by stormbreath
crewtime 21/10/31 (日) 20:30:19 #93482010
ハッピー・ハロウィン、パラウォッチ。今日は、ちょうど20年前に発生した、ひときわ興味深い事件を取り上げようと思う。この事件は単なる実話犯罪だけでは終わらず、陰謀も絡んでくる。私自身はこれを陰謀とまで言うつもりはないが、何やら胡散臭い事が起きているのは間違いない。マイナーな都市伝説とも繋がりがあるから、このフォーラムには打って付けの内容だろう。
要約: 2001年のハロウィンの深夜零時に至るまでの34時間の間に、ベトナム戦争の退役軍人で、当時アメリカ国防高等研究計画局 (DARPA) の長官でもあったサイラス・R・エマーソン3世は、ヴァージニア州アーリントンの市内や周辺地域で不可解な行動を取るのを目撃された。最終的に、彼は謎めいた状況で死体となって発見され、公式に殺人と発表されたが、犯人は未だに発見されていない。
この事件で最も好奇心をそそる要素の1つは、エマーソンが政府高官であるにも拘らず、DARPAも、国防総省も、地元警察も、捜査にいまいち乗り気でないらしいことだ。警察は当初、事件の捜査に熱心だった — なのにすぐ態度を変えたのだ — 私は初期に公開されたあれこれをかき集めて、どうにかパラウォッチ向けの記事を書き上げることができた。これについては後ほど詳しく説明しよう。
事件の時系列
2001年10月30日、火曜日
- 8:00 AM: エマーソンは火曜日に早朝出勤する。彼は国防総省の同僚に挨拶するが、誰もこの時点で妙な様子だったとは報告していない。エマーソンはDARPAの機密プロジェクトに取り組む — このプロジェクトに関与する直接的な同僚たちは、名乗り出て当時のエマーソンの行動を証言しようとはしていない。
- 1:16 PM: エマーソンはシフト中に突然ペンタゴンを立ち去る (DARPA本部の所在地とは違うにも拘らず、エマーソンはペンタゴンで働いていた。私はこの矛盾を説明付ける資料を発見できなかった) 。1人の警備員が、出入りを監視する職務の一環として、エマーソンが外に出るのを見届けたが、それ以外の人物は気付かない。
- 2:00 PM: エマーソンはワシントンD.C.の自宅に到着する。屋外にいた隣人は、彼が家に入るのに気付く。エマーソンは暖炉に火を入れるが、当時の外気温は56°F (13°C) — 暖炉に火を入れるほどの寒さではない。彼はこの火で数枚の書類を焼却する。隣人は煙を目撃し、奇妙だと感じる。
- 2:?? PM: 自宅にいる間に、エマーソンは私用金庫から遺言状のコピーと3通の手紙 — 宛先は元妻、娘、息子 — を取り出し、机に置く。これらの書類は全て前以て書かれていた。また、この時、彼は金庫から拳銃も持ち出す。
- 3:30 PM: エマーソンはワシントンD.C.のリッツ・カールトン・ホテルに到着し、チェックインする。コンシェルジュは、チェックインした時のエマーソンが不安げで神経質な様子だったと証言する。
- 5:00 PM: エマーソンはリッツ・カールトンを出て、オーバル・ルーム — クリントン大統領ご贔屓のステーキハウス — へ向かい、夕食を摂る。彼は誰とも会わず、高価なステーキディナーを1人きりで食べ、幾つかのコース、高級ワイン、複数のデザートを注文する。目撃者は、夕食中のエマーソンが泣いていたと報告している。
- 8:15 PM: エマーソンはオーバル・ルームを退店し、リッツ・カールトンに戻る。彼は誰とも会話せずにホテルに入り、その夜はずっとホテルの自室で過ごす。
2001年10月31日、水曜日
- 8:00 AM: エマーソンは出勤しない。DARPAの職員たちは - 部下も、同僚も、上司も - 誰一人としてエマーソンの不在を報告せず、奇妙だとは考えなかったようである。エマーソンは電話で欠勤連絡を入れていない。
- 8:30 AM: エマーソンはリッツ・カールトンの階下に降りて朝食を摂り始める。彼は特に急ぐ様子も見せず、朝食サービスが終了するまで数時間ダイニングルームに留まり、会計を済ませて自分の部屋へと戻る。
- 11:30 AM: ある時点で、エマーソンはリッツ・カールトンから外出する。彼はナショナル・モールまで歩き、まだ名乗り出ていない身元不明の人物と会っているところを目撃されている。2人はモールを歩き回り、一緒にベンチに座る。この会話の趣旨は不明。
- 1:17 PM: エマーソンは近くの花屋でクレジットカードを使い、花束を幾つか購入する。彼はナショナル・モールに戻ると、ベトナム戦争戦没者慰霊碑に向かい、戦争中に行動を共にした全ての兵士の名前の下に、1時間かけて花を供える。エマーソンの家族は、彼がいつも戦没将兵追悼記念日には献花していたと語ったが、何故ハロウィンにそうしたかを説明できなかった。
- 3:00 PM: 献花を完了すると、エマーソンは慰霊碑の横のベンチに座る。目撃者は、彼が泣いているのを見たと報告している。彼は間もなく立ち去る。
- 8:45 PM: 生きているエマーソンの既知の最後の目撃情報。彼はリッツ・カールトンの部屋を予約したにも拘らず、その夜はホテルに戻らない。エマーソンの娘の友人の父親は、エマーソンがワシントンD.C.を歩き回り、見たところ混乱・緊張した様子で、しきりに肩越しに振り返っているのを目撃する。エマーソンは簡潔に挨拶するが、この男性とはあまり長く会話しない。
- 12:00 PM: 推定死亡時刻。
2001年11月1日、木曜日
- 8:00 AM: エマーソンは出勤しない。前日とは異なり、DARPAの同僚たちは彼の不在を上司に報告する — 上司はすぐにエマーソンを元・従業員として登録する。
- 9:07 AM: ワシントンD.C.市警が、路地に横たわるエマーソンの遺体を発見する。彼の頭は切り落とされ、代わりにジャック・オー・ランタンが肩の上に配置されている。両腕は身体の横に広がっている — 左側には凶器の大鎌が、右側には切断された頭部がある。エマーソンの拳銃は遺体から数フィート離れた場所にある — 中身は空だ。マガジン1つ分もの薬莢が近くに転がっているが、銃弾は1発も見つからない。警察は速やかに捜査を開始する。
crewtime 21/10/31 (日) 20:33:37 #93482011
この事件で議論すべきだと思う点は3つある。エマーソンの死に至るまでの行動、死に様そのもの、そして死に対するDARPAの反応だ。このうち、一番奇妙なのは最後だろうから、後ほどもう少し詳細に説明する。
第一に、死ぬ前の2日間にエマーソンがとった行動について。何よりもまず、彼は明らかに死を予見していたように思える。最後に帰宅した時、彼は遺言書と、死んだ時に備えて家族宛てにしたためた手紙を取り出した。彼は自分が間もなく死ぬことを覚悟していた。すると、暖炉で何を燃やしたのかという疑問が浮上する — 気温は高かったので、恐らくは何かを隠滅しようとしたのだろう。その“何か”の正体は分からない。
その後2日間の行動がこれを裏付ける。エマーソンは、5つ星ホテルと、クリントンがよく訪れたステーキハウスを行き来して、大金を費やす。翌日は仕事をサボって、亡き戦友のために戦没者慰霊碑を訪れる — 死を目前に控えた人間の行動だ。
不思議なことに、彼は当時、家族にも友人にも直接連絡を取らなかった。ナショナル・モールで会った1人の男性を除けば、彼はこの2日間、人との交流を極力避けて過ごしていた。もうすぐ死ぬと分かっていたのならば、何故、家族に直接別れを告げなかったのだろう?
全体として見れば、エマーソンの行動は表面的には自殺のように思われる。しかし、そんなことはあり得ない — 彼は頭を切り落とされ、惨殺されたのだ。犯行現場は、凶器が残され、遺体にはジャック・オー・ランタンが添えられるなど、死後に装飾されていた。凶器には指紋も、識別情報も、製造元のマークも無かった。警察はその大鎌を回収したが、証拠品としては使用できなかった。
ここでもう一つの武器 — 拳銃についての疑問が生じる。銃弾の鑑識結果は、エマーソンが死ぬ直前に何度も発砲したことを示している。だが、路地で発見された銃弾は無い。薬莢だけだ。つまり、彼は複数回発砲し、銃弾は何かに当たってめり込み、撃たれたものは路地から持ち去られたのだ。もしエマーソンが犯人を撃ったのなら、犯人は何度も撃たれてどうやって生き延びたのか? しかも、銃弾は確かに発射されているのに、ワシントンD.C.のど真ん中にも拘らず、物音が報告されていない。近隣住民たちは、死亡時刻あたりに発砲音を聞いたとは証言していない。では、銃はどのように発砲されたのか? 弾丸は何処へ消えたのか?
警察の公式発表では、エマーソンは行きずりの強盗か何かに殺されたことになっている。死ぬ前の行動は単なる偶然で、彼はある形で死を迎えると思い込んでいたが (説明されていない) 、実際は別な形で死んだ (解決していない) のだそうだ。とても信じられない。陰謀の匂いがする。
crewtime 21/10/31 (日) 20:33:37 #93482011
ワシントンD.C.の高級官僚の死について、最も端的な説明があるとすれば、それは暗殺である。ところが、この事件では、諸々の理由からその説明が成り立たない。この事件に関する公式見解の多く — そしてパラウォッチ以外のウェブサイトで見かけるであろう説の多く — では、やはりエマーソンの死は暗殺だとされている。私はそれを信じていない。
最初の大きな問題点は、エマーソンを実際に殺したのが何であれ、彼がそれを知ったのは勤務時間中だったことだ。彼は就業時間よりもかなり早く、1時過ぎにペンタゴンを飛び出している。帰宅して遺書を取り出したという事実が、仕事を離れたのは死が迫っていたからだという推測を後押ししている — ただのサボリでこんなことをするはずがない。
もう1つの大きな問題は殺害方法である。犯行現場には、ジャック・オー・ランタンが彫られたカボチャと、大鎌が置かれていた — 殺人のあった日、ハロウィンを表しているのは一目瞭然だ。何故、暗殺者はこんな細部にまで手間を掛けたのか? そして、何故このような残虐で効率の悪い殺し方をしたのか? これは計画的な行為であり、何よりもスタイルを追求した結果だ — しかし、明確なメッセージを送るようなやり方ではなく、行き当たりばったりで被害者の身元とは無関係の犯行に見せかけてもいない。
では、3つ目の大きな問題、この事件に対するDARPAと国防総省の対応について解説しよう。彼らの事件への関与を取り巻く全てが、控えめに言っても疑わしいと感じられる。もし、彼らが事件の当事者でないとしても、隠蔽工作があったとしか思えない。
何より怪しいのは、エマーソンの同僚たちが、彼が死んだ翌日まで失踪や早退を報告していないことだ。彼らは全員、火曜日に退勤した後、エマーソンから連絡は無かったと警察に話している (そして、彼の早退には言及していない — これは、彼が建物から出るのを目撃した警備員と、彼の車がペンタゴンを離れるのを捉えた監視カメラ映像で確認された) 。まるで、彼が死ぬのを待ってから失踪を報告したかのようだ — しかし、もしそうなら、彼らはどうやって彼が死んだことを知ったのか? 彼らは、何がいつエマーソンを殺すかを、どうにかして知っていたのだろうか?
さらに、同僚たちはエマーソンの早退理由を知っている可能性が高い。彼らは後日、彼の仕事用のコンピューターや書類を全て機密扱いであると主張して、提出を拒否した。それはそうかもしれないが、エマーソンが30日にペンタゴンを去った理由を知ることができないのに変わりはない。しかし、彼の同僚たちは平然としている — まるで事情を知っており、心配していないかのように。
捜査が始まったばかりの頃は、地元警察も何度かこの事件を報じ、地元ニュースで取り上げたりしていた。ところが、被害者の身元 — そして勤務先 — が判明すると、捜査の進展は停滞した。国防総省は当初、独自に調査を行い、FBIと連携して対応すると言っていたが、そのような動きは無かったようだ。私はFBIが関わった証拠を見つけることができなかった。
国防総省とFBIの威圧に押されて、D.C.市警は捜査を事実上打ち切ることになった。“無計画犯罪”説を唱えるおざなりな公式声明が出されたが、それは国防総省の動きに合わせて早急に何かを出す必要があったかのように、突然大急ぎで書き上げたような内容だった。
何か説明の付かない事が起きているのは明白だ。私には何が起きたか見当も付かない。国防総省がエマーソンを暗殺したか、或いはエマーソンは — どのような理由にせよ — 阻止できない暗殺が差し迫っているのを悟ったのかもしれない。いずれにしても、奇妙な事件である。多くの疑問は論理的に答えを出すことができない。
この物語の冒頭で述べた都市伝説についてだが、特に広く知られてはおらず、D.C.地域のごく少数の人々の間で噂になっている程度だ。2002年から、毎年ハロウィンの夜になると、何者かがベトナム戦没者慰霊碑の近くに、ジャック・オー・ランタンが彫られたカボチャを置いていくらしい。誰が置いていったのか見た者はいないが、噂によると、それはサイラスの亡霊で、殺された夜に戻って来ては、死者を称える伝統を続けているのだという。