金色の髪が風を切る。道なき道を進んでいくのは私。私の名前はシンソ、得意なことは走ることと止まらないこと。
「シンソ! 何故あなたは道なき道をわざわざ選びますの!?」
『距離が一番近いから』
「それは獣の理屈ですわ!? いいえ、正確には獣道すらありませんから獣以下でしてよ!?」
『別に気にしない』
「ヒューマニズムの敗北! 人間性を溝に捨てましたの!?」
年齢はよく知らない、生まれた場所も定かじゃないし、家族もいるかどうか分からない。
記憶にあるのは高い天蓋と鳥のように艶やかな服装の女たち、そして枯れ枝のような主人の顔。今思えば、あれは宿場としての機能を果たす場所だったのだろう。育った地域では村同士の交流が盛んで旅人も多くいた。そんな旅人に寝床、食事を与える街道沿いの宿場、その中でも特に最後の欲を満たす場所。私の記憶はそこで呼ばれた名前から始まり、唐突に森の中で匪賊の真似をしていた時期へ跳ぶ。何故そんなことになったのかは覚えていない。森は割合食べられるものも多く、今では異類と呼んでいる奇妙なものにも助けられ、たまに街道の旅人から金品を奪って平和に暮らしていた。
そんな生活が変わったのはどれほど前だろうか。冬が3回以上過ぎた覚えはあるが実際どうかは分からない。なんにせよ、生活圏の近かった異類を探しに来た連中に異類と勘違いされ、なし崩し的に"同盟"へと加わったのは確かだ。"同盟"の連中は私の足の速さや、森の中で生き抜く方法を必要としていたようだったし、何より異類と一緒に暮らしていたことに興味を持っていたようだった。そして、私にとっても"同盟"への参加は悪い話じゃなかった。
「もう慣れたとはいえ、私わたくしたちの目的は異類の調査、それはすなわち他者とのコミュニケーションでしてよ? あなたの奇天烈な動きをフォローするのは誰だと思っていまして?」
『レイジョ』
"同盟"の誘いを受けた理由は高い声で一方的に話しかけてくる端末の存在。名前はレイジョ。変な話し方だけど、なくてはならない相棒だ。端末は主に手首に巻くように作られているけれども、レイジョは特別。手首ではなく口元に隠すように巻き付けて、唇の動きを読み取る形にしている。理由は簡単。
「あら素直」
『喋れないのは私だから』
私は生まれたときから喋ることができなかった。息を吸って言葉を吐こうとしても蛙のような気持ちの悪い音が漏れるだけで。宿場であれば顔と体さえあればある程度は誤魔化せると思われていたのか、同盟に入るまで文字の読み書きも知らなかった。……レイジョは口がさなく「喋れないのではなく、喋れないようにされたのではなくて?」とか言ってたけど。森に逃げ込んだのもそれが原因だ。森の中なら喋らなくてもいいし、匪賊なら交渉する必要もない。襲って奪う、それは狩りも盗みも同じこと。そうして生きていくと思っていたのだけれども、何故だろうか、レイジョの力を借りて話すことができると分かったとき、私はなぜだろう、とても嬉しく思えたのだった。
ぼんやりとした思い出をレイジョのキンキンとした言葉が引き戻す。既に山頂は視界に入り始めた。足場を選びつつ一気に駆け上がる。
「……ええ、ええ、あなたはそういう方ですものね。嫌がらせで始めたはずのこの話し方がすっかり板についてしまうほどに! ホントに、顔だけ見れば私の喋り方ピッタリですのよ?」
『好きだと思ってた』
「こんな前時代の過渡期アニメめいた口調を好んでやっているなら、即座に前頭葉の摘出を進言致しますわ」
『頭はないでしょ』
「……今、私に拳があればあなたの右頬を叩いた後、間髪入れず返す拳で左頬へアッパーカットを叩き込む自信がありましてよ。一発KO、判定なしでベルト奪取ですわ」
わんわんと唸るレイジョの音量を下げ走り続ける。踏みしめた草や木から漏れる青い匂いに森での生活を思い出し、懐かしさを覚えた。木々を跳び、岩を蹴り、そしてようやく開けた視界に立ち止まる。
『見えた、レイジョ』
「ええ、見えましたわね。アレが目指す村。いえ、この規模なら街と呼ぶべきかもしれませんわね」
此処から見てもその村が栄えているのは見て取れた。煮炊きの煙があちこちであがり、市場の簡易な天幕がキノコのように連なっている。人がここにいる、という騒がしさが全身に伝わってくる。ひときわ目立つのは村の中心にそびえる真っ白な石造りの建造物。尖った屋根が帽子を被ったように見える。レイジョが旧世界の廃墟を無理やり再建したのかもしれないと呟いた。情報を教えてくれた旅人や行商たちはみんな一様にこの村をこう呼ぶ。
『これが、"本の村"』
◇◇◇
村に門はあったが厳重な警備ではなく、あくまで夜盗や獣を警戒している程度のようだった。門番も旅人だと名乗ると鷹揚に頷いて何も詮索をしてこない。むしろ手の中にあるそれに目を走らせるので一生懸命のようだ。少しだけ村の状況について話を聞いてから門を抜け、中心の通りを進んでいく。
「ほーい、そっちなら3冊まとめて2枚でどうだ」
「ちょっとどいてどいて、新作が出たんだってよ! 数年ぶりだ、買わない手はないぞ!」
「お前! その旧世界の稀覯本! それはワシが先に唾つけてたんだぞ!」
「金髪の美人さん! どうだい、一冊買っていかないかい?」
「あーッ! 泥棒! 捕まえとくれ!」
村の中は山頂から見下ろす予想以上に活気に満ちていた。中心通りを駆けていく村人たちは喜怒哀楽をハッキリと示し、あちこちで様々な声が聞こえてくる。
「シンソ、耳は大丈夫でして?」
『話が聞こえる程度に耳栓を詰めた』
森で暮らしていたのもあって、本来私はこういった騒がしい場が得意じゃない。なんだかんだ言ってレイジョはちゃんと心配してくれるのだ。何故か髪を縦ロールにしようと執拗に言ってくるけど。そして、思ったよりもこの街の喧騒は嫌いじゃない。
「心配無用で何よりですわ。……さて、それにしても見事に本ばかりですのね」
この村は交易と商売を主な産業にしていると聞いていた。村同士の交流が活発な地域では、交易の場を用意して、その場所賃や手数料で維持されている村もいくつか存在している。だからそれ自体はおかしいことではない。けれども、この村で売買されているのはレイジョの言う通り本ばかりだ。もちろん、食べ物や家畜なんかを売っている場所もあるけれど、目に残るのは紙や羊皮紙、石板や粘土板に書かれた文章、ひっくるめて本。それも並みの量じゃない。紙の質だけで言っても上質なものからザラザラとした感触の粗悪なもの、内容に至っては旧世代の遺跡から掘り出されたようなものもあれば、今まさに即興で書き上げられているものまで、少なくとも私が一生のうちに見た本の数倍の量がここにあった。
「衣食足りて礼節を知る、という言葉が示す通り、本や書籍というものはあくまで娯楽、生存における付加価値に過ぎません。しかし、この村は私や他の端末が観測する限り、まず本があったとされますの。正確には本を作ろうとする集団と、本を集め、それで商売を始めようとする集団が」
『私が知ってる本はかなり高かったけど』
「地方にもよりますけどその通りですわ。先ほども申しましたとおり、本とは娯楽、嗜好品に過ぎませんの。それがここまで自由に売り買いされているとなれば、印刷された本も多くありましたし、かなり大きな製紙工場、印刷工房があるようですわね。先ほど上から眺めた際に見えた煙も煮炊きのものではなくそれかもしれません。技術自体は異類や旧世界の智識で賄えるとして……、何がこのような街を作り上げるまでの熱量に至ったか。おそらくそれには」
『異類がかかわっている』
"異類"、常識から外れた奇妙なもの。かつて私と暮らしていたデコボコした穴のある何かや、これまでに見た空を飛ぶ鯉、人を吐き出す山椒魚など、色々な訳の分からないもの。その異類がこの村の始まりに、この村の活気に関わっている可能性がある。そうであるなら"同盟"の一員としても調べる必要があった。
「その通りですわ」
『心当たりはある?』
「物事に異常な執着を起こさせるものなら星の数、その中から書物に絞っても……、まだ両の手足では収まりませんわ」
『手も足もないのに』
「人の手足をちぎる異類の情報をストックしていますので安心していてよろしくってよ。とにもかくにも特定は困難、ならばやはり本丸に乗り込むべきかしら」
喧騒や客引きを抜け、それの前に辿り着く。真っ白で天を突くように高い。それは近くで見ると少し不格好で、前に"同盟"の集まりで見た旧世界の芸術を思わせた。
「図書館、この村を象徴する白亜の楼閣」
◇◇◇
「なるほど、つまりこの村ができた理由を調べに来たのですね」
「ええ、そういうことになりますわね。これまでも何回かそういった旅人は訪れていたのかしら」
「いえ、そういった要件の方は私が知る限り初めてですね。上の皆さんや彼には面白い題材になりそうです」
「題材?」
「ええ、それも含めてご案内しましょう。この図書館は4階建てですので順番にお話させていただきますよ」
図書館の扉も村の門と同じく、誰にも咎められることなく中に入ることができた。天井は眩暈を覚えそうなくらい高く、床は外壁と同じく真っ白な石で覆われている。奥に上階への階段が見える。どうするべきかと悩んでいた私に近づいてきた青年は図書館の案内係だと名乗り、訪問の理由を伝えた私とレイジョを人の良さそうな笑みを浮かべ、柔らかな仕草で先導していく。青年に気付かれないよう、レイジョが小声で話しかけてきた。
「題材ですか」
『ちょっと気になる言葉。あとは』
「皆さん、そして彼、ですわね」
疑問について話し合う前に青年が振り返る。
「この1階部分は主に事務的な手続きがメインです。この村で店を開くための申請ですとか、転入や出生の確認や、あなたのような旅人への宿の手配だったり、役所のようなものですね。あとは蒐集されたり新しく作られた本の目録作成ですとか、図書館内部の作業もここで行っています。あとは一応、図書の持ち出しがないかの検査も。入るのは自由ですが、出るときは少しお時間をいただきます」
『目録?』
「目録とは何かを整理、分類してまとめたものを指しましたわね。そのようなものも作られていますの?」
「ええ、最初はありませんでしたが、村ができ、利用する人が増えたために作られるようになったと聞いています。そういうわけでここは旅人の方が見てもあまり面白みはないでしょうね」
青年の言う通り、並べられた机にはそれぞれ担当と思わしき村人たちが座り、行商や旅人から鑑札のようなものを受け取ったり、書類への記入を行ったりしている。背後にはそれをまとめているのか、巨大な本棚が備えられ、森で見た大きな樹木を思い起こさせた。そして市と同じくここにも人の騒がしさがある。
「村ができ、ということはやはり先にこの図書館ができた、ということで間違いはなくて?」
「そうです。この村は図書館があったためにその蔵書を求める人によってできた村。その図書館は上の皆さんがいたからであり、その皆さんは彼がいるから集まった。図書館は村の象徴であり、上階に行くごとに村の歴史を辿っていくようなものなんです。だから、案内することがそのまま村の成り立ちを説明することになるんですよ」
『レイジョ』
「彼、とは?」
レイジョの質問に青年は少し考え込む様子を見せて、恥ずかし気に頭を掻く。
「百聞は一見に如かずと言います、この図書館の最上階にいますので是非実際に会われるといい。……と、誤魔化しはしましたが、僕も彼をどう説明していいのか難しいんです」
『……これ以上は逆に不審』
曖昧に頷いて話を切り上げると、青年は気分を害した様子もなく上階へ案内を続けてくれる。螺旋階段の手すりは磨かれ、埃一つない。しっかりと整備されていることを教えてくれた。……表現できない"彼"、おそらくはその彼こそが異類だろう。
「彼と呼ぶからには人、あるいはそれに似た形をしたものなのでしょうね」
『うん、レイジョみたいな可能性もある』
「あー、人工知能の類ですわね。その可能性は失念していましたわ。……前から思っていたのですけど森の中で暮らしていたにしては学があるというか、発想が柔軟ですわね」
『褒められてないのだけは分かる』
レイジョの軽口に何故か記憶の蓋が開いた。天蓋の中で暮らしていた幼いころ、女たちが私を取り囲んでいる景色が何故か浮かぶ。私が話せないことを気にかける風もなく、にこにこと笑って客から貰ったのだろう綺麗な櫛や宝石か何かを見せてくれている。彼女たちはきっと幸福ではないのだろうと知識で分かる。でも、思い出した記憶の中の彼女たちは幸せそうで。私の持っている何かを見つめているような。……何かもっと大切なことを思い出せそうになったとき、青年の呼びかけで記憶の旅から引き戻された。
「さあ、旅人さん、ここが2階、図書館としては中心部ですね」
「これは……、素晴らしいものですわね」
◇◇◇
レイジョが思わずつぶやいたのも無理はない。1階より天井は低いが柱のように本棚が林立して、ずっと先まで続いているような錯覚を覚える。傍らの棚を見るだけでもみっしりと装丁された本が詰まっている。簡単な文字しか読めないので、何が書かれているかは分からないが、その迫力には圧倒された。
「利用を望む方には誰にでも公開しています。最近は汚れや破れが発生することも多く、実はココだけの話、運営方針で揉めているんですよね。みんな本に関しては一家言ありますから。ああ、ここは比較的新しい本です。奥に行くごとに古くなっていき、多くないですが旧世界の本も保管されていますよ」
ゆっくりと歩を進める青年についていく。本棚の間を抜けるのは整備された林を歩くのと似た気分だ。1階と正反対に2階は静寂に包まれている。本棚の間から見える利用者の姿は深山を踏み分ける鹿やカモシカに似ている。目は周囲を見回しながら、下草を静かに食んでいる。私は人の入らない場所へ踏み込んでそんな生き物を見るのが好きだった。
「シンソ、こちらの棚にはホントに旧世界の書籍が残っていますわ。……簡単なエンタメ小説からどこかの大学の紀要まで、分類もしっかりされていますわね」
『興奮してる』
「興奮というよりも……、そうですわね、郷愁に近いのかもしれませんわ。あら? この棚は」
レイジョの言葉に私も右の本棚へ目を向ける。一番奥のその棚は一つ前にあった旧世界の棚よりもかなり新しい、長くとも数百年程度だろう。
『新しい』
「そうですわね。そして心なしか物語が多いような気がしますわ」
『物語か』
2階の静寂の中にレイジョの言葉が響いたのか青年も振り返り目を笑みで細めた。
「ああ、気づかれましたか。それはこの図書館に初めて収められた本、始まりの本と呼ばれています」
「先ほどの話から推測するに、これの本が図書館を作る理由になった本、ということですのね」
「そうですね。そもそもこの図書館はこれらの本の保管場所が前身だとされています。上にいる皆さんの先達が彼に影響を受け本が溢れかえった結果、この図書館が生まれたんですよ」
『影響を受けた……』
その結果、これだけの本を集めたというのだろうか。本棚は1つとは言え、"同盟"の蔵書数よりも下手すれば多いかもしれない。この村の異類はやっぱり何か特定の物事に執着させるものということか。この村の独特の雰囲気に隠れているだけで、もしかすると危険な異類なのかもしれない。レイジョも情報を探っているのか話しかけてこない。
「では、上の皆さんに会いに行きましょうか」
「……白亜の楼閣が生まれた理由、本棚を林立させる人々、まだ絞り込めませんわね」
青年が上階へ歩を進める。本棚の林を抜け、私も階段へ足を進めた。
◇◇◇
1階は喧騒の広場、2階は静寂の本棚、そして3階に響く音は。
「……そうか、そういうことですのね、図書館という言葉にミスリードされていました。あの本は」
『集められたものじゃなかった』
ガリガリと走らせるペンの音、喧々囂々と続いている議論。天井は2階よりも低くなったが溢れる熱気は1階よりも強い。それぞれの手には紙や羊皮紙があり、次から次へと積み上げていく人もあれば、1枚を穴のあくほど見つめて唸っている人もいる。老若男女問わずペンを握り向き合っているここは。
「この方々は全員、作家ですのね」
「ええ、その通りです。ここが図書館の生まれた場所。彼に惹かれて集まった人々が本を書き始め、それが図書館の始まりとなりました。題材はなんでもあり、科学的にこの世界の謎に迫ろうとする人もあれば、もともと旅人で自分の経験を書く人、存在しない世界の物語を書く人、何でもいいんです。何かを書きたい人が集まった場所。我々はここをサロンと呼んでいます。どうぞ、作家が許可するならご覧になっていただいても構いませんよ」
少女が一人、悩みながらペンを走らせていく。目の前で物語が書き上げられていく。簡単な言葉を使っているから私にも読める。空を飛びたいと泣く狐の童話、何故かモグラとして育てられたその狐は空を飛びたいと叫んでいる、でも翼はない。ペンがそこで止まった。私の喉が何かを吐き出したくなった。これはなんだろう、この喉から出そうになっているものは。言葉を出すことのできない喉から出したいものは。レイジョが初めて私の言葉を出してくれたとき、溢れ出しそうだったものは。
「自分一人で飛べないなら、止まれないなら、誰かに頼ればいいのですわ」
レイジョの言葉は、私の喉から出ていた。それはレイジョの声だったけど、ペンを走らせる少女に届いた。私へ振り返り、大きな目を輝かせた。その目は私の見る限り異常ではない。
「そのアイデア、いただきます!」
ペンがリズムを刻んでいく。何もなかった紙にインクの波が流れ、波紋が物語になっていく。狐は仲間を頼り、ついには空飛ぶ機械を完成させた。そしてまだペンは走っていくが、これ以上は見るべきではないだろう。狐の機械が壊れて谷底へと落ちるかもしれない、太陽に届いて焼き尽くされるかもしれない、どこか別の世界へ飛び立ってしまうかもしれない。それは少女の書くべきものだ。青年は微笑み、最後の階段へ私たちを先導していく。
『レイジョ』
「ええ、こっそり走査しておきましたが異常はありませんわ。彼女達は全て自分の意思で本を書き続けています」
『見当はついた?』
「あなたの行動で思いついた異類が1つ、そのために確認する必要がありますわね」
レイジョが青年の背に声をかけた。
「このサロン、つまりここに集った人々の先達はあなたの仰る彼に影響を受けたのですね」
「ええ、この場所の始まりはとある旅人が彼と出会ったことからと言われています。彼の話に魅了されたその旅人は彼の語るアイデアを書き留めようと思った。そして友人の商人から紙を買い始めたのだと聞きます。その商人もまた彼の語る物語に心を奪われ、それを商品にしようと試みた。そこからどんどん同じように人が集まっていき、いつしか人々は彼の物語だけではなく自分の物語を書き始めたのです」
「それが図書館にあった始まりの本ということですか」
投げられたアイデアは波紋を生み、インクのさざ波を立てる。
その波は大きく広がり、やがて新たな波を生み出していく。
「はい。そしてその物語を収めるために図書館が作られ、あちこちの村から多くの人々が訪れるようになった。いつしかそれは村になっていき、ここは"本の村"と呼ばれるようになりました」
「まるで、村自体が1つの物語のようですわね」
青年は誇らしげにサロンを眺める。何かを作りたいという熱気、森閑とした図書室、人の感情が溢れる市場。1つのさざ波がどれほどの波を生んでいるのだろう。その波が私の記憶を刺激した。
「……異類の正体が分かりましたわ。まさかまあ、アレがここまでの影響を与えることになるとは」
『……呆れてる?』
「いえ、面白いと思っているんですのよ。閉じ込められていたままならここまでのことにはなりませんもの」
いつの間にか階段を上り切っていた。辿り着いた場所には黒い扉、山頂から眺めた尖り帽子の部分なのだろう。ということは1室程度しかない。彼はそこにいるのだ。
「さあ、どうぞ。彼は一対一の会話を好みますので僕は扉の前で待っていますよ」
「ありがとう、ここまでの案内感謝いたしますわ」
扉を押す。思ったよりも軽いそれが軋みながら開くと、中には机と椅子が1つ。その椅子にもたれ掛かるようにして彼は座っていた。
「お初にお目にかかりますわ、管理番号2020、私はシンソ、もしくはレイジョ。村々を回る旅人ですの」
「ああ、ああ、ようこそ、ようこそ、ちょっと待って、今君を見たらいいアイデアが出てきたぞ? 世界が終わった後に旅をする人々の話なんだ、彼らはその手に滅びた世界の遺物を持っててね。ああ、君の言うことは分かる」
彼は私たちを見つめ、楽しそうに紙へペンを走らせていく。その話は私たちの状況を指しているのだが、恐怖よりもどこか愉快な気持ちが勝った。
「陳腐、でしょ?」
真っ黒な目と緑の肌。細長い手足の異類は楽しそうに筆を振るっている。なるほど、これは言葉にしづらい。
◇◇◇
『レイジョ、お願いがある。今だけ私の喋る通りに喋って』
「あら、珍しい。高くつきますわよ」
『いいよ』
「……あなたはそういう人ですものね」
それだけ呟くとレイジョは黙り込んだ。私に任せてくれるということだろう。なんだかんだレイジョは良い奴なのだ。異類である彼はペンを走らせたそばからその紙を食べている、異様な光景だが山羊と似たようなものかもしれない。
「ここはいい村だ」
「うんうん、私もそう思う。ここはいい場所だ、私はずっとSFを書きたかったんだけどね、前にいた場所ではコンセプトがまとまらないからって話せなかったんだ。でもそのおかげでアイデアはどんどん溜まっていった。そうそう、こんなアイデアもあるんだよ。まず……」
「陳腐かもしれないけど、こんな女がいた」
放っておけばずっと話し続けそうだったのでいったん力づくで彼の言葉を切る。
声の出ない喉の奥から、流れ出る記憶が止まらない。
「彼女は宿場に生まれて、親の顔も知らないまま、身体を売る女たちに育てられるんだ。しかも言葉が話せない。でも、女たちは優しくて、彼女に色んな事を教えてくれた。彼女に綺麗なものを見せてくれて、彼女の書いたものを褒めてくれて、彼女にシンソという名前を与えてくれた。女たちは幸福じゃないけど、せめて彼女が幸せであることを願ってくれていた。彼女はそれを受けて歪ながらも色々な考えを知っていく」
この図書館に入って様々な波が刺激した私の記憶、忘れていたそれは確かに私のページの1枚。何故私が言葉を手に入れて喜んだのか。それはきっとこの時のためだ。彼は突然話し始めた私に驚いたようだったが、次第に相槌を打ち、ペンを走らせていく。
「良い話じゃないか、それでそれで?」
「そこで場面が飛ぶんだ、何があったかは分からないけど彼女は森で暮らしている。女たちは消えて代わりに奇妙なものと獣との暮らしが始まるんだ。そこで彼女は走り方や人を観察する方法を学んでいく。そんなとこにあなたのさっき話した不思議な旅人が通りかかる」
「ワオ! 私のアイデアとクロスさせてくれるのかい! いいじゃないか、シェアワールドだね!」
「旅人は彼女を組織の一員に誘い、話すための相棒を与えてくれる。そこで彼女は何かを話したかったことに気が付くんだけどまだ言葉にはできなかった。なんせ喋れないんだもの。で、その相棒は変な喋り方で彼女の言葉を訳するんだけどいつの間にか癖になってその話し方しかできなくなるんだ」
口元のレイジョをそっとなでる。かすかな電子音が嫌がるように聞こえた。
でも私はシンソ。得意なことは走ることと止まらないこと。
「『オーッホッホ! あなたの顔ならこの話し方で十分ですわ!』……こんな風に。そして彼女達は奇妙なものを探す旅に出るんですの。いくつかの旅を経て彼女達は1つのアイデアから生まれた大きな村に辿り着きます」
「……いよいよクライマックスだね」
「その村で彼女は何を話したかったかに気付き、図書館の最上部にいる奇妙な相手にこう話しかけるんですの」
「"陳腐かもしれないけど"、と」
一気呵成に話したためか、言葉を出せないくせに喉が痛み息が上がる。言葉に出せない記憶をいまこうやってようやく話すことができた。私はきっと、私を語りたかった。彼は沈黙して私を見つめ、書き上げた私の話をむしゃむしゃと食べ始めた。そして飲み込むと。
「ブラボー、いい物語だった! そして彼女たちの人生は続いていくんだね!」
ペチペチと貧弱な拍手が部屋に響く。
「ええ、きっと」
「ならこんなアイデアはどうだろう? ……思えば他の人のアイデアに口を出すのは久しぶりだな、楽しくなってきたぞ! そうだな、まず彼女はこの村を出て、旅に戻るんだ」
◇◇◇
「シンソ! さっきの話を聞いていませんでしたの!? そっちには、熊が出ると!」
『逃げたことはある』
「おっと狂戦士の理屈。狂人の真似して大路を走るのは狂人でしてよ!?」
『真似じゃないけど?』
「それってつまり私の所有者が狂人というロジックでは? どうやら頭のネジが2、3本吹っ飛んでいるのではなくて!? リコール! リコールを要求しますわ!」
キンキンと響くレイジョの音量を下げ、走り続ける。背に抱えた雑嚢がカチャカチャと音を立てる。"本の村"を出るときに手に入れた旅人用の筆記用具。異類との遭遇後、案内してくれた青年からサロンへ加わらないかと誘われたのだ。少女への助言がよほどいい印象だったらしい。それを断ったときにならば、と古いものを一式譲ってもらったのだ。"同盟"の記録はレイジョに一任していたので自分にとっては初めての筆記用具になる。
「交渉、交渉をしましょう、シンソ! 道を変えてくれたら字を教えてあげますわ!」
『……本当?』
「ええ、もちろん! 端末は嘘をつきませんもの!」
『それは嘘』
レイジョに字を教わりながら少しずつ書いていくつもりだ。図書館の天辺で異類へ話した私の記憶を忘れないように。そして新しい旅の目的、"同盟"の仕事のついでに書き残したいアイデアを。
『そうだな、まず彼女はこの村を出て、旅に戻るんだ。陳腐、でしょ? でも、さっきの君のアイデアはやっぱり幼少期の経験部分が足りない。足りないってことはそれを埋める物語があるはずだ。その物語を探すために新しい旅へと彼女は向かうんだ。女たちはどうなったのか、何故彼女の記憶は抜け落ちているのか……。ああ、待って待って、その話がどんどん広がって、いいぞ、これは新しい物語になる。続編だよ、ずっと続いていくんだ! 彼女たちの物語は!』
書き始めは決めている。
『金色の髪が風を切る。道なき道を進んでいくのは私。私の名前はシンソ、得意なことは走ることと止まらないこと
集村 - 22
友好度 - 高
異類概要 - 未来や現在の事象を物語のアイデアという形で話し続ける人型存在。話す内容に危険はなく、何らかの強迫性もない。現在は村中心部にある図書館に居着いており、村人とも友好的な関係を築いている模様。
コメント - 筆記具や特定の書籍が必要になった場合は訪れると良い。大体何でも揃うだろう。熱のあるアイデアも。
探索担当 - シンソ
報告担当 - レイジョ