「カラクリ、こっちで本当に道合ってるの?」
「知らん。でも道はここしかねえんだ。ほら、キビキビ歩けー」
「あーあんた、イストくんとこのクレイみたいに道案内する機能ないの?」
「スキャン!ピピー。道ナリニ真ッスグ進ムトイイデショウ」
「なにそれ」
「クレイの真似」
「──はぁ、使えないな……」
「なんだと!」
呼吸を整えるため、人の気配のない澄んだ空気を肺に仕舞い込む。私──エニシと左腕の端末に住む煩い相棒──カラクリは、鬱蒼とした森の道を進んでいた。前を見ても森、後ろを見ても森。うんざりするほど森。空を仰いでも木々に隠れ、その隙間からしか太陽の存在を確認できない。代り映えのしない光景のせいで、どれほど歩いたのかわからなくなっていた。今まで空を飛んで楽してきた分がここで来たんだろうなあ。そう思い、体力を付けることを決心する。
私が今向かっている村には"死者と会うことが出来る道具"があるらしい。しかし、その詳細は謎に包まれているらしく、一番近くにある村でもあまり情報を得ることができなかった。曰く、その村の住民との交易は行っているものの、どんな人たちなのかはわからない、と。"道具"について聞いても、知らぬ存ぜぬの一点張りだった。そのため、噂の真相を確認するには、自ら件の村に行くしかなくなってしまった。
しかし、こんなに山奥にあるとは想定外だった。行けばわかるだろう!という軽い気持ちで来るのはもしかしたら間違いだったかもしれない。あの村の人も、私みたいな機械技師には厳しい山道であることくらい教えてくれてもよかったのに。悲鳴を上げる両足を労わりながら、木洩れ日に照らされた道を進んでいった。
◇◇◇
『ようこそ、旅人さん』
入り口に見張りは無く、腰ほどの高さの柵の間を通り、すんなり中に入ることができた。内部は森を綺麗に切り開いていて、木々が無くなった部分にその木で作られたであろう家々が並んでいる。日光の問題か畑らしいものは見つからなかったけど、食料に困っているような雰囲気はなかった。交易は普通に行われているんだろうな。
「初めまして、旅人のエニシです」
『初めまして、ユーラです』
最初に遭遇した村人はそう名乗った。彼女は質素な無地の服を纏い、後ろで結ばれた綺麗な髪は腰ほどまで垂れていた。勝手に侵入してしまったため、何か言われるかもしれないと内心怖かったが、笑顔の彼女を見るに杞憂だったみたいだ。せっかくなので彼女へこの村について尋ねる。
『私たちはこの村を"弔いの村"と呼んでいます』
「"弔い"……。何かするんですか?」
『ええ。この村には"弔いの儀式"というものがありまして』
どうやら早速お目当ての話のようだ。はやる気持ちを抑え、冷静に質問する。
「どんなことをするんです?」
『この世に遺ってしまった魂を自然に返すんです』
「亡くなった方の未練を断つ、みたいな感じですか」
『そうですね』
話を聞く限り他の集村の葬儀とそこまで変わったことはしないような感じではあるけど、その儀式に何かがあるのだろう。儀式について詳しく聞こうと思った矢先、視界に何かが映った。目を凝らすとユーラの後方、平屋の軒先に白い人影がいた。私が聞くより前にユーラは答える。
『──?ああ、あれは"小さき人"です』
「"小さき人"?」
『ええ、私たちとこの村に住んでいる存在です』
「この村の子供たちですか?」
『いいえ。人ではありません。ですが、この村にとってはとても大切な存在です』
「へぇ……」
"小さき人"と呼ばれた人型の存在はこちらに気づき、軽快な足取りで近づいてきた。見た目は純白の衣服に包まれた可愛らしい幼児のようであり、どう見ても人にしか見えない。彼、もしくは彼女は人懐っこい笑みを浮かべながら、ユーラの足に抱き着く。ユーラは母親のような柔らかい笑みを浮かべ、その頭を撫でていた。あれは一体何なんだろう?
「カラクリ、何かわかる?」
「さっぱり。人にしか見えねえが」
『ほら、あなたも』
「あ、はい」
ユーラに促され私もその頭に手を当てる。するとそれは嬉しそうに頭を振り、私に突進してきた。私はそれを受け止めると、その身体の温かみを感じることが……できなかった。
「え?」
それは確かに滑らかな髪、幼児らしい柔らかな身体であった。しかし、その体温はひどく冷たかった。ユーラもそれも笑顔で私を見ていた。
ユーラに連れられ、村の中を歩く。──この村には"小さき人"が多く住んでいた。どの"小さき人"も同じ背丈、同じ顔であった。
彼らは村人と共に生活しているようだけど、何かを食べたり、働いたりしているわけではなかった。村人が木を加工したり、追いかけっこで遊んだり、料理をしたりする様を眺め、ニコニコと笑っていた。何かを喋るわけでもなく、ただ笑いかける。その様子を見て、村人は笑い返していた。私も笑顔でいた方がいいかなと思ったけど、すぐに表情筋が疲れてしまったので止めた。
この村の住民は"小さき人"を大切に扱っているのだろう。彼らが近寄ってくると、村人たちは自身の行っていたことを止め、必ず彼らに構ってあげていた。
「皆さん、本当にこの子たちのことが好きなんですね」
『この村に住む人は、皆彼らを愛しています』
『ええ、僕も』
『わたしもー!』
ユーラに案内されながら、他の村人とも交流をしていく。みんな健康そうな雰囲気であり、気さくに話してくれた。無理なコミュニケーションをする必要がなくて助かる。こうやって話を聞く限り、老若男女問わず"小さき人"を愛し、一緒に過ごすのが普通らしい。現に最初に会った"小さき人"はユーラと手を繋いだままだし、わざと大きく足を上げながら歩いている。ユーラはそれに合わせてこれまた大きく手を振っていた。その様子を見て、ふと思った疑問を投げかける。
「そういえば、この子たちってなんでこんなに愛されてるんですか?」
『ああ、旅人さんから見たら不思議ですよね』
率直な疑問。村人と彼らの様子をずっと眺めていても、何故このような関係なのか全然想像できなかった。みんながみんな子供好きで……とかはないだろう。ユーラはうーんと唸った後、思い出すように言う。
『"小さき人"が楽しいなら、私たちも楽しい。"小さき人"が喜んでいるなら、私たちも喜ぶ。"小さき人"が望むなら、私たちも望む』
「それって何です?」
『これはこの村の古い言い伝えです。実は私たちは元からここに住んでいたわけではありません。最初に住んでいたのは"小さき人"でした』
「彼らは先住者だったんですか」
『ええ、そうです。遥か昔、私たちは迫害された民でした』
丁度いいですし、この村の歴史を話しましょうとユーラは言う。
『私たちには古来から死を見届ける役目がありました。私たちは家族の、隣人の、人々の弔いを、私たちのやり方でしていました。それが私たちの生き方でした。ですが、どんな場所にいっても私たちは気味悪がられ、避けられました。時には石を投げられ、時には殺されそうにもなったと聞きます。だから、どこかに定住することはありませんでした』
手を合わせ、悲嘆に暮れた表情を浮かべる。この村に来て初めて見る顔だ。
『ですが、そんな私たちを認めてくれたのは彼らでした!』
合わせていた手を広げ、"小さき人"の両脇に当てて持ち上げる。"小さき人"はキャッキャッと笑っている。
『彼らは私たちの生き方を肯定してくれました。私たちの弔いを肯定してくれたのです。私たちは彼らによって初めて生きることを認められました。だから、私たちは彼らと生きることにしたのです』
"小さき人"を地面に下ろし、私を見る。曇りのない目で。
『だから、彼らがここで暮らす私たちを認め、私たちを愛するように、私たちは彼らを愛するのです。彼らが笑うならば私たちも笑う。それが彼らと共に在るための私たちの理です』
「なるほど」
「け、薄気味わりい」
悪態を咎めるために端末を付けた左腕を一度強く振る。人には人の数だけ生き方がある。その考え方に口出しをしても変わることはない。私はそのことを経験から理解していた。
『"弔いの儀式"は彼らが望み、私たちが望むものです。だから、旅人さんたちにはとても感謝しているんです。私たちに儀式をする機会を与えてくれて、ありがとうございます!私たちに生きる意味を与えてくれて、ありがとうございます!』
ユーラの表情は今までで最も明るい笑顔であった。その表情に気圧された私は、ただ頷くしかなかった。
『じゃあ、私からも質問いいですか?』
今度は私の番と言うかのようにユーラが話し始める。私は少しだけ首を傾げる。
『旅人さんには毎回聞いているんですが……どうしてこの村に来たんですか?』
「えーと、亡くなってしまった人にまた会えるって噂を聞いて」
『あら、ふふ、なるほどです。では、エニシさんも"弔いの儀式"がしたい大切な方がいらっしゃったんですね』
「あー……」
思わず回答を濁す。私は別の目的で来たのだけれど、それを答える訳にはいかない。答えるなら──誰を弔いたい、か。私にとっては誰が大切だったのだろう。親ではない。顔すら覚えていないし。脳裏に浮かぶのは私が機械を好きになった理由。私に機械を教えてくれたあの人。私の中の朧げな記憶をゆっくりと辿る。
遠い記憶。大切な記憶。そんな記憶の重い扉を開ける。あれは2人で遊んだロボットの玩具。これは2人で直した空を飛ぶ機械。いつかどこかにあった、楽しい日々。確かに、私とその人の関係はとても大切なものだった。何故私はこの中にいないのだろう。何故私は外に出て、冷たい闇の中を歩いているのだろう。ずっと記憶の中に居たい。ずっとこの暖かい日々の中に居たい。いつの間にか記憶を辿り切り、最後の記憶に触れる。刹那、写真のように場面が何個もフラッシュバックする。これは何?何が映っている?これは──血?
『エニシさん!』
「はい?!」
急に現実に戻されたことに驚いてしまい、声が裏返ってしまった。ユーラを見ると、困ったような表情を浮かべている。
「あれ?どうしたんですか?」
『全然反応してくれないものですから……』
「ああ、すいません……」
『いえいえ、大丈夫です。それでですね』
ユーラは困った表情のまま続ける。
『実は先約の方がいまして……』
「先約?」
『ええ、今日の朝に別の旅人の方が訪ねて来たんです。今日は彼の大切な人を弔うので、あなたの儀式は後日行いましょう。まだ迷っているようですし、彼の儀式を見て誰を弔いたいのかをじっくり考えてみてください』
「ああ、はい。わかりました」
──さっきの記憶は何だったんだろう。何かの色も、どこか温かかったはずの心も、朧気なものに戻ってしまった。……気持ちを切り替えていこう。まずは、今日儀式をすると言う旅人を会うのがいいかな。ユーラの言う通り、彼の儀式を見てからもう一度考えてみよう。
私はユーラに頼み、件の旅人が滞在している家屋に案内してもらった。中にいた彼は机に向かい、自身の身を守るための武器──年期の入った銃の手入れをしていた。
『君も噂を聞いてきたのかい?』
「うん、そう」
彼はこの家にもいた"小さき人"の頬を少し雑に揉みながら、そう質問してきた。弔いの村を1人訪ねた旅人、カナキは私たちのように各地を回っているのだそうだ。所々穴が開いた外套を身にまとい、その隙間からは旅の壮絶さを物語るような傷痕が見え隠れしていた。ただ、外見の厳つさとは裏腹に敵意は無さそうだ。現に家に入ってすぐ、向こうから話しかけてくれたし。その場に荷物を置き、近くの小さな椅子に腰かける。
「妖精みたいなのもいるみたいだし、噂は本当みたいだね。……カナキはどうしてここへ?」
『いきなり聞くのかい』
「これも何かの縁でしょ?旅は一期一会、もう一度会える保証なんてないから、聞きたいことは聞いちゃうんだ」
『はあ、失礼って言葉を知らないのかって言いたいが……一期一会ってのは、まあ、俺にも理解できる』
「じゃあ?」
『"これも何かの縁"だ。喋ってやるよ』
「──ありがとう」
外套の男はどこから話そうかと言い、少し考える素振りをした後語り始めた。彼は最初から1人で旅をしていたわけではないと言う。
──旅の始まりはよくある話、バケモノに村を滅ぼされて命からがら逃げだした2人の男がいたってやつだ。俺たちは村の外に出たことがなかった。アイツは手先が器用だった。俺は戦いが得意だった。俺たちはお互いできることをやり、力を合わせて生きることにした。そうやって旅を始めたんだ。
「それは大変だったね」
『大変だったさ。なんせ2人とも勝手がわからないから、何度も手ひどい失敗をしたよ。身ぐるみを剥がされたこともあったなあ』
まあ、すぐにぶっ倒して取り返せたんだがと言って笑うと、カナキはどこか遠くにその暗赤色の目を向ける。
「じゃあ、あなたの相棒は何時何処で?」
『そうだな。そこを話さなくちゃな』
──アイツが死んだのはここ数日のことだ。しかもここに来る途中さ。そこに劇的なことはなかった。俺とアイツはいつものように草原を歩いていた。そこで出くわしたものがいけなかった。俺たちはそれをただの動物だと思っていた。今日の飯は決まったなとか軽口を叩いていたが……。
『一瞬だった。気が付くと俺の周りからアイツも動物もいなくなっていた。動物はバケモノだった。俺は必死に探した。結局、見つかったのはアイツの右腕だけさ。俺は悔いたよ。何で油断したんだろうって』
「……」
『本当はここに2人で来るはずだった。ここはただ休憩のために寄った村になる予定だったんだ。それがこんなことになるなんてな……。今日、ここに来たのはせめてもの償いなんだ。せめて魂だけでも安らかに、な』
「そっか」
『──なんか、事情話したら気分が落ち着いたよ。エニシちゃん、ありがとう』
「いや、お礼を言われることなんて、何も」
『ううん、この村のずっと笑顔の奴らに言っても、このちっこいのに言っても何にもならなかったと思う。実際、弔いをしてくれるからって相棒の右手を村の奴に渡したんだが、あんたみたいに痛みをわかってくれるようなことはなかった。あんたみたいな温度のある人間に言って正解だ』
「なら、良かった。……そういえば」
"死者と会うことが出来る"。噂の内容を思いだす。
「噂によればカナキは相棒さんにまた会えるみたいじゃん?もし本当に会えたら何て言いたい?」
『そうだな……』
カナキは腕を組み、しばらく考えていた。目を伏せ、右足が床を何度か叩く。叩いた回数が両手で数えきれなくなった頃、彼は顔を上げた。
『まず、謝る。俺が悪かったって謝る。そして、一緒に旅をしてくれてありがとうって言う。相棒にありがとうなんて言葉、気恥ずかしく滅多に使わなかったんだが、ここは絶対に言わなくちゃならないからな。恐らく、これが最後のチャンスだから』
そう言って彼は寂しそうな顔で笑った。
「──うん、そうだね」
私は出来る限りの笑顔で返した。
「"弔いの儀式"、ちゃんと成功するといいね」
『だな』
私たちは儀式についての期待と不安を語り合った。色々話していくうちにすっかり意気投合し、お互いの旅の武勇伝を語り合ったりした。やはり旅人の冒険話ほど面白いものはない。お互い次に何処へ行こうかなどと話していると、いつの間にか日は沈みかけてた。
小人はそんな2人の様子をずっと笑顔で眺めていた。
◇◇◇
談笑も一段落ついた頃、私とカナキの所にユーラが現れた。どうやら儀式の前に食事会をするらしい。2人ともすっかりお腹が空いていたので二つ返事で了承した。
食事会では村一番のごちそうであろう料理が並べられ、その中でも私たち旅人には"最も価値のある料理"と呼ばれるものが渡された。それは見たことのない形をした料理であった。臭いは何処かで嗅いだことがあるが、何の臭いだっただろう。
恐る恐る口をつけてみると、独特の風味と強い苦みが舌全体に広がる。思わず顔をしかめそうになったけど、周囲の人々の期待の目の前でそうする訳にはいかなかった。儀式のためには仕方がない。残すわけにもいかず、なるべく味わわないようにその料理を丸飲みするように食べる。
ふとカナキが手を止めているのが目に入った。彼も私と同じ気持ちだろうと思い、"どうしたの?"と聞くと、"いや、何でもない"と言ってまた夕食を食べ始めた。流石にこの場で不味いとは言えないだろうな。そう思い、自分の目の前にある"料理"の残りをフォークで刺した。
何とか"料理"を食べきり、食事会は終わった。外に出るともう日は沈み、辺りには夜の帳が下りていた。冷たくなった空気の所為か、1度身震いをした。
その村に明かりは少なかった。木々の隙間から満月が照らす薄暗闇に目を凝らすと、村人たちの服装が昼間と変わっていることに気づいた。それは"小さき人"と同じ、白い装束であった。どうやらこれが儀式の正装であるらしい。私とカナキはユーラに連れられ、白装束の集団に混ざって歩く。そこに声はない。静寂の中に足音と心音だけが木霊していた。
ふと視線を落とすと、"小さき人"の姿が見えた。彼らは昼間見た表情のまま村人の列の隙間に紛れているようだった。──彼らの正体について、カラクリのデータベースに該当するものがなかった。正確には検索しきれなかったという感じだけど。もしかして異類ではないのだろうか。それとも、この時代になって新しく生まれたものかな。どちらにしろ儀式が始まればすべてわかると思い、データの検索は早々に切り上げていた。
──何分歩いただろうか。村を外れ、更に山の奥へ向かった先にその場所はあった。
『エニシさん、カナキさん。ここが"祈祷者の神殿"です』
2人を先導していたユーラがこちらを向き、かしこまった口調で説明する。目の前にある、村にあるものの比ではない大きな建物がそうなのだろう。
『エニシさんは見学ですので、こちらの神殿で待機してもらいます。カナキさんは今回の弔い人なので、儀式の場まで向かうことになります』
『なあ、1つ聞き忘れてたんだが』
ユーラの話を遮り、カナキが切り出す。
『何でしょう?』
『俺は結局何をすればいいんだ?』
『ああ、言ってませんでしたね。では、先に説明しておきましょう。カナキさんは儀式の時刻に儀式の場で祈祷していただけるだけで結構です』
『それだけでいいのか?』
『ええ。出来るだけ大切な人のことを思ってください。そうすれば願いは必ず届きます』
だから、安心してくださいと付け加え、ユーラは微笑みかける。私もカナキも緊張した面持ちになっているのだろう。強張った2人の肩を解すような、温かく甘い匂いがどこからか流れてくる。神殿を僅かに照らす蝋燭の明かりと沢山の人がいるとは思えない静寂は、この場を非現実的な雰囲気に変貌させていた。これなら本当に交霊が行われていても何もおかしくない。3人は神殿の中に入り、私はユーラと共に神殿の観覧場へ、カナキは別の村人と共に神殿の先、更に森の奥へ向かっていった。
観覧場には既に他の村人が儀式を見るために待機していた。観覧場はしばらく階段を上った先にあり、周囲の景色を見渡すことができるような場所であった。遠景には先ほどまでいた村の建造物が見えた。どうやら、儀式の場はこの神殿と村の間に存在するらしい。落下防止のためであろう柵に手をかけると、眼下から森の中心に向かって小さな明かりが連なっていた。その道を動く影が1つ、それはカナキであった。
『儀式の場には1人で行かなければなりません』
自分の疑問を悟ったかのようにユーラは説明を始める。
『儀式に他の人の思念が混ざってしまうと大変ですから。必要なものはあの人が持つ強い思いだけです』
「なるほど……。では、私たちはこれから何を?」
『彼が黙祷すると同時に私たちも黙祷します。すると、儀式の場にある道具が勝手に動き出します。そのようになったら、こちらを使って弔いの様子を見守るんです』
そう言って彼女がバッグから取り出したのは簡易式の双眼鏡であった。私はそれを貰い、儀式の場であろう場所に目を向ける。"儀式の場にある道具"。恐らくそれが今回の目的の"異類"であろう。しかし、どのように交霊術を行うのだろうか?闇に眼が慣れるのを待つ。双眼鏡が温い汗に濡れているのを感じる。風が冷たい。ゆっくり焦点を合わせ、最初に見つけたのは──
黄色と黒の縞模様に包まれた天に伸びる2つの棒とバツ印型の板であった。
──私には少なくともあれが人工物であることがわかった。そして、恐らく機械であることも。あの色は人が作ったものであることを私は知っている。あの形状も、あの材質も。そう考えると、あの機械が交霊を行うということだろう。どうなるのか全く想像がつかない。まず、何故"警戒色"で塗られているのだろうか──
「おい、何かあったか?」
そういえばコイツの存在を忘れていた。ごめんねと一言謝り、カラクリに特徴の説明をする。カラクリは少し探してみると言い静かになった。彼のアーカイブにこの奇妙な物体の存在はあるのだろうか?そして、この地に住む白い人間──"小さき人"と何か関係があるのだろうか?いくら考えても答えは見つからなかった。近くにあった小さな蝋燭が1つ、2つと溶け落ちる。少しずつ、少しずつ周囲を闇が蝕んでいく。その闇の間を風が過ぎ去り、木々を揺らし、重なる葉の音が耳に伝わる。さながらその音は笑い声のようで。
──あれ?
あることに気づき、観覧場を見渡す。疑問は確信になった。
先ほどまで村人と共にいた"小さき人"は何処にもいなかった。
◇◇◇
『時間です』
村の年長者、恐らく長である人物が人々の前に立って告げる。同時に大きな鐘の音が鳴る。
『黙祷』
手を合わせ、目を閉じる。儀式が始まる。早まる鼓動。静寂。何が始まる?
最初に聴こえた音。それは儀式の場の方角から来る、一定のリズムを刻む歪んだ音。抱いた感情は不快感であった。音は鳴りやまない。それは、何を意味して──
唐突に、それをかき消すような轟音が続く。足場が揺れる。音はどこかへ通り過ぎていく。移動している。しかも高速で。手を抓りこれが夢ではないことを理解する。轟音が消えると、また歪な音が聴こえ始めた。
『儀式は始まりました』
老人は静かに言う。目を開き、急いで様子を確認する。
歪な音はバツ印の真下の赤い、2つのランプが交互に鳴らしていた。ランプが灯ったまま、音は止む。天を向いていた棒はいつの間にか地面と水平になっている。その前にカナキが立っていた。2つの棒を挟んだ先。人がいる。
『迷える魂は今、生者に導かれました──』
彼はカナキの相棒である、ということか。後ろ姿のカナキに笑顔を向けている。
「──ノイズが酷い──何が起きている──」
乱れた声が腕から流れる。
『──私たちは弔いの民。許されざる民──』
彼に今の状態を伝える。声は途切れ途切れになって何を伝えようとしているのかわからない。何度も聞き返す。辛うじて聞こえた声は
「見るな!」
同時に叫び声。
『──されど、"小さき人"は私たちと共にいる──』
それは断末魔に近い声だった。反射的に儀式の場へ目が向く。
『──されど、私たちは"小さき人"と共にいる──』
声の主はカナキであった。彼はもがき、棒を乗り越えようとするが何かに阻まれている。彼の相棒は──
『──私たちは肉体を解き放ち、"小さき人"は魂を解き放つ──』
──"小さき人"が、村中の"小さき人"が笑顔のままの相棒を埋め尽くさんばかりに群がり──
『──さあ、"小さき人"よ。迷える魂を救ってください』
──あらゆる場所を掴み、あらゆる方向へ強く引き、そして
瞬間、閉じ込めていた記憶が扉をこじ開け、湧き上がる。目の前の光景とそれは重なり、混ざり、溶ける。これは私の大切な人の記憶。これは私の大切な人の──最後の記憶。そして最期の記憶。赤。赤い。それは血と──
喉奥の酸味は口にまでせり上がり、そのまま目の前に吐き出した。何度も、吐き出した。自分の音でそれをかき消したかった。その知っている音を。でも、そうはならなかった。激しく、乱暴な音は辺りを支配していた。
ふと、吐き出したものが目に付く。それは食事会で食べた"最も価値のある料理"。少し前まで料理だったもののの中に何かが混ざっている。それは──人の爪だった。
思わずまた吐き出した。気づいてしまった。私と彼は気づかぬ内に彼を。儀式はもう始まっていたのだ。胃の中を空にするべく嘔吐を繰り返す。罪悪感と不快感、更には記憶の不和が脳を蝕み、涙が絶えず流れ出る。
儀式の音と叫び声は繰り返し続いた。叫びは最早言葉の体を成していない。だが、彼が何を言いたいのかわかってしまった。彼と記憶の私は重なっていた。だから、痛いほど、彼が何をしたいのかわかってしまった。だけど、彼の手が、彼の声が届くことはなかった。
聞こえる音は記憶の音と混ざり合い、視界には赤色が瞬く。何もできない。私にも、彼にも何もできない。膝をつき蹲る。
もう終わってほしかった。逃げてしまいたかった。耐えることなんてできなかった。
めちゃくちゃになった感情は流転し続け、最早制御するなんてことはできなかった。
本能のままに動くしかなかった。自分を守るために。
視界を覆った。しかし、異音が鼓膜を貫き続けた。
耳を塞いだ。しかし、惨劇が視界を支配した。
繰り返した。気づけば喉は激しく音を鳴らしていた。
叫びは響き。
叫びは重なり。
叫びは途切れ。
そして。
それは、崩れ落ち、止まった。
◇◇◇
翌日、私とカナキは早々に朝食も食べずに村を出た。儀式の後、私もカナキも気絶していたようで、気が付くと朝になっていた。そこからすぐに村から脱出したという訳だ。どちらも、もうこの村にいる気はなかった。ユーラは私の儀式ができないことを酷く残念がっていた。確か、別れ際にこんなことを言っていたような気がする。
"来てくれてありがとうございました" "小さき人も喜んでいます" "私たちも喜んでいます" "外にこの村の話をしに行った甲斐がありました" "また来──
いや、思い出すのは止めにしよう。思い出して良いことは、何もない。
2人は何を喋ることもなく山道を下る。そして分かれ道に差し掛かると、2人は一度顔を見合わせ、手を少しだけ上げて別れた。酷く、疲れた顔だった。その目には何も映っていなかった。
葉の揺れる音が笑い声のように聞こえた。私はまた、耳を塞いだ。
集村 - 35
友好度 - 高
異類概要 - 前時代の道路において使用されていた通行遮断機。及びそれに付随する人型の物体。起動すると、起動者の想像した故人が現れ、その人物を人型が"弔う"。過去の記録と比べ、人型の個体数が大幅に増加していた。また、恐らく周囲の環境の変化によって運搬プロセスが消滅していた。
コメント - "弔いの村"と呼ばれるそこでは、村人と人型の異類が共生していた。また、通行遮断器を用いて村人及び旅行者の関係者の葬儀を行っていた。村人と人型の異類はお互いの存在を認めているため、非常に良好な共存関係にあったことを確認できた。
私はもう二度とここには行かない。行ったことを後悔したのは初めてだ。
探索担当 - エニシ
追伸: しばらく休みを貰います。