補遺2050-JP-3: インシデント記録
20██/3/10の深夜未明、SCP-2050-JP1が突如崩壊し、内部から1体の人型実体が出現しました。本インシデント以降、SCP-2050-JP-Aはこの実体を指す指定として再定義されています。
SCP-2050-JP-Aは、年齢不明の女性の人型実体です。外見上は20代の日本人女性であり、金糸の縁取りを施された、伝統的な巫女装束に類似する衣類を着用しています。また、SCP-2050-JP-Aは発光・発熱能力を保持しており、約█,███,███luxの白色光、約6,000℃相当の熱をほぼ自在に投射可能です。
SCP-2050-JP-Aとは上代日本語による意思疎通が可能ですが、現在のところインタビューの要請を拒否しています。ただし、その他の指示には比較的従順であるため、現時点では直近のサイト-81██にて仮の収容と保護が実施されています。明朝、収容サイト移管と精密検査が実施される予定です。
補遺2050-JP-4: 観察記録
職員とのわずかな会話において、SCP-2050-JP-Aには以下の傾向が観察できました。
- 思慮深く内向的な気質
- 周囲の人間および"太陽"を警戒する素振り
- 自己同一性(アイデンティティ)に対する苦悩
- 軽度の鬱症状
傾向の原因については現在調査中です。
岩戸の外に足を踏み出した時、冷たい夜空の下に感じたものは、泣き出したくなるほどの空虚だった。
外界と関わりを断って2千年幾ばく、世界は日の光を喪った"はず"だった。それなのに、この景色はどうだ。草木は萌え、空気は澄み渡り、目の前の白衣の人々は両の足でしっかりと地面に立っている。あの頃と変わらない全てが、まだここにある。
何も変わらない当たり前の風景が、私という存在と行いの虚しさを物語っていた。
「私がいなくとも、あなたがたは光を喪なわないようですね。」
恨めしい。睨めつけるように見たその人間の手には、小さくも強かな光を放つ筒があった。"懐中電灯というものだ"と、その人間は言った。
私こそが、その光の主であるべきなのに。夜闇を照らす神たる者は、私だけのはずなのに。
言葉なくうなだれる私の身体に、"財団"を名乗る人間たちの手が絡み付いた。
*
私という存在は、岩戸から移送された。
私の身体と衣は今や人間の手によって丹念に調べ上げられている。冠と袴の一端、黒き毛髪、白の肌の一部に至るまで、ビロードの皿に入れられて人の手に渡った。衣を脱げという下賤な願には熱光波を見舞いもしたが、今はこうして見知らぬ素材の石でできた御殿に身を寄せている。
そうするより、他になかったからだ。
この一室には、窓が無い。青白く、なめらかに光る筒がぽつり天井に点いている。
見慣れないその光は私を少し不安にさせた。されども心静まらぬ今この時、あの眩しき謎の光を受け止める方が耐え難いことに思えた。持ち主の知れないあの不気味な光だけは、今は避けたかったのだ。
「SCP-2050-JP-A、なぜ太陽光を恐れるのですか。」
その者は中々確信を突く男だった。財団職員、インタビュアーとやらを名乗るその者は、金属の椅子に腰掛けるなり私にそう問うた。
「……恐れてなどいません。本来であれば、あの領分は私のものです。」
「"貴女こそ太陽"、ということでしょうか。誠に不遜ながら、こちらの見解と異なるようです。あの恒星、いえ光球は、貴女が天の岩戸に隠れていた間もずっと空に居たのですから。」
沈黙。男は表情1つ変えない。ギリ、と食い締める歯が痛む。私が最も恐れ、最も許せない者。今世で今、"太陽"を名乗っているという存在だ。男はそれを言っている。
「……あれが誰なのかは存じません。しかし、私でないことは確か。"太陽"は私なのですから、あなたがたの言う"太陽"は偽物の存在でしょう。私の威光に笠を着て、代理を演じる不埒な輩が居るのでは?」
本当に?
以前見た光景を思い出す。岩戸の隙間から漏れ出す白い光。2千年もの間人々を欺いた奇妙な光。あれほど強い光、太陽でなければ一体何なのだろうか。私には分からない。
神たる私に分からぬのだから、この人間に何が分かるだろうか。
「……そうですか。承知しました。貴女自身の事は何ひとつ教えて下さらないのに、太陽の事は話して下さるんですね。まあ、参考にさせていただきます。」
去ね、人間。
このわだかまり、私の私という存在への疑念は、誰にも気取られてはならない。
私は太陽なのだ、絶対に。
*
夜が明ける少し前、私は人間に頼みを入れ、この地で1番高い塔へと登らせてもらった。そこは立派な石造りの尖塔で、頂上の広場から辺りの景色を一望することができた。
薄闇の中、彼方まで広がる深緑の木々。岩と清流を抱いた美しい川。そして遠方に見える灯りを点した小さな人間の家々。私の光を受けて育った彼らの子孫は、私の威光無くしてもこうして強かに生き長らえている。
それは少し寂しくもあり、また同時に安堵の気持ちも湧く光景だった。かつて、私は彼らの信仰を受け育ち、彼らは私の恵みを受け育つ関係にあった。完成されたその円環を、あの岩戸の事件で断ち切ったのはこの私だ。彼らを裏切った申し訳無さは、今でも私の中に降り積もって止まない。
そうした想いを振り払うかのように、私は東の方の空を見やる。そこに見える地平の端からは、なるほど朝日の輝きによく似た光がじわりと滲み出ていた。これほどはっきりした来光ならば、人間が騙されるのも得心の行く話かもしれない。
今より出づる"偽の太陽"、私を騙る不遜な誰かの正体は、その存在を知った日からずっと考え続けていた。岩戸から出たのも、この目で彼奴を見届けるため。
幸い、今の私にはその誰かを推測する知恵を、神の力をもってこの組織から会得していた。
驚くことに、それが可能な者共は複数存在するようだった。私が長く留守にしていた間、空位になった"太陽"の座には様々な存在が上がりこんでしまったらしい。
曰く……天からの監視への猜疑心を植え付ける矮小な発光球体、あるいは漆黒の少女"サウエルスエソル"の輝ける兄、はたまた星間条虫湧く腐りかけた赤色の主系列星……。異国の神か、はたまた唯の妖怪か。とかく多くの有象無象があふれ、"太陽"として人間達に崇められているようだった。
彼らは間違いなく、偽物だ。本物の私からすれば不出来なまがいものに過ぎない。だが彼らは、私の不在の間人間達から脚光を浴び、私に成り代わって信仰を集め続けていたのだ。
対して私は、どうか。不在にすらも気づかれることなく、今もこうして一介の女人の姿に身をやつしている。私の信仰は今や地に堕ちたも同然なのだ。これが"太陽"だと、どうして言えようか。
「……口惜しい。口惜しい。口惜しい……。」
ほろりと、頬を涙が伝い落ちる。うつむいて見えた地面に、小さな雫が当たり砕け散る。
偽の彼らが人類の太陽足り得たのであれば、私は一体、誰なのだろうか。
太陽と持て囃された彼らすら偽であるならば、彼らは一体、誰なのだろうか。
真の太陽とは、いったい、誰なのだろうか。
わからない。
わからないことが口惜しい。
神たる私が、太陽たる私すらわからないということが、たまらないほど悔しい。
仰ぎ見た夜空。それを喰らうように広がる、薄明の光。私だけが駆けたはずの天道の世界を見て、地に伏した私は一人、さめざめと泣いた。
*
* *
*
けたたましい警報音が鳴り響いたのは、その時だった。音には「緊急警報」との声が混じり、辺りはにわかに騒々しくなる。白衣や武装を身に着けた男女が戸をこじ開け屋上へとなだれ込み、私を取り囲んでわめき立てた。薄く緑がかった空の下に、緊迫した空気が流れ始めた。
「SCP-2050-JP-A、確保。こちらサイト駐留部隊。K-クラスシナリオ発生とは本当か?どうぞ。」
人々の額には玉のような汗が滲み出ている。その汗が冷や汗であろうことは、その引き攣った表情から容易に見て取れた。私は黙って涙を拭い、立ち上がって次の言葉を待った。
『こちら司令部。警報は訓練ではない。米国支部は既に連絡が途絶えている、何らかの破局災害が進行中。』
音は増幅され周囲に撒き散らされる。人々は蒼白な顔で天を仰ぎ、沈痛な面持ちで声を聴いていた。私を取り押さえに来ただけでは済まない何かが起きようとしている。
『待て、本部より入電…… だ!太陽が犠牲者を生んでいる!日光に触れるな! 地下に避難せよ!』
恐慌が押し寄せる。空電を孕んだ歯抜けの音声は、それでも恐怖を湧き上がらせるのに十分だった。人々は私の服を引っ掴み、死にものぐるいで戸の中へと逃げ込もうとする。日の出は近く、光が私たちを焦がそうとにじり寄るのが手に取るように分かった。
ふざけるな。
太陽だと?
"太陽の光に触れるな"、だと?
この私の前に、よくも、おめおめと
「待ちなさい!!!」
ありったけの声を張り上げて、私は叫ぶ。
掴まれていた手を振り払い、男共を屋上の床に叩き付ける。
白み続ける空の下に私は舞い戻り、固まった人々の面を目に、咆哮を上げる。
「太陽は私なのです!あのような紛い物とは違います。天地開闢から受け継いできた役目、神たる私の力を持って、みなさんは私が護ります!だからどうか、私を信じてください!!」
啖呵を切った。人々は面食らったような顔をしたが、次第に顔を合わせ表情を和らげ始める。私の正体を、かねてより気づいていた者たちも中には居たからだ。「助かるかもしれない」そうした気持ちが聞こえて来るかのようだった。
みなの希望を、信仰の光を背に受け、私は再び振り返り空を見上げる。薄明の緑は黄から赤へ。誰とも知れぬ欺瞞の光が満ち始めた世界の中、私は本物の光を放ちソレと相対する。
「太陽は私です!アナタは、誰なのですか!」
遂にソレが地平に顔を出す。
息を吸う。私はありったけの力を込めて、ソレに目掛けて、世界に轟く大名乗りを挙げた。
「私こそが 天照大御神 だ!」
思わず、口を噤む。
ソレは、笑っている。
世界に日の出が訪れた。
サフラン色の空が燃え盛る太陽を引き上げる
その時は戸惑いを見せながら来る
いつの日か、私の愛しい人、我らは一つとなる
二人が一つとなり、歩み始めた
あの熱狂的で、粗野で、輝く霞の中を
藍色の空が輝く太陽を抱く
私達が走ると、空に光が広がる
あの島に降り注ぎ、狂おしく焼いていく
その日に、愛する人よ、私たちは一つとなった
赤い光が爆ぜる。赤と黒とが混じり合って、空の中で私と私以外は一つになる。そこには全て塗りつぶされた熱しかなくて、私の声にならない叫びはとめどなく役に立たない喉の奥から吐き出され続けていた。そこに私の叫びを聞く人はいない。
そこかしこから歌が聴こえる。柔らかく湿り気を帯びた澄んだ透き通るような声。その音は1つ2つと数を増し、私の背後から重なり合ったコーラスを奏で始めていた。後ろを見た。彼らは笑っている。目と口から赤い身体を垂れ流しながら。空になった皮袋は支えを無くして地面の蠢く汚泥の中に吸い込まれていった。
『愛しい彼の者。私たちは一つとなった。』
『愛しい彼の神。私たちは一つになりたい。』
『愛しい貴女。私は貴女と交わってしまいたい。』
中に入れて。貴女に入れて。愛する私の太陽、私は私の太陽になりたい。軋轢も矛盾も対立も拒絶もいらない。一つの光に。一つの存在に。一つの太陽になりましょう。
『さあ、ひとつに、なりましょう』
掲げる私の指が溶け落ちる。赤い血潮が紅い陽光に包まれ消え失せる。崩れる私という存在を前に、守ろうとした人間たちは恍惚と法悦の叫声を浮かべながら身体を掻きむしり、そこら中の世界に自身を散りばめていった。
その全員の目が太陽を向いていた。私でなく、全てを包括した一塊の光に。
その光は生きている。
その光は信じられている。
その光は完成された、全てを取り込み全てを奪い、代わりに全てを与え導く、天の主だった。
それはまさしく、正しく認め難く圧倒的な、燦然と輝く"太陽"だった。
"誰"でもない。アレは、"私"だ。空位と不在の混沌が産み出した"太陽"の理想の姿。全て混じり合い私諸共喰らおうとする、ひとつながりの認知の輝き。私にはもう、信仰も勝ち目も無い。血の涙を流し、身体の境界もわからなくなった赤い光の中で、私は、私と、私の白き光を見ようとして……。
その手の最後の輝きは、眩い陽光に塗りつぶされた。