転覆した船の様子。
父は船乗りでした。大きな連絡船の船員で、仕事続きで家に居る時間は僅かだったけれど、尊敬できる人だったのを覚えています。
そんな父との別れは、見知らぬ人物にすれ違いざまに刺されたかのように突然でした。
忘れもしない、あの日。グアム島西方約800kmで発生し、あの日本全国に多数の被害を出した台風が、父の船に直撃したんです。出航後、すぐに危険を感じた船は防波堤外で仮泊していましたが、強風に押し流され座礁し、その後右舷側に大きく傾斜し沈没しました。
救助が到着した時点で、船は既に船体がほぼ裏返しになっていました。乗客は大波にさらわれたり、船内に入り込んだ海水で水死したりと、地獄絵図だったとの事です。
数百人単位の死傷者・行方不明者が出たと聞いています。最期まで船に残ったであろう父も、この数字の中の一つです。知らせを聞いて、すぐに母と海岸に向かったんです。その時の光景は一生忘れないでしょう。
台風が通り過ぎた後の爽やかな潮風の中、陽の光がキラキラと反射する海岸に、バシャ、バシャバシャっと死体が次々に打ち上げられるんです。目を開ききって何かに縋ろうとする死体、体中が傷だらけの死体や、かろうじて人間なのだと分かる剥けきったモノだったりが次々と…。救助隊員が動き回る海岸に、私たちの様に肉親の姿を求める人々が集まり、あちらこちらから泣き叫ぶ声が聞こえていました。
そのまま、私と母は暗くなるまで海岸に立ち尽くしていましたが、結局、父には会えませんでした。船内でも遺体が見つからなかったので、何らかの形で船外へ投げ出されたのではないかと言う話ですが、詳しいことは何も分かりません。
やがて、私達は遺体安置所に通うようになりました。
次々と運ばれていく遺体は汚れを洗い落とされ、持ち物や傷の状態など様々な事を記録された後、棺に納められていく。
その中に、父を姿を求めました。しかし会えない。
そんな状況が続くと、肉親の死体を見つけて泣き果てる人達を見て、正直羨ましいと思う事もありました。浅はかで醜いと思うでしょうね。でも周りの事を考える余裕なんて、ありませんでした。
悪い事は続きました。一部の被害遺族が、私達が船員の家族だと知った途端、いきなり猛毒のような憎悪が込められた言葉を浴びせかけてきたんです。その時の人たちの目は余りにも恐ろしくて、本当に殺されると思いました。母は何も言わず、私をかばいながら、ただただ謝り続けていました。申し訳ありません…申し訳ありません…と、ゆっくりと頭は下がっていき、最後には泣き崩れるようにして額が地面に擦り付けられました。
船は港へ曳航され、徐々に解体されていく。
母は凛とした人でした。家に居ない父の代わりに厳格で、怖いと思う事もありました。でも、いつも冷静で懐が深くて、常に安心感を与えてくれる人でもありました。
そんな母の心は、静かに深々と抉れ、赤く滲んだ肉が見えるほど傷ついていきました。
あの後、私を置いて母は一人で遺体安置所に通うようになったんです。家での母は気丈に振る舞っていましたが、外ではどれだけの苦痛と心細さを味わっていたのか、とても想像しきれません。弱りきった心に鋭い刃物を刺し貫かれ続けて、それが通り過ぎても鈍い痛みを抱えたまま傷は塞がらない。ふと気づいた時、母は痛みに耐えられなくなったのだと思います。
ある日、母は”生きている父”と帰ってきました。
たった一人で。
虚空に笑顔を見せながら、「ほら上がって!」と手招きしていました。スーパーで2人分とは思えない食材を買い込み、「今日はご馳走にしなくちゃね!」と張り切る母に、私は言いようもない恐怖にも似た不安を覚えました。
そして、本当に食卓に3人分の食事が並んだ時、私はハッキリと言ってしまったんです。
耐えがたく、口にもしたくない事実を。
母は、小さく「ごめんなさい」って呟きました。私ではなく遠くを見ているような顔で驚いていて、「そう、そうね…」と言いながら、寝室へ向かいました。私は何も出来ない無力さと、不安と悲しみで、ただただ体を震わせる事しか出来ませんでした。
夜、ふと目が覚めて横を見ると母は居ませんでした。嫌な予感がして飛び起きて家の中を見ると、荒れていた部屋がしっかりと片付けられていて、そして母はどの部屋にも居ませんでした。
分厚く曇り、月も星も見えない真っ暗闇の外に飛び出し、私は必死に母を探そうとしました。最初、とりあえず近くに住む親戚の家に向かおうとしたんです。でも、そうじゃない気がして、私は踵を返し走りました。
母は港に居ました。人が居ない暗闇の海、封鎖され雑然と物が置かれた港に私が到着した時、母は既に腰まで海水に浸かっていました。
私は叫びました。母は振り返る事なく一歩前に進みました。
私は追いました。母はゆっくりと一歩進みました。
私は母の腕を掴みました。母は更に一歩進んだ所で踏み場を失い、どぷんと水の中に沈みました。
引っぱられる。
次の瞬間、冷たい水が咽喉と耳を覆い、無限に広がる暗闇が目の前に現れました。
実際はそれほど深くなかったはずです。でも、鼻と口から衝撃と共に一気に水を吸い込んだせいで、完全に平衡感覚が狂い、水面の位置が分からなくなっていました。息が出来ない。苦しい、吸いたい吸いたい。肺が空気を求めるせいで、海水が鼻奥と食道になだれ込んでくる感覚。パニックになり、何も考えられず、ただ苦しい。痛い。
それでも、母の腕を強く握りしめている感覚はありました。母はずんと重く、ぶるぶると痙攣している。
時間が無い。この息苦しさが次の瞬間、耐えられない激痛に変わるのが分かる。私だけでもと、生きる希望を考え力を緩め、失った物を思い出し握り直す。そこで湧いた諦めの感情、しかしそれは死の恐怖にすぐに塗り替えられました。
死にたくない。
その瞬間、”ドン”と何かに海底から突き上げられ、晴れた夜空の月明かりが視界に飛び込んできました。
後に思い出しつつ、想像で補いながら描いたスケッチ。
私達を突き上げたそれは、ガチョウのような嘴を持ち、全身が傷だらけの生物でした。イルカにしては大きく存在感があるけれど、不思議と怖さは感じませんでした。
それは少しだけこちらを見つめた後、静かに海底に潜り消えていきました。
納棺や出棺、火葬も無い父の葬儀。
私は、つい最近まで本当に幸福でした。尊敬できる父と、厳しくも愛情を注いでくれる母に育てられ、何の苦しみも感じず人生を歩んできました。
そんな私は、気付いた時には孤独な暗闇に取り残されていました。
その事を強く実感したのは、父の葬儀を行った時です。ニュースであの事件が取り上げられなくなって暫く経った頃、親戚が揃いも揃って、早めに葬式をやってしまった方が良いと勝手に話を進めてしまったんです。正直、私は葬式なんて嫌でした。でも仕方なかったんです。母は自殺未遂の後、精神状態が更に悪化し、腫物扱いされるようになっていました。私もまだ未成年で、何の力もありませんでしたから。
葬式を通して心の整理をつけようと努力しました。でも考えれば考えるほど、精神が沈んでいく。
父は顔も見せず永遠に居なくなりました。今までの自分の世界に対する認識は崩壊し、あの頃に戻れない。不安の中で浮き沈みを繰り返し、常に落ち着かず、ぼんやりと重苦しい。
母は痛みに耐えかね、もう私と一緒に苦しんでくれない。もう自分の中では輪郭しか捉えられない程ぼやけてしまった、あの家族との思い出の日々。葬式が終わった今も尚、母はそこで生きている。
母にとっての”父”が居る家に帰るのも辛く、その頃の私は何か別の事を考えるのに必死でした。
そんな私にとって、あの夜に見た謎の生物について調べるのは、気を紛らわすのに丁度良かったんだと思います。図書館に行って、あの生物が小型の「鯨」なのだと突き止めたり、あんな場所に居るはずの無い生物なのだと確信したり。それについて考えている時だけは、苦しい思考から逃げる事が出来ました。思い返せば、あのがっしりとした太い体つきは、不思議と父を思い出させるような…。
そんな事を考えながら、日が暮れるまで、ただ海を眺め続ける事もありました。海は大きくて優しく、深くて残酷だけれど、私はどうしても嫌いになれなかったから。
そんな日々との別れは、あの日のように突然でした。
……天気が悪い夜でした。叩きつけるように雨が降り注ぎ、吹きまく強風がゴトゴトと窓を鳴らす。普段なら耳を塞いで一晩中、嫌な思い出と格闘する事になるんですが、その日は何故かすぐ寝る事が出来ました。
そして、夢を見たんです。
私は暗い海の底で、漂っていました。
すると音も無く、性別や年齢関係なく、色んな人が海面から沈んでいくように、私の所に落ちてくるんです。皆、必死に私に助けを求めるような視線を投げてきて、手を伸ばしてきました。しかし、いずれも届く前に全身が青く変色し、風船のように膨張して目や口が飛び出してしまうんです。膨らんだ人達は徐々に浮上していき、次第に見えなくなっていきます。
それが繰り返される中、私は父を見つけました。父は下腹部の所で千切れて下半身が無く、黒く変色しながら唯一人沈んでいく。
追い掛けようとした時、海底から全容を把握できないような巨大な鯨が突然現れ、私は飲み込まれました。
ここで私は目が覚めました。内容を考えてみれば、紛れもなく悪夢だと思います。しかし、不思議と精神は安定していました。
ふと横を見ると、昔のように凛とした雰囲気の母が立っていました。猫背になって俯きながら”父”にボソボソと語り続ける母の姿は無く、ピンと背筋を伸ばし、真っすぐと前を向いている。母は私が起きたのを確認すると、「海岸に行かない?」と私を誘いました。
道中、母は色々な事を話してくれました。私と同じような夢を見た事。目が覚めた時、暗いドロドロの中に沈んでいた頭の中がスッキリとした事。それから私に泣きながら謝ってきて、私も酷い事を言ったり、見捨てようとした事を謝りました。
あれだけ荒れていたのが嘘のように晴れ渡り、眩しい朝日がキラキラと反射する海岸に到着した時、鯨は既に打ち上げられていて、バシャ、バシャバシャッと波を受けていました。
触ろうとすると、鯨の体はグズグズと崩れて消滅し、その体内には木の棺が存在しているのが分かりました。やがて鯨の体は爽やかな潮風に乗って完全に消え去ってしまい、私達の前には棺だけが残されました。
不思議な光景でしたが、私達はそれを自然に受け入れていました。特殊な精神状態なのもあったでしょうし、何よりそれが何なのか、確信めいたものを感じて安心すらしていました。
棺の側面には父の名前が刻まれているのを確認しながら、母と共にゆっくりと棺の蓋を開け、中に入っていた黒い納体袋のジッパーを開きました。
中には、真っ白に膨らんだ父の遺体が納められていました。頭部はカニにでも食われたか、肉は削げ頭蓋骨が所々見えていましたが、私達にはそれが父だと分かりました。
頭部の真横には、父が大事にしていた制服がボロボロに千切れながらも集められていて、腹部の辺りの雑然と並ぶ肉片の上に、母との結婚指輪も置かれていました。
会いに来てくれて、ありがとう。
私達を助けてくれて、とても嬉しかったよ。
おかえり、お父さん。
私たち家族は唐突に大きな存在を失い、その穴を埋める事が出来ず、苦しみながら何度もすり減りました。その傷は癒えること無く、時に激しく、時に鈍く痛み続けていました。
でも、今はその痛みは和らぎ、前を向くことが出来ています。
父に会えてから、母の状態は少しずつ良くなったと思います。あの日以降、母はまた猫背になり、私との会話も上手くいかなくなりましたが、”父”に語りかける事は無くなりました。きっと、またいつか背筋をピンと伸ばして、私を前へ引っぱってくれる。
父を棺に納め、硬く封をして再び流した今、二度と父に会えることは無いのでしょう。父と一緒に帰りたかったけれど、大変な事になるのが分かり切っていましたし、それ以上にどうすれば良いのか分からなかったんです。すぐに誰かが発見するかとも思ったのですが、少なくとも現在まで見つかっていないようです。
父に会えたのは、本当に思いがけない幸運でした。今でも夢だったのではと思う事があります。
父の姿は、目を背けたくなるようなものではありました。あの鯨は、人によっては、どこまでも残酷な現実を見せつける無慈悲なものだと感じるかもしれません。
それでも、少なくとも私達家族にとっては、救いになるものでした。
あの棺を開くまで、父の死を理解する事は出来ても、その現実を認める事が出来なかった。
楽しい思い出を振り返っても、本当は何処かで生きているのではという淡い思考に塗り替えられ、狂わしく切ない気持ちだけが残る。
いつまでも、父は生きていたんです。だからこそ、痛み続ける。
けれども会う事さえ出来れば、逝ってしまった事を確認さえ出来れば。
別れの痛みは、再会の喜びに比べればなんでもないのだから。