『よぉマンデー、まだ生きてるか?展』禁断の内部と犯行の一部始終。
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monday

マンデーは死んだ。死んで、自分の生涯を展示に作り変えたらしい。

ニューヨーク、スラム街。腸を切り出して酒代に充てたと思わしきホームレスを通り過ぎ、埃に汚れたレンガの住居群に周りを囲まれる。しわくちゃになったフライヤーの裏を眺めてから、俺はビルの1つを見上げた。非常階段のある3階建ての建物、その1階の壁面には俺が持っているのと同じフライヤーが乱雑に貼られていた。

『よぉマンデー、まだ生きてるか?展 ───伝説的スナッフ・フィルム監督"マンデー"、ここに眠る』

目的地で間違いないようだ。フライヤーを畳んでポケットにしまい、ハンディカムを手に取った。右手にセットして撮影を開始する。カメラを触っている間に地面に置いた紙袋を片手に持ち直し、中身の状態を確認する。問題はない。諸々の準備を整え、俺は扉のない玄関から展示へと足を踏み入れた。

展示に入った瞬間、部屋のどこかから呻き声と喘ぎ声が聞こえてきた。既視感のある声だ。ハンディカムを持った右手でぐるりと空間を掻く。元々あった建物から家具を廃棄して、配管すらも白いペンキを塗りたくったような部屋だ。スラムとは思えないほど清潔感に満ちている。その清さを上書きするように部屋の各所にはブラウン管とパネル、展示台が置かれていた。後ろから伸びるコードの束が女の髪みたいに目立つ。形式的な『ご挨拶』パネルを素通りして、俺は順路に従い最初のブラウン管の前に立った。時代錯誤テレビの下には時代錯誤ビデオデッキがあって、その横にビデオテープとキャプションがガラスケースに入れて設置されている。

絶叫に近い呻き声のせいで解説を読む気にはなれなかった。俺の目はブラウン管の中に奪われる。低解像度の画面では固定された光景が映され続けている。男の頭。画面の中心にはそれがある。彼の頭は万力に挟まれ、ギリギリと締め付けられていた。

マンデーの作品群でオープニングに持ってくるとしたら確実にこれだ。俺は納得していた。引きこもり高校生だった青春の日々を思い出す。ビデオショップをきっかけに付き合い始めたガールフレンドが薦めたビデオの映像がこれだった。これで俺は自由になったんだ。人間ってのは本当はグロく殺してもいいんだと、このビデオが教えてくれた。

伝説的スナッフ・フィルム監督、ペンネームはマンデー。彼は俺の、直接の師匠だ。

Until: Breaking human head人の頭が割れるまで


[映像は03:54から。被写体の頭には既に相当な負荷がかかり、流暢な会話が困難となっている。]

被写体: あっ、がはっ、ああっ、あっ

[画面の端に太い腕が映る。レバーを1回回転させ、万力がさらに締まる。]

被写体: やめ、やめてくだぁっ

[画面の端に太い腕が映る。レバーを1回回転させ、万力がさらに締まる。]

被写体: や、ふがっ、あうっ、や、やがっろ、やめおろ

[しばらくその状態が続く。被写体は瞼を痙攣させ、開いた口から歯を震わせた。]

被写体: なに、したい、が、なんなっ、ふぐっ

[万力のレバーが指で弾かれる。]

被写体: かきゅっ、か、がかっ、あうあっ

[被写体が吐いて垂れた唾液と流した汗を、布を持った腕が拭き取る]

被写体: ううっ、ふうぅ、はぁ、はああっ

[伸びた腕に目を瞑った被写体が目を開ける]

被写体: はぁ、はぁ、ああっ、ごげっ、ごめ、なああ、いいぎっ、ひぎあっ

[画面の端に太い腕が映る。レバーを連続で回転させ、万力がキュルキュルと音を立てる。]

被写体: あああ、ああう、ああがはああっ

[レバーの回転は続いている。被写体の抵抗が激しくなる。]

被写体: やめ、やあおうろ、あがあっ、わかっ、かれ、がかああっ

[レバーの回転は続いている。ドタドタという物音が金属音を掻き消す。]

被写体: がががっ、がああっ、ぎいい、ぐうあっ、ああ

[レバーの回転は続いている。被写体の眼球が浮き上がる。]

被写体: あああ、あがあああ───あっ

[物音が消えた。]

スナッフ・フィルム。実際の殺人を映したとされる映像を指す。裏ビデオ市場では有志によって撮影された記録が出回っている。そのほとんどはフェイクだが、だからこそ本物と認定された映像の価値が高まる。

俺が生まれた頃には名を馳せていたというマンデーは、様々な殺人映像を媒体を変えながら公開してきた。凄惨さから当初はよくできた造り物だとされていたが、行方不明になったヒッピーと出演者の容姿の一致が疑われ、ホラーマニアの間で一躍脚光を浴びることになった。新作が途絶える度に被害者による復讐、警察による逮捕が噂されるものの、嘲笑うように新しい犠牲者が生まれる。未だ正体は不明。画面に映り込むのはやたらとせわしなく動く太い腕しかない。しかし、画面の外に彼は実在する。

陰鬱な月曜日マンデー。いつか必ずやってくる。ペンネームになぞらえて、彼はそう呼ばれた。

『Until』シリーズは、そんなマンデーの代表作だ。カメラを定点に固定し、拘束した人間を淡々と殺害する。あまりにも至極当然かのように人が殺され損壊されるので、彼の映像作品では惨殺すらも真っ当な娯楽になってしまう。ユーモラスで日常的な凶器、下手な冗談みたいに体表にまろび出る血と臓器。2枚刃カミソリ表皮取り、クリスマス電飾の微弱電流焼殺椅子、逆にシンプルなステープラーカチカチ殺人。人を殺すのは何も難しくないし、B級映画じみた死に方も現実に起こせる。そうした表現にたくさんの偏屈オタクが食いついたんだと思う。すぐそこで放映されている万力の殺人ビデオはそれを象徴する作品で、ディープネットの掲示板では現在でも名作として語られている。

画面の向こうには自由が映っていた。ビデオをデッキに入れて再生して、俺は映像に落ちた。ヤバイ世界に迷い込んだと気付いた頃にはもう穴の底。10分ある映像を何度も見返して、すべてが終わって暗転した画面を眺める。あの男は万力で何回殺されただろう。違う、絶対に1回だ。これはフィクションじゃないんだ。ぼうっとしていた頭が恐怖で冴える。心の奥まで震える感覚に、俺は快感を覚えた。それが17歳の夏。

男の頭を損壊するフェーズに映像が移った。その前から立ち去って、陳列棚とブラウン管が並ぶ順路へと進む。あの後はよく知っている。輪ゴムでスイカを割る動画に近い展開だ。ブラウン管出力の映像はレアだが、俺は先を急いでいた。マンデーが撮影してきた映像、撮影場所の内装、被害者拉致までの計画資料、実際に使用した凶器……。数々の残酷が生み出されるまでの軌跡が、棚の上で整列していた。あれは膝を切ったときのノコギリで、あれは頭をメッタ打ちにしたときのカナヅチで。涎が出そうになるほどのアイテムが飾られていたが、一瞥だけして無視を決め込んだ。

この場所に用事があった。できるだけハンディカムで丁寧に内装を撮影する傍ら、片手に持った大型の紙袋がガタガタ揺れる。そのくらい脳内は手一杯なのに、俺の中でノスタルジーが湧いてくる。早熟で緑がかった青い俺はマンデーによって赤く汚れた。ブラウン管で流れている悲鳴と肉を叩く音が、頭の隙間をこじ開ける。

好き勝手にやればいいんだ。

どんなに運命とやらが悪辣でも、どんなに周りが馬鹿だらけでも、勝手にやってればいいと思っていた。お前たちが俺を攻撃したって俺には少しも効いちゃいない。だけどウザかった。攻撃も同情もウザい。蚊が耳の近くを飛んでいるみたいに、あの頃は全部が煩わしかった。俺は扉を盾にするように部屋に引きこもった。今思えば、あれは単純な逃避だったはずだ。卑劣な奴らに負けた自分が許せなくて、貧弱な語彙で認識を書き換えた。

部屋ではやることが何もなかった。集中力が持続しない俺に、映画は上手くハマった。映画は流していればいつかは終わる。クソ映画でもどこか面白い一瞬はあるから、その一瞬さえ拾えればプラスになる。あのときは時間だけがあって、重厚な物語より刺激が欲しかった。この退屈に色を塗ってくれる刺激が生存の燃料になってくれた。傾倒していくジャンルがホラーとサスペンスだったのは自然なことだったのだろう。

俺が最初に名前を覚えた映画人はヒッチコックだった。これを今話すと笑われもする。王道過ぎだし、古過ぎるからだ。けれど、そのくらい人が死ぬ映画と異常者が出る映画が好きだった。ハーシェル・G・ルイス、ロメロ、ウェス・クレイヴン、トビー・フーパー、カーペンター、ライミ。古風だけど残忍な描写を出してくれる監督の映画をよく見た。人間の身体を刃や弾が貫いて、傷から血が流れる。興奮せず、安堵した。こんなことは現実には起こりようがなくて、故に食らっていない自分は生きている。俺が殴られたとして、俺は殴られる以上の悲惨な光景を知っている。ある種の優越が、俺を死の淵から蘇らせ続けた。

ヒッチコックの『サイコ』、その名シーン。シャワーを浴びる女に何者かが近づく。錯乱させるような音楽とともに、カーテン越しの女をナイフで刺す。悲鳴を挙げる女を無視してナイフは振り下ろされ、血がバスタブの排水口に流れる。緊迫感が直に伝達される中、自分の意思とは無関係に女が死んでいく。暴走する殺人鬼を追体験する。あのシーンは、映画を見ている人間が女を殺したのと変わらない。

だから、あれが俺の初めての殺人だった。袋小路に追い詰められた俺はフィクションに向けてナイフを振るう。俺がやったんじゃない。画面に映ったナイフを握る手。あいつがやった。でも女が刺された瞬間、胸を肺ごと抉られて、俺は息ができるようになった。ひゅうと風の吹き込む音がした。

俺がやっちまったんだ。俺が仕留めた自由なんだ。この自由がもっと欲しいと思った。

部屋から出て唯一向かう先は近所のレンタルショップ。俺は殺人を漁った。個性豊かな殺人鬼と出会って、彼らの殺人に相席する。誰も彼も殺しに執念を持っていて、鑑賞ごとに俺は満たされた。だけど、映画が終わればみんなエンドロールの後ろに隠れてしまう。その度に満足感が削られる。削がれた分の熱量が俺をレンタルショップへと向かわせる。

通ううちにレジ担当と会話するようになった。俺と同年代の彼女はどう見ても学校をバックレた高校生で、耳にピアスを10個以上付けていた。彼女は『博士の異常な愛情』が好きで、過激なホラーとサスペンスも好きらしい。会話は弾んだ。彼女は俺のガールフレンドになってくれた。といってもデートはせず、互いのオススメを交換し合うだけの関係だった。湿ってはいたけど、楽しい日々だった。そんな彼女だから理解していたのだろう。楽しいだけの日々じゃ退屈で、ショッキングな場面転換を俺が欲していたことに。

半ば諦めていた。初犯ほどの感動はもう味わえないと。このままダラダラと、中弛みした幕間を生きていくのも悪くなかった。その諦めを感知して、マンデーは日常に飛び込んできた。無意味に安寧を壊す殺人鬼みたいに、ジャンプスケアで俺を引き摺り込んだ。画面に映り込む太い腕が俺に語りかける。

人って殺してもいいんだよ。因縁だってなくていい。好きな相手を好きなように。

これって君の知る、恋ってものに似てるだろ。

好き勝手にやればいいんだ。神様にはもう見放されたんだし。

グシャリと頭が割れた。破片同士が絡み合う不快さと一緒に生まれた虚無を、風が通り抜けていく。風は爽やかだった。


順路に従って階段を昇ると、今度は開放感のある部屋に出た。ところ狭しと展示品が並べられていた1階と比べ、2階はすっきりしている。1階と同じ広さのワンルームの中心には液晶テレビ、その前には丸椅子の群れ。壁面に取り付けられた展示ケースにはポスターやフィギュア、その他にも雑貨が飾られている。覗き込むと、50年代から80年代を彩った映画のグッズだと分かった。汚れのない劇場用広告から安っぽいフェイスマスクまで、コレクションが詰め込まれている。どうやらマンデーの私物らしい。ほとんどの映画がホラーとサスペンス、大して評価の良くない作品のグッズまで揃えられている。趣向は判然としているが、幅が凄まじい。

やはり彼も古い時代の映画が好きだった。鈍く共感を覚えながらカメラを回すうちに、部屋の真ん中に置かれたテレビがタイトルのような文字列を映した。映像展示の始まりだ。最初から見れるなら最初から見よう。急いで席に座ったところで画面が切り替わった。

固定された画面には巨漢の男が映っていた。モノクロの映像の中で、黒いスーツが膨らんだ腹を覆っている。その腹をさらに抑え込むように、腕を腹の上で組む。太い腕だ。スーツの襟首より上こそ映っていないが、俺にはそれが誰だか一目で理解した。

男の身体が揺れる。初めて聞いた声は、想像していた通りのふてぶてしさを持っていた。

Until: Making snuff film殺人ビデオができるまで


[映像は00:00から。画面中央には男が顔だけを見切れさせるようにして座っている。]

マンデー: 初めまして。私はマンデー。この映像が流れている頃には、私は死んでいるだろう。

[男は咳き込む。指の皺は深いが、震えはなくどっしりと構えている。]

マンデー: 死んだら展示を作る予定だ。この映像はそこで流す。普段は隠れているが、最後くらいは挨拶をしないと。これまでの恐怖に付き合ってくれた、私なりの感謝だ。

[咳き込みながら、男の太い腕が手前に伸びる。腕がカメラを掴むと画角が変わり、画面いっぱいに棚が映る。棚には大量のビデオやDVDが収納されている。]

マンデー: 私の作品たちだ。すべてショートフィルムで、30分を上回った作品は少ない。長編も撮りたかったが、私の表現には適さないと気付いた。だから、この40年でこれだけの映像を生み出すことができた。

[棚から1本を取る。ビデオ表面にはシールが貼られ、タイトルらしき滲んだ文字が書かれている。]

マンデー: 1本1本には大切な思い出がある。撮影開始前の準備は大変だ。大人数ですら大変なのに、私のような者は単独でやらなければならない。撮影場所とフィルムの確保、ライティングの具合。全部を整えるのに必要な労力は毎回私の予測を超えている。

[取った1本を撫でるようにカメラは撮る。被害者の名前や顔を示すものはビデオ表面のどこにもない。]

マンデー: 私は猟奇犯ではない。監督という職人だ。すべての行為は自分の芸術を示す道具で、愛などない。私はジョン・ゲイシーやテッド・バンティとは違うし、切り裂きジャックにも心酔していない。

[ビデオを戻すと画角が変わる。診察医のデスクのような台が壁際に置かれ、デスクのマグネットの壁に何枚ものフィルムが貼られている。太い腕がデスクのスイッチを押すと照明が点灯し、フィルムの像が浮かび上がる。カメラがズームし、殺人の情景がフィルムに映っているのが分かる。]

マンデー: ジャックが襲ったのは娼婦だ。自分より社会的地位の低い女性を狙った卑劣な人間だ。では、どうしてそんな卑劣なだけの人間が映画のモデルになるのだろう?

[殺人描写のフィルム群を舐めるように撮る。瞬間、フィルムではカチンコが映り、死体役の人間は蘇る。死体役が殺人鬼役と握手する没カットが映り込んでいる。]

マンデー: 答えは明瞭。誰だって憧れ、惹かれるからだ。狭苦しい世の中で好き放題暴れる悪漢、生産性のない残虐行為。世界の枠に囚われず、自分の破壊欲求に従う。理性で批判しても、誰しもが欠片を持っている。だから映画は創られる。

[画面が切り替わり、乱雑に積まれたビデオの山が映る。]

マンデー: 映画を見るとき、観客は安全圏だ。ソファーに座り、ドリンクを片手に。その瞬間を脅かせたらきっと愉快だ。私は、犯罪の片棒を担がせるような体験を生み出したかった。最適解だと思ったのが、演出なしの本物の殺人だった。

[カメラがビデオの山へと接近する。]

マンデー: すごいぞ。誰にも止められない。浅ましい犯罪も、流れる血も、映像が脳に焼き付く衝撃も。安全圏だったはずの観客はたちまち焦り出し、それでいて自分の本性を露わにされる。映像を介して自分が操作されていく瞬間、人は震撼されられる。

[ヒッチコックの肖像がビデオの山に君臨するように置かれている。]

マンデー: この画面の外には神がいる、と。

[ゲホゲホと激しく息が乱れる音。咳をしながらカメラを設置し、男は最初に映っていた椅子に座る。]

マンデー: 私は今年で80歳だ。10年生きられれば運の良い方だろう。それでいい。

[笑い声がした。]

マンデー: 私はまだ画面の中だ。しかし10年もしないうちに消え去る。それでも君は私を感じるだろう。背後に、天井に、あるいは床下。私の存在は消えない。不可視になって刻まれて、手の届かない画面の外。君に襲いかかるかもしれない。ハロー、新しい日々の始まりだ。

[笑いを収め、最初のような静かな語り口調に戻る。]

マンデー: 初めまして。私は月曜日マンデー。いつか必ずやってくる、人生の終わりにも似た、陰鬱な月曜日マンデー

[映像がフェードアウトして消えていく。]

画面にいた男が黒に潰され、部屋は無音になる。席を立つのをためらいそうになりつつも立ち上がると、椅子を動かす音が展示室に響く。音が薄れるまでの間、彼の思想が自分の内側に落ちるのを感じていた。思想を溶かしながらゆったりと足を動かして出口に向かう途中、ケースに見覚えのある品を見つけた。

ケースの中で、ナイフの刃が周囲の情景を反射している。『サイコ』のレプリカナイフ。附随しているタグが出典元を示していた。元々あのナイフに特徴なんかなかったが、映画のヒットで無理くり生み出されたのかもしれない。覗き込むと、長い刃に自分の姿があった。金属に映った自分の顔は不気味に伸びていて、瞳はナイフに吸い込まれそうになっている。自然と俺はケースに触れていた。まさかそんな、と力を入れる。蓋に鍵は付いておらず、簡単に押し開けられた。他愛もないグッズだ。誰も盗まないと想定したのだろう。実際、価値はない。ファングッズ以上の意味はない。そのはずだった。

蓋を外し、ナイフを取った。映像で流れたヒッチコックの肖像。懐かしい顔だと思った。フラッシュバックした青春時代があの瞬間に襲いかかってきた。俺の原点が、俺の臨界点と繋がっていく。あの映像すらも意図を以って創られた世界だというのなら、その重なりに意義を見出せずにはいられなかった。

これは俺なりのアドリブだ。盗んだナイフを上着のポケットに隠し持つ。一連の動作を、俺はハンディカムに収めた。

今度こそ足早に部屋を出る。極力カメラを揺らさないようにしつつ、順路に従って3階への階段を昇る。

マンデーの仔細な挙動を回想する。あの人は俺がこの道を往くきっかけになった人物だ。彼が動き回る姿を見て嬉しくならないことはない。俺はマンデーのファンだ。今も昔も変わらない、彼の崇拝者だ。俺ほどマンデーの影響を受けた人間もいないだろう。

17歳の夏、俺は映画監督になると決心した。何をするにも教養は必要だ。大学に進学して映画サークルで素養を高め、同時にハリウッドとの接点を持った。卒業後にはサークルと縁のある監督の撮影チームに加わった。これがかなり有名な監督で、大作が撮影される過程を俺は間近で観察した。マンデーの作品とは異なり、グロテスクとエロティシズムに富んではいたものの、逼迫するような強迫観念は覚えなかった。その代わり、フィクションが可能にする自由な表現がそこには満ちていた。

いつか、俺もスナッフ・フィルムを撮る。画面の中を自由で溢れさせる。そう決心して、俺は映画の世界に進んだはずだった。だけど、自由は他にもあった。才気溢れる怪物どもが、広々としたスタジオで思い思いの自由を創る。無意識のうちに思い違いをしていたようだ。底知れぬフィクションの力を改めて見せつけられた。現実では不可能な動きだろうが映画の世界では現実に捻じ曲げられる。フィクションは妄想を事実に敷き直す。

俺が描きたい自由はこっちじゃないか?

自分の芯なんて疑いもしなかった。仕事にまでしておいて、挑むべきフィールドが間違っていたと思うはめになるとは。いや、むしろ良い修正の機会だ。犯罪関係の趣味には手を振って、真っ当なキャリアを積んでいくのがどう考えても正しい。俺だって好き好んで人を殺すような嗜虐的な性癖はしてない。

ほら、名作もそう言ってる。悩みに暮れる夜、引っ越し先の新居にも持って来た映画のコレクション棚を眺めた。試しに1作鑑賞して、ここを新しいスタートにしよう。適当に1本を取り出し、ビデオをデッキに入れて再生した。

万力で固定された男の頭。画面の中央に、それが映っていた。

愕然とした。見つからないように実家の勉強机の奥に押し込んだはずだ。とにかく止めなくちゃ。ビデオを止めて考えないと。焦る俺をよそに、ビデオは進行していく。暴れる男を有無を言わさずに万力が締める。太い腕が映り込んでレバーを動かす。あれ、どこだ。デッキのリモコンが見つからない。他の映画じゃ聞けない悲鳴が上がる。痛みに悶絶する男の声が耳に流れ込む。リモコンがどこにもない。レバーが回転する。止めなくちゃ。絶叫。止めないと。太い腕が唾と汗を拭く。たぶん、もう戻れなくなる。

気が付いた頃には、男の頭は割れていた。炸裂で生じた血飛沫がレンズを汚し、俺の視界も赤に染まる。途中からはリモコンを探すのを諦め、膝立ちで映像に見入っていた。映像が暗転する。俺はようやく床に座ることができた。首から背中へと流れる汗は誰も拭いてくれない。汗が服に吸われる感覚を認識可能なほどに研ぎ澄まされた精神状況で、俺は悟った。

俺が落ちたのはこの世界だ。フィクションじゃない。もちろん、フィクションだって素晴らしい。素晴らしいが、本物の殺人でしか表現できないものも存在する。それがこの世の罪で本当に地獄に落ちるとしても、俺は引き返せない。俺は殺人の世界に落ちてしまった。

殺さなければ。俺に自由をくれたビデオを、俺の手で創らなくては。

17歳の夏から10年。27歳、俺は初めて人を殺した。

褒められた出来じゃなかった。とにかく酒で酔わせて廃屋の地下に連れ込み、椅子に縛り付けて照明を確保、カメラを回す。問題は殺害方法。完全に失敗した。拾い物のレンチで頭をぶん殴ったらそれきり何も言わなくなってしまったから。あの逼迫感が出せずに終わる。マンデーの真似をしてじっくり撮る予定だったのに。苦労が水の泡になって、運が悪けりゃ逮捕される。焦燥に駆られた俺は何とか盛り上げどころを作ろうとした。具体的には、レンチで殴りまくった。確か、とにかく頭を割れば巻き返せるとか考えたんだか。実はよく覚えていない。気色の悪い血の温かみと、吐きそうになった柔らかい反動しか残っていない。

最初のスナッフ・フィルムはとても裏市場には流せなかった。俺の息が全編に渡って混ざっていたからだ。マンデーの模倣が目的だったが、そこで心が一度折れた。映像をチェックして地下から出ると、外は明るくなっていた。眩しい朝日に目を細め、俺はぼんやりとこれからの方針を決めた。

俺はマンデーにはなれない。あの人みたいな無駄のない殺人は撮れない。俺のスナッフ・フィルムにはドラマが必要だ。ああ、あと、撮るときはチームを組まないと大変かも。1人では労力が掛かり過ぎる。チクらない協力者を探さないと。

かくして、俺はマンデーの影響で人を殺し、マンデーの作風から脱した。次の殺人は29歳、独立を果たした頃だ。大学時代の親友に声をかけ、2人で実行した。結果は万々歳。性癖の曲がった親友にアクターを兼任させ、刺激の強い作品が出来上がった。闇サイトを通じて取引を行ったら高値が付き、俺の目標も達成できた。以降、俺のチームはスナッフ・フィルムを人知れず世に送り出していった。稀に見込みのある奇人が俺たちを尋ねてくることもあり、その度にチームはより強固になっていく。表の名義は小さな映像制作会社だが、俺の仲間たちにはそれ以上の魅力があると思っている。

思えば、最初から罪の意識はなかったかもしれない。分かっているのは、殺さなければ生きられないことだけ。でも、俺は自由だ。あの安全な部屋より、あの微睡んだ恋愛より、あの真人間社会への憧憬より。誰よりも人間らしく感情のままに生きていられる。くだらない理性の枷を外して、俺は自由に飛び込んだ。

殺し続ける限り、この自由は永遠に続くと思っていた。

3階に辿り着いた。ここは通路らしく、次の展示室の入口までは僅かながらに距離がある。壁面に取り付けられていた非常階段は展示室の反対側、ちょうど展示入口と一直線になるように非常口が配置されていた。非常時は部屋を出ればすぐに屋外へ逃げられる。非常口と非常階段側に嵌め込まれた窓からは外光が差し込み、展示室側の壁に掛けられた展示物を照らしていた。

額に入れて掛けられていたのは新聞や雑誌の記事、スクリーンショットのコピー。マンデーが撮影に巻き込んだ被害者の捜索や、レンタルショップでの裏ビデオ回収事件の報道を取り扱ったものばかりだ。日付を見ると、かなり古い年代の記事もあった。壁掛け展示を目とカメラで追いかけ、最後の額に移る。この額は他と主旨が違っていた。事件が詰め込まれていたそれまでの額とは異なり、額に収められているのは大手新聞の見出しだけだ。

日付は2020年9月12日。見出しは短かった。

不死の病が大流行

なぁマンデー、やっぱり死んでなんかいないんだろ?


その日、死は終焉した。生命の標準機構を変異させる症状は人類、ひいては意識を持つとされる生物全般に及んだ。生命の終わりにある意識の断絶と人間は袂を分かち、死への恐怖こそが死に絶えた。

自由だ。あらゆる倫理問題の根深い議題だった命の喪失から、人類は解放された。不死の病の流行当初、そうした楽観論が様々な分野を飲み込んだ。科学技術も進歩し、脳の一部移植による肉体の交換も珍しくなくなった。なりたい姿へ。洋服を売るためのキャッチコピーは、今や肉体を売る整形外科が頻繁に用いるようになった。

何が自由だ。結局、この病の傀儡なのには変わらないくせに。

死の終焉は俺から自由を奪った。最近のスリラー映画には、本来の意味で身を削ったグロテスク描写が散見されるようになった。俳優の肉体に予算を振って本物の血と暴力を撮る。過激であるほどマニアには売れる。昔のような犯罪性はなく、クリーンな殺人がクリーンな契約の下で交わされている。何もかもが保証書付きだ。こんなにやっても大丈夫、命は損なわれていませんよ。我々はようやく本物の残酷を表現できるんです、全部が自由になったから。

俺の愛した自由じゃない。それは、やろうとすれば昔でもできたはずだ。

貫いちゃいけない皮膚を破るような、深い深い奈落に落ちていく自由。途方もない暗闇に引き摺り込まれたら最後、底に着くまで落ちるだけ。穴だらけの俺を通り抜ける風。あのとき感じた自由は、抵抗しても無駄と直感させる無力感とどこまでも落ちていくしかない虚脱感が背を合わせて一体になっていた。あと少し殺せば、探していたあの自由に辿り着けるかもしれない。毎回がその延長線上にあって、何十年かが経ち、何十人かを殺した。あと少し、あと少し。画面の奥に向けてナイフを振るい続けた。あと少しで、自分の手で自由を生み出せる。

死が終焉したのはその直前だった。殺人は本質的に不可能になった。伸ばせば届くような穴底の上で、俺はぴたりと静止させられた。禁忌を犯せず、自殺もできず、永遠と生温い命を遊ばせることしかできなくなった。画面外の誰かに停止ボタンを押されたように、俺のストーリーは中断させられた。

もう1人いる。死の終焉で結末を見失った男が、この展示に。

3階展示室に入る。点在するロウソク型の照明が仄かに照らす部屋は、葬儀場と言っても差し支えない内装だった。

敷かれたレッドカーペットの先に設けられた祭壇は、わざとらしいくらい直線的だった。宗教が持つ人間らしさを取り払うように余計な装飾は排除され、示された形態のみでモチーフを表している。前衛芸術の舞台装置を借りてきたようだった。壁を塗り潰すように供えられた花も人工物だ。香りが少しもしない花を1輪手に取る。造花ですらなかった。花の形状に加工されたビデオテープだ。壁いっぱいのテープの花は赤に塗装され、祭壇と暗闇の境界を曖昧にしていた。

俺は祭壇の真ん中を見た。長方形の空洞があった。遺影が置かれるはずだったスペース。その空洞を認識できる程度にはカーペットを進んだ俺は、正面に置かれた物体からいよいよ目を逸らせなくなった。

棺桶が置かれていた。祭壇に寄りかかる形で斜めに置かれた棺は最初から視界にもカメラにも入っていたが、意識して考えないようにしていた。部屋の中ほどまで入って、視認しないわけにはいかなくなった。

俺の持つ情報が正しければ、マンデーは最高に趣味の悪い真似をしやがった。

棺桶: 3階展示室へようこそ。

残念ながら俺が正しいようだ。手前から聞こえてきた声は2階で聞いた声と同一だった。茶けた色をした棺桶は唐突に揺れ出し、表面に渦に似た皺が生まれ始める。だんだんと揺れは大きくなり、皺も深くなっていく。びたびたという肉を打つ音が波の音のように絶えず聞こえる。カメラを通さず、棺桶の表面を直視した。老人の肌みたく乾いた皮と細く浮いた血管が棺桶全体を包み込んでいた。奇怪な素材に思考が掻き乱される最中、棺桶の振動が止まった。

直後、棺桶の表面が裂ける。拳程度の大きさに横に走った亀裂。裂け目は上下し、穴は閉じたり開いたりする。口を出現させた。そう解釈するしかなかった。口が無くても喋れるが、彼自身のユーモアからわざわざ口を開いてくれたのだろう。自分の展示の客をもてなすために。

伝説的スナッフ・フィルム監督、ペンネームはマンデー。彼は自身の魂を、肉の棺桶に移植した。

棺桶: 初めまして。私はマンデー。この展示の展示対象だ。

[亀裂が丸く歪む。]

棺桶: どうした。喋らないのか。死人の方が喋ってるぞ。

蠢き続ける棺桶の表面をカメラで撮影する。声を返す気には到底なれなかった。驚きこそなかったが、それでも圧倒されていた。俺に自由をくれた人が、まさか棺桶になっていようとは。

マンデーは死んでいない。展示に入る前から俺はその情報を掴んでいた。この展示にやって来れたのも、そもそもは闇医者界隈で拾った噂話がきっかけだった。俺には人体改造を専門にしている闇医者の知人がいる。世界から死が取り払われて以降、法的に認可できないマッドな手術の需要が激増し、闇医者どももコミュニティを形成するようになった。囁かれていた不気味な施術依頼を、奴は俺に教えてくれた。

ある日、老いた男がやって来た。男は闇医者に大金を積み、曲がった腰に似合わない声量で言い放った。

俺を死人にしてくれ、ってな。

棺桶: 君は私のファンか? そうか、あくまでも黙ってカメラを回すか。似た者同士だな。好きなだけ撮っていきなさい。どこに公開するかは知らないが許可はいらない。私は一介の展示物でしかないのだから。自らを解説する、饒舌な展示物だ。

[息を引くような笑い。]

棺桶: 電池残量は大丈夫かな。私の解説は長いぞ。悪いけどここには椅子を置かなかった。故人と向き合うときくらい人間は立つと思ったから。帰るなら帰れ。聞いていくなら立ってろ。引き留めようとしても私は手も足も出せないがね。

噂はその一節までで途切れていた。俺も大して興味がなかったが、その依頼者が請求書に書いたという名前を聞いてからは止まれなくなった。

俺の日々に月曜日マンデーが訪れた。

停止していた映像が色と音を引き連れて動き出す。項垂れている場合じゃなかった。俺をこの道に突き落とした元凶が今もこの世で活動している。それを聞いても感動しない程度に俺も若くなくなったが、好奇心が揺すられた。何を企んでいるのかが知りたくなった。俺は探した。噂の発生源を突き止めようとして、知らない街を端から端まで歩き潰した。持っているコネクションをすべて使って引き受けた闇医者を見つけ出そうとした。

結論から言うと、噂は事実だった。自分が施術を担当したという医者が見つかったからだ。奴の語った話は奇怪だった。90近い老人がやって来て、自分を棺桶にしてくれと頼んだ。最初は断ったが、巨額の金をちらつかされて断る理由がなくなった。闇医者は老人の骨と皮を使って棺桶を造形し、そこに予め切除した老人の脳とその他の内臓を詰めた。棺桶と老人の意識が結合し、棺桶が動き出す。棺桶は完成するや否や、トラックに載せられてどこかへと運ばれていった。

数ヶ月後、闇医者の元に1枚のフライヤーが届いた。

『よぉマンデー、まだ生きてるか?展 ───伝説的スナッフ・フィルム監督"マンデー"、ここに眠る』

墓標に刻印すべき言葉が、70年代風グラフィックデザインの中に並べられていた。

目の前の棺桶が本当にマンデーか、証拠はない。それでも俺は、カメラを回して記録することしかできない。本物であっても本物でなくても、肉の棺桶が彼を名乗って喋る不条理は変わらない。だとするなら、この世界における登場人物としてこの棺桶は間違いなくマンデーだ。否定はできず、黙って受け入れるしかなかった。

マンデー: じゃあ、始めようか。題もな、シンプルなんだ。

Until: Dying me私が死ぬまで


マンデー: 私は死にぞこなった。

[穏やかな声のトーンで、肉の棺桶が語り出す。]

マンデー: 私の晩年は [笑い。] 晩年は、死を待つばかりだった。刺激も悲嘆もそこにはなく、死神が扉を叩くのを心待ちにしていた。

[棺桶の口に浮かんでいる唇が鈍く動いている。]

マンデー: 2階でビデオを見ただろう。あれが私の撮った最後の映像だ。あの1本で私の人生は締まるはずだった。君だって自分の最良の死を想像したことくらいあるだろう? あれが私にとっての最良の死だった。すべての準備は整って、あとはどうでもよくなった。脳卒中でも心臓病でもいい、命が停止すれば、私は完成するはずだった。なのに、私は10年も生きてしまった。私は80歳で死ぬと思っていたんだ。それなのに10年だ。老体では何もできないのに、10年生きた。

[唇は愉快そうだ。けれど、ときたまに痙攣のように引き攣る瞬間がある。]

マンデー: 自殺は考えた。実行までした。だが、何故か毎回失敗した。ガスは漏れ、首吊りは音で隣人に発見され、飛び降りは木に引っ掛かった。自死を1回決意するのがどれほど苦しいか、君は知らないだろう。自殺には決断までに時間を要する。次を失敗したらどうしよう。そう悩み、躊躇した。今度失敗したら、受け入れるしかないではないか。

[唇が息を吸い込む。感情は特定できない。特定させないために、口だけなのだろう。]

マンデー: 私は、死ねない男になったのだと。まさかと思い、鼻で笑った。それでも確かに、私は死を躊躇した。その躊躇の最中だった。不死の病がこの世にもたらされたのは。

[数秒、口が閉じる。]

マンデー: 命から逃げられなくなった。伝説的スナッフ・フィルム監督"マンデー"を、永遠に背負わなくてはならなくなった。

[口が歪む。口の奥に肉の凝集が見える。]

マンデー: こんなはずではなかった。あとは死ぬだけだった。死んで世界から消え去って、形のない存在として脈々と語り継がれる。完成した"マンデー"だけがこの世に残って、何度も映画で生き返る。無味乾燥な生涯が脚色されて再生される。私はそうなりたかった。そのために意味深長そうな展示まで構築したんだ。なのに、なのに。

[怒気を垣間見せた語りのあと、露骨に息を吐いて棺桶は笑う。]

マンデー: 本当の意味で、私は死を求めた。しかし、この世界ではもう死ねない。死ねないが、何もできない。90歳の老体では人だって殺せない。やはり私は命に囚われたのだ。打つ手はない。そう思われた。

[笑いは変化し、三日月のような歪みに固定される。]

マンデー: 命に囚われたのなら、自ら死の象徴になればいい。いつだって私は苦を受け入れ、苦に反逆した。また反逆を繰り返そう。棺桶となって、死が消えた世界で唯一の死人となる。それが、私の結末となった。

[朗らかな声。震えが混ざっている。]

マンデー: 私は猟奇犯ではない。監督という職人だ。不死の病すらも表現に変換すれば、不死の病を支配したも同然だ。ああ、皮肉だとも。けれど、綺麗なオチがついた。君、この展示のタイトルを言ってみろ。いや、君は頑なに黙っているから言わないか。

[馬鹿にするような笑い。震えは変わらず混ざっている。]

マンデー: 『よぉマンデー、まだ生きてるか?』 客からそう尋ねられたら、私はいつもこう返す。

[笑いと震えが混ざった声で、棺桶は呟く。]

マンデー: 馬鹿だな、どう見たって死んでるだろ。

[不安定な笑いが、いつまでも暗闇に反響していた。]

ハンディカムの画面を通してマンデーを見ていた。声と同期して棺桶の表皮が揺れている。これまでは肉眼で直視できた。殺人履歴も芸術思想も、悪趣味な展示だと逃げ道を作れた。しかし、この棺桶の実在からは逃げられない。人皮が覆う立体物は意思を持って動いている。精巧な展示品ではなく。そこにはマンデーという人間がいる。

マンデーは死んだ。カメラを外せばその事実が待ち構えている。

肉体がどうなんてどうでもいい。当の本人は死んだつもりでいる。映像が振動する。カメラを持つ手が小刻みに震えていた。手先の震えを視認して自分の感情を悟る。無念が胃液みたく腹の底から上がってくる。怒りと虚しさが同時発生して、その場から動けなくなる。

負けた。俺の師匠も死の終焉に負けた。命を掌の上で転がしていた自由の象徴は今じゃ棺桶だ。

分かってはいた。分かっていたからこの展示に来た。俺の解釈に間違いがあったと言ってほしかった。堂々と棺桶の裏から登場して、これからも命を愚弄すると宣言してほしかった。なぁマンデー、これからだろ。これからも人を殺すんだろ。そうじゃなきゃ、あんたに憧れた俺の人生は何だったんだ?

目の前の棺桶は何も答えない。亀裂に生じた空洞を露出させ、ハンディカムに笑いを吹き込み続ける。延々と、無言で撮り続ける俺を意に介さないかのように。さながら役者だ。哀れな命のなれの果てを演じている。そうしないと気が狂うのだろう。上手を取って望みを叶えたと自分に向けて演技をしている真っ只中だ。

やっぱり、そうなんだな。

俺は意識して呼吸した。この展示に入って初めて深く息を吸った。手に掴んだ紙袋から生じている臭いを吸い、口で息を吐いた。カメラを持つ手の震えが徐々に収まっていく。笑いが怪音に変わりつつある棺桶を、カメラが正確に捉える。完全に腹が据わった。目立たないように紙袋を置き、人差し指と中指の隙間に引っ掛けて中身を取る。

棺桶へ一歩踏み込む。棺桶の笑いが止まる。ほぼ同時だった。

俺は打ち付けるように、蓋を開けたライターオイルの缶を棺桶の口へ突っ込んだ。異物への反射的な反発が俺の手に伝わってくる。強引に押し返し、傾きを付けて缶の液体を流し込む。缶と口の隙間から空気の漏れる音が鳴る。合間に身体の奥へ液体を送る音が挟まる。缶の重量が消えていくうちにその音も消える。素早く缶を引き抜いて身体を棺桶の正面からずらした。棺桶が自身の口内に残ったオイルを噴き出し、薄闇に不快な臭いが散る。あうやく浴びるところだった。

棺桶の発したうわ言の罵声が耳に届く。何しやがる、オイルの臭いでひん曲がった口でそう言ったらしい。その罵声を潰すように俺は2本目の缶を取り、棺桶に頭からぶち撒けた。上から下へ。全身をオイルが流れていく。棺桶には手がないので拭えない。自分の前に立っている人間は自分を加害する気でいる。オイルと一緒に、その考えが身体に染み込んでいくのを感じることしかできない。証拠として、棺桶は液体が体表を垂れていく感覚に喘いでいるようだった。

マンデー。俺はさ、最後の最後まで信じるつもりだったんだ。ほら、好きな俳優が実はろくでなしだって知ってもその俳優のファンで居続けるだろ。同じだよ。あんたは俺の元凶だから。あんたが俺を産んだんだ。だから、俺はあんたがまた何か企んでるって知って嬉しかったんだよ。

とっくのとうに、30年も前に、愛想を尽かしててもさ。

ハリウッドに出入りしていた頃、俺は撮影技術の勉強ばかりしていたわけじゃない。マンデーの足跡を探していた時期があった。確証はなかったが、マンデーの映像はしっかり被写体を捉えていた。自分も学んだから分かるが、独学であの領域に辿り着くのは難しい。専門知識を仕入れられる繋がりを過去に持っていたはずだ。例えば、撮影スタッフとして業界に潜り込んでいたとか。

手掛かりのない状態から始まった俺は、ほとんど勘で動いていた。ホラージャンルと縁のあるスタッフに業界から去った人物がいないか尋ね回っては、心当たりがないと言われていた。とはいえ、そこまでの熱はなかった。撮影で仕事仲間になったスタッフに聞き込みをする程度だった。下っ端で忙しかったのはあるが、仕事量はやり繰りすればどうにでもなる。マンデーへの憧れの渦中にあった当時の俺も、本当はマンデーを見つけたくなかったんだと思う。

あの人に会いたい。会ってスナッフ・フィルムの話をしたい。あわよくば助手になりたい。全部、心の底から抱いていた夢だ。その影には常に不安があった。昔の俺は不安を認めたがらなかった。あの人を否定して、憧れた自分も否定するのが嫌だったから。影を払うように、マンデーと関りがありそうな熟練技師が現場にいれば遠回しに尋ねていた。知らないと返され肩を落としながらも、俺は安心していたんだろう。

異端者ではなく、他の才能に打ち負かされた普通の人間だったら。考えただけで寒気がした。振り払って、俺も彼の狂気に憑りつかれる演技をしていた。ないない。そもそもマンデーが見つかりっこない。警察にも見つかってないんだから。

だったら余計な詮索はするんじゃなかったと、今でも思っている。後悔はしていない。おかげで少し成長できたから。

ある現場で孤立した撮影技師の老人がいた。取っつきやすいが仕事以外は黙して座っている人で、監督に次いで威厳があった。ハリウッドにも長い人物かもしれない。普段通り、雑談混じりに聞き込みに行った。映像作家を志していて、だいたいこのくらいの時期にいて、今は業界を離れた人。太い腕が特徴で、それに見合う体格で。老人は頷き、ニコチンに汚れた歯を見せた。

知ってるかい。そいつは今じゃ、人殺しのフィルムを撮っているよ。

俺はその日、マンデーに行き当たってしまった。老人は流れるように、在りし日のマンデーについて話した。

昔々、映画監督を夢見る若者がいた。彼は人を楽しませる映画が好きで、自身もサスペンスを生み出そうと熱中していた。とりわけヒッチコックの映画が大好きだった。緊張と人々のドラマとカメラワークに惚れていた。当時といえばヒッチコックも全盛期。既に相当なキャリアを積んでいながら、断続的にヒットを飛ばし続けていた。触発されて、彼も奮闘していた。ここまでが希望に溢れる明るい話。

彼の撮るドラマは突き抜けていなかった。誠実に撮られてはいたが、キャラクターとショットの構図には既視感が付きまとっていた。革新性のない温い映画だ。ジャンルを変えればいい映像作家になれたが、サスペンスで戦うには退屈過ぎた。ヒッチコックになりたいと望むのは結構だが、ヒッチコックの下位互換では生きていけない。老人は静かに評論した。

彼は負けた。ヒッチコックや他の傑物の才能にではない。自分が愛した映画を裏切って自分の道を往く宿命に、立ち向かうことができなかった。自分はヒッチコックではないと悟った瞬間、彼は壊れてしまったのだろう。老人が言うに、いつの間にか業界から姿を消していたという。しばらく経って、あるスナッフ・フィルムの噂を聞いた。丹念に時間をかけて万力で頭を割る。彼が監督に向けて殺人の演出として提案したアイデアと同一だった。シーンに代わり映えがないと却下されていたから記憶に残っていたそうだ。

俺は落胆した。老人を前に苦笑いを顔に貼り付け、剥がせないままに立ち去った。ここに来ての新事実、マンデーは人間だったらしい。最初から知ってはいた。騙し騙し、スナッフ・フィルムの感動を崩さないために認めなかっただけだ。俺を変えた人がただの犯罪者だなんて、影響された俺が馬鹿みたいに思えたから。

以降、俺は将来について考えるようになった。今に至るまでの道は一本道だった。何も間違えちゃいない。映画を学んで、人を殺して、マンデーに並び立つ。それ以外の方法じゃ俺は生きていられないと真剣に考えていた。だけど、この道が本当に正しいのか疑うようになった。業界を逃げ出した男に映画監督としての生き方を弄られるのが、笑って誤魔化せないくらいしょうもなく思えた。

自由を掴む。それなら、フィクションの方が真摯じゃないか。逃避をしようとして、迷いが生まれた。

その迷いは頭を割られて殺された。たった一撃、古いビデオテープで。

俺は再び、映像に突き落とされる。汚い悲鳴が絶えず聞こえる。被写体の顔から噴き出す汗と無感情に拭う手。内臓、頭蓋骨、皮膚片、血飛沫。

俺が見惚れたのはマンデーじゃない。俺が追いかけたいと思ったのは正体不明の殺人鬼じゃない。

思い出したよ。俺が心臓を捧げた悪魔は、この世に実体を持たないんだったな。

オイルの味に苦しむ棺桶にカメラを向けながら、俺は缶を取り出しては部屋中に撒き散らしていた。悶える棺桶をズームで捉え、下準備は画面外で処理する。水滴が弾かれる音がたまに入り込む。この程度でちょうどいい。俺が何をしたいかは、もう説明しなくても伝わっているはずだ。

作業の途中、視界にロウソク型の照明が飛び込んでくる。瞬発的に俺は蹴りを繰り出していた。照明が目に入る度に蹴り壊し、また画面の外で音が生じる。センセーショナルな破壊の音。貴重な光源が消え、画面が薄暗くなる。舌打ちをした。ここで光を減らしたら画面の印象がどうなるか理解していた。シャドウの占有率が高くなり、モチーフの境界線が曖昧になる。全体がぼやけて何を撮っているかが不明瞭になる。

それでも、煮え滾る苛立ちの冷却が間に合わない。カメラを持つ手の代わりに脚が出る。堪えられない。計画のクライマックスに差し掛かって、自分の感情処理ができなくなった。

肉体が中心から爆散しそうなほど熱い。熱を放射できるような遊びの工程はもうない。紙袋の中を覗いた。ライターオイルは残り1本。ここまで、わざわざ寄り道をしてまで丹念にオイルを撒いてきた。3階建てのビル全体にオイルを撒くのにこの量で足りるかは計算していなかったが、結果的に余るくらいだった。

ラストシーンの演出に取り掛からなくては。苛立ちのせいで身体が強張って前へと進めない。鈍足でにじり寄る。紙袋を捨ててオイルの缶を掴み、その手で上着のポケットに手を入れた。ライターを入れてある定位置だ。

俺は棺桶の真正面に立つ。暗闇に佇む棺桶が液体を吹き零している。ロウソクの照明を片っ端から潰したせいで部屋は入室時から段違いに暗くなり、外光の柔らかな光が画面に映えるようになっていた。その光を遮って、淀んだ人型の影が棺桶を覆う。俺の影だ。スリラー映画で殺人鬼が出てくるシーンに似ていた。演出プランにない現象までもが俺の背を押してくれていた。

迫り来る俺を前に、棺桶は呟く。

マンデー: 来るな。

なぁ、マンデー。あんたこう思ってるかもな。どうして俺を襲うんだ、って。

マンデー: こんなことに何の意味がある。

意味も理由もない。別に大義が果たされるわけでもない。あんたもよく知ってるはずだ。

ただ単に、俺はあんたをこうしたかった。あんたが自分は死んだと喧伝したその日から。

マンデー: 消えろ、消えろ。

あんたが何でスナッフ・フィルムを撮ったかはどうでもいいんだ。敗北に苛まれて吐き出したんであっても構わない。

傑作だよ、あんたの映像は。他のどんな監督にも撮れない狂気が詰まってた。ヒッチコックにも勝ってるさ。あんたが芸術家気取りの気色悪い演説で祀り上げてた奴よりもだ。だからだよ。俺があんたをこうしたいのは。30年前の落胆がさ、呆れを通って怒りに変換されてんだ。傑作を、あんたのくだらない劣等感で汚すなよ。

脈々と語られるために80歳で死にたかったって? 80歳で死んだヒッチコックみたいになりたいから?

馬鹿かよ。いつまでヒッチコックにこだわってんだ。ヒッチコックなんてもう越えてただろ。

それで? 自分を棺桶にして追悼展? 自尊心を保ちてぇから? つまんねぇな。あぁ、つまんねぇよ。

あんたがやってんのは寒い寒い死んだふりだ。

俺はポケットから手を抜き、カメラの前に獲物を晒した。自分が取り出した得物を見て、一瞬呆気に取られる。

『サイコ』のレプリカナイフ。握りやすい柄に自分の指が絡んでいる。確かにライターと同じポケットに入れていたが、重量はかなり違うはずだ。記念品として持ち帰ろうとしていただけの品を、俺は無意識のうちに選択したらしい。

俺の原点が臨界点と繋がって、現在地点に結ばれた。さぁどうしよう。もうカメラの前には晒してしまった。真っ当な立ち振る舞いを見せなきゃな。遊びの工程はまだ残ってたみたいだ。これで終わりだと思ってたのに。疲れて疲れてしょうがないな。なぁ俺よ、やらなきゃいけないことは分かってるだろ?

俺はナイフを振り上げた。肉体の内側に蓄積された熱が太い腕に流動する。

被写体: やめろ、やめろ、やめろ。

錯乱させるような音楽が俺の耳元で流れ始めた。

Until: Dying human 人が死ぬまで


[ナイフが振り下ろされ、被写体の表面を切り裂いた。深い亀裂が上から下まで縦に刻まれ、傷口から赤黒い液体が噴き出す。被写体の口から低い悲鳴が上がる。]

被写体: があっ、が、あ、あ、てめぇ

[また、ナイフが振り下ろされる。ナイフは先の傷とは違う部分に突き立てられ、力任せに被写体を切り刻む。]

被写体: あがあっ、や、やめろ、やめ

[切り進んでいくナイフが先の傷と合流すると、ナイフは上方向に押し上げられた。鋭さは文を描くペンに似ていた。]

被写体: あっ、がはっ、ああっ、あっ

[抵抗の声を黙らせるように、ナイフは刺突を繰り返す。突くたびに微弱な振動が起こって画面全体が揺れる。]

被写体: がっ、ぐががあっ、ぶっ、ぐうっ

[被写体には無数の穴が開く。裂き傷に重なるように突いた箇所からは大量の液体が流れる。]

被写体: ううっ、ふうぅ、はぁ、はああっ

[穴の1つに向けてナイフを突く。ナイフを掴む手首が回転し、内部を掻き回す。弾むように刃物の柄が左右に動く。]

被写体: ぎぃ、はぁ、あがっ、ううああっ

[最後にはフックを引っ掛けるように内部を突き、どこかの臓器が蛇みたく露出した。]

被写体: あああ、ああう、ああがはああっ

[臓器を抜き取って捨てると、ナイフは再び棺桶に襲い掛かる。]

被写体: おぶっ、おご、ごは、ううう

[ナイフの凶行は続いている。誰の考えにも従わずに自身の理想とする残酷を押し付けている。]

被写体: やめ、やあおうろ、あがあっ、がかああっ

[ナイフの凶行は続いている。そこでは被写体も視聴者も、世界の法則すらも介入できない。]

被写体: がががっ、がああっ、ぎいい、ぐうあっ、ああ

[ナイフの凶行は続いている。本当に殺せてしまうくらい、一心不乱に乱れていた。]

被写体: あああ、あがあああ───あっ

[映像の中で、その凶器はすべてから解放されていた。]

何が俺をこうさせているのか、俺にもよく分からなくなっていた。俺は濁流に飲まれていた。放出される熱と汗、温い返り血、背中に注ぐ外光の温度。全部が俺に貼り付いて、俺をこの場所に固定する。ナイフを握る腕を動かし続ける。この運動を永続させる。意識はそこに集中していた。尖った切先と同じ形状だった。

耳元で鳴り続けている音楽が悲鳴の上乗せで加熱する。御待望、作品の目玉、スラッシャーシーン。登場人物の問題が解決するかなんてどうだってよくて、人がどうやって死ぬかに興味がある。音楽は途切れない。まだ求めている。カメラを回す俺自身が。

雄叫びを上げていた。口から熱が逃げていく。ナイフを棺桶に突き立て、握る手に伸し掛かった。直立していた棺桶が後方に倒れる。ナイフを指から放せず、俺も倒れ込んだ。数秒後、肉の棺桶に馬乗りになり、カメラを構えてナイフを突き立てていた。

煽情的な体勢だった。俺は棺桶からナイフを引き抜いて、ゆっくりと差し込んだ。肉を切り裂いて金属が侵入する。痛ぇんだろうな。雄叫びのせいか、さっきまで近かった絶叫が遠く感じた。鳴っていた音楽も止まって、静かに思えた。

漫然とした刺突を繰り返す。毎度のことながら、暴れるのは疲れる。疲弊の果て、最初の目的を見失いそうになる。だから俺は監督なんだ。俳優じゃねぇ。元からして向いていないんだ。

そうだよ、マンデー。俺、監督になったんだよ。どこぞのくたばりぞこないのガキが、人を殺せるようになったんだよ。人って殺すと気持ち悪いよな。汗も血もベットベトでいいことなんて何もないよな。何でそんなのに惹かれちまうんだろな。理論化して分かったふりしても分かんねぇもんは分かんねぇや。

そういう話を、あんたとしたかったよ。

なぁマンデー、あんたどうして降りたんだ?

折角、死ななくていい世の中になったんだ。地獄に落ちなくても許されるんだぜ。そりゃちょっとキツいもんはあるかもしれないけど、俺たちなんて何がしたいかだけ考えてりゃいいだろ。あんただって高尚な目的を捨てて、本物のモンスターになれるチャンスだったろうが。身体を取り換えて、不死身の殺人鬼になって、棚のビデオを増やせたろうが。

狂っててくれよ。理解できないくらい常識が通じないでいてくれよ。イカれた世界でも己を貫いて人を殺していてくれよ。頼むから、エンドロールの後ろに隠れようとしないでくれよ。

憧れさせてくれよ。俺が惚れた自由をあんたが創ってたのは事実なんだからさ。

あんたはもうマンデーじゃない。だったら確かにマンデーは死んだのかもな。

でも好き放題にくっちゃべって、しっかり生きてやがるじゃないか。死んだなら起き上がるのは禁忌だろ。素人も知ってる映画のルールだろ。あんたが自分でできないなら俺がやってやる。

なぁマンデー、殺してやるよ。

画面外からの声: 死ね。 俺の神様。

何かを口走って、そこから先の記憶がない。


ぼやけていた思考にピントが合った頃には、展示会場は燃えていた。外壁に取り付けられた非常階段で目覚めた俺は、うつらうつらで地上まで降りてからビルの炎上に気が付いた。

外側に熱を感じながら、燃え盛る展示を眺める。炎は3階から激しく出火し、次いで2階の窓に赤い影が見えた。1階からもごうごうという空気の焼ける音が聞こえる。人気がまるでなかった周囲のスラムからも徐々に騒めきが起こり始めた。離れなければと脚を大きく振ったとき、右手のハンディカムに脚が当たる。固定したまま意識を失っていたらしい。大した根性だと自嘲して、小綺麗な赤に包まれる建物へカメラを向けた。

物陰へと移動して野次馬を装いながら考える。最後、あの棺桶はどんな状態になっただろう。ナイフで刺したまでは覚えているが、俺はその先を知らない。大抵そうだ。自分で手を下したときは自分が何をしたか、あまり頭に残らない。感情の先端まで殺意に染まってしまうからだ。俺からすると記憶しているのはむしろ失礼だとも言える。

カメラを持ち込んだのはそのためだ。いつでも映像を見返せるようにする記録。無論、作品としての公開も可能性としてあるだろうが、あまり乗り気ではない。雑音がかなり混入していそうだ。陳列台のガラスの反射も気になるし、俺を特定する材料があれば取り除かなくてはならない。映像を見返す必要がある。

それがまず、乗り気になれない。

俺はあの展示での記憶を曖昧にしておきたくなっていた。ビルの中身は空だった。その結末が一番いい。全部は俺が見た幻覚で、俺の妄想だ。そうすりゃ全部をこの瞬間の俺が独占できる。これが現実だったら見返すたびに飽きていく。というよりは、飽きていくかもしれない自分にいつも嫌気が差す。そこまで考えを巡らせて、俺は口角を上げた。

久しぶりだ、飽きたくないノンフィクションは。

撮影を止め、カメラを弄って最初の場面に切り替える。炎に巻かれる前の建物の外観のみが画面に映し出されている。再生すればこのカメラは展示の内部に入っていく。

ここに記録した映像はタネも仕掛けもないマジモノだ。どうせ誰も死にやしないのに暴れる被写体を縛り付け、自分が思ったように捻じ曲げる。生命の発露と容赦ない暴力。死なないのが却って都合がいい。本来なら死んでるくらい傷つけても、さらにその先へと踏み込める。

映像の中、新鮮な生は再び動き出す。死ぬ心配はしなくていいなんて退屈な言葉とは対照的な、活力に満ちた生が。それをナイフで刺す。刺して、刺して、貫いて。気が済むまで凶器を振るって。内側で生産された熱が凶器を通じて生へと流動して、俺は温かい血液を被る。

命を殺す。蘇生させた命を殺す。このつまんねぇ世界を殺す。終焉したはずの死は蘇る。

おい、なんだよ。脱力感が俺を覆った。

俺は自由を密閉してたのか。無我夢中でマンデーを殺そうとする傍ら、箱に自由を詰め込んでいた。放火した建物をよそに、俺はハンディカムに目を落として苦笑した。本物のスナッフ・フィルムを撮れなくなって早数年。見かけなくなった自由は、やはり俺たちのすぐそばで息を潜めていた。その自由も俺の手の中に戻った。

俺がやっちまったんだ。俺が仕留めた自由なんだ。そう考えた後は、いつも決まってこう考える。

この自由がもっと欲しい。

そそくさとハンディカムを抱えて現場を離れる。歩きながら、頭では次回作の構想を練り始めていた。カメラは普段より重く、その重量感が自分でも微笑ましい。

何も決まっていない。脚本も照明も音楽も、何より被写体の特徴も。楽しいよなぁ。何も決まってないんだってさ。この感覚はいつぶりだろう。この楽しさも死と一緒に忘れていたって、取り戻すまで気付かなかったな。

そもそも、コンセプトをどうしよう。今回からは制約がない。殺しがゴールじゃないからな。この世界の状況を最大限活用しなきゃ、現行の保証書付きスナッフ・フィルムと変わらない。活用するなら、ゴールの再設定が必要だ。同時にスタートの設定も認識を変えなきゃな。ヤバいな。考えることでいっぱいだ。

身体の内側で熱が生まれる。その熱を放射するために息を吐く。難しい課題はまた今度でいい。街を散歩してる瞬間にアイデアが芽生えるかもしれないしな。だけどモチベーションは下げたくないな。

タイトルだけでもこの場で決めようか。

俺が撮りたいのは殺しの映像だ。被写体に死をもたらす。人が死ななくなったこの世でどだい無理な話だが、そう思わせるほど苛烈な映像を撮りたい。命を再生して殺す。あたかも生が前みたく立体的っていう前提で殺す。作品を思うがままに操作する、神みたいな立ち位置で。神は神でも、死をもたらす神が撮ってんのかよ。じゃあ、そうやって撮られた映像は。


死神の映像ゲーデ・フィルム、か。

いいタイトルだな。

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