よくみるかお
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その日は、家族みんなで楽しく夕食を食べていた。何か特別な日という事でもなく、平日の普通の日。母と父と、高校生の弟の4人で。まさに水入らず、すごく久しぶりの家族団欒という感じだった。

テーブルにはご飯に味噌汁、ハンバーグとキャベツ、大皿にはフライドポテトが塩を振られて置いてある。それらを食べながら、様々な話をした。母は親戚の近況だったり、父は仕事の話や愚痴、弟は高い身長を活かしてバレーボール部で活躍している事などを話していた。

凄く楽しい。最近仕事が上手くいっていなかったり、嫌な事が続いていた事もあったから、柄にもなく癒されたというか、染みた。その場に居るのに、何故か堪らなく懐かしくなってしまった。ずっと、こういう時間が続いてほしいと思えた。

その時だった。


ガチャ

誰かが、家の中に入ってきた。瞬間、食卓はしんと静まりかえる。皆で顔を見合わせ、玄関の方に繋がるふすまを見つめながら、椅子から少しだけ腰を浮かした。靴を脱いでいる音が聞こえると同時に、つけっぱなしにしていた玄関廊下の電気が消される。父が静かに立ち上がり、様子を伺おうとした瞬間、ふすまが少しだけ開いた。


……居ない。何も。

真っ暗の玄関廊下に目が行った瞬間、母が小さい悲鳴を上げながら、「下」って呟いた。

下を向くと、横向きになった人間の頭が、敷居部分にあった。右耳を床に押し付け、縦枠とふすまにピッタリと挟まるように収まっていた。体はどうなっているのかは、廊下側に出なければ見えない。ただ、不思議なのだけれど突然に現れた顔には見覚えがあった。




「よくみるかお」だった。




その顔はぐにゃりと崩れているというか、男女も年齢も何もかも分からなかった。それどころか、人間なのかも分からない。どう考えても、おかしい存在だった。でも、何故か害を感じないというか、安心感を覚える顔だった。他の皆も、自分と同じような感じらしかった。

「ごめん、誰だっけ……この人。」

思い沈黙を破り、父が小声で自分たちに聞いてきた。

「私も分かんないわよ……。というか、最後に家に帰って来たの祐樹でしょ。何で鍵閉めとかないのよ。だから、こんな事になるのよ。」

よく仕事で残業になる自分が、一番遅く帰ってくる事が多い。でも、今日はうっかり忘れてしまっていたらしい。残業終わりで疲れていたからかもしれない。でも、まさかこんな事になるなんて。

「まぁ、兄ちゃんを責めても仕方がないじゃん。で、どうするの?」

「思い出すしかないだろうな……。皆、心当たりあるか?」

まず、自分たち家族の誰でもない。全員がこの部屋の中に居るのだから。だとすれば…誰になるだろうか。自分たちの家に入ってこれるというなら、親戚の誰かとか……?

「彰さんとか、あり得る?」

父がそう言った。親戚の中で、一番近くに住んでいるのは母の親戚である、彰のおじちゃんだ。確かに、誰にでも距離が近い性格ではある。……でも。

「いや…たぶん違うと思うわ。ちょっと前に病気しちゃって、今は入院してるって聞いたもの。それに、いくら何でもアポなしで来るほど非常識ではないと思うわ…。」

「そうだよな…。」

「父ちゃんがさっき言ってた、会社の人って事ない?」

次に弟がこう言った。ついさっき、父が愚痴をこぼしていた部下の、確か名前は田坂さんだったか。けっこう世間知らずと言うか、思いもよらないミスを繰り返すタイプらしかった。もしかしたら。

「いや……違うな。田坂君は確かに世話の焼ける奴だけど、流石にこんな事はしないだろう。それに、潔癖症だって言ってたから、床に頭を付けて寝っ転がるなんて事はしないと思う…。」

「違ったか…。」

「もう、本当に誰なのよ!修司の部活関係のコとかでも無いの?」

母が、半ばヒステリック気味に叫ぶ。今日の夕方、弟の友達が家に遊びに来ていたというのは、さっき聞いていた。忘れ物でも取りに来た、と言う可能性はあるのかもしれない。

「いや……違うと思うけど。吉田が忘れ物したって言ってたけど、俺が明日学校で渡せばいいだけだし。第一、急に家の中に入ってくるわけないし。というか、こんな顔じゃないし。」

考えれば考えるほど、訳が分からなかった。突然、家の中に入ってきて、床に頭を付けて何も言わない。そもそも、なんでこんなに安心感を覚えるのかも分からない。何者だろうと、納得がいかない。どれだけ考えても答えが浮かばず、頭の中は混乱し熱が出そうだった。

心を落ち着かせるため、ゆっくりと深呼吸をする。脳に酸素が行き渡り、少しだけ視界が澄んだ気がした。……そうだ。顔をもう一度、良く見よう。どこで見た顔なのか思い出せれば、それでいいんだ。

意識を一つに集中させる。何処だ、何処で見たんだ?そう思って、「よくみるかお」を凝視した瞬間、目がギョロっと動かしてきて、目が合った。その時だった。頭にふっと浮かんだ状況があった。


数日前。残業を終え、夜道を車でぶっ飛ばし、ようやく家に到着した時の事だ。車を降り、何気なく車の後部座席を見たら、いつの間にか座っていた、あの顔だ。こちらを凝視しながら、車のドアをガチャッと開けてきた所までは覚えている。……そこから、どうなったんだっけか?何故か、思い出せない。

というか、そうだ。今日の朝も、家を出る時に、窓から顔を出して見送ってくれた顔じゃないか。どうして思い出せなかったんだろう。


……いや、おかしいじゃん。それは。じゃあ、「よくみるかお」が自分の知らない他人な筈が無いじゃん。

自分に記憶違いがあるんじゃないか?何か、根本的な所から間違えていないか?このままだと、合わないじゃないか。何か、答えがあるはず。何か。



そうだ。弟だ。最初に候補から外してしまったけど、やっぱり家族だったんだよ。きっと。そうか、これは弟だったのか。全く、驚かせて。

あぁ、思い出してきた。部活動を遅くなった弟を拾って、家に帰ったんだった。今日も、弟は夏休みで部活も休みだから、朝は家に居たんだった。だから、部活の友達も家に居たんだよ。そうだった、そうだった。

ふと、周りを見渡すと母と父だけで、弟だけが居ない。ほら、弟のご飯も無い。家族全員で飯を食っていたなんて、根本的に自分の記憶違いだったんだ。あ、やっぱり。ラップされた弟のご飯が冷蔵庫の前に置かれている。

それにしても、何で弟は、「おかえり」って言わなかったんだろう。聞こえなかっただけなのかな。……と言うか、何でこんな所で寝っ転がっているんだ?

……いや、違うって。違う。だから、合わないって。そんな記憶違い、あるわけないじゃんか。何なんだ、これは?また、混乱してきた。

「あのさ、これで良いんだよね?」不安になり、自分の後ろで討論を続けている父と母に話しかけた。


……居ない。誰も。

部屋はしんと静まりかえっていた。広い食卓には、食べかけのコンビニ弁当が1つだけと、父と母と弟3人分の顔写真だけがペラッと置いてあった。

冷蔵庫の前には、誰のご飯も置いていなかった。時計を見れば、夜の11時。そうだ。残業終わった後なのだから、この位か。


……あ、まずい。合わない。こんな時間に、家族みんなで団欒なんか、してるわけないじゃん。あれ、自分はいつから一人暮らしをしているんだっけ?自分以外の皆は、どうなったんだっけ?

何が、何が正しいんだ?俺が、一人で幻覚を見てるだけなのか?結局、この「よくみるかお」って何なんだ?現実に存在するのか?

そう思って下を見ると、そこには何も居なかった。代わりに、「よくみるかお」がいつの間にか立ち上がって、部屋の中に入ってきていた。人間の様な形をしているけれど、ぐにゃりとしている。背は少しずつ高くなっていて、とにかく異様だった。何かをボソボソ呟いている。

しかも、いつの間にか、何体も居る。全員が、自分を凝視しながら、ゆっくりと輪になって、自分を取り囲んでくる。


「結局、なんなんだよ、お前ら……。」


好きにしたらいいんじゃない?
微笑みながら自分を見下ろして、「よくみるかお」はそう呟いていた。





疲れていた。もう何も考えたくなかった。一人は嫌だった。

だから、そうする事にした。




「祐樹、誰か来たのか?」

「いや、強風でドアが一瞬開いちゃっただけみたいだ。」

「祐樹、また鍵閉め忘れたの。本当に、何回言えば直るのかしら…。早く閉めてきて。」

「兄ちゃん、ついでにふりかけ持ってきて。」

はいはい…と空返事をしながら、自分は玄関廊下の電気をつけた。強風でドアはガタガタ鳴っている。一応、ドアを開けて外を見てみる。曇っているからか、酷く暗い闇夜だった。勿論、誰も居ない。

自分はガチャンと玄関の鍵を閉め、廊下玄関の電気を消した。すると、家中の電気が消えたせいか、何も見えない。自分が何処に居るか分からなくなってしまうほどだった。

でも、大丈夫だ。奥の部屋から皆の声が聞こえる。自分は声を頼りにふすまを開けて部屋に入る。

すると、心安らぐ皆の顔がよく見えた。












事件名 ██県███市一家3人殺害事件
発生日時 平成██年██月█日 未明
場所 ██県███市██区███番地█地割の██さん宅
被害者 ██博信さん(当時██歳)、██夏帆さん(同██歳)、██修司さん(同17歳)
容疑者 逃走中(身長185センチ程度との目撃情報あり)容疑者の特定につながる有力な情報には、国の公的懸賞金と民間団体の私的懸賞金、合わせて上限1000万円相当が支払われる。
概要 犯人は██博信さんが就寝中に住宅内に侵入。包丁などを用いて、寝室に居た██博信さん、██夏帆さん、██修司さんの首や顔など、複数箇所を刺し殺害。この時、別室で寝ていた██祐樹さん(当時21歳)には危害は加えられなかった。現場からは現金約17万円、及び金品が持ち去られている。事件当時、住宅の玄関の鍵はかかっていなかった事が分かっている。
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