未来の情景

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フランス、パリの大通りに広がる柔らかな青をした空。優しい風が曲がりくねった通りを流れていき、通りにあるにぎやかなレストランたちの日よけを揺らしていた。時には、通りが互いに出会い、小さな広場を作っているのだろう。古風で趣のある小さな噴水か、小さな中庭の中心にある彫像が、観光客の喧騒に囲まれている。

O5-13はそんな人々の交わる場所の小さな木製のベンチに座り、行き交う人々を眺めていた。オネイロイ・ウェストでは、「人々」は曖昧な言葉であるが。結局のところ、これはドリームスケープでしかない。時折、奇妙に見える外見をした者同士の争いが勃発したが、サーティーンはその多くは存在に飽きてきた純粋なオネイロイのせいだろうとしていた。ここでお手上げになる前には、彼はオネイロイの夢のいくつかが混沌としている原因こそが純粋なオネイロイであると確信していた。だが今となっては、この場所はその確信よりも少しばかり複雑に思えた。

あらゆる騒音も関係なしに、サーティーンは彼自身というものを楽しんでいた。こういった場所は彼の頭を休め、財団のことを忘れさせることへの大きな助けとなっている。彼は自分をどこかただ普通で、内側からというよりも、外からの狂気を経験しているかのように偽った。

ほんの一瞬、全てのものがその場で動きを止め、嵐のような騒がしさが突然に止み、スイングは途中で拳が凍り付いたかのように動かなくなり……その後何の前触れもなく再び動き出した。オネイロイ・ウェストの性質上、夢を見ていた人物が目を覚ました場合、ドリームスケープは別のホストへと移動を余儀なくされる。だがパリのような場所では、数多くのホストがいるということは珍しくない。区切られた世界において必要不可欠なのはその事実だけだった。こういったことは現在、ほとんど当たり前のこととなっているのだが、研究者としての彼を惹きつけてやまなかった。

何人かの純粋なオネイロイが向かってきているのを見た彼は、立ち上がるとベンチに座るように促した。彼自身は純粋なオネイロイを一人の人として見ていたが、純粋なオネイロイ達は彼のことを訪問者、自身らよりも劣っているものとして扱っていた。

様々な文化圏の料理の匂いが混ざった空気が漂う、丸石の敷き詰められた通りを歩いていると、背後から小さな声で話し合っているのが聞こえてくる。彼もその他大勢の旅行者と何ら変わりないので、自分に関係のあることではなかろうと決めつけた。ゆっくりとした足取りで通りを歩いていると、他の音とははっきり異なる音を耳にした。風情ある丸石の通りに、手入れの行き届いた靴の音がこだまするのに続き、先ほど聞こえてきたささやき声が耳に入ったらしい。

足音が近づいてくると、サーティーンは足音の主が通り過ぎるまで端に避けたが、その人物は歩く速さを落とし、サーティーンに足並みを合わせた。オネイロイ・ウェストに属する人達は、皆外見に大きな相違があるため、奇妙という概念は本来使用されるものでは断じてないが、この男については何らかの「ずれ」があった。

その実体はよく見るような黒くて丈の長いフェルト製のジャケットを羽織り、その下にはTシャツとジーンズを身に着けていた。その顔は黒い仮面の下に隠されており、頬の部分には金で「1」とある。

「O5-13、で間違いないかな?」そう言う声は耳障りなのに、落ち着きをくれるようなものだった。風変わりな外見に優しい父親を感じさせる声のトーンだ。

「実際は、アーク博士って呼び方の方が好きだけどね。どうしたら君を助けられるのかい?」

「私はパイドロスだ、ただ話をしたいと思っている」

「初対面の方からすれば、さながら疑わしく聞こえてしまうね。残念ながら厄介な身代金という人質は用意できないよ、もしそれが求めるものだとしてもね?」

「いいえ、いいえ、申し訳ない、君に付け込もうというわけではないんだ。君の異常存在の保管と優れた収容方法に興味があってね」

「まあ、私自身ならこんな言葉選びはしないんだけどね、私は時に、人々へ手を差し伸べている」サーティーンはドリームスケープ内にこれほどのクリアランスレベルを持った財団職員が他にいるとは思わなかったが、有り得ないわけではないとは考えていた。

「心配はいらないよ、君の倫理委員会での施策は聞いているからね」

施策とはいささか不正行為のような聞こえですね、私は彼らの成長を支援し、その拍車をかけているだけですよ」

「つまりは近頃の急展開に動揺を隠しきれない、ということで良いかい?」

「あなた、イレヴンのところのエージェントではないのですね?」

「ええ、違うとも。それに私がイレヴンのところのエージェントだったとして、彼は現在問題に……直面している。彼は君を調べる可能性が最も低い人物の一人さ」

「ふむ、なるほど。あなたの要求を拒否すれば同じ問題で私をゆさぶるおつもりで?」

その人物は笑いそうになるのを押し殺す。「本当に疑いの目以外向けていないのだね、そうだろう?仕事と同じことだと思うが。もしも、君の縄で締めるという比喩が驚いてしまうほどに正確なものだったらどうする?」

「どういう……」

「少し不適切な質問だったようだ。失礼」

「わ、私にはあなたの比喩が何を言いたいのか全く理解できません。最悪な仮説でした」

その人物は日陰が辺りを覆う細い路地に隠されたようにある小さなベンチを指さす。二人は長いこと歩き続けていたので、群衆はかなりまばらだ。サーティーンは慎重に着座すると、隣に座る人物を一瞥した。

奇妙な男がコートに手を入れ、サーティーンは恐怖を感じた。

「落ち着いて。これを見てほしいんだ」

サーティーンは差し出された三枚の写真を受け取る。写真には、近頃形成されたばかりだろうクレーターに、建物の残骸が埋まり、周囲には死体が散らばっている荒廃した様子、空が炎のような臙脂えんじ色に染まっている様子、四肢が不自然な角度に捻じれ曲がった白衣姿の男女が、積み重なって横たわっている様子が写されていた。

「二つ質問があります。どこでこれらの写真を手に入れたのですか?また、この夢の中において私関係で何かうまくいかないことでもあったのですか?」

「最初の質問だが、これらの写真は君の暮らす地球と酷似した地球のものであり、君が口で言う隣人というものよりも近いところで手に入れた。その次の質問だが、人間型の異常存在の収容違反を許し、その中の一体は不幸にも少々狂暴化してしまった。このことは一つの収容施設だけのことに留まらなかった」

「そうでしたか。なぜこのような話を私に?」

「このことを防ぐために手を貸してもらいたいんだ。君が私のことを信じない、信じられない理由は分かる。数日中に連絡するよ」

その人物は肩越しに何かを空中に弾くと、くるりと向きを変え去っていった。サーティーンは無意識に空中に弾かれた何かを掴んでいた。

「私に連絡したい場合は、誘引の碑板よマニェーテ・ラーピデュと繰り返し唱えてくれ」

そう言うと、その人物の輪郭は景色に溶けていき、消えていった。サーティーンは真ん中が銀色に輝き、金で縁取りがされ、「AV」と文字が刻まれていたコインに指で触れる。彼は深く考え込んだ様子で空を見上げると、家へと戻る道へを開いた。彼は自身の持つ考えなければならない沢山のことを通じて、今週何が起こったとしても、それは面白い方向へ行くと確信した。


二日後

「サイトの全機動部隊へ警告、報告は施設の南棟にお願いします。繰り返します、西棟の全機動部隊へ。収容違反が発生しています」

「なあ司令さんよ、何が起こってんだ?」

「五体の人間型異常存在が同時刻に収容違反を起こし、そのうちの一体は、強い力を持っているわけではないようですが、現実改変者と思われます。この五体に関係性は確認されていません」

「俺らが主に扱っているのはオブジェクトだろ、なのに何で今ここにいないといけない?」

「追加で人手が欲しいのでしょう、彼らの意識を専門家たちの方へ向ける必要がありそうですね」

「異議なしだ」


O5-7: 倫理委員会はあなたが贔屓している計画でしょう、サーティーン?件の異常存在のうち4体はあなたの管轄下でした。何があったのですか?

O5-13: 私の予算とスタッフを削減するに投票したのはあなたでしょう。なのに滑稽ですね。この件がそちらにとって、少しでも目を丸くして頂けるようなことでしたら幸いです。また、「倫理委員会の交流を全面的に減少させる」というあなたの案のおかげで、実際に倫理的観点の担当者が就いていたのは、今回収容違反を起こした異常存在のうち一体だけでした。

O5-5: ご自身の議題を推し進めようとするのはもう結構。ワン、収容違反の発端となったのが何か分かりますか?

O5-1: 私が聞いたところによれば、件の現実改変者は自身の収容セルの外側に設置されたSRAへと過負荷をかけ、それを爆発させることでドアの耐久性の低下を引き起こしたとか。彼は今までに研究員達が考えていたよりも遥かに強力なようですね。

O5-2: 生きとし生けるもの、ストレスが多くかかる環境下ではより力を増していく傾向にある、そうでしょう?

O5-7: サーティーンを弁護するおつもりですね?

O5-13: トゥーはただ既知の現象を指摘しているにすぎません、セヴン。何をそんなに苛立っているのですか。

O5-2: 今回の異常存在のうち三件に関与した研究者は偶然にも、セヴンの管轄する部門の人間でしたね。

O5-3: それは事実だ。だが、セヴンが何人のスタッフを管理しているか考えてみろ、何ら奇妙な話じゃない。

O5-4: こんな些細でつまらん喧嘩を無視して、全ての人型実体が収容室に戻ったと信じられると思いますかね?

O5-3: 一体を除いてね。捕獲時に、彼女は殺害されてしまった。事故だ。

O5-11: それは大層、運がなかったな。

O5-1: 分かりました、この話は行き詰っているようですので、会議はまだ早いですがこれにておひらきとしたいと思います。

O5-2: サーティーン、会議後にまた話しましょう。

O5-13: 分かりました。

[O5-1、O5-3、O5-4……が退室しました]

O5-13: あの、トゥー、助力に感謝いたします。要件は何でしょうか?

O5-2: あなたと同意見の者もいるのですよ。くれぐれもお気をつけて。

[O5-2が退室しました]


サーティーンが会議用のアプリを閉じようとすると、「不明な人物」から、新たな音声通話のリクエストが現れる。彼は警戒しながらも、リクエストをクリックで承認した。

「また会ったね、アーク博士、すぐに話すことになると言っただろう」

「招いてもないのに現れるとは、不躾なお方ですね。とりわけ、私が心に思い描く、個人の安全という幻想をぶちこわしになさったところが」

「なんと、君のセキュリティは非の打ち所がないほど素晴らしいものだ。私にはただ……それを回避する合法的ではない手段があってね。どうだったかい?ショーは」

「結果的にはあなたのせいになるってことですかね?」

「君は私を誤解しているね、アーク博士。そこに関して私は一切干渉していない、単に私の主張を表すにぴったりで便利な手段があるんだ」

「現実改変者が丁度、極度のストレス状態にあったなんて教えてくださるおつもりで?」

「それだけじゃない、何人かの研究員は被験者が予想もしないような侵害的テストを行っていたらしい。そりゃあ誰でも怒るよ」

「どうしてそんなことをご存じで?その情報のほとんどはO5レベルに分類されています。あなた以外に他の誰かが入っているのでしょうか?」

「君の安全なネットワークへの侵入は容易なものだったよ、アーク博士。君やその部下を脅迫したいだけなら、もっと簡単な手段があるのだよ。君には私を信じてほしいだけなんだ」

サーティーンを計るかのように、パイドロスの話す声が止んだ。

「納得しきっていないようだね。あるものをお見せしよう」

刹那の間、サーティーンの視界は輝く光一色だったが、やがて黒く塗りつぶされてしまった。


サーティーンは眼下に広がる砂漠を眺めやると、感じていた吐き気も治まっていた。数メートル前方には、遠くの何かを観察している者が、やめるつもりもなく座っている。サーティーンがゆっくりと眼を見開くと、昔からの親友であり教え子だった男性が視界を埋め尽くしていた。

声高に自身の名を告げるサーティーンに対し、パイドロスはそんな彼の腕をつかむ。

「そこにいるのは君の記憶にあるジェームズではない。君も見たろう、サイト-41の大規模な収容違反と、彼が殺されたところを」

「でも……彼の声を聞いたんだ、私に話しかけてきて、シミュレーションの間だけでも言葉を交わせたのに」

「少し前に話した通り、私たちは君を長いこと監視していてね。代わりの者を連れてこなければならなかったんだ。どうか悲しまないでくれ、この方は君と親しくした時間を楽しんでいたそうじゃないか」

パイドロスは小型のリモコンを取り出すと、サーティーンがこの砂漠で発見した新たな人影を目で追った。「君自身で調べて、私の話を裏付けてくれ」

サーティーンが遠くを見渡したところで、見えるのは何マイルにも広がる砂漠だけであった。優しい圧力はサーティーンに砂漠を見下ろせと告げ、砂上をゆっくりと渡る人影へと導いた。背が高く、痩せた人型生物。白衣姿に真っ黒な髪を持ち、同じ色のTシャツは無地だ。彼が目にしているその人物は白衣を砂の上に落としていまった。小さな銀片がサーティーンの目に留まる。そこには「アーク博士」と記されていた。

「だがどうやってこの光景を見ている?どうやって私はここにいる?」

「君一人では無理だ。私が人工的にオネイロイの環境を創り出し、感覚神経から伝達される刺激を、私のドローンに接続しているんだ。どうして君がここに来たのかというと、より多く、具体的な証拠を欲していたからさ」

「今私の置かれている状況からするに、これが具体的とは言えませんね」

「新入りには頬をつねらせ、砂の上に横たわってもらうことが多いが、生憎、君の肉体はここにはないからね、出来ないさ。私が私をつねったところで、役立ちそうにもない」

「この場所が正確には何なのかについて、あなたを信じることにしてみましょう」

他にすることがないといった様子で砂を指でかき混ぜていたパイドロスが顔をあげた。「未来へようこそ、アーク博士。それも絶対的に美しい未来に、ね」


視界が戻ったサーティーンは椅子へとゆっくり座りなおしたが、その手は彼にしか分からないくらい微かにだが震えていた。「ええ、最大限、きっちりと聞かさせていただいていますよ」

「怖がらせてしまったことについてはすまない、あれが君に信じてもらうための最短ルートだったんだ」

「それで、私の方からは何をすれば良いのでしょう?『信頼』のためだけにあなたがこんなことをしないのくらい分かっていますよ」

「当然だとも。時は我々を流れに逆らって泳ぐ魚のような心地にさせてくるが、丁度良いところにある岩が流れを変えてくれることだってある」

「鏡の前で練習でもしたんですか?」サーティーンは小さな涙を拭うと、皮肉めいた笑みを浮かべながらもそう返す。「私に岩にでもなってほしい、とお思いなのですね」

「そうなってもらえれば、双方の利益に成り得るからね」

「そんな計画があるのですか?」


「アンダーソン・ロボティクス、という名前を今までにどこかで聞いたことは?」

「もとはヴィンセント・アンダーソンとフィニアス・フロストマンによって設立された、異常性のあるテクノロジーを扱う小さな企業だね。とはいえ、それも数年前に君の同僚のせいで彼の経営は総崩れ。今はノア・フロストマンというフィニアスの孫が経営している」

「でしたら、フィニアスの子孫が財団の人間と共に働きたいと思うかはといえば非常に疑わしいでしょう?」

「そこは心配ご無用、我々が話の方は担当しましょう。必要な技術を発達させるためには君の助力が不可欠だ」

「そもそも、そういった技術は何のために必要なのです?」

「アンダーソン・ロボティクスは"セイカー・ユニット"で名を馳せている。あれも本質的には人類を模倣してデザインされたアンドロイドだ。ノアの助力があれば、あなたが行こうとしているナンセンスな現実世界でも使える体を用意できる」

「あなたもまた、この嵐を乗り越える手段を持っていると信じろと?」

「当然だとも、企業秘密だがね」パイドロスがそうウィンクしてきたが、サーティーンにはそれが妙ちきりんなものとしか感じられず、大きなため息を吐き出してしまう。

「とにかく、仮に全てが実現した場合、そちらは私が到着するまで新しい世界をしっかり見てくださるということでよいですよね?」

「心配ないさ、私の同僚の多くは財団職員だった経歴があってね。彼らもこの計画の成功には強い関心を持っている」

「そのことについてですが、私たち財団は昔から多くの要注意団体を記録してきました。しかし、あなたのような方については一度も目を通したことがない」

「ああ、そうだろう。我々はレーダーのように、君の下で君を探知し、事態が最悪な方向へ向かい始めた場合を除いて、介入はしない。我々のことはアーキビストと呼んでくれ、遠慮はいらないよ。我々はいついかなる時でも、歴史を保護し、監督している」

「大半の疑問への答えは得られましたが、詳細に関しては何も得られずじまいといった感じが否めませんね」

「実を言えば、もう少し良いところで話ができたらと思うよ。幸あれ、アーク博士」

そう言うと彼は姿を消してしまい、サーティーンは背筋が凍り付きそうなほどの恐怖の中に置き去りにされてしまったような心地がした。今までにいくつのK-クラスシナリオを財団は回避してきただろうかと考えてみると、財団が無敵の組織であり、異常存在という流れに逆らいながら佇む岩であるように感じられた。しかし、岩は時に浸食され、時に水底へと沈んでしまう。

頭の中では思考が渦潮のように渦巻いているが、彼自身はこうなることを予期していたように、妙に平静を保っていられた。


彼は知っていると思い込んでいた世界へさよならを告げる。

ベラーが生きた世界へようこそ。


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