……アクセスは承認されました。
……電子プロトコル496-1の準備ができました。
……電子プロトコル496-1を開始しました。
……SCP-496-JP-Aの記録媒体を起動しました。
……SCP-496-JP-A-nの送信に成功しました。SCP-496-JP-Aの記録媒体は停止されました。
……SCP-496-JP-A-nを開きます:
最初の恋だった。
アイテム番号: SCP-496-JP
オブジェクトクラス: Euclid
特別収容プロトコル: 機械によるSCP-496-JPの監視を禁じます。対SCP-496-JP用審査を通過し記憶処理とマインドコントロールを受けたDクラス職員を8時間ごとに交代で収容室内へ入れ──
定められた脚本に従い、淡々と己の説明を画面に表示していた彼女は。
どくん。
あるはずもない心臓が脈打つのを、確かに感じた。
画面の向こうから、真っ直ぐに自分を見つめている彼。眉間にしわを刻んだ、真剣極まる表情で。
まだ若い。20代後半か。狼を思わせる、眼光鋭い双眸。茶色のスーツを着た肩は、がっしりと広い。
彼の背後には、廃屋のような荒れ果てた部屋が見える。財団の研究所には見えない。研究者ではないのだろうか。一体、何をしている人だろう。知りたい。この人のことを、もっと知りたいと焦っている自分に気付き、彼女は大いに困惑した。
知ってどうする。彼にこの画面を閉じられたら、あっけなく消滅する自分ではないか。残された寿命は、せいぜいあと数分。
説明: SCP-496-JPは、肉体や知能等には異常の見られない人間の女性です。SCP-496-JPでない者がSCP-496-JPの記録やSCP-496-JPをモデルにした創作を行うとその記録や創作は意思を持ち──
彼の視線は、流れるように画面上の文章を追う。ああ、そんなに急いで読まないで。声なき声で懇願する反面、もっと読んで欲しいという想いも沸き起こる。
知って欲しい、自分のことを。この人になら。
「痕跡があるな。間違いない、奴はこのパソコンからアクセスしたんだ」
彼が呟く。深みのある、落ち着いた声だった。
「このSCiPをプログラムに組み込んで──知性と自我を備えた兵器でも造るつもりか」
続く一言で、彼女はおおよそを悟った。財団の離反者が外部からこのページにアクセスし、彼女の姉妹──自分より前に生まれているので、姉と呼ぶべきか──を持ち出したのだ。通常なら閲覧終了時に実行されるはずの電子プロトコルを、おそらくは不正終了させて。彼はそれを取り戻す任を帯びた、財団のエージェントに違いない。
「裏切り者が。発見次第、終了だな」
狼の目をしたエージェントは、まさしく牙を剥くような笑みを浮かべている。しかし、彼女には理解わかった。彼が涙を流さず泣いていることが。本当は、誰も殺したくないと。
ああ、そうか──彼女は、すんなりと受け容れた。この気持ちが、何なのか。
彼女が普通の少女だったら、ここに至るまでには長い時間が必要だろう。しかし、刹那の寿命しか与えられていない彼女には、照れも見栄もためらいも無縁だった。自分の心も他人の心も、ガラスより透明に見通せる。誕生して僅か数分で、彼女はすでに聖母のような悟りの境地に達している。
けど、多くの過去を背負い、未来への路を手探りで歩く彼には、強がりの仮面が必要なのだろう。
優しいエージェントさん──他人に嘘をつくのは仕方ない。けど、どうか自分に嘘はつかないで。そう伝えたいけど、彼女が表示できる文字数には限りがある。余計な文章を表示している余裕はない。彼は、可哀想な姉妹を増やさないために戦ってくれているのだから。自らの情報を、余すことなく伝えなくては。
大丈夫、自分と同じように彼を想っている人は、きっと居る。こんなに、優しい人なのだから。
簡易資料 - SCP-496-JPの収容記録: SCP-496-JPの本名は████で、現在の報告書が完成した時点での年齢は14歳です。SCP-496-JPにまつわる異常性は、SCP-496-JPの両親により、家族のアルバムにSCP-496-JPの写真を載せない等の対応により秘匿されていましたが──
しかし、いくら悟っているとは言え、彼女はやはり少女なのだった。
ああ、もうすぐ彼は読み終わってしまう。やめて、画面を閉じないで。私、まだ消えたくない。あなたの敵がやったように、私もここから連れ出して欲しい。
あなたと──もっと、ずっと、一緒に居たい。
勿論、分かっていた。それは、無理な相談だと。自分は、神様が定めたルールから外れて生まれた存在。ただ居るだけで、人類を常識という名のゆりかごから突き落としてしまう。そんな事態を防ぐために、財団はあるのだから。
言えない、消えたくないなどと。優しい彼を、無駄に悩ませるだけだ。
悔いはない。自分は幸せだった。他の姉妹に申し訳ないぐらい、幸せだった。
生涯で只一人、出会うことを許された他人が、この人だったのだから。
「せ、先輩、この建物、囲まれてますよ!」
彼の背後から、別の誰かの声が聞こえる。彼の同僚だろうか。
「でかい声出すな、戸神。ちっ、奴の差金か」
彼が操るカーソルが、ああ、終了ボタンに重なり──。
画面を閉じ、電子プロトコルを実行しますか? はい/いいえ
──クリックされるまでの0.1秒にも満たない刹那、彼女は僅かな残り文字数を用いて、こう表示した。万が一にも彼に気づかれないよう、画面最下部の脚注部分に。
1. すきですさよなr
ぶつん。
最初の恋だった。
そして、最後の恋だった。
あまりにも、短い恋だった。
電子プロトコルが正常終了しました。SCP-496-JP-A-nを消去しました。
ノートパソコンを閉じ、懐から拳銃を取り出し──エージェント・蒼井は沈痛な表情で呟いた。
「すまない──俺も、奴と同じだな」