この文章はSCP(潮渦中央公園Shiouzu Central Park)探偵事務所(以下SCP探偵事務所)所長を務める頼逸京介よりいつきょうすけ博士の活動を掌編推理小説集の形式でまとめたものである。
当初は私の備忘録作成を兼ねた手慰みとして綴ったものだったが、図らずも頼逸博士本人の目に留まり、彼自身の推薦によってこの度サイト81██内部広報誌にて掲載される運びと相成った。
我々SCP探偵事務所は要注意団体及び人物の広域監視及び摘発を主たる使命とする財団フロント企業だが、各サイト保安部門の要請によりサイト職員が関係する事件を調査することがある。
その中で、ある程度読み物の題材として値打ちのありそうな事件をここに収録することとした。もちろん関係者の名前は頼逸博士と私以外は仮名に差替えられているので、その点については注意されたい。
そして、僭越ながら各話の末尾に読者への問題を設けているので、読者諸君には是非とも考えてみていただきたい。それほど難しい訳でもない謎々ばかりなので、考える時は肩肘張らずにゆったりと望んでほしい。
また、冒頭で述べたとおりこの作品自体暇つぶし程度で書いたものであることから、文芸作品としてのクオリティーについては保証しかねるので予め了承をいただきたい。
この作品が諸君らがSCP探偵事務所の活動への理解を深める一助となることと、朝な夕なに人類存続のために働く諸君らの貴重な休憩時間を彩る娯楽となることを切に願う。
潮渦中央公園探偵事務所 助手 桜ノ宮 桜さくらのみや さくら
古文書解読の権威である西村博士が彼の研究室で遺体となって発見された。
死亡推定時刻は12時から14時までの間。
死因はこめかみへの銃撃で、凶器とみられる銃は博士の右手に握りしめられており、遺体はカーテン付きの窓を背にして椅子に座ったまま机に覆いかぶさるようにして倒れていた。
「直接の死因は博士が所持していた銃の発砲によるものですが」
事件調査の報告書をまとめていた 桜ノ宮は頼逸に説明する。
「机に置かれていたボロボロのパピルス紙がどうやら自殺の根本の原因だったようです。この文書は視認した人間に強烈な自殺願望を引き起こす代物でして、閲覧にあたっては予め認識災害への対抗処置が必要となります。処置を使用した痕跡は見られるので、おそらく処置がうまく働かないまま古文書を閲覧して異常性に曝露。そして銃を机の引き出しから取り出して自らのこめかみに、といったところでしょう」
頼逸は遺体発見の経緯を尋ねた。
「博士の研究室から中庭をはさんだところにガラス張りの渡り廊下があり、そこを通りがかった研究員が机に突っ伏している博士を発見したとのことです」
「死亡推定時刻の天気は?」
「晴れです」
そして、頼逸は小さくこう呟いた。
「これは自殺に偽装された殺人だな」
頼逸は何故殺人であると見破ったか?
遺体発見当時、研究室の窓のカーテンは閉じられていなかった。西村博士が古文書解読の権威ならば、古文書にとって有害な日光を遮断するためにカーテンを閉じるか、そもそも日光が当たらない別の部屋で文書を閲覧するはず。ましてや閲覧者に自殺を誘発する危険な異常性を持つオブジェクトを閲覧するためにわざわざ銃を保管している部屋を選んだというところも怪しいので、頼逸はこの事件を殺人と断定した。
サイト81██の敷地外でサイト所属の前田研究員が殺された。検視の結果、頭部への10回以上にわたる執拗な打撃が致命傷となったことが明らかになった。
初動捜査の一環として、彼女の交際相手だった二岡研究員がインタビューに呼ばれた。
サイト内で好青年と評判だった二岡も、先程まで泣いていたせいでまぶたがすっかり腫れてしまっている。
彼の虚ろな目を真っ直ぐに見据えて頼逸は話し始める。
「彼女は頭部への殴打により亡くなっていました。犯人については目下捜査中ですが、残念ながら現時点でこちらからお話しできることは少ないです。捜査にご協力をいただけませんか」
二岡は力無く頷いた。
頼逸が続ける。
「ありがとうございます。ではお辛いでしょうがまず、彼女に恨みを抱くような人物に心当たりはいませんか」
二岡は一瞬戸惑ったが、答えた。
「誰にも分け隔てなく気遣いが、できる優しい方でした。その上きれいでした。ぼくでは、釣り合わないほどに」
喉の奥で言葉が詰まりながらも話し続ける。
「彼女は他人の恨みを買うような人間ではありません。彼女の美貌を羨む女性は多いかもしれませんが」
二岡は小さく息をついた。
頼逸はその様子も観察する。
「なるほど、分かりました。続いて、あなたは昨日の夜どちらにいらっしゃいましたか」
それを聞いた途端、驚愕と困惑の表情を浮かべながら顔を素早く上げた。
「形式的な質問です。お間違えなきよう」
頼逸は二岡の心を見透かしたように彼を右手で制しながら恭しく返した。
二岡は視線を戻す。
「その日は17時まで仕事をして、20時からのレイトショーを観るために彼女と繁華街で落ち合いました。終わったのは22時半です。建物を出たら雨が降っていたので、一つの傘に入って最寄り駅まで向かい、そこで別れました。そうだ、彼女昨日発売の手袋をくれたんです。捜査に役立つならこれを……」
頼逸は差し出された手袋をつまみながら観察した。傘を持っていた時に手にはめていたのか、少し湿っている。
頼逸が手袋を眺めていると、
「見てのとおり死の間際まで優しい子でした。そんな彼女をめった打ちにするなんて……本当にかわいそうに」
そこから彼は再びさめざめと泣き出してしまった。
しばし小休止をはさんだ後、いくつかの確認を経てインタビューはお開きとなった。
去り際、二岡は先程と打って変わって決然とした表情で頼逸の双眸を見返し言った。
「進展があったらすぐに聞かせてください。必ず、犯人を捕まえてください」
「ええ」
頼逸は微笑みながら答える。
「では、お望みどおり今ここで捕まえて差し上げましょう」
頼逸は何故そう言ったか?
頼逸は頭を殴られた回数を口にしていないのに、二岡は前田が「めった打ち」にされたことを知っていたため。
「私が点呼して回っていた時です」
永射教官は淡々と当時の状況を述べる。
「訓練生の新井が部屋から出てきて『そろそろ消灯の時間なのに同部屋の小林の姿が見えない』と言ったのです。そして彼が話し終わらないうちに発砲音が聞こえたので、我々はトイレへ直行しました。個室の一つを見るとそこに小林がいて側頭部から血を流して死んでいたのです」
頼逸は訊く。
「トイレというと、射撃場の前にあるトイレですか?」
「はい、あそこまでは訓練生の部屋から一本道ですから、我々がトイレに向かうまでの間に犯人とすれ違うはずがありません。そして現場の状況から、小林訓練生は自殺だと考えます」
「それは我々が精査する事項です」
頼逸は落ち着き払った様子で答える。
そして最後にこう付け足した。
「幸か不幸か、今回は精査するまでもなく、あなたがたが小林訓練生の死と何かしらの関係があるのは明白ですが」
頼逸は何故彼らが怪しいと断言できたか?
永射教官は発砲音が聞こえたので、新井訓練生と射撃場の前のトイレに直行したと言ったが、発砲音が聞こえたとしたらまず射撃場を確認しに行くはず。それ故迷わずトイレに直行したのは不自然だから。
「細谷はとにかく音づくりとか機材の保管にうるさくて、他のメンバーとの諍いが絶えなかったんです」
サイト81██内のバンドサークルのメンバー、黒木研究助手は振り返る。
取調室の机には、自室のベッドに座ってグラスを傾けている細谷研究員と黒木の写真が置いてある。
「サークルでは実質的なリーダーだったんですが、さっき言ったとおり色々うるさくて、あの日も練習の途中で他のメンバーと口論した挙句部屋に帰ってしまったんですよ。私が…」
彼は言い淀む。
「その後どうなったかお聞かせ願えますか」
頼逸は促した。
「私が夜になって職員寮の辺りを散歩していると、細谷の寝室の窓が開いてて、すぐそこから彼のアコギの音が聞こえました。すると電話がかかってきたみたいで演奏が止み、ほどなくして『なんだと!今すぐこっちに来い!』って細谷が叫んでたのが聞こえました。彼の虫の居所が悪い時に顔を見られると厄介なので、すぐにそこから立ち去りました。まさかあの後殺されていたなんて…」
黒木は沈痛な面持ちで膝に乗せた両手を見つめる。
「細谷研究員が亡くなった晩は雨が降っていましたが、あなたはそれでも散歩に?」
頼逸は問うた。
「雨音とか、水が地面に当たった時のリズムから曲を思いつくことが多いんです」
「なるほど」
そう言うと頼逸は椅子に座り直して、さらにこう続けた。
「これからは雨音を頼りに作曲できなくなりますね」
頼逸はなぜ黒木を疑ったか?
アコースティックギターの天敵は湿気である。殺された細谷が機材の保管にうるさいのであれば、雨が降っている中窓を開けながらギターを弾いたとは考えられないので、黒木が嘘をついていたことが分かる。
エージェント・永江がPOI追跡中に殺された。
現場は相模原市郊外の空き倉庫で、事件発生当時買い手はついておらず放棄されていたため、近辺では夜な夜なよからぬ取引に利用されているのではないかという噂が出回っていた。倉庫の中はとんでもない荒れ様で、夜逃げでもしたかのように古びた機器類が放置され、塵を食らう蛇でさえも食わぬような夥しい量の埃が床一面にはりついていた。
ただ、遺体があったと思われる場所を中心に血溜まりがあり、その周辺だけは埃が舞ったのか床が露出していた。
頼逸は今、2階の錆びた手すりを手袋をした手でさすりながら桜ノ宮の説明に耳を傾けている。
「最初の発見者は相棒のエージェント・西浦です。POIを追って先に倉庫に入った永江を追う形で入口に到着したところ怒号が聞こえ、所長が今立っているところで二人が揉み合いになっていたそうです」
「事実、階段とここの床だけ埃がないみたいだね」
頼逸は錆びた地面を見つめる。
「そこで西浦も加勢しようと階段へ向かおうとしたところ、永江が突き飛ばされて墜落、側に駆け寄ったところすでに事切れていてPOIがその間に逃走した、というのが西浦の証言になります」
血溜まりを除いて一面灰色の1階を見つめながら頼逸は言った。
「逃げたPOIは他に任せるとして、僕らは西浦を捕まえなきゃね」
頼逸が西浦を疑ったのは何故か?
西浦が永江に駆け寄ったならば、入口から遺体までの地面は埃が舞って露出しているはず。しかし、1階は遺体の周りを除いて埃で覆われており、西浦が嘘を吐いていると推察されるため。
ドアに耳を当て、中の様子を探る。物音はない。ロングスリーパーのあいつならもうとっくに寝ている時間だ。秘密裏に作った合鍵を差し、手袋をした手でノブを回す。部屋の灯は点いていない。やはり予想した通り。
物音を立てず寝室のドアを開ける。そこに奴がいた。叩き起こしたくなるほど穏やかな寝顔を浮かべている。すぐに殺してやってもよいのだが、俺は奴の顔を見下ろした。まさか眠っている間に脳天をぶち抜かれるとは文字通り夢にも思うまい。
連名の研究で手柄と莫大な報奨金を横取りされたあの日以来、俺はこいつを、この屑を憎み続けてきた。そして今夜実行する計画を徹底的にシミュレートしてきた。
相変わらず起きる気配はない。俺は銃をこめかみに突きつける。
お前はもう起きる必要はない。お前は今後、有意な結果が出ないせいで頭を悩ませる必要はないのだ。なぜなら俺がこの手でお前に安らけき死を与えるからだ。
俺はなんと慈悲深いのだろう。俺は満足して引き金を引いた。
人を殺すというのはこんなにも簡単なことだったのか。そう思えるくらいすんなり事は済んだ。後始末も済んだ。ここに長居する必要はない。出よう。
全くもって問題はない。アリバイは完璧で、俺に結びつく証拠は一切ない。
脳筋の劣等生どものことだ。
保安部門は未来永劫、俺の影を捉えることはできないだろう。
事件から程なくして、彼は頼逸によって逮捕された。
彼はどこで失敗したか?
冒頭でドアに耳を当てていたので、ドアに耳紋が残っていた。
頼逸と桜ノ宮は学会に参加するためペンシルベニア州フィラデルフィアのサイトに来ていた。学会が終わった後、サイト併設の財団史博物館で暇を潰すことにした。もちろん財団関係者だけに開かれているのでそこまで混雑していなかったが、学会参加者がそのまま流れてきていて入口付近には人がたまっていた。
見ると、博物館のガイドが声を張り上げている。
「ただいま学会開催に合わせてレクリエーションを行っております。ルールは簡単。展示品の中に一つ、捏造品が紛れ込んでいるのでそれがどれかを当てていただくだけです。もし正解でしたら食堂のフィリーステーキ無料引換券をプレゼントします」
二人で目ぼしい作品がないか探し回っていると、ふと頼逸が写実的な鉛筆画の前で歩みを止めた。桜ノ宮も見てみると作品は1800年代に作成されたもので、針葉樹に囲まれた岩地の真ん中に倒れ伏す黒い人型と大きな岩が鎮座している風景画だった。
絵の横には次のような説明文が書かれていた。
「この鉛筆画は財団のとある部隊がK2の標高4,500mの地点を行軍中、落石に遭遇した場面を描いたものです。19世紀の時点では極地へ携帯可能な映像機器は発明されていなかったため、財団は部隊に記録係として瞬間記憶の能力に長けたサヴァン症候群の隊員を割り当てることがありました。この作品はまさに落石事故発生直後の様子を描写しており、任務での事故を立証する資料として活用されました」
その数分後に二人は満面の笑みでフィリーステーキを頬張っていた。
何故頼逸は鉛筆画を偽造品と見抜いたか?
K2の標高4,500mの地点は森林限界といって、高度や土壌等の複合的要素により樹木が生えない環境下にある。頼逸は絵に描かれた針葉樹を見て偽造を見抜いたのである。
大いなる運の巡り合わせにより、頼逸と桜ノ宮は今、モナコの海岸に刺さったパラソルの下に座っていた。
「モーパッサンが作品の中で言うには」
頼逸は言った。
「モナコは殺人がない平和な小国だが、その海岸ではルーレットで有り金全部すった人間が身を投げるらしい」
「嫌ですよ、縁起でもない」
すっかり日焼け止めを塗り終わった桜ノ宮が顔をしかめる。
「リゾートに来てまでそんなこと言わないでください」
そう言い終えて視線を頼逸から逸らした直後、桜ノ宮の視線はある一点に釘付けになった。桜ノ宮が見つめた先には岸壁があり、そこから人間が突き落とされてダーツの矢よろしく海面に突入していったのだ。
その直後桜ノ宮は他の観光客と一緒になって今やこの狭い海岸にはモナコ中の人間がひしめき合っているように思われた。偉大なるダイビングを決めた男はぐったりして砂浜に倒れていて、頼逸が確認したところ呼吸が止まっていた。そこへ突然地元人風の男が人混みをかき分けて来て頼逸の肩を叩いた。
「ニースの病院に勤める者です。ここは私が人工呼吸します。あなたは救急車を呼んでください」
そういうことなら、ということで頼逸は桜ノ宮に救急車を呼びに行かせて頼逸はその場に残ることにした。
その間に医師は足早に男の側に移動して、改めて心音を確かめていた。やはり自発呼吸がないと分かってそのまま口をつけようとした瞬間、頼逸は医師の肩を掴んで患者から引き離して言った。
「栄えあるモナコ最初の殺人者になるところでしたね」
頼逸は何故医師を怪しんだか?
人工呼吸時は原則、傷病者の下顎を持ち上げて気道確保を行ったうえで実施することとなっている。医師ともあろう人間がそれを知らないわけがないので、崖から突き落とした人間がとどめを刺しに来たと頼逸は判断した。
頼逸は北海道での休暇を満喫した後、日高から札幌までの間を車で走っていた。
パッチワークを縫いつける糸のように敷かれた道路を辿っていると、行手の方の牧場で人だかりができていた。車を路肩につけて野次馬に訊く。
「ここの牧場で赤ちゃんが産まれそうなんですよ。折角ですし、あなたも見ていきませんか」
それを聞いた頼逸は少し早いお祝いの言葉を言うため、メルキオールになった心持ちで馬小屋に向かった。人の間をすり抜け最前列に出ると、そこにはお腹を大きくしたラバが寝藁に横たわっていた。いななきながらしばしのたうった後、股から赤ん坊の頭が出てきた。周囲の静かな声援も手伝って、赤ん坊は地に産み落とされた。
出産を無事見届けた後初期収容の部隊を送るように連絡した。
頼逸は何故財団に連絡したのか?
一般的にラバは生殖能力を持たないので、子を産めない。
頼逸がその夜2杯目のルイボスティーを飲み干そうとしていたところに、保安部門の熊代から着信があった。なんとも都合よく探偵事務所の近くで財団職員が絡む事件があったそうだ。
頼逸はコートに片腕を通しながら通話を続けた。
「被害者は塩見大樹、サイト81██の技師です。発見された場所は自宅マンションの共用廊下。人1人がやっと通れるくらいの狭さです。死因は頭部への殴打による脳挫傷。何回も叩かれていたようです。部屋の鍵が差したままになっていたので、ちょうど鍵を回そうとしたところで一撃を食らったものと推察されます。死体の第一発見者は隣室の西田文和、この男は一般人で自身も犯人から暴行を受け負傷しています。西田さんの供述によるとエレベーターを降りて自室に向かっている最中、鍵を差して部屋に入ろうとしていた塩見さんをエレベーター側手前に立つ長身の男が殴っているところをちょうど見かけたようです。そして犯人も凶行の現場を見られていたことに気づき口封じのために西田さんを殴打。しかし息の有無を確認せず犯人は現場から逃走したということです。詳しい事情は現場に着いてから、あ、着きましたね。ご苦労様です」
頼逸は熊代に会釈しながら電話を切ると同時に、西田を捕縛するよう伝えた。
頼逸がそうさせた根拠は何か?
犯行当時被害者の塩見はドアに鍵を差していただけだったので、施錠するために鍵を差したのか、部屋に入るために鍵を差したのか分からない。頼逸は「人1人がやっと通れる」廊下でエレベーター側に長身の男が立っていたにもかかわらず被害者が「部屋に入ろうとしていた」と断言した西田が怪しいと思ったため、熊代にそのように指示した。