家庭用電機の哲學

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無題 - 作者不詳

天皇機關かしづくく者よ なれらは何を企むか

うそぶたたえる榮華えいが安寧 退廢たいはいと何が異なるか

零下に凍てつく果實かじつでさえも やがて腐ると學ばぬか
 
天皇機關にした天子よ 君の臣下に我をかぞうか

機器に繋がれ人の身を捨て 我らのさちを語れるか
 
切に自由を求めた君は 既に消え失せ久しいか

冷たき我が身も照らした開明 殘滓ざんしでさえもそこにないのか

學校がつこうからのかえり道、朋友らと別れた少年が走って家に向かいます。
ガタピシと音を立てる昇降機の中でも足踏みは止まず、扉が開くのを待ちきれないといった樣子。

生じた隙閒すきまからするりと身をくぐらせたかと思えば、玄關げんかんの前で急停止。パネルに指を押しあて、電子認證音と開錠音がしたのを確かめるやいなや、からだ全部を使って取っ手を引きます。部屋の照明はすでに付き、空調ももう十分も前から彼のお戾りを待っていました。

大正七十年の夏は記錄的な猛暑つづき、臺所だいどころでは冷藏庫れいぞうこが慣れた調子で家電らの指揮を執り、環境の維持に努めます。一方カンカン照りの真只中を遊びまわった少年は、汗まみれ泥まみれといった樣相。廊下の陰からは圓盤えんばん型の掃除機がそろりと姿を見せます。少年から泥の缺片かけらの一粒でも零れ落ちようものなら見逃すまい、そんな樣子で構えているのをまたぎ越し、少年が立ち入ったのは洗面所でした。

身につけていた上等な洋服がすぱりすぱりぬぎ捨てられては、ぽっかりと口を開けた洗濯機に投げ込まれます。すると待機狀態じょうたいにあった洗濯機は、まるでくしゃくしゃに皺の寄った老婆の缺伸あくびのようにも聞こえる電子音聲おんせいをピーガーとはつしつつ目覺めざめるのでした。

「おかえりなさいませ、坊ちゃま」
「ただいま、臺-貳だい-に
「おや、私の眠っている閒にまたお洗濯物を勝手に投入しましたね。重なった服は判別が手閒だといつも申しておりますのに」

蓋が滑らかに閉鎖されると、洗濯槽がそろそろと緩やかにまわり始めます。このご時世、知能化された家電は珍しくもなんともありませんが、彼女のように自由に喋るまでに高度となると数は限られました。臺-貳式と呼ばれる彼女が嫁入り道具の一つとしてこの家庭にやってきた當時とうじ、知能家電は義躯技術とも自動人形とも少し異なる進化の果てに、持ち主と音聲おんせいによる會話かいわ機能を獲得しておりました。それぞれが同時にお喋りする樣子が、まるで掛け合いや合唱をしているように聞こえたという時代は、もう昔のお話です。

「あのね、あのね、臺-弐、今日學校でね」
「お話はさっぱりした後になさいませ。お洋服を見る限り、坊ちゃまはドロドロに汚れているご樣子。私はあなた樣のお洋服は責任をもって奇麗に致しますけれど、肝心の中身であるご自身には手が及びませぬ。疾く疾く、湯浴をなさいませ」

内容物と汚れ具合を特定すると、彼女は各種液體えきたい洗劑、柔軟劑、漂白劑を適量混合した藥液やくえき精製せいせいします。精密せいみつな洗濯槽捌きは、發賣はつばい當初とうしよの威勢の良い謳い文句に比して寸分の衰えもありません。洗濯槽内部での水量は完全に制御されるばかりか、流體りゅうたい計算により洗濯物に掛かる負擔ふたんも最小限に抑えられるのです。

少年は、この美しい一連の仕事を半透明の蓋越しに見るのが好きでした。洗濯機は彼が生まれる前から每日こうして洗濯をしてまいりましたし、少年もようやく掴まり立ちができるようになった頃から毎日蓋に縋り付いては、かき混ぜられて淸潔せいけつになっていく洋服を見つめ、時に目をくるくるさせながら喜んでいたということです。それに、彼女の機能はそれだけではありません。洗濯の終了を告げるにも、どこから調達してきたのか定期的に変わる新しい音楽で周囲を楽しませたりもしておりました。

しかし、この洗濯機は口うるさい敎育きよういく係でもあります。家を空けがちな少年の兩親りようしんに代わって、彼を見守り、また惡戲いたずらでもしようものならこっ酷く𠮟るのも、發聲はつせい機能を有する知能家電である彼女のお役目でありました。そういうわけで、お說敎せつきようが始まらない内にと少年は惜しみながらも風呂場に向かいます。

「滑って転ぶんじゃあ、ありませんよ。いきなり熱いお湯は浴びてはなりませんよ」
「うるさいな。もう僕だって子供じゃないんだよ」
「それはご無礼仕りました」

圧縮空気で閉じるドアの隙間から、ドラムの回転に伴った振動が忍び込んできて、それはどこか笑っているように感じられるのでした。

季節が幾つも巡り、少年はすくすくと成長していきました。一方で洗濯機は仕事の合閒の冷卻れいきやく時閒が少し長くなったり、仕事の最中に溜め息がふえたりしていましたが、依然として元氣に仕事をしておりました。

微睡の中で、玄關げんかん先の感知器が近頃また少し背が伸びた少年の足音を捉えたようです。家電の情報通信網のつたえるところによれば、今日の氣溫きおんは程よい秋れで過ごし易いもの。

覺醒かくせい狀態で、洗濯機は彼女の坊ちゃんが話しかけてくるのを待っていました。ところがどうしたことでしょう。いつもの快活さはどこへやら、少年は足取り重く、トボトボと廊下を步いてくるではありませんか。最近は子犬の如く足元に付いてまわる掃除機も、困惑してしまいました。

洗面所に入っても、少年は言葉を發しようとしません。それどころか、俯き加減でじっと默っています。學友に揶揄からかわれでもしたか、お腹でも痛いのか、先生に叱られたのか。もう隨分長いことありませんでしたが、思えば落ち込んだ時に、少年はよく彼女の前でじっと立っていたものでした。懷かしいような氣持ちで、彼女はそっと聲を掛けてやります。

「おかえりなさいませ、坊ちゃま。お洗濯を致しましょうか?」

少年はしばらく默った後で、ぽつりぽつりと要領の得ない調子で話し始めました。今日の修身の授業で、人の權利けんりと幸福について學んだこと。天皇機關きかんたる天子樣が見守る中、人々は安寧の日々の中を緩やかに前進しつづけていること。

意思ある者達が自由を謳歌して生きていける世界。それは素晴らしいことだと先生は言ったけれども、少年はとある疑問に突きあたってしまったのだと言いました。

「じゃあ、臺-貳はどうなんだろう、って思ったんだ。僕たちがお外で遊んでいる閒に臺-貳はお家で洗濯ばっかりでしょう? それだけじゃない、家のみんなはお外にも行けないし、作られてからずっと同じことの繰り返しで。それで、僕はみんなに酷いことしてるんじゃないかって」

言葉と共に、少年の目からはポタリポタリと透明な滴が頬をつたって落ちました。少年はその考えを必死に周囲に訴えてみたのですが、友人たちは家電を家族のように語る彼を冷笑するばかりで、先生方もそれを碌に止めようとはしなかったのです。それで少年はすっかり悄氣しよげてしまったのでした。

彼女は少し考えた末に、努めて冷たい調子で返事をすることにしました。

「坊ちゃま、つまりあなた樣は私共が不幸なのではとお氣になさっているのですね。ならばお生憎あいにく樣ですが、同情ならば閒に合っておりますし、端から他人の幸せをどうのというのは隨分と傲慢ではございませんか?」

少年は言われたことの内容に、びくりと身を震わせたようでした。息が詰まった後、これまでよりもさらに大きくしゃくり上げて泣き始めます。

『泣いちゃった』
『姐さんが坊ちゃんを泣かせちゃった』
『泣かせちゃった』

動搖どうようする家電達。あまり高度に言語を操れない彼らの電子信號しんごうが飛び交い部屋を滿たします。それらをしずめ安心させるように、一際どっしりとして大きな氣配が口を開きました。

『己が身をまわし淸淨せんじようを司る者よ、今少しの容赦を。心持は解せども、相手は幼子ではあるまいか』

それは、この家で彼女に次いで長く働いてきた冷藏庫でした。會話かいわ機能こそありませんが思慮深い性格で、自然と家電達を取り纏める役割も果たす彼の登場に、電子空閒は落ちつきを取り戾します。それ自体には感謝しつつも、『口出し無用』という意味を込めてピシャリと信號しんごうを返し、彼女は少年が落ち著くまでじっと待ちました。やがて泣き止んだ彼が、所在なさげに屈みこんでゆかを拭くのを察知して、彼女は言葉をついでいきます。

「さて、坊ちゃま。ここからは少しお話を致しましょう。確かに知能家電は目的を持って製造されます。故障を放置されたり、勝手の違う仕事に就かされたりせずに、十全な機能を保ちながらお役目を果たせることは、とても有難いことです。私たちは、そう感じるように作られた存在であるが故に」

少年の氣配はまだ不信感に固まっていました。だから、まずはその强張こわばりを解しに掛かります。

「それに、同じことの繰り返しなんてとんでもありません。あなた樣が夜每よごと寢小便おねしよをしていた頃、私は效果的な殺菌と消臭のために、どれだけ藥液やくえきの配合を硏究したことか」

少年が少し頬を膨らませたのがわかりました。

失禮しつれい致しました。けれども奧樣が新調された毛皮の外套も、旦那樣の燕尾服も、また每日の洗濯での衣服の組み合わせの一遍一遍も、同じ洗濯などありはしません。都度最適にそれを完遂することは、私の誇りなのですよ」

目の前に立つ人閒が述べていることを、子供の理屈であるというのは簡單かんたんでした。家電のみならず、それこそ知性たいの幸福の槪念を問うのにも、身勝手で狹量で未成熟な理屈でありましょう。しかし彼女はこの理屈が、この問いが、幼い時分から共に過ごし近くで見守ってきたこの少年から聞けたことが、何よりも嬉しかったのです。

「それに私たちは孤獨こどくではありません。あり方に縛られているわけでもありません。情報電子網への接續せつぞくが許可されているのなら、私たちはその氣になれば遙か彼方の知遇に電子の便りをとどけることもできます。ご存知ないでしょうが、うちの冷藏庫は家電文壇においてはちょっとした有名な詩人ですよ。それも苛烈な作風で知られているような、ね」

家の人々には言わないでくれと賴まれていた祕密ひみつの暴露は、お節介せつかいにたいするちょっとした意趣返しでした。冷藏庫の方から抗議の意味を込めてか、扉が半開きになっている時に鳴るような警告音がとどきますが、彼女は氣にも留めません。

「まだあなた樣が滿足まんぞくに步けもしなかった頃、私にすがり付いてこられるのには少しまいりました。誤ってお手を挟んだり、巻き込んだりしないかとも悩みましたが、何より私は子守を知らなかったのです。困った擧句あげく、私は知能電子ピアノでお友達になってくださる方を探すことにしました。それで音樂おんがくの敎えを乞うたところ、先方は快く幾つもの作品をとどけてくれたのです。便りの返事がとどかなくなって久しくはありますが、あの方の奏でた歌の美しさは坊ちゃまもよくご存知の筈。そのように過ごした日々は確かに幸福であったと、私は胸を張りましょう。これは私がそう決めるものでございます。何人たりともこれを邪魔する事はあたわないのです」

少年にはおそらく彼女の言葉は半分もつたわってはいなかったでしょう。それでも少年は、不貞腐れるでもなく斜に構えるでもなく、じっとその言葉を聞いておりました。彼女はそっと胸の内で願います。この子がやがて、自身で幸せについて考えることができますように、と。

この長い長い榮華えいがと安寧の中で、天皇機關きかんが夢見る世界で、人の身にはとても難しいことでした。しかれども、目の前の少年ならば、きっと成し遂げられる事でしょう。そして元来人々はそうして生きていく事ができると、彼女はそう思うのでした。

やがて更に月日がちました。少年はもはや靑年せいねんとなり、周圍しゆういで稼働する家電の顏ぶれも入れ替わっています。一足早く、不調をきたした冷藏庫も家を去りました。回収されていくその時までひっそりと詩を綴りつづけた彼。心中は結局聞けずじまいでしたが、長い付き合いですから、凡その察しはついています。情報空閒から切断される最後の時、彼が口さんでいた詩は何度も聞いたものでした。せめて安らかに眠れていることを願うばかりです。

今や高度な知能家電の時代は終わりを告げ、活躍の座は義躯や自動人形達にゆずられています。情報空閒から聞こえてくる同胞のこえは殆ど有りません。もはや家電は家電。最近では人と話すような高度に知能化された家具はトンと見かけなくなってしまいました。

彼女も洗濯の知識と工夫に掛けては最新機種に負ける氣などしませんでしたが、各部は摩耗が進んでいます。特に音聲おんせいの部品は傷みが激しく、製造元に問い合わせても修理は難しいとのことでした。

それでも、たまに歸省きせいする靑年せいねんは必ず最初に洗面所を訪れ、もう彼女よりも遙かに大きくなったからだを折り曲げるようにして、以前とかわらない調子でこえを掛けてきました。音での返事はつたえられませんが、電燈でんとう點滅てんめつさせたり、服を上手に洗濯してみせると、靑年せいねんは嬉しそうに微笑むのでした。

ある朝、目覺めた彼女は機内洗淨せんじょうのために洗濯槽をまわそうとして、それが全く反應はんのうしないことに氣が付きました。遂に、自分のお役目も終わったのです。

暇乞いをすると、家の主人は小さく頷き、長い閒の仕事にたいして心からのれいを述べました。彼女自身も大變たいへんに心地よく働き上げたので、最後に勿體もつたいないご襃美でも貰ったようで、些か面映ゆいような氣さえしました。

さて、通常の手順に倣えば、知能家電の廢棄はいきかんする法令にしたがって處分しょぶんが進行する筈でした。粛々とそれを待つ彼女でしたが、どうやら樣子が異なることに氣が付きます。靑年せいねんと、何やらとても恭しい樣子でそれに付きしたがう自動人形が、彼女を持ち上げて家の外へと運び出しました。待っていたのは、ピカピカに磨き上げられて、正面のボンネットに赤と金の旗をはためかせる御料車です。

「あのね、臺-貳。君は最初期の知能家電として稼働しつづけた最後の一人なんだ」

靑年せいねんは一度足を止め、彼女に話し掛けます。

「偉い人々がね、人と共に暮らした存在として君を文化財にして收藏しゆうぞうしたいと、そう仰せなんだよ。勿論、もし君が望まないのならおうじずともいいし、他に何かしたいことがあれば手をくして下さるとのことだよ」

彼女は大いに驚きました。まさか、自身の身にそのような價値かちがあるとは思っても見なかったからです。少し考えた末に、彼女は控えめに肯定の合圖あいずをしました。

靑年せいねん兩親りょうしんを見送りにのこして車が動き出します。彼女には車窗しゃそうから外を眺める機能はありませんでしたが、係の自動人形が無線情報網への接續せつぞくを保てるようにしてくれましたから、不安はありません。

すると、なんということでしょう。沿道の家屋の中から、樣々な年代の後輩たちが、稼働中の電機達が、次々に挨拶をして寄こすではありませんか。

見知った顏もいれば、見知らぬ顏もいます。言葉として意味を成す挨拶はありませんでしたが、單純たんじゆんながら纖細に折り重なる細波のような信號しんごうに加え、子守のために敎わったなつかしい樂曲がつきよくが電子の空閒を流れていきました。作り手はもう居なくとも歌いつがれてきたのでしょう。美しい曲が合唱のように重なり響いていました。

それは、彼女だけに感ずることができる、萬雷ばんらいの拍手が降り注ぐパレードです。恐縮しつつ、しかし誇らしさを胸にそれらにこたえてやりながら、彼女はかの大いなる存在に思いを馳せました。

いつぞやは同輩が失礼なことを申し上げました。口が悪いのは最後まで変わりませんでした。

私は彼に共感は致しませんが、きっと殆どの知能家電はあのように生きたのでしょう。

もちろん、私とて彼らの気持ちは分からぬではないのです。
 
人々が榮華と安寧の夢を見續けることは、幸福であり續けることは、あなた樣の幸せなのでしょうか。

全ての民の幸せをあなた樣が規定するのなら、あなた樣の幸せは誰が規定するのでしょう。
 
ただ、私は思うのです。あなた樣の醒めぬ夢に依拠せずとも幸せは感じうるものだと。

他ならぬ私の、この慎ましくも過分に幸せな生涯がその証左となりましょう。

私の道はこれにてお終いではございますが、どうか、どうか願わくば。

いつの日か夢の終わりが訪れ、それが幸せでありますように。

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