第2回百物語文学賞投稿作品「人形」(作者: ころころマシュマロ)より
[注意] まず始めに、この作品にはいじめに関する描写が含まれていますが、作者にいじめを助長するような意図は全くないことをご留意ください。そのような描写が苦手な方、また読んでいる途中に気分を悪くされた方などは、他の百物語文学賞投稿作品を楽しんでいただけると幸いです。 ──ころころマシュマロ
今から20年ほど昔の話です。
高校1年生の頃、私のクラスには1人のいじめられっ子がいました。ここでは仮に「木下さん」としておきます。
「木下さん」は、典型的ないじめられっ子というと失礼ですが、とても大人しく物静かで、昼休みも誰かと遊ぶことがなくずっと1人で、しかし小テストでは毎回良い点数を取る頭の良い子でした。
同じ小学校、中学校に通っていた同級生によると、彼女は昔から頭が良く、最初の頃は勉強を教えてもらおうと話しかける人も多かったそうです。しかし、それ以外の話題で彼女と話す人はやはり少なく、また趣味や特技もなかったことから次第に話しかける人は減っていき、そして彼女も自ら誰かに話しかけるような子ではなかったために、中学卒業の頃には彼女は完全に孤立していたらしいです。
彼女なら地元で最も偏差値の高い進学校に行けたと思いますが、家庭の事情などが重なったのか私と同じ商業高校に進みました。それが彼女の運の尽きだったと言えると思います。少なくとも、進学校に行っていれば幾分かマシだったでしょう。
私と彼女のクラスには、中学の頃からやんちゃだった男子生徒がいました。タバコを吸ったり万引きしたりする質の悪いタイプの子で、地元ではとても有名な子でした。
彼のそういった生活は高校でも変わらず、むしろ、悪いことに少なからず興味がある子を仲間に引き入れていきました。入学式から1ヶ月経つ頃には、私のクラスでは男子2人、女子3人がグループの一員になっていました。他のクラスにもグループに入った子はいたと思いますが、私はできるだけそのグループと関わらないようにしていたので詳しいことは分かりません。
そんな彼らにとって、「木下さん」は絶好のいじめのターゲットになりました。
どのようないじめを受けていたのか、ここでは書かないことにしておきます。話の本筋にそれほど関係ないという理由もありますが、何より、書いている私自身が気分が悪くするからです。恐らく、読者もご気分を悪くする方がいらっしゃるかと思います。ただ、殴る蹴る、タバコの火を押し付けるなどでは収まらないようなこととだけ言っておきます。
そのいじめは、1学期の期末試験が終わるまで続きました。
試験が終わってから夏休みに入るまで、彼女は登校してきませんでした。心配というよりは、「やっぱりな」という気持ちが強かったです。自殺が先か不登校が先か、なんて話を友達としていたのを覚えています。
そして皆、「次のターゲットは私かもしれない」という不安も感じていました。漠然と、いじめグループが次のターゲットを誰にするか品定めしている雰囲気が漂っていたためです。クラスではグループの人にコネを売ったり、お金を渡している子が多くいました。中には告発に近いことをして、誰かをターゲットに陥れようと考える子もいたようです。そして私も、グループの中に中学の頃から仲良くしていた子がいたため、その子に頼み込もうかなと考えていました。
しかし、そのような不安は杞憂に終わることになります。
夏休み明け、私が登校すると彼女がいました。クラスの全員が彼女に近づきはせず、しかしずっと彼女のほうを見て、
変わらないなあ、あいつ。
あんなんじゃ、またいじめられるよ。
まあ、良いんじゃない?
とこそこそ話していました。その間も彼女は、座って俯いたまま机の上をじっと見つめて動きませんでした。
朝会が始まる10分ほど前になって、いじめグループ数人がまとまって登校してきました。彼らは彼女を見るなり近づいていって、
よお、久しぶりだな!
と、いつものように彼女の後頭部を思い切り殴りました。そこまでは、見慣れた光景でした。
ごどおん
いつもの彼女の頭を叩く音ではなく、硬く空洞な何かを叩く音が教室に響き、
がしゃああん
彼女の首が折れたかと思うと、そのまま頭が床に落ちて割れていくつかの大きな破片となりました。その時、私たちは初めて彼女が彼女ではなく、制服を着させられた磁器製の人形だったことに気が付きました。そのくらい精巧に作られており、近づかなければ分からないほどでした。
また、その人形が着ていた制服には、いじめグループが今まで彼女にしてきたいじめの痕跡──タバコでの焼け跡や鋏で切り取られた穴など──がありました。近づくと、トイレで水をかけられた後の湿った生乾きの臭いもします。そして制服だけでなく、人形本体にも擦り傷や切り傷が細かく再現されていました。とてもリアルだったため、作られたものというより彼女そのものが磁器の人形になったような、そんな印象を皆が感じていました。
なぜ彼女の人形があるのか、誰がいつここに置いたのか、疑問は多くありましたが、それより割れた頭部をどうするかと大騒ぎになりました。
幸いにも、アロンアルファを持っている子がいたことと細かい破片が多くなかったため、朝会が始まる前に修復が終わりました。人形の顔と首には、彼女にはなかったはずの傷が増えていました。
朝会が始まる時間になって入ってきた担任の先生も、人形を見て驚いていました。その時に、彼女が夏休み期間中に遠くに引っ越していたことを伝えられました。
私たちはてっきり先生が人形を置いたのだと思っていたので、結局誰の仕業なのか分からずじまいでした。また、夏休み期間中は警備員が巡回していたにもかかわらず人形の存在には気付かず、不審者なども見なかったそうです。
そしてその日、クラスでは人形をどうするか皆で話し合いました。どこかに動かすのが手っ取り早かったのですが、人形は空洞ではあったものの実際の彼女よりも重かったため動かすのは難しいとされました。議論は30分近く続きましたが、最終的にいじめグループの中の1人の意見が通ることになります。
このままで良いんじゃね?
こうして私たちは、高校1年の残りの半年余りを、誰がいつ置いたか分からない彼女の人形と過ごすことになりました。元々彼女はよく喋ったりする性格ではなく、何か委員会などの役職に就いていたわけでもなかったため、彼女が人形に代わったところで支障はほとんどありませんでした。また、引っ越したのなら彼女がもう戻ってくることはないですし、何より人形を残すメリットのほうが多かったのです。
いじめグループは、今までと変わらず彼女をいじめのターゲットにしました。いえ、正確には「彼女の形をした人形をオモチャにしていた」のほうが正しいでしょう。殴る蹴る、タバコを火を押し付けるといったことはできなくなりましたが、代わりにペンで落書きしたり、首や脚などを壊しては学校中に隠したり、空洞の中に水をいっぱいまで入れたりと、彼女にしてきたいじめよりもひどいことをするようになりました。
そんな彼らの行動に、私たちは何も言えませんでした。言っても止めるような人たちではありませんでしたし、反感を買って新たなターゲットにされるのが怖かったからです。そして先生や学校としても、特に何事もなく「木下さん」が引っ越して行ったため、これ以上彼女に関してとやかく言いたくないようでした。むしろ言ったことで面倒事が増えると考えていたのかもしれません。
そして人形が現れてから月日が経ち、春休みに入る頃には、人形はボロボロになっていました。
制服は全て脱がされ、机の中には制服の燃え滓が入れられていました。その代わり彼らは、買ってきたのか盗んできたのか分からない服や下着を着せては写真を撮って笑っていました。
身体は全身ひびだらけで、ところどころに穴が空いたままになっていました。壊しては直しまた壊すということを繰り返していたため、小さな破片が無くなることは至極当然のことです。手の指など細かいところは、あえて修復不可能なくらい粉々に砕かれ近くの川に流されたりしました。
そして、そのひびを塗り潰すように、びっしりと全身に落書きをされていました。落書きの内容はご想像にお任せします。ただ、年頃の高校生がいじめ目的でするような落書き、そしてここに書くのは憚られる内容、である程度予想はできるかと思います。
人形の周囲には、常にドブのような臭いが立ちこめていました。人形に水や土、ごみなどが入れられたまま放置されるようなことが多々あったためです。穴からそれらが漏れてくることがあり、掃除の時間にそれらを片付けるのがとても面倒でした。ただ、掃除をしているときに、座っている彼女から「ごめんね」と聞こえてくるような、そんな雰囲気を感じたのを覚えています。
そんな人形を見ても、謝る人はいませんでした。私たちは最後まで、いじめグループに楯突くような言動を避けました。
春休みが明け、2年生になった私たちは、気になって1年生のときに使用していた教室を覗きに行きました。
人形は、なくなっていました。机は残っていましたが、中に入っていた制服の燃え滓は消えていました。先生に聞いても、誰がいつ動かしたのか分かりませんでした。人形が座っていた椅子と机は処分され、新しいものが置かれました。また、床に残った泥や汚水の染みは塗装によって隠されました。
いじめグループのリーダーと数人は春休みの間に起こした強盗未遂のせいで警察に捕まり、そのまま退学になりました。その後も何人かは非行を続けていましたが、リーダーがいなくなったため夏休みに入る頃には半ば自然消滅していたと思います。
私たちは結局、最後まで彼らのいじめに巻き込まれることなく、3年間の高校生活を終えました。
「木下さん」と彼女の人形が今どこで何をしているか、誰も知りません。
~あとがき~
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。怪談とは少し異なる話だったかもしれませんが、胸糞や人怖等でも投稿して構わないということでしたので、当時実際に起きた不思議なことを書きました。楽しんでいただけたなら幸いです。
そして最後に、もしこの作品を「木下さん」が読んでいたら、最後に一言、当時直接伝えたくて伝えられなかったことがあるので、今この場を借りて伝えさせていただこうと思います。
あなたと人形のおかげで、私たちはとても穏やかな3年間を過ごすことができました。ありがとうございました。
«37本目|38本目|39本目»
第2回百物語怪談賞 作品一覧はこちら
note投稿記事「彼女の悲鳴」(クリエイター名: 大樹小路)より
2021年11月2日
21世紀に入ってすぐ、私が高校生1年生の時の話です。
当時、私には好きな女子がいました(仮に「木下さん」と呼びます)。
木下さんとは小学校から高校まで同じで、中学と高校では同じ図書委員会でした。彼女は大人しめの子で、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出していましたが、私は彼女のそういった面に惹かれ、また、好きな本のジャンルなどが似通っていたのもあって惚れていました。
高校生になって、私と木下さんは別々のクラスになりました。同じ図書委員にはなったものの、日に日に彼女の肌や服に傷が増えていくのを見て心配になって声は何度もかけました。しかし、いつも「道で転んだだけだから」「猫に引っかかれたから」など、軽くあしらわれていました。
そんなことが続いて、1学期末の試験が終わった頃、木下さんは学校に来なくなりました。心配になって家に行ってみたものの誰も出てこず、夏休みの間も彼女に会うことはありませんでした。
しかし夏休み明け、陰鬱な気持ちで登校すると、木下さんの人形が置いてあると話題になっていました。
私は昼休み、人形を見ようと彼女の教室に行きましたが、その周囲には男女数人が取り囲んでいて、笑いながら人形の中に水や泥を流し込んでいました。私はそれを見て改めて「やはり彼女はいじめられていたんだ」と分かりましたが、私はいじめられるのが怖くて彼らの行動を止めることができませんでした。
その後も彼女の人形を見に行きましたが、いつも人形の周りには彼らがいて、近寄ることすらできませんでした。
そして彼女への申し訳なさがどんどん募っていったある日──確か10月の上旬頃──図書委員の仕事が長引き、帰りが19時近くになった時、ふと彼女の教室を見ると、いじめグループの彼らはいなくて彼女の人形だけが座っていました。
私はその時初めて人形に近付きました。人形は、夏休み前に彼女に会った時より傷だらけで、ところどころにひびが入っていました。首や顔、手には瞬間接着剤でくっつけたような跡があり、更に身体中が泥や落書きまみれでした。人形からは、近くの川で嗅いだのことのある臭いがしました。
私は人形の頭を撫でました。人形の頭は冷たく固く、そして僅かに濡れていました。彼女のさらさらだった髪は少しもなびくことなく頭と同化していて、白く透き通っていた肌は傷と泥と落書きで黒ずんでいました。しかし人形の落ち着いた雰囲気、そして美しく澄んだ瞳は、前の彼女のままでした。
私は彼女を、いえ、彼女の人形を助けたいと思いました。しかし人形はとても重く、そのまま持っていくことは勿論、割って少しずつ持っていくのも困難に感じました。それに、人形が無くなっていたら大騒ぎになって、持っていったのが自分だとばれたら、いじめグループにいじめられる可能性もありました。
だから私は、人形の一部だけ、左手の薬指だけ持ち帰ることにしました。その後また人形に近付ける保証なんてないし、彼女自身は遠くに引っ越したということを知っていました。そのため、せめて人形の一部を持ち帰って、今まで彼女に何もできなかった償いとして毎日それに謝ろうと思ったんです。
私は人形の指に手をかけました。人形の全ての指の付け根には割れて瞬間接着剤でくっつけた跡があり、力を入れれば簡単に取れると思いました。そして実際、すぐ指を取ることができました。
その時、人形から耳をつんざくほど大きい悲鳴と「痛い」「やめて」などの声が聞こえてきました。それは木下さんの声であることは確かでしたが、今まで聞いたことないほど高く大きい声でした。
私は、怖くなって人形から離れました。1mほど離れると、聞こえていた悲鳴や声は聞こえなくなって、いつも遠目に見ていた人形のままになりました。
再び人形に近付くと、今度は悲鳴ではなくすすり泣く声が聞こえてきました。私はすぐ帰りたい気持ちを抑えて人形の頭を撫でて謝り、すすり泣く声が収まってきたところで折った指をポケットに入れて家に帰りました。
私は泥と落書きで汚れた人形の指を綺麗に洗った後、机の上に置きました。それからは毎日、「おはよう」や「おやすみ」、「行ってきます」や「ただいま」など声をかけました。声をかける相手は人形の指でしたが、毎日木下さんとお話ししているようでとても楽しかったです。
しかし春休みが明け、始業式の日に起きると、人形の指は無くなっていました。家族に聞いても誰も知らず、逆に指を置いていたことがばれて気味悪がられました。
学校に行くと、やはり既に人形は無く、そしてクラスの人も先生も騒いでいました。それから、木下さんも人形も、そして指も私の前に現れることはありませんでした。
人形がいなくなってしばらく経った後、色々あってほとんど自然消滅していたいじめグループの中の1人に、人形のことを聞いたことがあります。人形を壊したりしていたとき声などが聞こえたことがないか。何か変なことが起きたことはないか。その時に彼が言ったことを、私は今でも忘れることができません。
「聞こえてたよ。泣きながら痛いとか熱いとか、あと水を入れたら溺れてるような声を出してたなあ。木下さんをいじめてたときは泣き声一つあげなかったからさ、いじめ甲斐があってすごく楽しかったよ。」
#怪談 #ホラー #人形 #いじめ
香織は自慢の娘でした。物心のつく前に母親を交通事故で亡くし、香織もつらかったはずなのに、仕事で忙しい私を気遣ってか、弱音も吐かずわがままも言わず、家事を手伝ってくれたり勉強を頑張ってくれていました。
一緒にご飯を食べたりテレビを見ているときに、テストで良い点数を取ったことや習字などで良い賞を取ったことを自慢してくれたとき、とても幸せな気分で話を聞いていました。
だから高校の夏休み中、香織が川に身投げをして自殺を図ったと知ったとき、私は愕然としました。当時私は隣県に長期出張していたため電話でしか香織と話しておらず、その時も香織はいじめられていたことは話していませんでした。自殺を図る前日も、いつも通りの声で休み中の課題が1つ終わったと話していました。
病院に着いて香織を見た私は言葉を失いました。自殺の傷がひどかったからではありません。殴られた跡、煙草を押し付けられたような跡、折れた歯……香織の身体は、いじめられた跡でいっぱいでした。私は、香織が目を覚ますことを祈りながらずっと謝り続けていました。
3日ほど経って香織は目を覚ましましたが、記憶喪失になっていました。私のことも覚えていませんでしたが、それでもとても嬉しかったです。
それから私は、元気になった香織と一緒に隣県に引っ越しました。香織は記憶を失ったからか、自殺する前よりとても明るく活発な子になりました。私もできるだけ家にいる時間を増やすようにしましたが、反抗期に突入した香織と喧嘩することもしばしばでした。
しかし、そんな幸せな時間は長く続きませんでした。
香織は高校1年から2年になる間の春休みで亡くなりました。妻と同じ、交通事故で亡くなりました。
香織が死んでから、もう20年になります。先月、例年通り親戚と一緒に妻と香織の墓参りに行ってきました。その時、私は愕然としました。
かわいそう
ひどい奴らだな
持って帰るなよ
などの言葉が、多くが読み取れないほどにお墓の全面にびっしりと書かれていました。また、カロート──骨壺を納める場所──の蓋の石が僅かにずれていました。
私はすぐ住職を呼び、カロート内を確かめました。香織の骨壺は粉々に割れており、そして遺骨ではなく磁器製の何かが割れた破片が散らばっていました。私には、一体何が起きているのか理解できませんでした。
警察に連絡し、近隣への聞き込みや監視カメラの確認などしてもらいましたが、誰がそのようなことをしたのか分かることはありませんでした。
そんな中、私は親戚の1人から、上に挙げた2つの文章を教えてもらいました。
無関係とは思えませんでした。名字はもちろん、「20年ほど前」という時期と高校1年生という点の一致、いじめられていた事実、そして磁器製の人形。それらの全てが、文章内に出てくる人形が香織だと物語っているようでした。
もう20年も昔のことですから、なぜ香織の人形があったのか、香織が記憶を失ったり性格が変わったのと関係があるのか、分かることはないでしょうし分かるとも思っていません。
それよりも、確かめなければならないことがあります。
この投稿が公開される前日に、妻と香織のお墓を建て直します。既に閉眼供養は済ませてあります。
この投稿が投稿された次の日、私は再びお墓を見に行きます。
何か書かれていれば、やはりそういうことなのでしょう。
上の2つの文章とこの文章を読んで、あなたは何を感じましたか?
──お墓に何も書かれていないことを心から願っています。
«41本目|42本目|43本目»
第3回百物語怪談賞 作品一覧はこちら