規則的に瞬くモニタの群れに囲まれて、男は椅子に沈み込んでいた。
: 結局やつらはどこから来たんだ
リズミカルに叩かれる鍵盤は奇妙な形をしていて、とてもウォール街の清潔なオフィスに似合うような代物ではない。男はそのことをむしろ誇りに思っていたし、自分のスタイルに満足していた。
: 馬鹿げたbotに引っかかるのと訳が違うぞクソ なんでこんなことになってる f*ck
高速で流れるログが複数の画面を占有し、クローラーがその中から特定の用語を引いてくる。オンラインゲームの攻略サイトに巧妙に偽装されたフォーラムは、東海岸の夜が近づいてくるにつれてその活動を活発化させていく。
: シダーウッドbotはぜんぜん役に立ってない 検索除けってなんのためにあるのってレベル 正気?
: 俺の発言も晒されてんだけど何これ
: 暴露厨とか最悪だろ探し出せねえの
: 変なジョークの類だぞこれ IPが存在してねえのになんで投稿できる
: どのソース参照してる? 網を張るしかない チャンネルを守らねえと
混乱したフォーラムが右往左往する。貼り付けられる奇妙に暗号化されたリンクをクローラーが自動解析し、右脇のサブモニタにはアクセスログが緑の8bit文字──彼の趣味──で吐き出される。
コミュニティは文字通り荒れていた。自ら雑草ウィードを名乗る世界のはぐれ者たち、イカれていることを唯一の存在意義とするギーク集団が、たった1人の闖入者によってその結束を揺るがされている。
結束solidarity! 吐き気がする。男は笑った。それは彼の最も嫌いな単語の一つだ。
: チクショー虚仮にしてる あいつらマジで全部暴く気だ もう4人倒れてる
呆れた光景だった。厳重なサイバーセキュリティを掻い潜り、あらゆるところで遊んで見せる。堅苦しい何もかもを笑い飛ばす。それだけが生業の連中がこの有様だ。
リアル割れ──インターネット上のコミュニティであり、同時に種々の匿名非合法活動に手を染めるゲーマーズ・アゲインスト・ウィードの構成員にとって、垢BANと同程度かそれ以上に苦しい展開だ。既に6人のメンバーが夜逃げ同然に住居を変えていた。まさしく攻撃だ。どうやってか知らないが、構成員の顔も名前も住所も割り出された──メンバー間でも禁忌とされ、探りを入れることが避けられていた情報だ。
特定されるのは自分の落ち度、それがGAWの流儀だ。ネットがどれだけ万人に厳しいか、どれほどの悪意が待ち構えているか、まさに悪意を吐き出す側に身を置く人間が自覚していないとしたらそこまでのことだ。気を抜いて馬鹿に付け込まれたなら、そんな奴はコミュニティを危険に晒し、引いては一般人をも傷つける。
: ボスは動かねえのかよ こんなの絶対ヤバい ベンダーには勝てない
動く訳がない。これは個々人の問題だ。コミュニティの下層で縮こまっている坊ちゃんたちならともかく、コアユーザーは自衛するべきだ。bluntfiendは状況を俯瞰し、それを笑い飛ばし、致命的な問題に対処する。今はまだその時ではなかった。
必要な情報は得られたはずだ。ボストンは午前1時。彼は10時間以上監視を続けていて、そろそろ休憩が必要だった。
席を立ち、メインモニタの電源に手を伸ばす。彼は環境保護に関心があるのだ──過激なエコロジストをバカにすることとマシンのCO2排出量を気にすることは矛盾しない。と言っても必要ならば彼はデータセンターを丸ごと焼き払って地球温暖化に貢献することも辞さない人間だ。誰かを巻き込まないと分かっているならば。
ビープ音。
jellyfish: Hi
動きが止まる。
男は一瞬だけ思考を停止した。
jellyfish: What your nameあ なた だぁれ
舌打ちとともに右手が動く。
半ば無意識にキーボードに手を伸ばし、手を止めて逡巡し、そして決定。その手が隣のラックからサブマシンの投影鍵盤を引き出した。
メインマシンに侵入された。どこから? なぜ? サブマシンは別回線だ。すべて違う環境、違うサーバ。侵入はされない。こいつの意図を掴まなければ。追跡しつつ罠に誘う必要がある。
jellyfish: Tell your adress pleseどこに いるの
どの回線だ? 通信切断は最後の手段だ。いつまで潜んでいて、どこまでマシンの中身を探られた? 逆探知プロセスが猛然とサブモニタに走り始める。黒く染まったスクリーン上に白地のウィンドウが水族館の水槽ウィンドウのように浮かぶ。
jellyfish: Are yo thereそこにぃるの
視界の隅でアラートが光る。探知不能。トラフィックなし。接続なし。すべての数値が緑色に染まっている。問題なし。誰も侵入していない。システムは全く問題ない。異常はどこにも存在しない。
オールグリーン。
こいつは誰だ?
bluntfiend: Who are you?
jellyfish: D
会話になっていない。
歯噛みしつつサブマシンを起動する。システムを洗い、侵入がないことを確かめる。
安全だ。複数のフィルターを被せ、若干重い動作でフォーラムに潜る。
jellyfish: Tell your D
bluntfiend: Who the fuk do u think u are何様のつもりだクソッタレ
jellyfish: DDDDD
bluntfiend: Whats the dumn DなにがDだ クソ
jellyfish: Im D pixie
オールグリーン。
オールグリーン。
オールグリーン。
イカれている。関連単語での検索はヒットしない。単語解析はまったく意味を成していない。
舌打ちし、男はシャットダウンにかかる。セーフハウスを引き払い、システムを洗浄しなければ。
メインマシンは解体して寄生部品のチェックが必要だ。高い買い物だが、安全には替えられない。
敵はガッツこそあるがAIを調教する頭の足りない超常技術パラテク使いか現実改変者リアリティベンダー。スリーポートランドくんだりにいくらでも転がっている。連中は鼻っ柱ばかり一人前で、救い難いほどに目立ちたがりだ──本来同じ穴の狢でしかないはずのGAWが呆れ返るほどに。彼らは見えるところで俺たちにパンチを入れたがっている。目の前のクソッタレよりその後ろにいる奴のことを考えろ。
オールグリーン。
bluntfiend: Ive got no time to shit and talkクソ話してる暇はねえ
jellyfish: I am Deep Pixie
jellyfish: I want you r think
jellyfish: Please
「なに?」
思わず声が漏れた、そのとき。
嫌な予感がした。
首を曲げる。
思考が加速する。
可能な限り迅速に。
視界を画面から引き剥がす。
黒い海に浮かぶその窓の中には。
青く光る水の中に揺蕩う海月くらげの画像。