日の落ち始めた夕暮れ時に、青年は足取り軽く竹林を歩いていた。その足取りの理由は、彼の右手に握られている白米にある。
『機嫌、いいね』
「んー?まあな。白米なんか久々だし、好きだし」
そんな彼に声をかけたのは、彼の首元につけられた機械に搭載された人工知能AIC、クレイ。"同盟"の探訪者である青年……イストは上機嫌なまま白米を食べ、相棒に言葉を返した。
食べているのは塩にぎり。先日泊めてもらった村で稲刈りの手伝いをして、その報酬として頂いたものだ。3つもらって、そのうち2つは既に美味しくいただいている。食べながら歩くのは行儀が悪いなんてエスィ辺りは言いそうだが、動きながら食べられるものを動かないで食べる方が非効率だとイストはずっと言い続けている。
それはさておき。
「……結構歩くな。そろそろだとは思うんだけど」
もちろん、イストはただ飯を食べにきたわけではない。"探訪者"として、異類が存在するという集村の調査に来ているのだ。
今回の大本命、集村19に指定された村は、今まで凶暴な異類が近くにいることが原因で調査されてこなかった場所だ。最近その異類が消えたらしいので、調査可能として向かっているのだが……距離を聞き忘れた。かれこれ30分は同じ景色の竹林を歩いている。
『そろそろ……って、根拠は?』
「道が整備されてきてる。人の住んでる証拠だろ」
ただ、整備されたのは最近みたいだな。道のあちこちに散らばる腐敗した竹を見て、イストは付け足した。
『イスト』
控えめな合成音声が、辺りを見回しながら歩くイストの名前を呼んだ。
「ん?」
『後どのくらいか、見ようか?』
「あー、そうだな。頼むわ」
短いやりとりの後、彼は首元の端末につけられた複数のスイッチ、その一つをONにした。小さな駆動音がして、その後、クレイが機械的な声で呟く。
『見えたよ。このまま真っ直ぐ行けば竹林を抜ける。その先は見えないけど、多分集村があるんじゃないかな』
「了解、なら後ちょっとの辛抱だな」
相棒へ感謝を告げてから、クレイは端末のスイッチを切る。この一瞬で双眼鏡を覗いたわけでは、もちろんない。クレイの機能、感覚共有の一端だ。
イストの首元から脳まで繋がる神経をクレイと繋げる回路として使い、五感を共有。これによりイストが感じたものを、クレイがズームや解析出来る。便利な機能だが、ひとつ間違えれば脳にダメージが行く危ない技術だから気をつけるようにと、"同盟"に加入した時に、技術者であるエニシに耳にタコができるほど言われているものでもある。
その危険と難易度を容易く乗り越えているのは、クレイのスペックの高さの証明に他ならない。ならないのだが、そこで生じた疑問。「自分の相棒は何者なのか」、彼は改めて少し考える。
この端末とクレイ……正式名称「クレイドル=ノヴォス」は"同盟"由来ではなく、イストの父が元々持っていたものだ。この端末を幼少期に父から渡されたことは、ぼんやりと覚えている。自分を"同盟"に預けてどこかに消えた父。彼を探すのが、イストが"同盟"に協力する目的
「ま、いいか。クレイはすごいってだけで」
というわけではまったくない。もちろん見つかれば良いとは思っているが、快楽主義者で楽観主義者の彼の心は、そういった義務感から程遠い。"同盟"の調査も毎回、「手早く終わらせて、あとはその集村の娯楽や食事を堪能する」ことだけを考えて全力を尽くしている。
そんな脳内を知るわけもなく、突然褒められたことだけわかるクレイは声にならない機械音を出している。欠伸一つ、村でゆっくり休めるといいなと呟いて、イストは少しだけ歩くペースを上げる。
そのまま、歩くこと5分。
「竹林の終わりが見えてきた、けど」
『うん』
「『なんもなくない?』」
目の前には虚無があった。いや、正確には何もないわけではない。竹林を抜けた先にはまばらな雑草が生えた荒野が広がっている。集村の気配がない、だけだ。
「この先ってことかもしれないけど、最悪の場合異類に消しとばされたとかもありえるな」
『その場合は、どうするの?」
「……帰るしかないだろ」
手ぶらで帰るとあんまいい顔されないんだよなー、本当にちゃんと調査した?って顔で見られるんだよなー、とぐちぐち言いながら、とりあえずは竹林を抜けるため足を進める。それは普段の行いのせいじゃ、とクレイは思ったが音声にはしない。しても無駄だから。
さて、竹林を抜ける一歩。イストは特に意識もせずに踏み出して。
その瞬間、村が現れた。
「……はぁ!?」
『どうしたの?』
「おにぎりがない!」
感覚共有のスイッチを入れながら、イストは叫んだ。落とした訳ではもちろんない、大気に溶けるように消えたおにぎりの最後の一口。最悪だ……と地面に崩れ落ちるイストに、クレイが冷水のような声を浴びせる。
『……今、それより目の前』
「そう、だな……はぁ………おにぎり………調査始めますか」
明らかに落ち込んだ様子で、ため息。伸びをして、落ち着いて、すこし考えてから二歩下がる。
村が消えた。また前に出る。村が現れる。
「やっぱり範囲に作用してる異類、って感じだな。幻覚か、転移かは五分五分って感じか」
『範囲内に竹が生えてなかった。なら、転移なんじゃない?』
「いや、中に入った後も出た風景も竹がないのは同じだから、それはまた別の原因で……うん、村の人に聞けば早いな」
丁度いいところで、近くに人が見えたのを確認。感覚共有を切ってから、白いマスクを取り出し付ける。マスクに内蔵されたスピーカーを通してクレイが通訳することで、言語が違っても違和感なく会話できる便利グッズ。"同盟"の技術者であるエニシに貰ったものだ。
とはいえ、クレイにも相手の言語がわからなければ通訳のしようがない。単語を引き出すため、とりあえず近くに来ていた暫定村人に手を振る。
村人らしき長身の男は、青い瞳で彼の"端末"を見てから、明るい声でこちらに話しかけてきた。
「"探訪者"の方ですか。異類なら、確かにここにありますよ。とりあえず、私の仮住まいにでも来るといい」
虚をつかれた一言。クレイの高性能翻訳に、長めのタイムラグが発生した。
◇◇◇
彼に招待された仮住まいは、木の柱に雑に灰色や茶色、複数の毛皮をつなげて被せただけの、本当に「仮」の家に見えた。イストには、住宅と言うよりはテントに近いように思える。
「座ってください」
そう言われるがまま、イストは青眼の男の対面の椅子に座る。伸びた前髪が男の目を半分ほど覆っていて、その視線は読みにくい。
「まず初めに、申し訳ないのですが私はこの村の住人ではありません。放浪の身で、たまたまここに滞在しているものです」
ああ、なるほどだから仮住まい。イストはこの家の姿に納得し、それから正直な感想を翻訳を通し伝える。
「俺としては、なるべくこの村の人に話を聞きたいんですが……」
男は、両手につけた皮の手袋 農作業用や防寒にしては薄い を深く付け直してから、頷いて言葉を続ける。
「もちろん、"探訪者"の皆さんとしては集村と異類の在り方を調査する以上そうしたいでしょう。ですがこの村は少々余所者への警戒心が高い。なので、私の方からこの村の長に話を通しておこうかと思いまして」
……なるほど、確かにこれまでも話を聞けない集村はあった。面倒な交渉が短縮されるのなら、それに越したことはない。だが……その前に、イストには一つ聞いておかなければならないことがある。
「ありがたい話だが……お前は、何者だ?名前も素性もわからない、こちらの事情を知りすぎてる。ちょっとくらい明かしてくれでもいいんじゃないか」
「ああ、確かにそうですね。とはいえ複雑な事情は何もありません。長く放浪の旅をしているうち、あなた方"同盟"と何度か会っているだけの旅人です。まあ、そうですね。旅の先輩とでも思っていただければ」
長身の男は、躊躇いのない様子で微笑みながらそう言った。
("同盟"は世界の裏で暗躍する秘密結社じゃあない。そこまで存在をひた隠しにはしてないけど……なあ、こういうことってあり得るのか?)
小声で、イストはクレイに聞く。
(うーん、あり得ると思う。エニシちゃんとか、仲良くなったら答えちゃいそうじゃない?)
あり得る、かもしれない。そして、イストは気付く。「そもそもこれが嘘でも別にデメリットなくないか」と。案内してもらえるならそれで良くないか、と。そもそも、考えるのがめんどくさくなり始めた頃だ。時短できるなら乗ってしまおう。そう、結論づけた。
「あー、うん。とりあえず信じることにするわ。俺はイスト。ご存知の通り"探訪者"だ。ここの案内、よろしく」
「ありがとう。私はライ。短い間ですが、よろしく」
腹が立つほど整った顔で笑みを浮かべて、ライと名乗った男は立ち上がる。案内しますと振り返り言ってから、仮住まいの入り口を出ていく。イストもそれに続いた。
「なあ、この家ちょっと獣臭くないか」
「仮の家なんてこんなものでしょう、私は気になりませんね」
◇◇◇
そこから話が進むのは早かった。ライを介して村の長に調査と滞在の許可をもらい、宿も一晩ならと貸して貰えた。村の長がライに対してやけに腰が低かったのが気になったが、眠かったので寝た。
そして、翌日。
「おはよ」
『おはようございます!』
まだ眠い頭で相棒に挨拶。続いて、借りた宿の主人にも挨拶。少しして主人が用意してくれた肉料理が殆どの朝食を食べながら、相棒に話しかける。
「で、一日経ってこの村の異類の概要は特定できた?」
『うん、そんなに難しくなかった。管理番号は2054-JP。そもそも この村全体が異類みたい』
クレイの持つログによると、この村はひたすらに稲を拒絶する空間。名前に稲とついているだけでもダメ、村の中に持ち込まれた時点で消えてなくなるらしい。
「なるほど、俺のおにぎりが消えたのもこの異類のせいか」
『うん、竹がこの村に一切生えないのも、竹が稲と同じ種類だからみたい。でも……一つおかしい』
「?」
『この異類、中心になる女の人がずっといるはずなの。でも、村の長は男の人だったし、昔の言葉や服だからもっと目立つはず』
「……異類が時間の中で変化する例はある。それじゃあねえの?人型の異類なら寿命があったのかもしれないし、殺されて村だけ残ったのかもしれない」
『……そうかもしれない』
歯切れの悪い肯定。イストはちょっとだけ黙って、それからスプーンを手早く動かす。掻き込んだ食事と家主に礼を言って、家を出る。
「そこまで言うなら、それっぽい人がいないか見てみよう。朝は外で畑仕事やってるって言ってた」
『うん、そうだね』
この集村の在り方を、イストは昨日村の長から聞いていた。稲が生えないという不利を抱えた土地にわざわざ住んでいるのは、この場所が他の集村や異類から隠れられるから。外は竹林で覆われている上近づかれても村が見えない、優秀な隠れ蓑として、この村の人々は異類を使っている。
イストの目に畑が見えてくる。大豆やイモなどイネと別の種類の作物が、そこには確かに育っていた。それを引っこ抜く村の人々の姿を見る。
「それっぽい服装や顔の人は、いないな」
『……わかった。じゃあ、調査完了』
「だな。ちゃっちゃと帰るとしよう」
そう言って畑に背を向けると、目の前に長身の男が立っていた。
「どうですか? この村は」
「……びっくりさせないでください」
ずっと背後に立っていたのだろうか。イストの視界に突然現れたライに驚きつつ、言葉を返す。落ち着いているように見えるが、イストの立っている場所は二歩ほど後ろに動いている。ちょっと逃げている。
「どうですか……って、まあいい村だと思いますけど、あなたはここの村の人ではないんでしょう?」
「そうですが、この村にはそれなりに長くいたので。ここが褒められるのは嬉しいですよ」
愛想のある笑いを浮かべてライはそんなことを言う。そうですか、と雑な返答を返して、イストはどことなく胡散臭いこの男の脇を通り過ぎて村の入り口へ向かう。
「おや、お昼は食べて行かないんですか?」
村の入り口の方まで歩き始めたイストに、引き止めるかのような言葉をかけるライ。立ち止まって、振り返って、イストは言った。
「調査は終わった、ここに長居する理由がねぇ。ここはいい村だとは思うけど、生憎俺は米派でね」
その言葉にライは一瞬目を丸くして、また笑顔になった。
「それなら仕方ないですね。村の長には彼は米が食べたかった、と伝えておきます」
「おいやめろよ、なんか俺が感じ悪い奴みたいじゃんか」
「無言で去っていく時点で感じは良くないと思いますよ」
「……否定はできねえ……」
目を伏せるイストを見て、ライは口元を隠して笑った。イストも笑って、それから少しだけ沈黙が訪れる。互いに互いの眼を真顔で見続ける。ふっ、と先に視線を逸らして、イストが口を開き、足を動かす。
「じゃあまたな、青眼の人。あんたも旅を続けるならまた会うかもな」
「そうですね、では、また」
振り返らず去っていくイストを、手を振って見送る。村の範囲を出て行くのを確認して、笑みを消して、ライと名乗った男は呟いた。
「青眼の人……ですか。やはり、ライlieなんて偽名は、少しわかりやすかったですかね」
頭を掻き、彼の仮住まいに向かう。そろそろ別の村へ向かう準備をしなくてはならない。
◇◇◇
『……ねぇ、一個忘れてない?』
「んー?何が?」
帰路、"同盟"の仲間がいる集村へ向かう道の途中、クレイはそんなことを言い出した。
『集村の近くに凶暴な怪物がいたから、今まで近づけなかったんだよ。その怪物がどこに行ったのか、調査してない』
集村にそれらしき異類はいなかった。集村の異類は外敵から隠れることはできても、外敵を排除することはできない。なら、その怪物はどこに行った?
「あー……そんなの決まってるじゃん。あの青眼の人が狩ったんだよ」
イストはその問いに、軽い調子で答える。
『……どうして、そう思うの?』
「あの仮住まいがやけに獣臭かったのが一つ。最近あの村に来た時に狩って、そのまま仮住まいにしたんじゃないかな。
二つ目は村の長があの人に対して腰が低かったこと。大方その怪物とやらがたまたま村に入っちまったのを助けたとかじゃないの」
『……全部、推測』
「間違ってても別に問題ないでしょ。俺はあの集村の異類を調査しに行っただけで、他の異類まではちょっとめんどくさくて調べてらんないなぁ」
めんどくさいと書いてあるような顔で、イストはそんなことを宣う。それに、と付け足すように言う。
「あの青眼、わざわざ自分の名前隠したってことは、たぶん異類でしょ?異類の言うこと聞かないなんてこと、俺は怖くてできないね。ま、ライlieなんで名乗って、隠す気あったのかは怪しいけど」
イストは歩きながら、メモを取り出す。今回の集村の報告書を書くために。
『相変わらず……雑だね』
「最低限はやってるからいいでしょ。あーでも、たしかにあの男とはまた会いたいな」
煙に撒かれたままは、なんとなく嫌だ。くるくると羽根ペンを回してから、イストは今回の集村の調査をそう締め括った。
集村 - 19
友好度 - 中
異類概要 - 外部から存在を確認できない異空間とその中にある村。空間内部では一切の稲に属する植物が生えず、持ち込んだ稲も消える。クレイドル=ノヴォスのデータとの差異として、中心とされる女性が存在しないことが挙げられる。
コメント - 住民は異類の影響で外部から村が見えないことと辺りが竹林に囲まれていることを利用し、他の集村や異類から身を隠している。
この集村とは関係ないが、調査時にはライと名乗る長身青眼の男性が滞在していた。言動に不審な点があったが、詳しくは不明。この男性についての詳細な調査を要請する。
探索担当 - イスト
「では、お世話になりました」
集村19。村長の家の、その地下で、青眼の男と村の長が話している。
「いえ、むしろお世話になったのはこちらの方です」
そう言って深々と頭を下げる村の長。彼の頭を見ることなく、青い目はその横の鉄の檻に向けられる。
「旅人にとっては宿はありがたいものなんですよ。彼女が見られたら、この村の人にとっては都合が悪かった。それなら、協力もします」
檻の中で両手を組んだまま眠る、日本人の女性。彼女がかつてSCP-2054-JP-1と呼ばれていたことを、かつて財団の記録をバックアップしていた男は知っている。
「異類との共存が彼らの目指す先。この光景は搾取だと思われかねないですからね」
彼女はずっと祈るように手を組んだまま眠っていると村の長は言うが、状況は彼女を檻に入れている、これだ。"探訪者"に何か言われるとこの村の在り方が崩れる可能性もある、隠したほうがいい。そう、男は判断した。
「是非、これを持っていってください」
村の総意です、そう言って渡された干し肉や手袋、服やそれの入れ物などを男は受け取り、肩に担ぐ。そして、そのまま地下から地上へ階段を上り、日差しを浴びる。
そこでようやく思い出したように、左手に握っていたミルキーブルーの球体をもらった入れ物に入れる。それは旧い時代のさらに旧世代の遺産。ここまで生きていたのか、その子孫や変種だったりするのかはわからないが。何かの役にたつかもしれないと取っておく。
村の外へと歩く前に、一度男は振り返った。そこにはただ畑が広がっている。自分もこれだけ逞しく農業ができたら、なんて。少しだけ思って。また、彼は放浪を再開した。
竹が腐り落ち、道が出来ていく。