クレジット
翻訳責任者: 2MeterScale
翻訳年: 2023
著作権者: TopHatBionicle
原題: When Day Broke the Unbreakable Reptile
作成年: 2023
初訳時参照リビジョン: 4
元記事リンク: ソース
- 不死などない。汎ゆるものは殺されるか、事故か、只の老衰かで死ぬ。
- 汎ゆるものに弱点はある。不死などないならば、汎ゆるものに死は訪れる。つまり、きみは何を殺すことだってできる。
- SCP-682を殺せないと思ってはいけない。たとえどんな状況でも、一秒たりとも、無意識の中でさえも。
きみがSCP-682の担当へ回されたときに、何が何でも信じねばならない三つの自然法則だ。僕も先輩たちに口を揃えて教え込まれたものだ。
もちろん、この法則はSCP-682を実際に終了しようとする研究員たちがより気を配るべきものだ。でも、僕は心の底からこいつを信じていた。SCP-682を終了しにここに居るわけじゃないけど、それはそれだ。
僕は心理学者だ。あるいは、そうだったと言ったほうが良いかもしれない。この爬虫類の研究とともに、こいつの心のプロファイリングをすることが僕の仕事だった。少なくとも、財団は僕にこうあれと命じた。要するに、純朴な破壊と憎悪の心理がどう働いていたのかを探っていたのだ。言ってしまえば、財団の方針が変わったということになる。知性のあるSCPの心意を理解することで、収容プロトコルを改善するのだそうだ。どうにかして彼らの自己満足を引き出すことで、収容違反未遂の件数を減らそうとしているのだろう。
僕が682の担当に回ると志願したときに、みんな口を揃えて僕のことを狂っていると詰った。実のところ、そうだったのかもしれない。狂っていなければ、こんなところにいなかったのかもしれない。とにかく、塩酸のプールに浮いている巨大で殺人的な「死に損ないの爬虫類」をひと月の間僕は毎日覗き込むことになっていた。
もしかすると、爬虫類の方も僕のことを覗き返していたのかもしれない。
あの大蜥蜴が尋問に協力してくれないのはいつものことだ。態々プシケを僕にちらつかせたりなんかもしない。だから、僕は682が話しかけてくれるまでずっと座っていようと決めた。毎日ペンとノートを持って、爬虫類をただ見る。その爬虫類の方も、暇だったら僕のことを見る。ハンニバル・レクターに正対するクラリス・スターリングの気持ちがわかった気がした。ハンニバルの方は、少しだけ話してくれそうだけど。
682が僕を含めた研究員全員のことを「忌々しい」と思っていることも、地球上のすべての生命に死んでほしいと思っていることも知っていた。でも、もしかすると。本当にもしかすると、682の中ではちょっとだけ殺意よりも好奇心のほうが大きかったのかもしれない。
真実は闇の中だ。だって、太陽もあの日に突然に地球上のすべての生命に死んでほしいと思おうと決心したんだから。
あの日、僕は信じられないものを見た。太陽光が一寸のところで届かない廊下に僕は立っていて、お日様に侵された外の世界を眺めていた。熱い日差しがむき出しの大地を焼いている。かつては青空に緑が揺蕩うていたところが、いまとなっては赤い日射に茶けた埃が急かされているばかりだ。僕の友達や同僚も溶けていて、辺りはまるでシュルレアリスムの悪夢めいた絵みたいだった。こんな悪夢のような絵の中でも、SCP-682はひときわ目立っていた。
巨大な爬虫類の背中のところの肉が溶けてゆく。それと同じか、ちょっと遅いくらいの速度で再生する。憎悪にも等しい腐った肉の香りと、地獄の底の釜みたいな粟立つ音がする。収容違反。僕の周りで溶けている人々。鬱陶しい太陽。こんなものよりも、僕にとっては682がどんな適応をしようとも溶け続けていることが恐ろしかった。
そんな僕自身を差し置いたとしても。僕の信念と仕事を無視したとしても。たとえどんな規制、規則や宗教よりも信じなければならなかった三つの自然法則があったとしても。僕はどうしても信じることができなかった。
SCP-682が、本当に死にかけているとは。
何回か適応に失敗したあと、自分の上に溶けた肉を積み上げて、682はできるだけ小さく丸まった。陽の目から隠れるためだ。ぶるぶると揺れる肉の下に、682は蹲っている。自分の背中の上から、自分の背中だった肉が逃げ出そうとしているふうにも見えた。要するに、かつては自分のものだった肉の傘に覆われて、自分を傷つけようとする日光から逃れようとして、682は恐怖を感じているようにも見えた。
じっと見ている僕に気づいたのだと思う。僕が何週間もしてほしかったことをしてくれたからだ。なんといったって、僕に話しかけてくれたのだ。
「憐れんでくれるなよ、人間」682が振り返って僕の方を見る。太陽が鼻先を溶かすのも気にしていない様子だった。「嬉しがらんのだな。ようやく吾輩を殺す方法を見つけたというのに。この見窄らしい場所にいる人畜生が望んでいたことではないのか」
「違うんだ」と、僕はようやく声を絞り出せた。「僕がほしいのは、財団の目的ってやつは、人類を守ることなんだ。人類そのものを代償にして君を殺すなんて、勝利なわけであるものか。僕らにとっては最悪の敗北さ」
僕の中で怒りが沸き起こる。段々と、声が荒くなってゆく。「きみはどうなんだ。嬉しくないのか? 地球上のほとんどすべての生命が死のうとしているんだ。きみが望んだ状況じゃないのか?」
SCP-682が笑ったように見えた。溶けかけた肉が沸き立っただけだったのかもしれない。周りがこんなに暑いというのに、この爬虫類の声だけは冷えている。背骨に氷柱を突っ込まれたような気さえしてくる。
「吾輩は死を知っている。大いに楽しんでさえいる。生きとし生ける忌々しきものなどすべからく死ぬべきだ。だが、これは……」682は肉に向かって唸り声をあげた。唸り声というよりも、蛇みたいな吐息の音だった。「これは死よりも、生よりさえも悪しきものだ。我々二人が想像できる何者よりも悪しきものだ。貴様のような吐き気を催す邪悪だろうと、こんなものは吾輩が望む懲罰ではない」
「きみが中に戻った理由かい」なんでこんなことを言えたのかがわからなかった。蜥蜴の眼中に怒りの炎が灯る。僕はそれを直視したというのに、なぜ口を動かし続けられたのかも判然としない。「きみはすべての生命を嫌っている。その中にはきみ自身も含まれているのかい? この死 あるいは『死じゃない』 がまさにきみにとっての懲罰となるのではないのかな?」
僕は自分の死亡届にサインしたかのような気分になった。682の憎悪が自身の生存本能を上回ったようだ。巨体がゆっくりと起き上がり、僕にゆっくりとにじり寄ってくる。溶けかけた肉を、引きずりながら。あとになって思えば、逃げるべきだった。少なくとも、扉を閉じたほうが良かったのだろう。なぜそうしなかったのか、今でもわからない。でも、682は部屋の中に戻る前にくずおれた。僕のことを傷つけたりすることができる間合いに入る前に倒れたのだ。大蜥蜴の肉体が溶ける。溶けてゆくたびに、一生懸命に再生しようとする。
僕は幻覚を見たに違いない。それか、溶けた肉体のひとかけがいいところだろう。でも、誓ったっていい。僕は682の涙を見たのだ。
「痛いのかい」としか僕は言えなかった。本当に妙な質問だ。僕は聞いたことを後悔さえした。でも、僕は682の答えにひどく驚いたとともに、恐れを抱いた。
「貴様が思うようなものではない。貴様らの『終了措置』のほうが遥かに痛い」巨躯を再び溶けた肉の下に埋め、682は振り返って僕の眼を覗き込んだ。「小さき科学者よ。貴様はまだ些末なデータを増やしたいと言うのか。教えてやろう。貴様らが吾輩を殺そうと必死になっているとき、吾輩は耐え難き苦痛を感じていた。毎回そのあとで出来た傷を再生するときの痛みに比べれば、痒いものだが。傷を受けたときの倍の苦痛を再生のときに感じることこそが、吾輩の呪いなのだろうとさえ思える」
僕の心のなかで、682の終了措置の風景が一つ一つ蘇る。痛ましいプロトコル。目も当てられない瞬間。すべて財団が682に施したものだった。
僕はその中の四分の一も知らない。それでも、吐き出しそうにはなった。682は言葉を続ける。
「だが、これは違う。違うのだ。いくら溶けたところで、吾輩の体は少したりとも痛まぬ。再生も、少しこそばゆい程度で済んでいる。違うのだ。吾輩は成れ果ての先を直視した。そして、この期に及んで認めねばならぬことがあるのだ。それが何よりも辛い」
682が数センチほど、僕の方に這い寄ってくる。逃げるべきだった。少なくとも、扉を閉じたほうが良かったのだろう。余計なことを聞いて良いはずなどなかったのだ。僕の喉の奥に、息が詰まる。
「きみは何になろうとしているんだ。認めねばならぬこととは、なんだ」
682は己の身を引きずって、扉から一センチもないところに巨体を横たえた。僕の視線は釘付けになっていた。今になっても、僕は目の前の光景を嘘っぱちかもしれないと疑っている。
682は「認めねばならんな。貴様が正しいということを」と、つっけんどんな様子で言った。「心の奥底では、吾輩以上に吾輩が嫌う生命などおらぬ。貴様らが吾輩を亡き者にしようとしていたあの日々、吾輩は次こそ成功してくれと願い続けていた。そうすれば、ようやく地獄へと逝ける。だからこそ、真に吾輩にふさわしいただ一つの懲罰とは肉の塊に溶け去ることなのかもしれない」
「吾輩が成り果てるものとは」
苦しげな様子で、682は腕をついて地面から巨躯を浮かせる。
「すぐに明らかになるさ」
おお、主よ。なんと名状しがたき音だろうか。苦悶の叫びと安堵のため息、それと憎しみの叫喚や喜びの歓声がひとかたまりになって。682はその背中を覆っていた肉を振り払い、両足で力強く立ち上がる。そして、太陽に向かって咆哮した。
日差しが降り注ぐ間、682が溶け、再生し、また溶けるその光景を。息をつく暇もなく、ぐずぐずに溶けてしまった皮膚を振るい落とす。肉が山のように積み上がってゆく。蠢いて身悶えて、まるで別の生き物みたいで。
その光景を、僕はずっと忘れられないだろう 少なくとも、死ぬまでの間は。
その日に地獄の景色を僕は知った。
682が身を震わせ、溶けた皮膚を一層ずつ振り払う。僕は宙を舞う肉を呆然と見つめることしかできなかった。あまりにも恐ろしい光景だった。682が地上の嗜虐的な頭脳を集結させて考え出した拷問を生き延びるところなら幾度となく見たことがある。でも、全部合わせても僕が今感じている恐怖には足りないのだ。太陽が682の再生速度と競い合っているみたいだった。けれども、682自身は太陽の味方をしていた。
僕は突然後ろへと強く引っ張られて、扉は閉じてしまった。「死にたいのか?」と、機動部隊員が僕に叫ぶ。「XKのおまけに682の収容違反が起きてんだ。大人しく退避しろって命令が出てる。状況をどうにかするためにな。そんなときに、おまえはこの戸口をぼけっと見てたんだ。その何がなんだかわからん……おい、しゃんとしろよ」
- 不死などない。汎ゆるものは殺されるか、事故か、只の老衰かで死ぬ。
- 汎ゆるものに弱点はある。不死などないならば、汎ゆるものに死は訪れる。つまり、きみは何を殺すことだってできる。
- SCP-682を殺せないと思ってはいけない。たとえどんな状況でも、一秒たりとも、無意識の中でさえも。
きみがSCP-682の担当者に回されたときに、何が何でも信じねばならない三つの自然法則だ。僕も先輩たちに口を揃えて教え込まれたものだ。
その日、僕は機動部隊員を見て、たったの一言だけしか話せなかった。その日でなかったなら、財団を挙げて最大の祝福が捧げられたであろう一言だ。あらゆる日の中で、その日だけは何よりもおぞましい一言だ。