「なるほど、ここがセミナー会場か……。」
俺はそこそこデカいホテルの前に立っていた。友人から誘われた自己啓発セミナー。あんまり気ノリはしなかったが、友人がぜひとも行けというのでしょうがなく足を運ぶことにした。ちなみに当の本人は風邪により欠席だ。なんとも不人情な話だ。
美人のお姉さんがいるロビーを抜け、エレベーターに到達する。セミナー会場は6階、確か120人収容の講義室みたいなところだったか、古びた遅いエレベーターの、もっともらしい「チン」という音を聞き流しながら、パンフレットを眺めたまま扉の外に出た。お目当ての部屋はすぐそこだった。
「おじゃましまーす……。」
誰に言うでもなく、挨拶を挟みながら扉を開けた。既に会場はかなりの席が埋まっている。なるほど、確かに人気はあるセミナーらしい。空いている席を見つけ席に着くと、ちょうど照明が落とされた。
「皆さん初めまして!私、この『We Are Cool Now』代表の井上アキラと申します!」
俺はここに来て初めてセミナーを開催した大本の名前を知った。「We Are Cool Now」か、初めて聞く名前だな。
「さてさて、このセミナーにいらっしゃった皆さんのことですから、本日お話しさせていただくことの内容は大方予想が付いているとは思いますが……念のため1からご説明をさせていただきます!WACNはより良きCoolを目指す会員型サークルでございます。」
会員型サークルか。事前に友人から聞いていた者とは少し雰囲気が違う気がするが、その中で自己啓発とやら(実際のところ、自己啓発がどんなことをするのかよく分かっていないが)をするのだろうか?
「WACNでは、生活のクオリティを向上させることを目的に会員同士の交流を行います。そして、運営のWACN側からも会員の皆さまの生活のクオリティを向上させるためのお手伝いをさせていただきます。」
生活のクオリティ……実際のところ、自分の生活はどうだろうか。特段大きな不満があるわけではない。だが、今自分は幸せか?と聞かれれば幸せだと即答できる気もしない。
「我々WACNは皆さまの生活を豊かにするためにあらゆる手を尽くさせていただきます。Coolで!素晴らしい生活を送るために!そして我々WACNが皆さんにご提案させていただく1つの方法!それは……お金を手に入れることです。」
ん、お金儲け?
「……というニッチなニーズを狙うのが我々がサジェストするストラテジーな訳です。つまり皆さんはこのストラテジーに乗って、ベンダーをするわけでありまして……」
なにやら小難しい単語が並べ立てられていく。読む間も尽かせず、切り替わっていくスライドショーの中身。ただ、なんとなくだが、凄いことは分かる。
「つまり、このプロセスに則ってベンダーをすることで五割の利益が皆さんのお手元に届くわけです!さらに!皆さんがアグリーメントした子会員のリターンの五割も皆さまのマネーになります!この全く新しい営業をネットワークビジネスと言います!」
凄い、子会員の収益まで回ってくるのか?それじゃあ、上手くいけばそのうち働かなくても金が入ってくるってことじゃないか。
「そう!皆さんのご想像の通り、このビジネスは不労所得ネットワークです!働かなくても金が稼げる時代がすぐそこまで来ているのです!もちろん、ある程度のイニシャルコストはかかりますが、コミットを積み重ねていけばそんなのすぐに取り戻せます!」
なんてことだ。日常が一変する提案だ。
「皆さん、クールになりたいでしょう?クールに暮らしていきたいでしょう?」
会場の何処かから雄叫びが上がる。クールになりたい!と誰かが叫ぶ。
「それじゃあ皆さんご一緒に!クール!」
「「「クール!」」」
「「「クーーール!」」」
「ク~~~~~~~ル!!!」
「「「ク~~~~~~~ル!」」」
会場の熱気は最高潮。誰もがこの最高のビジネスに大きな夢をはせている。乗るしかない、俺もこのビッグウェーブに。気づけば俺も一緒になって声を張り上げていた。
「そうですそうです!このビジネスを成功させれば皆さん全員最高のクーリストです!やってやりましょう!それでは皆さん最後にもう一度!せーの!」
「「「せーの!」」」
「ク~~~~~~、ん?」
突然、後ろの扉が音を立てて開いて大量の男たちがなだれ込んできたかと思うと、会場を閃光が覆った。
「とまぁ、今回の顛末はこんなところです。」
エージェント・時任は分厚い束の報告書を乱雑に投げる。少しニヤけながら「そうかいそうかい。」と報告書を受け取った上司は時任に言葉を返す。
「まぁ、事前の予測通り、なんてことないネズミ講の勧誘セミナーだったね。」
「そうでしたね。それもとびきり出来の悪い奴で。なんど途中で飛び込んでやろうと思ったことか。あんなのに騙される奴も騙される奴ですけど。」
「確証を得るまでは動けないからねぇ。」
「全く、ロクでもない名前の団体ですよ。要注意団体そっくりの名前なんかつけやがって。大迷惑です。」
「だが、結局、要注意団体と関わりのないことは分かったんだから。これは我々としては喜ぶべきことじゃないかな?」
「はぁ、まぁそうですがね。余計な仕事が増えたのは純粋に面倒ですよ。」
「まぁまぁそう言うな。」
「そういうもんなんですかねぇ。」
会話を続ける中でも上司のニヤつきは止まらない。これは何かいやな前兆に違いないと察した時任は早めに話を切り上げて帰ろうとした。
「そいじゃあまぁ、報告は終わりましたんで、俺はここで失礼を……」
「おいおい待てよ。まだ仕事はおわっちゃいないぞ。」
そう言いながら上司は時任を引き留める。その顔はいやらしい笑みにあふれていた。
「は?異常性なし、要注意団体の関連もなし、調べることは全て終わりましたが?」
「いやいや、これからが大変だぞぉ?まず運営側のメンバー全員捕まえる。それからセミナー参加者に聞き込みをせにゃならん。それからな……」
「ちょ、ちょっと待ってください。それは警察がやる仕事でしょ?」
大袈裟な動きを交えながら話す上司を止める時任。その時任の様子をみてさらに楽しそうな顔をしながら上司は続ける。
「そうだな、本来警察がやる仕事だ。でも今回はちょっと違うな。今回は財団が関わってしまったからな。そんな仕事をそのまま警察に引き継げると思うか?」
「うっ。」
「もちろん無理だな?つまり財団内で処理しなきゃいけない案件だ。時任、覚えておけ。俺達はこういうこともしなきゃならないんだよ。」
「……これ、どんぐらいの仕事量なんですかね。」
「さぁな?少なくともセミナーを10回は開いてるらしいぞ。半分はサクラだそうだが、残り半分は可哀想な被害者の皆さんだ。」
「……ざっくり見積もっても500人は超えますね?」
「ちなみにあっこさん、資料の整理が苦手らしく、記録に残ってない参加者もたくさんだそうだ。良かったな。まずはそっちの聞き込みからだ。残念ながらこれは冗談じゃないぞ。」
まさかの追加の仕事。しかも異常性関係無しの雑務だ。あまりの面倒さに時任はため息を漏らしてしまう。
「はあぁ、勘弁してくださいよ。」
「俺も若い頃はよくやったよ。まぁ社会経験だと思って我慢しな。」
部屋の扉がノックされた。その扉の向こうから自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。どうやら、すぐにセミナー関連の仕事を再開しないといけないらしい。わざと上司に聞こえるほど大きくため息をついて時任は上司の部屋を後にした。
第零号業務。それは異常性や要注意団体、一切の超常が関わらない業務のうちの1つ。職員が最も忌み嫌う業務のうちの1つ。
つまりはただの残業だ。