もくださるなんて、神様には感謝です。」
「えっ、あ……え……アイ……これ……食べて大丈夫だった……?」
『……いや……まあ身に問題があったって話は聞いたことないけども……あの世からあいつが見たらどう思うか……』
「……じゃあ、ありがたく食べることにするよ」
その肉を頬張るヴァナーを見ながら、アイは呟いた。
『最後に食料として価値があった、それが幸か不幸かはもう分からない。もしかして、こうなることを知ってて、お前はこの行動を取ったのか?お前は……それで良かったのか?』
──私はこれが、今取るべき1番の行動だと思ったから
その声で、アイはふと、ヴァナーが毎日唱えてる言葉を思い出す。
『自分の信じる事を、正しいと思う事を行いなさい──か。なら……それでいい』
──ああ、それと最後に
──覚えていてくれて、ありがとう
小さな、小さな、最後の力を振り絞ったような、そんな声が聞こえた。アイは名を知るそれに、別れを告げる。
『おやすみ。あの世で彼女達と再会できていることを祈るよ、偉大なる王……いや、世界一の宝物』
夕食、そこからの宴会は遅くまで続いた。月明かりの照らす砂浜に、貝殻を持った少女が居たような。瞬きをするとその子は消えてしまった。また異類だろうか?今日はもう疲れたし、明日調べよう。ヴァナーはそっと目を閉じて、眠りにつく。
月が煌々と、偉大なる王の最後を照らしていた。
集村 - 18
友好度 - 高
異類概要 - 無し 村半分ほどの大きさであるカニ。数百年前にも異類として指定されていた、海と山を統べる王。しかし発見時点で既に死亡しており、脅威は一切ない。この他にも貝殻がこの異類には含まれているらしいが、それらしいものは確認できなかった。
コメント - 今後死体が崩れた際、村に被害が出てしまう。エニシとかチェソとか、そこらへんがうまいこと解体してくれないだろうか。今回の調査ではじめてカニというものを食べたが、なかなか美味しかった。かなりの量が余ってるらしいから何かと交換しに行ってもよさそうだ。
追記 - "カニ"じゃなくて"ヤドカリ"だそうだ。アイがうるさい。
探索担当 - ヴァナー