センダー(Cender)は<旧きアギー>の祝福を受けていた。彼の七人の娘たちと、二十一人の孫娘たちがその明かしだ。しかし今、女神の像の前にたって、内心震えることをこらえられなかった。畢竟、彼は死を免れえない。
センダーは、灰色で薄い、長い髪の房を後ろに押しのけて、男性器を像の台座の水盤で禊いだ。そして自分の指に口付けをして、指を像の唇に押し付けた。また彼は、彼とその家族の罪の赦しを乞うて、道行く困難からの守護を願った。これらの祈りの、たった一つだけは答えてくれるだろうと考えながら。そして最終的に、石ころが彼に降ってきた。
センダーは、終わりの祈り言を唱えて、頭を垂れ、水から上がった。そして振り返ると、ずんぐりと腰を下ろす建物の周りを囲う、白い砂に歩いて行った。彼は、一丈の布を頭に巻きつけると、丸い滑らかな小石、彼の運命を定めた小石を取り出した。彼はそれを空に投げて、地に落とした。それから、それをよく見るために跪いた。彼は彫り込まれている矢印の方向を、目を細めて見た。そうして、再び小石を拾い上げると、もう一週間も持ちそうもない水入れを担いで、砂漠の方に歩んでいった。
初めて家の廃墟──最も古いもので、今は棄てられていた──に辿り着いた時、彼は一休みをした。彼はもっとよく知っておくべきだった。特に死者の幽霊がいつも砂漠の近くにいるという事は。しかし、彼は気にしなかった。彼はつかれていた、足には豆ができていたし、もう数時間前から空は夜だった。彼は孤独を感じた。センダーは三十八年間、妻の側で寝ていた。今、彼女のぬくもり無しでは、まるで裸のように寒いと感じた。彼は目を閉じた。全然知らないものの声が聞こえると、頭の中の声が聞こえないようにした。
「汝は年老いた、ドノマ(Dnoma)のセンダー。なにゆえ、この砂漠を歩くのだ?」
彼は目をすぐに開けて、あたりを見渡した。すると、蝶々が壁の角で翅を休めているのに、目が止まった。彼はとっさに前のめり、頭を地につけた。
「主よ……私はあなたを崇めます。」
声は続かなかった。センダーは内心、質問に対して答えなかった自分を忌々しく感じた。
「私は新しい求道者です、主よ。天命により選ばれ、私は大いにたくさんの娘たちを授かりました。この齢に関わらずです。」
声は再び静寂を保った。しかし、センダーが再び頭をあげる時、蝶々が飛び立つのを見た。葉のように空気の中を漂う蝶々。彼は水筒をとカバンを握りこみ、急いで後を追った。深い砂漠の中へ、深い寒夜の中へ進んだ。
彼が丘の頂上に達した時、蝶々は、ひらひらと跡形もなく消え去った。しかし、センダーはその事に気づいていなかった。それどころか、かれは唖然としていた。とても、とても静かに。
彼の前に広がるのは、かつて見てきた廃墟とは似つかぬものだった。センダーは若い頃旅人であった。北方の死した水を味わったことや、南方の壁を見たこともあった。でもこれは……
それは、茫然と広がっていた。おそらく、数マイルにわたって。もしかすると、それよりも遥か彼方に。それは、いかにかして、鉱物と石で作られていた。さらに、一部は悲惨で見ていられず、そして──感謝と切願の祈りが唇からこぼれ──センダーは地に伏し、目を閉じた。彼は見つけた。何百もの求道者が命を散らしたこの砂漠で、彼はついに見つけた。
<スタレルの陵>。<故郷なるサイトュ>。<神々の都>。
「あなたの御意思により、大いなる意志により、私をここに導いてくださったのですね。本当に、私は<アギー>に祝福されているのですね。私は<ドラジン>に祝福されているのですね。<スタレル>に祝福されているのですね。ありがたい!」
センダーは祝福をもって、家に走り帰ることも出来た。そうすれば、彼の残りの人生は、聖者として、聖職者として生きていけただろう。
しかし、彼はそうしなかった。
センダーは鋭い岩々をまたぎ越え、その度に少しすくんだ。砂漠で熟成された彼の足は、革よりも丈夫になっていた。それでも、岩々は痛々しく鋭かった。彼はついに壁に達した。壁に手をかけ、足掛かりを探し、ゆっくりと、外周の構造の一番上まで上り詰めた。内側はすっかり凄まじくなっていたが、神々の意志により、ひび割れから中庭に彼は落ちた。どことなく安心感があった。
神々は、立ち入りを許可した。間違いない、彼は神々に祝福されている。次の預言者の一歩手前までに、彼はやってきたのだ。畢竟、そこに異象はなかった。これは現象であった。
彼は大きな、開かれた扉に近づき、足を踏み入れた。微笑みながら、床の深い亀裂にも気づかず、硫黄の余香にも気づかず。
彼は建物の中に歩み行った。仰ぎ見れば無限に伸びる天井、前後深淵に延びる廊下、果てしなく縺れた部屋。彼の精神は有頂天になった。無作為に扉を選び、石で印を置きながら、彼はその中に降りていった。神々の御業の残滓を探すため、歪んだ部屋を探索した。床石は崩れ破壊されていた。彼はため息を付いた。真の宝は都市の遥か地下深くにあるのだろうと気がついたのだ。そして出ていこうとして振り返った。して、石を拾おうと振り返ると、石がないことに気がついた。彼は目を細め床を見た。石を探した。そして、愚かにも、御印の石を使ってしまっていたことに気がつき……ふっと、何かが聞こえる。
けたたましい音、しかし一度も聞いたことのない音だった。悪魔が屠られる時に発する音声よりも、更に禍々しい音声。とても近くで鳴っている、恐ろしい。だから、彼は死に近づきつつある愚か者がするような事々をした。彼は走ったのだ。
センダーの老いた、疲れきった、それでも砂漠を力強く踏みしめた脚をもって、彼は走ることができた。扉はすでに無くなっていた、センダーの様な者を混乱に貶めるための、古のものの目論見通りに。センダーは代わりに別の道を探した。神々は何とかして出口を与えてくださるだろう、神々はセンダーを赦したのだ、まさか閉じ込めたりするまい。彼は必死に走った、深く、また深く。後ろの壁が崩れるような音が聞こえても。にわかに、音がたち静まって、彼を呼ぶあの御言葉が聞こえた。
「センダー……」
微かな声だった。どうしたことか、木霊して彼を包み込んだ。
<スタレルの陵>は広大で、涯がない。そして、何処かしこも曲がりくねり、よじれ返っている。彼は逃げおおせたと、うたかたの喜びを味わい、そして、逃げおおせていなかったと知った。永劫の畏れと、悲しみに落ち込んでいった。そこからどれほど、センダーは獣から逃げたのか、一体誰が知ろう?ただ彼が思うには、十分な長さではなかった。
彼は走って、走って、そして終に……堕ちた。振り返れば獣の姿、大いなる奈落が四ツ裂きに開き、恐ろしき歯は、難無く彼の肌を突き破った。彼はけたたましく叫んだ、<シイケイトゥ>とセンダーは叫び、また叫び。それでも、神々は彼のもとに現れなかろう。彼は死んだ。神々の祝福とは神に非ざるものの呪いであると知るには、余りにも遅かったのだ。
物語の盛り上がりに合わせ、老人は黄色い歯を見せ笑う。老人が大きく笑うと、子どもたちはサッと散っていった。老人は、笑いながら膝をたたき、笑いむせる。彼が立ち去ろうと振り向いた時、小さな声を掛けられた。
「でも、センダーは何に見つかっちゃったの?」
そう尋ねられた。
語り手は振り返り、微笑んだ。とても日に焼けた、十二歳にも満たない男の子。
「彼は何を見つけたのかな?」
彼は尋ねた。
「どうして……かれは見つけたのだと思うよ。<故郷なるサイトュ>。<神々の都市>。<スタレルの陵>。」
小さな男の子はもじもじとして、乾いた唇をなめた。
「だから……かれは祝福されていたんでしょ?」
彼は尋ねた。
老人は再び満面の笑みを浮かべた。
「もちろん、祝福なんてされていなかったのさ。」
彼は笑いながら言った。
「彼は呪われていたんだ。誰も見つけちゃならない秘密があるんだよ。」
「でもでも…」
小さな男の子は続けた。
「かれは、<故郷なるサイトュ>を見つけたんでしょ。それって祝福されているってことじゃないの?」
老人は目を細め男の子を見つめると、彼を煙に巻くことはできないと知った。
「名前は何て言うんだい、ぼうや?」
彼は尋ねた。
男の子は目をしばらくせばめた。
「名前をかくしている人に、名前を言っちゃダメなんだよ……」
彼は言った。
老齢の男は大声で笑った。
「賢いぼうやだ……<ヨークの信者>よ、そうだね?」
彼尋ねると、微笑んで、納得げに頷いた。
「わしは、ベネデム(Benadem)と呼ばれているよ。」
彼は言った。
男の子は頷いた。
「ともだちは、ぼくをロン(Rone)と呼ぶよ。」
「よしよし、ロン。まあ、寄りなさい。<ヨーク>の物語をしてあげようかね……どうだい、猿神<アビルト>と生命の水の話は聞いたことあるかね?」
彼は尋ねながら、とぼとぼと歩き出した。男の子は老人の後ろをせっせと追って、老人の物語に耳を澄ますのであった。
訳注:原文で大文字から始まる単語は<>で囲んだ。