おお、久しぶりだな。せっかくだ、お隣失礼するよ──おいおい、再会早々、そんなに急いで喋るなって。ゆっくり話してくれないと、ここはうるさいからな、まともに聞きとれやしない。一度口を閉じて、そう、呼吸にでも集中していてくれ。
その代わりといっては何だが、落ち着くまで俺の話でも聞いてくれないか。焦るなって。大丈夫、大丈夫だから。
俺がお前との競争に負けてバックオフィスに異動したあとも、お前の話は耳に入ってきてたよ。この前だって表彰されたんだろ? 「より堅牢な収容壁の開発に成功」だったか。ああおい、そんな顔するなって。お前は十分上手くやってるよ。
そんな風にお前が活躍している一方で、俺は今まで何をしていたと思う? いや、答えなくていい。研究職に比べれば地味な仕事さ。経理に人事、色々やったが、大分前に、福利厚生の方に回されてな。それからはずっとそこにいる。意外にも、どうやらこれが俺の適職らしい。本当さ。俺の今の仕事は、不安そうな職員に、にこっと笑いかけてやること。論文を読んでしかめっ面するよりは、確かにこっちの方が向いてる気がしてるよ。
それで、うちの組織は、ご存知の通り人権の穴を福利厚生で補っているだろう? だから、そりゃ大変な量の福利厚生サービスがある。その中でも俺は、遺言信託を担当してるんだ。
知ってるか? 遺言信託。もし感染性の異常に巻き込まれたりなんかしたら、安全のために俺たちの私物は全部燃やされちまう。だから、異常の影響がないって保証があるうちに遺言を残しておいて、それを財団が保管しておくサービスがあるんだ。
本来は財産の相続先とか、家族の処遇とかを残すために始めたサービスだったんだが、いつからか、メッセージ性溢れるお手紙──まあ、要は遺書だが──が持ち込まれるようになった。結局追い込まれた人間は、財産より、自分の思いや、生きた証を残したくなるんだろうな。最初は断ってたんだが、あまりにも多いものだから、今ではそれも保管するようにしてる。ただそのせいで面倒な業務も増えてな。提出された遺書には全部目を通す必要が──
──なんだその顔。どこの阿呆が機密漏洩するかわからないんだ。内容のチェックくらい当然だろう? それに、ちゃんと規約にも書いてある。
そもそもこっちも、楽しくて読んでるんじゃない。いいか、遺書ってのはこの世で最もつまらない文章なんだ。誰が書いても、大体同じような内容になる。嘘だと思うか? 本当なんだ。例えば、妙にネガティブな書き出しから始まれば、俺はやたらと量の多い便箋の枚数を数えながら考える──
さて今回は、大切なものを失って生きる意味をなくしたか? それとも、理不尽な世界と己の無力に疲れてしまった? もしくは、自分の罪を悔いて懺悔でも始めるか、浅い達観と斜に構えた態度を棚に上げて、疎外感の苦しさばかり主張するか──まあ大体、このどれかに当てはまる。もっと悪いことに、オチのパターンも貧困だ。あっちで待ってる。そっちへ行くよ。絶対に許さない。ありがとう。笑ってくれ。忘れてほしい。忘れないで……
こんなダサいキメ台詞、鳥肌がたつだろう? 自分を残すための物語たちが、あろうことか下手な紋切り型の悲劇ばかり。浅くて、薄くて、物知り顔で着飾った汚らしい自意識が透けて見える。なあ本当に、そんなものを残したかったのか?
そんなに睨むなって。自分の書く遺書はそんなものではないと? いや、違うな。思い当たるところがあったんだろう。さっき、お前が口に出そうとして、俺に遮られた言葉。
もう一度尋ねさせてくれ。お前は自分の人生を、型にはまった、くだらない言葉にまとめたいのか?
……ありがとう。それなら今は、口を閉じて、呼吸に集中してくれ。
そうしたら、気付くはずだ。重なり合って廊下に響いていたアラートも、少しずつ静かになってきた。お前が寄りかかっている、崩れた収容室の壁。そこを伝ってくる振動も、いつの間にか少なくなっている。ずっと勢いを増すかに思えた炎も、ここまでは迫ってこなかった。悲鳴も、怒号も、銃声も、もうほとんど聞こえない。俺も片目だけの視野に慣れてきたし、お前を取り囲む血だまりも、もう広がることをやめている。さっき連絡が入ったよ。もうすぐ救護班がやってくるそうだ。
だから、死ぬために言葉を並べようとなんてしないでくれ。
俺が読んできた遺書、全部くだらなかったよ。だけど、それを書いた人間たちがくだらないわけないんだ。そいつらにしかない人生があって、思いがあって、繋がりがあった。決して紋切り型じゃない、そいつらにしか生きられない人生を生きてきたはずなんだ。
だからこそ、A4だかB5だかの小さな紙数枚で、自分の人生を語りきれるわけがない。いや、どんな大きな紙でだって、語りきることはできないんだ。人生はまとめられない。俺たちをまとめるには、俺たちは言葉を知らなさすぎる。
それを無理に、格好つけてまとめようとしないでくれ。お前だけの人生を、借りものの言葉で陳腐にしないでくれ。本当に、そんなの、くだらないことだから。
代わりに、俺たちは語り続けなきゃいけない。いつか死ぬときだって、まるでそんなこと気付いていないかのように語り続けるんだ。そうしてまとめられずに積み上げて、バラまき続けた言葉たちだけが、きっと足跡みたいに俺たちの人生を遺してくれる。
生き終えるためじゃなくて、生き続けるために、明日も、明後日も、お前の言葉を聞かせて欲しい。だから今は無理に喋るな。頑張って、息を続けてくれ。
──ああおい、泣かないでくれよ。俺は説教がしたかったんじゃなくて、ただ励まそうと──
はは、参ったな。俺たちはいつだって、本当に言葉足らずだ。