落語に出てくる人物はと言いますとですね。
八っあん熊さんご隠居さん、人の良いのが甚兵衛さん、馬鹿で与太郎なんてことを申します。
このように古典落語では登場する人物の性格や役は得てして決まっているものです。
ところで、これは怪異には当てはまりません。
愛嬌あるものから聴衆を怖がらせるものまで多様。
サゲに繋げるための道具という見方もできますかな。
怪異とは不可思議ながらもそこに在ることに変わりはなく、世界の一部だったわけです。
しかしあるときから、世界は怪異を取って放り投げました。
不可思議の正体を人が掴み始めたからです。
このようにして、怪異は舞台へと引き摺り下ろされ、己の役を求めることとなりました。
往昔と此先、内と外、現世と異界。
様々な事象が交錯する十字路での、それはそれは些細な話。
あ、ええ、そうです。
真っ暗マクラはもう終わりです。
始まりはこれからですよ。
演目
1945
東京闇市
キャロル#427: 嘆き屋
提供 aisurakuto
共演 扶桑紀
再生へ動き出した街で悪漢どもが暗躍する。
傍らに、役割を果たすだけの怪異の影があった。
1974
京都府某所
奇想天獄 1974年第8号 「非人間的演劇表現」
提供 aisurakuto
怪異は舞台へと侵食し、人に紛れ込む。
此処を新たな居場所だと言わんばかりに。
197█
浅草下町
結成前夜
提供 aisurakuto
見渡せば、妖たちは鳴りを潜めていた。
人間体に化けた件が体験したいくつかの怪奇と変化について。
198█
東京都内某所
好事魔多し
提供 FattyAcid
何かが上手く行っている時ほど邪魔が入りやすいと言う。
ところで、最近の邪の者、魔の者は街の影にひっそりと住むらしい。
1989
浅草興行街
名前くらいは憶えて帰れ
提供 aisurakuto
喜劇役者であるためには、常にその顔でなければならないそうだ。
エノケンさん。どうして貴方は、私が喜劇役者だと言ったのですか。
1993
秋葉原
カモと商人
提供 aisurakuto
今日の業務を終えた外来の神が二人。
珍奇な見世物に商売の気を感じ取って、暗路に首を突っ込んだ。
2005
京都府某所
Yo-kai Pride side SHIRIME
提供 solvex
「それが怖がらせることかい。」
「そうだ。」
2012
関連地多数
SCP-2704-JP
提供 solvex
SCP-2704-JPは既存のいかなるものとも一致しない、歌手である三波春夫のポスターです。
2015
岩手県二戸市
保安課のオリエンテーション
提供 WagnasCousin
この曲がり家には妖が住んでいる。
そう聞かされていた。
2016
東京都
舞・台・俺・山
提供 solvex
「お世話になります!幽谷山彦です!よろしくお願いします!」が第一声だった気がする。
2017
千葉県某所
サイゼリヤ██店には天使がいる!
提供 carbon13
彼はどこから来たのか自分が何なのかわからなかった。
だからサイゼリヤで働くことにした。
2017
恋昏崎ネットニュース
首都圏特異集合事件から30年 怪異の今
提供 aisurakuto
都市を魑魅魍魎が跋扈した即興劇事件から早三十年。
月日は残酷であり、人間の繁栄と怪異の衰退をさらに押し進めていた。
2017
秋葉原
妖どもは二畳半にて電脳を泳ぐ
提供 0v0_0v0
人々が電脳に染まるこの街を
妖は泳ぐ息絶え絶えに
2020
関連地多数
第二〇二〇番 - 「アマビヱ」
提供 kyougoku08
なんだかんだで怪異は消えず、なんとなくで神様にもなれるようだ。
『ほら見ろやっぱり神様じゃん、私の存在を讃えてよ! え、無理? ぴえん』
202█
京都府某所
恐怖の体現者
提供 solvex
「うおおおおお、俺の尻を見ろおおおおおお」
「いやああああああああああああ」
色物
一風変わった世界で繰り広げられる、一風変わった演目を此処で一つ……。
2011
京都府某所
魂の形
人は死んで魂だけになるとおおむね2つの道がある。
生前の姿のまま幽霊となるか、人の形を捨てて人魂となるかである。
2026
不明
奇想天獄 2026年第2号 「超常芸人と笑いの新世代」
提供 aisurakuto
共演 1998年
笑い話は現実になった、下らない冗談も言えなくなった。
そのとき、夢を掴んだ芸人と夢を掴みにいく芸人が出会った。
続物
この噺には続きがありまして……よければ、もう何席か聴いていきませんか。
妙麗寺
京都の外れにある寺、妙麗寺。妖怪には世知辛い世の中ですが、この寺ではちょっとだけのんびり出来ます。でもやりすぎは禁物です。
人と妖怪が集まる寺、妙麗寺を舞台にしたシリーズです。今を生きる怪異の中でも、力の無い妖怪が活躍しやすいものになっています。
演目
人類はこれまでにおよそ25万年もの歴史を歩んできた。しかしその歴史のうち特筆すべきは僅かこの4000年に過ぎない。
我々は25万年に渡って何をしていたのか?そのほとんどを、理解の外にあるものを恐れて、洞窟の中で小さな焚火を囲み身を寄せ合って過ごしていたのだ。何故太陽が昇るのか、それを明らかにすることよりも、岩壁に刻まれた人頭を持つ巨大な鳥の神秘こそが真に迫るものであった。そして我々はそのような存在を『神』と、あるいは『悪魔』と呼び、許しを乞い、救済の祈りを捧げた。
時は流れ、それらは次第に衰え、我々の数は多くに増えた。恐れるものは数を減らし、世界はより理に適ったものへとなり始めた。しかしそれでも、不可解なるものは決して消え去りはしなかった。まるで世界が不条理と不可能を必要としているかのように。
人類は恐怖から逃げ隠れていた時代に逆戻りしてはならない。他に我々を守るものはいない、我々自身が立ち上がらなければならないのだ。
人類が健全で正常な世界で生きていけるように、他の人類が光の中で暮らす間、我々は暗闇の中に立ち、それと戦い、封じ込め、人々の目から遠ざけなければならない。
確保、収容、保護。
— ”管理者”
果たして、祓われた闇は何処へ行ったのか?
四辻喜劇は、伝承により語り継がれる歴史的な怪異や神々を取り扱う物語の集まりです。
世界情勢は普遍的な財団世界とほぼ同じです。財団やGOCが超常的存在を群衆に露見させぬよう尽力しています。人類の脅威となりかねない怪物も大量に存在しているわけですが、一方で介入さえなければ人類の動向など至極どうでもいい、それでも放っておくには筋の通らない奴らが棲んでいます。このカノンでスポットライトが当てられるのは後者です。
「妖」や「旧時代怪異」などとして纏められる彼らは、科学が発達するまでは人々に実在していると認識されることでその存在を保っていました。しかし、科学技術と思想の発展により人類はだんだんと神や悪魔から離別し、社会とは別位置に信仰を置き始めます。それに伴って「妖」の世界は少しずつ崩落し、忘れ去られ、存在する資格をも奪われていきます。
そして、彼らは時代に敗北しました。
信仰なき弱い者が存在を保つためには、表舞台で人々から衆目を集め、記憶される必要があります。しかし、財団やGOC、他にも妖を利用・吸収しようとする巨大組織が複数蠢くこの世界では、それは至難の業でした。
主な舞台は、戦後から現在、近未来までの日本。時の流れに蹂躙される「妖」と、それらを翻弄する人類や新時代の怪異により構成されます。(今回、財団や人類は食い殺されるだけの餌ではなく、珍しく敵です)人々からの忘却、加速度的に進化する超常技術パラテック、容赦なく飲み込んでくる新時代の怪異に抵抗しながらも、それらは享楽的であり続けようとします。時代の変化、即ち近代化や国際化は妖の世界にも交わりをもたらすでしょう。
四辻。境目は、古来から異界との接続点だといわれています。