集村:59 - 唖記"荒野に一人"
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金色の髪が風を切る。道なき道を進んでいくのは私。私の名前はシンソ、得意なことは走ることと止まらないこと。

────もっとも、現在その脚は止まっているのだけれども。

「シンソ、熱の具合はどうですの?」
『限界が近い』
「……何が原因かは」
『多分何か盛られてた』

視線を遮るものは何もない。どこまでもどこまでも広がる荒野のただなかで私は鳩の首の様にゆらつく視線の中、ふらふらと熱に浮かされ歩いていた。

こうなった顛末は単純。異類を調査する"同盟"の一員である私は旅の途中、この荒野でとある一団に同行することになった。お世辞にも信用できる相手といった風貌ではなかったが、旅は道連れ、与えられた食料に手を付けないのも怪しまれる。毒の気配はないと思い、食事をしたのがケチの付け始め。金品目当てか、私の身体目当てか、寝込みを襲ってきた連中はなんなく倒せたのだが、そのあと急に体調が悪くなってきた。ふらつく足で数日歩いたものの、歩けば歩くほど荒野の中に潜り込んでいくようで、一つの民家にも出会えていなかった。

「毒に強いのが人間の利点なのですけどね」
『アレくらいなら大丈夫だと思ったんだけど』
「確かに貴女は多少腐ったものくらいなら平気で飲み下す野良犬みたいな胃腸の持ち主ではありますが」

今にもため息をつかんとばかりのセリフだが、少し優しさが混じっているのは端末のレイジョ。声が出せない私の喉であり、変な言葉遣いに訳す癖がある唯一無二の同行者。軽口を返そうとして足がたたらを踏んだ。縺れる脚、蜃気楼のようにゆらぐ視線。気が付いたら私は倒れ伏し、目の前には荒野の乾いた砂と這うような雑草の埃っぽい匂い。慌てるようなレイジョの声がぼうっとした頭でわんわんと響く。

「ちょっと、シンソ! 死ぬのは許しませんわよ!? 私が錆びてしまいます!」
『レイジョ、ごめん』
「謝るなんて縁起でもない! 貴女は殺しても死なないでしょうに! シンソ! シンソ────」


◇◇◇


目を覚ますと、見知らぬ天井だった。乾いた喉に手をやるとレイジョがない。慌てて動かない頭を無理に動かすと、すぐ近くに籠に収まったレイジョの姿が見えた。安心したのも束の間、おそらく寝台に倒れているだろう私の元へ日に焼けた細身の男が現れた。慌てて話そうとするが、声は出ない事を思い出した。無くして初めて分かる、こんなにも不便なものだったか。歯噛みする私に気付いたのだろう、男がゆっくりと手を取る。思わず振り払いそうになったが、その触れ方で脈を取っているのだと気が付いた。

「目が覚めましたか。いやはや、運の強い人ですね」

深い、大樹の洞を思わせる人を安心させるための声。悪い人間ではない、勘がそう告げ、大人しく目を合わせた。その様子に問題ないと判断したのだろう、男はゆっくりと背に手を回し私の身体を起こし、近くの粗末な椅子に腰かける。こめかみを軽くかき、ゆっくりと大きく口を動かして話しかけてくる。

「私の名前はヤゲ、この村で医者をしています。村の者が不思議な音がすると聞いて見に行ったところ、荒野に倒れていたあなたを見つけましてね」

なるほど、おそらくレイジョが救難信号を出してくれたのだろう。案外集落は近くにあったらしい。礼を言わないのも悪いと思い、レイジョに手を伸ばしてひったくるように口元へ寄せた。『乱暴な! 私が救援を呼ばなければ貴女は今頃ミイラですわよ!!!』とかすかに聞こえたが気にしないでおく。礼は後で言おう。

「ああ、身体を急に動かさないで。まだ毒は抜けきっていないのですから」
「まず、助けていただいたことに感謝を。命を救っていただいた恩、どれほどの礼を尽くしても返せませんわ」

私の口元を読み、レイジョから出された言葉にヤゲは目を丸める。どうしたのかという表情だったのだろう。弁明するようにヤゲが大きく手を振った。

「いえ、気を失っている間色々と診させていただいたのですが、その喉で話すことができるのだな、と」
「……ああ、ええ、そうですわね、それなりの忍耐と妥協の産物、とでも言っておきましょうか」
「なるほど……、人間の身体というものは分からないものですね」

ブツブツと呟くヤゲをよそに再度ゆっくりと周囲を見回す。どうやら私は天幕で仕切られた小屋の中に寝かされているようだった。天幕の素材はおそらく獣の皮。周囲に漂うのは乾いた植物の匂い、香草のような香りもあるが薬草かもしれない。それに混じった糞の匂いからおそらくは羊かそれに近い生き物が飼われている。僅かに聞こえる声から馬のようなものもいるのかもしれない。広さはおおよそ人間が5、6人横に並んでも大丈夫なほどだろう。周囲の観察はそこそこに、自分の身体に目をやった。手足には湿布のようなものが巻かれ、誰かが拭いてくれたのだろう、長旅で汚れていたはずの身体は清潔に保たれていた。

「貴女の身体を拭いたのは女性ですから安心するといいですわ」
『そうなんだ』
「ええ、私は回収されてから見ていましたが、この村、かなり高度な医療技術を有していますわね。簡単な切開手術や原始的な麻酔、衛生の概念も残っているのか加熱殺菌まで行っていましたわ」

医学。山で生きていた私にとってはあまりよく分からないものだが、興奮したようなレイジョの言葉に、なるほど凄いのだろうなと納得する。"同盟"にも医者は何人かいるはずだが、一度話を聞いてみてもいいのかもしれない。そんなことをぼんやりと考えていると、ようやく呟きから戻ってきたのか、ヤゲが私の全身を確認し頷いた。

「うん、それだけ話せるならいいでしょう。ではそろそろ出発できると伝えてきます」

そう言ってヤゲが天幕の一部を開く。そこに広がった光景はどこまでも広がると思えた荒野に多くの天幕が立ち並ぶ光景。その幾つかは畳まれ、家畜や人間の背に乗せられていた。

「旧世代の遊牧民に近い生活様式ですわね。家畜の餌を求めて移動する、牧畜に向かない地域に見られる形態ですわ」

レイジョが小声で補足する。つまり、今私が寝ているこの小屋は移動式の住居なのだろう。

『これは』
「ええ、驚くでしょう」

その中にちらほらと混ざるのは足や手を失った不倶者、目を閉じたままの盲人や、寝台ごと運ばれている老人。だがそういった人々が多く持ち合わせるどこか悲しげな印象は薄く、周囲の人々は当たり前のように笑い、彼らを手助けしている。目を丸めた私に気付いたのか、ヤゲはにっこりと微笑んだ。

「見ての通り、私たちは移動し続ける村なのです。行き会った人からは、"荒野の医者"なんて呼ばれています」

レイジョが私にしか聞こえない声で呟いた。

「荒野を行くにもかかわらず、病人や怪我人を多く抱える医療の村。……異類がらみの可能性が高くなってきましたわね」


◇◇◇


ヤゲらとともに過ごして数日が経った。

その間にすっかり毒は抜けたものの、慎重なヤゲの言葉に従い、まだ居候の立場を続けさせてもらっている。

「診断では二つ以上の軽微な毒を混ぜることで毒性を強めるものが使われたのではないか、ということでしたわね」
『だからか』
「ええ、貴女の動物的な勘でも中ってしまったのはそういうことでしょうね。……もっとも、その状態で数時間動けた時点で獣か何かかと疑われていましたが。出会ったときから思っていたのですけど、貴女を本当に人間に分類してもよろしいので?」

朝飯を食べ、ゆっくりと村の中を見て回る。病人、怪我人を合わせてだいたい50人程度。大人はほとんど全員が医療技術を持っていて、ヤゲはその中でも一番優れているらしい。主な産業は周囲、といってもここから徒歩で数日かかるらしい定住村との交易。家畜の乳や皮、あるいは家畜そのものに加えて、医療を提供している。そういった仕事を行っている人数を含めればおおよそ70人くらい。

『今のところ変わった生活をしてるなってくらい』
「ええ、ですがやはり奇妙ですわ。通常遊牧民とはその言葉のイメージと違い、そう頻繁に移動をしないものです。それがこの村は月が一周するたびに移動しているとのこと」
『確かにそれは不思議だ』

レイジョが言うには遊牧民の大きな目的は家畜に餌を与えること。だから季節に合わせて牧草の多い地域に移動するという傾向が強い。もちろん、この村もそういった部分はあるのだけどそのスパンが非常に短いらしい。理由をそれとなく尋ねてもはぐらかされるし、何かしらあると思うのは当然だろう。ただ、ヤゲの声を思い出すに、この村の人間は、多分悪い人間じゃない。

「証拠がない言説は虚妄と呼ぶのですわよ」
『そうだね』
「……納得しても聞かないのが貴女なので不毛な話はここまでに」

ざりっと地面を踏む音。レイジョが話を打ち切ったのは呆れたからだけじゃないらしい。気配がした方向に目をやると、目の丸い女の子が私に微笑んでいた。

「おはよう、あなたが噂の旅人さん?」
「初めまして、私はシンソですわ。あなたの名前をうかがっても?」
「面白い話し方なのね、それにとっても可愛い。あ、ごめんなさい、私ばかり話しちゃって。私の名前はミナイ」

ミナイと名乗った女の子はゆっくりと私に近づいてくる。

ヤゲの天幕とは違った薬草の匂いがつんと鼻を突く。この匂いは確か……。

「ミナイさんですわね、よろしくお願いいたしますわ。ところで、私この村に来て数日経ちますが、失礼ながら貴女とは初めてお目にかかるような……」
「うん、そうね。私その間ずっとベッドで寝てたから」
「寝ていた?」
『痛み止め?』

そうだ、この匂いはヤナギやケシを使った痛み止めの匂いだ。呟きが漏れていたのか、レイジョが勝手に話し出した。

「……ひょっとして、重い病を?」
「そうなの、頭の中にできものがあるんだって。だから、こうやって外に出れるのも最近じゃ珍しくって」
『レイジョ』
「……軽く走査しましたわ。……おそらくは悪性の脳腫瘍、旧世代の医療技術ならあるいは可能かもしれませんが」
『そう』

治らない病を抱える目の前の少女は、温かい日に照らされた岩の様にただ微笑みを浮かべている。

そうか、なら、私は気にしない。

「この村にはいつから?」
「前の春くらいかな、元々は別の村にいたんだけど、そこからヤゲさんとかに連れられて」
「……? この村は人を招き入れるんですの?」

人を招き入れる。それは不思議な習慣だ。私がこれまでに訪れた村は余所者を好まない事が多かった。

「招き入れるっていうか、人を集めてるのかな。私みたいな人や、間引きされそうになった子とか、お父さんもお母さんもいなくなった子とか。そういう人を集めてたから、この村にはお医者さんが多いんだって」

私みたいな人、というのは重篤な病人や怪我人のことだろう。間引きも作物の育ちにくい地域などではよく見られるし、伝染病や天災などで親が死ぬこともよくあることだ。私も記憶はないが、そういった子ども達の一人だった可能性はある。そういった人間を養う余裕のある村もあるが多くはない。ほとんどの村ではそういった人達に向ける目は冷たく、村によっては特定の場所に捨ててくることもある。つまりはそういった村にとって必要のない人間を、この村は引き取って世話をしているということだろうか?

「……医療があるから村に怪我人を置いておけるのではなく、怪我人を集めたから医療の技術が進んだ、保持されたと?」
『何でそんなことを?』

私の疑問をレイジョがそのまま伝える。

「何故そのようなことをなさるんですの?」
「置いてけぼりにしないために」

置いてけぼりにしないため。その言葉を呟くとき、ミナイは微笑んだ。

穏やかな木漏れ日、暖かな岩。その上でゆっくりと眠った記憶が蘇る。

「この村はね、置いてけぼりになる人を集めてるの」

はにかむ様に、ミナイが手を差し出した。

「ねえ、シンソ、突然こんなことをいうのもどうかと思うけど、友だちになってくれないかしら」
『ああ、いいよ』

握ったその手はとても、暖かかった。


◇◇◇


ミナイと友人になってさらに数日。ヤゲが私の顔色を見ながら柔らかく頷いた。

「うん、大丈夫ですね。もう元通り動いてもいいでしょう」
「感謝いたしますわ」

レイジョを通してはいるが心からの言葉だ。ヤゲ達に拾われなければ私はきっと死んでいた。

「いえいえ、治療には十分な物資をいただきましたしね。もう発たれますか?」

確かに体は治っている、毒もこの様子だと抜けきっているだろう。だが、私にはあくまで"同盟"の一員だという自覚もある。ミナイとの出会いから改めて村のメンバーに話を聞いて回っていたが、皆微妙に言葉を濁していた。異類に関することなのだろうかとも思うが、村の中に確証はない。ミナイもあのあとは他愛もないお喋りばかりで、詳しいことは伝えてくれなかった。何度か聞き出そうとするうちにすっかり仲良くもなってしまった。もっとも、私がこれまでに書いたものを見せたり、ミナイの故郷の話を聞くのは悪くなかった。

「まだもう少し滞在しようとは思っていますが……」
「それは、……よかった」

言葉とは裏腹にヤゲの瞳は僅かに泳いだ。声も若干とまどいの色を乗せている。だが、それは一瞬のことで、ヤゲは深く息を吸い、腹をくくったような笑みを浮かべた。

「実はあと数日で祭を行うんです。私たちの村では年に四回、祭を行っていましてね」
「祭、ですか」
「ええ。……先に謝っておきますね。私たちはシンソさんが村のことについて調べていることに気づいていました。そのうえで、皆で示し合わせて黙っていたのです」
『やっぱりそうだったのか』

頭を下げるヤゲ。悪意を感じないその仕草に、レイジョはどこか毒を抜かれたようだった。

「余所者に内部の話をしないというのは当然といえば当然ですわね。謝ることではありません」
『レイジョ、この村は人を迎え入れる村。そういうのはないんじゃない』
「……そうでしたわね。内外の境界が曖昧なこの村で隠す必要は確かにない」

そう。この村はミナイが言ったことが本当なら、他所から人を集めてくる村のはずだ。なら、他所から来た、という理由で隠す必要はない。レイジョの言葉にヤゲはまた視線を泳がせる。まだ何か隠しているのだろうか?

「気づいていましたか。面目ない」
「ええ、ですから疑問なのです。この村は人を迎え入れる性質があると聞きましたわ。ならば余所者への意識は比較的緩やかなはず。だというのに何故隠したのですか?」
「……そうですね、ただの旅人であれば話したかもしれません。ですが、シンソさんは」

ヤゲはそこで誰かの気配に気づいたのか言葉を切る。

背後の天幕をあげて現れたのはミナイ。笑顔を浮かべヤゲの言葉を引き取った。

「今年の祭の主役は私なの」
『ミナイ』

珍しくレイジョが私の言葉を反映するタイミングが遅れた。口元でかすかに震えるような感触。おそらくレイジョはその祭の意味を探っている。ヤゲが慌てたような仕草を見せたが、ミナイが目を合わせると手を下ろした。

「ミナイさんが?」
「うん、楽しみにしてね」
「ええ、もちろん」
『私も楽しみだ』

ミナイの表情に不安はない。彼女の病状は改善しているといえず、寝込んでいる日も多いはずだ。それが祭の主役など務まるだろうか。そんな疑問を引き取るように、ヤゲが少し目を伏せた。

「……何にせよ、祭の際にお分かりになると思います。どうかそれまで、ゆっくりと過ごしてください」


◇◇◇


ガヤガヤと薄暗くなった夜空の下に声が聞こえる。冷えた空気を深く吸い、畳まれていく天幕と積み上げられた薪を見る。祭が終わると同時に、彼らはここから移動するのだそうだ。薪の周囲には片付けを終えた村人が車座になり、何を話すともなくゆっくりと時間を過ごしている。家畜の鳴き声が夜空の遠くへ向けるように響いた。

『……祭なのに移動の準備を始めるのか』
「船の進水式にせよ、移動の際にはセレモニーを開く事例は多く見られますわ。それは旅の無事を祈るため、分かりやすいといえば分かりやすいですわね」
『なら問題は』
「このどこにミナイさんが主役となる要素があるのか、ですわね」

私の方を誰かが叩く。振り向くとそこにミナイが立っていた。

「シンソ、どうかしら?」

真っ白な布で縫われた祭服。頭には花冠を乗せ、篝火に照らされ丸い目は穏やかに笑っている。

『綺麗だ』
「ええ、似合っていますわね。姫君のようですわよ」
「ありがとう、ねえ、シンソ。私ね、あなたに会えてよかった」

私も、きっと良かったと思っている。

そう考えて、私自身が一番驚いた。人とのかかわりを蔑ろにしていたわけじゃない。"同盟"の探索者という仕事柄、むしろ気を付けていた方だと思う。だが、どこかで違うのだろうと思っていた。それはずっと森の中で暮らしていたこともあるだろうし、この、人とは違う喉のせいもあるだろう。だから、別にレイジョ以外の誰かと仲良くなることは考えていなかったし、きっと最後は一人で死ぬのだとどこかで思っていた。

「私もそう思いますわ、ミナイさん」

冷たく考えれば、そう良かったと思えたことは誰でも良かったのかもしれない、私を友だちと呼んでくれる人間なら誰でも。……でも、ミナイと出会って、私はきっと良かった。それに気づけたことは、嬉しかった。

「そろそろ時間ね。祭のときはみんなでね、歌を歌うのよ」

ふと気づくと、月がかなり高い位置まで来ていた。すっかり天幕は片づけられ、家畜が部品を担いでいる。篝火の方からヤゲが手招きをしている。うん、と頷き、ミナイの手を取って村人たちの元へ向かう。中心の篝火、その横にはよく見ると台のようなものができていて、食料を始めとして色々なものが飾られている。おそらく祭の主役の席。つまりはミナイの席だ。ふ、と何かが気になって背後に続く荒野へ目線が向く。広がる闇は私の目でも見通すことはできない。

「シンソ?」
『……何でもないよ、レイジョ』

レイジョに応えていると、ふわりと巻き取られるように私の手からミナイが離れていく。ミナイは少しだけ振り返ると微笑んだ。いつものように、その笑顔のままで。ミナイは。

「最後に出会えて、よかった」
「……最後?」

言葉の意味を反芻できないまま、ミナイが祭の席に着く。ヤゲの隣に座った私に、村人の視線が集まった。その視線は不快なものではない。だけど、どこか、どこか────。

「では、これより」

ヤゲが深く、響く声で祭の始まりを告げ、全員が立ち上がった。私もそれに倣う。




「置いてけぼりになるミナイへ、別れを」
『……え?』




理解ができなかった。レイジョも同様に、言葉を出すことができていない。

『待って』

ミナイの元へ駆けようとする。そうなると分かっていたのだろう、ヤゲや他の村人が私を取り押さえる。でも、その拘束もとても私を傷つけるものではなくて、腕を振るえば病み上がりの私でも振り切れる。それを分かってしまって、抵抗を諦めた。そんな私を見て、ミナイは悲しそうに微笑んだ。彼女はいつも笑っている。

『待って、ミナイ』
「お待ちなさい、ヤゲさん。置いてけぼりにする!? どうして」
「……私たちの村はそうなのです。一年に四度、私たちの中から一人置いてけぼりにするのです。祭はその置いてけぼりになる人間を憩うもの。それが出会うまでのしばらくを慰めるもの」
「それは、村を守るためですの!? そのために病人や怪我人、身寄りのない孤児を集めているんですの!?」

それはない、レイジョも分かっている。この村は私が来てからずっと誰も誰かを置いてけぼりにはしていない。私を抑えている村人の何人かは、本来ならここで今生きていない人かもしれない。この村は誰かを助けるために医療を学び、それを使っている。

「……一人の犠牲で多くを救おうとしている。それが事実である以上何を言っても言い訳になってしまいます。シンソさん、あなたの仰る通りです。私たちはそのために人を救っているのでしょう」

でも、ヤゲは頷いた。泣きそうな顔で。

「……何故、そのようなことを」
「……私たちの村が置いてけぼりにしないために旅をし続ける村だという話はしましたね?」
「ええ、聞きましたわ」
「それは真実です。言い訳だと言いましたが少なくとも私たちはそれを方便だとは思っていない。……ですが、私たちが置いてけぼりにしない相手はもう一人いるのです。旧世界の遥か昔から、一人きりで彷徨い続けざるをえない彼を、我々は置いてけぼりにしないために」

ヤゲの言葉に、レイジョが震えた。端末が仄かに光り、その結果に行き当たる。

「まさか……、まさか……!」
「……歌を聞いてもらえますか。この歌は祭りの最後に歌われるものです、この祭りの、村の由来を歌うものです」

私が頷くと、ヤゲを中心に村人が歌いだす。深く、深く、沈痛な。荒野の闇に染み渡るような旋律で。





遠き過去より男は一人 荒野を一人彷徨いて 

男は誰かに会おうとも 誰かは兄弟に奪られゆく

遠き過去より男は一人 荒野を一人彷徨いて

誰かに水を求めんや 誰かに救いを求めんや

死することなく彷徨いて 遠き過去の罪を負う

我等はまた最期は一人 ならば男に会おうとや

三つの兄弟を欺いて 死するその時を語ろうや

遠き過去より男は一人 我等もまた最期は一人

三つの兄弟を欺いて 死するその時男へ水を





歌が終わり、荒野に静寂が戻る。既に拘束は解け、私は自由になっている。

「……私たちの村は、彼のための村なのです。私たちを追わせ多くの人々を傷つけぬための」
「人に出会うとそれを死に至らしめるのに、出会わざるを得ない異類。どこでもない地から訪れる者……ああ、だからあなたたちは荒野を行くのですか。自らをビーコンとして、異類によって滅びる人の少なくなるよう」
「私たちの後を追う限り、彼は他の村に向かうことはない。そして私たちは治せるものを治し、死にゆく者を彼の元へ送り、彼の孤独を慰める。……最初がどうだったのかは分かりません。ですが、彼は既にこの村の一部なのです」
「そう機能してなお、あなた達は悲しむのですわね、悼むのですわね。そういうものだとするのではなく」
「ええ、それを忘れては、私たちがこうしている意味はなくなるのです」

レイジョも、私も言葉は出なかった。その沈黙を、ヤゲが静かに破る。

「……ええ、酷いことだと思います。ですが、置いてけぼりにされた者は、置いてけぼりにされる哀しみを知っている」

この村にいるのはどこかで置いてけぼりにされた人。

それが肩を寄せ、互いの傷を癒し、そしていつか、一人の心を慰めるために、世界を守るために死んでいく。

『……だとしても、私は』
「だからといって! あなたたちは、彼女たちを置いてけぼりにしないために連れてきたのでしょう!?」
「……申し訳ありません。やはり最初から話しておくべきでした。あなたが、ミナイの友人となったと聞き、躊躇ってしまった私たちが悪いのです。……あなたがミナイを助けようとすれば、それは私たちすべてを傷つけ、彼を傷つける結果になる。そう考えてしまいました。……あなたが傷つくことから、目を逸らしてしまっていた」

ミナイと友達になったことが、この事態を招いたのか? なら、私は彼女の友達にならなかった方が良かったのか?

「……あなた方が何と言おうと、ミナイさんと友人になったことを後悔はしませんわ」
『レイジョ』
「ええ、私たちもそうは思いません。彼女の友人になってくれて感謝します。シンソさん」

何を言えばいいのだろう、何に怒ればいいのだろう。振り上げたこの感情は、どこへ持っていけばいいのだろう。私はきっと彼女と、この村と出会えて良かった。でも、だからこそ私は今こんなにも。

「大丈夫、シンソ。私は一人じゃ死なないの」
「ミナイさん」

いつの間にか震えていた私の手を、あの時と同じようにミナイの暖かな手が握る。

「この荒野に、一人きりで進んでいくなんて悲しいもの」

穏やかな木漏れ日、暖かな岩。それを思い出す。

「だから、私は最後にそんな人と一緒にいて、話をしようと思うの。シンソ、悲しまないで。頭が痛くなってから、ずっと一人で死ぬんだと思ってた。長い道の先に、ぽっかりと穴があって、そこに一人で吸い込まれていくの。怖い、とても怖くて、虚しくって。でもヤゲさんたちに会って、この村に来て、超えられないと思ってた冬を超えた。そして」




ああ、そうか、私はこんなにも。




「あなたにも会えたのよ。シンソ」




友達との別れが悲しいんだ、私は。




『レイジョ』

何を言うまでもなく、レイジョは僅かに震えると、私の言葉をそのまま引き取ってくれた。

「……なんで、なんで出会えたのに」
「私は精いっぱい生きた。私にはもう時間がない。なら、その時間を誰かに使ってあげたいっていうのはわがままかな?」
「わがままだ、わがままだよ。ああ、なんでこんな気分になるんだろう、私はなんで、こんな」

言葉が出てこなかった。何かを伝えたいのに、何も言葉にできなくって。私はレイジョと一緒になって話せるようになったし、書き起こすこともできるようになったのに、今は何も出てこない。

「シンソ、じゃあわがままをもう一つ。私のことを書き残して。あなたはお話がとても上手だから。きっとみんな私の話を読んでくれるわ。そして、ずっと先に誰かが読んだ時思い出すように。私の友達が、私を思い出せるように」

答えるまでもない、何枚だって書くだろう。いつも笑っていた私の友達のことを。今は言葉にできないこの感情のことを。

あなたを置いてけぼりにしないために。

「ミナイ、私の友達。なら私からもわがままを言わせてほしい」
「いいよ」


◇◇◇


「シンソ、荒野を抜けますわよ」
『分かった、食料を補充しておかないと』
「まったく、何日飢えても平気なくせにころっと死にかけるんですから」

医療の村を去り、荒野を数日進んで、ようやく植生が変わってきた。馬を貸してもらうこともできたが、私は走る方が性に合う。走っていると、色々な考えが風に抜けていく。ヤゲからこれからの旅に役立つ薬をいくつか分けてもらったから前みたいなことになることはないだろう。簡単な傷の縫い方や、焼き潰し方も教えてもらった。走りながら思う。あの村に出会えて良かったと。

『ごめんね』
「あら素直、雪でも降るのではなくて?」
『いや、私が死んだらレイジョが置いてけぼりになるから』

私の言葉に、レイジョがしばらく黙り込んだ。当然だが、私が死んでしまったらレイジョも一人になる。きっと私よりレイジョは長く生きるのだし、それは多分、その時にならないと分からないけど悲しいことなのだろう。

「オーッホッホ! 何を殊勝なことを! どうせほとんどの人間は私より先に死ぬのですわ。そんなことを心配する暇があるなら、自分の心配をなさい!」
『そうだね』

いつもの調子で高笑いを響かせるレイジョ。荒野に声は置き去りになっていく。さようなら、穏やかな日のような友達。私はもう少しだけ走ってみる。得意なことは走ることと止まらないことだから。

「大丈夫ですわよ、シンソ。貴女を置いてけぼりにはしませんわ」
『何か言った?』
「いえ、何も。耳も診てもらった方がよかったのではなくて?」

集村 - 59

友好度 - 高

異類概要 - 不死の老人。出会った人間は例外なく死亡し、触れた物品は例外なく破壊される。

コメント - 医療技術が発展しているため、何かしらの負傷、病気を得た人は出会えるかどうかはともかく一度訪れるといい。村は異類へ定期的に村人を提供するが、私たちが否定することはできないだろう。最後の瞬間、誰かと共にありたいという願いくらいはきっと許されてもいいはずだ。

探索担当 - シンソ

報告担当 - レイジョ

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空白
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彼の前に現れる人々が語りかけてくれるようになってからどれほどの時が経っただろうか。肯定することはできないが、彼はそれでも進み続ける。隣で眠るように目を閉じた少女の頭を撫で、立ち上がると渡された紙片へ目を通す。彼の得るものは全てが壊される。彼の過ぎた後には全てが破壊される。だから、その紙片も砂のように崩れ落ちる。

ただ、彼の記憶にだけ残って。

『穏やかな木漏れ日、暖かな岩のような笑顔。あなたも出会ったはずの、彼女の名前はミナイ────




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