どっちが間違い
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「やーっぱりここかよ。見つかってドヤされても知らないぞ?」

鍵が壊れた扉を開けた先、屋上のど真ん中に探していた奴はいた。だらしなく着崩れた制服にはみ出した白シャツ。床に置かれたスマホから聴こえてくるロックのリズムに乗りながら、裕也は昼食を口一杯に頬張っていた。

「ん?んー!んっんんー!」
「口いっぱいに食いもん入れたまま喋ろうとするな。飲み込んでからにしろ」
「んっ……ふぅ。聡の姿が見えたからさ、つい嬉しくて」
「犬かよ」
「見ての通りだけど?」

裕也はそう言いながら俺に背を向け、黒く大きな尻尾を見せつけてくる。尻尾はゆらゆらと楽しげに揺れ、今の裕也の感情をそのまま表現していた。

「てかここの鍵、まだ修理されてなかったんだな」
「お金ないんじゃない?先生も安月給だーって嘆いてたし。まぁこんな機会滅多にないし、直されるまでは通わせてもらうよ」
「ったく…相変わらず呑気と言うかなんと言うか…。隣良いか?」
「勿論。君のために空けてあるんだから」

2人並んで腰を下ろし、弁当を食べ始める。途中唐揚げを食べようと箸でつまみ上げた瞬間、横からもの凄い視線を感じた。目をやると、そこにはだらしなく舌を出し、目をキラキラと輝かせた裕也の顔があった。全くこいつは…と内心呆れながらも、そのまま箸を目の前に突き出す。裕也はパッと明るい表情を見せた後、勢いよく唐揚げにかぶりついた。満面の笑みで唐揚げを頬張る裕也を見ていると、どうにも怒る気が失せてしまう。今日は結局、おかずの8割を餌付けに使う羽目になってしまった。



「あー……まじ最っ高…。このまま死んでもいい…」
「ねぇ、それやってて本当に楽しいの?」
「楽しい。温かいしフワフワしてるしいい匂いだし。できることなら一生こうしてたい」
「くすぐったいからずっとは遠慮願いたいかなぁ…」

シャツを脱がせ、露わになった裕也のもふもふな背中に顔をうずめながら、そんなのんびりとした会話が弾む。うっすらと香るシャンプーと犬科特有の匂いが混ざって生まれる裕也の匂いを肺いっぱいに吸い込む。今だけは、どっちが犬だと聞かれてもハッキリと答えられる自信がなかった。

「あそうそう、昨日のニュース見たか?あの法案の可決、また延期されたって」

顔を上げ、話そうと思っていた話題の1つを口に出す。

「うん……。残念だけど、仕方ないよ。デリケートな問題だもの」
「デリケートって…そんな言い方するなよ。アニマリーが差別されていい理由なんてどこにもないんだぞ?」
「それはもちろんそうさ。でも、人の長い歴史で見れば、僕らは突然変異みたいなもんなんだから…。皆が怖がるのは仕方のないことなんだよ」

どこか割り切っているような口ぶりでそう話しながらも、裕也の目寂しげに遠くの景色を眺めていた。

裕也は1998年に起きたあの大事件以降に発生した動物特徴保持者、俗にいうアニマリーだ。2009年のアウトブレイク以降、日本のアニマリー人口は急増し、それに伴って彼らに対する世間の目はとても厳しいものとなった。獣臭いや気持ち悪いと言われるのは当たり前、一時期はヘイトスピーチやデモ運動、アニマリーが殺されたという事件が連日報道されていた。そんな中、異常性保持者保護法が施行されたのは3年前の2021年。だがそれも完璧なものではなく、その後も差別はずるずると続いていた。去年複数の民間アニマリー保護団体からの要請を受け、ようやく改正案が国会に提出されたが、改正反対派によるデモや国会内での反発で可決が見送られていた。今度こそはと期待していたのだが、これで計3回目の見送りとなった。

「見た目が違うだけで差別されるってのがおかしいんだよ。アパルトヘイトとかホロコーストで嫌というほど勉強してるはずなのにさ。やっぱ人間って進歩しねぇよなぁ」
「あはは…。まぁでも、最近はアニマリーへの差別が大分問題視されるようになってきてるから、前進してるとは思うよ?ほら、この学校の皆は僕達をほとんどそういう目で見てないし」

うちの高校は、市が数年前から積極的にアニマリーを受け入れ、補償も手厚くしている甲斐あってか、全校生徒の4割がアニマリーであるにも関わらず、差別や虐めなどは知る限りでは聞いたことがなかった。

「国全体がうちみたいにならないといけないんだよ。見た目が違うってだけで、本質的には皆何も変わらないってのに」
「聡は凄いよねぇ。そんな風に考えられる人、中々いないよ?」
「そうか?結構当たり前だと思うんだが」
「当たり前をするって結構難しいもんだよ。自信もちな」
「……全く、いつものほほんとしてるお前にそう言われるとなーんかムカつくなぁ」

そう言いながら、裕也の頭を思い切りなでくり回す。口ではやめろと言っているものの、裕也の尻尾はいつにも増して力強く揺れていた。こんな風に2人きりで過ごすこの昼休みが、俺はこの学校生活の中で一番お気に入りの時間だった。

 

 

 



そうこうしているうちに、辺り一帯に授業開始五分前を知らせるチャイムが鳴り響いた。

「あ、もうこんな時間か。えっと、5限何だっけ?」
「世界史。今日は社会科室でビデオ見るとか言ってたはず」
「え、ほんと?じゃあもうすぐ行かなきゃじゃん!ほら、聡も行くよ!」
「あ…その前に、ちょっといいか?」

慌てて立ち上がる裕也を呼び止める。つい話し込んでしまい、本来話すつもりだったことをすっかり言い忘れていた。

「…?どうかしたの?授業遅れちゃうよ」
「あのな、その……本当はお前に言う必要もないんだけど、一応伝えておきたいことがあってな…」
「何?そんな深刻な顔して」
「……俺、今日帰ったら親に話そうと思うんだ」

裕也は言葉の意味をすぐに理解したらしく、一気に表情を曇らせた。

「…本気なの?」
「冗談なわけないだろ?どうせいつかはバレるんだ。だったら今だろうが何年後だろうが、あまり変わらないさ」
「……そっか。親御さん、わかってくれるといいね」
「きっと大丈夫さ。そこら辺にある程度の理解がある人たちだとは思うから」

そう言って安心させようとしても、裕也の顔は依然として曇ったままだ。

「大丈夫だって!そんな心配そうな顔すんな。お前は笑ってるのが一番似合うんだからさ」
「……うん」

そう小さく頷くと、裕也は俺の顔に自分の顔を無言で擦り付け始めた。不安になった時、裕也が決まってする癖だ。俺は何も言わずに、思い切り顔を擦り付け返す。

「そんな不安にならなくても大丈夫だから、な?」
「うん…わかった」

裕也は顔を上げ、いつも通りの無邪気な笑顔を俺に向けた。

「よし、じゃあ教室まで走るぞ!開始まであと3分だから、大分ギリギリだ」
「え、やばいじゃんやばいじゃん!急いで行かないと!」

そう言うや否や、裕也は俺の右腕をがしりと掴み、階段に向かって駆け出した。

「ちょちょちょ、転ぶ転ぶ!」
「いいから早く!遅刻したらいい笑いものだよ!」

そんな風にギャーギャーと騒ぎながら、僕達は階段を駆け下りて行った。



「あ、この女優さん、最近話題になってる人だよな?」
「そうだね。この前出演したドラマで人気に火が付いたとか」
「凄いなぁ。アニマリーは何かと苦労も多いだろうに…」

バラエティー番組の笑い声響くダイニングに、そんな食後のゆったりとした空気が流れる。だが今の俺にそんな雰囲気を味わう余裕などあるわけもなく、いつ切り出そうか、どうやって伝えようか、そればかりが頭の中をぐるぐると駆け回っていた。

「大手企業の重役とかスポーツ選手とか、各分野で活躍してるアニマリーがだいぶ増えたからなぁ。まぁそうでもしないと生き残れなかったってことなんだろうけど、ほんと尊敬するよ」
「……そうだね」
「どうした聡、さっきからそわそわして。何か言いたいことでもあるのか?」
「え?あ、う、その、実はふ、2人に話したいことがあって…」

やらかした。心の準備も何もできていないというのに、つい反射的に返事をしてしまった。

「なんだ?そんな大切な話なのか?」
「うん、大分…。前々から話そうとは思ってたんだけど、タイミングがなくて…」
「えー何?聡がそんなこと言うなんて珍しい」

洗い物を終えた母親が台所から出てくる。こうなりゃもうやけだ。このまま勢いで言ってやる。

「それで、話ってなんだ?」

目の前に座った2人の目線が鋭く突き刺さる。なんとか呼吸を整え、己を鼓舞し、喉で詰まった言葉を取り出そうとする。よし、言うぞ、言うぞ、言ってやる、言ってやるんだ。

「じ、実は俺…その…。お、男が好きなんだ」
「………」

予想だにしない言葉だったのだろう。後に残ったのは、やかましく響くバラエティーのBGMだけだった。父親がたまらずリモコンのスイッチを押し、リビングは完全な静寂に包まれる。

「…気づいたのはいつなんだ?」
「なんとなくそうじゃないかって思い始めたのは中2の秋ぐらい。確信が持てたのは去年の夏かな」
「……そうか」

再び重い沈黙。今にも息が詰まって窒息しそうだ。できることなら、今すぐこの場から逃げ出してしまいたい。

「…わかった。お父さんたちは応援するぞ」
「……本当に?」
「当然だろ?子供の事を応援しない親がどこにいる。それに今は多様性の時代だ。色々な人がいることを、社会全体が理解しないといけないんだよ」
「…そっか。ありがと……」

2人の返事は思ったよりもあっさりしたものだった。怒鳴られることを覚悟していた分、拍子抜けしてしまった。まぁ何はともあれ、この分なら2人ちゃんと理解してくれそうだと胸をなでおろし、言葉を続ける。

「あと、実はもう一つ言いたいことがあって」
「ん、なんだ?」
「その……男が好きって言っても、人間じゃなくて、アニマリーが好きなんだ」
「えっ…」

2人の悲鳴が短く重なる。さっきの沈黙とは比べ物にならないほど場の空気は重く、冷たくなっていた。2人は明らかに動揺し、目線があちこちに泳いでいる。さっきと比べて、明らかに反応がおかしい。

「…あれ、2人ともどうしたの?なんで何も言ってくれないの?」
「いや…うん、そうだな。そうだな。いや別にいいことだとは思うんだ。だがな……」
「正直、お母さんはちょっと…。だって、ねぇ?世間の目もあるし…」
「え、なんだよそれ…」

予想外、としか言いようがなかった。さっきは男が好きだということを戸惑いながらも笑顔受け入れてくれた両親が、今は言葉を濁している。

「じゃあ何、2人はアニマリーが嫌いなの?」
「そういうわけじゃないの。別にアニマリーの人達を差別してるとか全然そう言うのじゃなくて、ただあなたの事が心配で…」
「俺の事が心配って何?アニマリーが好きってだけだろ?確かに男が好きで、かつアニマリーが好きってのはマイノリティーのなかでも相当少数の部類に入るってのは重々理解してるさ。でもだからって、なんでアニマリーがどうこうって話になってるんだよ!」
「聡、落ち着きなさい。お父さん達はただお前の事を思ってだな…」
「俺の事を思ってってなんだよ!」

椅子を蹴って立ち上がり、怒鳴り声をあげる。

「じゃあ何か?2人は俺に男のアニマリーが好きだってこと隠して生きてけって言うのか?」
「いや、何もそこまでは…」
「言ってるだろ!そんな遠回しに言われるくらいなら、いっそ正直に理解できないって言ってもらった方が何倍もマシだよ!」
「………」

両親は2人とも俯き口を閉ざし、黙り込んでしまった。俺はそんなことはお構いなしに、怒りにまかせて言葉を吐き出す。

「アニマリーと俺達人間、一体何が違うってんだ?見た目や考えが違うってんなら、そんなのアパルトヘイトやホロコーストでやらかしてるだろ?さんざん差別はダメだと教わってきたはずなのに、なんでまた繰り返すんだ?なんにも学んでないじゃねぇか。アニマリーだって、俺達と変わらない普通の人だろうが!」
「あのね…聡、こんなこと言うのはアレだってわかってるんだけどね?嘘はつきなくないから正直に言うわね」
「……何?」
「お母さん達ね…アニマリーの人達をどうしても人間とは見れないの。アニマリーはアニマリーなのよ。わかって頂戴?」

その言葉を聞いて、頭の中で何かが崩れ落ちていくのがわかった。それはきっと、この人達に抱いていた尊敬、信頼のようなものだったのだろう。2人への感情が一気に冷めていく。あぁ、結局のところ───

「アンタらも、アニマリーを差別してる連中となんにも変わんないんだな」

そう吐き捨てて、リビングを飛び出す。階段を駆け上がり、そのまま自分の部屋に飛び込む。ドアに鍵をかけ、万が一の可能性を考えて机で蓋をする。ほどなくして、2種類の足音が1階から上ってくるのが聞こえてきた。足音はこの部屋の前で止まり、ドアを叩く音へと変化した。

「聡!ねぇ聞いて!ちゃんと話し合いましょう?」
「聡!別にお前を否定したいわけじゃないんだ!聡!」

力強くドアを叩く音、ドアノブをひたすら回す音、両親の大声が部屋中に響き渡る。心臓が早鐘を打ち、呼吸は酷く乱れている。体中から汗が拭き出し、虫が這い回るような感覚が体中を襲う。

アニマリーが好きだと伝えたあの瞬間の両親の顔は、今まで見たことがない、困惑や悲愴、怒りが混ざり合った複雑な表情だった。布団を頭からかぶり、うずくまる。怖い。怖い。怖い。2人のあの顔が、理解できないものを見るようなあの目が、今まで見てきた何よりも恐ろしかった。

Prrr……

着信音が鳴る。画面を見ると、裕也からの着信だった。通話ボタンを押し、スマホをゆっくりと耳に当てる。

「…もしもし?」
『あ、もしもし聡ー?元気―?と言っても、放課後ぶりだから全然時間たってないけど』
「あぁ、元気だよ。大丈夫」
『…なんか声震えてない?なんかあった?もしかして、親御さんわかってくれなかった?』

ほとんど隠せていると思っていたのだが、今だけは裕也の耳の良さを恨んでしまう。あまりにも直球な質問に、咄嗟に返事を返せない。

「………」
『あれ、もしもーし?聡ー?もしかして、本当にダメだったの…?』
「ん?あぁいやごめん。ちょっとぼーっとしてた。両親の事だよな?最初は驚いてたけど、必死に説得したら、なんとか理解してもらえたよ」
『本当に!?良かったぁ…。もし全力で反対されてたら僕どうしようかと…』
「…心配するな、もう大丈夫だから」
『そっか……ありがとうね、僕のために頑張ってくれて』
「おいおい、そんなの当たり前だろう?」

嘘に嘘を重ねながら会話を続けていく。取り返しのつかない、あまりにも重すぎる嘘を。何度も、何度も塗り重ねて、虚構の自分を作り上げていく。

「で、なんでLINEじゃなくてわざわざ電話にしたんだ?」
『聡の声が聴きたくなったからさ、こうやって電話にしたのー』
「……そうか。全く、お前は本当に甘えんぼだなぁ」
『そんな言い方しないでよ!もー…』
「あはは、悪い悪い。じゃあ俺、ちょっと疲れたから今日はもう寝るわ」
『うんうん、疲れたよね。じゃあまた明日学校で。お休み』
「おう、お休み」

通話を終了し、布団から顔を出す。どうやら両親は諦めがついたらしく、部屋は静寂に包まれていた。そのまま枕に突っ伏し、目を閉じる。今だけは、頭の中を空っぽにしたい。両親の顔も、言葉も、裕也の事も、何も考えたくない。明日から先の事は、その時の自分に任せよう。そう思ってから俺の意識が眠りに落ちるまで、そう時間はかからなかった。



人とアニマリーが一緒になって歩き、ワイワイと賑やかないつもの登校風景。今日の賑わいは、心なしか少し耳障りに聞こえた。結局、今朝は両親と何も話さずに家を出た。2人とも終始何か言いたそうな顔をしていたものの、決して俺の目を見ようとはしていなかった。腫れ物に触るよう、という表現がピッタリだろう。突然2人との間にできたあの理不尽な溝は、今後どうやっても埋まることはないのだろう。そんなことを考えながらぼーっと歩いていると、鈍い音と共に背中に強い衝撃が走った。

「おっはよー!聡!」
「いってぇ……裕也お前なぁ…」

文句を言ってやろうと裕也の方に振り向く。だが彼の満面の笑みを見た直後、体が石になったような感覚に陥った。彼の声が、笑顔が、触れた感触が、走馬灯のように頭の中を流れていく。吐き出すことのできない言葉が、願いが、苦しみが、延々と胸の中で渦を巻いていく。それと同時に再認識する。あぁ、俺は本当にこいつの事が───

「あれ?聡どうしたの?…泣いてるの?」

裕也の言葉ではっと我に返る。目元を拭うと、その指先は涙で濡れていた。

「あぁいや、ちょっと目にゴミが入っただけだから大丈夫」
「ふーん…?そうそう、親御さん達のこと、本当に良かったねぇ。この分なら、そう遠くない未来に僕の事紹介してもらえるかな?」

そんなことを呟きながら裕也は一歩先を歩いていく。ふと、彼の後頭部が目に入る。俺の右手は吸い込まれるように伸びていき、ポンと着地し、ゆっくりと彼を撫で始めた。

「わわっ、ちょ、聡!みんな見てるってば」
「ごめんごめん、ちょっとした出来心ってやつさ」

そう笑いながらも、右手では頭をひたすら撫で続ける。できる事なら、この楽しい時間がずっと続けばいいのに。両親の事も、世間体も、何もかも捨てて、ずっと一緒にいられればいいのに。

「でもやっぱり僕、聡とこうしてる時間が一番好きだなぁ」
「…そうか。それは俺も一緒だよ」

もし今この場に神様を呼び出せるのならば、一発ぶん殴って聞いてやりたい。

俺とこの世界、間違っているのはどっちだ?と。

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