
題名: 合奏
作者: チェライズ・シュルツ
私は展示会に出品した絵画を眺めていた。幾度となくガラクタを売りさばいてきたが、この『合奏』と題された絵画は文句なしに本物と呼ばれるべき美術品だ。オークションの目玉となるのは間違いないだろう。絵画の隣には作者及び作品名、作者からのコメント等が掲げられていた。『合奏』の作者のシュルツ女史はMC&D社お抱えのアナーティストではあるが無名の新人だ。本来なら格式高い展示会に出品できる立ち位置の芸術家ではないのだが、とある事情により起用される事となった。
今回の展示会には『無名の墓碑』と題された作品が展示されている。MC&D社は持ち前の情報網を駆使し、『無名の墓碑』の異常性を展示会前に把握する事に成功していた。『無名の墓碑』は芸術作品を鑑賞する際、その作品の不要な背景知識を違和感なく忘れさせる性質を持つ。作者は異常性により芸術品が適正に評価される事を期待しているようだ。だが、例えば芸術知識の無い幼児の評価が適正な芸術品の評価と言えるはずも無い以上、忘却の範囲はかなり限定的なはずだ。
この『無名の墓碑』の作者は有名なアナーティストだ。彼の事は新人時代から知っている。長らく連絡は取っていないが、売れない時代には私もパトロンとして支援していた。野心と才能があり、努力を惜しまない男だった。人気が出てしばらくは喜んでいたようだが、何を作ってもマネーゲームの道具に使われる事に悩んでいたと聞く。『無名の墓碑』の下に眠っているのは昔の彼自身だ。
だが、物の価値とは様々な要素から作り上げられていくもので、評価した人物の意図は必ずどこかしらに含まれる。私から見れば求める人がいる限りその価値は全て適正だ。そして、その価値を思いのままに作り上げていく事こそがMC&D社の目的だ。アナーティスト如きが無い物ねだりで踏み荒らして良い領域ではない。死者は墓碑の下で眠り続けるべきだ。
この展示会で彼の目論見を潰すのは簡単だ。作品を潰してしまえば良い。とはいえアナーティストというのは厄介な生き物だ。作品を潰せば彼はより手の込んだ物を作り上げ、今以上に厄介な事になるだろう。作者側を潰そうとしても、彼の手を潰せば足で、足を潰せば口で、口を潰せば他のアナーティストが別の形で同様の作品を作り上げるはずだ。彼らの流儀、つまりクールなやり方で埋葬してやる必要があるだろう。
「随分と楽しそうですね」
振り返ると、顔見知りの評論家の顔があった。
「ええ、やりがいのある仕事が入ったもので」
「そうでしょうねえ。一体どこからこの『合奏』を見つけてきたんです?」
「そこは企業秘密と言う事で」
評論家は深いため息を吐いた。
「私も一度はこんな作品を手にしてみたいものです」
「この後のオークションで手に入れれば良いでしょう」
私の軽口に評論家は目を白黒させた。
「勘弁してください。これを手に入れるとなったら2億ドルは下らないでしょう」
「でしょうね」
「全く貴方も人が悪い……」
評論家は苦笑すると『合奏』の鑑賞に戻った。展示会が終わるまでの間に目に焼き付けようとしているのだろう。評論家達がこのくらいの反応を見せてくれなければこの『合奏』を出品した意味が無い。
シュルツ女史は他の芸術家と繋がりはなく完全な独学で絵を描いている特異な人物だ。シュルツ女史の描く作品はまさに本物だが、彼女が表舞台に立つ事は無いだろう。それもこれも、シュルツ女史自身も気付いていない異常性によるものだ。シュルツ女史が描いた絵はその異常性によって本物と判別不可能な贋作に変化する事が分かっている。
今回出品した絵画はヨハネス・フェルメール作の『合奏』の贋作だ。本物の『合奏』は1990年に盗難被害にあい、未だに見つかっていない。盗難絵画としては世界最高額の作品となっている。流石に評論家連中もフェルメールの真贋が判定出来ないほどのボンクラではない。
目の前にある『合奏』の作者はフェルメールではなくシュルツ女史だ。シュルツ女史に『合奏』を展示会へ出すと言った時、彼女は嬉しそうに作品の背景など様々な想いを語ってくれた。その不要な背景知識が『無名の墓碑』に葬られた時、贋作は本物として完成する。
物の価値を作り上げるのは他の誰でもなく、我々だ。展示会が終わったら久しぶりに彼に連絡して聞いてみよう。我々はクールだったか?と。