意思の在る処
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撹拌機の唸りが過ぎ去ると、日の届かぬ地底は寒々しかった。地上では鳥達がさえずり、ミツバチは花から花へ飛び回り、すべてに太陽が降り注ぐ。そのような僥倖はここに無い。寒く、暗く、虚ろだ。

彼女の懐中電灯が放つ光は暗闇を通り抜け、エレベーターと共に少し揺れながら、墨のような漆黒の海を下へ下へと降りていった。準備に数ヶ月費やしたが、リフトに用いたロープは十分な強度で、老研究者を地下数マイルまで運びきった。

黒いタイル張りの床のように見えるもののわずか0.5メートル上でロープは尽きた。リリベスは一瞬躊躇った、懐中電灯が永遠の闇へ触れる更に向こうからやって来る鈍いハム音を聞いていた。

リリベスはエレベーターの脇に付けた小さい投光器を点灯させた。これが何故地下室にあったのかは神のみぞ知るところであるが、今は貴重な目印だ。彼女が迷った時、光を頼りに戻ってくる事ができる。有難いことに彼女は発電機からの電力でその投光器を点灯していたので数日……もしかしたら数週間は点灯している事だろう。

「暗闇に進もうと思う」リリベスは呟いた。タイル張りの床は遠くまで、リリベスが予想したよりもはるかに大きく響いた。1段踏み出す毎に、彼女の脈が速まる。ほんの数メートル先に底なし穴があったとしても、彼女には分からないだろう。


彼女は岩壁に設けられたドアを前にして、自分でも分からない程立ち尽くしていた。この洞窟でいつつまずいたのかも分からない。それでも、彼女は全く異常なドアを見つめ、どれ程歩いたのか思案した。体感では1時間程度に感じる。2時間かもしれない。前方からの奇妙なノイズは無かった。ここは静か、正常な静けさがあった。リリベスはドアを押し開けた。

ドアの向こうには大理石造りの廊下があった。数十メートル先では回廊がバルコニーや通路、そびえる書架の群れに続いていた。

ここは図書館だった。

リリベスは戸惑いつつも慎重に手すりまで歩み出した。そこは上から下まで書架が連なり、通路や床、梯子のどれ一つとして天井が見えなかった。しかしそこにはアームチェアで本を読んだり、狭い通路で本を読んだりする人々がいた。カジュアルな服装の人がいれば、着飾って華やかなジュエリーを身に着けた人もいた。幾人かは暗褐色のローブを纏っている。ローブを纏う1人は彼女と同じ通路におり、遠くの梯子階段に向かって歩いていた。彼女はその人物の肩を叩いた。

「ええと、すみません、人を探して・・・」

男には口がなかった。リリベスは悲鳴を上げそうになったが、自身をなんとか落ち着かせた。なぜ彼は口を持たないのか!?彼の口はどこに消えた?

彼女はどもりながら尋ねた「カ・・・カリーナという方が、ど・・・どこに居るのかし・・・知りませんか?」案内人は首を傾げた。グールのような外見によらず、敵意も動揺も見せなかった。
「カリーナ、ええと、彼女はここで働く司書だと言われました。」

案内人は少し考えると頷いた。リリベスに向かって腕を伸ばすと不格好な指が露わになり、人差し指、中指を曲げて自分に着いて来いと言いたげなそぶりを見せた。


「ミーティングの参加者ですか?」
リリベスがこぢんまりとした部屋に案内されるや、1人の女性が問いかけた。会議室風の場の中心を囲むように椅子が配置されていた。ここにいる唯一の他者は幾らか本が積まれたデスクの後ろに掛けた女性だけだった。彼女に目があれば気が楽だったが、そうでは無かった。

「カリーナという司書を探すよう言われました」リリベスは答えた。女性は微笑んだ。

「ええ、それは私の事でしょう。するとあなたはミーティング参加者ですね。」

「この場所は何ですか?」

「?・・・ここは図書館です。初めての訪問ですか?」

「ええと、あー・・・私は最近たいして移動していないと思うんですが。」

「それは問題ありません。ペルセウスはどこかその辺りにいます。あなたが彼を待つのなら、長くは待たせないでしょう。」

「申し訳ないですが、こればかりは運です。」

リリベスは腰掛けると、開け放たれたドアの向こうにいる大勢の人々を眺めた。棚に寄りかかって座り込む人、手をつないで読書するカップル、ページに手を走らせる一方で退去しろと言われたかのようなペースで歩く男性。奇妙な平和さがあった。リリベスは他人と再び出会えた事に圧倒されたのかもしれない。彼女はとても長い時間を孤独に過ごしたのだ。

「こんな場所で、図書館は何をしているの?」彼女は尋ねた。

「どういう意味ですか?」

「図書館は昔から地底に存在していたのですか?設立されてからずっと?」

カリーナは動きを止めた。

「そうやってここを見つけたのですか?地底のドアをくぐって?」

「そうです。」

「図書館への道はたくさんあります。図書館はどこでもない場所なのです。」

その考えはリリベスに沈み込んだ。彼女はもうSCP-2508にいない。ここは完全に別の場所で、知りうる限りの距離(そのような概念を適用できる場合)で隔てられている。その考えは彼女の口元を綻ばせた。

「それで、あなたはどちら様?」背後から声が掛けられた。振り向くと、入室したばかりの白衣の少女がいた。少女は12歳以下に見え、頭にかぶったコミカルな特大シルクハットをいじっていた。

「はい?」リリベスは返した。特大帽子の少女はリリベスへにやにや笑いを向けた。

「あなたの名前よ。」

「リリベスと言います。」

「苗字は?」

「オリオン。」

「それがあなたの名前ね」と彼女は手を伸ばした。

「私はノーマ、サイト43化学部門所属。私達の小さなクラブへようこそ。」

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