流浪の白
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 夜はわたしの時間だ。
 日光でかぶれる肌。強い光を受け付けない目。この身体の色の薄い肌と目は、光に酷く弱い。

 けれど、夜の深く暖かい懐の中ならば、わたしはどこへでも行ける。

 長い髪を靡かせて、人通りのない夜の道を歩く。白い髪、白いブラウス、裾の長い白衣。夜の闇の中で目立つ色。人の目からも、それ以外からも。

 わたしは霊の声が聞こえる。声だけだ。姿は見えない。けれどもこれは、わたしが財団で特殊な仕事を任されるには充分な異能だった。

 今日は三件、予定されていた全ての任務を終えた。だから夜明けまでは、わたしだけの自由時間だ。

 幽霊との会話は気が楽だ。大抵は怨念などではなく単に迷っただけの存在で、対処は長くても数時間で終わる。少し話を聞いてあげて、道を示す。一夜限りの関係だから、明日以降への影響を気にしなくていい。

 丁寧にアイロンをかけたフリルブラウス。鮮やかな赤いスカート。わたしは今日のわたしのために、精一杯に、自分の好きな格好で着飾った。

 明日のわたしは、わたしのものではない。
 わたしの身体は、わたしだけのものではない。


◇  ◇  ◇


 目が覚めたら、まず最初に名前を探す。

 最近は携帯電話を目覚まし時計代わりに枕元に置いているタイプが多い。今日の「私」もそうだった。幸運だ。もし置いてなければ、財布を探して身分証を確認しなければならなかった。そういう場合は大抵、情報が電子化されていない時代だから、その他にも面倒なことが多い。

 携帯電話のロックを指紋認証で解除すれば、ホーム画面に幾つものアプリケーションのアイコンが浮かぶ。見慣れないUIだが、通知の表示はどの世界でも大して変わらない。いくつかのアイコンの右上には、3や7などの数字が浮かんでいる。おそらく未読件数だろう。手紙のマークの上には1539。これはあまりに溜め込みすぎではないか、と内心で突っ込む。

 アカウント名がわかるならどのSNSでも良いが、できるなら本名の方がやりやすい。メールならばほぼ間違いなく本名が使われているだろうと、手紙のアイコンをタップする。手頃な電子メールを開いて宛名を確認すれば、目論見通りに、それを知ることができた。遠藤茜。これが今日の私の名前だ。

 布団の中に潜ったまま、カレンダーアプリの予定や、最近のメールやSNSを読み漁る。授業の予定。ふむ、大学生らしい。今日は二限からか。友人の把握。学科の友人らしき人との個人チャットを数日分、読んでいく。

 大体、イメージが掴めてきた。

 体が空腹を訴え始めた。そろそろ朝食を食べねば。布団から起き上がり、体を伸ばす。少し貧血気味か。目を瞑り、「普段の習慣」を想起する。冷蔵庫。戸棚。トースター。その言葉から連想した電化製品の見た目は、見たことすらないはずのもの。けれど、それらがこの家の中にあることはわかっているし、どこにあるかも、たった今、把握した。

 ドアを開けて寝室兼リビングを出る。裸足の足裏にフローリングの床が冷たい。玄関へと繋がる、廊下と部屋の中間のような空間に、小さなキッチンスペースと冷蔵庫が収まっている。冷蔵庫からはヨーグルト、頭上の棚からはパンとバナナをそれぞれ取り出す。スプーンは何処に──右端の引き出し。

 そろそろ、この体に馴染んできた。悪くない。

 取り出したそれらを机に置き、朝食を食べ始める。ヨーグルトは、一昨日食べたものよりも濃厚なタイプだった。これがこの体の好みらしい。私も嫌いではない。
 二限の時間まではまだ少し時間があるようだった。講義室は── 一限の授業では、使われてないようだ。早く登校して教室で復習でもしていよう。

 リュックを見る。昨晩のうちに必要なノートと参考書を詰めた「記憶」がある。着替え。──箪笥の中に、清潔な衣類が十分な数。いつも通り、少女趣味な形状の赤と白の衣服を身につけていく。

 身支度はこれで整った。大学への道は、もう思い出せている。玄関脇に置いている鍵を手に取って、5月の風の中へと歩き出す。


◇  ◇  ◇


 毎朝私は、違う世界の違う体で目を覚ます。

 最初からこうだったわけではない。こうなる前は、普通の女子中学生だった。そのはずだ。もう、元の名前も思い出せないけれど。

 どうしてこうなったのか、その理由は記憶から忽然と抜け落ちている。気がつけばこうだったとしか言いようがない。最後に「普通」だった日の日付は覚えていないし、あの夜、どうやってあの雪の降る街にたどり着いたのかもわからない。

 覚えているのは、酒の匂いと暖かな店明かり、人々の楽しげな笑い声。そこで太陽は見なかったけれど、あれは本当にたった一夜だったのだろうか。一夜と呼ぶのが躊躇われるほど、ずいぶん長くそこに居たような気がする。

 ──「もう、充分、休ませてもらったから」

 私はそう言って、あの場所を出て行った。

 何年、この状態なのか。少なくとも体感時間で、のべ1年以上はこの生活をしている。多分、2年か3年。10年はまだ経っていない、と思う。

 何日前にどの世界にいたか、積分の計算方法を知ったのはいつか、裁縫の玉留めのコツを掴んだのはいつか、私は正確に記憶していない。その必要も感じていない。私の生きている視点では、時系列は意味をなさない。同じ体で目を覚ますことはない。もしかするとあったのかもしれないが、それに気づいたことはない。目覚めるたびに日付は前にも後ろにも飛ぶ。そもそも異なる世界の暦を比較することに、どれほどの意味があるのだろう。

 街路樹を彩る瑞々しい若葉を見上げる。記憶によれば、一ヶ月前は桜が満開になっていたらしい。それも見たかったな、と少し惜しい気持ちになる。

 どの世界でも、自分は大抵、似たような姿をしている。白い長髪に、少女趣味の赤と白の衣装。とはいえ、似ているのは姿だけだ。幾つかの物語で読んだような、「並行世界の同一人物」、と言っていいのかはわからない。名前は世界ごとに違うし、多分、遺伝情報も違うのだろうと思う。父と母の顔は、世界ごとに異なっている。髪の色だって、先天的な白である場合も、ブリーチで色を抜いている場合も、白いウィッグを被っているだけの場合もあった。

 足に任せて通学路を歩く。私が初めて見る道。私の脳が知っている道。一度しか通らないこの道のこの風を、全身で感じながら。

「──エマ?」

 背後からかけられた声に、私は振り向く。数歩離れた後ろに、この体と同じ年頃の青年が立っていた。

「人違いではありませんか。私はアカネですけれど」

 そう答えても、青年は何か言いたげな顔でこちらを見つめていた。初対面の相手への態度ではなさそうだった。誰だろう、と必死に脳の中を漁る。大学生らしい出立ちだから、きっとこの人も同じ大学の生徒なのだろう。もしかしたら同じ授業をとっている知り合いなのかもしれないが、うまく思い出せない。

「……そう、か。時間も前後するのなら。──アカネさん、でしたね。勘違いをしてしまったようです。混乱させて申し訳ない」

 青年は何かに気づいたような顔をして、軽く頭を下げた。
 この青年が誰なのか、わからない。やはり、この人は私を知っている気がする。学科の人か、それともサークルか、あるいは他のどこかで縁があったのか。思い出せないのは失礼な態度だろう。けれど、名前のわからない人間の情報を思い出すのは難しい。

「じゃあ、また。どこかで」

 歩き去っていく青年の背を見送る。あの人は誰だったのだろうと、首を傾げながら。


◇  ◇  ◇


 この家の大きな厨房は、さながら戦場のようだった。三人の料理人が慌ただしく下拵えをしている。片時も手を止めぬまま的確に指示を飛ばす兄の横で、私も料理人の一人として、機械的に大量の食材を処理していく。BGM代わりのラジオが、厨房の隅から今日のニュースやら話題の曲やらを垂れ流している。兄の好きな局らしいが、自分には良さがいまいちわかっていない。

 大人数のための調理というのは、他の世界でやっていたような一人暮らしの自炊とは全く異なる。何もかもが大規模で、機械的だ。力仕事なのは言うまでもない。まるで大工か、工場勤務者か何かになったような気分になる。自分の髪が料理の中に落ちてしまわないよう、自慢の白髪も仕事中だけは丁寧に纏めている。

 山のような野菜をテンポよく刻んでいく。巧みに包丁を扱う、眼前の鮮やかな手つき。職人の手仕事を見るときの感動に似た何かを覚えてしまう。自分の仕事に対してそう思うのは、普通はおかしなことなのだろうけれど。

 私の能力は、基本的に体の方に準拠する。運動が得意な体にいる時は、早く走れるし、バスケットボールだって正確にシュートできる。逆に運動が苦手な体に入った場合は、自転車の運転すら危うくなることもある。現実改変能力者になった時も、力の使い方は体が覚えていて、その行使の仕方を誤ることはない。

 だから当然のように、今の私は料理人として問題ない腕前で調理をすることができている。

 少し面白いのは、それが身体操作だけに限らない点だ。学生として授業を受ける時は、私は今までそれを専攻してきた学生のように、授業を理解することができる。絵を描く仕事をしている体にいる時は、どう線を引けば綺麗に見えるのかがわかる。逆になんらかの失認を持った体へ行くと、私は普段できていたはずのことができなくなる。左右という概念が消失することもあれば、幸福な感情しか抱けなくなることもあった。日本語話者でない体の場合は、日本語を完全に喋れなくなることはなくとも、カタコトになる傾向があった。だから私は、脳が計算機で、私という存在は一時的にインストールされたアプリケーションのようなものだ、と考えている。

「……栞、それが終わったら大釜の用意を」
「はい、莉央兄さん」

 長髪を後頭部に几帳面に纏めている兄の横顔は、凛とした印象を与えるものだった。この兄は女性だ。この世界での「兄」という単語は、他の世界における「姉」や「先輩」に近い肌触りをしている。男の兄弟だけではなく、どちらの性別の家族にも使う単語らしい。

 私達は黒松の子だ。莉央は三期上の兄。

 私が訪れる世界の中には、元いた世界とは大きく違う形をしているものがある。「日本」が存在していない世界もあれば、大多数の人々が月で暮らしている世界も、人が蜂のような生態を有している世界もあった。

 この世界の人間は、蟻や蜂に似ている。見た目ではなく、その有り様が。女王蜂を頂点とする、真社会性の生物。一人の母が一族全ての子を産み、子らが仕事に従事する。百人近くもいる家族全員の料理を担当しているのが、私たち調理班の面々だった。

 似たような蜂人間の世界には、既に何度か訪れたことがある。両手で数えるよりは多い数。とはいえ、この家の建物のどれもに見覚えがないし、私の名前や仕事も違かったような気がするから、今まで訪れたのは全て少しずつ違う並行世界だったのだろう。

 それに、時代が古い。

 今まで訪れた蜂人間世界は、どれも他の世界でいう21世紀に相当する科学技術をもつ時代だった。けれども今回は、それらの近代的な文明の利器を見かけていない。ラジオの形もどことなく古い印象を受けるし、他の世界の私が慣れ親しんでいる小さな携帯電話やらタブレット端末、ノートパソコンなどというものも、今日はまだ見かけていなかった。

──緊急速報です。████共和国███████にて、大規模災害が発生しました。現地政府が発表した情報によれば、巨大不明生物が──

 包丁を動かす手が、止まりそうになった。

 これは大きな分岐点だ。世界大戦でどの国が組んでどの国が勝ったかや、冷戦が弾けたか否かと、同じ程度に重要な。あるいは、それよりもよほど大きい、分岐点。

 今までこの日に立ち会ったことはなかったけれど、私はこの事件を知っている。蜂人間の世界でも、これが起こりうるとは知らなかったけれど。他の世界の歴史では、この事件を発端に異常な存在が明るみになっていた。異常な存在は元々この世界に溢れかえっていたものだけれど、それがヴェールの向こう側に隠されているのと、白日の元になった場合とでは、世界の形が大きく異なるのだ。

 今日を境に、この世界の人類の歴史は異なる方向へと進んでいくのだろう。もし自分が今、ここではなくこの世界の財団サイトにいたならば、多少はその歴史を良い方向に変えられるのだろうか。

 同じニュースを聞いている兄と弟が、調理台を挟んで会話している。少し困惑したような声で、それでも料理をする手は止めぬまま。彼らにとってこのニュースは、まだ、日常の中に転がり込んだ小石でしかないのだ。遥か海の向こうの国で大規模な森林火災があったのと同じくらいに、この生活からは隔たった事件に過ぎないのだろう。

 これから世界が変わるよ、と言えないのが少し寂しかった。それはこの体に相応しい発言ではないから。


◇  ◇  ◇


 今日の自分は高校生だった。週末の、友人との遊びの帰り道。体の持ち主には悪いけれど、今日は随分と楽しませてもらった。ファミレスでたくさん話して、ゲームセンターで音ゲーを楽しんで、カラオケで流行りのアニソンを歌って。

 私が去った後の明日、体の持ち主が今日を思い出せるのかはわからない。けれど、この脳の中にも今日の記憶が刻まれているはずだから、多分大丈夫だろう。自分が昨日を思い出せるように、明日の私も、きっと思い出せるはずだ。一応、日記ぐらいはつけておいてあげても良いかもしれない。今日は友人から色々な話を聞いたから。

 友人の横顔を見る。今日限りの友人。私は多分、二度と、この優しくて面白い友人と会話することはないのだろう。私自身の過去を語れず、借り物の体で借り物の言葉で会話した。それでも私は、この子が好きだなと思う。

 ──孤独感。

 無いと言えば嘘になるのだろうが、絶望するほどでもない。どの体にもこの友人のように縁のある存在は居て、私は彼ら彼女らに対して体の持ち主と同じように親愛の感情を抱いている。私の魂の輪郭は曖昧で、半分体に溶けているようなものだから、彼らへの親愛の情はいつも私自身にとっても本物で、故に、孤独を実感する機会というのは、実のところ、ほとんど無いのだ。

 だから、私にとって孤独とは、身を切るような感傷ではなく、どちらかというと理性的な感慨に近い。

 不意に、水っぽい何かが地面に叩きつけられる音が聞こえた。それに重なる、金属片が派手にぶつかり合うじゃらじゃらとした音。広い道の中、雑踏を切り裂いて、甲高いそれが残響を残す。

「今日も派手にやってるね。……帰りに寄ってみる?」

 前方にあるスポーツ会場のビルから、また、新たに派手な衝突音が響いてくる。友人は多分、この音を指して誘ってくれているのだろう。
 この体はこの音に聞き覚えがある。──思い出せない。眉根を寄せる。

「最近ちょっと、肩が凝ってて。一回コイクラしてスッキリしたい」

 コイクラ。その名称と共に、情報が意識の水面に溢れ出た。

 コイクラ、と彼女が略したその競技の正式名称は、「高高度落下コインパイルクラッシュ」という。落下の姿勢と跳ね飛ばしたコインの美しさを競う、飛び込み競技の一種。

 記憶や情報を思い出すにあたり、名前や名称は大きな足掛かりだ。人間は情報を言語化して圧縮するものだから。脳内で複雑に絡み合う情報を、私はいつも言葉を頼りに掬い取っている。

 この脳の中の私は、全てを上書きする別人格ではない。追加された別フォルダのようなものだ。だからこの脳の中の記憶には何ら影響を与えることはない。脳に刻まれた記憶は全てそのまま、私は器本人と同じように思い出すことができる。

 けれどその記憶は、無意識の渦ではなく、図書館の中の閉じられた本のようなものだ。自分から思い出そうとしなければ、意識に浮上することも、無意識の行動に影響を与えることもない。身に染みついた技量や、毎日考えて常に脳のどこかに置かれているような仕事や習慣の一部でもない限り。

「うーん……今日は汚していい服、持ってきてないから、私は見てるだけでいいかな。下から応援してる。次の機会に一緒にやるね」

 この世界の人類は、人体から死因を抜き取る技術を有している。落下死を抜き取った人間ならば、当然、紐なしでのバンジージャンプを安全に楽しむことができる。

 今日の私──吉川玲河も、友人の浅野彩夏も、幼い頃に主要な事故死を抜き取っている。その中には落下死も含まれている、らしい。

 けれど、それを試してみようとは思わない。死を恐れない感覚を、他の世界に持ち越してしまってはならないから。この世界と同じ感覚のまま、他の世界の体で高所作業をしてしまったとしたら。世界を渡り歩く私には、その体を傷つけた罪を償うことはできない。そんなことはあってはならないのだ。

 だから、私は安全な行動から逸脱しない。
 初めてこの類型の世界を訪れた時から、そう決めていた。

 待ってて、と言った彼女は、すぐにビルの屋上へと向かった。私の手が届かないその背中が、少し眩しく感じられた。


◇  ◇  ◇


 今回は随分古い時代だった。過去や未来に飛ぶことも珍しくないけれど、せいぜいが二、三十年程度で、百年も前の時代を訪れるのは稀なことだった。建物や機材、調度品の全てが物珍しく、目新しく見えた。あの窓ガラスも、このティーカップも、目の前に座る研究者の服の趣味も。

「ええ、そうです。私は多くの人々の1日を借りて、渡り歩いて生きています」
「そうか。……私と、少しだけ似ているね」

 まるで、ただの世間話の一つかのように彼女は言って、手元のティーカップに角砂糖を二つ放り込んだ。優美なデザインのティースプーンが、深い色の紅茶をくるくるとかき混ぜる。

 この体──エマ・オーケンの記憶によれば、目の前の共同研究者には前世の記憶があるらしい。研究室で彼女が時折呟いている独り言から推測して、その結論に至ったようだ。そして半年ほど前に「前世の記憶があるのか」と本人に尋ね、本人──ラファエラもそれを認めた、というのが、この脳の記憶に残っている。尋ねたエマ自身にとっても、ラファエラの前世の回数までは予想外の桁数だったため、ひどく驚いたらしい。口封じされず、口止めだけで済んだのは幸運だった。この体は賢いようでいて迂闊なところがあるようだ。

 ラファエラの目が私を見つめている。私は真正面からそれを受け止める。
 奇妙な旅人同士の共感故か、それとも学者の好奇心故か、お互いの過去に関する話が弾んだ。私はこの世界が行く可能性のある未来の形を幾つも知っていたし、彼女は私の知り得ない遙か過去の世界の風を肌で知っていた。

 体と地続きの人格としてではなく、世界を渡る私として友人と会話するのは、この十年近くで初めてのことだった。

 話しながら、察することがあった。
 おそらく、この人の始まりは、「人」ではない。

 それに少し驚きを抱く。今までにも友人や同僚に何度か怪しまれたことはあったけれど、人ではない存在に見抜かれたのは初めてだった。意外に思ったが、少し考えて逆に納得した。人を模倣して生きている存在だからこそ、生粋の人間よりもよほど人間を注意深く観察しており、その違いに気づけたのだろうと。

「次に会った時にはどう呼びかければいい? 私は姿形がころころと変わるけれど、君はある程度似たような姿をしているから、私が君を見つけることになるだろう」
「次なんて、ないと思いますけれど」
「そうかな」
「はい。今まで、同じ人間に繰り返し取り憑いたことはありませんから。……時間が経ちすぎて、単に忘れてしまっていただけ、ということもあるかもしれませんが」

 そう、とラファエラは頷いて、冷めた紅茶を一口含んだ。

「ううむ、でもね、世界の数はおそらく有限だ。現実に無限は現れない。人の寿命も有限。特にあなたの場合、憑依の対象は少女から若い成人女性と言っていたね。だから日数で言えばそうだな、15歳から25歳と仮定して、3600日の期間。例えば、もし並行世界が3600個以上あるならば、有限個の世界の中で、君の経験的事実である『同一人物には一度しか憑依しない』が成立するはずだ」

 続いて、彼女は窓ガラスの向こうの雑踏へと目を向ける。思慮深さが滲む彼女の横顔に、一瞬、見惚れそうになる。軽妙な議論や、気さくな雑談の合間に、時折、遠くを見るような視線が混じる。その時のラファエラの横顔がエマは好きだった。

 変人、あるいは天才。ラファエラはこの世界の財団で、そう呼ばれる存在だ。ラファエラ自身は、そうは思っていないようだけれど。エマは後輩として、彼女の業績の全てを間近で見ていたから、その呼称がいかほどの重さを持つものなのか、よく知っている。まるで全てを知っているかのように、あるいは星にでも導かれているように、迷いなくあの難題を解き明かしていったあの姿。──否、あの時の私にとっては、この人そのものがに見えていた。

「たとえば、条件を満たす憑依候補者Aが25歳になった後に、15歳の候補者Bが現れると仮定しよう。AとBの二人の体で同じ世界を訪れることが可能ならば、有限の3600個の世界の中で、事実『同一人物には一度しか憑依しない』を永続的に満たすことができる。横に3600個の世界を渡り歩きながら、時間軸方向にもAからB、BからCへと、次世代の人間の人生を渡っていく、という描像だ。君は過去にも未来にも行けるのだろう?」

 窓ガラスの向こうの道を、老若男女、多くの人々が行き交っている。私にとっては馴染みのない、この時代の服装を着た人々。石畳を歩き行く彼らは、私にとって過去なのか、それとも未来なのか。私が普通の人間の時間の物差しを使おうとすること自体が間違いなのかもしれない。

「更に、同じ世界に同時に候補者が複数名存在することも考えられる。君の格好は多少珍しかろうが、世界に一人だけというわけでもあるまい。例えば各世界に同時に10人いたならば、必要な世界の数は360個で済む。──つまり、君の経験という条件を満たした上でも、世界は無限でない可能性が十分にある。それならば君はまたいつかこの世界を訪れるだろうし、その時は私もどこかにいるはずだ。違う体になっている可能性も高そうだけれどね」

 ラファエラの琥珀色の目が、眼鏡の奥からエマをまっすぐに見つめた。望遠鏡から見る彼方の星にも似た、よく輝く瞳。

「要するに、また会う可能性もありそうだ、という話。……だから、君の名前が知りたい」

 私は軽く、眉根を寄せた。

「困りました。元の名前なんて、とっくに無くしてしまっているんです」

 残念ながら、私はそれを、あの常夜の雪の街に置いてきてしまっている。
 名前とは区別のためにある。自分自身しか私の存在を認識していないならば、呼称の機会など訪れるはずもないから、名前は不要だ。だから今までその必要性を認識することもなかった。

「じゃあ、次会うときにまでに、考えておいてほしい。その時は、仮にエマと呼んでみるから、返事をしてくれないか」
「次がいつになるか、わかりませんよ?」
「いつだって構わないさ。私ほど気の長い人間は、他にいないだろうし」
「なら、ええ、……もちろん」

 自分の記憶力にはさほど自信がないから、そもそも、『同一人物には一度しか憑依しない』だって怪しいのだ。
 星の数は無数に見えても無限ではないから、きっと世界の数も有限なのだろう。そう、信じてみることにした。

 同じ人間と再び会う。未来の約束をする。諦めたことすら忘れていたことだった。
 自分の未来を語るというのは、こうも面映く、心が躍るものだったか。

「次に会う日を、楽しみにしている」

 そう言ってラファエラ・ナルディは、人間によく似た笑顔を作った。


◇  ◇  ◇


 財団職員であることは珍しくなかったし、彼らが収容したがるような異常性を持つ怪異であったこともあるけれど、その他の異常な団体に所属している世界というのは、思えば今回が初めてだった。

 品の良い丸テーブルを囲む少女たち。そのうちの一人が私だった。双子のように顔の似ている少女もいれば、全く違う人種の女性もいた。彼女らは皆、同じ本名を有している。故に並行世界に遍在する彼女らが集まるこの場所では、各々に区別のためのあだ名を名乗っているようだった。

 私もそうだ。アリソンに代わる名前で、ここでは呼ばれている。

 会合を終えた私たちは、思い思いに図書館の中へと散らばっていった。求める技術や知識の手がかりを探して本棚の間を歩く者。座り心地の良いソファで仮眠を取る者。元の世界へと帰っていく者。──そして、この丸テーブルのある空間に居残っている者。

 話したいことがある、と言ってきた彼女は、誰もいなくなったのを確認してから、私の耳元でこう囁いた。

「……君、ここの人じゃないだろう?」

 ぱちり、と目を瞬かせる。気付かれたのは久々だった。最後に気付いたのは誰だったか。──ああ、ラファエラだ。永くを生きる、星のような人。

「誰だい?」
「……名前はないの。ただの亡霊のようなもの」

 彼女と約束したのに、私はまだ、自分の名前を見つけられていない。だから名前の代わりに、自分の性質についての事実を述べる。

「心配も警戒も必要ないよ。これは意図的なものではなく、私にはどうにもならない体質のせいだし、どうせ明日には元に戻るから。……あなたたちの話し合いに立ち入ってしまったことについては、申し訳なく思っているけど」

 黒髪の彼女は、私の顔を覗き込む。──否、彼女が見ているのは、本当に私の顔だろうか? 視線の先は目でも鼻でもない。顔の上に結ばれるはずの焦点の位置が、少し、ずれているような。

「ふむ。……惜しいね。翼を持っているのに目が潰れているようなものだ。優れた資質があるのに、君はそれを使いこなせていない」
「……何を、見ているの」

 彼女は私の言葉に答える代わりに、私の額に人差し指を突きつけた。

「ちょっと、じっとしてて」

 瞬間、皮膚の下に感じる違和感。形容し難い感覚。──まるで、何かがこじ開けられるような。
 開いてはならない何かが開いた、気がした。

「酔っちゃった? ごめんね。でも、一日か二日で慣れるはずだから」

 色彩の洪水。否、光ではない。音でもない。私の知っている五感のどれでもない。
 処理できない情報、私の知らない感覚が、濁流のように流れ込んでいる。

「でも、もう、この妹の元には来ないであげて欲しい」

 耳鳴りの向こうで、彼女の声が聞こえた。

「私たちとあなたの目的は違う。あなたが求めているものを、私たちはきっとあげられない。そして目的を異にする者同士は、時として共存すら難しいから……」


◇  ◇  ◇


 寝不足で重い頭を支えながら、パソコンの画面を見つめる。やりかけの仕事と、それに関する情報が、ディスプレイ上に漫然と散らばっている。

 私が求めているのは、この世界じゃない。ここには欲しい情報はない。次へ行こう。


◇  ◇  ◇


「この本昨日読んだんだけど、結構面白くってね、」

 カフェテラスでコーヒーを啜る「友人」が、親しげに話しかけてくる。

 近未来的で清潔な街並み。奇妙に平たく感じられる、店内の人々の笑顔
 違う。私の世界はこうではなかった。

 次へ。


◇  ◇  ◇


 目の前の「友人」の目が、すう、とすがめられる。

「……ねえ、あなた、誰?」

 「菻ちゃん」にそんな目で見られるのが何故か苦しくて、反射的にその世界を離れる。苦しかったのは私ではなく、体の持ち主なのだけれど。

 次。


◇  ◇  ◇


 飛び石のように世界を渡り歩いた。「私」の意識の表層を、飛んで、飛んで、飛んで、いつの間にか私は、元の世界から遠く離れた、「私」が現れうる世界の縁まで辿り着いていた。

 今までの自分は、鼓膜が破れ、三半規管が機能していない状態で、水中をもがいているようなものだった。上も下もわからぬまま、ただ流されることしかできない無力な存在。睡眠という意識の断絶がなければ世界を離れることもできない、雛鳥のようなものだった。今の私には、目と翼がある。──翼があったところで、行く宛などどこにもなかったのに。

 この世界は、場所も時代も、掴み難かった。

 人々が話しているのは日本語ではない。外国語のようでありながら、随所に日本語風の響きがある。
 まだペリーも来航していないような古い時代なのかとも思うけれど、それにしては文化がおかしい気がする。歴史の教科書の中で見たものと、文字や建物の印象が随分異なる。西洋風の椅子や机。和風のものにしか見えない畳。東西の印象が混在する家々の中にいる人々は全て、日本人の顔をしている。

 ここは一体いつで、どこなのだろう。
 全く推理することができず、首をかしげる。

 まあ、どうせ、明日には縁の切れてしまう場所なのだけれど。

 今着ている衣類は「私」のお手製だ。他の世界のものよりは地味だけれど、愛着が感じられた。自分の手で縫いつけたフリルは、工業製のものよりは不格好で不揃いかもしれないけれど、この村の中では間違いなく一番綺麗だ。

 文明は、未発達だ。あるいは衰退している。

 私になりうる少女が存在しうる世界が面のように散らばっているのだとしたら、この世界はその淵の一つなのではなかろうか、と思った。この類型の衣類と赤い眼鏡が存在しうる世界の端。

 長閑な村だった。

 背の高いビル群どころか、電柱や3階建ての建物すら存在しないここでは、空があまりに広い。上を見上げた視界を遮るものはなく、青く澄んだ空が途切れることなる遠くの山際まで広がっている。

 一転して地上を見渡せば、こちらもやはり広い。田畑があり、川があり、小さな家々があり、何もない野原で遊ぶ子供たちがいる。昨日と変わらない今日、今日と変わらない明日を生きる人々の生活。

 眼下の野原から、子供達の声が聞こえる。昨日この村へ来たばかりの、喋る腕輪を携えた旅人が、名もなき子供たちと戯れている。そちらへ足を向けてみる。ただの気紛れだ。この世界にはやることも、やるべきことも、やりたいこともない。

 履き心地の悪い靴の下に、柔らかな草と土の感触を感じる。

 私は名前によって思い出す。なら、名前を持たない存在のことを、どう思い出せば良いのだろう。

 本名とは違う名前で呼び合っていた少女たちのことを思い出す。ミディ。カルディナシンシア。そして、あの世界の私。もう思い出せないけれど、きっとそれは、彼女自身が名付けた名前だった。

 ここには、本名すら有さない、人の形をした存在がいる。草から生まれ、種子に還る、愛らしい子供の姿の存在

 名前をつけないのは、それに区別の必要がないからだ。別に工業製品のように均一なわけではなく、並べれば見た目の違いはある。けれど、私たちはそれらを区別しないし、この子達も私達を区別しない。昨日家に泊めて一緒に食べた子と、今日一緒に家に帰る子は、多分別の子だ。それが私たちの普通で、どちらにとっても何も問題がないから、私たちは名前をつけずにこの子達を愛玩している。他の世界での猫のようなものなのだ、この子らは。

 私の腰や肩ほどまでの背丈のその子らが、無邪気に私の手を取る。小さな花が散りばめられた草冠を被らされる。

 彼らの在り方に、少しだけ、親近感を覚える。
 私の記憶の中で、私だけが名前を持たない個体だった。

 名前がなくてもいいなら、勝手につけてみるのもいいかもしれない。私しか使わない、1日限りの名前。入れ替わり立ち替わり戯れてくる彼らに、歌うように名前を囁いてみる。

 シオリ。リオ。アヤカ。ラファエラ。リン。サクラ。

 戯れのつもりでつけてみたそれらは全て、今までの世界で縁のあった人々の名前だった。

 ──ただの感傷だ。なんの意味もない。

 子供の顔を見下ろす。無垢な笑顔をした子供。可愛がられてはいても、一人消えたところで誰も気づかないだろう存在。個体として認識されていない、愛玩動物。

 体温のない小さな手を握る。小さな手が握り返す。どの子にどの名前をつけたか、思い出せないことに気づく。

 名のない子供が見上げた瞳に、私の白い髪が映っている。私のものではない白い髪。


◇  ◇  ◇


 名前。名前とは、なんだろう。
 幾多の世界を渡り歩きながら、ずっと考えていた。

 私は誰かの借り物ではない「私」でありたい。

 一番最初の「私」のことを、何一つ思い出せていない。かつての名前も、両親の顔も、住んでいた土地のことも。覚えているのは、多分、日本人だったということだけ。
 今や、それを自分と呼んで良いのかすら、曖昧な気がしてきている。もう、私の主観的な時間の中では、こうなってからの方が長いのだ。

 元の世界に行くことも、最初の名前を取り戻すことも、おそらくもう不可能だ。私の体はおそらく消失している。あるいは、私のものではなくなっている。都合よく昏睡した体が残っているとは思えない。失踪したか、死んだか、あるいは最初の私は健在で、分裂して転がり落ちた存在が「私」になったのか。確かめる術はないし、確かめる意味もない。

 ヒールの靴音を響かせて、奇妙な方向の発展を遂げた世界の日本の街を歩く。こういうのを他の世界ではスチームパンクと言っていたっけ、と街並みを見ながら思う。古い時代の日本の文化が色濃く残っているけれど、特に蒸気文明というわけではないから、定義的には違うかもしれない。

 帝都日本。永遠の大正時代を続ける日本。栄華と安寧の中で微睡む世界。

 新聞を一部買って、一休みしようと手頃な食事処に入る。古風さと近未来感がブレンドされた店内。自動人形の店員に、この体のお気に入りらしい、「玻璃のスウプ」を頼む。味はこの脳の記憶で知っているけれど、体験というものには何にも代え難い価値がある。

 新聞を開く。紙面上は旧字体で溢れているが、この体の記憶のおかげでするすると読むことができる。何かないかと、各ページの見出しに目を通していく。私は何を探しているのだろう。この新聞の中に、私が求めている情報があるわけもないのに。

 生まれた時に与えられた名前では互いの区別がつかないから、別の名を名乗っている黒の女王たち。
 この世界の電脳網で使われている、無数のハンドルネーム。生身の情報から切り離された誰でもない者としてあるために、その上で各々を区別するために、自分自身でつける名前。
 そのハンドルネームは、時に、複数名で共有されることもある。従兄弟二人でエラリー・クイーンというペンネームを名乗っていた、あの推理小説家たちのように。

 新聞に掲載された記事の一つに、目が留まる。「少女探偵小百合」。正体不明ながらも、この世界で最近有名になりつつある人物らしい。戸籍上の名称ではなくとも、特定の人物を指す名称であるならば、やはりこれも名前に等しいのだろう。

 ──ああ、そうか。役割もまた、名前になるのか。

 新聞を捲る手が止まる。

 私にできること。私にしかできないこと。この力が求められるであろう場所。

 私はそれを、知っている。


◇  ◇  ◇


「探しましたよ」

 聞き覚えのある声に識別子コードネームで呼ばれ、振り返る。今や顔見知りになった機動部隊の隊員が、困ったような口調の中にわずかな怒りを滲ませる。

「明日は会合なんですから、勝手に出歩かれては困ります」
「……はい。ごめんなさい。迷惑をかけてしまいました」

 大人しく謝り、彼女の運転する車に乗る。色々と改造が施されてはいるが、一般道でも違和感を持たれないように、外見だけは普通の見た目をしている。クッションの効いた後部座席に座り、シートベルトを締めれば、車が静かに走り出す。彼女の運転は、いつものように丁寧だった。

 財団の中で、価値を認められているわたしの異常性は二つある。一つは霊との対話能力。もう一つが降霊能力。とはいえ、降ろせるのは一人だけで、しかもそれはわたしの能力と言うよりは、ただの契約に近い代物だった。その契約が交わせたのは、前者の霊能力のおかげだから、わたしの能力の一つと言っても間違いではないかもしれないが。

 ともかくも、財団に重視されているのは二つ目だ。わたしの役割は、神の意を受けて人に伝える御杖代。
 神、というのは言葉の綾だ。財団が定義するところの神格ではない。それは世界を変容させる異能を持たない無力な存在だ。けれどもそれは、過去と未来、並行世界の端々までも、自在に渡る力を有している。故に財団は、神の視点を持つその魂の言葉を重視し、それを降ろすわたしは神託者として扱われている。

 今与えられている過分な職位は、実際のところ、わたしの本質を隠すためのものだ。あるいは、彼女が支障なく動けるようにするための、マスターキーのようなもの。過去と未来、あらゆる時間を行き来する彼女が、必要な情報を得られるようにするための。

 明日は、彼女が訪れると予告した日。わたしの役目は、彼らに彼女の言葉を届けることだ。


◇  ◇  ◇


 この世界にだけは、体のものではない、私だけの名前がある。

 霊的存在への感知能力があるこの少女だけが、私の存在を認知した。魂を知覚できる故に、異物としての私を感知し、体の主導権すら共有して語りかけてくるような芸当までもしてのけた。だからこの世界を選んだ。

 彼女が、来た。一度だけ口を借りて、身体を開け渡す。

「──お待ちしていました」
「少しの間、借りるね」

 わたしの喉から出てくる、わたしのものではない言葉。彼女がわたしにかける言葉には、いつも親しみと敬意が込められている。だからわたしにとって、この降霊は不快な体験ではない。

 動きにくい着物姿で、足早に会議室へと向かう。

 全ては演出だ。神降ろしの神秘性に説得力を持たせるための。先天的なこの白髪に、白い装束はよく似合う。和装は自分の趣味ではないけれど、どのような服装でどのような印象を与えれば良いのか、私はよく知っている。

 黒留袖。白い羽織。同じく白い糸で刺繍された、控えめな大きさの三つ矢と盾の紋章。羽織の白い生地の上に立体的に浮かぶ刺繍は、光源の角度によって生地より明るくも暗くも見える。

「いつもありがとう、──斎宮

 独り言のように彼女が呟く。
 それがわたしのコードネームであり、敬称でもあった。表向きには識別子とされているが、その実態はただの職名だ。鵺は一人だけ、故に識別子は要らない。そしてわたしは鵺ではない。

 付き人が会議室の扉を開く。円卓には、すでに六人が座っている。

「お久しぶりですね、鵺」

 この体が斎宮、私が鵺。広大無辺な夜を飛ぶ異形の名。
 私は世界の岐路を知り、崩壊の予兆を知り、それを乗り越えた世界が選んだ手段を知っている。

「あなた方が求めている世界を見て参りました。──では、未来を決めるえらぶための会議を始めましょうか」

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